第二章 第九話 『人命救助』
もはや数秒を争う状況であった。
生きていた面影が残っていない、数時間前までは普通の人間だった者達が今、生きている人間を襲いかかっている。
その中で、一番に早く銃の引き金を引いたのは笠井修二だった。
「うわっ!」
モルフに腕を掴まれていた男は、修二に撃たれたモルフが力なく倒れる様を見て、唖然としていた。
距離は十数メートル程度だが、修二はその距離ならばどんな箇所でも狙えるほどに成長している。
「今だ! 走れ!」
修二は、助けた男に向かってそう指示した。
男の近くにはまだ何体ものモルフがいる。
このままボーッとしていれば、間違いなく襲われるのは必死なのであった。
修二の呼びかけに、男は何も言わずに恐怖の形相をその顔に浮かべて走りだす。
それを確認した修二は、すぐに手持ちの拳銃をサブマシンガンに持ち替えて、
「出水、神田! お前は右に見える多数のモルフに襲われてる市民の救助を! 清水は俺と一緒に左をやるぞ! 隊長は正面をお願いします!」
「了解!」
迅速な指示に従い、皆が一斉に動いた。
修二と清水は左に見えるモルフの制圧だ。
数は二十から三十は下らない。
若い男女から老いた爺さんなど、様々な年齢層が予測できるモルフが、今も修二達へと近づきつつあった。
「清水! モルフは頭が弱点だ! あいつらをもう人間だと思うなよ! 今、躊躇したら後ろの市民が殺されるだけだからな!」
「わ、わかってる! やったるがな!」
清水は背中に掛けてあったサブマシンガンを手に取り、その銃口をモルフへと向けた。
だが、即座に撃とうとしない清水を見て、修二は躊躇わずに射撃を開始した。
「くっ! 清水、撃て! 撃たねえと俺らがやられちまう!」
清水は、修二の声が聞こえているはずだ。
だが、清水の手は震えていて、まだその引き金を引くことができない。
予測されていたことだった。
人を殺したこともない人間が、そう簡単に人を撃てなどと命令されて、できるものではない。
それも、相手は元一般市民。これが人殺しや強盗であるならまだしも、何の罪もない人達に向けて銃で制圧しろと言われて、簡単に撃てる方がおかしいのだ。
修二の撃った銃弾は、見事にモルフの頭を的確に当てていく。
サブマシンガンの連射性の高い性能のおかげで、数を圧倒できていたが、それ以上に次から次へと後ろからモルフがなだれ込むように押し寄せる。
反動が大きいサブマシンガンでは、引き金を引き続けることはあまりできない。
命中率を下げる要因にもなりかねないので、修二は逐一、引き金を戻しては引いてを繰り返し、上手く命中させていた。
だが、一人ではそれも限界があり、埒があかない。
今も銃口を向けたまま、額から汗が止まらない清水へと修二は、
「清水! 頼む、撃ってくれ! あの人達はもう生きていないんだ! 死人がウイルスを動かしてるだけで、殺すことにはならない!」
「くっ、くそっ! ああぁぁっ!」
清水は、覚悟を決めて引き金を引いた。
狙いこそ稚拙だが、近づくモルフへとサブマシンガンの銃弾が撃ち込まれていく。
胸を、足を、腕を、と身体の部位へそれぞれ銃弾を撃ち込まれたモルフは怯み、倒れたりなど様々であったが、少なくとも時間は稼いではいた。
「いいぞ、清水! そのまま少しずつ後退していこう!」
あとは後方の神田達が市民を救出できれば離脱できる状況だ。
修二としてはこのまま制圧したい思いであったが、あまりにも数が多すぎた。
最初は二十数体ほどであったモルフが、今は更に増えて数え切れないほどになってきている。
この場にいるのは、全てが鈍い足取りで近づく『レベル1モルフ』だった。
まだ、感染してからそこまで時間が経っていないこともその感染段階から把握できたが、それでも数で押し寄せられれば厄介そのものであった。
 
