第二章 第二十五話 『重ねる姿』
清水と合流した出水達は、先ほどモルフとの戦闘があった地帯の先を進み、ようやく目的の場所が見えてきた。
「――あった。階段だ」
出水がそう呟いて、ライトでその先を照らす。
この先がどこに通じているかは分からないが、出口へと向かう道のりになることは間違いないはずだ。
先ほどの大地震で、どこまで床が崩れているかにもよるが、希望であることには違いない。
「問題は、どこに続いているかってとこだな」
「神田がおらんのが怖いけど、まああいつなら一人でもなんとかなりそうやし大丈夫やろな」
「……言えてるけど、不安になるからやめてくれ」
この地下の階層にいないということは、別の階層、この上にいるのかもしれないが、確証はない。
もしかすれば、この地下のどこかに未だいるかもしれないし、もう手遅れの可能性だってある。
この地下の階層にいる可能性は、あれだけ銃声音を鳴らしてもこなかったことからいないとは思われるが、それも推測でしかない。
「先に進んで、確かめるしかないってか……」
琴音に言われた言葉を思い出して、それを口に出す。
確かに、先に進まなければ分からない問題だ。
今ここで迷っているよりかは、先に進んで確かめる方が可能性が十分にある。
暗がりの階段を出水が先に進み、その後を琴音が、最後に清水が続いて進む。
コツコツと階段を上る足音だけが聞こえながら、三人は口一つ開かずに進んでいく。
そして、階段の終わりが見えてきていた。
「ようやく、見たような風景が見えてきたな」
そこは、電気こそついていないが、ライトで照らすと壁が真っ白な、それこそ出水達が落ちる前の通路や広間の内観と同じような場所だった。
別の場所ではあるが、同じ階層であることは予測できる。
「またあのイヴァンとかいう奴に見られてるかもせえへんな」
「イヴァン?」
「この地下実験施設の管理人みたいな奴だ。黒幕みたいなもんだけど、電気が落とされているならその心配はなさそうだけどな」
琴音の問いに、出水が答える。
琴音は琴音で、それを聞いて苦々しい表情に変えて出水へと問いただす。
「そいつが……私をこんな場所に閉じ込めた元凶ってこと?」
「――だと思う。この地下実験施設を任されてるなんてことも言ってたしな。今も生きているのかは分からないけど」
今のところ、イヴァンからの反応はない。拡声器は天井に取り付けられてはいるが、反応がないということは視られていないということになる。
出水達が落ちる直前の反応からみるに、あの地震も、床が陥没したこともイヴァンにとってはアクシデントだったということだろう。
死んでいるのであれば、それも自業自得なので気にする必要はないのだが、琴音のこともある。
せめて、ある程度の情報は掴んでからの脱出が望ましいとは考えていた。
「それで、どうするの?」
「……そうだな」
琴音からの呼びかけに、出水は思案する。
先へ進むことに異論はないのだが、ここまできたからにはより慎重に行動しなければいけないことは確かだ。
ただでさえ、実験体である『レベル4モルフ』を匿っていたような連中だ。
先ほどの地震の影響で、何体かが逃げ出していてもおかしくはない状況だった。
「ひとまず、慎重に動いて先に進もう。清水も分かってるだろうけど、下の階にいたモルフと違って、もっと危険な奴らがここにいる可能性が高い。そいつらと遭遇すれば、正直勝算も薄いからな」
「せやな。あんなんがまた出てきたらたまらんし、そもそももう俺らも残弾が限られてきてる状況や」
「どんな奴がいるの?」
「琴音は見たことないだろうけど、モルフには感染段階ってのがあってな。下にいたモルフは『レベル2モルフ』っていう走ってくる特徴があるんだが、俺たちはさっき、『レベル4モルフ』っていう銃弾を避けたりして馬鹿みたいな動きで襲い掛かってくるやつと戦闘していたんだ。多分……ここにはそれが何体もいると思う」
「……それは、会いたくないね」
当然の反応だろう。下の階層で遭遇した『レベル2モルフ』も、数で押し込まれればかなりの脅威であるが、この階で遭遇した『レベル4モルフ』は更に段違いの脅威である。
出水ももう既に二回程邂逅しているが、正直生きていられたのも偶然だと思っているほどだ。
