第二章 第四十話 『桐生VS戦龍リンドブルム』
「――――」
全速力で渋谷内を駆け抜け、その男は左手に持ったワイヤー銃を建物の屋上部分へと向ける。
射出されたアンカーは屋上の柵に引っかかり、巻き取るようにして男の体は宙へと浮き、屋上へと飛んだ。
そのまま、屋上を駆け抜けて別のビルへとワイヤー銃を向ける。
そうして、屋上から別の建物の屋上へと移動していき、彼は遠めに見える巨大な生物を見た。
「――あれがそうか」
この世のものとは思えないそれは、明らかに人類にとって脅威な存在だと瞬時に理解することができた。
敵の戦利品を持ってきたことは正解だっただろう。
あの高速道路で対峙した、エンリケと名乗る男が持っていたワイヤー銃は、汎用性がかなり高い。
仕組みの全容は分からないが、彼の全体重を持ってしても機能することは大きな利点だった。
本来、ある程度の訓練がないと使いこなせなく、死亡事故が起きることも珍しくないその武器を彼はすぐに使いこなしていた。
「――ふっ!」
別の屋上にある、今いる場所よりも高い建物へとワイヤーを飛ばす。
そして、今度は屋上へと飛び移るのではなく、そのまま巻き取られる引力に従って、男は宙へと投げ出された。
「――――」
失敗ではない。わざとであった。
目線を下に向け、標的へとワイヤー銃を構える。
あの巨大生物へと向けてワイヤーが射出し、そのまま巨大生物の顎部分に刺さったのを確認した瞬間、彼は腰に帯びていた剣を抜いた。
重力と共に、とんでもないスピードでワイヤーは巻き取られていくが、彼は目を閉じない。
そして、邂逅の時がきた。
ちょうど、剥がれていた甲皮の断面へと斬りかかり、巨大生物は奇襲を受けたことに悲鳴を上げる。
「――――ッッ!!」
何が起こったのか、巨大生物は分かっていない。
だが、何者かの攻撃を受けたことだけは分かっていたようで、その姿を視認しようと辺りを見渡していた。
「桐生さん!!」
聞いたことのある声を聞いたが、桐生は止まらない。
地上へと降りた桐生は、すぐさま巨大生物へと向けてワイヤーを射出。こちらに気づいていない以上、反撃されることはなかった為、巨大生物はそのまま剣戟を受けると思われたが――
「――ちぃっ!」
舌打ちをして、持っていた剣が折れるのを見た桐生は、すぐさまもう一本の剣を抜く。
何が起きたのか、すぐに理解した。
あの巨大生物の頑丈な甲皮が、桐生の剣を折ったのだ。
最初の一撃が通用したのは、たまたまあの甲皮が剥がれた箇所へと斬りかかっていたからだった。
「桐生さん! ダメだ! リンドブルムは全身を頑丈な甲皮で覆っている! なんとか剥がしたところを狙うしか意味がない! それに、早くなんとかしないと再生してしまうんだ!」
遠くから聞こえる声。確か、出水と言った隠密機動特殊部隊の声が聞こえてきて、桐生はリンドブルムと呼ばれる巨大生物を見た。
――ここに来るまでに、桐生は風間からある程度の話は聞いていた。
渋谷内にいる隠密機動特殊部隊が、地下に主犯組織のアジトがあることを突きとめて侵入させたこと。
渋谷内に、未知の巨大生物が現れたこと。
それに対して、戦闘機を三機飛ばしたが行方不明になったこと。
大方の推測だが、あのリンドブルムと呼ばれる生物はモルフだろう。
出水が再生と話していたことからも、間違いはないはずだった。
あとは、渋谷区内の電子機器が死んでいることが気にかかる部分ではあったが、それを考える間もなく、正面にいたリンドブルムが動いた。
「――――ッッッ!!」
リンドブルムがこちらを視認して、桐生は思わず近くのビルの側面へとワイヤー銃で飛び、様子を見た。
そして、リンドブルムは桐生へと向かって突進してくる。
「――ちっ」
真っ直ぐに突っ込んできたリンドブルムに対し、桐生はワイヤー銃を射出して別の建物へと飛ぶ。
そのまま、ガラスを突き破って屋内へと逃げ込んだ。
「しつこいな」
窓の外を見て、しつこく桐生へと追撃せんと、リンドブルムが迫る。
ビルの中の通路を走り、その後ろを強大な破壊が巻き起こる。
リンドブルムの鋭い爪が、桐生のいた通路を抉ったのだった。
あのままその場所にいれば、挽き肉となっていてもおかしくなかっただろう。
