第二章 第八話 『再び始まる惨劇の舞台』
修二達は対人制圧用に使用する装備を身に付けて、移動用の車に乗り込んでいた。
行き先は東京都渋谷区郊外。
暴徒と化した市民が人を襲っているとのことで、人民救助とその暴徒の制圧を主として隠密機動特殊部隊が駆り出されることとなった。
その実情は、モルフウイルスに感染した市民が生きている人間を襲っているのだということに、ほとんどの者は知らないだろう。
「しかし、人が多い地域を真っ先に狙うとはな……」
まだ詳細は掴めていないが、鬼塚隊長の不安とされていた、モルフという人を死なせ、その体を動かして人を襲わせるというウイルスが拡散したのであれば、それは修二がかつて経験したあの御影島での地獄の惨劇が再び起こるということだ。
だが、今回は前回とは違う。
過密地帯であるその場所で感染が拡大していけば、東京に住む人間だけでなく、日本全土が危険に晒されるということなのだ。
あのウイルスの脅威は、実際に間近で見てきた修二だからこそ分かるが、何も武器を持たない人間に敵うものではない。
そして、それがただの一般人であるならば、修二達だけでなく、自衛隊の隊員も銃の引き金を引かなければいけなくなる。
もしも、街の暴徒がモルフによるウイルス感染が原因ならば、感染する前に暴徒を全て殺すしかないのだ。
それが修二達にとって、どれほど難易度の高いことであるかは、経験のあった本人が一番良く分かっていた。
「なあ、修二。さっき聞いたモルフってウイルス、だよな? そのウイルスには感染段階があるって話だけど、実際の所どれほど違うんだ? 変異するって聞くけど、いまいち想像が付きにくいんだよな」
モルフの感染段階についての詳細を尋ねた出水の顔は緊張に肩が震えていた。
初任務とはいえ、これがどれほど危険な任務なのか、理解しているのだろう。
「モルフには……全部で五つの感染段階があるんだ。俺も全部を知るわけじゃないけど、通常、感染者は総じて『レベル1モルフ』から段階を踏む。それ自体はそこまで脅威じゃないんだけど、問題はその次だ。ある程度の時間が経てば、『レベル2モルフ』の感染段階に移行する。これが厄介で、元々フラフラで歩いていたモルフが走り出すんだよ」
「走るって……全速力でか?」
「いや、速くても駆け足程度のスピードだよ。でも、これが集団で襲いかかってこられたら、ひとたまりもないんだ。特に、多角的に攻められたらどうしようもないと俺は思ってる」
「それはエゲツないな……。しかもそれでまだ二段階目なんだろ?」
顔に冷や汗を浮かべた出水は、修二の説明に息を呑んで続けるように尋ねてきた。
「ああ。その次の変異段階である『レベル3モルフは、もっとヤバい……。もし遭遇したら、倒すより逃げることを意識した方がいい」
「どんな奴なんや?」
「一重に言えば、見た目が完全に人間の頃の姿を保っていないんだ。皮膚は全部剥がれ落ちて、人を感染させるか殺すかに特化した存在って言ってもいい」
かつてのクラスメイトが『レベル3モルフ』として襲いかかってきたことは、今でも鮮明に修二の心の中に残り続けていた。
あの悲惨なまでの姿は、一生忘れることはできないだろう。
「『レベル3モルフ』は、肉体を刃物のような武器に変えて襲ってくるんだ。どういう原理かは分からないけど、実際に見てきた限りではかなり鋭かった。これは俺も文面でしか知らないんだけど、個体差によっては変異する姿は変わるらしい。だから、俺が言った特徴のやつ以外の武器に変異させる奴もいるかもしれない……」
「それじゃ、相手によっては対処の仕方が変わるってことだよな。それは逃げないとどうしようもないな」
