第二章 第一話 『訓練初日』
悲鳴が、慟哭が頭の中を駆け巡る。
かつて経験した過去の記憶が忘れさせないようにと、鮮明なビジョンが映り込んでいた。
その後、彼の目に映るのは死体、死体、死体。死体の山がそこにある。
それは、彼の見知った者達の死体だ。
同じ勉学を共にした仲間達。男女問わずの死体が、指一つ動かさずにそこにあった。
赤い血が地面を塗り潰すようにある中で、彼はそこに立っていた。
蹲り、頭を抱えて叫ぼうとしても、それは消えない。
血の海が、彼の足を引き摺り込むように沈ませようとしていた。
まるで、こっちに来いと言わんばかりに、抵抗しようとしてもそれは変わらない。
――嫌だ……。
痛みも何も感じない。
ただ恐怖だけが、彼を支配していた。
――嫌だ、死にたくない!!
必死の叫びを上げようとしても、声がでない。
何をどうやっても抗うことが出来ず、血の海に沈められようとするその瞬間――、
光が真上から差し込んだ。
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起床ラッパの音楽が耳元で流れて、笠井修二は目を覚ました。
いわゆる目覚ましの音と認識しているが、一般人とは違い、これを聞けば即座に起床して動かなければいけない。
というより、音が鳴る前に起床してなければいけないのだが、修二はその事に気が回らず、
「夢……か」
修二は悪夢にうなされていたようで、起床ラッパの音が鳴り響く中、彼は掛けていた毛布へと手を伸ばして起き上がった。
「おい、修二! 早くしろ! 怒られるぞ!」
声を掛けたのは同じ部屋を共にしている者、出水陽介だった。
天然パーマのような髪型をした彼は、急ぐように修二へとそう言った。
「っと、悪い。すぐ準備するわ。あれ? 神田は?」
「あいつはもう行ったよ! ていうかあの野郎、俺らを置いて先に行きやがった! 急がねえと罰則食らっちまう!」
もう一人のチームメイトは、どうやら先に行ってしまったらしい。
どの道、修二達が遅れてしまえば連帯責任になることを彼は分かっているのかと訝しむが、そんな余裕はない。
直ぐにでも準備をして、外の集合場所へ行かなければと着替えを開始したところで、対面にあるベッドの方を見た。
そこには、未だ眠りこけているもう一人の仲間が安らかに、それは気持ちよさそうに寝ていた。
「おい、清水! てめえ、何まだ寝てやがんだ! 早く起きろよ、ってか、なんでこいつまだ寝てんだよ!?」
修二が乱雑に身体を振って起こそうとするが、眠りが深い清水はまるで起きようとしない。
これだけやって起きないのは、もはや才能である。
「こいつ……っ!」
二人は青筋を顔に浮かべながら、気持ち良さそうに寝ている清水へと蹴りを決めこむが、顔をポリポリと手でかくのみで、それでも起きようとはしない。
それを見た修二と出水はとうとう怒りの沸点を越え、清水を睨みつけると――、
「ふざけんなっ! お前のせいで隊長にどやされるだろうがぁっ!!」
修二達がいるのは、隠密特殊部隊の隊員が休む隊舎の中だ。
朝の起床ラッパが鳴れば即座に起床し、外の集合場所へと直ちに向かわなければならない。
実際には訓練隊員という名目であるが、ルールを守らなければ厳しい罰則が彼らを待ち受けている。
「うわぁぁぁ! どうしよう、修二! 殺されるよ俺ら!」
「諦めんな出水!! とにかくこいつを早く蹴り起こせ!!」
その後、五分ほどしてようやく清水は起き、集合場所へと向かったが、案の定、間に合うことはなかった。
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「おい……」
ピリピリとした緊張感の中、修二達含め四人は集合場所である隊舎外の砂の上に立たされていた。
目の前にいる坊主頭で筋肉質の男に声を掛けられ、修二達四人の中の三人はビクッと身体を震わせる。
この男は現在、修二達の管理を任されている隠密機動特殊部隊の隊長の鬼塚だ。
彼が修二達へと聞こうとしていることは、もう分かっていた。
「集合時間に遅れた理由は何だ?」
ドスを効かせたような声色でそう聞かれ、冷や汗をかきながら隣にいる出水が答えようとした。
「え、と、俺たちは起きていたんですけども、清水が全く起きなくて……、無理矢理起こそうとしていたら……今着いた次第です」
まるで上司に怒られた時のような説明の仕方ではあったが、出水の言うことが真実ではあった。
あの後、五十回程、清水の身体を蹴っていたらようやく目が覚めたので、修二も出水も朝から既に体力を半分近く奪われていた。
しかし、そんな言い訳は通用しないかのように鬼塚は睨みを強めると、
「そんなものが理由になると思ってんのか!? 蹴り起こしてでも連れてくるのがお前らの仕事だろうが!!」
いや、蹴り起こしたんですが……。
心の中でそう呟くが、ここでさらに言い訳を重ねても無駄なので、彼らは言われるがままであった。
「そもそも前日に説明したはずだが? 起床ラッパの音が聞こえる前に起床し、動ける準備をしておく。その後、五分以内にこの場所へ来ることがお前達の始めの仕事だと」
