第四話 蘇生
◆汚染区域◆
《毒人形花》が蘇ったことはすぐに分かった。なぜ気付いたかといえば、それは経験、もしくは勘としか言えない。混沌種には常識は通用しない。変異には規則性はあるが、そこから完全に逸脱する個体もいる。その相手に初見だったから対応出来ない、というのはそれ即ち死ぬということだ。そんな戦いを何年も続ければ感覚というのがいかに大事かが分かる。
【零】を再び鞘から抜いて振り返る。
「死ぬって言葉を知らないのか」
【零】を上から下に真っ直ぐに振り下ろす。
音も立てずに近づいてきていた《毒人形花》の顔面が左右に両断されて血液とおぼしき液体が噴き出る。
「お前らは」
分断された顔面のそれぞれの目の中に、意志がはっきりと宿った。ハリボテだった人型が、人としての機能を獲得する。腕が左右均等に縮み、形が整えられ、人に近づく。 左二の腕あたりは圧縮されたように密度が上がっており、見た目でも分かるほど頑丈に形成されていく。
『また変異した…ちゃんと核は斬ってたわけだし、【蘇生種】の個体かもしれないわね。系統的には《花人》に近いかも』
「ア、ぁ」
「ちっ…【天床】」
背後に飛んでもう一つ【天床】を起動し、着地。しっかりと耳を抑える。こいつが【蘇生種】なら、この後は確実に――
「キャアアアアァアアアア!!!!」
空を向いて《毒人形花》がまるで悲鳴の如き咆哮を放つ。ビリビリと衝撃が空気を伝い、周囲の土がビシリと音を立ててひび割れる。
しっかりと耳を覆っていても痛みを感じるほどの高音が体を通り抜ける。対策をしなければ、一時的に耳が聞こえなくなるか、最悪鼓膜が破れて耳が聞こえなくなるか――
『ああああ!?!?耳があああ!!!!』
「うるせえ」
続いて通信機から響いた大音声に左耳がキンキンと耳鳴りを起こす。折角《毒人形花》の咆哮を防いだのに左耳が麻痺した。
「ふざけるなよお前…仮にも第三軍を率いる軍団長が、まともに混沌種の攻撃の対処もできないのかよ。その上俺にまで迷惑かけるとかどういうつもりだ?」
『あああ!!!!』
ブチ、と通信機自体の電源を切った。これで俺が再起動しない限り二度と接続できない。同時に、小さく機械の起動音がなった。
『切断確認。五分以内に再接続されない場合、処置を実行します』
右手首に装着させられている鋼鉄製の腕輪からカウントダウンが知らされる。このまま通信を切断し続ければ俺はこの機械に殺される。だが通信機を再起動させるつもりはない。あんな迷惑な悲鳴を聞かされてもう一度起動する馬鹿がいてたまるか。だが起動させなければ死ぬ。ならば単純な話だ。
起動するまでに、《毒人形花》を殺せばいい。
(いや…別に死んでもいいか)
「アアアァ…」
考え事をしている間に《毒人形花》が俺のことを見下すように、顔を近づけていた。人間に近い機能を獲得し、人間に近い容姿になってもなお醜悪なその顔を静かに見る。
「ああ、悪い悪い。お前のことほったらかし――」
《毒人形花》は変異の影響でしっかりと使えるようになった右手を構え、俺をつかもうと腕を振るう。当然俺は【天床】を起動して空中にいる。そのため、真横から凄まじい風圧とともに緑色の気色悪い巨大な腕が迫ってきている。
「【天床】解除」
【天床】を解除し、落下する。風が激しく上に向かって行くような感覚を感じながら、頭の上を《花人》の腕が高速で通過していった。俺は、落下しながら体勢を整え、右半身を上に、左半身を下にする。右手を左半身側に構えて【零】が地面側になるように体を動かし、
「…シッ」
真上に向けて斬り上げた。《毒人形花》の心臓部位を正確に斬る。ざっくりと開いた【毒人形花】の心臓部分に瘴気を周囲に漂わせた結晶のようなものーー核が見えた。瘴気を周囲に漂わせた核の周囲に肋骨のような硬質化した物質が覆っていた。
「…こいつもか」
すかさず振るわれた腕を回避しながらタイミングを狙う。
即座に傷が再生し核周辺は見えなくなったが、確認はできた。
【蘇生種】の《毒人形花》が《花人》に強化変異したのは間違いない。
【蘇生種】とは、単純に言えば瀕死状態になることで高速再生し、かつ既存の個体とは違う系統の変異を起こす混沌種のことだ。
この《花人》の変異は別の個体の記録にもあった。だが、かなり厄介な部類の、核が増加したタイプで間違いない。核が増加するタイプはいずれかの核が破壊されると、本来再生不可能な核が再生し、さらに核が増加していく。
ただし通常の変異の時に核が増加する場合もある。当然、核が増加する変異と【蘇生種】の特性が噛み合えばこの《花人》のような混沌種に変異する。その上《花人》は第四形態、つまり核周辺に骨格のような器官が形成されているはず。厄介な相手だ。
