第二章 第二十三話 『地下での出会い』
「つっ――、ここは……」
背中に鈍い痛みを感じて、出水は意識を取り戻した。
どうやら、地面に落ちた衝撃で気を失っていたようであった。
しかし、目を開けても周りは何も見えず、真っ暗闇の中にいるような感覚であった。
あれからどうなったのか。出水は意識を失う前の自身の記憶を掘り起こそうとする。
「――――」
確か、戦闘中であったはずだった。
出水達と『レベル4モルフ』との戦闘中、突如大規模な地震が発生して、床が陥没したのだ。
それからどうなったのかはわからないが、今の現状を見るに、地下の更に奥深くの場所まで落ちてしまったようであった。
「ライトは……あった……!」
手探りで自身の手荷物を探りながら、運良く携帯式のライトを手に取ることができた。
早速、スイッチを押して、何も見えない暗闇の中が露わになる。
そこは、洞窟のような場所だった。
通り抜けるほどの道があるということは、何かしらの道がここにあったのだろう。
真上へとライトを向けて、どれだけの距離から落ちたのかを測ろうとしたが、ここからでは確認できなかった。
あの部屋の電気も全て壊れてしまったのか、真上を見ても光らしい光は見えなかったのだ。
「これは……かなり絶対絶命だな」
床が陥没するほどの大地震が今、先ほど起きたのだ。
もはや、運が悪いどうこうの問題ではなく、人災と天災の両方が出水達へと牙を剥いているのかとさえ考えてしまう。
状況をある程度確認し終えたところで、出水は周辺を照らしていく。
特に目新しいものはなく、あるのは瓦礫のみだった。
「それにしても、ライトの点きが弱いな。どうなってるんだ?」
手持ちのライトは、弱々しく光を映し出しており、今にも消えてしまいそうなほどであった。
落下の衝撃で故障しかけてしまっているのかもしれないが、それはそれで死活問題である。
ライトの光が無くなれば、もう出水は進むことさえ困難になってしまうのだ。
「そうだ……。清水と神田はどこだ? おーい! 神田、出水! 聞こえるか!? 聞こえたら返事をしてくれ!」
仲間の名を呼んで安否を確認したが、返事は聞こえてこなかった。
瓦礫を見た時、一緒に落ちた仲間達の存在を思い出したからだ。
生き埋めになっていなければ、返事くらいはあってもいいものである。
「嘘だろ……神田、清水……」
彼らはすぐ近くにいたはずなのだ。
それなのに返事がないということは、近くにいないのか、あるいは生き埋めになっているかのどちらかということになる。
それに、出水が心配する理由はもう一つあった。
「クソッ、『レベル4モルフ』もまだ生きてるかもしれないってのに……」
そう、あの大地震のおかげで、戦闘中であった『レベル4モルフ』の生死も確認できなくなってしまったのだ。
もしも、生き埋めにならずに生き延びていた場合、この暗い地下では戦うこともままならない。
いつ、天井が崩落して生き埋めになってもおかしくない状況だ。
無闇矢鱈に戦おうとすれば、暴れ回るモルフに天井を壊されるリスクが高い。
今はとにかく、モルフが生き延びていないことを、仲間が生き延びて先に移動していることを祈って、出水はこの場から動き出そうとする。
「それにしても……不気味な場所だな。ここはどこなんだ?」
人が通れる道が続いている以上、ここも地下実験施設であることは間違いなかった。
ここまで深く掘り進めていたことにも驚きだが、そのせいでここまで落とされてしまったのだから憎みたくもなる。
ライトを左手に持ち、幸いにして手持ちの武器は全て無事だった為、右手には拳銃を構えた状態で出水は移動していた。
仮に戦闘になっても、片手で撃つことは難しいのだが、この緊張感の中で何か安心できる材料が欲しかったのだ。
そうして前に進みながら、途中まで進み続けていると、
「――――ッッ!!」
「――っ!? 何だ!?」
遠くから、甲高い鳴き声のような音が聞こえて、再び揺れが起こる。
焦った出水は、地面に手をついてその場に蹲っていたのだが、上からは砂が落ちてきており、このままでは天井が崩落してきてもおかしくはない状況であった。
しばらくして揺れは収まり、出水は何事もなくそこに生き延びていた。
「今のは……何が……?」
地震だと思っていたが、少し違うようにも思われた。今の揺れは、何かの鳴き声と共に同時に発生したのだ。
