第一話 白桜凛綾人
混沌種。
約500年前から突如発生した謎の生命体。生物の系統から明らかに逸脱している謎の有機体。体から瘴気を放ち、影響を受けた場所は尽く生物の住めない場所に成り果てる。
さらに、影響を受けた場所に住んでいた動物は混沌種へと変異する。動物だけでなく、植物でさえも変異させる。当然その中には人類も含まれる。
様々な姿へ変異し、進化の過程に喧嘩を売っているような変異を繰り返す。
そのため、混沌種の正体は謎に包まれている。だが確実に言えることがある。
混沌種は同族同士でさえ殺し合うほど獰猛で人類を含めた全ての生き物に対して敵意を持っている、ということ。
発生してから一年足らずで大陸全土を支配していた人類は大陸の隅に追いやられることになった。そして大陸には混沌種が跋扈し人類による建造物等その他諸々何もかもが破壊され失われていった。
しかしそのような状況に陥ったものの人類は諦めなかった。
残った者達で集まり、混沌獣に対抗した。
今は三つの国として残っている。
当時人類は混沌種に対して科学兵器を用いることで対応しようとした。
銃火器、戦車、ミサイル。致命傷を与えた武器もあった。しかし混沌種を殺すことは出来なかった。核爆弾はそもそも土地を使えなくしてしまうから使えない。毒物を撒く、という方法も使われた。しかし毒物はまるで効果を示さず、むしろ混沌種達が毒を取り込み扱うようになってしまった。
結果、兵器の中で今でも使われているのは限られたものだけである。
また、それぞれの国で名称は様々だが軍が設立された。
軍の目的は混沌種の研究と全滅。
そのために三つの国でそれぞれの対処法が確立された。
◆汚染区域◆
帝国歴308年
「…」
暗い森の中。2メートル程度しか視界が通らない。鬱蒼と生い茂った木々は4メートルも伸び、ねじくれている。光が無いにも関わらず草は異様なほど長く伸び、花は形状は違えど毒々しい色合いのものばかり。歩いている足場も空気が通らないせいか湿気が多く土が湿り、さらにその上に枯れた葉や枝が分解すらされず重なっている。
森の中に混沌種が侵入して時間が経つと必ずこうなってしまう。
とはいえ、放置するわけにはいかない。
今回は任務として来たからだ。左手に逆手に持つ藍色の鞘に納められた2.5メートル近い長刀をいつでも抜けるように警戒して進む。
「生態系の調査、か。混沌種も発見次第討伐とは言われているが…」
今立ち入っているこの森は半径10キロメートル以上ある。立ち入ってから2時間進み続けているが混沌種が一向に見つからない。
見つからないのはかなり危険だ。
なぜ危険なのか。
混沌種は同族でも争い合う。
共食いも当然のように行う。
弱い個体ーー下位個体は近くにいる混沌種同士で殺し合い、食らい合うことで変異していく。一方強い個体ーー上位個体は下位個体を食らい独自の形態へと次々と変貌していく。当然上位個体の方が下位個体よりも多くの混沌種を食らう必要がある。つまり、この森では上位個体となった混沌種が存在するということ。
この森の規模から考えてまず間違いなく上位個体の混沌種が存在している。
「いねえな…【探知】」
戦装の【探知】を起動する。この戦装は自分を中心とした半径1km内にいる生物、混沌種を探知する。探知圏内に反応はほぼなし。
あるのは前方に一体だけ。それもかなり大きい。
「動かないってことは可能性があるのは植物型混沌種の上位個体か…確認するか」
軽く息を吸い、体をかがめて力を込める。
飛ぶ。
足で思い切り地面を蹴り、ねじ曲がった木を折り、木の葉を弾きながら木の上に出る。
視界が一気に開ける。前方にある太陽が隠れるようにして80メートルほど先に巨体が見える。
高さ約20メートル。
蔓が無数に生えている茎。その上に鎮座する巨大な花。見ているだけで目眩がしそうな黒と紫の混ざった色合いの花弁。中央の雄しべと雌しべの部分から周囲に瘴気を撒きながら震えている。あと臭い。酸のような、もしくは薬物のような刺激的な匂いが漂っている。
「第二形態…いや、第三形態に変異中か。情報があって助かったな」
体が自由落下を始める前に足場を作らなければならない。
足元に意識を集中させ戦装を発動。
「戦装起動。【天床】」
足の下に透明な板が形成される。
その上に立ち、観察する。
恐らく、この近くの混沌種をすでにあの個体が食い尽くしたのではないだろうか。《巨大花》の放つ独特な匂いは周囲の混沌種を引き寄せる。それならば一体も見なかったことに説明がつく。全ての混沌種は《巨大花》の腹の中、と。しかしそうなると新たに問題がある。
