第二章 第四十二話 『防衛戦』
暴動が起きうる一歩手前の避難所の中とは打って変わり、外にいる避難所へと入れない避難市民達の状況は、更に悪化しようとしていた。
「クソッ! どうして入れないんだよ!? このままじゃ、俺達はあの化け物共に食い殺されちまう!」
「ねえ、嘘でしょ……私達、見捨てられたの?」
「もうダメだ……俺達は死ぬんだ……」
口々に聞こえる絶望的な声は、本心からのものだった。
誰も、今の状況を理解できる筈もない。
行く先を失った人々が辿り着く先は想像に難くなかった。
このままでは恐怖に怯えて暴動を引き起こすか、自決を図ろうとするか、どちらにせよ碌な未来はない状況だ。
「皆、聞いてくれ!!」
その中で、ある男の声が響き渡った。
ガヤガヤと喧騒に駆られていた市民達は、その声を聞いて、一斉にその方向を見る。
そこに立つのは、若い青年だ。
一般市民とは思えない、武装した装備を見に纏い、その腕にはサブマシンガンが握られていた。
「落ち着いて聞いてくれ! これより、ここにいる市民全員の避難誘導を開始する! 焦らず、ゆっくりで問題ない、決して我先にと動かぬように!」
指示を出していく若い青年、神田慶次は慎重に言葉を選びながら、こちらを見る市民達へとそう伝える。
今の市民達は、恐怖と不安の感情という呪いが心に深く差し込まれてしまっている。
もし、助かるという意識がその中で差し込めばどうなるか、それは神田自身が良く理解していた。
「た、助かるのか!」
「動くな!!」
神田は牽制するように、恫喝した。
それを聞いた市民は、怖気付くようにしてその場から動かなくなる。
「まずは全員、落ち着いてくれ! 必ず全員を別の避難場所へと誘導させる為に俺達は動く! その為に、ここで一気に皆が動き出せばどうなるか、分かるだろ?」
一部の人間は、神田の言いたいことを理解したのだろう。
互いに顔を見合わせながら、何人かは頷いていた。
だが、その中で納得できない者はやはりいるようで、
「おい、あんたさっきから何なんだ!? 本当に俺達を避難場所へ誘導する気があるならさっさとしてくれよ!」
神田の態度が気に食わなかったのか、中年の男が食ってかかってくる。
神田はまるで怯むまでもなく、強くその男を睨みつけると、
「黙って言うことを聞け。あんたみたいのがいる限り、誘導にロスが発生する。今ここで、一気に市民達が動けば、必ず我先に行動する人達は出てくる。そうなれば余計に混乱が発生するんだよ!」
「――っ」
中年の男は、神田の説明を聞いてたじろぎ、その意味をようやく理解したのだろう。それ以上は特に反論しようとはしてこなかった。
もしも、神田が何も釘を刺さずに市民達へと誘導の指示を出していけば、市民達は統制も効かないままに避難車両のバスへと我先に乗り込もうとする。
そうなれば、将棋倒しになり怪我をする者や、それ以上のトラブルさえ発生する要因にもなりかねなかったからだ。
「もうすぐ、誘導用のバスが来る! それまでは落ち着いて待機を! 来た時には順番に乗るようにしてくれ! 万が一、化け物が現れても俺が対処する!」
神田の指示を聞いて、市民達はざわめきながらも言う通りに待機してくれた。
後は、弓親が手配する避難車両のバスを待つのみであった。
「あの……」
と、そこで一人の子どもが話しかけてきた。
服装がやけにボロボロになった女の子である。
「どうした?」
「えと……お兄さん、助けに来てくれてありがとう!」
ただ、それだけだった。
女の子は礼を言って、笑みを浮かべて親のいる元へと駆け戻っていった。
「――ふっ」
少しだけ、気が楽になった。
正直、神田は自分がこんな役目をやるのは相応しくないとさえ感じていたのだ。
敬語口調でさえ話そうとせずに、偉そうに市民達に指示を出したこともそうであり、不器用ながらもなんとか事を進めようとしたことも上手くいくとは思えなかった。
だが、それでも頼りにしてくれる人はいる。
それが分かっただけでも、神田は心の重しが軽くなる思いだった。
「さて……後は弓親を待つだけだな」
と、そう言った時であった。
道路の先から複数に分かれた避難車両のバスがやってきて、それが市民達のいる付近へと順番に止まっていく。
「神田、待たせましたね。これだけあれば、乗る人数にも事欠かないでしょう?」
弓親が運転席から顔を乗り出して、そう告げた。
避難車両のバスは、その全てが大型であり、これだけあれば、避難市民を乗せるのにお釣りが来るレベルであった。
「ナイスだ、弓親。さっそく、移動の準備を進めよう」
