第二章 第七話 『信頼』
午後の訓練場所である外のグラウンドに着いた修二は、妙な雰囲気を感じ取っていた。
合同訓練の予定であったアリスと桐生の姿はなく、そこに立っていた鬼塚隊長の顔色が優れていないことだ。
神田と出水は特に変わりない様子だったが、何か妙であった。
「何かあったのか?」
出水に問いただしてみたが、どうやら分からないようで首を傾げていた。
「さあ、鬼塚隊長もなんか気分悪そうだしな。桐生さんとアリスさんはどこに行ったんだろうな? それに、清水は何してるんだ?」
「あいつはサボりだ。怪我を理由にな」
それを聞いた出水はため息をついていたが、それも仕方ないだろう。
神田も出水も、程度は違うがアリスに顔面を蹴られたりなど散々な目にあったのだから、休みたいのが本音のはずだ。
後で清水はしばき倒すことを心の中で決めて、集合場所に並んだ修二を見た鬼塚隊長は――、
「今日の午後の訓練は中止だ。アリスと桐生は緊急の任務に出ることになった。……清水はどうした?」
「あっ、清水は今、桐生さんからのダメージが残ってて医務室にいます」
「……叩き起こしてこい」
出水と顔を見合わせて、「了解」と出水が言って清水を叩き起こしに向かった。
神田と二人、その場に残っていた修二は、鬼塚隊長のその様子が気になっていた。
「あの、隊長。気分が優れないのでしょうか? 訓練中止ってそれが理由ですか?」
「――笠井」
修二の問いに答えずに、短く名前を呼ばれて修二は「はい」と、返事をした。
「お前の過去について、誰にも話すなとのことだが、今日でそれは終わりだ。清水と出水が来たら、お前はそれを全て話せ」
「は?」
何を言っているのか、理解することができなかった。
鬼塚隊長は、御影島の件をここで話せと言ったのだ。
「あ、あの隊長、それはなぜですか?」
「今後に大きく影響する話だからだ。理由については今後の情報次第で伝える。だから、話せ」
暗い表情をしたまま、そう答える鬼塚隊長に修二もこれ以上は聞けなかった。
神田も、訝しげに鬼塚と修二のやり取りを見ている。
あの惨劇の話は、国の機密情報のはずだ。
それを迂闊に話してもいいのかと思われたが、そうこう考えている間に、出水に引っ張られてきた清水がやってきた。
「隊長、連れてきました」
「出水ー、堪忍や。もう訓練できるほど身体動かんて……」
「だから、訓練は今日はもう中止って言っただろ?」
「じゃあ、休ませてくれや。朝と同じで実は嘘なんやろ」
愚痴をこぼし合いながらやってきた清水と出水は、そのまま定位置について待機した。
鬼塚隊長もそれから何も言おうとしない。
恐らく、修二から話せと、そういうことなのだろう。
「あのさ、出水、神田、清水。今から話さないといけないことがあるんだ。隊長の指示でもあるんだけど、聞いてくれるか?」
出水と清水は疑問の表情を浮かべていた。
神田は何も言わず、目を瞑ったまま立ちすくんでいるのみだ。
修二も状況がよく理解できていないが、指示されたことだ。
話す以外にないだろう。
「今から俺が話すのは、俺の過去についてなんだが……ここにいる皆も何かあってこの部隊に入ることになったのは聞いてる。お互い、何も知らないわけだけど、俺の過去はかなり特殊でな。それを聞いてほしいんだ」
「特殊?」
「要は、この国の機密事項に触れちまってるんだ。俺が話そうとしなかったのも、そこにある」
一から順に説明しようと、修二は続けた。
これを話してしまえば、もう止まることはできないだろう。
「今から話すことは、全部嘘偽りない真実だ。多分、信じられないってお前たちは言うと思う。それでも構わないから聞いてくれ」
前もってそう言ったのは、客観的に見た判断だ。
仮に修二が聞かされる立場なら、そんなこと信じられるはずがないと必ず言っていただろう。
だから修二は、あえて信用してもらうためにそう言った。
「俺は、元はただの普通の高校生だった。ある日、単身赴任の父から手紙が寄越されたんだ。とある島の、御影島への旅行のチケットをな」
始まりは、父からの手紙からだった。
それは父からの手紙ではなく、世良が偽装して送りつけたものだったが。
「クラスメイト達全員でその御影島への旅行に向かったのが全ての始まりだった。そこで俺は――」
修二は御影島での顛末を一から順に説明した。
クラスメイト達と旅行に来たこと。
その夜、友人が殺されて、死した人間が生きる人間を襲いかかりにきたこと。
隠密機動特殊部隊である父や、桐生が助けにきたこと。
地下研究所で、島に起きた異変の原因を判明させたこと。
そして、モルフという変異ウイルスの実験を、修二達クラスメイトを使って実験体に使おうとした世良の存在のことを――。
△▼△▼△▼△▼△▼