出水の言う通り、『レベル3モルフ』は、相手によって変異する姿が変わるという厄介なモルフだ。
修二が見た柊の姿とマミの姿は、確かに違いがあった。
柊は鞭のようなその左腕で対象を掴み、引き寄せてから右腕の刃物で切り刻み、マミは右腕こそ刃物であったが、左腕は丸みを帯びた形状の何かであった。
一度はそれを向けられたことはあるが、結局のところ、それが何かまでは分かってはいない。
が、それ自体が脅威であったことは霧崎の決死の相打ちが証明している。
「――それで、『レベル4モルフ』はどうなんだ?」
今まで黙っていた神田が、そこで修二へと尋ねた。
その問いかけに、修二は首を振って答える。
「残念だけど、俺も知らないんだ。俺が知るのは『レベル3モルフ』までで、例外で『レベル5モルフ』と相対したぐらいなんだ」
「確か、生きたままでモルフの力を使えるんやよな? 再生能力と身体能力が凄いって言ってたけど、実際どんなもんなんや?」
「ああ」と相槌を打った修二は、あの世良のことを思い浮かべながら続けた。
「俺も一人しか見てないから、参考になるかは分からないけど、あの桐生さんと渡り合うレベルには強い。再生には五分はかけてたから、早期決着が望ましいだろうな。それと、街中で『レベル5モルフ』が出てきても俺たちの脅威にはならないと思う」
「どうしてそう考えたんだ?」
出水が問いただすように聞いた。
だが、修二が答えるよりも早く、神田は察してくれたようで、
「生きているから、一般人がそうなっても大丈夫ってことだろう。悪意がある人間ならば話は変わるだろうがな」
「そういうことだな」
修二の言いたいことは神田が代弁してくれた。
そう、今回一般人が感染して、仮に万が一『レベル5モルフ』となっても、修二達を襲いかかることはないはずだ。
世良はあくまで感染を引き起こした張本人でもあり、それが修二達と敵になった要因であった。
だが、今回感染を引き起こした連中の中に『レベル5モルフ』がいないことは完全には否定できない。
「けど、もしも感染を引き起こした奴らに遭遇したら気をつけてくれ。万が一、その中に『レベル5モルフ』がいたら、俺たちじゃあ歯が立たない」
修二の説明に、一同は緊張した面持ちで息を呑んできいていた。
修二は過去、世良に右目と首をナイフで切られた経験がある。
何が起きたのか、その後、傷一つなく自分は生きていたのだが、それはいまだに理由が分かっていない。
あの痛みと感覚は、間違いなく現実だった。
死に直面するという実感が確かにあり、自分がなぜ生きているのか、それは桐生にも、誰にも伝えなかった。
怖かったのだ。
自分が一体何者で、本当に人間なのかということを疑いたくなかったから、修二は自身の心の中に隠し通してきた。
仮に『レベル5モルフ』となったとしていても、修二には感染した心当たりが全くない。
なら、あの現象は何だったのか、と修二は頭を下げて考え込んでいると、
「敵勢力に『レベル5モルフ』がいる可能性は限りなく薄い。いないと思ってお前たちは行動して問題ない」
端にいた鬼塚隊長が、修二達の会話に割り込むようにそう言った。
その理由が分からず、モルフに一番詳しい修二が尋ねるように問いただそうと、
「どうしてですか? その敵勢力にはそれがいたんですよね? なら、まだいてもおかしくないと思うのですが……」
「桐生さん達が御影島から持ち帰った資料によれば、笠井が相対した『レベル5モルフ』は唯一の事例とのことだからだ。条件があると上も認識しているが、それは向こうもまだ分かっていないはずだ。わざわざウイルスを市中にばら撒くことがそれを証明している」
 