「とにかく、物音は最小限に留めて先へ進むぞ。この施設の中を調べたいのは山々だけど、状況が変わった。出口を探そう」
出水の決定に、後ろの二人も黙って頷く。
だが、その時――、
「――――ッッ!!」
謎の咆哮が、耳を塞ぎたくなるほどの音を出して地面が揺れる。
地下にいた時よりも遥かに大きな音が、すぐ近くから聞こえてきていた。
それを聞いていた一同は、何が起きたのか分からず、その場で動けずにいた。
「マズイッ!」
出水は焦っていた。
それは、謎の咆哮に対してではない。
地面の揺れがどんどんとひどくなり、床が陥没して落ちた時と同じぐらいの大きな地震となっていたのだ。
「走れ!! また床が落ちたら、俺達に退路はなくなる!!」
咄嗟の掛け声に、琴音も清水も反応が早かった。
揺れる地面の中を、少しずつではあるが走って進み、出水達は前へと進もうとする。
――だが、状況はそれを許してはくれなかった。
「っ!?」
何もない壁が崩れ、それが地震の影響でないことを出水はすぐに理解する。
なぜなら、その壁の奥からは何かが近づいていたからだ。
それを視認した出水は、苦悶の表情を浮かべて歯を食いしばる。
それは、今このタイミングで出会ってはならない存在であったからだ。
「ここで、お前がくるのかよ……『レベル4モルフ』!!」
それは、ただの『レベル4モルフ』ではない。
出水達が下の階層に落ちる前、戦闘を繰り広げていた亜種型の『レベル4モルフ』だ。
見た目も、その変異した全身の姿も、以前見たものとまるで同じであった。
タイミングの悪い状況で、出水はどうすべきかを思案する。
今、この時でも揺れはどんどんと酷くなる一方だ。
「――っ! 清水! 琴音を連れて先に行け! 俺がこいつを足止めする!」
「無茶言うなや! こんな足場で足止めなんてできるわけないやろ!」
「今は四の五の言いあってる場合じゃない! あいつはこの揺れの中でも動いているんだぞ! 全員で相手しても勝てねえよ!!」
そう、あのモルフはこの酷い揺れの中でも動くことができている。
壁が崩れて現れたことからも、奴が意図的に壁を破壊したからに他ならない。
その場合、あの『レベル4モルフ』は適応して学習したということだ。
『レベル4モルフ』の本当の脅威は、その俊敏さでも、再生力でもなかった。前回の戦闘でも薄々と感じてはいたが、奴には知性らしき一面があり、間違いなく学習しているのだ。
つまり、時間さえあれば『レベル4モルフ』はその感染段階のまま、どんどんと強くなっていくということになる。
「琴音!! 走れるか!?」
「問題……ない。けど、あなたはどうするの?」
「俺の優先任務はお前を救出することでもある。だから、わかるよな?」
目で祈るように、琴音へと納得させようとする。
これまでの琴音との対話からしても、彼女はかなりの合理的主義者だ。
ならば、きっとこの状況の出水の判断も理解してもらえると考えていたのだが、
「……私はね。そうやって体張って戦う男は嫌いじゃないよ」
そう言って、琴音は立つ事さえままならない地面をなんとかして立とうとする。
それは、まるであのモルフに立ち向かおうとする姿勢で。
「おい!?」
「私はこの怪物達に気に入られているのでしょ? だったら、私一人でも戦えるはずよ」
「やめろ!! それだけはダメだ!! やめてくれ!!」
必死の制止の声も、琴音はまるで聞こうとしてくれない。
琴音のモルフ避けの体質は、必ずしも確証があるわけではないのだ。
たとえそうだとしても、危害を加えられたモルフが反撃してこないとも限らない。
このまま琴音に戦わせてはいけない。それは、誰よりも出水が一番許してはならないことであった。
「私は……どの道、終わる人生みたいなものだったのよ。あなたと出会って、少しでも寿命が伸びたようだったわけだけど――」
達観したように、琴音は出水へと顔を合わせずにそう言った。
その言葉の意味を汲み取れる余裕なんて無かった。
ただ、動かない足を動かそうと出水は全力だったのだ。
「普段の私なら、こんなことをしようなんて考えなかったでしょうね。ほんと……なんでかしら――」
「やめろ! 琴音、止まるんだ!」
手を伸ばし、それでも届かない。
