第二章 第三十九話 『無様な抵抗』
「分が悪い賭けだけど、ガソリンスタンドにあるガソリンに引火させて大爆発を起こさせるってのはどうだ?」
それは、出水と神田がリンドブルムと戦う意思を決めた後の話。具体的な撃退案を模索して、作戦を立てていた時のことだ。
リンドブルムからある程度の距離を離し、人気の少ない路地には人型のモルフもいない為、周りを気にすることなく話し合うことが出来ていた。
「それは……やる価値はあるとは思うが、随分と分が悪いな」
神田は、うろたえながらも出水と同じように意見した。
分が悪いという意味は、考えていることは同じなのだろう。
「言いたいことは分かってる。ミサイルで死なないような奴が、たかだか爆発程度で死ぬような奴じゃないってことだろ?」
「――――」
出水は、神田の言いたいことを代弁するようにそう話した。
リンドブルムに対して、致命傷を与える意味での有効打にならないことは分かっていた。
あの甲皮はそれほどに硬く、仮に破壊できたとしても再生されて元の木阿弥だ。
「だから、そこを狙うのが本命かな」
「? どういうことだ?」
「リンドブルムの弱点がどこなのかはまだ分からない。ただ、モルフと同じなら、恐らく人間と同様で頭が弱点になると思うんだ。再生しきる前に、完全にそこを破壊することができれば、あるいは……」
「……だが、仮にガソリンスタンドの引火爆発を起こしたとしても、実際に頭部の甲皮を破壊できるかは分からないぞ。それこそ、失敗すれば俺達はあいつの餌行き確定だ」
「――――」
神田の言うとおりだ。
ガソリンスタンドの引火爆発を起こしても、狙い通りにいくかどうかは怪しい。
分が悪い賭けとは、正にこのことを言っているようなものだった。
「……リンドブルムは、猫背だ」
「は?」
「あいつは、移動する時、必ず頭を下げて移動する。さっきの突進も、奴は頭を下げていた」
「いや、待て……それは」
「どうせなら、そういう希望的観測を持ってやろうぜ。お互い、覚悟を持って戦うんだ。何が失敗の要因になるか分からない。……だから、やろう」
最後だけは強く、出水は神田の目を見てそう言った。
所詮、出水達にできることなど、せいぜい足掻くことぐらいだ。
百パーセント、確実にリンドブルムを倒すことができる案など、たった二人の人間に思いつく筈もない。
だから、可能性の薄い方法でも、死ぬ気でやり抜くほかにないのだ。
「……そうだな。お前の、言うとおりだ」
目を瞑り、薄らと微笑を浮かべた神田は、出水の意見に賛成した。
それを見た出水も同じように微笑を浮かべ、すぐに真剣な表情に戻すと、話を戻した。
「それじゃ、上手くいった時の順序について話すぞ。具体的なやり方は俺がリンドブルムを引き付けて――」
それから、出水と神田はリンドブルム撃退の策を練っていた。
あまりにも勝算が低い。それでもこれ以上の死者を出さない為に、二人は死にもの狂いで立ち向かうことを決めた。
△▼△▼△▼△▼
リンドブルムは生きていた。
あれほどの大爆発を引き起こしても、奴は死なない。
――だが、それは想定内であった。
視界にリンドブルムが入った時、出水はその頭部をすぐに目視した。
リンドブルムは、片方の面の部分の甲皮が破壊され、肉面が見える状態となっていたのだ。
「今だ……神田! やるぞ!!」
近くにいる神田に合図をかけ、出水も迷わず手持ちのサブマシンガンの銃口をリンドブルムへと向ける。
そして、リンドブルムの剥き出しになった頭部へと射撃を開始した。
「――――ッッ!!」
今までにないほどの悲鳴を上げて、リンドブルムは苦しむ。
それは、攻撃が効いているという証明だった。
手ごたえを感じた出水は、全弾を使う勢いで射撃を止めない。