だとすれば、あの地震は何かが起こしたものだと考えられる。その考えられる可能性があるとすれば、それはイヴァンが言っていた最高傑作『戦龍リンドブルム』とやらだ。
あれが動き出したのだとすれば、もう出水達には何もできることはない。
今は、ここから脱出できるどうかすら怪しい状況だ。
「――とにかく、進むしかない」
地上の様子も気になるが、今は自分が最優先だ。
指針を決定した出水は、暗がりの洞窟の中を進み、音一つ出さないよう警戒しながら前だけを見ていた。
息が詰まるかのような緊張感が、出水の身を硬くさせていた。
「――大丈夫だ。こっちには武器があって、何が出てきたとしても戦うことができる」
心の中で自分を安心させようと必死になる。
だが、状況はそこまで簡単な話ではない。
出水は今、たったの一人で行動している身だ。
頼りになる神田も、援護をしてくれる清水もここにはいない。
このライト一つで目の前しか映せない状況の中、どこから敵が襲いかかってくるか分からないことが、出水の心の中を不安に掻き立てていた。
ここが、敵のアジトであることに変わりはなく、モルフの実験を行なっていたことももうわかっていることだ。
ならば、実験体であるモルフがここにいたとしても何の不思議もない。
「ここは……」
ライトで周囲を照らすと、何かの施設のような場所に辿り着く。
牢屋のような檻が連なってあり、その鉄格子は錆び付いていて水に湿気ており、とてもじゃないが触りたいとすら思わない。
が、今は何よりも情報がいる。
鉄格子の扉の鍵を壊し、中にあるものを調べようと硬そうなベッドのシーツに触れようとしたときだった。
「動くな」
女の声が聞こえ、冷たい感触が首の右側に感じられた。出水の首元にナイフが当てかけられていたのだ。
息を呑み、同時にやられたと、心の中で後悔した。
モルフだけが敵ではないことは重々承知していたのだが、今までの戦闘がモルフのみだったことが、出水の頭の中で無意識的に警戒心を一個に絞り、人間の敵に対する警戒感が希薄になってしまっていたのだ。
そもそも、こんな汚くて暗い場所に人間がいるなど、思いもしなかった。
「あんたは誰だ?」
「誰が喋っていいと言ったの? 隙をついて、私をまたあの臭い牢屋の中に閉じ込めるつもりでしょう? お前達の魂胆はわかっているんだ」
首筋に当てられたナイフが、より強く首に押し込まれる。
それだけでも迂闊に話すこともままならないことは理解できるのだが、この女の言動に違和感を感じた。
「ま、待て。何か勘違いをしていないか? 俺とお前の考えに何か相違があるように感じるんだが……」
「なら、お前は何者なの?」
それはこっちが先に聞いていたことなのだが、それに取り付き合っていれば本当に首を跳ね飛ばされかねない為、出水は慎重に言葉を選ぼうとして、こう答えた。
「俺は出水。出水陽介って者だ。国の私設している特殊部隊の一人で、元々この上の階にいたんだけど、いきなり地震で床が崩れてな。仲間ともはぐれて、一人でここを調べてたってところだったんだ」
要点だけは間違わないように、出水は真実だけを述べる。
今、この状況で隠密機動特殊部隊のことを話さないというわけにはいかないだろう。
それに、この女はなんとなくだが、この実験施設の者ではない気がしていた。
「……証拠は?」
「バッジなんて好尚なもんはつけてないよ。一応、一般人が知らない非公表部隊だからな」
出水には、いや、隠密機動特殊部隊は基本、身分を証明する物は持ち合わせていない。
警察関係者や陸上自衛隊の者と遭遇すれば、あれば嬉しい物ではあったのだが、そんなものがたとえあったとしても信じられる根拠にはならない為に持たされなかったのだ。
しかし、嘘をついてやりすごせる状況でもないので、ここは本音で話そうと試みる他になかった。
「信じる根拠にはなりえないかな。でも、身に着けている装備を見ても、奴らとは違う雰囲気は感じられる、か。いいわ、そのまま両手を上げて、こちらを向け」
一方的に命令されて、出水は言うとおりにしようと両手を上げて振り向いた。
後ろにいた女の姿は、出水が思っているよりも意外な姿をしていた。
