第二章 第十一話 『知性』
街は、以前の活気が嘘のように静かな様相を保っていた。
ただ少し違うのは、その光景が荒れ果てたかのような殺伐とした雰囲気をしていることである。
まるで暴動でも起きたかのように車がそこら中に横転しており、地面にはスーパーで買った食べ物などが、レジ袋から飛び出して辺り一面に散らばっていた。
何も知らない人からすれば、この光景は異常だと思えただろう。
普段ならば、ここには人でごった返しており、地面にはあってもポイ捨てされたゴミが落ちている程度のもの。車は道路交通法に遵守して、あるべき場所に停められているはずなのだから。
なぜ、今そのような異常な光景が目の前に広がっているのか。それは各所に見える人の姿をした、人ならざるものの存在であった。
「クソッ……ここからでも数十体はいるな。隊長、表通りはやはり通るのは厳しいです。裏道からいきましょう」
「ダメだ。弓親のいる移動用の避難車はこの大通りを抜けないといけない。戦闘は避けたいが、ここからじゃないと合流ができない」
「マジすか……」
避けて通れない道であることを聞いて、出水は頭を抱えそうになっていた。
今、神田達がいるのは車の通りが特に多いとされる大通りの建物の陰であった。
先ほど、モルフに襲われていた市民を救助し、その者達を弓親が待機している避難車へと連れて行こうとしているのだが、そう簡単にはいかなかった。
大通りには散らばる形でモルフが突っ立っており、走り抜けようとしても間違いなくこちらに気づかれることは間違いがない。そんな状況であったのだ。
とはいえ、戦闘になれば、今ここにいる市民の安全は確保できる保障はない。
詰まるところ、八方塞がりということだ。
「隊長、俺に任せてもらえないでしょうか?」
手付かずの状況の中、神田が鬼塚隊長へとそう進言した。
「何をする気だ?」
「俺が囮となってモルフを引き付けます。その間に隊長達は市民を連れて大通りを抜けて下さい」
それを聞いた出水と清水は動揺するように身を硬くしていた。
神田は、それがどれほどの危険が降りかかるものかを自身でも理解している。
だが、それでもこの場を切り抜けるには戦闘をする以外に回避する術はない。
「ま、待てや、神田。それなら俺も……」
「いや、待て清水。俺達は市民を守りながらここを切り抜けないといけないんだぞ? 人数を囮に割くのは非効率だ」
「でも、それやと神田が……」
「この中で一番能力が高いのは俺なんだろう? だから心配するな。息の根を止めることには慣れている」
心配するように清水は尚も食い下がろうとするが、出水の言っていることは正しい。
神田達の今の任務はモルフの制圧ではなく、市民の避難誘導が最優先なのだ。
ならばこそ、ここは隊員の中で経験が高い神田が最適なのである。
もっとも、鬼塚隊長にその役目を任せることもできたのだが、隊長は指揮する側であり、それは任せることができない。
それゆえに、神田は自ら囮となることを志願したのだ。
「……わかった。だが、絶対に無理はするな。極力距離は保ちつつ、俺達が大通りを抜けたらすぐに追いかけて来い」
「了解です」
神田は返事をして、サブマシンガンを持ち直した。
重量感のあるその武器を持った状態で、神田は大通りの真ん中へと駆け抜けた。
その神田を視認したモルフが数体、近づくのが確認できる。
「さあ、やるか」
周囲を囲む形で、神田へと徐々に近づくモルフへと銃口を向けた。
深呼吸をして、神田はゆっくりと近づくモルフを見据える。
本当は緊張していた。ヤクザ相手なら、銃をぶっ放すことなど日常茶飯事であったわけだが、今回はまるで状況が違う。
訓練で慣らしたが、このようなでかい銃を持つことも、その銃弾をぶつける相手も、この部隊に入るまでは想像もしていなかったのだ。
「鈍い」
すぐ近くにいたモルフへと、神田は発砲を開始した。
的確に弱点である頭を撃ち抜き、モルフは力無く倒れていく。