桐生はそのまま階段を登り、踊り場へと出たところで再び窓から飛び出る。
「再生するまでに殺しきる、か。だが、その頑丈な甲皮。それ自体がお前の弱点でもあることをまずは思い知れ」
そう言って、桐生はビルの前に佇むリンドブルムへとワイヤー銃を使って接近し、斬りかかろうとする。
それは、先ほど斬った甲皮が剥がれた肉面の部分ではない。
その場所は既に再生しきっており、もう斬撃を与えることはできなくなってしまっている。
だから、桐生は狙いを弱点である頭ではなく、その足元――関節部分を狙った。
「――ッッ!」
片足の関節部分を斬られ、リンドブルムは悲鳴を上げる。
桐生の剣はリンドブルムの血に塗れ、折れることなく攻撃が通っていた。
「やはりな」
攻撃が通ったことに、確信を持った桐生は距離をとる。
「お前の頑丈な甲皮、それを全身に纏う以上、普通は動き回ることなど到底できないはずだ」
「――――ッッッ!!」
桐生の位置を視認したリンドブルムは、再び仕留めかかろうと桐生へと向かって突進してくる。
だが、桐生はワイヤー銃を使ってこれを難なくかわし、今度はリンドブルムの腕となる部分。その細い関節へと斬りかかり、その腕を斬り落とした。
「その巨体でその動き、幾ら全身を頑丈な甲皮で覆っても、絶対にカバーしきれない箇所はある」
ビルとビルの間を飛び回り、桐生は言葉を理解できないリンドブルムへと向けて話しているかのように説明する。
当のリンドブルムは、威嚇するように咆哮を上げようとするが、その動き自体が無駄だった。
その隙に、桐生はもう片方の脚の関節へと向けて斬りかかった。
「例えば、関節部分とかな」
「~~~~ッッ!」
為す術のないリンドブルムは、やられるがまま桐生の剣戟を受けていく。
桐生が話していた関節部分の話は間違いではないが、普通の人間が狙うには不可能に近いことをやってのけていた。
リンドブルムの関節部分は、確かに僅かな隙間があり、それがリンドブルムの動ける理由であった。
中世ヨーロッパにおける全身を鎧に身を固めた兵士も、関節部分を鎧で纏わないようにして機動力を少しでも上げる為にしたという話を桐生は耳にしたことがあった。
そのことを知っていたからこそ、桐生は関節への攻撃手段を考えたのだが、あくまでこれは動きを止める意味でしか通用しない。
弱点である頭部を破壊しない限りは、リンドブルムは再生をし続ける。
そして、桐生の方は消耗品である剣をいつまでも使い続けることはできない。
形勢は変わったように見えて、実のところ不利なことに変わりはなかった。
なんとかして、あの頭部を破壊する方法を模索しなければいけないのだが、肝心のその部分は甲皮に覆われていて隙がない。
「動きは止めたが、さて、どうするか」
リンドブルムは、両脚の関節を斬られたことによって、その場から動くことができないでいた。
その様子から、斬られた箇所の再生に集中しているのだということは窺うことができた。
「殺されない以上、まずは自分の身を優先、か。実に合理的じゃないか。なぁ?」
動きを止めているリンドブルムに対し、桐生は再生に手付かずの状態に追い込もうと、ワイヤー銃を構える。
しかし――、
「――――ッッッ!!!!」
「っ! うるせえな!」
突如、咆哮を上げたリンドブルムに対し、構わず桐生はワイヤー銃の引き金を引こうとしたが、
「なに?」
引き金を何度引いてもワイヤーは飛んでいかず、壊れたかのようになってしまっていた。
「故障……いや、違う」
瞬時に状況を把握した桐生は、ワイヤー銃だけではない、この渋谷で起きた停電現象に納得がいった。
「――電磁パルスか」
ワイヤー銃を故障と断定しなかったのは、故障の前触れらしい動作がなかったことと、このワイヤー銃自体が電気の力で動き、その充電が切れたから起きたわけではないことを分かっていたからだ。
今、この渋谷内で起きている停電現象について、ただの停電でないことは都市に入った時に気づいていた。
風間は、最初から電磁パルスだと推測していたが、半信半疑の状態でもあったのだ。
電磁パルスだと確証を持てなかったのは、その規模の大きさでもあった。