少しすると、神田も離れた位置から射撃を開始。出水と同様に、剥き出しの頭部へと撃ち込み始めた。
「――ッッ!!」
もがき、苦しむようにリンドブルムは暴れる。
それを気にせず、出水も神田も射撃の手を止めなかった。
ここで仕留め切れなければ、全てが終わるからだ。再生をしきれない今だからこそ、今までの作戦が活きることがわかっていた。
「おおおおおおおおっ!!」
雄たけびを上げ、この瞬間に全てを賭けて、リンドブルムへと猛追をかける。
このまま頭部を完全に破壊すれば、リンドブルムは死ぬ。
――いける。
そう考えた瞬間だった。
「ぶっ――」
肺の中の空気が押し出され、強烈な衝撃が身に降りかかる。
尾を振り回したリンドブルムの抵抗に、出水は直撃して後方へと吹っ飛ばされたのだ。
「出水ぃぃぃっ!!」
地面を何度も打ち付けられ、倒れ伏した状態で、出水は射撃の音が止むのが聞こえた。
――やめろ。止まるな。
そう考えて、声に出そうとしても声がでない。
全身を打ち付けて、鈍い痛みが駆け巡る。
薄く開けた視界に、神田が近づくのが見えた。
――ダメだ。今、リンドブルムを仕留めないと。
こっちに構うなと、声が出せなければジェスチャーをしようとしても、体は動かない。
というより、痛みでそれどころではない。
なんとか体を動かそうとしたが、その前に口の奥から熱いモノがこみ上げ、溢れる。
それを吐き出して、何がでたのか、ぼやける意識の中で見ていた。
今日の朝食? 違う。これは血だ。
色がついたそれは、真っ赤な色をしていて綺麗だった。
「っ! ごぼっ!」
咳き込み、先ほどよりも大量の血が喉の奥から吐き出される。
――これはヤバイ。
そう感じたのは間違いではない。
意識をギリギリ保っているのは彼の意思の強さ故だった。
このまま意識を失えば、窒息死は免れなかっただろう。
何度も咳き込み、それでも動かない体を呪いたくなる。
血が口の中を埋めるような感覚、そうは味わえるものではない。
鉄のような味が舌から味覚で感じ取られ、出水は考えていた。
自分はまだ生きているのだと。
「出水! おい、出水!!」
背中に手をかけられ、すぐ目の前で誰かが自分の名前を呼んでいた。
神田だ。神田は生きているのだと、そう理解することができた。
「くっ! 撤退するぞ! もう十分だ!」
薄く開けた視界から、苦悶の表情を浮かべた神田がいる。
出水はそこで直前の記憶を思い出した。
自分はリンドブルムの尾に直撃して、今の状態になっているのだということを。
「――ッ!」
「出水?」
「――ていけ」
必死で、最後に伝えようと口を動かす。
それを聞き取ろうと、神田も耳を寄せてきていたが、口内に溜まる血のせいで上手く話せない。
それでも、溜まる血を吐き出しながら、出水は伝えた。
「俺を……置いていけ。に……げろ」
「……ふざけるな。その頼みを聞けるわけがないだろう」
真剣な顔で、神田は出水の肩を持って、この場から離脱しようとする。
だが、無理だ。
後ろから、リンドブルムが迫る足音が聞こえてきている。
このまま逃げようとして、二人が助かることはまずありえない。
だから、神田だけでもと、それを伝えても彼はそんなことはしない。
「死ぬ時は一緒だ。作戦を決める前に、そう言っただろ」
「……へっ」
思わず、笑いがこみ上げてきた。
そういえば、そんなことを話していたような気がする。
そんなこと、言わなければ良かったとそう思った。
これ以上、死者を増やさない為に、出水は戦おうとした。
だから、その中には当然、神田も含まれていて――、
「生きる理由を取り戻したんだろ? だったら、お前はこんなところで死ぬ奴じゃない筈だ」
「――――」
その言葉を聞いて、意識が鮮明になろうとした。
なぜかは分からないが、今まで入らなかった手に力が入る。