耳にかけた通信機に指を当て起動する。
『………あ……あー…あー、聞こえるー?』
砂嵐のような音が数秒聞こえたあとに女の声が響く。目の前の混沌種の動向を把握しながら通信機で話す。
「報告だ。第二形態の植物型混沌種の《巨大花》が調査地の他全ての混沌種を食い尽くした可能性がある。目標は現在変異中。【探知】による反応は一体のみ。戦装の圏内には他に反応は無し。
――討伐を開始する」
もう一度指を通信機に当てて通信を終わらせる。
携えている長刀――専用閃刃機である【零】を構えながら戦装の【天床】の展開と移動を繰り返して距離を詰める。
狙いは核の存在する花の中心部分。本来雄しべと雌しべの存在する部分に穴が開いており、匂いと瘴気を吐き出し続けている。
核はその穴の奥にある。外からでも見える深さと角度。
話を聞けば核がほぼむき出しのように思えるかもしれないが、核そのものは銃火器でも傷がつくかどうかというほど硬い。
ならば爆弾やもっと強力な武器を、と思うだろうが行った瞬間花を閉じて防御する。だから基本的には大人数で討伐にかかるのが基本だ。さらに言えば麻痺毒を体内に保持しているため近づく際には絶対に麻痺毒を避けなければならない。
ただし《巨大花》の段階ならば小隊長くらいなら討伐出来る者はいる。
問題は植物型混沌種の特性。
混沌種は変異を繰り返す。同族や人間を食らい糧としてより強く変異していく。
当然第一形態から第二形態になる期間よりも第二形態から第三形態になる期間の方が長い。その代わりに最終的に手に負えなくなる程の力を手に入れる。
しかし、植物型混沌種は違う。
第一形態の段階から栄養――同族や人間を食らい、溜め込む。そして十分に栄養が集まると、第二形態、第三形態と一気に変異する。
その後の変異は特別早いわけではないが、第三形態ともなれば瘴気の濃度が格段に上がる。対応できる者はいても、確実な対処を行える者は少ない。
『ストップ』
通信機から聞こえる声で移動を止める。足元に【天床】を展開して着地する。《巨大花》まであと約50メートル。感知射程には入ってないが、警戒するに越したことはない。念のために構えは取ったままで話をする。
「何故止める?今から討伐すると報告はしただろ」
『だから、駄目。周辺の混沌種食い尽くしたってことは第三形態に変異中のはずでしょ?変異するまで待ってくれないと困るわよ』
「馬鹿かお前は。今討伐しないと――」
突然警戒していた|《巨大花》が膨れ上がる。
まるで蕾のように花が閉じ、生えている何十本もの蔓が周りを包む。どんどん色がどす黒く変色し纏う瘴気が一段階濃くなる。
周囲の汚染された木々から全ての葉が落ち、草花が枯れていき、《巨大花》の半径約50メートル――俺のいる少し手前まで湿った大地が顔を出す。
「…面倒だな」
『あら、変異した?タイミングばっちりね』
次の瞬間周囲を包んでいた蔓が枯れて茶色に変色して剥がれ落ちる。蕾が半分ほどの大きさに縮み、閉じていた花が開く。まるで誕生するようにそこから女性の上半身のような人型が現れる。
上半身の人型が大体20メートル、下半身の植物部分が10メートル、全長30メートルの化け物が現れた。
色は真緑。
人型の顔は2.5メートルもあり、目と口の部分以外人間のような特徴はない。
目の部分からは黒い穴が開いてドロドロと粘性の液体を垂れ流しながら何かを探すようにふらふらと頭を動かす。
人型部分の胴と同じくらい異様に太く、短い右腕。反対に異様に細く地面に届くほど長い左腕。人体では決してあり得ない形で生える。
さらに腹部の位置から全方向に荊が大量に生える。あと臭い。とてつもなくひどい臭いが放たれる。はっきり言って醜悪だ。
なぜ人の形を模したように変異するのか。
目のような部分があるが視覚などほとんど無いに等しい。口を模した器官があるが声が出るわけではない。毒を吐き出す通り道の一つ。食事ーー捕食と言うべきか、それも荊で貫き体内に吸収するから口は必要ない。腕にしても筋肉も関節もない。ただ植物の蔦が形を真似ているだけで指も動かない。できるのは腕を振り回すだけ。
人型を真似する理由は何もない。
いや、あり得るのは
人に恐怖心を与えるため、か。
『《巨大花》が変異したなら《毒人形花》かしら?今から衛星で確認するわ。出来れば核と核周辺以外無傷で持って帰ってきてほしいのよね。下半身の植物部分に傷が出来ると生成された毒が全部流れてしまうから。荊を切ると枯れてすぐ劣化するし。傷は極力つけないで倒して』