今、あのモルフに一番距離が近いのは琴音だ。
琴音自身も動けない状態だが、それでも立ち上がり、目の前のモルフへと向けて震える手で拳銃を握る。
「さあ、きなよ。怪物!!」
拳銃を構えて、琴音は照準を合わせようとする。
だが、無理なことは誰の目から見ても明らかだ。
この酷い揺れの中で銃弾を当てることなど、たとえ修二であってもできるはずがない。
それ故に、出水はこの状況、詰んでいたと考えていたくらいだったのだ。
「くそっ!」
揺れる地面を、『レベル4モルフ』はゆっくりと近づいてきていた。
足がぐらつくような素振りもなく、平然と歩くその様は完全に揺れに対して適応している証拠であった。
「頼む……やめてくれ」
その中で、動くことさえままならない出水は、声を振り絞って乞う。
清水もなんとかしようとしているが、出水同様、立ち上がることさえできない様子だ。
「もう、これ以上、何もできないのは嫌なんだ……」
琴音の背中を見つめて、その背中が思い出の中の由依の姿と重なる。
何もできず、ただ手遅れになってしまったあの時と重なる。
一人嘆き、記憶を閉じ込めてまで苦しんだあの時の自分と重なるのだ。
「あああああああっ!!」
叫び、気力を振り絞って立ち上がり、出水は正面に立つ琴音へと手を伸ばす。
そして、琴音が発砲しようと目の前まで近づいたモルフへと銃口を向けたその時――、
琴音の目の前にいたモルフの頭部が弾け、頭が無くなった状態となったのだ。
「――えっ」
出水だけではない。琴音も、清水も何が起きたのか分からない様子で、その状況を瞠目して見ていた。
「ようやく、仕留められたな」
ここにいない第三者の声が聞こえて、その方向を見た。
そこには、散弾銃を構えた神田が立っていたのだ。
「神田!!」
「危ないところだったな。って、俺もそいつを追いかけていたんだが」
揺れる地面の中、神田は悠然とそこに立ちすくんで出水達の安否を確認できたことにホッとしていた様子だった。
それは出水も同様で、この中にいる誰よりもその気持ちは強かった。
「やっぱり、お前がいてくれて本当に良かったよ。頼りになりすぎる」
「なんだ、いきなり気持ち悪いな。それで、状況は?」
神田は、喜び合う余韻に浸るまでもなく、現状の確認を出水へと問う。
話すことはたくさんある。
しかし、この揺れの中、それをゆっくりと説明する時間はない。
「とにかく、先にここから脱出しよう。もう調査するなんて呑気なこと言ってられる状況じゃないからな」
「そうだな。なら、行こう」
あっさりとした様子で、方針を固めた一同は出口である先へと進む。
揺れも先ほどよりも収まってきており、まだ歩ける程にまではなっていた。
その中で、出水は琴音の方を見て、
「琴音、大丈夫か?」
「大丈夫も何も、怪我の一つもしてないよ。さっきのうろたえていた姿、面白かったわ」
そう言って、ニヤついた表情で出水の顔を見ていた。
顔を赤くした出水は、頭をボリボリと掻いて、
「茶化すなよ。ていうか、もうあんな真似するのはやめてくれよな。心臓に悪いったらねえ」
「酷い荒れ方してたけど、誰かと重ねたりしたの?」
「――――」
その言葉に、出水は何も言い返せなかった。
最後のあの瞬間、確かに出水は琴音の姿にかつての由依の姿と重ねていた。
何もできずに助けられなかったあの時と同じような、最悪の光景を思い浮かべてしまったのだ。
「否定はしないのね。はー、いいな。私もこんな良い男がいたら良かったのに」
「ばっ!」
何を言い出しているのか、琴音のその言葉に出水も思わず口を噤む。
「おい、早く行くで!」
清水が先の扉の前で、出水達を呼んでいた。
その声を聞いた琴音は出水の肩に手を置いて、
「冗談よ。間に受けないでよ童貞さん」
そう言って、琴音は先に向かっていった。
一瞬、頭が混乱していた出水は、反射するように振り向いて、
「誰が童貞だ! いや、間違ってはいないけど!」
追いかけるように、出水も出口がある先の扉へと続く。
かくして、出水達はこの後、長かった地下実験施設からの脱出に成功することとなる。
得たものは、生存者の救出と敵の本拠地と裏に潜む謎の敵組織。そして、目下最大の危機を知らせる巨大な生物の存在だった。




