第三章 第七話 『神田静蘭』
どうして、妹に生まれてきてしまったのだろう。
まだ、七歳にも満たない神田静蘭は、そんなことを考えていた時期もあった。
日本では誰しもが知るとされている暴力団組織。その組長の娘であり、他の子ども達とは違う環境で育てられた経歴を彼女は持っている。
最初は、自分は他とは違うという優越感があった。
それを周りに振りかざす様な真似はしなかったが、それでも多少なりとも自分は特別なんだと、幼さ故に考えてしまったのは今となっては馬鹿らしいと思える。
静蘭には、兄がいた。
三歳も年上の兄は、組員達からも尊敬され、信頼されていた。
だが、静蘭はそうではなかった。
丁重には扱われていたが、兄とは違い、一歩引かれていたかのような、そんな雰囲気を感じたのだ。
どうして、自分と兄とはそんな違うのだろう。
先に生まれたから? 男だから? 自分が女だから?
そんな想像をしながらも、兄を疎ましく考えていた頃もあった。
兄は妹に優しかった。
普段は無愛想な様子で、周りと接していたのだが、静蘭に対しては違う。
たった一人の妹に対して、本当の家族に向けるかのような優しさを、兄から感じたのだ。
それから、疎ましいと考えていた兄への感情は、尊敬の感情へと変わっていった。
兄がいれば他は何もいらないと、後ろについていく程の依存があった。
兄は、自分の環境に不満があるらしい。
平気で犯罪行為を容認するような集団。それが静蘭や兄のいる暴力団組織の本来の姿だと教えてくれた。
兄は、その暴力団組織の次期跡取りとされていたようだった。
だから、他の組員達の兄へと向けられる眼差しが静蘭とは違うのだということに、その時気づいた。
最初は、凄いと思った。
でも、兄はそんなものになりたくないと言っていた。
そんな肩書きなんかよりも、普通の暮らしをしたいというのが、兄の本音だったのだ。
静蘭はどうすればいいのか分からなかった。
兄から見て、静蘭は羨ましい存在だったのかもしれない。
次期跡取りではなく、まだ普通の暮らしをできそうな静蘭を疎ましく思われていたのではないかという不安が心の中で過った。
『俺は静蘭のことを大事に思っている。だから、そんな顔をするな。お前のことを悪く思うことなんて、ありえない』
兄は、そんな静蘭の心の内を読み取ったのか、そう言ってくれた。
そうして、安心することが出来た。
静蘭が十五歳になった時のことだ。
もうすぐ高校生になるかぐらいの年頃となり、身長もかなり伸びた。
周りから見れば、低い身長であることには違いないが、それでも大きくなった。
そんなある日、最悪の事件が起きてしまった。
静蘭が通っていた学校の帰り際、後ろから見知らぬ男に襲われて、そのまま車の中へと押し込まれて、連れ去られてしまったのだ。
恐怖が、不安が、一気に押しかかってきていた。
布のような物を被せられ、何も見えない中、すぐ近くで見知らぬ誰かが話をしていたのだけは覚えている。
その断片から分かることは、どうやら静蘭のいる暴力団組織の敵対組織であるということだ。
どうしよう? と考えても、どうしようもなかった。
これからどうなるのか、それを考えるだけで嗚咽が出るほどの恐怖が包み込む。
殺される。そう思ったのは、普通の反応だろう。
人質に取られたことに対し、その交渉道具に使われるというのも分かる。
でも、この交渉が決裂されるのは、静蘭にも目に見えていたからだ。
聞くには、静蘭と、現在の暴力団組織の組長の交換、だそうだ。
組長とは、静蘭の父のことであり、静蘭でさえも会ったことは人生の中でほんの数回程しかない。
それを抜きにしても、絶対に交渉は上手くいかない。
あまりにも釣り合いが取れていないこともそうだが、父が私を見限るには、十分すぎるのだ。
静蘭には、兄がいる。
次期跡取りとして厚遇された兄が。
その兄がいる以上、静蘭がどうなろうと組にとってはどうでもいいのだ。
それも、父が交渉材料に出てくるのも同じだ。
組の長を差し出すなど、組員達が許容する筈がない。
父も、きっと同じ思いの筈だ。
だから、静蘭は殺されるのだろうと、そう思った。
涙が出た。どうして、暴力団組織の娘に生まれてきてしまったのだろうと、自らの人生を呪った。
普通の暮らしがしたかった。
兄の言いたいことが、今ならハッキリと分かる。
暴力団組織の娘に生まれたからといって、何も良いことなんてなかった。
命を狙われて、その交渉材料にもされて、そして殺される。
そんな人生に、何を見出せば良いのだろう?