かれこれ、一時間が経ち、修二の話を三人は黙って聞いていた。
修二も、話しながら過去を思い出していくことに辛くなったが、それでも挫けなかった。
そして、全てを話した時、三人の表情は驚きに満ちていた。
「そ、そんなんありうるんか……? 死人が起き上がるって、ゾンビやないか」
「あ、ああ。宇宙から飛来した隕石って、あのニュースのやつだよな? それに御影島って、あの火山性ガスで島民が皆殺しになったっていう……」
ある程度は予想できた反応であった。
清水と出水は互いにそう言い合いながら、感想と自身の情報と照らし合わせる。
表向きの情報を彼らも知っていたようで、隠蔽していた事実は知る由もなかったのだろう。
だが、神田は二人とは違い、
「それが、お前の過去か」
修二の目を真っ直ぐに見つめていた。
神田の過去は修二も聞いていた。
本来、修二の過去もその時に話しておきたかったが、さすがにリスクを冒してまでそれはできなかったのだ。
「ああ、信じられないとは思う。でも、それが俺がこの部隊に入ろうとした理由だ。俺の幼馴染である椎名に会うために、俺は部隊の隊員を目指したんだ」
「――信じるよ」
神田は短くそう答えた。
「信じるさ、お前がそうやって辛そうに話すのも、俺には虚栄には感じられない。それに、これまでのお前への違和感も、それで説明がつく」
「せやなぁ、確かになんであんな銃の扱い上手いんやろおもてたしな」
「まあ、辛い過去を過ごしてきてるからな。全然笑えねえけど、よく生きてこれたな」
神田が、清水が、出水が口々にそう話していた。
修二は、話しても信用してくれないと思っていたのだ。
なのに、チームメイトは皆、修二の話をちゃんと聞いてくれた。
「――――」
それが、修二の中で嬉しかった。
今まで一人で抱え込んで、自分の無念をただ責めることしかできなかった修二は、それがなによりも苦しかったのだ。
だが、彼らは修二の話を聞いても疑うことはなかった。
その様子を見ていた修二は、言葉を発せずにただ唇を震わせるのみだった。
なぜなら、それは、
「信頼してなかったのは、俺の方ってことか……」
――信用、信頼。
目に見えないそれを、修二自身が彼らに対して、内心は持ち合わせていなかったことの証明でもある。
仲間として、命を預けあう意味では信頼はしていた。
でも、彼らにそれを明かす勇気を持てなかったことが、建前としてあったのだ。
例え、機密情報で話すな、という制約がなくても話せなかった。
それが、修二の中の奥底で確かにあったのだ。
「しかし、なんでそんなことを今ここで話したんだ?」
出水が怪訝な表情を浮かべて、修二へと問いただした。
それは、修二にも分かっていないことだ。
そもそも、この内容を話せと言ったのは目の前にいる鬼塚隊長であった。
修二は、出水から視線を外して、鬼塚隊長へと向けて、
「隊長、なぜこの場で、それを話せと指示したのですか?」
修二の問いに対して、他三人の視線も鬼塚隊長へと向けられた。
相変わらず、暗い表情をしたままの鬼塚隊長は、その言葉に顔を上げて、修二達へと顔を合わせた。
「笠井の過去を話させたのは、事前に情報を共有する意味でだ。笠井は薄々考えていることがあるだろうが、御影島で起きたウイルスの拡散は、あの島で終わりとはならない可能性がある。万が一のことが起きたとき、対処する必要があるからな」
「それが、今隊長が気分が優れない理由ということですか? 今、このタイミングで話させたことに、釈然としていないのですが」
神田が、核心を突くようにそう問いかけた。
確かにその通りである。
修二も同様、ウイルスはあの島で拡散させた組織が未だに所持しているとは考えていた。
だが、このタイミングでわざわざそれを話させようとするのは違和感でしかない。
それはつまり、敵組織が動き出そうとしている予兆があると言っているのではないかと、修二は薄々感じ取っていた。
「隊長、なにか隠していることがあるなら話して下さい。俺も、神田達ももう正規の隊員になったはずです」
「……そうだな」
隊長は短く返事をして、続けるように口を開こうとしたその時、鬼塚隊長の持つ携帯から電話が鳴った。
携帯を耳に当てて、誰からか分からない着信の相手と通話にでていた。
「はい、鬼塚ですが。えっ?」
「修二、後でそのモルフとやらについて、詳しく教えてくれないか? 死人が襲い掛かるだのなんだのということらしいけど、聞けば感染段階があるとか言うじゃねえか」
出水は、鬼塚隊長が電話に出ている間に修二へとモルフの詳細を確認しようとした。
対応策を考えようとしているのだろう、作戦立案が上手い出水のことだ。
修二の御影島での経験を元に、なにか対処法を思いつくかもしれない。