「ええ、――あれは?」
ふと、弓親が別の方向を見る。
神田も釣られて、その方向を見るとそれはいた。
「あれは――避難しに来た人間? ……いや、違う!」
それは――いや、それらは避難しにきた市民達ではなかった。
目は虚ろとして、足の動きも疎かなそれは、今日という一日の間で嫌というほど見てきたものだ。
「急げ! 全員、バスに乗り込むんだ!」
神田の一声を聞いた市民達は、焦るように動き出す。
ここにいる市民達は、モルフの姿を見たことがある者とない者もいたのだろう。その動きは、焦るように走る者と稚拙に動く者と様々だ。
「――っ!」
逡巡するまでもなく、神田は戦闘態勢に入った。
今ここにいる戦える人間は神田のみ。ここで食い止めることができなければ、避難市民に被害が出てしまう。
「弓親! 満員になったバスから順次走らせろ! 俺はこいつらを食い止める!」
「――っ! 了解!」
返事を聞くまでもなく、神田は目の前へと迫りつつあるモルフの群勢へと掃射する。
夜目に慣れたこともあり、狙いを外すことはまずなかった。
「クソッ! 数が多い!」
しかし、どれだけ的確に仕留めようとも、それ以上に現れるモルフの方が圧倒的に多かった。
それも、銃声音と後ろから聞こえる市民達の叫びもあって、その音に釣られてくるモルフ達が集まってきてしまっているのだ。
どちらも不可抗力な手前があり、神田としても撃ち続ける以外に手段がなかった。
「落ち着いて空いてるバスに乗り込むんだ! ここは俺が必ず食い止める!」
避難車両へと乗り込む市民達へとそう指示を出しながら、最短時間でリロードをして、神田は再びモルフへと掃射していく。
その感染段階は、ほぼ全てが『レベル1モルフ』ではある。
しかし、恐れていた通り、数の暴力に押されれば分が悪くなるのは神田の方であった。
「くっ!」
足元に落ちていく無数の薬莢の音を聞きながら、少しずつ後退していく。
それがダメだということが分かっていてもどうしようもないことから、後ろを確認する。
まだ、避難市民が半分も乗り込めていない状況であった。
現実的に見れば、このまま時間稼ぎをしたところで間に合わないことは明白な状況となっていた。
「おい……なんだよ、あれ?」
それは、神田の後ろから聞こえた声だった。
避難市民の誰かが何かを呟いたのだろう。
その声色は、震えるように怯えていた。
そして、それを意味するものは神田の前方にあった。
「嘘だろ……」
それを見ただけで、神田は心を絶望に塗り固められる。
目の前に現れたのは、全身を赤黒く染め、手足が人間のものと思えない何かに変異したモルフ。『レベル3モルフ』が群勢となってそこにいたのだ。
「――マズい……もう弾が尽きる」
ほぼ同時といっていいタイミングで、神田の持つサブマシンガンの残弾が少なくなっていることに気づく。
まるで、もう諦めろとでも言わんばかりの最悪な状況に打ちひしがれそうになる神田であったが――、
「ここは俺が食い止める! 一体も絶対に通さない! お前達は気にせず避難車両に乗り込め!」
臆することなく、弾が尽きた銃を捨てて、コンバットナイフを取り出した神田は避難市民達へとそう告げた。
撤退の選択肢など、もうとっくに無理な話だった。
この作戦を組み立てたのは神田自身であり、それを無視して逃げるようなことなどありえはしない。
たとえ、致命傷を負うハメになったとしても、この場を守り通す。
そのつもりでナイフを構えていた神田だったが、
「どけ! クソ共が!」
聞き慣れない声と共に、一台の車がモルフの群勢へと突っ込み、数体のモルフが吹き飛んだ。
そして、その荷台には神田もよく知る人物が乗っていた。
「神田!」
「修二! 無事だったか!」
「ああ、どうやら取り込み中のようだな」
そう言って、状況を察してくれたのか、神田へとサブマシンガンを投げ渡し、修二は荷台から降りる。
そして、修二は乗っていた車の運転手へと向き直り、
「高尾さん! 車を安全な場所へ! 裏手に回れば中に入れる場所があります!」
「分かったよ!」
「あら、じゃあ高尾は先に行ってて。私も降りるわ」
同じく荷台に乗っていたアリスが拳銃を持って飛び降りていた。
先ほど、高尾と呼ばれる男の声に聞き覚えを感じた神田であったが、それよりも合流できたことに対する安堵感が勝っていた。
「お前の大事な人は救えたのか?」
「たりめーよ。じゃなきゃ、ここに戻ってくるなんてことには絶対ならないからな」
修二は、親指を立てて自身の任務を全うしたことを神田へと返答した。
