第二章 第三十話 『アリスVSノア』
その武器は、1900年代初頭、フランスのとある悪名集団が使用したとされる特殊武器だ。
見た目はかなりコンパクトであり、リボルバーがついた先端には弾丸を射出する為の小さな銃口がある。その下には細く短いダガーが取り付けられていた。
持ち手はナックルダスターと呼ばれる近接格闘に用いられる鉄製の武器があり、それぞれが合体するような作りとなっていた。
近中距離武器としての特性があり、その役割から名称は『アパッチリボルバー』と呼ばれていた。
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複数一体化したその武器を向けられたアリスは、その先端部分の小さな銃口の先から逃れるように横へと飛ぶ。
ノアが引き金を引いた瞬間、アリスがいた場所へと銃弾が撃ち込まれていた。
「へぇ、銃身がないのに精度が良いわね。それだけ使い込んだからってことかしら?」
「ちぃっ!」
舌打ちし、ノアは逃げ回るアリスへと銃口を向ける。
対するアリスは接近こそしないまでも、持ち前の運動神経を活かして左右に飛び回ることで狙いから避けていた。
「――アパッチリボルバーね。随分と古臭い武器を使うじゃないの」
アリスは、その武器のことを深く知っていたわけではないが、聞いたことはあった。
あくまで噂程度の知識ではあるが、曰く、その武器は欠点が多数あるとされていた。
銃身が無いその銃は、精度と火力が非常に悪く、どれだけ頑張っても至近距離で当たれば良い方だとされていた。
それを精度良く狙えているのは持ち主の技量に関わっているのだろうが、アリスからすれば当たらない武器も同然であった。
リボルバーの形を見ても、装弾数は六発程度であり、弾切れの瞬間を狙えばこと足りるものである。
「――――」
視線は外さないよう、アリスは距離を離しつつノアの反応を見ていた。
感情的にさせて無駄撃ちをさせようというのがノアをけしかけた要因でもあったのだが、さすがに落ち着いていたようだ。
アリスがどれだけ撃たせられるフェイントを入れても、ノアは冷静に動きを見ているだけで何もしてこようとはしてこなかった。
「――さすがに、そこまで馬鹿じゃないか」
とはいえ、いくら珍妙な武器を使おうともアリスには脅威には感じなかった。
そもそも、あの武器が国の部隊に配備されていないのは、その欠陥性もあってのものだったからだ。
持ち運びとして便利な点は認めるが、収納してメリケンとして使用しても、リボルバーに詰めている弾丸が暴発する危険性がある。
それ故に、改めて製造されることはなかったのだが、重宝されるとするならばあくまで観賞用程度だ。
近接も遠距離も、アリスにとっては敵ではない。
後は、あのリボルバーに入っている弾丸をどうするか。それだけを考えてアリスは動きを止めずにエントランス内を駆け回る。
「それで? もう手札は無くなったのかしら?」
煽るようにノアへと尋ねてみると、彼は先ほどのように感情に振り回されるでもなく、冷静な面持ちで手に持つアパッチリボルバーの銃口を別の方へと向けた。
――その銃口の先を、アリスが倒したヤクザの一人へと向けて。
「なっ!? 待て、やめろ!」
高尾が手を伸ばしてやめるよう叫ぶが、ノアは笑みを浮かべて引き金を引く。
「がっ!」
ヤクザの男の首に弾丸が命中し、とめどなく血が溢れる。
なぜ、いきなりそのような暴挙に出たのか、アリスにはまるで分からなかった。
このエントランス内には二十数人程のヤクザが倒れ伏している。
たった一人殺したところで、形勢が変わることはありえない。
見せしめにしたって、アリスが動じるとノアは考えているのか。
そんなことはありえないのだが、その行動の意味は次のノアの言葉から分かることになる。
「さて、初めて使うけど、どんな感じかな」
独り言のようにノアはそう言い、撃った男の方を見ている。
