第二章 第十四話 『レベル4モルフ』
あけましておめでとうございます!
見たこともない姿だった。
身体の色は全身白一色で、血が通ってないようにも見える面持ちで、それは目の前にいる。
いや、本当に血が通っていないのだろう。どうみても、同じ人間とは思えない血色をした見た目をその化け物はしているのだ。
その化け物は、生存者であっただろう二人の人間を乱雑に喰い散らかし、周囲には血と臓物が転がっていた。
ここに来るまでは気づかなかったが、特に匂いがひどすぎた。
体内を喰い荒らされたことにより、胃液の匂いと排泄物の匂いが混ざり合って、この周辺はもはやまともに息をするのも辛い。
そうして、その中心にいる化け物は、身に纏う服はなく、体毛が一本もない姿をしていた。
口元は血に濡れ、眼球は黒く変色している。
笠井修二から聞いた、現段階で判明しているモルフの感染段階のどれにも当てはまらなかった。
――ならば、それは、
「神田! 動くぞ!」
出水の呼びかけに、神田は気づいた。
そのモルフは身体を少し動かしたと同時、信じられない程の速度で床を蹴り、飛んだのだ。
「クッソッ!!」
天井に張り付いたモルフへと、出水はすかさずサブマシンガンの銃口を向ける。が、モルフは天井に張り付いたと同時に更に跳躍し、床へ、壁へ、天井へと目で追えない速度で跳ねていく。
「なんなんだよこいつは!?」
「落ち着け、出水! この部屋でこいつを相手にするのは無理だ! まずは外に出るぞ!」
「っ! 分かった!」
出水が返事をした瞬間、跳躍し続けていたモルフは、壁から一直線に出水へと飛びかかった。
「出水!」
「んっなろうがぁっ!」
目の鼻の先まできたモルフの牙が出水の顔面へと食らいつかんとする直前、出水は足を大きく振り上げて、モルフの腹部へと蹴りを決め込む。
そのまま後ろに倒れ込むようにして、出水はモルフの特攻をギリギリで避けることができた。
「っ! はぁ、はぁっ! いきなりなんだ!? あいつ!」
「構うな! 今のうちにいくぞ!」
出水に避けられたモルフは、そのまま勢いよく壁に激突し、タンスや物が落ちていく中、神田と出水はなりふり構わず出口へと走っていく。
あのまま止めを刺すという選択肢もあったわけだが、神田にはできる気がしなかった。
というよりも、あの異様な姿にあの動き、止めを刺せたかどうかも分からない状況だ。
「おい! あれなんなんだよ!?」
「……『レベル4モルフ』」
「はぁ!?」
「誰も知らない……モルフの感染段階としか考えられない! ならば、あれはそういうことだ!」
神田は唇を噛みしめて、出水は顔を引きつらせていた。
それは、笠井修二も知らない感染段階の話だった。
そんなものと今、この場で遭遇したのならば、神田達に対抗する方法は思いつく筈もなく、逃げの一手を取ったのだ。
まるで、天井や壁に重力でもあるかのように跳躍していたあの俊敏な動きは、神田でさえも目で追い切ることすらできていなかった。
出水が最後、ギリギリ躱しきれたのもほとんど紙一重で、神田は反応するのにも精一杯だったのだ。
あんな化け物が存在する時点で、鼻から勝ち目などない。
そう考えながら、神田は下りの階段がある方向へ向かっていく。
だが、神田は背筋に嫌な悪寒を感じ、後ろをチラッと見ると、
「――出水!!」
「うわっ!」
神田が出水を押し倒して、そのまま地面に転がっていく。
その瞬間、出水がいた場所へ先ほどのモルフが牙を向けて通り過ぎた。
モルフは、その勢いが止まらないまま壁へと激突して、苦鳴を上げる。
「嘘だろ!? もう追いついたのか!?」
出水が、信じられないような驚愕の表情を浮かべて、銃を握る。
いくらなんでも機動力が桁違いであった。
かなり距離を離していたはずなのに、あのモルフは神田達を一直線に追いかけてきたのだ。
そして、それは神田達にとって最悪の状況を生み出すこととなる。
「ちっくしょうが! これでも喰らいやがれ!」
出水は、倒れかかっていたモルフへと銃撃を浴びせようと乱射した。
だが、モルフはそれを避けるように跳躍して、壁へと四本の手足をついて神田達を見据えた。
「――っ!」
神田も、続くようにして壁に手をついたモルフへ銃弾を撃ち込む。
しかし、モルフは更に跳躍をして、遭遇時と同じように壁へ、天井へと移動していく。
これでは、先ほどと全く変わらない状況であった。