確かにそう聞かされてはいた。
前日、修二達は隠密特殊部隊の訓練生として、入隊式が開かれていた。
一日の基本はもちろん、何をすれば良いのかは全て頭に入れていたつもりである。
それなのに、初日からいきなり清水がやらかしてしまったので、朝から散々である。
「神田、お前も知っているよな? チームメイトの責任は全てチーム全員に降りかかると。何故,こいつらを放ってここに来ていた?」
修二達が起床した時、既にいなかったもう一人のチームメイトへと鬼塚は問いただして、彼は悪びれもなさそうに即座にこう答えた。
「――起きるものだと思っていました」
……なんという無責任な言いようだろうか。
そもそも前日、隊舎で自己紹介をした時も無愛想な返事しかせず、まともに会話はできていなかった。
神田のチームワークのカケラも感じられない様子は、修二としても困っていたものだった。
長髪を後ろに束ねた神田はこちらのジト目に全く目を合わせず、鬼塚と目線を合わせ続けたままだった。
「もういい! お前ら全員、その場で腕立て伏せ百回三セット、スクワット百回を三セットして、グラウンド十五周してこい!!」
投げ捨てられるようにそう言い放たれ、修二達は地獄の朝を過ごすこととなった。
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「し、修二……、助けてくれ、もう限界や……」
後ろから、悲痛の叫びが聞こえてくる。
こんなことになった原因である清水が、泣きそうな顔で修二へと助けを求めていたのだ。
無責任なその叫びを聞き入れることもなく、修二は怒りのまま後ろを振り返り言った。
「るせぇ! そもそも、お前のせいでこうなったんだろうが! 黙って走れ!」
関西弁のその男は、見捨てられたかのように絶望に満ちた表情をしていた。
あれから腕立て伏せとスクワットを回数通りこなして走っていたのだが、修二ももうかなり限界が近かった。
というより、スクワットをした後だと、あれだけ走るのが辛いことを知らなかったのだ。
足が震えてまともに走ることが出来ず、それでもなんとかしなければと、無理矢理にその身体を動かして走っていた。
もう、十周以上は走っただろうか。
一周するだけでも一キロ近くあるので、本当に死ぬ思いを彼らはしているのだ。
あれから、愚痴も何も言わずにいた神田はもう先にいる。
既に何周か修二を追い抜かしていたので、恐らく修二達があと二、三周する頃にはもう彼は終えているのだろう。
とんでもない運動神経と体力の持ち主であった。
「才能って羨ましいな……」
「喋る余裕があるってのは凄いな。俺はもうそろそろ倒れそうなんだけど……」
隣に並走していた出水が、死にそうな表情をしながらそう言った。
彼は、修二と同じぐらいの運動神経の持ち主なので、大体一般人と同程度の体力なのだろう。
その表情からでも、辛さは窺えていた。
「絶望のお知らせだが、これ終わってもまだ訓練あるんだよな? 今日生き残れるかこれ?」
「無理無理、本当に死ぬ。もう手も上がらねえよ」
そう言いながら出水の方を見ると、確かに手は上がっておらず、下げたまま走っているようなそんな状態だ。
この後の訓練の内容は聞かされていないが、間違いなく体力を使うようなものには違いない。
「そもそも俺らって隠密機動特殊部隊だろ? 表舞台に立つようなことって大してないはずなのに、なんで自衛隊のようなことしてるんだろうな?」
「……疲れるからあまり喋りたくはないけど、多分俺たちが対人に対して仕事をするからってことじゃないのか? 多少の力と体力はいると思うしな」
分析するように、修二はそう答えた。
父や霧崎達も、普段は対人との相手をすることが多いとは言っていた。
本来、非公表の部隊である為、それなりに汚れ仕事を任されることは多かったのだろうが、実際のところ、どんなことをしているのかまでは修二も知らなかった。
「ふーん、まっ俺らみたいな日陰者がやることだ。どうせロクなことじゃないだろうな」
日陰者と聞いて、修二は何も答えなかった。
御影島で、霧崎が言っていたことだった。
隠密特殊部隊の隊員の多くは、皆過去に何かしらの事情があって入隊している。
それは、正規の自衛隊員や、SATのような部隊とは違って、特殊な生い立ちをしている者が多い。
ふと、彼らのことを思い出して、修二は走る足に力を込めた。
「んじゃ、俺は先に行ってるぞ。早く終わったら休めるしな」
「え、ちょっ、修二マジかよ。疲れってもん知らねえのか?」
「余裕余裕、話してたらなんか力湧いてきたわ。じゃあなー」
そのまま、修二は出水を置いていくように、走っていった。
その様子を見ていた出水は、走る修二の背中を見ながら、ふと呟いた。
「あいつも普通に体力あるよな。さっきまで疲れてたはずなのに」
そのままグラウンドを十五周して、修二は地面に手を突くように倒れる。
身体から湧き出る汗が止まらず、すぐに給水して出水や清水が到着するのを待っていた。
