第二章 第十話 『モルフの能力』
アリスの言ったことは、修二にも予測外のことであった。
「あなたの幼馴染、椎名真希が何者かに攫われたわ」
「――は? え、椎名が? なんで今……」
「詳しいことは移動しながら話すわ。鬼塚さん、いいわね?」
「ま、待て! 笠井が今抜けたら、市民の救助に支障が出る! 彼は唯一モルフについて対応したことのある者だぞ!」
鬼塚隊長は、修二を行かせないようアリスに噛み付いた。
鬼塚隊長の言っていることは正しいだろう。
市民の救助、避難は最優先事項であり、今戦力が一人でも抜けることは被害が増えることと同義となるのだ。
だが、修二は二人の会話を聞いていられなかった。
椎名が攫われた。それが何を意味するのか、瞠目しながら考え込んでいると、
「悪いけど、椎名真希を奪還することの方が最優先よ。今の彼女の状態をあなたも知っているでしょう?」
「それは……」
「彼女を助けなければ、本当に人類の危機に陥る可能性が高くなる。その為には、彼女の顔をよく知る笠井君にはついてきてもらわないと困るの。想定される被害を天秤にかけた結果よ」
「――っ」
アリスの説明に、鬼塚隊長は何も言えなくなった。
修二としては。椎名がどうして攫われることになってしまったのか、それだけが疑問として膨れ上がっていたが、大体の予想はついていた。
――椎名は『レベル5モルフ』だ。世良望が椎名をモルフウイルスに感染させ、後の結末となったことだが、世良の所属していた敵組織が椎名を放っておくわけがなかった。
よくよく考えてみれば分かる当然のことなのだ。御影島での地下研究所でのモルフの資料にはこう記載があったのだ。
奴らは、『レベル5モルフ』になる為の到達条件を探っている。
世良がいなくなった以上、椎名さえ手に渡れば十分に代替として扱える。だから、椎名を攫ったのだと、修二は推測出来ていた。
「わかってちょうだい。私だって、被害は最小限に納めたいのが本音よ」
「……わかった。笠井、アリスに同行しろ」
「は、はい!」
呆然としていた中、声をかけられた修二は了解した。
まだ、修二の中でも、何が起きているのかが分かっていなかった。
「隊長、修二が抜けて本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫ではないだろう。しかし、今はそれでもやるしかない。出水、代替で申し訳ないが、俺に何かあった際の指揮はお前になる。頼むぞ」
「りょ、了解です」
副隊長に指名された出水の顔は強張っていた。
既に部隊の状態は良くはない。修二がいない状態で、この都市の市民の救助は例え、修二がいたとしても困難である。
だが、それでも修二にはやるべきことがある。
「アリスさん、急ぎましょう。椎名は……椎名は今どこにいるんですか?」
「それも含めて移動しながら話すわ。ついてきなさい」
椎名の所在も、現状も全て後で話すと言ったアリスは走り出した。
その後に続いて、修二もアリスの後をついていく。
全速力というほどではないが、それでも急ぎ気味のスピードで進んでいると、アリスが話し始めた。
「笠井君、椎名ちゃんについてだけど、あなたは彼女の今の状態を知らないのよね?」
「ええ、でも、なんとなくですが推測はしていました。椎名は、感染段階が……」
寸前まででかかったその先の言葉が詰まる。
わかっていたことだ。
椎名があの時、御影島で世良にウイルスを体内に注入された時、覚悟は決めていた。
椎名が生きていたということ。それはつまり、
「彼女は『レベル5モルフ』の感染段階になっているわ。それも、御影島にいたとされる世良望とは違った特性を持っていたとね」
「違う特性?」
「難しい話なんだけど、世良望のような身体能力の向上は彼女にはなかったのよ。彼女にあったのは、圧倒的な速度で他者を治癒させることができること。それも、自分の体組織を分譲するようなものだから、対象はモルフに感染するリスクがあるのだけどね……」
予想されていたこととは別に、修二の知らない情報が飛び出てくることとなった。
椎名が『レベル5モルフ』であることは薄々気づいていたが、その特性に関しては全く存じていない。
それも、他者を治癒させることができるなど、かなりの異常能力である。
だが、その特性を聞いて、修二はあることに引っかかっていた。
思えば、世良にも自然法則を無視したかのような能力を持っていたのだ。
それは――、
「特性、モルフ……。アリスさん、もしかするとですが、この最悪の状況を治める方法があるかもしれません」
「? どういうことかしら?」
「世良は、島中のモルフを操って俺達に襲い掛からせようとしていました。もしも椎名も同じようにモルフを操ることができるなら、この都市にいるモルフはなんとかなるかもしれません」
修二の話していることは、現状の打破するきっかけのようなものだ。
世良がモルフを操っていたことは、本人も言っていたことなので、まず間違いない。