だが、逃げ場が無い以上、ここで倒す以外に道はない。
正直、今まで出会ったモルフがどれだけ対処が楽だったのか思い知らされた。
今までのモルフは、神田が体感した通り、まだ攻撃を当てられる要素が強かったのだ。
だが、このモルフはこちらの攻撃はまるで当たらず、相手は疲れも知らずに疲弊した獲物を狙う算段なのだろう。
このまま銃弾を乱射し続けていれば、いずれ弾が尽き、そこを狙われるだけだ。
そう考えた神田は、すぐ近くにあった消火器を手に取り、跳躍し続けるモルフの方へと投げて、
「出水、伏せろ!」
モルフに向けてではなく、投げた消火器へと向けて神田は発砲した。
直後、消火器が爆発を起こし、辺り一面を白塵が舞う。
「ゲホッ! 神田!?」
「今のうちに走り抜けるぞ!」
神田は狙い通りと言わんばかりに白塵の中を走り抜け、出水についてこさせた。
白塵の中ではモルフの位置を特定することができないが、敵もこちらを視認することはできないはずである。
賭けの要素が強かったが、それは成功したようだった。
白塵を抜け、二階ほど降りたところで後ろを見ると、モルフ追いかけてきている様子はなかった。
だが、落ち着けば必ず追跡してくることは間違いないはずだ。
神田はその場で足を止めて、出水へと顔を向けて言った。
「出水! あいつを迎え撃つぞ! この階でケリをつける!」
「おい! このまま逃げないのかよ!?」
「あいつを野放しにすれば、被害が拡大する! ここで確実に仕留めないとダメだ!」
「――クソッ! 本当に最悪な一日だ!」
文句を言いつつも、出水は神田の判断に従う。
本来ならば、出水が指示を出す側でなくてはいけない現状ではあった。
だが、実戦経験のある神田は、今の状況を的確に判断することはできていた。こればっかりは仕方のないことではあるが、出水にはまだ自分の能力を引き出せるほどに経験が足りていないのである。
――気持ちが折れていなければ戦えるはずだ。
神田は、白塵が落ち着こうとする間に通路を見渡してみた。
使えるものは何でも使いたい。今ある装備だけで対抗できるほど、楽観視はできないのだ。
持ち合わせた武器と、地形と、そこにある道具を最大限に活用しなければ、奴は倒せない。
そう考えながら、出水を連れて動き出し、一つの部屋の中へと入る。
そこは、営業部第二課と札が立てられた部屋となっており、内観は先ほどの経理課とは変わらないが、広さはこちらの方が広い。
加えて、障害物も十分にある為、向こうがこちらを視認していなければ、奇襲もかけられるはずだ。
もうそろそろ、消火器の白塵が収まった頃合だと感じた神田は、そこで周りを見渡す。
この企業は、製薬会社であることは把握していた。
薬品関係を取り扱う以上、何かしらの劇薬等があれば、対抗策を練られるものだと考えていたが、そんなものがあるはずはなかった。
ここが営業部門ということもそうだが、危険物をそのままにして置くほど馬鹿な会社でもないのだ。
窓側から見える外の風景から、陽が落ち始めていることは嫌でも目に付いた。
このまま暗がりに夜になれば、モルフの制圧と市民の救出にも支障がでる。
状況が悪化することに辟易しながら、尚も何か策を練ろうと考え込んでいると、
「――来たな」
一体のモルフが、扉をぶち破るように破壊して、部屋の中に入ってくる。
咄嗟に身を隠したことで、向こう側には視認されていないようだが、時間の問題だろう。
あのモルフは、神田達がこの部屋に隠れていることを把握していたのだ。
その方法は分からないが、このままではいずれ見つかることは必死だ。
「――――」
神田は、出水へと手でジェスチャーを送り、動かないように指示を出していく。
顔を少しだけ出して様子を伺うと、やはり先ほどのモルフであることは理解できた。
そのモルフは獲物を見失ったような様子で辺りを見渡しながら、その口元の牙から涎をたらし続けている。
こうして見ても、なんともおぞましい生き物だ。
人間のような風貌をしていても、普通の人間があのモルフを見れば、叫び、逃げたくなるだろう。
それほどに、気味の悪い異質な存在であった。
モルフは、ゆっくりと体を動かして移動をし始めた。
幸い、神田達が潜んでいる方とは逆方向に移動をし始めた為、見つかる恐れはないだろう。
「――――」
だが、逆に考えれば、これはチャンスなのではないだろうか?