「しゅ、修二! まだまだ出てくるで! ど、どうするんや?」
 
「今は少しずつ下がりながら撃ち続けるしかない! 絶対に奴らに噛まれるなよ!」
 
互いに間合いを取りつつ、修二と清水はモルフが近づくにつれて、一歩ずつ下がっていく。
後ろの様子を確認しようとしないのは、それほどに余裕がなかったからであった。
このままではいずれ、リロードのタイミングで距離を詰められかねないと焦っていた矢先、
 
「修二! こっちはもう大丈夫だ! 下がるぞ!」
 
背中越しから出水の声を聞いて、修二は即座に銃を下げた。
このまま離脱しようと清水の方へと伝えようとしたその時、
 
目の前にいたモルフの一体が、突如走りだして清水の肩へと掴みかかってきた。
 
「なっ!?」
 
それは、修二でさえも予測できるはずがなかった。
清水も修二同様、出水の声が聞こえたことで構えた銃を下ろしたところだったのだ。
まるで狙ったかのように飛び出してきたモルフが、他とは違うことは明らかであった。
それは、予め共有していたモルフの感染段階、『レベル2モルフ』だということを。
 
「清水!!」
 
とっさに助けようと手を伸ばす修二であったが、間に合わない。
たとえ、銃を使って狙うにしても間に合うはずがないことは分かっていた。
刹那、修二の中で、御影島で起きたクラスメイトの面影と清水が重なる。
このままでは、同じ末路を清水は迎えてしまうことを修二は絶望に顔を歪ませながら、清水へと手を伸ばす。
そして、清水を掴むモルフが、その口を大きく開けて腕へと噛み付こうとするその瞬間――、
 
横合いから飛び出した鬼塚隊長が、清水を押しのけてその牙を受けて噛まれた。
 
「た、隊長!!」
 
「くっ! おらぁ!!」
 
噛まれた状態で、鬼塚隊長はモルフの腕と服の袖を掴み、大きく一本背負いをして地面に叩きつける。
その衝撃を受けて、モルフは噛み付いた腕から口を離して、鬼塚隊長はすぐに下がった。
 
「笠井、清水! 今の内だ! 下がれ!!」
 
「りょ、了解!」
 
呆然としていた笠井達へ指示が飛び、修二達は後ろを向いて走り出す。
どうやら、修二達以外の皆はしっかり役目を果たしたようで、モルフは一体も残っていないようであった。
その中で、神田と出水が、こっちだと言っているように手で合図を出していた。
 
一目散に駆け抜け、修二達は建物と建物の間を走りぬけていく。
救助ができた生存者である市民を囲むように進みながら、ある建物の前へと来ていた。
そこは、モールのような様々な店が建物内に並ぶような場所であり、修二達はその中へと入っていく。
普通ならば、建物内という移動が厳しい場所を選ぶのは危険だが、市民を匿う以上はどこかに身を潜める必要がある。
モールならば、出口は数箇所に別れてあり、尚且つ、広さも十分にあるので対処がしやすい。
 
息切れを起こしながら、修二はその場に座り込んでいた。
想像以上に厳しい状況だ。
感染者が増え続ける中、『レベル1モルフ』を相手にするだけでこれなのだ。
それに、被害は全くないまま終わったわけではなく、
 
「た、隊長。大丈夫ですか? 俺を庇ってしまって、こんなことに……ほんまにすんません……」
「大丈夫だ。隊服の上から噛まれたようだが……運が良かったようだ。歯形がついただけで感染はしていないはずだ」
鬼塚隊長はそう言って、噛まれた腕の部分を見せつけた。
確かに見た限りでは傷はついていない。
基本的にモルフのウイルスは傷口から体内に侵入することで感染するものであり、空気感染や接触による感染についての症例は見たことがない。
モルフのウイルスが体内に入っていなければ、感染することはないはずである。
「よ、良かった。俺のミスで隊長になんかあったらどうしようかと……」
「安心しろ、それによく無事だったよ。初めての実戦であれなら十分だ。笠井も、良くやってくれた」
「無事でよかったです、隊長。隊長がいなければ、今頃清水は感染していました……。でも、どうしますか? 状況はかなり深刻です」
修二の提言に、鬼塚隊長も同じ思いのようだった。
憔悴しきっているわけではないが、思っていたよりも状況は最悪と言ってもいいほどに厳しい。
感染者が数人規模ならば、まだ制圧は容易であった。
しかし、今となれば、感染者の絶対数がどれほど存在するのか分からない状況だ。
このモールでさえも、感染者であるモルフが潜んでいてもおかしくない。
周囲を警戒しながらいると、鬼塚隊長は携帯を取り出し、
 