普通の暮らしをして、家族団欒に囲まれて、友人と楽しく遊んで、好きな人と結ばれて、結婚して、子どもを産んで、幸せに過ごしたい。
何一つおかしくない、普通の暮らしがしたかった。
でも、無理だった。
暴力団組織の娘に生まれた以上、普通の暮らしなんて出来るはずもない。
だから自分を、世界を、人間を呪った。恨んだ。憎んだ。
そして、音も何も無い部屋へと、静蘭は連れてかれた。
後ろ手に縄をかけられ、目隠しをされた。
これから、交渉の段取りに入るのだろう。
殴られたり、辱められたりしなかったのは、静蘭が大事な交渉材料だったからだ。
それでも、交渉が決裂すればきっとそうなってしまうのだろう。
そして、最後は殺されて、静蘭はこの世界から亡き者として扱われる。
もう、どうでもよくなった。
恐怖が無くなったわけではない。
でも、もう抗うことなんてできないと、諦めてしまったのだ。
それから一日が経った頃だった。
何もない真っ暗な中、精神状態はギリギリに擦り切れた頃合いの中で、周りが慌ただしくなった。
誰かがきたのだろうか。と、そう思う反面、交渉に応じたのか、という希望が降って沸いた。
だが、何かがおかしかった。
銃撃戦をしているような、甲高い音が立て続けに聞こえたのだ。
それを聞いて、静蘭を取り返しに来たということがわかった。
嬉しかった。
自分はあの暴力団組織でも、大切に扱われていたのだ、という風に思ったのだ。
だが、そうではなかった。
助けに来たのは兄だった。
単身玉砕で乗り込み、敵対組織の組員を殺し回っていたのだ。
兄が、静蘭のいる場所へと来るのはそう時間がかからなかった。
『静蘭!』
『お兄ちゃん!』
その声を聞いて、静蘭は喜んだ。
遂に、兄がここまで辿り着いたのだ。
兄だけは、静蘭を見捨てなかった。
その嬉しさが、心の中を満たして、もうすぐ助けられる。そう思った瞬間だった。
兄の苦鳴の声を聞いて、兄はその場で倒れた。
後ろから不意打ちを受けて、倒れたのだ。
そして、静蘭は思った。
自分のせいで、兄が殺される。
唯一、自分を助けに来てくれた、大事に思ってくれた兄が。
自分がいなければ、殺されることもなかったのに。
どうして、自分は生まれてきてしまったのか。と、呪いたくなった。
だが、状況はすぐに一変した。
黒い服装に身を包んだ、見たことない人達が乱入して、兄と静蘭以外の人間を即座に射殺したのだ。
手際の良さとその容赦の無さから、裏家業の人間だと思ったが、違った。
彼らは、日本の中でも公表されていない非正規部隊だとそう言ったのだ。
『無事で良かった。怪我はないかい?』
そう言って、静蘭の手にかけられた縄を切ったのは、その部隊の副隊長だという者だった。
名は、笠井嵐。優しそうな外見をした彼は、静蘭だけでなく、兄も一緒に保護することにしてくれた。
それから、事の顛末を聞いたのは二日後のことだ。
兄が、静蘭が誘拐されたと聞いて、組が交渉に拒否の姿勢を取ろうと決めた時、単身で救い出そうとした。
特殊部隊の面々は、誘拐の情報を得たことから任務を得て、暴力団組織の殲滅を図ったとのことらしい。
そして、兄と静蘭は、表向きには死亡したという扱いにされた。
その理由は、非正規部隊である彼らと出会ったからということもあるらしい。
表面上は存在しない組織。それが割れてしまえば、大問題になるという意味もあって、戸籍の完全抹消が行われた。
自身の戸籍が無くなることに対しては、兄も静蘭もどうも思いもしなかった。
それどころか、兄はあの暴力団組織から手を引けることを嬉しく思っていた。
それは、静蘭も同じ思いだった。
あの時、助け出してくれた笠井嵐にもう一度会いたい。
それは、兄と静蘭が同じように思っていたことだ。
兄は、笠井嵐と同じ特殊部隊に入りたいと言い出した。
最初は反対した。でも、あの人達がいれば、きっと大丈夫だろうと、静蘭も何か出来ることはないかと仕事を探した。
そして、今後再編成されるとされる非正規部隊『隠密機動特殊部隊』の訓練兵舎の医療室の担当をお願いされた。
医療関係にはあまり知識はないのだが、擦り傷程度の治療が主なので問題ないとのことであった。
