第三章 第四話 『M5.16薬』
「お前、『M5.16薬』って知ってるか?」
「――――」
レオの口から出たその単語を、桐生は知らない。
ただ黙って、聞くことしかできなかった。
「――そうだよな。知るわけないよな。なぜなら、この情報は俺達しか知る筈がない情報だ」
「……何の話をしている?」
「おっと、悪いな。平たく言えば、人間を超常的な存在に変える薬品。そう捉えてもらっても構わないぜ」
超常的な存在。レオの口振りからすれば、リスク無しに『レベル5モルフ』になるとでも言っているということだろうか?
だが、辻褄は合わない。
レオは、世良のように超人的な身体能力を見せたわけではないのだ。
不可思議に感じたのは、ショットガンを片手で撃てるといったところだ。
普通、ショットガンを片手で撃てる人間など、ありえはしない。
そんなことをすれば、発砲と同時に肩が抜けて脱臼するか、手首から骨折するのが関の山なのだ。
「『M5.16薬』とは、すなわち擬似的モルフになる為の薬品だ。と言っても、原子的なウイルスを撃ち込むのではなく、ウイルスの特性のみを引き継がせた、人間に無害なウイルスを撃ち込むと言ったところが正しいだろうな」
「擬似的モルフ……だと?」
「より簡単に例えるなら、『レベル5モルフ』の劣化版が正しいだろうな。部分的だが、生きた状態でモルフの特性を扱うことができるということだ」
「――――」
例えを出したことで、桐生は説明を理解することができてきた。
劣化版とはすなわち、『レベル5モルフ』の特性を全て扱えるというわけではないのだろう。モルフに襲われない体質は、その特性を引き継いだものと見て間違いない。
「俺達、組織の連中は大概、その薬品を投与されている。……一部は違うがな」
「つまり、お前達は自分達の意思で化け物の仲間入りをしたということか」
「ははっ、言うじゃねえか。あながち間違いではねえよ。実際、この薬品の効果でモルフには襲われないし、俺の場合は肩から腕にかけた大幅な筋力増強効果がウリだからな」
皮肉を受け入れるように、レオは自らの特性を臆面もなくバラしていく。
それは、まるで仲間と話しているかのような軽々しい様子で、レオからは緊張のある雰囲気が桐生からは感じ取れなかった。
「俺の銃剣の扱いを見て気づいてたろ? ショットガンを改造して作られたこれを、片手でぶっ放すなんて、映画に出てくるような超人でもない限り不可能だ。俺は、それを再現させたってことだな」
その点については、桐生にも疑問の余地はあったことだ。
ならば、『M5.16薬』とは、モルフに襲われない体質になることと、肩や腕の部分的身体強化ができる薬品ということなのだろう。
と、そう考えていた桐生であったが、
「モルフに襲われない体質は全員共通だが、他は違う。部分的な強化作用は、筋力に限らず、目や耳と言った感覚的部分にも作用することはあるんだ。つまり、全員がそれぞれ違った特性を持ち合わせているということだな」
「何……?」
一瞬、それを聞いた瞬間に、桐生は脳裏にある女のことを思い浮かべた。
それは、日本で生存者として確保した八雲琴音という名の女だ。
彼女は、敵組織のアジトがあるとされる地下で幽閉されていたとのことだが、出水の証言によれば、気になることを話していた事実があった。
そして、それは今、現時点で判明した情報に合致してしまっている。
八雲琴音は、モルフに襲われない体質であること。
更に言うなら、異常な聴力を後天的に宿し、遠くにいるモルフの位置を把握できたことだ。
もし、レオの言うことが間違いでないのなら、それは――、
「――やっぱり、お前の連れにも似たような奴がいるのかな?」
「――っ!」
誘いに掛けられた。
敵勢力は、こちら側に八雲琴音を匿っている可能性を疑っていたのだろう。