見たところ、二十代半ばのような容姿をしたその女性は、背中まで伸ばした長い髪を束ねるまでもなく、それでいて手入れをしていないのか、少しパサパサしたように荒れていた。
その身に纏っているのは、ぼろ布のたった一枚のみで、その肢体はなんとなく目に毒であった。
「……私に欲情するつもりなら、この場でその首を掻っ切るよ」
「なんでそうなるんだよ! 欲情なんてしてねえし、するわけねえだろ!」
「……それはそれでなんかムカつくので、やはり掻っ切ってやろうか」
「どっちを選んでも死ぬのかよ俺は……あのなぁ、そもそも俺は大切な女以外にそんなこと考えたりしねえから」
「そう言っている時点でお前はその女に下心丸出しなのが見えているから、その女も気の毒だね」
「――まあ、もうこの世にはいないんだけどな」
その一言を聞いて、事情を察してくれたのか、それ以上の追撃はしてこなかった。
かといって、この女の言うとおり、別に出水は由依に対して下心丸出しなわけではなかった。
むしろ、清純なお付き合いをさせていただいていたつもりではある。
煩悩ゼロとは言わないが、特段大したことは出水も由依とはしてこなかったのだ。
「とにもかくにも、改めて言うけど俺はお前が思っているようなこの施設の関係者でもねえし、むしろ助けに来た方が正しい認識だ。アーユーオーケー?」
「言葉尻がなんとなく腹が立つけど、まあいいわ。それで、今、上はどうなっているの?」
「俺も詳しくは分かってないんだけど、モルフっていう化け物と戦闘中だったところで突然、大地震が起きてな。多分だけど、施設の大半は電気系統がむちゃくちゃになってる。地上に関しても、今はモルフがうじゃうじゃいるよ」
モルフという存在を、この女が知っているかどうかは分からないが、話しておく分には損がないと考えていた。
なぜなら、この女は紛れもなくこの地下実験施設に囚われていた者のはずだ。
身なりと言動から推察して、聞くまでもないことだと思っていた。
であれば、もしかすると何かしらの情報は得られるかもしれない。
「なるほど。今、地上はそんなことになっているのね。で、これからお前はどうするつもりなの?」
「そうだな。とりあえずここから脱出したいんだけど……あれ、モルフのこと聞いてこなかったけど、知ってるのか?」
「知っているも何も、あの怪物達のことでしょう? その名称は初耳だけど、別に知りたいとも思わない。あんな奴ら、怪物で十分」
なんともあっさりしたものだが、それはそれで清清しいほどである。
確かに総じて怪物みたいなものだが、その感染段階のそれぞれはどれも明確に差異がある。
知っていて損はないと思うのだが、あくまで相手は一般人だ。
知る必要もないし、知りたいとも思ってなさそうなのでここはスルーする。
「まあいいや。それで、あんたはここの脱出方法とかって知ってたりする?」
「うろ覚えだけど、ここに囚われる前に通った道のりは大体知っている。出口があるかは分からないけど、行ってみる価値はあると思う」
それを聞いた出水は、希望が見つかったように表情が明るくなる。
ようやく、出口へのヒントを得られたので、安心したのだ。
「マジか! じゃあ、さっそく行こう!」
「待ちな。その前に、あんたの持ってる武器を私にも分けなよ」
女はそう言って、ナイフを持つ手とは逆の手を差し出してきた。
「……これは子どもが持っていい物ではないんだぞ」
「誰が子どもだ。私はこれでも二十五歳なんだぞ」
「そういう問題じゃあ……」
「い・い・か・ら、早く寄越しな!」
「あっ!」と声を出したと同時に、素早い動きで出水の右手に握られていた拳銃をひったくられた。
なんとも男らしさに溢れた女なのだろうかと辟易していたが、今更返せなどと言っても聞かなさそうではあった。
仕方なく、ため息をついた出水は予備の拳銃を取り出して、改めて右手に持つ。
「一応聞くけど、銃を撃った経験は?」
「ない」
即答されて、出水はどうしたものかと頭を抱えた。
初心者に扱えるほど、簡単な武器でもないのだ。
あまり前に出すぎると背中を撃たれかねないので、できる限り並んで歩くようにしようと、出水は心の中で決める。
「ああ、そういえば、あんたの名前はなんていうんだ?」
「琴音。八雲琴音よ」
「そうか。よろしくな、琴音」
「いきなり下の名前で呼ばないでくれる? いやらしい」
「理不尽すぎない!?」
