第二章 第二十八話 『電磁パルス』
空をマッハのスピードで駆け抜ける戦闘機に乗るのは、航空自衛隊に所属する相良浩だ。
彼は今、普段は通ることがない日本内陸の上空を飛んでいた。
言い渡された作戦はただ一つ。
それは、渋谷区に突然現れたとされる未確認の大型生物の排除であった。
「今でもまだ信じられないが、本当にそんな化け物がいるのか?」
独り言のようにそう呟き、誰もいない機内で相良は作戦内容に疑心を抱いていた。
そもそも、戦闘機を発進させるなど、只事ではないのだ。
それも、海上に出るわけでもなく、日本の首都に向かわせるなど正気の沙汰ではない。
陸幕長の考えを相良はよく分かっているわけではなかったが、緊急事態だということだけは分かってはいた。
今、戦闘機を渋谷へと向かわせているのは相良だけでなく、もう二機いる。
相良よりも後方に追いかけるようにしてついてきているが、彼らも相良と同期のメンバーである。
機体同士がぶつからないように長距離の間隔をあけての飛行となっているのだが、現地へ到着すれば連携がかなり必須となる。
「近藤、井森、しっかりついてきているか?」
『ああ、問題ないぜ。お前こそ、第一陣なんだから緊張感もって動けよ』
「抜かせ。井森、俺たちが撃ち漏らした分はお前がカバーしてくれよ」
『は、はい! ミスしないように気をつけます!』
『井森、お前は俺たちと同期なんだから別に敬語じゃなくていいんだぞ』
近藤に嗜められ、それでも敬語で話しているのは井森という同じ航空自衛隊の隊員だ。
彼らは訓練を共にしてきた家族のような存在であり、頼れる存在でもある。
はじめは作戦を聞いて動揺こそしていたが、発進してからはいつも通り平静を保つことができていた。
通信機からの声だけが頼りだが、声が聞こえることだけが彼らの拠り所でもあった。
「レーダーだけが頼りだが、目標を確認した際、予定通り空対地ミサイルで撃破する。絶対に躊躇うな。地上の人間はほとんど避難している。あそこにいるのは化け物だけだ」
『『了解』』
地上の化け物と呼称したが、実際は相良もそれが何かは分かっていない。
ただ、人を襲うということだけが判明しており、それが全国各所に発生しているとしか聞かされていなかったのだ。
今回の殲滅対象はその化け物ではなく、とんでもなく大きな生物とのことであり、相良達が出動しているのはそれの排除が目的なのである。
『人がいないってのが、まだ幸運だったな。生き残りとかいたら俺でもさすがに躊躇しちまうし』
「……そうだな」
近藤の言葉に、相良は小さい声で応答する。
実のところ、相良だけが事情を知らされていたのだが、地上の人間が避難しているというのはあくまで憶測にすぎない。
そして、あの付近には陸上自衛隊の部隊も何名かがいるとのことだ。
即時撤退の命令は出しているようだが、それも相良達が攻撃を開始するまでに撤退できているかどうかも定かではなかった。
近藤と井森がその事を知らされていないのは、作戦に対し、生存者がいることを知れば攻撃に躊躇すると分かっていたからだ。
それ故に、指揮権を持つ相良だけが今回の作戦、事を内密にして行動していた。
「そろそろ現場に着く。まずは対象の補足をしてからだ。一度通り過ぎてから、折り返して確実にミサイルを当てるぞ」
『で、でも相良さん。やりすぎちゃうと建物まで破壊することになりかねないのですが、それは……』
「構わない。そこのところは上が全て責任を持つと聞いている。思いっきりやれ」
『寛大だな。マスコミが黙っちゃいねーだろうぜ』
「……井森を怖気づかせるなよ、近藤。俺達が気にする必要はない。そら、もうすぐ着くぞ」
喋っている間に、目標がいるとされる渋谷郊外が見えてきていた。
普段の明るい喧騒がそこにはまるでなく、真っ暗となった都市の真ん中に、何か蠢く生物が見えた。
「あれだな。目標を補足。作戦通りにいくぞ」
『『了解』』
目標を補足した相良は、機体の進路を変えた。
