第二章 第三十六話 『迫り来る恐怖』
「――ん、んん」
ガタゴトと揺れる荷台の上で、一人の女の子が目を覚そうとしていた。
体がやけに怠く感じて、頭痛も酷い。
なぜ、自分がここで寝ていたのか、意識を失う前の記憶が定かではなかった。
「椎名! 起きたか」
すぐ近くから、聞き覚えのあるそれでいて懐かしい声が聞こえた。
ずっと、離れ離れになっていた彼の声だ。
「修二……?」
「良かった。やっと起きてくれたか。車の揺れで背中が痛いだろうけど、少し我慢しててくれ」
「ここは……何があったの?」
「今、安全な場所へと移動している最中だ。安心していい。もう大丈夫だからな」
修二はそう言って安心させる為か、椎名の身を抱き寄せた。
優しく、以前とは全く違う姿をした彼を見た椎名は、それが月日が経っているものだと理解した。
「記憶が少しぼんやりとしてて……私は、確か――」
知らない人達に連れていかれた。
それが、椎名にとって良くない人達だということまではなんとなく分かってはいた。
それから、何があったのかは薄ぼんやりとしか覚えていない。
ただ、ひたすらに怖かったということだけは覚えていた。
「あなたは誘拐されていたのよ、椎名ちゃん。それをあなたの馴染みの友人が助けて、今ここにいるの」
椎名の疑問の答えを、同じく車の荷台に乗っていた大人っぽい女性が答えた。
何者なのかはまるで分からないが、味方であることだけはなんとなく理解できた。
そのことを知った椎名は、せめて感謝の言葉を伝えなくてはと、修二へと顔を向ける。
「そう……ですか。修二、ありがとう。また、助けられちゃったね」
「当たり前だろ。それに、言ったじゃないか。何があっても守るってさ」
「あっ――」
修二の言葉に、椎名の頭の中で記憶が掘り起こされる。
それは、先ほどまでの記憶、修二が助けに来てくれた時のものだった。
その時、彼が掛けてくれた言葉は、薄ぼんやりとした意識だったが、ハッキリと覚えていた。
『お前は死なない。俺がずっと側で守り続けてやるから』
脳内に掘り起こされる鮮明な記憶を今、思い出して、椎名は頬を赤く染めた。
「ん、どうした?」
「う、ううん。なんでもない」
この感情は何なのだろうか?
久しく出会えた嬉しさ、とは違うような気がする。
良くわからない感情に胸が締まり、椎名は今の自分の表情を悟られないようにしと下を向いていた。
「お、おい。まだどこか痛むのか? やっぱりあの傷の痛みがまだ残って――」
「ち、違うの。何でもない。修二、少しだけ私の手、握っててくれるかな?」
「お、おう。大丈夫だけど……」
差し出した右手を、修二は優しく握ってくれた。
男らしい手ではあるが、その硬さは修二が一生懸命頑張り――訓練してきた証拠であることは今の椎名には気づくはずもなかった。
そんな様子を、傍らに座っていた女性はニヤニヤしながら顎に両手をつけて見ていた。
「……なんですか? アリスさん」
「いやいや、お熱いねえって。本当にあなた達ってただの友人なの?」
「幼馴染ですからね。それに、お互い積もる話は多いんです」
何のことか良く分かっていない修二の返答に、「そう」と詰まらなさそうに短く頷くと、その女性は真剣な表情に戻り、
「それじゃあ、話を整理させましょうか。椎名ちゃんも色々混乱していると思うし」
そう言って、アリスと呼ばれる女性は現状が理解できない椎名へと向けて、これまでの詳細を説明しようとした。
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話は、数分もかからなかった。
あらすじのように今、日本国内で起こっていること、椎名がなぜ連れ去られたのかなどをアリスは丁寧に説明してくれた。
それを聞いていた椎名の表情は徐々に曇り始めて、その心情を吐露するように小さく呟いた。
「じゃあ、私のせいで……」
「違う!」
椎名のその自責の声を聞いた修二は、否定するように腕を振った。
「悪いのは椎名を連れ去った奴らだ。そもそも、椎名は被害者なんだから悪いなんてことは微塵もないんだよ。そうだ……あいつらが――」
何の罪もない椎名を連れ去り、それを何の目的で利用しようとしたのか、それを考えただけでも、修二の中で怒りがこみ上げてくる。
