第六話 『落神 流』
「ちょっと待って。地下二階?訓練するんじゃないの?」
「お前が勝手に言ってるだけだろうが」
「いや、だってそんな感じ出してたし」
「知りたきゃ勝手についてこい」
「はいはい。黙ってついていきますよー」
エレベーターから出ると、一気に広い空間に出た。
広い空間と言ったのは、本来であれば部屋を作るために割り当てる空間をすべてをぶち抜いて、地下二階のほとんどすべての場所を一つの訓練施設としているためだ。
訓練施設は碁盤の区画ごとに、混沌種の再現データを形成するために半透明上の壁で分けられた戦闘スペース、その戦闘の様子を記録するための録画録音機械を置くスペースがある。
戦闘訓練をする者は、訓練室の使用許可申請を行い、訓練室を使うことが出来る。
そして訓練で事故が起きた時のために、戦闘訓練する者とは別に監視役の者がいなければならないという規則がある。
つまり――大勢の人間がいる。
ずかずかと進んでいく綾人の横に並んで、訓練している人たちを眺める。
そして同時に私たちに向けられる様々な視線。私と綾人に向けられている多くは、侮り。それ以外は呆れ、嫉妬といったところか。
侮っているのは、おそらく軍の中でも新人の者。多分、私が女だからだろう。
軍が実力至上主義だからといっても、軍人の中にはまだ女性差別をする者は少なくない。
なんせ、軍の仕事は非常に危険で、単純な筋力、体力ともに多く無ければ出来ない仕事には違いないのだから。
私は第三軍団長という戦闘よりも研究を優先する立場ではあるが、戦闘能力は現軍団長たちに比べても劣っていない。
そういった奴らは死にやすい。女だから、と侮っている時点で固定観念に囚われているのは間違いない。混沌種相手に『当たり前』は通用しない、ということを本当の意味で理解していない。だから、もしかしたら数日後にはいなくなっているかもしれない。
とはいえ、死んでもらっても困るが。
呆れの視線は、他の軍に所属していて、綾人のことを知っている者。
そして嫉妬の視線の原因は、言うまでもない。
「私のせいでごめんね?」
「いつもだろうが」
私が原因である。
そう、私はモテるのだ。とんでもなく。
眼鏡美人、頭脳明晰、成績優秀、文武両道、軍団長という立場、私を慕う人間も多い。さらに言えばグラマラスなこの体。ほとんどのものが高水準で揃っているハイスペック人間なのだ。
…たまーに研究に夢中になってぶっ倒れるし、掃除も苦手だけど。
ばれなければいいだけである。
「話してくるから、お前は外で待っ…」
「失礼します」
「…」
堂々とノックをした後、ドアを開ける。
訓練室の中にある会議室の中には、巨大な長方形の机とその周りを囲む十三の椅子が置かれている。そのうちの八席に人が座っていた。
私から見て手前側に三人、奥側に五人。
半数ほどは反応せずに、資料らしき物をめくっていたが、数人ほどが私の方へ視線を向けた。
数人の視線が私――ではなく。
私の後ろの綾人に注がれた。理由は敵意、対抗心、侮蔑といったところか。
突然向けられた負の感情に綾人は反応すらしない。
何故負の感情が綾人に向けられるのか。理由は、『白桜凛綾人』個人と因縁を抱えているという一点に尽きる。一言で言えば、恨みを持たれているということ。
だが、それと同時に『白桜凛綾人』という存在が軍にとって貴重であることも理解しているのだ。ゆえに彼らは何も言わず、ただ綾人を睨みつけるだけしかしない。
とはいえ、
(いちいち鬱陶しいわね)
こうも関係が拗れているとどうしようもない。会うたびに毎度の如く殺意がむき出しになるのは仕方ないとは思うが、やめてほしいというのが本音だ。
「…うん?君は呼んでないと思うんだが」
低い重厚感のある声が響く。
会議室の入り口から最も奥、上座で座っている男。身長は私が見上げるほど大きく、体つきも筋肉質。茶色の眼に茶色の髪、顎に髭を生やした中年の男性。
第二軍団長『落神 流』である。
問いかけに対して私はすぐに敬礼の姿勢をとって返答する。
「綾人に誘われまして。第三軍団長『アリス・アクアライト』、ただいま到着しました」
「お前なあ…はあ。第零軍団長『白桜凛綾人』、ただいま到着しました」
「…まあいいか。よく来たな、座ってくれ」
『落神 流』。
三年前から一年前までは第一軍団長として軍に所属していた、元最強の男。対混沌種、対人間においてどちらも最強と称された男である。