一度折り返す為に、大きく旋廻する必要があったからだ。
一瞬、攻撃対象が見えていた相良は、あの奇妙な姿に既視感を覚える。
空想上の生き物だが、漫画やゲームに登場するような龍の姿に見えたからだ。
そんなものがいるとは微塵も考えていなかったのだが、不思議と恐怖はない。
こっちは空中で、敵は地上にいるからだ。
敵の攻撃手段は分からないが、それでもこちら側が落とされるなどありえないと考えていたのだ。
「よし。では攻撃を開始する!」
合図と共に、機体のスピードを上げる。
機体に取り付けられたミサイルは、規模はそこまでだが、空体地ミサイルと呼ばれる空中から地上へと発射するミサイルだ。
基本は空対空ミサイルと呼ばれる、対戦闘機を想定したものを使用することになっているのだが、今回に限っては例外だった。
そもそも、日本は他国に攻撃を仕掛けることができないので、空対地ミサイルを配備するのもありえないことだったのだ。
しかし、一体誰が指示したのか分からないが、実際にそれが配備されていたというのは、ある意味では戦争を想定していたようにも思えた。
無駄な事を考えても仕方ないと、相良はミサイルを発射させるスイッチを握り締めて集中する。
高度を下げつつ、攻撃対象の龍らしき化け物へとレーダーで補足して、相良はスイッチを押した。
「発射!」
右翼側に搭載していたミサイルが切り離され、ミサイルは真っ直ぐ地上にいる龍へと向かっていく。
発射時こそ、大したスピードはなかったが、ミサイルは加速していき、もはや避けることは不可能な次元へとなっていった。
そして、ミサイルは数秒も経たずに攻撃対象へと当たり、爆発が起こった。
「――命中。近藤、井森。爆煙が酷い。目標の生死の確認を頼む」
『了解。でも、あの直撃具合なら大丈夫じゃないのか?』
「油断するな。未知の生物と聞いているが、その詳細は不明なんだ。確実に仕留めることを意識しろ」
地上の状況を意識しながら近藤を注意した相良であったが、心の中では近藤と同感ではあった。
あれほど綺麗に着弾するとは思いもしなかったのだが、あの具合であれば、逆に死んでいない方がおかしい。
渋谷から遥か先まで離れた相良は、後続に続く近藤と井森の状況確認をしようした。
「どうだ? そろそろ煙が収まってきているんじゃないのか?」
『そう……ですね。あれは、なんでしょう? 煙の流れが微妙におかしいのですが』
『おいおい、まさかまだ生きているのか? 相良、もうすぐ俺達も上空を越えるが、撃っていいのか?』
「いや、確実に命中させることにしよう。生きている確認がとれたなら、近くで旋廻して撃っていい」
あの直撃を食らってまだ生きているのであれば、大したタフさであったが、いずれにしろ倒されるのは時間の問題だろうと考えていた。
しかし、そんな楽観的な考えは次の仲間の言葉で掻き消されることとなる。
『生きていますね。叫び声をあげているようですが、苦しんでいるのでしょう。次弾、すぐに撃ち込みましょう。ぼ――が――ます』
「ん? 井森、どうした?」
通信が突然荒くなったことに違和感を感じて、もう一度井森へと連絡を取ろうとする。
しかし、井森からの応答はなく、レーダーに映っていた仲間の機体が一機、消えてしまう。
「は? おい、井森! どうなっているんだ!? 応答しろ!」
そこで、初めて焦りを感じた相良は、機体を大きく旋廻して、もう一度現場へと向かおうとする。
「近藤! 聞こえるか!? 井森はどうなっている!?」
『ダ――だ。さ――ら。――――げろ!!』
井森と同じように近藤との通信が乱れて、嫌な予感が全身を駆け巡る。
何が起きているのか、まるで理解ができなかった。
地上の龍が何かしらの攻撃手段を取ったのかもしれないが、あのスピードの戦闘機に攻撃を仕掛けるなど、現実的ではない。
そして、相良は見てしまった。
近藤の乗る機体が、推進力を無くして、地上へと墜ちていく瞬間を――。
「近藤ーー!!」
その瞬間、レーダーから近藤の乗る機体が消失する。
