第二章 第十八話 『四面楚歌』
割と今回は会話は少な目です。
辺りはすっかり暗くなり、空気が冷たくなって、冬の寒さが三人の隊員に襲いかかってきていた。
元々、出水達が着ている隠密機動特殊部隊の服装は、作業服のような黒の下地で、風通しも良いものとなっているため、こういった冷たい風に対してはかなり弱いものとなっている。
欠陥ではないかと思われるが、元々この任務ではかなりの機動力が必要となる為、自然と暖かくなるだろうと祈る他になかった。
お情け程度ではあるが、特に使い所のない防弾チョッキがまだ胸の辺りの風通しを遮っていたことは幸いだろう。
「ほんま寒いわ。このままモルフも低体温症とかで倒れてくれへんやろか」
「くだらないこと言ってないでちゃんと索敵しろ、清水。もう夜なんだぞ」
冗談を言う清水を叱った出水と神田は周囲の状況を確認しながら索敵を怠らなかった。
街灯がついているのはまだ幸いであった。
電力会社がまだ動いている証拠なのだが、直に全ての電気が落ちてもおかしくはない状況だ。
そうなれば、完全な暗闇の中での行軍となり、救出作戦どころではなくなってしまうだろう。
実際のところ、出水達はもう退避してもいい立場ではあった。
夜の中での救出作戦は、あまりにも身の危険が高くなる為、清水も弓親からそういう言伝は預かっていたとのことらしい。
だが、それでも出水達は今退避するわけにもいかなかった。
無謀は百も承知で、誰だって出水達を咎めるだろうが、彼らにはどうしても譲れないものがあったのだ。
「隊長……」
それは、鬼塚隊長のことだった。
彼は出水達を生かす為に、身体を張って逃してくれたのだ。
その最後は、モルフに噛まれたところではあったが、実際に死んだのかまではわかっていない。
たとえモルフになってしまっていたとしても、出水達には関係ない。
彼が救ってくれたように、今もこの暗闇で隠れ続けている市民を助けることこそが、鬼塚隊長の思いを継ぐことだと考えていたのだ。
それが正しいことなのかは、隊長本人にしか分からないだろう。
だが、それでも出水達は渋谷へ戻ることを選んだ。
どれほどの危険があろうとも、今にも命が脅かされそうとなっている市民を助けなければ、今も戦っているであろう笠井修二に顔向けもできない。
そうして、彼らは目的地である渋谷郊外へと辿り着いていた。
一部電気が通っていないところもあったが、神田達はむしろ好都合であると考えていた。
彼らがいるのは、その電気が点いていない建物の陰である。
なぜ灯りがある場所にいないのか、その理由は明白であった。
「うじゃうじゃいやがるな……あれ全部モルフか?」
出水がそう零し、清水も息を呑んでその光景を見ていた。
通りには、今までとは比にならないほどの数のモルフで溢れかえっていた。
全員、フラフラとした足取りをして、目的もなく歩いているが、こちらの位置がバレれば間違いなくその足で走って襲いかかりにくるはずだ。
特に、明かりがある場所にいれば視認されるリスクは高くなることは必然で、今、出水達が暗がりに潜むのもそれが理由である。
「どないするんや? 神田に特攻させても絶対無理やでこんなん」
「誰がそんなことさせるか。あんまふざけてっと、お前から囮にすんぞ」
「う、悪かったて……」
清水の茶化しに、出水は苦い表情で牽制して、再び大通りの道を見る。
正面突破をすることは不可能だろう。
モルフはまとまっているわけではなく、間隔を空けて立っているような様子だ。
下手に突っ込めば、囲まれてどんどん集まってくるのがオチだ。
街灯が照らしているのは、通りの中央付近ではあるが、その端々では車が炎上しており、赤い炎が周囲を照らしている。
「何があったかは想像したくねえな……」
その悲惨な光景から、この場所で何が起きていたのかは想像に硬くないだろう。
人の往来が特に多いこの通りは、モルフというウイルスにとって格好の餌場のようなものだ。
「とにかく、まだどこかに隠れている市民はいるかもしれない。その場合、外じゃなくて建物内にいると考えるほうが可能性は高いとは思うが、二人はどう思う?」
「俺は出水の指示に従う。建物内にいるかの可能性と問われれば、それは俺も賛成だな」
「俺も右に賛成や。自分がただの一般人としての立場やったとしても、こんな外うろつきたくないしな」