現在も強さは変わっていないが、年齢の問題もあり、第一軍から第二軍へと異動したのだ。後継となった現第一軍団長ですら未だに彼に負け越している。
「で、何の用件で俺を呼んだのか教えてもらおうか」
座って【零】を机の上に放り投げるように置き、すぐに綾人はそう言い放った。
年齢としても、軍団長の格も上の相手にこのような言動は本来許されていない。だが、第ニ軍団長の周りの席に座っている者達が苦笑しながら気にしないのは、慣れているからであろう。しかし、その不敬さに苛立つ者も当然いる。
「…そのような態度は不適切であると思いますが?第零軍団長殿。第二軍団長が許されているからと、いつまでも態度を改めないのは無礼にあたります。改善すべきかと」
予想通り、綾人に対して注意する者が出た。
先ほど綾人に対して敵意を向けていた軍人のうちの一人。赤銅色の短髪に真っ赤な瞳の色をしている青年が、敵意を隠そうともせず綾人に言った。
「ならまずは、その不快さを微塵も隠そうとしないお前自身から言動を改めろよ。人に言う前に自分の態度を見つめ直してから口に出せ。不愉快だ」
「…お前」
「デイン、気にするな。綾人の言動は俺が許可している」
「…了解です」
渋々といった様子で引き下がるが、この態度はずっと変わっていないのだろうと容易に分かる。デインと呼ばれた男は注意された後も変わらず、綾人のことを睨み続けているからだ。
(三年前とはいえ、やっぱり当事者同士だとこうなるのね)
綾人と三年前の当事者が会う場面を私はほとんど見たことはなかったが、なるほど、今でも互いの腹の底では感情が燻っているらしい。
ただ顔を合わせただけでも険悪なのは一目でわかる。
「今回お前を呼んだのは、協力してほしい任務があるからだ」
「…へえ。第二軍が、か」
綾人が僅かに驚きの感情を見せながら言った。
第二軍は第一軍に及ばないが、精鋭達が揃っている。混沌種の討伐、犯罪者を相手にした戦闘も問題なくこなすことのできる軍団。
その第二軍がわざわざ綾人に協力を求める案件とは。
「詳しい説明は省くが、神教団関係の任務だ。近いうちに連中をまた掃討する」
「…ちっ。またあいつらかよ。暇人どもが」
『神教団』
帝国内部で活動している宗教団体で、帝国主義、すなわち実力至上主義を否定している集団。
帝国では実力がある、つまり身体能力が高く、魔装機に適性がある者が優遇される。ただし優遇されるとは言っても、特に権限が与えられるわけではなく、軍に入ることや研究職に就きやすくなる程度だ。
実際、軍に入れる実力があっても普通に働いている者もいる。
しかし『神教団』はその仕組みどころか帝国の仕組みすべてを否定し、作り変えろと主張している。
それ自体で十分危険な思想だ。
そしてそのために皇帝の殺害、軍の解体を行い、神教団を中心とする新たな国を作るという狂った考えを持つ集団。
軍と何度も衝突しており、その度に数を減らしているはずの宗教団体。他にも宗教団体はあるものの、その中で最も危険な人間の集まりだ。
「第二軍団長、神教団は先月も拠点を破壊しましたし、幹部も三人捕らえて牢に入れています。性急すぎるのでは?」
私は咄嗟にそう返した。
たしかに神教団は危険だ。ただし、混沌種の危険性や対処優先度の高さに比べれば神教団は危険思想を撒き散らしている人間でしかない。
完全に危険な行動に移す前に妨害すればいいだけの話のはず。だからこそ、今回も混沌種の対処が優先されるべきはずなのだが。
「普通ならそうなるはずだがな。この写真を見てくれ」
そういって第二軍団長が綾人に一枚の写真を渡した。私はその写真を横から覗き込んだ。
数人のフードを被った人物が、何かを取引している様子に見える写真。解像度がかなり悪く、顔がまともに見えない。
普通に見ればそれだけの写真だ。
だが、そのフードを被った人物達が手にしているのは、特徴的な形状の武器。剣、槍、弓。
驚愕した、というのが正しいかもしれない。
「戦装武装…」
「なるほどな。わざわざ俺を呼んだのはこれが理由か」
一般人は手に入れることは出来ないはずの戦装武装。写真のフードを被った人物達は、それぞれが戦装武装を手にしていた。
「実行は一週間後だ」
「…やるにしては悠長すぎないか?あいつらが戦装武装持ってるなら早いとこ回収したほうがいいだろ」
「理由は二つだ。未だに正確な拠点位置の特定が済んでいないことと…俺の戦装武装が今は使えん」
「は?」
「詳しくは言えんが、今戦装が使えない。戦装武装そのものは使えるが…不完全な状態で使うわけにもいかん。」