その全ての元凶を辿れば、椎名を感染させた世良がそうなのだが、元は同じ組織のはずだ。
『フォルス』も、未だ謎に包まれている元凶の組織も、いつかは叩き潰さないといけない敵なのだ。
それを頭に入れた修二は、いつか倒してやると拳を強く握る。
「修二君の言うとおりよ。椎名ちゃんは何も悪くない。あなたの『レベル5モルフ』の力を欲しがっていただけなのだからね」
「『レベル5モルフ』ですか……」
椎名は、自身の感染段階の事を口に出されて俯いた。
椎名が特別であることは誰の目から見ても明らかだった。
特に、修二はその瞬間に立ち会ったようなものであり、あの傷口が再生するところを実際に見て、『レベル5モルフ』の異常性を認識できていた。
「再生力も尋常じゃなかった。世良のように、身体能力まで上がっているのかは分からないけど……」
「桐生さんに聞いたところの話だけど、椎名ちゃん、身体能力自体は人並みだったらしいわ。その代わり、再生能力に特化しているらしくて、ちょっとの傷でも一分も掛からない内に治るって聞いたわ」
「再生能力に特化、か」
その異常性も気になったが、修二には一つだけ気がかりがあった。
それは、その異常性が自身の身にも起きているかもしれないということだった。
「あの、少しだけいいですか?」
「あら、どうしたの?」
話を切り出した修二に対し、アリスは怪訝な顔つきで修二に応じる。
正直、このことを話すべきかは躊躇ってもいた。
だが、いずれは話さねば、いつまでたっても分からず終いであることは事実でもあるので、修二は落ち着いてゆっくりと語り出した。
「実は……今回、椎名を助け出せた時の過程にまつわる話なんですが、多分信じられないって仰るかと思います。それでも聞いていただけますか?」
今から話すことは、鼻で笑われてもおかしくない内容だ。
だから、前置きしておいて話しておこうと考えた修二だったが、アリスはそんな修二の前確認に対して首を傾げると、
「今更でしょう? 大事な話ならちゃんと聞くわ。どうしたの?」
「ありがとう……ございます」
何一つ疑心を持たないまま、アリスは修二の話を聞くと言ってくれた。
そのことに安堵した修二は、ありのままを伝えようとした。
あのビルで起きたこと。修二の身に降りかかった謎の異常性についてだ。
「アリスさんと別行動をとってから、俺は屋上へと進んでいました。そこで、屋上で殺された暗器武器を扱う男、クラウスと一度戦ったんです。なんとか追い込めるところまでやれたんですが、その後、俺は後ろからエルーと名乗る女性に不意打ちを食らって、背中から何度も銃弾を受けたんです」
「――――」
簡潔に説明するように、起きたことを順序よく修二は話した。
そして、一番大事な部分を話そうと、一拍だけ間を置いて、
「俺は、死んだはずなんです。何度も……何度も銃弾を撃ち込まれて、自分が死にゆく感覚をしっかりと感じていました。それなのに……俺は、なぜか生きていたんです!」
両手を見て、自分の体が本当に自分のものなのかを疑うほどに手を震わせながら、修二はあのビルで自身の身に起きたことを伝えた。
なぜ、そんなことが起きたのか誰かに教えてほしいと考えながらも、それを聞いていたアリスも椎名も訳のわからない様子だった。
当然だろう。急にそんな話を切り出されて、冷静に分析できる方がおかしい話だ。
「修二君。そのこと、もっと詳しく教えなさい。つまり、あなたは致命傷を負ったにも関わらず、何事も無かったように生きていたと?」
「はい……意識が戻った時、背中の傷もクラウスから受けた傷も全て治っていました。俺が知る限り、この現象に心当たりは一つしかありません」
「まさか、修二も『レベル5モルフ』になったの……?」
恐る恐る聞くように、椎名がそう尋ねた。
しかし、そんな椎名の問いに、修二は黙って首を振ると、
「俺は、自分が感染した記憶がまるで無いんだ。一度も噛まれたりしたわけでもない。どっかから傷口に感染とかしたなら、意識が飛ぶような感覚になっていてもおかしくないはずなのに、それもない。本当に分からないんだ……」
「――――」
修二の乾いた告白に、他の誰も何も答えようとはしなかった。
修二と同じで、その現象が起こりえた理由が分からなかったのだ。