しかし、そればかりではない。【蘇生種】が蘇生する際には膨大なエネルギーを消費する。つまり、蘇生するのは一度だけ。稀に二回以上の事例もあるが。そしてこの《花人》に元々あった核は二つ。核が増加したとしても植物系統の混沌種であれば一つしか増加しないから核は最大でも三つ。
『一分経過』
もしくは、完全に勘違いをしており、既に何度も核を増やしている可能性はあるが、それはありえない。理由として、先ほど完全に反応が消えた後、復活した。
つまり、核が全て破壊されたから蘇生した、ということ。核が残っている場合、反応が消えることはない。だからこそ、残りの核の数を誤ることはない。
そして、形成された核の最後の一つの場所は頑丈になった《花人》の左二の腕部分で間違いはない。
「…ここだな」
とはいえ、下半身のない《花人》などただの木偶だ。【蘇生種】の混沌種は現在の状態状況に関わらず『死んだ』ことに対して蘇生のために膨大なエネルギーを消費する。今回はそれが俺にとっては最高の形で、《花人》にとっては最悪な形で起こったわけだ。下半身の再生が完全に出来ない状態での核の増加。動こうとすれば攻撃をやめて腕を使って自らの下半身まで這って行くしかない。だが、俺がいるから出来るわけがない。
「【天床】」
【天床】を《花人》を覆い尽くすように多重展開する。多重展開した【天床】は、縦横斜め様々な角度で起動しておく。突如現れた二十もの半透明の盾に《花人》は困惑したように動きを鈍らせた。その一瞬を見逃すわけにはいかない。《花人》からは目を離さず、足に力を込める。
地面から跳び、俺から一番近く、斜めに展開されるように起動した【天床】を蹴って斜め上に跳ぶ。続いて【天床】からさらに上の【天床】へ飛び移って行く。《花人》の周囲を跳び回って上へ上へと上がって行く。先ほど起動した角度のついた【天床】を使って飛び上がることで、ほんの数秒のうちに《花人》を見下ろせる位置まで上がることができた。
「アぁ…?」
「じゃあな」
こちらを見上げている醜悪な顔面を狙って、真上から斬り下ろす。顔面を再び真っ二つに斬り裂き、核の周辺の硬質化部分もろとも縦に両断、核は粉砕した。両断した勢いでそのまま落下。一度【零】を真横に構え直し、一閃。心臓部の核も破壊。あと、一つ。
「――ちッ」
二つの核を斬っている間に、既に頭部の核の再生が始まっていた。予想よりも少し早い。だからといって、特に何か変わるわけではないが。
「死ね」
《花人》の二の腕近くに起動した【天床】に一度着地した後、二の腕部分に向かって跳びあがり、核を横薙ぎに斬り裂いた。バキ、と音を立てて再生中の核を含めたすべての核が割れ、《花人》はまるで糸の切れた操り人形のように乾いた大地に倒れた。
『二分経過』
「…と、報告しねえと」
耳元の通信機の電源を入れなおそうとしー―手が止まった。
「…」
このまま起動して本当に大丈夫か、と一瞬頭によぎった。俺は、アリスの声がうるさかった、という理由で一方的に通信を切断している。アリスのことはよく知っている。なんせ士官学校の同期だ。ー-だからこそ、念のために対策はしておく。耳から一度通信機を外し、つけ直さずに音が聞こえる位置で電源を入れなおす。接続のために必要な数秒間が経過し、起動した瞬間、
『…この馬鹿!!阿保!!死にたがり!!ぼっち!!』
「ぼっちではない」
通信機から大声が響く。耳につけたまま起動していたら、今度こそ鼓膜を破られてもおかしくないほどの音量だった。だが、おかしい。通信機は耳につける関係上、一定以上の音は届かないようになっているはずなのだ。原因はおそらくこの女で間違いはないが…。
「何で限界を超えて爆音が出てるんだ?お前またなんか仕組んだのか」
『いやこっちから通信機乗っ取って限界突破させただけ』
「何が限界突破だ。殺すぞ」
こんな風にふざけてられるのも俺たちが慣れているからで、普通はここまで余裕は持てない。俺だって初めて混沌種に対面したときには完全に硬直してしまった。その時はすぐに斬ったから無傷だったが、やはり最初は恐怖感が大きかった。だが、今では気持ち悪い程度の感情しかわかない。
「報告するぞ。《毒人形花》を元に変異した《花人》を討伐完了した。これより帰還する」
『悪いけど、第三軍の部隊を《毒人形花》の下半身回収に向かわせてるからあと一時間ぐらい待機してて。そしたら帰ってもいいわ』
そういうと、一方的に通信が切られた。
厄介だ、という感情をこめて舌打ちをする。一応アリスはこちらに向かっている部隊があることを伝えたから、俺が無視して戻ろうものなら第三軍の部隊を置き去りにしてきたことになる。第三軍の連中は研究が命といっても差支えがないほど研究に没頭する連中だが、その成果は本物だ。見捨てれば、俺自身にとっても不利益となる。そう考え、俺は回収部隊が来るまで瘴気の漂う地で待ち続けた。