ノアに撃たれた男は、最初は苦しむように足掻いていたが、次第に動かなくなり意識を失った様子だった。
しかし――、
「え?」
高尾が訝しむようにその様子を見ていて、変化が起きていた。
撃たれた男は、致命傷であるにもかかわらず地面に手をついて動き出したのだ。
「まさか――」
アリスが察したようにその異常な現象を見ていた。
――死んだ人間は生き返らない。
それは誰であっても同じ事で、例外があるとすれば唯一つだけだ。
「モルフ――」
アリスの推測通り、撃たれた男は虚ろな表情をしたまま立ち上がる。
ノアはそれを確認した後、距離を離し、その様子を見ていた。
「くくくく」
嫌らしく笑いながら、ノアはアパッチリボルバーの銃口を他に倒れているヤクザへと向ける。
目の前の事例を見れば、何をしようとしているのかアリスには一目瞭然であった。
そうして、残り四発分の弾丸を全て使い、四人の体に銃弾が撃ち込まれる。
「ノア! 何をするつもりだ! 俺達は何もしていないだろ!?」
「黙ってろよ、高尾。お前には面白いものを見せてやっているつもりだぜ? それに、こんな女一人に負けた時点で、お前らに命の保障なんてものは存在しないんだよ。せめて、撃たれなかっただけでも幸運に思うんだな」
あけすけにそう言って、ノアは手持ちのアパッチリボルバーに装填をし直そうとしている。
太もも横に掛けてあるケースから弾丸のストックを取り出したノアは、淡々と弾丸を装填しようとしたまま、モルフとなったヤクザ達を見る。
「ふーん、これが噂に聞いてたモルフって奴か。もっと歪なものを期待してたんだけどな」
「その弾に、ウイルスが入っているのね?」
「ん? ああ、そうだよ。正確には被弾と同時に内部から弾丸が炸裂。内部に仕込んだモルフのウイルスが体内に侵入するって寸法だ。当たれば死確定なわけだから、この武器の欠点も多少は補われているんだけどな」
だとすれば、アリスは先ほど避けた一発。腕や足等、致命傷にならない箇所に被弾していれば、死んでモルフになっていたということになる。
それも、避けたから良かったものの、もしも万が一があれば洒落にならない事実だ。
アリスへと何度も撃とうとしなかったのも、確実に当てるためだったということだろう。
「それで、そのモルフを使って私たちに襲わせるつもりなの?」
「おいおい、モルフのことを知っている割には知識薄なんだな。こいつらの特性が何だったか忘れたのか?」
「――――」
戯言や虚言を吐いているようには見えない。
だが、ノアの言わんとしていることがどういうことなのか、それはすぐに理解した。
互いに言葉を発し合う中、モルフとなったヤクザの男達は、ノアやアリスを標的にするわけでもなく、すぐ近くに倒れている男へと噛み付いたのだ。
「なっ――?」
「モルフは生きた人間を襲う。そして、それは連鎖的にどんどんと悪化していく」
ノアの言うとおりに、ノアに撃たれ、モルフになった者達は皆、付近に倒れている者達へと噛み付いていく。
そして、噛まれた者達は抵抗するまでもなく意識が途絶えていくように動かなくなった。
あと少しすれば、全員がモルフとなって被害が広がることになってしまうのだ。
その様子を見ていたアリスは、目を剥いてノアへと怒りをぶつけるように、
「あなた、何をやっているのか分かっているの!? そんなことをしたら、このアジトもタダじゃ済まなくなるのよ!」
「そんなことはどうでもいいね。どの道、もうあと少しでここから離脱するってボスから聞いているんだ。だったら、後はどうしようが俺の勝手だろ?」
身勝手な暴論を聞かされながらも、聞き捨てなら無いことをノアは言った。
あと少しでここから離脱する――。
それは、この建物を放棄して逃亡する他にない。
椎名真希が攫われた現状、足取りを失えば、一貫の終わりなのだ。
時間がないことを悟ったアリスは、身構えた体勢から脱力し、深く深呼吸をすると、