自身が『レベル5モルフ』である可能性があること。
それ自体を否定する材料も、現状はまるでない。
だが、肯定できる証拠がまるでないことが余計に不安を募らせていた。
「修二君、一つだけ聞くわ。あなたは同じような現象を今までに一度も起きたりはしなかった? 死ぬような思いじゃなくても、何か傷を負ったりとかして」
アリスの質問に、修二はこれまでの記憶を思い返す。
正確に言えば、御影島から今日に至るまでの期間の中でだ。
その中で、彼は一つだけ、たった一つだけだが、確かにあった。
今回の件と同じような、ありえない現象があったことを。
「一度、だけあります。誰にも話していないことですが、一つだけ」
「それはいつ?」
アリスから投げかけられる疑問に答えながら、修二はその瞬間のことを話した。
「御影島で、世良と対峙した時のことです」
「――――っ」
椎名だけが、世良の名前を聞いて反応したのか驚くように修二の方を見ていた。
あの時、あの場所で椎名も同じように世良と対峙し、あまつさえ世良の手により、モルフのウイルスに感染させられるという事態にまで発展してしまったことは、お互いに分かっていることだ。
友人だったと思っていた者が裏切り者だったなんて、当時の椎名からすれば、傷ついたなんてものじゃ済まなかったはずである。
「世良って、確か御影島でモルフのウイルスを使って実験しようとした首謀者の名前のことよね? 椎名ちゃんがモルフのウイルスの入った注射薬を打たれて昏倒したとこまでは聞いていたけど、修二君は何があったの?」
アリスが、当時の状況を聞き伝いに説明しようとするが、一部に誤解があった。
修二は、確かに世良との一連の流れは伝えてはいたが、正確な情報は伏せていたのだ。
それは、修二が致命傷ともいうべき傷を負ったことの話であり、治ることはありえない非現実な内容だった。
「俺は……世良に右目を抉られて、ナイフで首を掻っ切られたんです。右目は確実に失明していましたし、首にいたっては頚動脈ごと切られたはずでした。でも、意識を失ってから、戻った時にはその傷が無かったことのようになっていたんです。あの痛みが夢だなんてことは、ありえないはずなのに……」
「――死ぬはずだったのに、生きていた……そういうことね?」
アリスの要点だけの問いに、修二は小さく頷く。
それは、アリスも聞き流せない内容だったようで、深く何かを考え込んでいた。
修二自身も、説明の中にあった、当時の状況をもう一度思い浮かべようとした。
あの時に起きたことは至極単純だ。
世良は修二に対し、目に見えない速度で右目を切り上げた。
右目を失った修二は、リクと世良が一対一で戦闘を繰り広げている時、椎名の側に落ちていた拳銃を拾いにいった。そして、拾うことに集中していた修二は、世良から受けたスペツナズナイフの奇襲により、首にナイフの刃が刺さったのだ。
右目が焼け付くようなあの激痛も、首を掻っ切られた時に呼吸ができなくなって体内から血が溢れ出すあの感覚も、全てが記憶に鮮明に残っていた。
あれが夢などと、ありうるはずがなかったのだ。
――そして、修二は意識が遠のく僅かな瞬間に、手に触れたことを思い出す。
「――あれ?」
なぜ、今それを思い出したのか、忘れていた記憶が修二の中で鮮明になっていた。
あの時、死にゆく感覚を身に感じながら、修二は誰かの手に触れた。
その手が誰の手なのか、その近くにいたのはたった一人しかいない。
「――あれは、椎名の手だ」
「え?」
「椎名、御影島で世良に昏倒させられた時、意識を取り戻した時がなかったか? 誰かの手を……握ったりしなかったか?」
「――ううん。私が目覚めたのは、もうあの島から離れてからのことだった。だから……よく覚えていないの。それがどうしたの?」
意識が完全になくなっていたのか、椎名は覚えていないとそう答えた。
そもそも、手を握っていたからなんなのかということは修二自身も考えてはいたが、何かが引っかかっていた。
そう、椎名は世良にモルフのウイルスを投与された。
そして、世良は椎名が『レベル5モルフ』になれると言っていた。
その通りに、椎名は『レベル5モルフ』となってしまった。
では、どのタイミングで椎名は『レベル5モルフ』になっていたのか?