戦略兵器として『EMP爆弾』と呼ばれる電磁パルスを引き起こすものがあるが、そもそも電磁パルスの範囲自体がそこまで広いわけではない。せいぜい半径百メートル前後が限界であり、この規模のパルス波を引き起こすならば、それこそ核弾頭レベルの兵器が必要になる。
これが他国による攻撃であるならば話は変わるが、やり方が大雑把にすぎる。
その為、停電現象を電磁パルスと疑惑にまで抱いていたのだが、実際に目の当たりにしてそれは確信に迫った。
「咆哮を上げた時に、パルス波を飛ばしているのか」
推測を口にして、それでも桐生は冷静だった。
使えなくなったワイヤー銃を放り捨てて、桐生は腰に帯びた残り二本の剣の内の一本を抜刀する。
桐生の本来の戦闘スタイルは、この二刀流での動きに直結している。
普段は対人での戦闘が全てだったのだが、この巨大生物相手に桐生は戦い方を適応させようとしていた。
「動きが止まっている今が勝負だな」
ワイヤー銃を失った桐生は、地面を駆け抜けてリンドブルムへと接近を試みた。
四十メートル近くあった距離を瞬時に詰めて、桐生はリンドブルムへ攻撃をすることはせず、脚から腕へ、腕からうなじ部分へと飛び移っていく。
「ッ――!」
異物の存在に気づいたリンドブルムは、暴れるように身悶えするが、桐生はこれを甲皮と甲皮の隙間に剣を刺し込み、振り落とされることを回避した。
「逃がさねえよ。お前の弱点を炙り出すまではな」
振り回される感覚に全く動じず、桐生は至近距離まで近づくことができた恩恵としてリンドブルムの甲皮をよくよく観察する。
何の材質でできているのか定かではないが、その甲皮は部分各所に張り巡らされていた。
分かりやすく言うならば、部位毎に甲皮があり、それぞれがくっついているわけではなく甲皮と甲皮の間に僅かな隙間があるということだ。
「――なるほど。そういうことか」
リンドブルムの外見を遠巻きに見ていては絶対に気づくことはなかっただろう。
関節部分だけでなく、他にも隙間があるのならば、それは頭の部分も例外ではないはずだ。
刺した剣を握り締め、その握力だけでリンドブルムから離れないようにしがみつく。
そして、残る片手で桐生は腰に装備していた手榴弾を手に取った。
「おい、そろそろ暴れるんじゃねえよ。もうすぐ楽にしてやるからな」
未だ、後頭部に乗りかかっている桐生を振り落とそうとしているリンドブルムであったが、これから何が起こるのか、その化け物はまだ理解していない。
理解する知能があるかどうかも疑問だが、ある意味では動物由来の本能だろうか。桐生に対して、危機的意識を持ったのかもしれない。
そんなことを考える間もなく、桐生は躊躇わずに歯で安全ピンを引き抜き、そのレバーを引いた。
爆発するまで約三秒という短い制約の中、桐生はそれをリンドブルムの甲皮と甲皮の隙間、ちょうど目の部位がある辺りに投げ込み、即座に剣を引き抜いてリンドブルムから離れる。
そのまま何事もないように綺麗に地面へと着地し、リンドブルムから距離を取ろうとした瞬間――、リンドブルムの顔面部分が大きく弾け、爆発音が轟いた。
「――――ッッッ!!!!」
これまでにないほど、大きな咆哮を上げたリンドブルムを見て、桐生も確かな手ごたえを感じた。
その証拠に、桐生の狙い通り、リンドブルムの顔面部分の甲皮は内側から爆発の衝撃を受けたことによって剥がれ落ちていた。
「これで、ようやく攻撃が通るな。チェックメイトだ」
弱点である頭さえ剥き出しの状態にさせれば、後はお手の物。そう考えていた桐生だったが――、
「――――ッッ!!」
怒り狂っているのか、リンドブルムは再生に集中する間もなく、桐生へと向かって残った腕の爪を振りかぶる、
それを振り下ろし、桐生の胴体を生き別れにさせようとしたのだが、桐生の判断の方が早い。
直立した地点から、全速力で正面にいるリンドブルムへと向かって走り出し、その股下を抜けることによって、これを回避したのだ。
「――――ッッ!!」
「ちっ――」
それでもリンドブルムは止まらない。
いち早く、目の前にいる自身の命を脅かそうとする敵を排除しようと、追いすがるようにして接近してくる。
「――――」
その様子に焦ることなく、桐生はリンドブルムを見ていた。