「――確かに」
そこには、修二も納得できた。
今回、渋谷で起きた騒動はいずれ鎮静化させられる。
もしも『レベル5モルフ』を任意的に量産できるのならば、日本の中枢機能を停止させる為に動くはずだ。
それをしないということは、敵勢力はまだ『レベル5モルフ』の到達条件を知らないはずだ。
 
「鬼塚隊長の言うとおりです。俺達はまず一般市民の感染者を対応することだけ考えよう」
 
「ああ、それと、隊長はそのまま俺が指揮するが、副隊長は笠井、お前がやるんだ。対モルフにおいて、お前の力は必ず必要になる」
 
副隊長と指名された修二は、驚き目を見開いた。
その役目は修二が適任とは想定していなかったからだ。
 
「俺……ですか? でも、俺よりも出水の方がその能力はあると思うのですが」
 
「俺もそう思っている」
 
断言するように、鬼塚隊長は一寸の隙もなくそう応えた。
というより、客観的に見れば誰だってそう答えるはずなのだ。
指揮能力に関して言えば、この四人の中でずば抜けているのは出水だけだ。
 
「だがな。今回、モルフにおいて、桐生さん以外で実際に相対したことがあるのは笠井、お前だけなんだ。俺も、ここにいる他の隊員も誰もモルフを見たことがない。ただ知っているだけだ。お前なら、この状況の打破に関して一助になるだろうというのが俺の判断でもあり、桐生さんの判断でもある」
 
「桐生隊長が……」
 
「いいか? 絶対に迷うな。お前は任されたんだ。基本指揮は俺がやるが、何か思うことがあればすぐに言え。誰も、死なせたくないならな」
 
「――はい」
重く、強い言葉が鬼塚隊長から修二へと発せられた。
だが、この状況において、それが最良であることは修二にも理解できた。
奇しくも、かつての父と同じ立ち位置に立つことになったわけだが、その実感は果てしなく重い。
心を落ち着かせるように胸の部分を手で押さえながら、修二は鬼塚隊長へと視線を向けた。
 
「わかりました。やります、やらせてください。俺にできることなら、なんだってやります!」
 
重責を背負う覚悟を決めて、修二は副隊長をやることに決めた。
そして、そのタイミングと同時に修二達の乗っていた車が停止した。
 
「鬼塚さん、着きました。当該区域より少し離れた場所となりますが」
 
「構わない。万が一、感染者を目視したときはここから離脱しろ。回収に関してはまた連絡する」
 
運転手の男が到着の旨を鬼塚隊長に伝えて、鬼塚隊長はその後についての対応を指示した。
運転手の男の声に何か聞き覚えを感じたが、おそらく御影島で修二と桐生を乗せたヘリコプターの操縦者だ。
隠密機動特殊部隊の移動用の役目を任されているのだろう。
少し感慨深かったが、今は目の前の作戦に集中だ。
 
修二達は車を降りて周りを見渡すと、その光景に妙な違和感を感じた。
 
「人が……いない?」
 
周りを見渡しても、人っ子一人見当たらないのだ。
ここは都市の中でも人通りが多い場所であり、修二も通ったことがあった。
その時は、密集するように人が多くいたのだが、今見るとそこは初めて見るかのような殺伐とした雰囲気に包まれている。
だが、ここで何かがあったことは誰が見ても分かってはいた。
すぐ脇にある軽トラックは横転し、窓ガラスはバキバキに割られている。
そして、誰かが落としてしまったのか、高級そうな鞄や財布などがそこら中にあったのだ。
 
「一体、何が……」
 
出水が怪訝そうな表情を浮かべてそう零した。
修二は、そんな出水の様子を無視して周りを確認した。
 
今、見える場所にはモルフはいない。
戦闘にすぐになることはなかったが、それでも警戒は解かなかった。
奴らは例え、分かっていても予測外の状況を生み出すのだ。
それは、唯一経験した修二だからこそ、警戒を解く理由はなかった。
 