「簡単に言いやがってこの寝不足女が。
《毒人形花》を倒す時は荊を全部切り落とすか叩き潰した後、攻撃手段を口から吐き出す毒霧だけにして毒を完全に消費させてから本体の核を狙うってのが基本だ。傷を致命傷以外つけない、なんて出来るわけないだろ」
『それでもやりなさい。私としては毒のサンプルが欲しいのよ。その場で採取したやつ渡されたけどこっちに着くまでに毒物としての効果失ってなにもわからなかったんだから。研究する目的にも色々あるのよ。どいつもこいつも切り刻んで持ち帰ってきて研究成果を出せってめちゃくちゃなこと言うから…ちょっと!そこにあるの私の!』
ガタガタと通信機から騒がしい音がなり、言い争う声が響く。この間《毒人形花》は動きを確認するように腹部から生えている荊がうねうねと動きだす。歪な両腕を動かし始め完全に変異が完了する。
しばらくして通信機の音が静かになったのを見計らって声を出す。
「そのせいで俺は無理難題を言われてると。普通は命がけの戦いになるはずなのにもっと大変にする理由なんかないだろ。わざとか?」
『理由?そんなの簡単よ。あんたなら出来るから。こんな風に無駄口叩く余裕がある人間が本当に出来ないの?本当に出来ないのなら私と話してることなんか気にせずに攻撃を仕掛けてるはずよ』
通信で話し合っている間も《毒人形花》からは目を離さない。【探知】も起動し続けているが《毒人形花》以外の反応はない。
「……ちっ」
『あんただったら《毒人形花》くらい余裕でしょ』
「致命傷だけで仕留めるんだよな?大人数による殲滅が基本なのに覚えてないのか?士官学校からやり直したらどうだ?」
『忘れたかしら?私は首席で卒業したわ。戦闘訓練、学業。どちらも1位の成績を取って歴代最高の生徒だったって言われたほど優秀だったわ』
「…悪いがそろそろ黙れ」
【探知】の有効範囲はせいぜい100メートル程度。しかし、視界にはぎりぎり写った。
《毒人形花》の向こう側から動物型混沌種の《小鬼》が開けた大地に入ってきた。
その瞬間まるで図っていたかのように《毒人形花》が動き出す。
荊を伸ばし、《小鬼》の腹を貫通させた。《小鬼》がギャアギャアと悲鳴を発するかのようにやかましく吠えたことで森の中からさらに複数体現れ、どんどん荊に捕まっていく。そして悲鳴が響き続ける。《毒人形花》からしたらありがたいことこの上ないだろう。なんせ餌が自分から飛び込んでくるのだから。
「ほんとにやかましいな…都合よく来てくれたのは丁度いいが」
《小鬼》
緑色の小さな体。細い目、尖った耳、鋭い歯。人を馬鹿にしたような笑みを常に浮かべている小型の混沌種。混沌種の中で最も対処が楽だと言われる。しかし実際は違う。たしかに対処は楽だ。成人した人間の半分ほどしか身長がない。慣れれば簡単に対処できる。だが、体が小さく素早い。不意打ち、奇襲。それだけで人間は死ぬ。特に混沌種により汚染された今いる森のような状況ならば奴らにとって有利でしかない。殺し損ね、致命傷しか与えられなければ今のように大声で叫び、周囲の混沌種を呼び寄せる。
ならば無視をすればいいのではないか。
そう思うが人間を見ると襲いかかってくるのが混沌種だ。恐怖も怯えも、もちろんのこと武器や兵器を見ても平然と襲いかかってくる。
今蠢いている《毒人形花》も同様だ。違うのは大きさと毒を保有しているかどうかだけ。
『確認したわ。調査決定した一昨日の段階ではいなかったはずなのにね。たった二日で第三形態まで変異するとは。植物型混沌種の変異速度はやっぱり早い。しかも変異するまでの準備段階が長いせいで一瞬で現れたように見えるわね』
「そもそも俺一人を派遣した時点で間違ってるだろ。混沌種の上位個体がいる可能性のあるエリアに一人だけ送り込むなんて軍法会議で責任問題に発展するような内容だ」
『悪いけど私は間違ってないと思ってるわ。あんた一人を派遣するだけで軍団一つ派遣するのと同じぐらいの働き出来るでしょう?私には何が問題なのか理解出来ないわ』
「混沌種と戦う時に体が鈍った状態だと死ぬぞ。他の軍団に任せるべきだ」
『安心しなさい。あんたが行くようなそんな奥地に派遣しないだけで充分戦わせているわ』
「……お前を論破するのは無理だな」
『あら、ようやく気付いたの?じゃあよろしく頼むわね。
――第零軍団長、白桜凛綾人さん』
通信機から手を離し、体を軽く動かして体の調子を確認する。体に違和感はなし。敵を殺す以上手加減はしない。
「…さて、やるか」