表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/102

聖女は『聖歌』を歌えない

ヒロインは聖女ですが、キレると言葉責めをはじめる残念な子です。

シリアスなターンもありますが、基本的にノリと勢いのまま突っ走る予定ですので、ちょびっとでも楽しんでいただければ幸いです。

「あーっははははははは、あはははははっ!!」


 どこか調子外れの、笑い声。

 辺りに響き渡る澄み切った少女のソプラノは、どこか不安定な危うさを孕んでいた。

 紅蓮の炎に煽られたポニーテールの金髪が、まるで爽やかな春風に捲かれたかのように、ふわりと緩やかに舞い踊る。

 しなやかな曲線を描く華奢な体は、機能性を重視した騎士服などよりも、可憐なドレスを纏っているほうが遙かに相応しいと、見る者すべてが言うだろう。

 どす黒く変色した血にまみれた、天使のように甘く愛らしい顔。南方の海の碧を宿した宝玉の瞳に、ふっくらと薔薇色に色づく小さな唇。丁寧に梳った黄金の髪を結い上げ、上質な宝石やドレスで飾れば、三国一の美姫と称えられるに違いない。


 だが今、元の肌の色がわからなくなるほどに汚れた、少女の小さな手が無造作に掴んでいるもの。それは、淑女の嗜みである煌びやかな装飾を施された扇でも、香り高い紅茶を注いだ白磁のティーカップでもない。

 くすくすと、心底楽しげに笑う少女が無造作に持つもの。

 それは、まるで脈動しているかのように明滅する、拳大の赤黒く濁った球体――否、凶暴化した魔獣の体から抉り出されたばかりの、核である。それはすぐに不規則な禍々しい光を放ち出し、あっという間に直視できないほどの眩さとなっていく。


 いまだ膨大な魔力に満ちたそれは、すぐに新たな肉体をまとうだろう。そして、魔獣の核は肉体を構成する際、周囲にいる己より弱い者の魔力を、強制的に奪い去っていく。そのときに奪った魔力が大きければ大きいほど、魔獣の肉体はそれに比例して強大なものになるのだ。


「総員、退避! 退避ー!!」


 輝く魔獣の核を目にした者たちが、口々に危険を叫び、訴える。今この場には、数多くの魔導士が存在していた。彼らの持つ魔力がすべて奪われてしまえば、もはや新たな肉体を得た魔獣に抵抗する術は、完全に失われる。

 その脅威に青ざめた者たちの心が、恐怖に押しつぶされそうになったときだった。


「だーいじょうぶ、だいじょーぶ。うふふふふー。おまえなんか、こうしてやるこうしてやるこうしてやるー! うはははははは!!」


 左手で持ったそれを、右手の拳でぽこぽこと殴りつけながら、少女がふんぞり返って高笑う。そのたび、魔獣の核の放つ強烈な光が加速度的に弱くなり、同時に核そのものの濁りが、あっという間に薄れていく。

 澱んだ魔力に汚染されていた、魔獣の核。それが、みるみるうちに本来の美しい輝きを取り戻していく。その様子を見た者たちはみな、息を呑んで己の目を疑った。


 ――あまりにも、速すぎる変化。

 少女の子どもじみた振る舞いと相俟って、現実感の乏しすぎる光景を受け入れられず、周囲が水を打ったように静まり返る。

 やがて、核から放たれる光が、濁った赤から淡く澄んだ青色になったのを見て、ようやく少女はそれを殴る手を止めた。

 そうして、スンッと真顔になった彼女は、今度はその核を握った左手に力をこめる。


「ハーイ、落ち着きましたね? 落ち着きましたよね? 落ち着いたところで、キッチリこちらの言うことを聞いて理解して、正しく判断してくださいねー? ――ハイ、それでは本題です。ただいまわたしはご覧の通り、アナタの核を握っています。ちょーっと力加減を間違うだけで、簡単に砕くことができちゃいます! すごいでしょう!」


 少女は朗らかに笑いながら、えげつない脅迫を口にした。

 と、魔獣の核から漏れる光が、ゆらりと揺らいだ。それを見た少女の目が、くっと剣呑に細められる。


「おいコラ、余計なこと考えてんじゃねーぞ、畜生が。マジで握りつぶされてェのか、能なしで浅はかで考えなしで短慮で惰弱なへっぽこクソ野郎。てめえの生殺与奪は、文字通りわたしの手の中にあるんだよ。その辺、海よりも深く魂に刻むレベルで理解した上で、惨めに震えてみっともなく泣いて許しを請いやがれ」


 一転して、ドスの効いた重低音で告げられた罵倒の数々に、魔獣の核が怯えるように小さく点滅した。それを見た少女は満足げにうなずき、今度はにっこりと可愛らしく笑みを浮かべる。


「うんうん、いい子ですねえ。聞き分けのいい子は好きですよ、わたし。そんないい子のアナタに、選択肢をあげましょう!」


 その愛くるしい顔立ちに相応しい、まさに天使のように無垢な笑顔。ただし、その顔は返り血でまだらに汚れているため、大変サイコパスな様相になっていた。

 核を失った魔獣の肉体は、時間が経てば細かな塵となって消えていくものである。少女の浴びた返り血もまた、少しずつ霧散し、消えていっていた。だがその様は、彼女の白い肌に浮かぶまだら模様が生き物のようにうねって見えて、ますます不気味さを増している。