そうであるならば、同じ『レベル5モルフ』である椎名にもできないはずがないのだ。
「……その話、半信半疑なのだけれど、本当に可能なのかしら。でも、それができれば未来は明るいわね」
アリスは、文面で世良のことは確認していたのだろう。
直接見てきたわけではないのだから信じるには難しい、そんなところだろうとは考えられる。
「直接見ても、未だに信じられないのは俺も同じですがね……」
あくまで推測の域はでないが、それにしても『レベル5モルフ』には謎が多すぎる。
今聞いた特性についてもそうだが、一体どういった原理でそんなことを可能にさせるのか。おそらく、修二だけでなく世界中にいる優秀な科学者であっても分からないだろう。
「でも、事態は笠井君が考えるよりも更に深刻よ」
「――どういうことですか?」
アリスは、走りながらその顔に冷や汗を浮かべている。
それはなにか、もっと別のなにかを気にしているような素振りをしながら、アリスは険しそうな表情で修二に言った。
「東京だけじゃない、他の主要都市区にも同時にモルフによる被害が確認されているのよ」
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まだアリスが修二達、隠密機動特殊部隊と合流する三十分前のことだ。
桐生は腰に掛けた二刀の剣を引き抜いて、モルフと化した市民を斬り伏せていた。
戦闘はすぐに開始されていた。
アリスとは別行動を取るようにして、桐生は現場でのモルフの制圧を優先、アリスは市民の救助をするように分担したのだ。
この周辺にいた人間はほとんど感染していたようで、尋常ではない数のモルフが今も桐生へと襲いかかろうとしてきていた。
だが、桐生にとっては数がどれほどいようが関係ない。
向かってくるモルフを次々と斬り伏せ、返り血を浴びる以外には何事もなく終わらせた。
「ここはもう大丈夫だな。ちっ、風間の野郎、なんで電話に出ない」
陸将である風間と連絡が取れず、桐生はどうすべきかを逡巡していた。
このまま別地区のモルフを制圧するのも良しだが、まだこの事態を引き起こした組織の影は何一つ掴めていない状況だ。
できるならば、そちらを優先したいこともあり、風間の連絡を待ちながらモルフを掃討することに決めていた。
と、行動に移ろうとしたその時、桐生の携帯に着信がかかった。
「――風間か。てめえ、連絡が遅いぞ。どういう状況か分かってんだろうが」
「すまない、あまりにも嫌な情報を聞きすぎていてね。今は電話しても問題ないのか?」
桐生の恨み言に、風間は軽く謝罪を入れて状況を問いただした。
「問題ない。付近のモルフは全て掃討した。これからどうすればいい? 別地区にもわんさかいやがるんだろう?」
「それについては、鬼塚隊長率いる隠密機動特殊部隊と自衛隊になんとかさせる。君は今からその地区から移動するんだ」
「……何があった?」
桐生という最高戦力をわざわざ被害区域から遠ざけようとする風間の意図が分からず、桐生は状況を問いただす。
「やられたよ。どうやら、連中はかなり準備をしていたらしい。東京でのモルフの被害が確認された数十分後に、北海道、愛知、大阪、福岡、他過密地帯でモルフの被害が確認されている。同時多発的に感染を引き起こさせたのだろう。自衛隊が機能していない」
「……なんだと?」
「戦力を東京に集中させたのが裏目に出たよ。それに、タイミングがいくらなんでも良すぎることも気になっている。まるで、こちらの情報が漏れているかのような、な」
風間は、この状況に対しての敵勢力の手際の良さにそう疑惑を漏らした。
確かに、風間からはこの数週間のみ、東京に自衛隊を集中させることは聞いていた。
そのタイミングを狙うかの如く、全国各所でモルフの感染を引き起こさせた存在が、これを知らないというには出来すぎていた。
「――内通者がいるということか。だが、そんなものを探している時間はないぞ」
「ああ、今はこの状況の打破を考えなければいけない。それには、君に一刻も早く東京のモルフ感染者を排除してもらう必要があるのだが……」
「それをするよりやることがあると、何故早くに言わねえ。さっさと答えろ」
要点を話そうとしない風間に苛立ちながらも、桐生は我慢しつつその先を促した。
「――椎名真希が拐われた。モルフの被害が確認されて、軍が出動したその隙を狙われてな」
「何? おい、警備は何をやってたんだ?」
「全滅したとのことだ。初めから、狙いは日本全土ではなく、椎名真希だったということだ。……いや、むしろどちらも計画の内というところか。隔離場所がバレていたことからも、かなり綿密に練られた計画だったということだろう」
椎名真希は『レベル5モルフ』の被害者であり、ほとんどの者は知ることのない場所に隔離されていた。
隔離場所も、自衛隊基地のすぐ近くであることから、有事の際は動けるようにしていたのだが、感染が広まり、その出動のタイミングを狙われたということになる。
