第二章 第十二話 『隊長の責務』
清水が叫んだ直後、後ろを見た全員が見たのは、『レベル2モルフ』の群勢であった。
どこから嗅ぎつけたのか、全員が一直線に神田達へと向かって走ってきている。
それを視認した鬼塚隊長は、すぐさま顔色を変えて、
「走れ走れ走れ!! 全員、弓親のいる避難車まで足を止めるな! 行け!」
「清水! サブマシンガンを貸してくれ!!」
神田達だけでなく、市民達も含めて全員に焦りの表情が浮かび上がり、今までの陣形を無視して走り出す。
神田は清水から渡されたサブマシンガンを手に取り、鬼塚隊長と共に、後退しながら『レベル2モルフ』へと銃弾を撃ち込んでいく。
だが、モルフの勢いはまるで止まらず、後ろからどんどん溢れ出るように神田達へと迫りつつあった。
「っ! 隊長、ダメです! このままじゃ!」
「少しでも足止めするんだ! 弓親の車までもう少しのところまで来ている! あいつらまで乗せるわけにはいかん!」
鬼塚隊長はそう言っているが、一秒も足止めできていないほどにモルフの勢いは凄まじい。
このままでは、二人ともやられるのがオチである。
鬼塚隊長もそれに気づいていたのか、このままでは共倒れになると予測し、神田へと命令を下そうとする。
「神田! お前は先に行って前方の安全を確保しろ! 後ろは俺がなんとかする!」
鬼塚隊長の指示に、神田は一瞬、迷いながらも――、
「――了解です!!」
後ろを託して、神田は全速力で走った。
信じるしかなかった。
今の神田には、何が最善かが分かっていない。
それでも今は市民の救助が最優先であり、その為ならば、鬼塚隊長の判断は間違っていないのだ。
銃声音が鳴り止まない中、後ろを振り返らずにただ走り続けた。
そして、出水達の背中を見つけた神田は、
「出水! その先に弓親の乗っている車がある! 市民を乗せて、鬼塚隊長が来るまでに準備を整えろ!」
「わ、わかった!」
出水は清水と共に市民を誘導していく。
その周辺にモルフがいないかを探りながら、神田は索敵を続けた。
どこにも、何もいないことが分かり、中継地点とされていた場所へと辿り着こうとしていた。
そして――、
「あれだ! 着いたぞ!」
出水が指を差した方向に、はじめにこの街へ来た時と同じ車が確かにそこにあった。
神田はすぐに後ろを振り向いて、鬼塚隊長の状況を確認する。
が、鬼塚隊長はまだきていない。
焦る神田を見ていた清水は、
「神田! 今は市民の方が優先や! こっち手伝え!」
「くっ!」
車のバックドアを開けて、神田は出水達と共に市民を次々と乗せていく。
出水と清水も後に続くように乗って、いつでも出られる状態にはなった。
だが、神田はまだ乗らない。
まだ、一人足りていないのだ。
鬼塚隊長が来るまで、まだ弓親の避難車両を動かさせるわけにはいかない。
だが、銃声音が聞こえてくることから、まだ応戦していることは確かである。
「おい! 鬼塚さんはまだなのか!?」
運転席から投げかける声の主、弓親は急かすように尋ねた。
「まだ、まだだ! まだ近くにいる!」
周りを索敵しながら、万全の注意を払いつつ、神田は鬼塚隊長の合流を待った。
そして、その瞬間はすぐに訪れた。
「鬼塚隊長!!」
大通りから、鬼塚隊長が大量のモルフを引き連れてこちらへと向かってきていた。
だが、これでは鬼塚隊長が乗り込んだ瞬間にモルフに襲われるリスクが高すぎた。
すぐさま後ろのモルフを銃で撃とうとするが、それはできなかった。
圧倒的に射線が悪すぎたのだ。
下手をすれば鬼塚隊長に誤射しかねないために、神田は何もすることができない。
「どう……すればっ!」
神田は迷う。
だが、答えは見つからない。
後ろにいる出水達も同じ考えのようで、ただ見ていることしかできなかった。
鬼塚隊長は、神田達の顔を確認したその後に予想外の行動を取る。
そのまま振り向いて、モルフ達へと射撃を開始したのだ。
「隊長!?」
「お前たちは市民を連れて先に避難しろ! 俺は乗れない! 急げ!」
「な、なにを?」
その行動に、神田達は従うことができないでいた。
その間、僅か二秒にも満たないが、三人の胸中は複雑な感情が入り乱れていた。
モルフをどうやって引き離すか――。
否、加勢も難しく、あの大群を相手に鬼塚隊長との距離を引き離す方法はない。
隊長を置いて、市民の避難を優先させるか――。
否、彼らにとって、隊長は恩師のようなものだ。
そう簡単に見捨てることはできない。
皆で助かる方法を探さないと――。
否、もはや、誰も死なずに助かる方法は現時点では存在しない。
様々な思考が、頭の中を駆け巡る。
だが、その全てが必ず誰かが犠牲になるという最悪の条件でしかなかった。
隊長は生かす意思を持って、神田達に委ねようとしているのだ。