二人の意見を聞いて、出水は黙って頷き、周囲を見渡した。
この周辺は、高級な服の店など様々な店が立ち並ぶ商業施設で溢れかえっている。
かつては、由依ともデートで来たこともあり、思い出の場所などでもあるのだが、今となっては地獄の巣窟だ。
そうして、周辺の建物を見渡した後、出水は二人へと振り返って、
「状況にもよるけど、もし隠れるとするなら飲食ができるところが望ましいと思う。この辺で言うならば、駅の近くに点在している場所があるから、まずはそこから探ってみよう」
推測だが、出水が逃げる市民の立場であるならば、そうするだろうと自信を持って言えた。
外には死の危険がある化け物がいて、隠れ続けるためにはどうしても食料が必須となる。
それならば、比較的食料が豊富なデパートやスーパーの中が隠れ場所として最適だろう。
「こういう時、隠れてる人ってバリケードとか張ったりするんやろか?」
「ありがちだけどするだろうな。その方が生存者がいることを示唆しているから、分かりやすいんだけどな」
清水の考えに、出水も否定することなく答えた。
ゾンビ映画などでもありがちだが、目の前の化け物から逃れる為に、建物の外をバリケードで封鎖する。効果的であることは確かだろうが、映画の定番としては何かしらのトラブルが起きて突破されたりなどはザラだ。
しかし、それを指標にして探すというのは悪くない手段だ。
もちろん、その手段を講じるならばモルフとの戦闘リスクは避けられなくなるが。
「道中、モルフと交戦する可能性は高いと思う。そのつもりで二人ともいてくれ」
「了解」
「了解や」
全員の意思を確認し、出水達は移動を開始した。
比較的道が狭い場所を選んで進むことで、モルフと遭遇することはなく、順調に事が運んでいることは幸いであった。が、それも限界があり、進むごとに狭い道がなくなっていき、最終的には大通りの前までへとくることになっていた。
「ここからが正念場だな」
迂闊に飛び出せば、周辺のモルフがこちらの存在に気づくという膠着状態の状況であった。
見える限りでも三十数体のモルフがいるが、問題の本質はそこではない。
数いるモルフの中には、見た目が異質な存在も混じっていたのだ。
そのモルフは、全身に衣服はなく、皮膚が剥がれて赤黒い筋肉と脂肪だけが見える状態で平然と地面の上に突っ立っていた。
どうしてその状態で生きていられるのか、疑問に思うことは多々あるが、神田の報告にあった、感染段階『レベル3モルフ』の特徴と一致している。
つまりは、あれがそういうことなのだろう。
出水は、実際にその姿を見たのは初めてのことであるが、聞いていたよりもおぞましい姿に恐怖も感じていた。
ここで乱戦になれば、どうあっても無事で済むことはないだろう。
「神田、あれが夕方頃に対峙したっていう『レベル3モルフ』か?」
「ああ、見た目に関していえば、間違いなくそうだ。ただ、あの時に出会った奴とは腕の形状が全く違う。俺が相対した奴は、両手が鋭利な長い爪をしたモルフだった。今、ここから見える奴らは全員……違う」
神田からの最悪の報告を受けて、出水の額に冷や汗が浮かぶ。
確かに、見える限りいる『レベル3モルフ』は、それぞれが腕や足に妙な形状をさせている。
一体は、その片腕に、大剣のようなでかい形状をした刃を自分の体に結合している状態で。
一体は、カマキリのような、鎌の形状をした刃物を両腕に結合させたかのような状態で。
一体は、突き刺す為に使うつもりなのか、先端が尖った槍のような形状をした腕をした状態で。
それぞれが、不気味な姿をさせたまま、目的もなく大通り一帯を闊歩しているのだ。
普通に考えても、ビルの中でやり合った『レベル4モルフ』? らしからぬ化け物と戦うよりも厳しい。
「どうやって切り抜けるか……だな」
「思ったんやけど、無理してまでここを抜ける意味はないんとちゃうんか?」
突然、清水がとんでもないことを言い出した。
「いや、待てよ。そういうわけにもいかねえだろ? 市民救助が俺達の優先任務なわけで――」
「その市民も、本当にいるかどうか不明瞭なんやろ? それに、ここであの化け物共も遣り合っても、俺達が生きてないと救助もままならんのやぞ」
出水の言い分を、上から被せるように清水はそう言った。