「なるほどな。わざわざ地下二階に呼び出したのもそのことを大声で話し合うわけにもいかないからか」
「悪いが、協力してもらう以上こき使うつもりだ。どうする?」
「やらせてもらうに決まってるだろ。個人的にこいつらは気に食わねえし」
写真のフードの人物達をつつきながら綾人が言葉を返す。
神教団の理念はありふれたものだ。帝国の主義主張が気に入らない宗教団体は皆同じことを言っている。
思想の自由は制限されているからこそ、陰で帝国の体制を否定する考えを広めている。
が、それで本当に軍に喧嘩を売る阿呆はいない。実際に行動に起こすのは一部の宗教だけ。そしてその行動を実際に起こしたのが、『神教団』だ。
いずれも未遂に終わったが、軍のサーバーへのハッキング、皇帝の暗殺、戦装武装強奪と、軍にとって無視できない宗教団体であることに違いはない。
「なら、準備が完了し次第連絡を入れる。詳しい作戦概要は直前に伝える」
「了解。とっとと準備終わらせろよ」
「言われなくても急ぐさ。お前はまだ訓練をしていくんだろう?行け」
第二軍団長の言葉に従って、綾人は会議室を出た。
第二軍団長がぶっきらぼうに言うのは綾人に対する信頼の表れだろう。三年前に直接戦った者として、実力は信用されている。
信頼も、されている。
協力者として綾人を選んだのも、それが理由だろう。
「悪いが、龍斗と進、アリス以外は出て行ってもらえるか?ついでだ、アリス、お前に話がある」
「「「了解です」」」
私と第二軍団長の側近以外の全員が部屋から出ていく。
そこには先ほど綾人の言動に苦笑いしていたうちの二人が残っている。残った二人の龍斗と進は兄弟だ。二人とも茶色の髪と茶色の眼を持つ男性。
しかし印象は正反対。
龍斗は目つきが鋭く、不良といった見た目なのに対し、進は穏やかな好青年といった印象。だが二人の仲はとても良い。暴走しがちな龍斗を進が制御することで、バランスが取れている相性の良い二人だ。
「それで何ですか、流第一軍団長。綾人には偶然来たように装いましたけど」
「…綾人の様子はどうだ?」
「そうですね…いいんじゃないでしょうか。データでも送りましたが、体調に問題はなし。精神鑑定で潜在的な犯罪思考も…一応はなし。まるで軍人のお手本のような検査結果でしたよ」
「…真面目に頼む」
真剣な表情で私を見据える第二軍団長に、ため息を吐いてから言葉を返す。
「まだ無理よ。…気を抜くとすぐに死のうとしますからね、あの馬鹿は。まだましにはなりましたけど、いくら任務だからと言って情報を与えすぎるのは駄目でしょう。都合が悪いことがあるなら出来るだけ隠しておくか、伝わらないように注意するしかないわね」
「…扱いづれえな。もう少しだけでいいから大人しくしてほしいが」
「今更でしょう。綾人を上手に扱える奴がいるなら第零軍なんか作らずに第一軍か第二軍に放り込めばいいだけよ。そういった意味では陛下の判断は流石だわ。それに綾人を上手く扱える奴はそもそも綾人に頼らなくてもどうにかなる奴だけよ」
「はあ…綾人の制御はお前に頼むぞ。…当日はお前には隠れて動いてもらうつもりだがな」
そういった後、先ほどとは違うもう一枚の写真を机に置いた。
手を伸ばして写真を取る。
「…ちっ」
思わず舌打ちをした。
さっきの写真はあえて解像度を低くしていたのだろう。ただ、普通に解像度を悪くしても簡単に分かってしまう。だから、一度拡大したうえでわざわざ画像を荒くした。
姑息というかなんというか。
その写真には先ほどの写真とは違い、取引している男たちの顔まではっきりと写っていた。
「今回の任務で厄介なのは、そいつがいることだ。厄介なことに『神教団』と連携してることから考えて、第二軍だけだと懸念が残る。かといって対人特化の軍団では戦術武装持ちの相手は厳しい。だから仕方なく綾人とお前を巻き込むことにはしたが…まあとにかく、綾人を暴走させるな。暴走させればどうなるか分かったものじゃない。貴重な情報源だ」
「ま…誰も残らないでしょう。残るのは人肉で出来たミンチぐらいね。相手が相手だし。情報源として残さないといけないのは理解してる。だけど正直驚いてるわ」
理解はしている。
そう、理論的には納得している。だが感情面は別だ。
私は、右手に持っていた写真を思わず握りつぶしていた。写真の男たちは、私の記憶にも残っている。
「俺もだ。なんせ――
三年前の事件の残党が、ようやく尻尾を出しやがったからな」