この日本の命運、果ては市民の安全確保の命を。
「早く行け!! 弓親、車を出せ!」
ただ、呆然としていた三人の隊員の後ろにいた弓親は、その鬼塚隊長の声を聞いて、苦悶の表情を浮かべながらも、歯を食いしばって、
「っ……、了解!! 神田、早く乗れ!」
「ま、待ってくれ! 隊長はまだ!」
「もう間に合わない! 隊長は手遅れだ! 早くしろ!」
急かされるように、神田はバックドアの取っ手を握り、後方を向いたその時、
鬼塚隊長が一体のモルフに噛みつかれる瞬間を目撃した。
「隊長ぉぉぉぉぉぉ!!」
「いけぇぇぇぇぇ!!」
噛みつかれながらも、そう叫び返した鬼塚の言葉を聞いて、弓親はフルアクセルで車を前進させた。
遠ざかる隊長の姿を見ながら、次々と鬼塚隊長に噛み付くモルフ達がこの場からでもよく見えた。
もはや呆然とするしかなかった。
言葉にできないほどのその光景をただ眺めていた神田達は、鬼塚隊長のその最期から目を離すことはなかった。
ただ、静寂だけが車の中に残るのみだった。
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バックドアを閉めて、車の中にいた者は皆、一様に下を向いていた。
市民達はただ不安に感じているだけなのはわかっていた。
それも、人が襲われるところを目の当たりにしたのだ。
恐怖に縛られてしまっているのだろう。
だが、側にいた出水と清水は違う。
神田も同じで、目の前で失った存在が大きく影響していたのだ。
鬼塚隊長は神田達を五ヶ月間、訓練生として見てくれた教官で、たとえ短い期間でも彼らにとってはかけがえのない恩師だった。
それなのに、
「クソックソックソッ!」
清水は、悔しそうに窓を叩いていた。
「やめろ、清水。そんなことしても……何も変わらない」
「やめろ? お前は悔しくないんかよ!? 隊長が……隊長がもうおらんのやぞ!? 神田!」
「悔しいに決まってるだろうが!!」
八つ当たりのように怒りをぶつけた清水を、神田は似合わないほど大声を上げて、怒りの形相で清水を睨みつけた。
清水は、神田に圧倒されて何も言い返すことができないでいた。
出水も止めようとはしない。
神田はここにいる誰よりも分かっていたのだ。
悔しい思いは皆同じだ。
それでも、隊長が死ぬ覚悟で神田達を生かしたことは、ここで落ち込ませるためなどではないと。
「すまん……、勝手なこと言うたな」
「いや、いい。俺も、急に怒鳴って悪かった」
重苦しい空気の中、それ以上は何も話さなかった。
ただ、沈黙が場を支配する中で、出水は自分達のこれからについて、切り出すように話し出す。
「これから……どうする?」
枯れそうな声のまま、今後の展望について相談しようとした。
その問いに対して、すぐに誰も答えようとはしなかった。
なにせ、これまでの指揮は全て鬼塚隊長がやっていた。
隊員達である神田達に、すぐに判断するのは難しいだろう。
だが、壁に背をもたれかけていた神田が口を開いて、
「俺は、生存者の捜索とモルフの制圧を続ける。このまま離脱なんて……ありえない」
「俺も同じや。このまま好き勝手させられたままは気に食わん」
お互いにこの地獄の中に残ると決めた二人を見て、出水は「ふぅ」と息を吐くと、
「俺も行くよ。でも、誰か一人は弓親さんの車に残ってもらないといけない。さすがに警護する者が必要だからな。だから、済まないが清水、一旦ここに残ってくれないか?」
「なんで俺なんや?」
「この周辺の地区はよく通ってたから詳しいんだよ。それに、モルフを相手にするなら神田の力がどうしてもいるんだ」
確かに、地理的な要素に詳しい者がいれば、行動はしやすくなる。
神田自身も、先ほど『レベル3モルフ』を相手に一人で対処できていたわけなので、戦力としてみればこれが最善だ。
「……了解や。その代わり、市民を無事避難させたら俺も合流するで? ええな?」
「ああ」と、出水は了承して、立ち上がった。
この車には、隠密機動特殊部隊専用の武器を運搬する役目も兼ねており、出水は手持ちの武器を改めて補給した。
神田もそれに合わせて、失ったサブマシンガンと同じものを手に取り、準備をしていく。
弾はいくらあっても足りないだろうとは考えていた。
実際、神田はここに来るまでにほぼ全ての弾薬のストックを使い切った上での補給だ。
それでも、できる限りの道具を揃えていくしかない。
「出水、すぐに降りるのか?」
「ああ、準備ができたらすぐにいこう。清水、市民の避難が完了したら連絡頼む。俺たちの位置の座標はその時に送るよ」
「了解や」
互いに役目を確認しつつ、出水は弓親のいる運転席まで向かいながら、
「弓親さん、俺と神田をここで下ろしてください。俺たちは任務を継続します」
「正気か? もうここの区域はどうあがいても地獄絵図だぞ?」