明らかに異常な現象に、相良は思考が停止しそうになる。
なぜなら、近藤の乗っていた機体は炎上も破損も何一つ無かったにも関わらず、地上へと墜落していったのだ。
訳が分からない現象に、相良はそれでも気を強く保とうとした。
「大丈夫だ。万が一があっても緊急脱出用の装置が搭載されている。きっと、生きている!」
戦闘機には、万が一の際に抜け出せるように緊急脱出する為の機能が搭載されている。
それは、井森も近藤の機体にもあるものなので、最悪、それを使って脱出しているはずだと目論んでいた。
「許さない。絶対にぶっ潰してやる……っ!」
怒りが込み上げてきて、相良は攻撃対象がいる龍へと向かって、もう一度ミサイルを撃ち込もうとした。
――しかし、龍が咆哮を上げた瞬間、相良の乗っていた機体は突如、制御を失うこととなる。
「なんだ!? 何が!?」
何を操作しても機体は反応せず、ゆっくりと墜ちていこうとしている。
それは、全ての電子機器が壊れてしまったのように、ゆるゆると相良の乗る戦闘機は高度を下げていっていた。
「クソッ! 緊急脱出するしか、ない!」
死の危険を感じた相良は、すぐに脱出しようとベイルアウトする為のスイッチを押したが、
「は?」
それさえも反応せず、何度押しても相良の座る射出用の座席は反応しない。
下部に取り付けられたロケットモーターが、壊れていたかのように動かないのだ。
「なん……で」
このままでは死ぬという恐怖よりも、疑問の方が大きく感じていた。
全ての電子機器が止まったわけでなく、壊れたかのような現象。その現象に、相良は心当たりがあった。
「――まさか、電磁パルスを引き起こしたとでも言うのか!?」
電磁パルスとは、強力な電磁波によって、それを受けた電子機器などに流れる過剰な電流の影響により、電子回路に損傷や誤動作を起こさせる現象だ。
戦略兵器としても使われることも聞いたことがあるが、なぜそんなものがここで起きたのか、原因はあの龍にしかありえなかった。
『EMP爆弾』とも呼ばれるもので、それが電磁パルスを引き起こすともされているが、あの龍は咆哮を一つ上げただけで、電磁パルスを引き起こしたのだ。
それも、範囲があまりにも広すぎて、規格外すぎていた。
渋谷郊外のほぼ全域の電気が消失していたのは、あの龍の電磁パルスが要因なのは間違いない。
だが、広さで言えば約十五kmもある渋谷の面積を全て電磁パルスで覆ったというのならば、戦闘機であってもどうしようもないのだ。
「無理だ……倒せない」
地上への墜落が迫る中、相良は絶望に表情を歪ませていた。
あんなものがこの世界に存在しているなど、勝ち目などあるわけがない。
それこそ、遠隔から攻撃を仕掛け続けない限りは、あの化け物を倒す手段はありえないだろう。
「井森、近藤……」
仲間の名を呼んで、あと数秒で地上へと激突する瞬間、相良は諦めていた。
恐らく、井森も近藤も、もう墜落して死んでしまったのだろう。
次は自分の番であることを悟った相良は目を閉じて、死を待つのみだった。
そして、戦闘機が地上の建物へと激突し、爆発が巻き起こった。
△▼△▼△▼△▼
「なんだよ……これ」
出水が見ていた先、それは『戦龍リンドブルム』のいた方角、ではない。
それは、近くにあったビルの一角に戦闘機が突っ込み、倒壊した成れの果ての方向だった。
先ほどまで上空を飛び交い、ついにはミサイルまでぶつけていた戦闘機が突然、墜落していったのだ。
それも、一機だけではなく、三機いた戦闘機の全てがだ。
最初は、戦闘機が飛んできた時点で、出水は神田と共にリンドブルムから逃げるように退避していた。
戦闘機から飛ばされるミサイルの爆風に巻き込まれることを懸念していたからだ。
実際は、ミサイルが直撃して、周囲の窓ガラスが全て割れるほどの爆風が襲い掛かってきていたのだが、それに驚いていたのも束の間だった。
リンドブルムは負傷こそすれども、もう既に再生に入っていたのだ。