「笠井、どう思う?」
鬼塚隊長が修二の方へと顔を向けて、意見を聞こうとした。
「恐らく、暴徒達から市民が逃げた跡だと思います。車の横転は分からないですが、ここも安全じゃあないということでしょう」
「ちょ、ちょっと待てや。じゃあ、近くにそのモルフがおるかもせえへんってことか?」
「可能性は高い。だから気は抜くな。叫び声も悲鳴も聞こえないということは、かなり前に事態は起きていたってことだろうし」
修二の推測に、清水は焦燥感をその身に宿して持っている銃を硬く握り絞めた。
今は広い道路の真ん中にいるので、仮に襲撃が起きても対応はできる。
だが、一つ気がかりなことがあった。
鬼塚隊長に市民の襲撃が起こったとされるのは約一時間も前のことだ。
その一時間の間、ここで市民が襲われ、逃げたのであらば、今生きている人達はどこにいるのか。
そして、襲ったとされるモルフが一体もいないことも、違和感を感じずにはいられない。
これまで経験したものと一変した状況に、修二は頭の中で考え込んでいると、建物と建物の間の路地から一人の男が飛び出した。
「誰だ!?」
とっさに、全員が持っていた銃をその男へと向けた。
「ま、待て。俺は自衛隊の者だ! あ、あんた達こそ誰なんだよ!?」
銃を向けられた男は、自らを自衛隊の隊員であることを名乗った。
服装を見ても確かに明らかであるが、修二達は焦った。
今、自分達の存在は自衛隊の隊員にも知らされていない部隊だ。
こんな街中で武装した者を見れば、その反応は当たり前のことであり、逆に怪しまれても仕方ない。
と、ここで鬼塚隊長は、手を上げて戦う意思がない姿勢を取っている自衛隊の男へと近づき、
「すまない。俺たちは暴徒化した市民の制圧に駆り出された警視庁特殊急襲部隊のメンバーだ。状況はどうなっている?」
「SATか? た、助かる! 今、近くで暴徒達が市民達に襲いかかっているんだ! なんとかしてくれ!」
悪びれもなく、SATの部隊であることを嘘で誤魔化した鬼塚隊長に、修二もなるほどと思った。
だが、それよりも、
「数はどれくらいいる?」
「数え切れないほどだ! あいつら、人に噛み付いてきやがるんだ! 俺たちの仲間も何人か……あいつらにやられた……!」
状況を聞いて、鬼塚隊長は修二達へと振り向いた。
「聞いたな? 今から暴徒達の鎮圧に向かう。各隊員は笠井の指示の元、動け。また、生存者の人命救助も最優先事項だ。隙を見たら避難させるぞ」
「了解です」
銃を握り締めた修二達は、鬼塚隊長の指示に了解した。
この先にいけば、モルフ達がいることは間違いない。
初めての戦闘になるが、緊張しているのは他の三人も同じだ。
鬼塚隊長は修二達のその様子を見て、問題ないと判断したのだろう、自衛隊の男へと再び顔を向けて、
「了解した。俺たちで奴らを鎮圧させる。あんたはこのまま市民の避難をさせてくれ。あと……俺たちのことは他の隊員にも伝えるんだ。うっかり誤射されても敵わないからな」
「あ、ああ、わかった。頼んだぞ」
鬼塚隊長は男の肩に手を置いて、自衛隊の男が来た方角へと歩み出した。
その後に続いて、修二達も進んでいく。
裏路地のようなその場所を歩きながら、誰一人言葉を発することはなかった。
それは警戒しているということもあったが、少し違う。
清水や出水の様子を見てみると、微かにだが、その体は震えていた。
無理もないだろう。修二でさえも、またあの化け物と対峙することになるのだ。
心の中は今も怖がっていることは、清水や出水と同様だった。
そして、建物と建物の間を抜けたその先、スクランブル交差点のある地帯へと出た時、
「た、助けてくれ!! 誰かぁっ!!」
「や、やめてぇ! 離してぇっ!」
「なんなんだよこいつらは!」
モルフに追いかけられる者。モルフに腕を掴まれて、今にも噛まれそうな女性。数十人ものモルフに囲まれた青年。
今もモルフに襲われている市民達とそれを助けようとする自衛隊の隊員達が至る所にいた。
それを見た修二達はすかさず、持っていた銃を構えて、
「行くぞ!!」
モルフの制圧、並びに人命救助の任務が開始された。
ここは日本。
約一億人もの人間が住む島で、再び惨劇が始まろうとしていた。
第一章はサスペンスをイメージ。第二章はパニックホラー感をイメージ。
第二章は戦闘描写がかなり多くなります。
 