再編成される部隊には兄も入るとのことで、離れ離れにならないことは嬉しかった。
きっと、その再編成される部隊に、静蘭達を救った笠井嵐も来てくれると、そう思った。
だが、彼はいなかった。
再編成される部隊の面々は若々しく、皆、見たことない人達だった。
だが、気になる名前の人が一人いた。
偶々なのか、その人は、あの笠井嵐と同じ苗字を名乗っていたこと。
彼の名は笠井修二。すれ違い様に会ったことは何度かあるが、彼は同じ訓練生ととても仲がいい。
そして、あの笠井嵐と似ていた。
優しく、仲間想いな性格なのは、訓練の様子を見ていただけで気づいた。
最初は気になっていた。
彼は本当にあの笠井嵐と関係のある人物なのか、話してみたくなった。
でも、緊張していて、話しかけることができなかった。
そのチャンスはいつでもあった筈なのに、自分の勇気の無さがそうはさせてくれなかった。
そうして、半年経ったある日、彼が静蘭のいる医療室にやってきた。
同じ訓練生の人と一緒にやってきて、傷の治療をしたいとのことだった。
すごく緊張した。話しかけるタイミングは今しかないと思った。
でも、怖かった。
ずっと、こんな意気地なしなままなのかなと、そう思っていた矢先、彼から静蘭へと話しかけてきてくれた。
彼は、静蘭が思っていたよりもずっと優しい人だった。
兄の妹だと知っていて、暴力団組織の娘であることも知っていた。
でも、彼はそんな静蘭のことを特別扱いしなかった。
それがとても嬉しくて、心の中である感情が芽生えていた。
いや、ずっとあったものだ。
初めて見た時から、ずっとあったもの。
一目惚れだったのだ。
そのすぐだった。
渋谷区にて市民の暴動が発生したことによって、兄や修二達が属している隠密機動特殊部隊が出動することになったということを、静蘭はすぐに知った。
心配もあった。
でも、あの怖い隊長や兄や修二もいる。
きっと、生きて帰ってくるとそう思っていた。
それから夜になった時、たくさんの人がこの地へとやってきた。
避難民ということらしいが、状況が分からない。
噂によれば、死者が蘇り、人を襲っているということらしい。
聞くだに信じられないが、兄や修二が帰って来た時には、それが真実であるとそう告げられた。
その化け物達が、この避難所とされてある土地へと攻めて来た時も、静蘭は冷静だった。
兄や修二達が応戦する中、静蘭は避難誘導をしながら、重傷となっていた出水の治療に当たっていた。
そして、最終的に下された判断は、この日本から逃げることだった。
全国各地で化け物が発生し、どこもかしこと危険ということだった。
アメリカが避難民受け入れの態勢を取っていることから、すぐに移動は開始された。
ようやく落ち着いた時には、どっと疲れが押し寄せてきていた。
そんな静蘭へと、話しかけてくれた人達もいる。
同じ女性であり、歳も近い。
椎名真希と八雲琴音と呼ばれる人達だ。
彼女達とはすぐに仲良くなり、静蘭にとって初めての女友達となっていた。
琴音は、あまり人付き合いが苦手らしいのだが、それはわざと人を突き放しているのではないということはすぐに分かった。
『物好きね……』なんて言われることもあったが、そんなことは気にしない。
彼女と話すのは、そんなに嫌ではなかったからだ。
対して、椎名は修二の幼馴染だと話していた。
修二にとっても、椎名にとっても大事な人であると聞いて、羨ましかった。
彼氏なのかな? と、そう聞いてみたが、違うらしい。
でも、少し顔を赤らめていたことからも、好きなんだろうなと、そう思った。
静蘭も、修二のことが好きだ。
でも、椎名と仲を悪くしたいとは思わないし、その想いは一旦、心の中に仕舞い込むことにした。
皆、大切な友達であり仲間だ。
静蘭にとって、彼らとの繋がりは家族以上の何かを感じている。
だから、失いたくない。
彼らと共に歩いて、彼らと一緒に過ごして、いつか平和な時がやってきたら、楽しく暮らしたい。
そう……願った。
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瓦礫の山が積み重なる足元がおぼつかないその場所で、神田は装備を確認していた。