発砲音を聞いた周辺のモルフが神田へと近づきつつある中、神田は出水達が身を潜める建物の陰へと顔を向けて、
「今だ! 行け!」
合図を出して、出水らへと大通りを抜けるように指示を出す。
ちょうどモルフの後ろを通る形で、市民を連れた出水達は走り抜けた。
流れ弾を気にしつつ、一定の距離を保ちながら神田はその様子を伺っていた。
作戦は成功である。
後はここにいるモルフを片付ければ終わりだと、制圧を開始しようとしたその直前――、六体いたモルフの三体が神田へと向かって走りだした。
「っ! きたか」
迷わず、こちらへと向かってくるモルフへと銃弾を撃ちこむ。
後ろへと後退しながら、少しでも襲われないように距離を開けるが、詰められるのが早い。
予測はしていた。
清水が襲われかけたように、『レベル2モルフ』の感染段階に至る可能性は考慮していたが、わかっていても対応は難しい。
一挙に六体であれば、神田はさすがに制圧しきるのは無理であっただろう。
撃ち損じたモルフが目の前まで来た時、その腹へと蹴りを決め込む。
「ナメるなよ」
結局のところ、神田が冷静でいられたのが大きな要因だった。
焦りながら撃ち続けていても、いずれ限界がくることはわかっていたのだ。
最後の一体となったモルフの頭を撃ち抜いて、神田は大通りのモルフを全て片付けることができた。
「こんなところか。今のところは想定通りだな」
知っている、という要素が今回はかなり大きく出た。
『レベル2モルフ』の特徴を知って、それをこの目で見ていなければ、このようにはいかなかっただろう。
ある意味では、清水が襲われかけたあの瞬間があったことが功を成していたのだ。
「銃弾の消費が早いな。このままだと消耗戦になるか」
残弾が少ないことを確認した神田は、腰に構えていた銃弾のストックを取り出す。
そのままリロードをして、すぐにでも出水達に追いつこうと走りだしたその時、
窓ガラスが割れるような音を後ろから聞いた。
「ん?」
振り向いた時、そこにいたのは見たこともない存在がいた。
人間の姿形をしていて、その全身には皮膚が剥がれ落ちたかのようなイレギュラーな存在がそこにいる。
その両の腕は、およそ人間の腕とは思えないぐらい太く、長い形をしており、手は爪のような尖った形状をしていた。
「なんだ、あれは?」
その異様な姿に驚くが、それと共に嫌な予感がした。
あれは間違いなく敵だ。
少なくとも、この非常事態に現れる存在。タイミングからして間違いなく、この街を混乱に陥れている一端であることに違いない。
銃を構えつつ、神田はその異形の生物の動きを見ながら、微動だにしなかった。
下手に刺激を起こして、何をするかが読めなかったからだ。
だが、そうしていながら、ふと考えてもいた。
今、なぜこのタイミングでこんな化け物が現れたのか?
笠井修二が言っていたモルフの感染段階で、直接見たことはないが、心当たりがあるものがあったことを頭によぎらせた。
「まさかと思うが……これが『レベル3モルフ』か?」
疑問が確信へと変わろうとしたその時、そのモルフはその足で突如走り出し、両の爪を振りかぶるようにして、神田へと襲い掛かった。
「っ!」
とっさに避けようとした神田は、その判断が正解であったことを思い知った。
先ほどまで神田が立っていた地面を、そのモルフは爪で深く抉ったのだ。
コンクリートでできた地面の破片が散らばる中で、神田はそのモルフが敵意を持って襲い掛かってきていることを改めて認識する。
「そっちがその気なら、こっちも遠慮なくやるぞ」
前かがみとなったモルフへと向けて、神田は引き金を引き、銃弾を撃ち込んだ。
至近距離でその身体に銃弾を受けたモルフは痛覚があるのか、悲鳴を上げてよろめいた。が、数発が弱点である頭へと当たったにもかかわらず、そのモルフは倒れない。
何事なのか疑問に感じていたが、考えている間もなく、モルフは攻撃態勢に入るように神田へと向き直る。