「一つ、聞くわ。あなた、椎名真希っていう女の子は知ってる? あなた達が攫った女の子よ」
「椎名真希? ……ああ、クラウスとエルレインが持って帰ってきたアレか。それがどうした?」
知らない風に、ノアは軽々しくそう答えたことを確認したアリスは、両の拳を強く握る。
怒り、ではない。それは、アリスにとって本当の意味での本気を出す為に集中しているのだ。
そうしながら、アリスは傍らにいる高尾へと顔を向けると、
「――高尾、っていったかしら。あなたはここから避難しなさい。もうじき、ここは地獄になるわ」
「ま、待て。俺の仲間がまだ……」
「もう無理よ。立ち上がった人達は皆、死んでる。他に倒れてる人ももう間に合わない。奴を倒さない限りね」
「なら、俺も――」
高尾が、アリスと共に戦おうとする意思を見ようとしたが、
「足手まといはいらないわ。もう、私も余裕が無いの。さっさと表へ行きなさい。できるなら、避難用の車を確保してくれると助かるわ」
酷く冷たい声色で、アリスはそう言い放った。
高尾と顔も合わせないまま、アリスはずっと正面だけを見続けている。
「っ――わかった」
ただならぬ雰囲気に圧倒されていた高尾は、そうせざるを得ないと感じたのか、了承して退避した。
その様子を見るまでもなく、アリスは武器も持たず、ただ正面にいるノアとモルフへと顔を向けたまま、
「一分」
ただ一言、それだけを告げて――、
瞬間、アリスは立っていた地面を蹴り、とてつもない速さで一直線にノアへと近づく。
「――っ!」
その初動からの動きに驚愕したノアは、装填したアパッチリボルバーを銃として使用するのではなく、メリケンサックもとい、ナックルダスターとして指に嵌め込み、アリスへと反撃しようとした。
「ふっ!」
拳の軌道を読んでいたアリスは、その攻撃から潜り抜けるようにノアの懐へと接近し、カウンターのように殴りかかろうとした。
「っ!」
しかし、ノアもアリスの攻撃を読んでいたようで、これをギリギリのところで顔だけを反らして避ける。
互いに組み合った状態となり、そのまま膠着状態にもつれ込むかと思われたが、
「いいのかよ。そんな悠長なことをしていて」
「――っ」
ノアの言っていることの意味は、アリス自身もよく分かっていた。
アリスの立ち位置、そこは劇的に相性が悪い。
それをすぐに証明するように、アリスの背後にはモルフとなった者達がアリスへと接近しつつあったのだ。
「はぁっ!」
両手を掴まれながらも、アリスは後ろを見ずに脚だけを後ろへと振り回して、すぐ後ろにいたモルフを吹き飛ばす。
見えていないにもかかわらず、ピンポイントでそれを当てたことに驚愕したような苦い表情をしたノアは、組み合った状態から後ろへと下がる。
「ちぃっ、化け物かよ。この女」
「――――」
まともに会話もせず、アリスは後退するノアへと追撃せんと一気に迫ろうとする。
しかし――、
「ナメるなよ、女」
寸前、笑みを浮かべてノアはもう一度、アパッチリボルバーをメリケンサックの持ち手に変えて殴ろうとした。
「――――」
アリスは、一度見た動きは二度と食らうことはない。
ギリギリのところで避けて、そのまま回し蹴りで相手の意識を断とうと考えて行動に移そうとしたが、そこで考えを変えた。
ノアが、不敵な笑みを浮かべ続けていたことに違和感を感じたのだ。
「っ!?」
拳の軌道から外側へと避けるようにした直後、ノアは握った拳を開いて、アパッチリボルバーをナイフへと変形させた。
ちょうど、装着された刃物が逆手持ちになるように。
「死ねぇっ!」
ギリギリに避けようとしたことが仇となったように、ノアの狙い通り、刃物の軌道上にアリスはいる。
ナイフへと変形したそれが、アリスの顔面を切り裂こうとするその寸前だった。
「――甘いわ」
普通の人間にはできないほど、体を大きく反らしてアリスはナイフの攻撃を避けた。
「なっ!?」
そのありえない動きに驚く間もなく、ノアは下からの攻撃に気づくことはできなかった。