彼らのいる場所は、補給地点からそう遠くない、本気を出せば十分も掛からずに戻れるような地点だ。
なぜ、こんな近辺にいるのかとそう聞かれれば、それが桐生の指令であったからだった。
修二達率いるタケミカヅチ第一部隊は、前線を押し上げる役目となっており、神田達率いる第二部隊は、補給地点の近辺を警戒し、人一人通さないようにとのことであった。
途中、何度かメキシコ軍との交戦はあったが、何事もなく制圧は出来ている。
モルフの襲撃も今のところはなく、大してやることがないというのが本音だ。
「神田隊長、今のところは周辺に異常はありません。まだ、ここで待機ですか?」
「ああ、待機だ。命令が来るまでは大人しくしていろ」
隊員の一人である辻は、不満ない面持ちで「了解です」と、一言そう言って周囲の索敵へと戻っていく。
神田の部隊は、修二達とは違い、五人編成の部隊とされている。
少しだけ違うのは、隊員の構成だった。
「まだ待機しているんですかい? このままここにいても、多分何も起きないと思いますがねぇ」
ふと、後ろからそう言ったのは、隊員の一人であるマイルズだ。
彼はこの部隊の中で唯一のアメリカ人であり、神田に対して、もっとも意見を出す男だ。
元は海兵隊の一人だそうだが、その経歴あってのものか、部隊の中では戦闘経験が格段に高い。
「マイルズ、命令は命令だ。意味はないかもしれないが、補給地点に影響が出ないことには意味がある」
「ふぅむ。確かに、それはそうですがねぇ」
納得がいっていないのか、瓦礫の壁に背をつけて、腕を組みながら、マイルズは訝しげな表情をしていた。
「何か問題があるのか?」
「いえねぇ、隊長はお気づきでしょうが、無線が使用不可な状況でしょう? でしたら、今は命令通りに動くのが最良とは思えないのでねぇ」
「……その考えは分かる。だが、どうするべきだと?」
「まぁ、俺から進言していいのかどうかですが、一度補給地点に戻るのもアリなんじゃないですかねぇ。幸いにして、ここは安全なわけですし」
マイルズの提案に、神田は少しだけ考える。
こんな時、出水や修二ならすぐに答えを出せていただろう。
神田には、何が正しいのかを推測できるほどの知恵がない。
だが、マイルズは元海兵隊の一人だ。
その経験から見て、尊重するのはありかもしれない。
「……分かった。なら、戻ろう」
「ん? いいのですかい?」
「お前の提案だ。何か不満があるのか?」
「いえねぇ、あまり、ポンポンと意見を変えられちゃ、隊長として信頼が薄らぎますよぃっと」
「――――」
なら、何をどうするのが正解なのだと、神田はマイルズを睨む。
やれやれと言った顔だが、神田はそれ以上は何も言わない。
マイルズの言う通り、無線が通じない現状は明らかに何かが起きたということだ。
特に軍勢が通りかかった様子がないことからも、補給地点に何かあったとは考えずらいが、念には念をだ。
神田達、第二部隊はすぐに退却の動きに入った。
補給地点に戻ってきた。その光景を目にした瞬間、全員が息を呑んでいた。
「なっ!? 何が起きたんだ!?」
辻が驚きの声を上げながらも、神田も同じだった。
一体、何が起きたのか。
補給地点は、そこらかしこがボロボロになっており、地面には大量の死体がそこらかしこに転がっていたのだ。
「こりゃぁ……ひでえな」
マイルズがそう呟いて、死体の一つを仰向けに転がす。
「隊長、どうやらメキシコ軍には、剣を使える人間がいるのかもしれないですぜ。これは、銃殺ではなく、斬殺死体だ」
仰向けになった死体は、肩から腰にかけて酷たらしい傷跡を残していた。
剣を使う者と聞いて、桐生を思い浮かべたが、それはあり得ない筈だ。
裏切る理由などある筈がないのだから。
「――静蘭っ!」
ありえない惨状を、死体を見た神田は迷うことなく走った。
「隊長!?」
「待ちな、近くにモルフがおる。先にそいつらを片付けてから追うぞ」
隊員達をマイルズが引き止め、モルフの姿を捉えた部隊員達は戦闘を開始する。
そんな銃撃戦が繰り広げられていることなど、気にも止めずに神田は走る。
きっと逃げている筈だと、そう信じたい。
信じるしかない。
だが、この不安は何なのか?