爆撃自体は功を奏してしたのだが、その瞬間、リンドブルムは咆哮を上げた。
ただ、それだけだった。
その瞬間、上空を飛行していた戦闘機の二機は突如、制御が効かなくなるかのように墜落していった。
残る一機も、攻撃を仕掛けようと真っ直ぐに向かってきていたのだが、同じようにリンドブルムが咆哮を上げた瞬間に、同様にして墜落。今、目の前の惨状となっていたのだ。
「どうしたら、勝てるんだよ……こんな化け物に……」
逃げた先、リンドブルムからは数百メートル離れた場所で出水はそう呟いた。
電子機器を扱う武器は何一つ役に立たない。
リンドブルムとやり合うには、原始的な武器でしか戦い合うことはできないのだ。
「出水、撤退しよう」
「神田……」
肩に手を置いて、撤退を促す神田に出水はどうすべきか逡巡していた。
撤退以外の道はない。それは出水の中でも考えていた事の一つだ。
ここまで状況が悪化した中で出水達が出来うることは、せいぜい自分の命を守り抜くことぐらいなのだから、それを恥ずべきことと思うべきではないし、誰も咎めない。
しかし、でも、それでも……出水は、
「このまま……終われるかよ」
諦められない。何もできないまま撤退などしたくない。
わがまま同然の理屈だが、出水はそれでもリンドブルムをどうにかしたかった。
「なんで、そこまで戦い続けることに拘る? もう、俺達にできることはないだろ」
神田の言い分はもっともだ。
なぜ、出水が戦うことに拘っていたのか、それは単純で、理屈の通らない理由だったからだ。
「俺達が撤退すれば……多くの人が犠牲になる。俺達が残ってもそれは変わらないかもしれないけど、でも……それを分かっていて目の前の敵から逃げるなんて、したくない」
「――――」
出水のその言葉に神田は目を見開き、何も返答しようとはしなかった。
誰かが死ぬと分かっていて、それを見捨てて撤退するなど、出水の心情からすれば許されないことだ。
たとえそれが、戦う選択肢をとって意味が無いことだとわかっていてもだ。
「俺の言っていることが辻褄も合わないわがままな理屈だと、そう吐き捨ててくれても構わない。でも、やっぱり俺は戦うよ。――俺の大切な人も、きっと背中を押してくれる」
「――――」
最後、出水の言ったことに、神田は何のことか分かっていないだろう。
それでもいい。
出水は、神田に言い聞かせるだけでなく、自分に言い聞かせる為に今、こうして話しているのだ。
目の前の脅威の存在に足がすくみそうになりつつも、必死で戦う姿勢を崩さないようにしていたのはその為だった。
「だから、俺は行くよ。ここまで生き延びてこられたのも偶然だったのかもしれないけど、考えたんだ。今、ここが、俺の生きた理由だったんだってな」
本当ならば、出水はこの作戦の途中で死んでいたようなものだった。
由依の一件を思い出して以降、状況は変わったが、それこそが出水にとって、この決断こそが自分の生きていた理由だったと考えられていた。
「分かった。俺も付き合う」
「は? いや、神田は残らなくても――」
「死者をこれ以上出したくないんだろ? なら、俺がいた方が僅かでも可能性は上がるはずだ」
出水の言い分を遮るようにして、神田は手持ちの武器の確認をしていく。
「――本当に、いいんだな?」
返答がどうくるかは分かっている。
だが、それでも覚悟だけは知っておきたかった。
「当たり前だ。俺はこの部隊に入る前から、既に心は決まっている。尊敬するあの人に少しでも近づく為に、命を捧げる覚悟もな」
「――わかった」
神田の言う尊敬する人が誰かは出水も知らない。
だが、それを知るまでもなく、覚悟が決まっていると聞けただけでも十分であった。
「――俺に作戦がある。聞いてくれ」
壊滅した都市にいるのは戦闘機さえ墜落させる最強の生物。
その中で、二人の男は立ち向かうという選択肢を選ぶこととなった。
もう既に、出水視点での話はクライマックスへと突入していますが、次話より笠井修二視点に変わります。