ある意味では穿った考え方だろう。だが、出水がやろうとしている突破作戦もそれは同様だった。
この場を上手く切り抜け、目的の場所まで行けたとしても、本当に市民がいるかどうかは分からない。そのリスクとして、自分達の命の危険が天秤にかけられるのだ。
出水達がいなければ、市民を救出することは不可能であり、ここで戦闘を犯すリスクほどの意味はないと、清水はそう言いたいのだろう。
「でも、じゃあこれから俺達はどうするんだよ? このまま離脱するわけにもいかないってのは、お前も同意見だったじゃないか」
「それはそうや。せやから、地下から潜って探索せえへんか? この近くは地下鉄も走ってるんやろ? 地下なら、地上と違って、銃をぶっ放しても全方位から囲まれることはないやろ?」
清水の意見に、出水は隣にいた神田と顔を見合わせた。
単純に、意外だったのだ。いつもふざけた調子でどことなく抜けていたあの清水が、こうもまともな提案をしてきたのだから。
「……おい、なんか失礼なこと考えてへんか?」
「い、いや、気のせいだよ。その案でいこう。上手くいけば、そこにも生存者がいるかもしれないしな」
納得がいかないような、そんな様子でムスッとしていた清水であったが、褒めちぎってあげたらいつもの調子になったので、出水は安心することができた。
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一同は引き返し、人気の少ない路地を歩いて、地下通路への入り口がある付近まで到着することができた。
地下通路へ行く道は、この大都市ということもあり、様々な場所に設置されていた為、無難に行くことができていた。
「よし、降りるぞ」
後続の二人にも確認を取り、問題ないと言わんばかりにただ頷いて行動を開始した。
地下の中は、電気が点いている箇所と点いていない箇所が様々にあった。
時刻は午後七時を越えた辺りで、終電まではまだ遠い時間帯だ。この時間帯でも電気が疎らになっているのは、この場所でも何かがあったとそう示しているかのようであった。
静かな雰囲気は地上と変わらず、しかし、モルフの気配は感じられなかった。
「静か……だな」
「地下で感染した奴は少ないいうことなんやろか。少しはおると思ってたんやけどな」
「出水、待て。何か聞こえないか?」
神田の一言に、出水は耳を澄ましてみると、僅かだが人のような声が聞こえた。
「まさか、生存者?」
思わぬ状況の変化に、出水は目を見開きながら神田と顔を見合わせた。
もしも生存者が逃げ回っているのであれば、ここで突っ立っているわけにはいかない。
すぐにでも行動を開始した三人は、声が聞こえる方角へと走って向かっていく。
道中、交戦のリスクもあったが、幸いにモルフの姿はなく、進むことができていた。
そして、聞こえてきていた声が次第に大きくなって、
「だ、誰か! 助けてくれ!」
助けを呼ぶ男がこちらに気づき、手を差し伸べていた。
その目の前には、生きている人間ではないモルフの姿があり、それを視認した出水は、
「伏せろ!」
出水の叫びを聞いて、襲われていた男は指示に従い、頭に手を置いてしゃがみこんだ。
そして、神田がすぐさまモルフへと発砲して、男の目の前でモルフは力なく倒れこむ。
「ひっ!」
怯えた様子で、動かなくなったモルフを凝視する男は、震えながら動けない様子でいた。
周辺の様子を確認しながら、出水達はしゃがみこんだ男へと近づく。
「大丈夫ですか? 落ち着いて、俺達はあなたを救助しにきた者です」
冷静になりながら、混乱した様子の男を落ち着かせるように出水達の目的を伝えた。
男は、スーツを着こなしたサラリーマンのような格好をしており、その全身には傷跡らしきものはない。
そこに関しては安心することであったが、少し見た目に違和感はあった。
サラリーマンとは思えない、彼の首元には黒い刺青のようなものが彫られていたからだ。
ヤクザかなにかかと訝しげに考えていた出水であったが、隣にいた神田がなぜか後ろを向いた。
そして、男は神田の方を見て、驚いたかの様子でこう言った。
「慶次、坊ちゃん……ですか?」
知り合い、では片付けられない程の爆弾発言が放り込まれることとなり、出水達は唖然としていた。