その相変わらずな様子に、思わず笑みを零した神田であったが、
「ちょっと、今は感慨に浸ってる場合じゃないわ。早く掃討するわよ!」
アリスがそう言って、一体のモルフの頭部を拳銃で撃ち抜き、加勢するよう促した。
気を取り直した二人は、銃口をモルフの群勢へと向けると、
「いけるか?」
「ああ、問題ない。さっさと片付けるぞ」
互いに確認を取り、銃弾がモルフの頭部へと確実に命中していく。
もはや、この状況に臆することもなくなっていた。
それほどに、彼らの今日という一日の経験は自身を強くしていたのだ。
何より、今は心強い味方がいるというのが大きくある。
不安も恐怖も、あのリンドブルムがいた時よりも遥かにマシになっていた。
「神田、右は任せる! 俺は左をやる! アリスさんは正面を!」
「私が一番多いじゃない。何の当てつけよ」
「アリスさんならこの程度、問題ないでしょう?」
「まあ、そうね」
修二の期待に、アリスは平然としながら脚技だけでモルフの首をへし折っていた。
その技量と度胸にも感服するが、神田も直にその技を受けた体験があったこともあったので、不安はなかった。
「行くぞ、副隊長」
「おうよ、間合いはしっかり保てよ、神田」
彼らに慢心は無かった。
この一日で、幾多もの死線を潜ってきた彼らに、今更怖いものなんてない。
こうやって、背を合わせて戦えることを二人は高まっていた。
「いくぞ!!」
武器を構えた二人は、近づいてくるモルフ達へと銃弾を撃ち込んでいく。
数は溢れるばかりだが、それでも食い止め切れないほどではなかった。
この場に、アリスがいたおかげでもある。
彼女が修二達の撃ち漏らしをカバーしていなければ、このモルフの進軍を食い止められたかは定かではなかった。
「想像以上に数が多いな。修二、弾丸のストックは?」
「二回分リロードできるぐらいかな。余裕があるわけじゃない」
「一つだけくれ。俺はそれで十分だ」
自信満々な神田の言葉を聞いて、修二は持っていたマガジンを一つ、神田へと渡す。
そうして、彼らは近づきつつあるモルフを足止めすることに成功できていた。
「神田! それに修二もおるんか! 俺も加勢するで!」
突如、後ろから聞き慣れた仲間の声を聞き、神田と修二は振り向かないまでも誰のことかを理解した。
「清水! 助かる。お前は神田をサポートしてくれ!」
「俺は問題ない。修二を頼む」
「いや、どっちやねん! 無駄な張り合いすんなや!」
謎の譲り合いの精神に怒鳴る清水だったが、まだ数が多い神田の方へと清水がサポートしてモルフの掃討に当たる。
ここまでくれば、民衆が避難用のバスに乗り込むには十分な具合となってきていた。
そして、
「お前ら、時間をかけすぎだ。さっさと片付けろ」
後ろから一人の男が飛び出して、一体の『レベル3モルフ』の首を軽々と斬り飛ばした。
「桐生さん!」
「よく戻ってきた。アリスもだ。合流出来なかったのは済まなかったな」
「あら、気にしなくても大丈夫よ。二人だけでも問題なかったしね」
互いの無事を確認し合った桐生とアリスは、そのまま背中合わせになる。
死に物狂いの状況だったにもかかわらず、修二はそれを見て思わず笑った。
これほどまでに頼もしい援軍が揃ったことに安心感を隠し切れなかったからだ。
気を緩ませることもなく、事態はすぐに収束を迎えていった。
集まってきていたモルフは全て殲滅され、避難用バスに市民達のほぼ全てが乗り切って、避難場所となる猿島へと向かっていった。
その中で、二台のバスだけが余り、どうすべきか考えていたところを神田が対案を出した。
「この二台のバスには、今、訓練地に避難している何人かを乗せよう。そうすれば、中の状況も少しはマシになるはずだ」
その案に反対する者はいなかった。
聞くところによれば、今、訓練地の中は避難市民で溢れ返っており、このままの状態だと暴動が起きうる可能性があったそうだ。
少しでも人口密度が緩和されるのであれば、それに越したことはない。
早速、その方法で進めていき、非難バスへの誘導を開始していった。
周辺の警備要員として、桐生とアリス、修二と神田がついて、清水はバスへの誘導をするという役目に落ち着いた。
特段、襲撃らしい襲撃はなく、無事に避難誘導は完了される見込みとなっていった。
本来、この話で一旦、第二章は終わりの予定でした。
第三章へと続く為の幕間も三話分ありますが、その前に書きたい内容が増えたので、もう一話分投稿して第四十三話にて第二章は終幕とする予定です。
次話掲載予定は本日22時予定です。追い込みかけます。(間に合わない可能性あり)