そのことが二人が思う通り、情報が漏れていたという確信に至ったのである。
「つまり、俺に椎名真希を奪還しろと、そういうことか?」
「もちろんだ。もしも奴らに椎名真希を奪われれば、事は日本だけでは済まなくなる。それこそ、人類滅亡の可能性すらでてくるのだ」
風間の言いたいことは概ね桐生も理解できていた。
『レベル5モルフ』である椎名真希を調べあげられ、到達条件を敵勢力が理解した時、量産させられる可能性を考慮したのだろう。
確かに、連中の目的は未だ不明なところはあるが、椎名真希を拐われるということはその可能性を生み出すことに等しい。
日本と人類を天秤に掛けた上で、風間はその選択をしているのだ。
「なるほど、了解した。それで? 今連中はどこにいるのかわかっているのか?」
「大体はな。情報統制が混乱していると思っているのか、連中はかなり杜撰な動きをしていたよ。今から座標を送るから、そこへ向かってくれ。そこが連中のアジトだ」
「――アリスはどうする?」
「彼女には今すぐに連絡を取って、別行動で椎名真希の奪還に向かわせよう。あと、笠井修二を連れて行くようにしたまえ。彼は彼女と幼馴染と聞いている。何かしら、奪還への近道になるかもしれない」
椎名真希と共に生き残った、唯一の幼馴染である笠井修二を連れて行くようにと風間は言った。
その判断に対して、桐生でなくとも反論する余地がある提言ではあったのだが、
「了解した。すぐに動く」
流れるような勢いで、桐生は風間の判断を信用した。
それは考えを放棄したわけではない。
彼は誰よりも、この風間の判断が正しいことを身をもって知っていたからであった。
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「……つまり、全国へのウイルス拡散はあくまで囮で、本命は椎名を拐うことが目的だった――ってことですか?」
修二とアリスは、道中で拾ったバイクに乗って、椎名が連れ去られたとされる敵のアジトへと向かっていた。
その間に、桐生から聞いたとされる情報に関してを伝えられていたのだが、思わず全身に力が入る。
「ふざけやがって! ここまでの被害を出しておいて、これが囮だと!? 絶対に許さねぇ……」
怒りが沸々と込み上げてきていた。
今感染している人も、それに襲われる人々も、何もかもが連中にとっては意識をそっちに向けさせる為の作戦だったのだ。
挙げ句の果てに、まんまと連中の思い通りに椎名が拐われたことが、修二はなによりも悔しかった。
「でも、敵のアジトが判明している分、どうにかなる可能性は高いわ。桐生さんもいるし、必ず助けだせるはずよ」
「そのアジトまで、ここからだとどれくらいかかるんですか?」
「大体二時間ぐらいね。日が暮れる頃だから、できればそれまでに外観だけでも見ておきたいわね。作戦を立てないといけないし」
――二時間。
それだけでも途方もなく感じるほどの遠さだ。
敵がそれだけ、感染地帯から離れた場所にアジトを構えたかったのだろうが、これでは間に合うかどうかも怪しいところではある。
と、焦っていたのが表情に出ていたのか、ふと視線だけをこちらに向けたアリスに気づくと、
「大丈夫よ。相手が化け物ならともかく、私と桐生さんは対人においてのスペシャリストなんだから。訓練でも見たでしょ? たかだか銃を持った程度の相手には負けないわ」
「それは……すごい心強いんですけど、果たして間に合うでしょうか? ここから二時間なら、連中も逃走準備をしてそうではあるんですが」
「そこも気にしなくて大丈夫。町中に張り巡らされた監視カメラが随時状況を確認しているらしいわ。何かあれば連絡がくるはずよ」
どうやら、敵を逃す気は全くないようであった。
本来ならば、特殊部隊を動かしてでも椎名を奪還してほしい思いではあるが、この状況だ。
動ける人材がほとんどいないこともあるのだろう。
しかし、修二とアリス、桐生の三人の少数精鋭で攻め込むという流れに不思議と安心感はあった。
こちらには、対人において最強といっても過言ではない者達がいるのだ。
たとえそれは、修二がいなくともどうにでもなりうる安心感さえある。
だが、それを抜きにしても、修二は椎名を助けたい思いもあった。
「椎名は、俺の幼馴染なんです。御影島でのあの事件から、全く会うことはできませんでしたが、俺は絶対に助けたい。だから、アリスさん。どうか宜しくお願いします」
大切な人だから、何が何でも助けたい。
それに約束したのだ。もうここにはいないもう一人の幼馴染に任された。
――椎名を頼むぞ、と。
その約束を絶対に守るために、修二はアリスと同行したのだ。
アリスは、修二のその頼みに、嫌そうな顔一つ見せずに頷くと、
「さあ、少しだけ飛ばすわ。しっかり掴まってなさい!」
バイクのスピードが上がり、風を切るような速さで下道を駆け抜けていく。
時刻は午後の四時くらいだろうか。
太陽の日照りが地平線へと傾きつつあった。