まだ再生を開始していない辺り、再生と攻撃は同時に行えないのだろうということは窺える。
それさえ分かれば、どう動けば正解かは桐生の頭の中ではシミュレートが既に完了できていた。
「ふっ――!」
「――――ッッ!!」
正面、迫りくるリンドブルムへと桐生も同様にして接近する。
お互いにぶつかり合おうとしたその刹那の瞬間、桐生は横合いに見える車両へと飛び移った。
リンドブルムが再び爪を振りかぶろうとして、桐生は構わずリンドブルムへと飛び移る。
ギリギリとも言うべきほどに、振り下ろされる爪の軌道の僅か外から潜り抜けた桐生は、二本の剣でリンドブルムの剥き出しの頭部へと斬撃を浴びせていく。
「――ッッ!!」
頭を振って、リンドブルムはなんとか桐生の攻撃を避けようとするが、まるで意味がなかった。
桐生はその瞬間、リンドブルムの腕へと飛び移り、更に猛追せんと何度も同じ箇所へと攻撃の手を止めない。
何度も斬り刻まれるリンドブルムは、もうどんな抵抗を見せようとも無駄だった。
肉を抉られ、刺し、斬られ、再生など無意味なほどに間なく攻撃を受け続けたリンドブルムは、ついに地面へと倒れ込む。
「終わりだ」
そして、空中姿勢から突き刺すようにして、桐生はリンドブルムの抉られた頭部へと止めを刺した。
その攻撃を最後に、リンドブルムは完全に動かなくなる。
「――――」
死んだフリの可能性を考慮して、少し離れた位置から観察したが、もう死んでいる。
そのことは再生を行っていないことから判断することができた。
剣にこびり付いた血を振り払い、納刀した桐生はそのまま振り返る。
荒れ果てたこの都市の中で、遠くから見守っていた存在、隠密機動特殊部隊の神田と出水がそこにいた。
「す、すげぇ」
「おい、生き残りはお前達だけか? 笠井修二は別行動と聞いている。もう一人のお調子者はどうした?」
「お調子者……ああ、清水は今、敵のアジトで見つかった生存者を避難させているところです」
敵のアジトと聞いて、桐生は眉を吊り上げた。
おおよそのことは風間から話は聞いていたが、先の話を桐生は知らなかったからだ。
「まずは話を聞く。その前にお前は――」
「お、おった。おったで」
明らかに重傷者である出水を見て、即時撤退をしようという命令を下そうとした時、調子のいい声を聞いた。
「清水? 何でここにいるんだ? もう避難させたのか?」
神田が疑問を尋ねて、清水は頭を掻いて言いづらそうな調子で答える。
「いやな、実は――」
「あんた、大丈夫!?」
清水の横から、見知らぬ女性が飛び出してきて、出水の肩を持つように気遣っていた。
「こ、とね? 何でここに……」
「あんたのことだから、死に急ぐんじゃないかって話してたの。無理を言ったのは私。とにかく、早くここから移動しないと――」
出水の容態を悪くみていた若い女性は、すぐにでも移動しようとする。
「おい」
状況が分からず、イライラしていた桐生は遂にキレそうになっていたのだが、
「……あんた誰? 今はあんたと話している時間は――」
「だーー!! すんまへん! ちゃんと説明しますんで!!」
清水が何かの危機感を悟ったのか、桐生の前に立って、そう諌めようとした。
女の方も桐生の立場を知らないのか、首を傾げている様子だったが、それよりも出水の方が問題だ。
今まで、気力だけでどうにかしてきたのか、その表情が虚ろとしていたのだ。
「とにかく、急いでここから移動するぞ。通信機が使えない以上、足だけでの移動になる。俺が周囲を警戒するから……そうだな。お前がこいつを背負え」
そう言って、桐生が指を指したのは清水だった。
「えっ、俺!?」みたいなことを口走り、少し睨んでやるとすぐに言うとおりにしだした。
なるほど。こいつは使い走りをしやすそうだ。
と、本人からすれば心外な評価を下しながら、桐生含め、全員が移動を始めた。
――もう、後方にいる巨大な化け物は、身じろぎ一つせず、絶命していることはそこにいる誰もが感じていた。
しかし、あまりにも被害が尋常でなかったことと、この出来事が一部の要因となって、この後に起きる結末を誰も――桐生でさえも予想することはできなかった。