その時、修二の頭の中である記憶が掘り起こされた。
『椎名ちゃんの再生能力は他者にも有効らしいのよ。でも、治すことはできても感染させちゃうらしいのだけどね』
ふと、アリスとバイクに乗って椎名を助けに向かう途中で、そんなことを聞いたのを思い出した。
「まさか……」
点と点が繋がるような、忙しない感覚に身を襲われる。
修二の身に起こっている違和感。その原因が推測でしかないまでも、ある一つの仮説が立てられることが確かにあった。
それを直ぐに伝えようと、修二はアリスへと向き直ろうとしたが、
「アリスさん、もしかするとなんですが――」
それを伝えることはできなかった。
修二達が走る車の後方、ちょうど交差点になるところで轟音が鳴り響いたからだ。
「――っ! なんだ!?」
全員が音の鳴った方向を見て、その脅威を目の当たりにした修二達は絶句した。
とてつもなく大きな二足歩行の化け物が、車を吹き飛ばし、修二達へと向けて走り出してきていたのだ。
「なんだよあれはっ!?」
何と形容すればいいのかすら難しかった。
かろうじて例えることができるならば、それは恐竜のような姿であった。
映画で見るようなそれは、ティラノサウルスのような風体だともいえる。
だが、全身の皮膚は剥がれ落ち、赤黒い血と肉を振り撒きながらこちらへと向かってくるそれは、もはや生き物とは思えなかったのだ。
「ヤバい! どんどん近づいてきてる!」
「高尾! もっとアクセルを踏みなさい!」
「クソッ! なんなんだよあれは!?」
全員がそれぞれに焦るようにして、迫り来る恐怖に叫んでいた。
よく見ると、その化け物の顔の辺りには、大小様々な目があり、こちらをしっかりと凝視して狙いを定めていたのだ。
「アリスさん! 椎名をお願いします!」
「っ! わかったわ!」
修二の指示に即座に従うアリスに対し、修二は荷台に置いていたサブマシンガンを手に取ってその銃口を向ける。
もう目の前まで近づいてきているその化け物の複数の目に狙いを定めて、修二は発砲を開始した。
「うおおおおお!!」
「――――ッ!!」
至近距離まで迫った化け物の眼を、修二はいとも簡単に撃ち抜いた。
絶叫が化け物から鳴り響き、思わず耳を閉じたくなるが、そうは言っていられない。
苦痛に喘ぎ、化け物は修二達の乗る車から距離が空く。
「今よ! 高尾、そこの道を曲がって!」
「う、おらぁ!」
アリスの指示に従い、高尾はハンドルを大きく回して、交差点の道を曲がる。
遠心力に振り回されそうになりながらも、修二達は荷台の取手に掴まって、なんとか振り落とされることを回避した。
そのまま、反対車線の道を全速力で駆け抜け、それに追随するように化け物はまだこちらへと向かって追いかけてきていた。
「アリスさん、マズイです。もう弾があまり残っていません。あと残っているのはストック一個分のサブマシンガンだけです!」
「あれが接近して来た時に使いなさい! 眼を撃ち抜けば、まだ時間は稼げるわ!」
「でも、これじゃジリ貧ですよ!?」
「それは今から考える! ちょっと黙ってなさい!」
対案が無い中で、修二は切迫する状況に唇を噛み締める。
なぜ、唐突にあんなものが現れたのか、まるで意味が分からなかったのだ。
あの化け物はまるで、修二達だけを追いかけて来ているかのようにも見えた。
あんなものが街中に最初からいたとは考えずらく、修二はその化け物の全身を凝視すると、ちょうどタイミングよく化け物がその口を大きく開く。
「っ!」
咆哮を上げるのかと思った修二は耳を塞ごうとした。
間もなく発せられる咆哮の瞬間、修二は見た。
その化け物の口の中にあった異物を。
「アベル……?」
瞬間、化け物から咆哮が発せられ、鼓膜が破れかねないほどの轟音が周囲に鳴り響く。
思わず車体が傾き、何事か運転席にいる高尾を見た。
恐らく、あの咆哮に耳をやられたのだろう。
両手をハンドルに使う以上、耳を塞ぐ術がなかったのだ。
「高尾! しっかりしなさい! あなたが倒れたら人類史上最悪の死に方するわよ!」
「う、るせぇ……わかってる!」
どうやら完全に聴こえていないわけではなく、アリスの励ましには返答を返せていた。
そのことにひとまず安堵した修二であったが、それよりも勝る現実離れした事実に息を呑んでいた。
――あれは、アベルだ。