それを解消させたいが如く、神田は医療室があるテントを見つけた。
「頼む……っ。逃げていてくれっ!」
祈り、そう願いながら、神田はテントを潜った。
――異臭が鼻をつんざいた。
テントの中は、外よりも酷い。
負傷者達がそのまま残されたのか、大量の惨殺死体が血を撒き散らしたかのように転がっていた。
見捨てて逃げたならば、それでも良かった。
神田にとって、妹の静蘭さえ生きていればそれでいい。
だが、神田は知っていた。
妹は、誰かを見捨てて逃げるほどの性格をしていないということを。
そして、見つけた。
指一つ動かさない、地面に倒れた静蘭の姿を。
「静蘭!」
急いで駆け寄り、神田は静蘭の身体を起こす。
外傷はない。
死んでいるわけではないことをすぐに把握して、安心することができた。
「静蘭、おい、静蘭?」
身体を揺さぶるが、起きる気配はない。
気絶してしまっているのか、何度揺さぶっても変わらなかった。
おかしい。
気絶し、深く眠りについたというならまだ分かる。
だが、反応が全く無いのはおかしいのだ。
心臓の音は聞こえた。
呼吸もある。
だが、目を覚さない。
「――何が……あったんだ」
このテントの中、生きていたのは静蘭のみだった。
すぐ側には、医療班担当のオーウェンが死んでおり、他の負傷者達も同じように死んでいる。
だが、静蘭だけが全くの無傷でいたのだ。
なぜ、静蘭だけが殺されずに済んだのか、状況を知らない神田には何も分からない。
「お、隊長。ここにいましたかい。単騎行動は控えて下さいよ。些か無謀すぎますからね」
テントの入り口から、マイルズが入ってきてそう言った。
「マイルズ……」
「おや? その子は確か――妹さん? 他は死んでるようだけど、なぜその子は無傷なんですかい?」
マイルズは、首を傾げながら神田へとそう尋ねた。
まるで、神田の妹が死んでいたとしても何も感じないようなそんな雰囲気でだ。
「分からない。静蘭だけは、この場で無傷で倒れていたんだ」
「――ふぅむ。それはマズイですねぇ」
「どういうことだ?」
何がマズイのか、返答次第によっては神田がブチギレるかもしれない中で、マイルズは淡々と答える。
「いえねぇ、この現場で彼女だけが生きていたこと。それを上が知れば、間違いなく彼女を疑いますよ? スパイが紛れていたってね」
「っ!」
咄嗟に、神田はマイルズの胸ぐらを掴みかかりそうになる。
だが、静蘭を抱えてる以上は、迂闊にそうはできなかった。
「まあ落ち着いて下さい。報告は絶対ですが、そこは隊長の手腕でどうにかすればいいことです。まずは、ここから脱出することをオススメしますよ?」
「……敵がいるのか?」
「正確にはモルフですがね。どっから沸いて出たのか、感染段階が低いので、そう感染してから時間は経ってないとは思われますがね」
「――分かった。すぐに移動準備だ」
状況は分からない。
そんなことは、静蘭が目を覚ましてからでもゆっくり聞けばいい。と、神田は静蘭を抱えて立ち上がる。
もしも、風間や桐生が裏切り者だと断定する場合は、敵に回してでも静蘭を守り切るつもりだった。
だから、神田は絶対に許さない。
殺さなかったことは幸いにしても、静蘭を陥れようとする何者かを、絶対に。
「さぁ、行きますか」
マイルズは、平坦な様子でそう促す。
不気味なほど、合理的な考えのこの男を、神田は目を離さず、警戒していた。