これで、奴らにとっての狙いが増える可能性が出てきてしまったことを桐生は心の中で舌打ちをする。
「安心しろよ。別にそれを知ったからって何かが変わることはない。……むしろ、安全と言う意味では良いのかもしれないぜ」
「……どういうことだ?」
桐生の考えを見透かすように、そう答えたレオだったが、その意味深な言い方には疑問を感じずにはいられなかった。
その桐生の問いかけに対して、遮るように、
「レオナルド、それ以上は、ダメ」
「おっとっと。すまねえすまねえ、悪いな桐生、これ以上は話せねえらしいわ」
桐生達の会話を黙って聞いていたリーフェンと呼ばれる女が、先を止めた。
どうやら、それ以上先の情報は話せないのだろう。
「それで済ませると思うか? 全てを話すまで、逃させねえぞ」
桐生は、全ての情報を吐き出させようと、持っていた剣の剣先をレオ達へと向ける。
「おいおい、やめてくれよ。これじゃ俺だけ板挟みじゃねえか。……だがな、桐生。お前、こんなところでのんびり話をしていていいのか?」
「……」
直後、桐生から発せられる殺気を感じ取ったのか、レオとリーフェンの二人が身構えた。
レオの最後の言葉の意味が、桐生にとって何を意味するのかを理解できたからだ。
「組織か、仲間か。お前が選ぶのは二択だ。どっちでも好きな方を選ぶといいさ」
「……何を言っている?」
「くくく、さあなぁ。戦いはまだ終わっていない。それだけは伝えておいてやるよ」
どうしても話の根幹部分については話そうとしないレオに対し、桐生は力づくでも問いただそうとして動こうとした。
だが――、
「じゃあな、桐生」
「――っ!」
突如、一帯を煙幕が包み込み、視界が一瞬で遮られた。
奇襲を掛けられる恐れを警戒して、煙の流れの変化を見切ろうとした桐生であったが、何も変わることはなかった。
煙が落ち着いた時には、もう手遅れであった。
レオとリーフェンは二人共、もうここには残っておらず、見事に逃走を成功させてしまったのだ。
「――――」
風のなびく音以外、ここには何もない。
遠くから微かに聞こえる銃声音のような音以外は、ここには人の気配がまるで無くなってしまっていた。
「――るな」
その中で、静かに、桐生は心の中の本音を呟く。
誰もいない、いたとしても聞き取れない程の小さな声で彼は呟いていた。
「――ふざけるなよ」
怒りが、殺意が、明確に込み上げてきていた。
それは、捕らえきれなかったことに対する自己への怒りか、敵勢力に対する怒りか、両方がある上で、更にもう一つ理由があった。
奴らは、これまでの一連の出来事における首謀者だ。
奴らは、御影島の住民全てをモルフに変えた異常者だ。
奴らは、日本国内の何の罪もない一般人の命を奪いに奪った畜生共だ。
モルフに関連する全ての出来事に加担して、世界的な被害を今も起こし続けた連中の尻尾をようやく掴めたのだ。
桐生は仲間想いな一面がある。
だから、彼は必ず、敵組織を壊滅させるという意思を持っていた。
かつて、桐生の部下であった隠密機動特殊部隊の面々。桐生の後任として、後に殉職した鬼塚。
彼らを死なせてしまった責任は、自分にあると桐生はずっと考え続けていた。
だから、許さない。
必ず、相応の報いを受けさせてやると、決めたのだ。
「逃さねえぞ」
何としてでも、奴らを捕縛する。
強い意志を持って、動き出そうとした桐生だが、そこで携帯していた無線機から連絡が飛ぶ。
『桐生、聞こえるか?』
「風間か。今、敵組織の連中と交戦していたところだ。俺は奴らを追う。問題ないな?」
『何? ……いや、やはり鉢合わせたというところか。現状はこちらが優勢だから問題はないが、大丈夫か?』