モルフは、神田達から背を向ける形で移動をしている。
この状態ならば、奇襲をかけることもできるはずなのだ。
しかし、奇襲とはいっても、簡単に行動を移せないことも確かであった。
あのモルフに対して未知数な点がある以上、一撃で仕留めなければどうなるか分かったものじゃない。
弱点も今までと同じように、頭部となるのか定かであったものではなかったのだ。
しばし考え込みながら、神田はある作戦を思いついた。
すぐに出水の方へと顔を向けて、ジェスチャーでその作戦を伝えようとする。
それを見た出水は心底嫌な面持ちをしていたが、生き死にを賭けた勝負だ。
無理矢理、承諾させようと神田は行動を開始した。
「まずは、その隙だらけの体に鉛弾をぶち込んでやる」
背中を見せているモルフへと向かって、神田はサブマシンガンで射撃を開始。こちらを認識できていなかったモルフは、撃たれるがまま銃弾を浴びた。
「――――ッ!」
悲鳴を上げているモルフは、為す術もないまま銃弾を受けた反動でよろめいている。
だが、神田はそれでも銃弾を撃ち続けていく。
たとえ弾切れになろうとも、ここで一気に仕留めにかからなければ倒すことはできないかもしれないからだ。
「仕留めきれないっ!」
弾が底を尽きかけようとした直前、モルフに動きがあった。
その長い手足でもって、付近にあるデスクや椅子を四方へと吹き飛ばしてきたのだ。
その一部が神田の方へと向かってきて、神田はすかさず回避行動を取る。
その隙を狙ったかのように、傷だらけのモルフが跳躍し、神田へと飛びかかった。
「ちぃっ!」
舌打ちし、反撃するように銃を構えて撃とうとした。
このモルフは、先ほどから攻撃手段が噛み付くことに一点していることは分かっていた。
今もその牙で襲いかかろうとしていることから、神田は頭をこちらへと向けたモルフへと発砲する。
「―――ッギャアァァア!!」
耳を塞ぎたくなるような絶叫を上げ、モルフはその牙を閉じてそのまま神田の頭上を通り過ぎた。
確実に弱点である頭に被弾させることができた。
これならば、さすがのあのモルフも無事では済まないはずだろう。
だが、後ろを振り向いた時、様子がおかしいことに気づいた。
「な……に?」
全身穴だらけにされたモルフが、悠然と立ち上がり、神田へと向いてその顔を歪めていたのだ。
見ると、その被弾した箇所はみるみると再生を開始し始めている。
それは、弱点である頭の部分も同様で、モルフは意も介さない様子で前方に立っていた。
「頭が弱点じゃないのか?」
今まで出会ったモルフは、その全てが頭部が弱点であった。
だが、このモルフだけは、頭部に被弾しても死ぬことはなかったのだ。
あるいは命中箇所が甘かったとも考えられたが、被弾した箇所は脳髄に届くであろう位置だ。
神田は当初、このモルフが死した人間の最終感染段階、『レベル4モルフ』であると推測していたが、改めて確信を持った。
このモルフは、他の感染段階のモルフよりも明らかに厄介な存在だ。
驚異的な再生能力も、弱点である頭を撃ち抜いても死なないことも、もはや物理法則を無視したかのような異常な生命体であることは疑いようもない。
立ち上がり、神田の方へ向いているモルフは、口元を血で濡らしながら怒りの形相を浮かべている。
その様子は、まるで感情があると言わんばかりであったが、そんなことを考えている余裕はない。
残弾数が残り僅かとなった銃のマガジンを入れ替えて、再び構えた。
消耗戦になれば、こちらが圧倒的に不利だ。
頭を数発当ててもダメならば、再生が追いつかない程に頭部を破壊していくしかない。
そう考えながら、神田は目だけを違う方向へと向けた。
「しっかり合わせろよ、出水」
まだモルフに視認されていない、もう一人のチームメイトの名を呼んで、再び死闘は継続する。