「それでもやります。それが俺達の仕事ですから」
「……分かった。何かあれば連絡を寄越せ。その時は、すぐに俺も回収に向かう」
弓親の声を聞いて、出水は軽く微笑み、神田へと向き直る。
「さあ、いくか」
「ああ」
神田達の乗る車が停止し、バックドアを開ける。
先ほどとは違い、周りにはまるでモルフの気配はない地帯のようであった。
かなり感染区域から離れたのだろう。ある意味、囲まれる危険が低いので救助もしやすくなるはずだ。
そう考えていた神田は、出水と共に車を降りる。
弓親は、そのまま急ぐように車を発進させて、避難場所へと向かっていった。
特に何も言わずに去っていったのは何かと寂しいが、合理的に考える男なのだろう。
神田達は、再び感染区域内へと入るように歩を進めていく。
「一応、念のためだけど、できる限り人目のつきにくい道を通りつつ進もう。さっきのように、モルフが押し寄せるなんてことになれば、終わりだからな」
「……そうだな」
眼前、広がる大通りには、人っ子一人いない状況だ。
どこまでがモルフの生息地帯となっているのか、情報が錯綜している現状、分かりようもないわけだが、それでも用心をしておくにこしたことはない。
もし、集団で襲い掛かられることになれば、それは神田達が鬼塚隊長と同じ運命を辿ることになるからだ。
それだけは絶対にダメだと、神田は内心で深く考えていた。
鬼塚隊長は死ぬ覚悟で、神田達に託したのだ。
隠密機動特殊部隊の隊長として、一人でも多くの市民を助け出す為に、神田達を生かしたその意思を蔑ろにするなど、あってはならない。
神田達は、路地の裏道を通りながら、前へと進んでいく。
物音も、声もお互いに発せず、ただお互いに周囲の索敵を怠らないようにしていた。
この一帯は、高層ビルが立ち並ぶ地帯であり、今、神田達がいるのはその周囲に立ち並ぶ飲食街の通りである。
サラリーマンなどの昼食や、呑み会での客層を狙っていたのだろう。
看板には、本日の日替わりメニューの献立表や、四人以上の方は飲み放題割引など、集客を狙ったものが、店前に数多く置いてある。
だが、かつてあったであろうそんな活況は、どこにもない。
ゴーストタウンのように人の気配がしないその通りは、歪で殺伐とした雰囲気を漂わせていた。
「どう思う?」
出水は緊張感をその顔に浮かべて、神田へと聞こうとした。
意見を聞いてきたのは、出水も神田と同じ考えがあるのだろう。
「誰一人いないってことは避難した、と考えるのが妥当だろうな。ただ、モルフがいた可能性も十分にありうる。荷物が散見してあるのが奇妙だからな」
「……確かにな」
神田の意見に、出水の同感の様子だ。
神田が見た先には、客の荷物と思わしき物が店の中のテーブルやカウンターの上に放置されたままとなっていた。
それは、まるでモルフから逃げることになってのことか、もしくはニュースを見て、なりふり構わず逃げたのか、どちらにせよ安全とは言い難い様子であった。
が、神田はそこでふと思いつく。
「そうだ、ニュースだ。今の現状が分からない以上、何か情報があるかもしれない」
「確かにそうだな。よし、そこのラーメン屋の中のテレビから見てみようぜ」
二人は、すぐ横にあったラーメン屋の中に入り、天井付近に取り付けられたテレビの電源を入れた。
チャンネルはそのままの状態だが、変えなくても問題ないほどに、その光景は映し出されていた。
『全国民に告ぎます。今現在、総理より国家緊急事態宣言の発令がかかりました。国民の皆様は必ず外に出ないように、戸締りをして立て篭もるようにして下さい。繰り返します……』
それは、予測されていた事態であった。
モルフの存在が世間に拡散されたことにより、全国民の外出禁止を促す緊急事態宣言が発令されたのだ。
どのチャンネルを開いても全く同じで、事態の重さがより伝わるものとなっている。
だが、神田は何か引っかかっていた。
「――なんで、東京だけで全国民の外出禁止令が出されているんだ?」
現在、確認されているモルフの発生地域は、この東京だけのはずだ。
仮に戒厳令を敷くにしても、それは東京に隣接する県が対象になる。
なのに、この言い方は妙に違和感を感じる。
チャンネルを変えていき、一つだけ他とは違う映像が流れているものがあった。
そこには――、
『全国民の皆様! どうか外出は控えるようにして下さい! 現在、東京、大阪、京都、福岡、仙台、名古屋等に人を襲う暴徒が溢れかえっております! 現在、警察だけでなく、自衛隊を含めた総力を上げて鎮静化を図っております! 確認されている地域以外にもこの暴徒達がいる可能性は十分にありえます! 国民の皆様! 外出は控えるようにして下さい!』
絶望を知らせる放送が、二人を硬直させた。