「問題はない、が、気をつけろ。奴らの中の一人が言うには、妙な薬品を自らに投与してモルフに襲われない体質になっているそうだ。手近にそんな奴らがいれば、すぐに捕縛体勢に入った方がいい」
『モルフに襲われない体質、か。今更だが、奴らはいつでも想定外のことをしてくるな。だが、良い情報を得れた。助かったぞ、桐生』
「礼を言うなら、奴らの一人でも捕まえてからにしろ。俺もあまり時間は掛けられねえからな。切るぞ」
『いや、待て。一つ確認事項がある』
今すぐにでも、レオ達と追跡したい桐生であったが、風間はまだ話すことがあるように、通信を止めない。
少々、苛々してはいたが、個人的な私情を優先するわけにもいかないので、桐生は足を止めて聞こうとした。
「なんだ? 手短に頼むぞ」
『そのつもりだ。こちらの手札について、向こうはまだ気づいていないか?』
その疑問に、桐生は目を細める。
『手札』とは、桐生と風間の間であらかじめ決めておいた隠語のようなものだ。
それは、すなわち、こちら側にとっての生命線、『レベル5モルフ』の力を有する笠井修二のことだ。
わざわざ隠語にしたのは、無線を傍受される可能性を考慮してのことだが、恐らく問題はないはずだ。
問題は、敵勢力に笠井修二のモルフの力が露見されていないかどうかだ。
今回の作戦において、前線にわざわざ置かせたのは、囮という役目を兼ねてのことであった。
その為に、桐生を直近に添えることによって、安全を確保させていたのだが、この問題は先ほどの戦闘においてクリアされている。
「問題ない。さっきの戦闘時に、奴らは俺を狙ったからな。一応、この後に状況を確認しといてはおく」
『そうか、ならいい。万が一の可能性がある時は、すぐに動け』
「了解だ」
その会話を最後に、無線は切れた。
万が一、というのは、敵勢力が笠井修二を狙う素振りを見せた時、あるいは生存的に危うくなった時の状況のことだ。
現状、敵勢力の目的は未だに判明していない。
だが、日本国内において、椎名真希を攫った事実があることから、『レベル5モルフ』の力に執着していることは確かなのだろう。
笠井修二が『レベル5モルフ』であることがバレていれば、率先して捕獲しにかかるはずだ。
それを、あの時、笠井修二ではなく桐生の方を狙ったことから、まだこちらの情報はバレていないという風に読み取った訳なのである。
「だが、一応確認は確認だ」
念のため、笠井修二へと無線を掛けようと桐生は試みる。
可能性の一つだが、分断を狙った可能性だって十分にあり得るのだ。
風間を含め、全部隊の隊員に個々の無線を持たせてある。
それがあれば、一人が欠けても他と連絡が取れるような仕組みに持っていくことができていた。
――だが、無線は通じなかった。
「――――」
笠井修二だけではない。
すぐ近くにいるであろう、出水陽介、並びに他の隊員達、その全てに無線が繋がらない状態となっていた。
故障、と疑ったが、すぐさま風間に無線を繋ごうとして試みたが、それも出来なかった。
ならば、それは、
「妨害電波か……っ!」
唇を噛み、使えなくなった無線機をそのまま腰に戻す。
何者かが、無線での連絡を取り合えないようにしたということだ。
想定外の状況に歯噛みしながら、桐生は剣を再び抜いた。
まだ、敵勢力の思惑も何一つ判明していない。
だが、笠井修二との連絡が取り合えない状況の中では、敵の捕縛よりもまずは笠井修二の安全を確保することが最優先事項となる。
それをすぐに弁えた桐生は、すぐさま動き出した。
それも、全て敵勢力の思惑の内とは知らずして。
△▼△▼△▼△▼△▼
距離にして、約三百メートルというところか。
桐生から離れたレオ達は、瓦礫が重なる傍らで腰を落としていた。
「さて、そろそろ動き出した頃かね」
「おそらく。エレナは?」