 遠巻きに見ている者たちの中には、そんな少女の姿に恐怖を覚え、無意識に彼女から距離を取りはじめる者もいた。

 少女はそんな周囲の様子に構わず、ぴっと右手の指を二本立てる。


「選択肢は、ふたつです! このままわたしに核を握り潰されるか、それともわたしの従魔として契約するか。ちなみに従魔契約をした場合、アナタの肉体はわたし好みの外見に再構成されます! もふもふは正義なのです! つるつるやゴツゴツも嫌いではないですが、癒やしという点において、もふもふは絶対正義! 断じて異論は認めません! おまけになんと今なら、特別サービスでぷにぷにの素敵な肉球も付けちゃいます!」


 うふふふふー! と再びふんぞり返った少女の背中に、突然現れた大きな手が触れる。その手の主――こちらも全身返り血にまみれた、すらりと背の高い黒髪の青年だ。彼は荒く乱れた呼吸を調えながら、低く感情の透けない声で言う。


「落ち着け、ナギ。おまえは今、正常な判断をできる状態じゃない。さっさと、その核を破壊して――」

「あ、契約するの? うん、シークヴァルトさんが言ってるのは脅しじゃないよ、本気だよ? よかったねえ、返事をするのがあと一秒遅かったら、条件反射でぐしゃっとしてたよ。なぜならわたし、戦闘時におけるシークヴァルトさんの命令には、ほとんどノータイムで従うよう躾けられているのです! 師匠なので! 鬼コーチなので! 調教ってコワーイねー!」


 少女と同じ騎士服を着た青年の額に、ぴしりと青筋が浮く。


「調教とか人聞きの悪いことを言うな、ボケェ!」

「いえっさー! 罵倒の語彙が『ボケェ!』だけのシークヴァルトさんに、密かにときめくわたしです!」


 輝く笑顔で言った少女は、ものすごく酸っぱいものを食べたような顔になった青年から、魔獣の核に視線を移す。

 それはいつの間にか、晴れ渡った空のような美しい青色の球体になっていた。


「青ー、青ー、きれいな青ー。……よし、決めた! キミの新しい名前は、モフリヌスキーです!」


 上機嫌な少女がそう宣言した途端、青色の球体が純白の光を放つ。その真円を描く輪郭が曖昧になる。

 次の瞬間現れたのは、白銀の毛並みと青の瞳を持つ獣。

 非常に美しく均整の取れた姿をしているが、野生の獣というには鋭さに欠けている。おまけに、へにょりと耳を伏せ、少女の顔色を窺うように尻尾と首を下げている姿は、なんとも情けない。まるで、主に叱られた愛玩動物のようだ。

 その獣の姿を見た黒髪の青年が、訝しげに眉根を寄せる。


「なんだ、これは? 狼……にしては足が短くて小型だし、目も垂れ気味で大きいな。失敗したのか?」

「ぶぶー! 違いますー! この子は狼じゃなくて、シベリアンハスキーです! 狼よりも可愛くてふわふわでサラサラで気持ちがよくてもふもふで、ものすごく抱き心地がいいのですー!」


 キリッと言い切った少女に、黒髪の青年は首を傾げた。


「シベ……? まあ、いい。契約が終わったのなら、さっさとしまえ」

「ういっす」


 少女が敬礼した途端、白銀の獣は彼女の影の中にするりと消える。次の瞬間、糸の切れた人形のように、少女がその場に崩れ落ちた。気絶した彼女の体を、危なげなく抱き留めた青年は、苛立たしげに舌打ちする。


「まったく……。オレたちに無断で、コイツをこんな所に放りこんでくれた阿呆には、どう落とし前をつけさせてやったもんかな。なあ、ライニール」

「ああ。……精々、後悔させてやるさ」


 少女が気を失う寸前にその傍らに現れていたのは、一見細身ながら、隙なく鍛えられた体躯をした金髪の青年だ。彼もまたふたりと同じ、黒と赤を基調とした騎士服を着ている。やはり全身が血で汚れ、強い焦燥の浮かぶ顔には、大量の汗が滲んでいた。

 荒く乱れていた呼吸を、すぐに整えた金髪の青年は、魔獣の返り血で汚れた少女の額に指先で触れる。そこから伝わる体温の低さに、顔をしかめた。


 ――先ほどまでの少女のやたらと高いテンションは、彼女が完全に冷静さを欠いていた証だ。自分の力の使い方を、ようやく把握したばかりの少女にとって、目の前で暴れ狂う魔獣の姿は、恐怖以外の何物でもなかったに違いない。その恐怖を乗り越えられずに飲みこまれ、理性が吹っ飛んでしまった結果が、この惨状である。


「上層部は、ナギが危機に直面すれば、いやでも『聖歌』を歌うと考えたのかもしれんが……。ご丁寧に、おれたちとの通信手段も断ってくれるとは。よほど、命が惜しくないらしい」


 憤りを隠さない口調で言いながら、金髪の青年が袖から抜いた上着を気絶した少女の体に掛ける。黒髪の青年が、皮肉げに笑う。


「ちゃんと、上には報告しているはずなのにな。――うちの聖女さまは、歌えない。ナギが聖女の力を使ってできるのは、直接触れた対象の魔力に干渉して、正常な状態に戻すことだけだ、って」


 聖女の固有魔術である『聖歌』は、あらゆる魔力の乱れを調え、癒やすもの。

 世界に調和をもたらす『聖歌』による福音こそが、聖女が聖女たる所以。


 だが、半年前にこのルジェンダ王国に現れた聖女ナギは、歴代でも類を見ないほど強大な魔力を持ちながら、『聖歌』を歌うことができなかった。今の彼女に叶うのは、あくまでも対象への直接接触による、乱れた魔力の正常化のみ。

 そんな彼女は、やがて人々からこう呼ばれることになる。


 ――血塗れの聖女ブラッディ・セイント、と。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