「ちっ、こいつは厄介だな」
あの爪による攻撃には、掠り傷一つでも負うわけにはいかない。
接近戦に持ち込まれなければ勝機はあるが、このままここで長期戦になれば他のモルフが集まりかねない状況だ。
分が悪いと考えた神田は、この場から離脱しようと駆け出した。
だが、追いすがるようにモルフも神田を追いかけようとする。
「ついてくるんじゃねえよ!」
振り向きざまに、モルフへと銃を向けて撃つが、そのモルフは両の爪で頭を庇った。
「な!?」
まるで、学んだかのようなその行為に、神田は驚愕した。
知性のかけらも持たない怪物だと思っていたが、そうではなかった。
確実に、このモルフは学習している。
自らの弱点が頭であることも把握して、自らの武器であるその爪で頭を守っていたのだ。
この行動だけでも、撃破がなお難しくなったことには違いない。
神田は慌てて、追い縋るモルフの足の部分を撃ち抜き、その動きを止めた。
「はぁっ、はぁっ! これならっ!」
少なくとも、再生までには時間がかかる。
そう考えていた時、モルフが妙な動きを見せていた。
痛がるような仕草をしていたと思われていた。
だが、まるで動物のように、四足歩行の態勢をとっているのだ。
その仕草を見ていた神田は、それが攻撃態勢に入っていることを瞬時に感じ取り、サブマシンガンの銃口を即座にモルフへと向けた。
その瞬間、モルフが跳躍し、神田へと一気に接近してその爪を振りかざしてきた。
「っ!」
たまらず引き金を引き、モルフの頭を撃ち抜く。
だが、モルフの爪の攻撃を避けることはできず、その爪が神田の持つサブマシンガンを吹っ飛ばした。
相打ち狙いだったのか、神田は後退しつつ撃っていたのが功をなしていた。
あと一歩、遅れていれば間違いなくあの爪で神田の体を切り裂かれていたのだ。
頭を撃ち抜かれて、のたうち回るモルフをよそに、神田は吹っ飛ばされたサブマシンガンを拾うが、銃先がわずかに曲がっており、使い物にならないことに気づく。
「クソッ」
仕方なく放棄して、神田はその場から離脱した。
モルフにトドメを刺す術が無かったこともあるが、頭を撃ち抜いているので問題はないだろうとの判断である。
神田は大通りを抜けて、高速道路のある真下の道を通り抜けると、先に市民を避難させていた出水達の後ろ姿が見えた。
どうやら神田が来るまで、待機していたようである。
市民の避難を最優先にしてほしい思いであったが、今は目の前のことだ。
「神田! 無事だったんだな」
「今すぐ移動するぞ! 後ろに『レベル3モルフ』がいる! あれは危険すぎる!」
安心する出水を無視して、すぐさま状況を伝えると、出水や鬼塚隊長の顔が青ざめていた。
頭を撃ち抜いていたので、問題はないと思うが念の為だ。
あれで、もしも生きていた場合、間違いなく次も更に学習して厄介になる。断言ができない以上は、この判断で間違いはないだろうと神田は考えていた。
神田の伝令を聞いた鬼塚隊長は神田の肩に手を置いて、
「それが本当なら、すぐに移動するぞ。よく戻ってきてくれたな、神田」
「いえ、この程度、造作もないですよ。ただ、危なかったのは事実ですが――」
モルフとの戦闘において、傷一つでもつけられれば致命傷になりうる。
それは、ここにいない笠井修二からのアドバイスであった。
あれが無ければ、ただひたすらに制圧、撃破することしか考えられなかっただろう。
そして、負傷の可能性はかなり高かったとも言えた。
「ひとまず、弓親のいる避難用の車までもう少しだ。行くぞ」
鬼塚隊長の指示に、神田達は頷いた。
このまま、何事もなくようやく市民を避難させられる、そう思った矢先のことだ。
「ちょ、ちょっと待てや……、後ろ! 来てるぞ!」
清水が後ろを見て、何事か、全員が後ろを見た。
そこには、『レベル2モルフ』の集団が神田達へと向かって、走ってきていたのだ。
一時間後、次話掲載。