まだ下心丸出しの男と思われているのか、誤解を解きたくはなったが何を言っても無駄そうなので、琴音呼びで押し切ろうと思った。
そもそも、こんな危険地帯でボケをかます余裕もあるわけではないのだが。
「とにかく、先の道案内を頼む。このライトもいつまで電池が保てるか分からないしな」
まだそんなに使用していないが、この真っ暗闇の中では、このライトは銃よりも必需品だ。
こんな場所で電池が切れてしまえば、それこそ一巻のお終いである。
お喋りはせめて歩きながらでもと、出水達は先の道へと進んでいく。
元々、一本道の道のりだったが、琴音と出会って以降の道は、枝分かれするように道が分岐していた。
その度に、琴音がここに来たとされる道のりを辿るようにして、示された道を歩く事になっていたので、出水としては時間が縮小されることが大いに助かっていた。
「そういえば、なんでこんな所に琴音はいたんだ?」
歩きながらではあるが、ふと気になる疑問を琴音に尋ねた。
思えばだが、どうして年頃の女の子がこんな場所に連れ込まれたのか。あまり想像はしたくないが、連中の目的を知る上でも聞いておくべきだと考えていたのだ。
「さあ? 私も、気づいたらここにいたの。仕事の帰り道で、一人バーで呑んでいた時のことよ。突然ナンパしてきた無謀な男がいたから、奢らせてやって代金をふんだくろうと思ってたんだけど、どうやらしてやられたって感じだったわね」
えげつないまねをするな……と、口に出しては何か言われそうなので心の中で呟きながら、黙って聞いていたが、
「私が手洗いに行った時にでしょうね。後で飲んだお酒に、睡眠薬が盛られていたんだと思うわ。突然、眠くなって目が覚めたら、ここに連れ来られていたの」
琴音はそう言って、ここに連れ来られた経緯を話してくれた。
やり方は単純だが、拉致する為に一人のところを狙われたのだろう。
「――それで、ここにいたってか」
「そう。でも、いやらしいことは何もされなかったのは意外だったわね。妙な薬は飲まされたりはしたけど」
「薬?」
「何の薬かは分からないわ。三日前ぐらいに飲まされたんだけど、特に異変もなかったし、何もないとは思うんだけどね」
「――――」
杞憂だと思いたいが、不安ではあった。
三日前と聞くからには、モルフのウイルスではないとは考えられるが、一体何を飲まされたのか。ろくでもないものであるとは考えられるが。
「それも含めて、脱出してから調べてもらわないとな」
「そうね。――待って、静かに」
口に人差し指を立てて、琴音は足を止めた。
出水もその指示に従い、耳を傾けてみる。
「近くにあの怪物がいるわ。数は、二、三体程度かしら」
「……なんでわかったんだ?」
目に見えるわけでもなければ、出水が耳を傾けていても何も聞こえなかった。
それなのに、琴音だけは確実にそこにいるという確証があるように話していた。
「ここに来てから……いや、薬を飲まされた辺りからかしら。なんでか耳がすごい良くなったの。あなたを見つけたのも、それが原因よ」
「……」
どういうことかは分からないが、琴音の耳が良くなった原因はその薬にあるとされることだけは理解できる。
ただ、今はそのことよりも、近くにいるとされる数体のモルフの方だ。
「俺が相手する。琴音は下がってるんだ」
「何言ってんのよ。私もいくわ。あの数だからこそ、慣らしておきたいのよ」
「いや、本当にそれ使うつもりなのか? 素人に扱えるほど楽な武器じゃ――」
「じゃあ、あなたが死んだ時、私はどうすればいいの?」
被せられるようにそう返答されて、出水は言葉を失う。
出水が死ねば、琴音は何もできずに殺されるのみだ。
もしも銃の扱いを知っておけば、多少なりとも生存確率は上がる。
倫理的に言えばNOなのだが、合理的さでいえばYESだ。
「……ふぅ、わかったよ。そのかわり、無闇矢鱈に撃ちまくるなよ。弾数も限られてるし、天井が崩れても困るからな」
「任せなさい。あなたよりかは上手くやるわ」
「俺って一応特殊部隊なんだけどな……」
なぜか立場が逆転しているように感じられたが、本人があまりにもやる気なので、これ以上は何も言わなかった。
「それじゃ、準備はいいか?」
「ええ、いつでも」
モルフがいるとされる道を歩き、出水は琴音に確認をとって、戦闘体勢に入る。