「出水?」
「そう……だな。その、通りだ」
たとえ何があろうと生きる希望を失わない。
そんなことは、ずっと前から決めていたことだった。
「――――」
足音が、もうすぐ後ろまで聞こえてきて、リンドブルムがそこにいることを察することができた。
たとえここで死ぬことになろうと、最後まで諦めることだけは許してはならない。
そう考えていた出水は、顔をゆっくり上げて、
「由依、俺は諦めないぞ」
視界に入らない後方、リンドブルムが出水達へと向けて鋭い爪を振り上げた直後だった。
多方向から一斉に、銃声音が鳴り響いた。
「っ! なんだ!?」
神田の驚く声を聞いて、出水も同様に何が起きたのか、周りを見渡した。
そこには、出水達とは違う隊服、自衛隊員達の姿がそこにあったのだ。
「撃て! 撃て! 生存者を救出しろ! 躊躇うなよ。ありったけの銃弾をくれてやれ!」
「了解!!」
声を聞いて、後方からの悲鳴でどうなっているのかを理解することができた。
リンドブルムはこちらへと攻撃を仕掛けてこず、銃弾を受けて怯んでいたのだ。
「出水! 動くぞ! ここは危ない!」
神田の声を聞いてから、すぐさま移動を始める。
速度はかなり遅いが、それでもゆっくりとリンドブルムの射程から逃れるようにして、その場から離れていっていた。
「キミ達、大丈夫か!?」
一人の男がこちらへと駆け寄って、出水の容態の悪さをすぐに感じ取ったのか、肩を貸してくれた。
「もう大丈夫だ。あいつは俺達がなんとかする。今は一時避難をするぞ」
「だ、めだ。あ、いつは……」
「どうした? あまり喋るな。どう考えてもキミは重傷なんだぞ」
男の言うとおり、出水の容態は決して良いとは言えない。
下手をすると、内臓を損傷しているのかもしれないが、恐らくそうだろう。
このままでは命に関わる状態であることは、誰の目から見ても明らかであった。
だが、出水はこの後に起きうる最悪の事態を必死で伝えようとする。
「あの化け物から、離れろ……全員、死ぬぞ」
「なに?」
その言葉を発した直後だった。
後方からリンドブルムではない、断末魔のような叫び声を聞いて、自衛隊の男と神田は顔だけを後ろに向けて見た。
出水も顔を少し横に向けて、視線だけを後ろに向けて状況を確認した。
「や、やめろ! 誰か! 助けッ!」
「ぎゃぁぁぁあぁ! 痛い痛い痛い! やめてぇぇぇ!」
それは、もはや惨状と化していた。
リンドブルムに掴まれて、その鋭い爪で引き裂かれる自衛隊員。または、握りつぶされる者もそこにはいた。
なんとか応戦しようと銃撃を浴びせるが、それでも止まらない。
近くにいた隊員はそのままリンドブルムに掴み取られて、その鋭い牙で胴体から噛み千切られていた。
「そんな……なんなのだ。あれは……」
信じられないような化け物を見る目で、男はそう呟いた。
それはそうだろう。
実際に戦ってみて、よく分かる。
あんな化け物、どんな装備をした人間が立ち向かったとしても勝てるわけがない。
出水は、歯を食いしばる思いでその光景を見ていた。
数が減っていく自衛隊員を見て、やりきれない思いがこみ上げてきたのだ。
「頼む……これ以上、死なせない為にも、早く離脱させるんだ……」
これ以上、リンドブルムとやりあっても意味がない。
再生はまだしきってはいないが、それでもあの状態から撃退は無理に等しい。
中距離武器であるサブマシンガンも、射程が遠すぎれば命中率は下がる。
射程が届く位置に構えても、リンドブルムの攻撃を避けることは困難だ。
死を前提に戦わなければ、倒せるようなものではないのだ。
その意味で、これ以上は無意味だと出水は告げたつもりだったが、自衛隊の男はそこで立ち止まると神田へと顔を向けて言った。
「キミ、あとは任せられるか?」
「ああ。大丈夫だが、あんたは?」