「あいつは途中でトンズラこきやがったよ。どこかで死んでるんじゃねえか?」
「あら、誰がトンズラしたって?」
流れるようにして、瓦礫の隙間からエレナが戻ってきた。
他種多量の武器を全身に装備して、背中には一際大きな機材を抱えながらも、身軽に動いていたエレナであったが、彼女はまるで苦にも感じない様子でレオ達の側まで駆け寄ると、
「それにしても、レオ。あなた、生きていたのね。てっきり、殺されてるかと思ったけど」
「バカいえ。まぁ確かに実際は危なかったけどよ。もしかしてそれで途中でどっかいったのか?」
「当たり前じゃない。あの男がやけに集中力を高めた時から危険を感じてたわよ。むしろ、なんであなたが立ち向かったのかがアホらしく見えたわよ」
「俺は強い奴と戦いてえだけだからな。……んで、背中のガラクタは機能させたのかよ?」
レオは、話の根幹を戻そうとしてエレナの背中にある機材を指差す。
「ガラクタって言わないでよ。このスパコンが無かったら作戦成功しないのよ? まあ、ちゃんと機能させてるわ。ここら一帯の無線機は、この機材から発した妨害電波で完全に機能しなくなってる。やるなら今のうちよ」
そう言って、エレナはレオではなく、リーフェンの方を見た。
リーフェンは、エレナのその言葉を聞いて、立ったまま微動だにもしていなかったその体勢から、一歩前へと動く。
「分かった。後は、よろしく」
「まっ、俺達の役目はこれで終わりだからな。――それにしても、うちらのボスの考えはいまいち良く分からねえな。今回の作戦は何が目的なんだ?」
「私達の知る由はないことよ。リーフェン、あなたは知っているんでしょ? 末端の私達には教えてくれないのかしら?」
エレナとレオは、作戦内容については聞かされているが、その目的までは知らされてはいない。
彼らの組織は、極めて情報を統制する。
それは、作戦内容の目的であれ、重要な情報でさえも末端は何も知らない。
知るとすれば、それは幹部に属する者達のみなのであった。
「教えても、いい。だけど、その後、あなたたちは死ぬ」
「……それはごめん被りたいわね」
目的を知った後、死んでもいいのなら教えてもいい。
その無茶苦茶な理論の元、エレナとレオは聞こうとはしなかった。
「まあ、俺は別に強い奴と戦えればなんでもいいさ。とにかく、あんたはあんたの役目を果たしに行ってこいよ。時間も少ねえんだしな」
「あなたが聞いたんじゃない……」
呆れるエレナに対して、レオはどこ吹く風だ。
組織の思惑はどうあれ、構成員の考えや目的などはそれぞれが別物である。
それ故に、個の目的さえ果たせれば、彼らにとって組織の目的などは気にする余地はない。
リーフェンは、軽く目を閉じて、薄く開けると、
「じゃあ、行ってくる」
「おー、気をつけてなー。って、速っ!?」
レオが言うよりも速く、リーフェンは凄まじい速さでその場を後にした。
さすがの身体能力と言うべきか、いや、その動きは人間では出来ない動きであることを、レオとエレナは知っていても驚きの様子だった。
「特別な人間ってのは違うなぁ。いや、あれはもう化け物の領域か?」
「人間じゃないからね。それより、あなたは周辺の索敵をして頂戴。こんなところで破綻するわけにもいかないからね」
「へいへーい」
軽々しい様子で返事をして、レオはそのまま瓦礫の隙間を出て行く。
その中で、エレナは機材を動かして、自らの役目を果たそうとした。
「特別な人間、ね。なら、私達は一体何なのでしょうね?」
『M5.16薬』によって、生きたままモルフの一部分の能力を扱うことができる人間。それは化け物ではないのか、とエレナは疑問に考えるが、考えるだけ無駄だとすぐに至り、自らの任務を遂行する。
次話調整中。多分、二日以内には投稿できるかと。