あの化け物が口を大きく開いた瞬間、修二には見えていた。
血に塗れたアベルが、こちらを見ていたのを。
「あの野郎……俺達を殺しにきやがったのかっ!」
「どういうこと?」
修二の様子に疑問を抱いたアリスが、何事か尋ねた。
「あれは、屋上で薬を打たれた『フォルス』のボス、アベルという名前の奴です。あいつは、俺達を追いかけてきたんだ……っ!」
「あれが……? じゃあ、さっき周りのモルフを自分の体の中に引き摺り込んだのは……」
「あの姿に変異する為、でしょう。間違いなくあれはモルフに感染しています。でも、あんなのは見たことがない!」
どうなればああなるのか、修二の持つ知識では理解することができなかった。
『レベル3モルフ』でさえも、人間を殺す為にその体を大きく変異させることはあるが、あれほどの質量に変異するのは、明らかに異常を超えた更に異常な現象だった。
「でも、なんで意思を持ってこっちに襲いかかってきてるの? モルフに感染したなら、死んだはずでしょう?」
「多分、ギリギリ生きています。あれは世良が言っていた例外中の例外。『レベル5モルフ』のなりそこないのはずです」
「あれが……」
あれが意思を持って修二達を殺しにきているのならば、そうとしか考えられなかった。
生きた状態でモルフの力を行使することができる者。それが『レベル5モルフ』だ。
逆に、モルフのウイルスの支配に負けて、命だけはギリギリ残った状態で、通常の感染段階を辿る者達は『レベル5モルフ』のなりそこないと呼ばれる。
かつて、修二は御影島で同じようになったクラスメイトを目の当たりにしたが、今回のは明らかにスケールが違いすぎていた。
その状態になれば当然、生き地獄のような痛みに苦しむのだが、もはやあの姿から感じられる痛みは想像すらつかない。
それでも尚、修二達へと向けて追いかけてきているというのは、執念といっても過言ではないだろう。
あれほどの距離を離しておきながら、あえて修二達を狙って追いかけてくるのがその証拠だった。
先ほどよりもスピードは遅いが、それでもアベルは僅かながら徐々に近づきつつあった。
「クソッ! どうしたら!」
「高尾、この先を真っ直ぐ進んだ先に山道があるわ。そこまで突っ切りなさい」
「そんなところでどうするんだよ!?」
「決まってるでしょ? あの化け物を倒すのよ」
「はぁっ? 正気か!?」
「黙って言う通りにしなさい! 一分一秒が惜しいわ!」
「――クソッ!」
愚痴を零しながら、高尾はアクセルを全開で道路を駆け抜ける。
その速度に追いつこうとしているのがあのアベルでもあるのだが、それでも振り切ることは困難となっていた。
「アリスさん、何か案があるんですか?」
「一つだけ、思い出してね。あなたはアベルの足を少しでも止めることに集中しなさい。その時に話すわ」
「――分かりました」
修二はそれ以上は追求せず、未だこちらへと迫りつつあるアベルへと目を向ける。
対案があるというのならば、修二は全力でアベルを足止めするのみだ。
そうしていると、椎名が心配そうな顔で修二を見つめていた。
「修二……」
「椎名、危ないから身を乗り出したりしないでくれよ。安心しろ、こんな困難、何度も潜り抜けてきたんだ。今回もなんとかしてやるさ」
「――うん」
それ以上は、椎名も何も言わなかった。
信じると、そう暗に言っているのだということを、修二も理解したのだ。
本当は怖い。
あれほどの巨大な怪物を前にして、修二は震える手を誤魔化そうと必死だ。
でも、今回は違う。
椎名がそばにいること。それだけで修二は自信が湧き上がる。
守る対象がすぐそばにいることが修二を挫けさせない要因となっていたのだ。
「さて、どうしても俺達を殺したいらしいな、アベル」
修二は、聞こえているかどうかも分からないアベルへと向けて、そう言った。
今もアベルは、その全身から赤黒い血肉を振り撒きながら、必死に修二達へと迫ろうとしている。
「人間を辞めたお前に、俺達は負けない。人間の恐ろしさってものを、教えてやる」
なぜ、修二は世良に目を抉られ、首を掻っ切られたのにも関わらず、生きていたのか。
なぜ、エルレインに背中から何度も銃弾を受けたにも関わらず、死ななかったのか。
そして、『レベル5モルフ』になる為の条件とは何なのか。
次話、1月31日19時投稿予定です。