「ひとまず、市民の避難支援が最優先だ。どこまでが感染地帯かは判明していないが、弓親を呼ぶ」
「弓親?」
「さっき乗っていた車の運転手のことだ。あいつには離脱する際の役目を買っているから、呼べばすぐに来れるだろう」
修二達をこの場所へ移動させてくれた運転手がどうやら回収に向かわせるようにするとのことだ。
鬼塚隊長は既に携帯を耳に当てて、弓親へと連絡を取っていた。
修二はその間に、先ほどの礼を言おうと神田と出水と顔を合わせる。
「神田、出水。よくモルフから市民を助け出せたな。さっきはほんとに助かったよ」
「気にするなよ。それに、ほとんど神田のおかげで俺なんか全然大したことしてねえからさ」
「いや、出水。お前が市民を誘導してくれなかったら俺も撃つのは中々難しかった。俺は修二ほど射撃能力は高くないからな」
修二と清水がモルフの大群を足止めしていた時、市民の救助をしていたのは神田と出水だ。
二人がモルフの対処と市民の救出を達成できなければ、修二達はそのまま押し寄せるモルフの群勢になすすべもなかっただろう。
「まあ、無事なのが一番良い。それに、こんなものはまだ序の口だろうしな」
「なぁ修二、俺たちがさっき応戦したのは、修二が言ってた『レベル1モルフ』だよな?」
出水が、先ほどの戦闘を振り返るように聞いてきた。
修二はサブマシンガンの残弾数を確認しながらそれに答えようとした。
「ああ、あれがそうだ。足が鈍いから単独なら対処はしやすいけど、大勢でこられたらそれだけで厄介だ。あれが『レベル2モルフ』じゃなかったことは幸いだったよ」
「――だが、さっき清水に襲いかかってたのは『レベル2モルフ』じゃないのか?」
神田の問いかけに、修二は肯定するように頷いた。
神田は気づいていたようだった。
最後、清水に襲いかかってきたのは間違いなく『レベル2モルフ』だ。
ゆっくり近づいてきていたモルフの中で、一体だけが突如として走り出してきたのだ。
恐らく、あの瞬間に運悪く感染段階が上がってしまったのだろう。
「けど、あんなタイミングで来られるのは俺も予想外だった。感染者の感染段階が変わる瞬間を俺も見たことなかったから、盲点だったよ。次からはそこも予測して動いた方がいい」
修二の提言に、神田と出水は息を呑んで頷いた。
モルフの恐ろしさはその数の暴力であることを、修二も予測していた。
だが、感染段階が変わる瞬間を修二も見たことがなかったのが、清水を危険に晒した原因であったのだ。
更に言えば、今回対峙したのは『レベル1モルフ』であり、これがもっと上の感染段階のモルフであったならば、対処は困難となってくるのは間違いない。
修二はそのことを危惧して、状況は悪いと鬼塚隊長に話していたのだ。
「よし、弓親と連絡が取れたぞ。今は各所にモルフが蔓延っているとのことだ。出来る限り戦闘をしないように動きながら市民を弓親の元へ誘導する。全員いけるな?」
「了解」
市民の避難を優先することに決まった一同は、現在いるモールから移動を開始した。
主に武器を構えながら進むことになるが、この感じはどことなく懐かしく感じた。
今、修二達は市民を囲う形で安全を確保しつつ移動している。
かつて、御影島では修二が囲まれる側であり、守られていたのだ。
今回は逆の立場であることを、当時は夢にも思っていなかった。
「けど、今はそんな感慨に耽ってる場合じゃねえよな」
独り言のように、修二は小さくそう呟いた。
父が生きていたら、こうして修二は共に背中を合わせることはあっただろうか。
そんな幻想を思い浮かべて、改めて修二は周りにいる仲間達を見た。
どことなくだが、彼らは元隊員達と雰囲気が似ているように感じた。