「ああ、分かった。神田と清水も、悪いが一緒に聞いてくれ。チームだからな」
「わかったで」
「了解した」
二人とも修二の意図に理解したようで、短く返事をしてくれた。
モルフの情報は、知る知らないでその対処は大きく変わる。
弱点の有無はもちろんのこと、修二は何も知らなかったあの時、想像外の出来事が乱発して、幾度となく煮湯を飲まされ続けることになったからである。
犠牲者を増やさない為にも、この情報は皆で共有すべきものなのだ。
すると、電話を終えた鬼塚隊長は携帯を仕舞い、修二達の元へと近寄った。
「桐生さんからの指令だ。今から東京渋谷区への人民救助の出動を開始する。各自、武器を持ち、外の移動用の車に乗れ」
鬼塚隊長は、緊迫した面持ちで修二達へとそう指示した。
「えっ? ちょっ、ちょっと、どういうことですか!?」
「事態が動いた。街で暴徒となった民衆が溢れ返っているらしい。おそらくだが……、恐れていたことが起きてしまったようだ」
その事実を聞いて、修二は衝撃を受けたように息を詰まらせた。
暴徒となった民衆と聞いて、それが何を意味しているのかをすぐに理解したのだ。
あの惨劇が、あの地獄がまた再び起きているのだ。
そしてそれは、今、現在進行形であることを鬼塚隊長の表情からもうかがえる。
「何を……言っているんですか? 今、今って……」
唐突すぎることであった。
御影島とは違い、一億人の人口があるこの日本で、そんなことが起きればどうなるか、あの地獄を知る修二には分かっていたのだ。
事前に立ち回るならいざ知らず、それが今起こっていること、そこが問題なのだ。
「黙って指示に従え! 詳細は車の中で伝える。各自、装備を整えてすぐに動け!」
恫喝した鬼塚隊長に、修二の内臓は緊張に痛む。
だが、修二のその様子とは別に、出水達は違っていた。
「修二、早く行こう。大丈夫だって。あれから俺達だって強くなったんだ。武器も持たない相手に負けねえよ」
「……それが敵意を持った相手ならだけどな」
相手が世良のように言葉を発して襲いかかるならばまだ気楽なものであった。
だが、今回修二達が対応するのは何の罪もない一般人なのだ。
それは、直接対峙したことのない出水達には分かりようもないことだろう。
とにもかくにも、ここで時間を潰せばどんどん被害は広がるのは間違いない。
修二達は指示に従い、装備を確認しに隊舎へと戻っていく。
装備一式があるのは特定の者しか入ることができない場所だ。
そこで修二達はいつもの訓練隊服ではなく、隠密機動特殊部隊の正隊員が着る、黒一色の隊服に着替えていく。
銃の扱いに関しても、この五ヶ月の訓練で扱えるレベルにまでは達していた。
修二達にはそれぞれに適ったサブ用の武器も用意されており、それを手に取って背中や腰、ポケットの中に装着した。
基本の武器はハンドガンとなるが、集団で襲い掛かるであろうモルフ達に対応する必要がある為、背中にはサブマシンガンを装備している。
本来の隠密機動特殊部隊の装備には、特別な武器も含まれたものとなっているのだが、緊急に組み立てられたものだ。今あるのは、基本的な装備のみとなっている。
相手はモルフだ。
出来る限りの弾薬は持ち合わせる必要がある。
もしも感染が市内全域に拡がることがあれば、それはもはや修二達にも対処はできないのだ。
「よし、準備できたぞ。皆いけるか?」
「俺もいける。けど、こんな装備で街中を彷徨いても問題ないのか? 自衛隊の人たちもいるだろうけど、怪しまれそうだけどな」
「そこはまあ鬼塚隊長も何か考えがあるはずだ。そこは信じよう」
出水の意見はごもっともだが、かと言って今の修二達に丸腰で行ったところで制圧は不可能である。
全員の準備が完了して、修二達は施設外にある移動用の大型車の前まで走って向かった。
「――――」
走りながら、修二は一人考え込んでいた。
今回の犯行も、恐らく御影島で起こした組織と同一のはずだ。
そして、それはクラスメイトの皆を殺戮し、椎名をウイルスに感染させた大元の連中でもある。
「必ず、奴らを捕まえてやる。椎名、悪いけど、少しだけ待っててくれ」
もう二度と敵の思い通りにはさせないと、心の中で誓いながら、修二は幼馴染の椎名のことを考えていた。
正隊員になれたことで、本来ならば桐生との約束通り、椎名に会えるはずだった。
だが、運命はそうはさせなかった。
必ず会うためにも、ここで終わらせないといけないと、拳を強く握り締める。
この時はまだ、笠井修二は気づかなかった。
今回の事件を経て、修二の人生は大きな転機を迎えることになるのを、まだ修二自身は知らない。
昨日、本来投稿予定だった本話ですが、タイピング途中で寝落ちしてしまいました。
なので、今回は二話同時投稿します。