アリスは上体を大きく反らしたまま、片足を大きく振り上げて、ノアの顎へと蹴りを決め込んだ。
「がぁっ!」
体が宙に浮くほどに蹴り上げられたノアは、そのまま力なく膝をついた。
急所を当てられて、動くことは出来ないノアはいつの間にか階段を登るアリスへと目をやると、
「く、はは。はははは! いてぇ、いてぇじゃねえか! 女、お前はもう――」
「許さないのはこっちの台詞よ。あなたが格闘術に関して、手だれでももう関係ない。決着はもうついているわ」
「なにを――?」
「モルフの特性、もう忘れちゃったの?」
アリスのその一言を聞いたノアは、一瞬何を言ったのか思考を躊躇った。
だが、その躊躇いが彼の命運を決めることとなってしまった。
警戒心をアリスのみへと向けていたノアは、すぐ近くにいたモルフの存在に気づいておらず、後ろから奇襲をかけるように襲い掛けられていた。
「ぐっ、あっ、やめろ!」
抵抗するも無駄だった。
付近に倒れていたモルフは、ほとんどが噛みつかれて感染してしまったのだろう。一挙に立ち上がり、ノアへと向けて歩いてきている。
逃げようにも、アリスから受けた顎への攻撃で軽い脳震盪が起こってしまったのか、上手く動くことすらできない。
「ひっ!」
そこで、初めてノアは恐怖の感情をその表情に浮かべた。
全ては、アリスの狙い通りと言っても過言ではない。
ノアが二度も同じように殴りかかろうとしたことから、何らかの対抗策があることは織り込み済みだったのだ。
結果、急所を当てたことによってノアの動きを止まり、アリスがこれ以上、戦闘を継続する必要はなくなった。
いずれ、大量のモルフがこのフロアを埋め尽くすことは分かっていたので、どちらかが戦闘不能になった時点で負けなのだ。
そもそも、一度噛みつかれた時点で詰みだということはアリスだけでなく、ノアでも分かっていたことのはずなのだが、彼は現実を受け止められないようにして足掻き続けていた。
「た、助けてっ!」
先ほどまでの調子の良い態度はそこになく、みっともないほどに命乞いをし始めるノアを見たアリスは、「ふぅ」とため息をついて、
「今更、そんな要求が通ると思う? あなたは人道に反する罪を犯した。私たちだけの戦いならいざ知らず、関係ない者を巻き込んだ時点でもうダメね。子どもだから許されると思ったら大間違いよ」
最後の希望を全面的に否定されて、ノアの顔が苦痛に歪んでいく。
どんどんとノアへと群がるようにモルフが迫っていきながら、アリスはその様子を最後まで見続けていた。
「――――」
最後まで気を抜く事はできない。
それは、彼女が嫌というほど教え込まれた教訓でもあり、実際その通りだと思っている。
たとえ、目の前の標的が死ぬという事が確定しても、そこで背を向けるなど自殺行為にも等しい。
息さえあれば、人間とはなんだってやれる生き物なのだ。
そうして、完全に意識を失う瞬間まで見届けたアリスは、懐から拳サイズの手榴弾を取り出す。
その手榴弾のピンを迷わず引き抜いたアリスは、群がるモルフの隙間の中へと投げ入れた。
爆発から逃れるのと、先へ進むのを同時に、アリスは階段を登っていった。
数秒後、手榴弾が爆発したとされる轟音が建物内部に響き、アリスは気にも留めずに先へと進んでいった。
次話、24日午前1時に掲載予定。
モルフの習性についてですが、基本はゾンビみたいなものです。
どの感染段階にも関わらず、人間だけを襲うようになっています。
そして、第一章でもありましたが、モルフは音に対してかなり敏感な体質です。
要は、逃げようとすればその足音から追おうとしますし、声を上げても同じです。
なので、銃などによる対処は近くのモルフを集めるだけでピンチに陥る可能性が格段に上がります。
とはいえ、弱点が脳か脊髄に当たりますので、結局は拳銃などが一番仕留めやすいという皮肉な点もあるのが厄介な所以ですね。