神田はオールマイティで父と似ている部分があるし、出水は指揮系統能力やPCに対する異常な知識から織田さんを彷彿とされる。清水に至っては性格から喋り方まで来栖さんとそっくりだ。
まるで、彼らが生き返ったかのようなそんな感覚に陥ると同時に、彼らの最期がフラッシュバックして修二は否定するように頭を振った。
「何を考えてるんだ……俺は……」
彼らを重ねてみたことで、死の瞬間が思い起こされたのだ。
そして、神田達をそれに当て嵌めるということは絶対にしてはいけないことだと、修二は改めて持っていた銃を硬く握り締める。
「もう誰も死なせないようにする。それが、俺がここにいる理由だろ」
「何ブツブツ言ってるんや、修二?」
修二の独り言を、すぐ隣にいた来栖に聞かれていたようで、恥ずかしそうに顔をしかめた。
「なんでもねえよ。次は撃つの躊躇うなよ、清水」
「い、いや、悪かったて。……でも、人を撃ったん初めてなんよな……。二度目は躊躇せんけど、正直キツかったわ」
「……だよな。わかるよ、俺もそうだったからさ」
清水は先ほどの戦闘について、申し訳なさそうにしていた。
だが、修二は心の中では仕方ないとは考えていた。銃を人に向けて撃つなど、並大抵の覚悟を持たなければできることではないのだ。
修二にとっては、御影島でモルフを撲殺したこともあり、生き死にに関わるほど切羽詰まっていた状況もあって撃てることはできていた。
だが、モルフは頭部を撃たない限り、永遠に付き纏ってくる存在であり、やらなければ殺される。
それが分かっていたからこそ、非情になれたのだ。
「ほんまに、ふざけたウイルスやな。こんなことしでかした黒幕には、さすがに蜂の巣にしてやりたい気持ちしかないわ」
「……同感だ」
清水の言いたいことには概ね賛成だ。
どんな志があって、ここまで凄惨な現場を生み出そうとしたのか、修二達には分かりようもないだろう。
どこから現れるかも分からない状況の中、修二達はできるだけ大通りには出ずに、車が約一台分通れるような細い道を進みながら、弓親のいる回収用の車へと向かっていく。
そして、ある程度進んだところで変化が起きた。
「――止まれ」
鬼塚隊長の指示に、全員が足を止めた。
――足音が聞こえる。走るような音が聞こえてきて、修二達は銃を構え直した。
人間かモルフか、そのどちらであっても、どちらであるかを認識するまでは修二達も銃を下ろすことは出来ない。
裏路地から少しずつその音が大きくなってきたことを確認しつつ、その方向へと向けて、即座に撃てるよう注視していると――、
「っ! ア、アリスさん?」
「ようやく見つけたわ。笠井君」
裏路地から飛び出してきたのは、訓練地で出会って以降、話すことがなかったアリスだ。
何故か、修二の名を呼んだアリスは、そのまま修二の元へと駆け寄ってきた。
その表情は、今までに見たことがないほど切羽詰まったかのような様子だ。
「アリス、どうしたんだ? 桐生さんは?」
「鬼塚隊長さん。悪いけど緊急事態よ、笠井君を借りるわ」
「――は?」
鬼塚隊長は何を言われたのか分からず、アリスはそう言った。
その表情は、何か急いでいて、かつ焦っているようにも見えた。
しかし、修二をこの場から離れさせるなどという言葉に納得がいかない鬼塚隊長は、その理由をアリスへと問いただそうとするが、
「ま、待て。どうして笠井を……」
「桐生さんの指示よ。――笠井君、驚かないでよく聞いて」
鬼塚隊長の疑問を退かせて、アリスは修二の顔を見る。
この最悪の状況下の中、一体何を聞かされるとでもいうのか、緊張した面持ちで修二はいると――、
「あなたの幼馴染、椎名真希が何者かに攫われたわ」
「――え?」
これ以上ない最悪の知らせを聞かされることになった。
 