神田の問いに、男は出水を神田へ預けると持っていた銃を握った。
「私も戦うに決まっているだろう? 我々は日本国陸上自衛隊、国民を守るのが、我々の責務なのだから」
その言葉を聞いて、出水は目を見開いた。
一体何を言っているのか、先ほどの話を聞いていなかったのかと思われたが、それは違う。
「君の言うとおり、あれは私たちでもどうしようもないだろう。だが、それでも私たちはやる。それが、この仕事に就いた意味であり、戦う理由だ。国民を守れて死ねるなら本望だよ」
「ま、て……ダメだ!」
声を大きくして、出水は制止の声をかける。
だが、彼は止まらない。
名も知らぬ自衛隊の男は、出水と神田が持っていた同じ型のサブマシンガンを握り締め、リンドブルムがいる方へと歩んでいく。
「キミ達が何者か、そんなことは聞かない。少なくとも悪人でないことは話を聞いていただけで分かるからね。だから、後のことは任せる。日本の行く末を、キミ達若者が引っ張ってくれよ」
「ま、待て……」
そんな事を言って、男は銃撃を開始した。
出水が止めようとしても、神田がそうはさせなかった。
これ以上、出水をこのままにするのは危険だと判断したのだろう。
無情にも、力が入らない出水は、されるがままその場から離脱させられざるを得なくなってしまった。
「どうして……」
気づけば、出水の顔は涙で濡らしていた。
自分のために、そこまでする自衛隊員の心が理解できなかったのだ。
「そんなに死に急いで、何の意味が……」
「あの人の思いを、無駄にするな。出水」
強い口調で、神田が出水の言葉を遮った。
「あの人は、お前だけの為に動いているんじゃない。この国に住んでいる人達の為に、命を賭けることを選んだんだ。そして、それは俺達がしてきたことと同じだ」
「俺達がしてきたこと?」
神田の言っていることが分からない。
それを考える間もなく、神田はこう答えた。
「俺もお前も、誰かを守る為にこうして戦ってきたんだ。だから、同じようにして戦うあの人の思いを無碍にしない為にも、俺達は絶対に生き残らないとダメだ」
「でも、このままじゃリンドブルムに……」
――殺される。
それは、そう言おうとした時だった。
後ろから、大きな地響きが聞こえ、リンドブルムが何かを踏みつけた衝撃音が聞こえた。
――それだけで、後ろで何が起きたのかを二人とも理解した。
射撃音が止み、もう助けにきた自衛隊員は一人も残っていない。
幸いに、出水達はリンドブルムから距離をかなり離したこともあって、リンドブルムが追いかけてくる様子はなかった。
「――っ! クソッ!! どうしたらいいんだ。どうしたら……」
もう、リンドブルムをここで倒す方法はない。
絶望的な状況の中、出水達にできることはもう残っていない。
ただただ見ていることしかできない現状、この場から離脱する他に何も残っていないのだ。
そうなれば当然、リンドブルムも生きた人間を探しにいくに決まっている。
何の罪もない人々が、死の恐怖に怯えながらいることになるのを想像するだけで、胸が詰まる思いだった。
出水は、何もできない自分に腹立たしさを覚えながら、神田に運ばれていく。
その時であった。
静けさを保った様相の中で、銃撃音とは違う、初めて聞く音が聞こえ、二人は振り向いた。
そこには一本のワイヤーのようなものがあり、それはリンドブルムの顎の部分に刺さっていた。
リンドブルムの遥か後方。その空中に一人の人間がいた。
それは、出水達の知る男だった。
一本の剣を持ち、空中からリンドブルムへと一直線に突っ込むようにして、白兵戦最強の男と名高いあの男が奇襲をかけにきていた。
第二章も大詰めです。次話はあの男とリンドブルムの決戦になります。
次話、2月3日19時投稿予定です。