神田は既に終えていたようで、疲れを知らぬように腕を組んで待機していた。
「なぁ、神田。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
なんとなく退屈だった修二は、尋ねるように神田の顔を見た。
「――なんだ?」
「あまり、聞いていいものかどうかあれだけど、やっぱり神田も何かあって進んでこの部隊にきたのか?」
無粋なものとは分かってはいた。
ただ、修二も同じく、過去のことが原因でここに来た口だ。
椎名と会う為に、その条件として入隊することになったが、他の隊員についてはまるで知らない。
互いに共感はできることはあるかもしれないといった思惑あってのものだが、神田は修二のその問いに直ぐに答えようとせず、間を置いて。
「聞いて得なことはない。お前らの事情も俺は興味ないからな」
「相変わらず無愛想だな。話したくないなら聞かないよ。俺も、話せないこともあるしな」
修二は、桐生から条件を提示された時に口止めをされていた。
御影島で起きた真実。死人が動き、人を襲うというウイルスがあったことを口外するなとそう言われたのだ。
それは、修二にとっては別に構わないことであったが、どうせ言ったとしても信じてもらえないだろうと思っていたからだ。
それ以上に、あの惨劇を自らの口で語れる自信はなかった。
思い出すように唇を噛んでいると、神田は初めて修二へと目を向けた。
「俺はお前達とは違う。為すべき意味があってここにいるんだ。挫折しただけの奴らに、聞かれる筋合いは無い」
唐突なその言葉に、修二は神田を睨んだ。
一触即発とは言い難いが、聞き逃せない言葉があったのだ。
しかし、そんなことで怒っても仕方がないと考えた修二は、気持ちを落ち着かせて返事を返す。
「挫折、ね。不幸自慢をする気はないけど、話す気がないなら別にそれでもいいよ。俺ももう、興味が無くなったわ」
「――――」
チームメイトとの不協和音が二人の間に生まれて、そこで出水と清水が戻ってきた。
「はぁっはぁっ、終わっ……たぁっ!」
修二とは違い、倒れ込むように手を突いて、二人は動けないでいた。
「お疲れさん、ほら、水」
二人に水が入ったペットボトルを渡して、彼らはそれを勢いよく飲み込んでいた。
どう見ても疲労困憊の様子である。
「これに懲りたら明日からちゃんと起きろよ、清水。さすがに次は頼むぞ。いや、本当に」
「お、おう。任してくれ、もう走るのは嫌やわ」
清水はそう言って、気をつけるようにすると言ってくれた。
さすがにこれ以上、咎める気は修二にもなかったので、無かったことにするつもりであった。
と、全員が罰則を終えたのを見たのか、隊長である鬼塚はこちらを見ながら近づいてきていた。
「よし、お前ら全員立て。今から訓練を始めるぞ」
それを聞いて清水はめちゃくちゃ嫌そうな顔をしていたが、それを見られるとまたややこしくなるので、鬼塚に見られないように清水の前に立って、立ち上がらさせようとした。
「今からやるのは、隠密機動特殊部隊としての基礎能力を確かめる訓練だ。今のお前達の実力を知る意味で行う訓練になるので全力で取り掛かれ。いいな?」
……もう既に全力を出し切ったんですが。
と、神田を除く三人は、同じ思いを心に秘めながら、大声で返事をした。
「よし。では、お前達には今から『かくれんぼ』をしてもらう」
……?
今、何を言ったのだろうか?
聞き間違いでなければ、隊長は『かくれんぼ』と言っていたように聞こえたのだが。
そんな困惑の表情を浮かべながらも、鬼塚は構わずに続ける。
「鬼をやるのは俺だ。場所はこの施設のどこにでも構わん。三分以内にお前達は各自、鬼の俺から見つからない場所へと隠れろ。スタートから十五分経つまで隠れることができれば、お前達の勝ちだ。一人でも生き残れば、今日の訓練は終わりとする。全員見つかれば……今日の晩飯は抜きだ」
「えっ!?」
聞き逃せない言葉があった。
既にカロリーを大幅に失った今、晩飯を抜かれるのは死活問題だ。
それだけは回避しようと、修二は頭の中で施設の内観を思い出す。
まだ全てを見てきたわけではないが、この訓練施設の土地はかなり大きい。良い場所を見つけることが出来れば、十五分ならば容易だろうと考えていた。
「ルールについてだが、お前達が各々、別の場所に隠れることは予想している為、チームメイトが見つかった時にそれを知らせる携帯を今から渡す。それは訓練終了を知らせる合図も兼ねているから、必ず身につけていろ」
鬼塚はそう言って、修二達へとタッチ式の携帯を渡していく。
「尚、今回の訓練に際し、施設の中には一人も職員は置いていない。つまり告げ口の可能性は無くなるということだ。俺に見つかればそれで終わり。見つからない為ならば、どんな手を使っても構わん。分かったな?」
「はい!」
肯定の返事をして、修二は考えていた。
誰かに見られて、それを隊長に告発する可能性はないということだ。
これは、隠れる側が大いに有利な展開である。
「それでは、はじめっ!!」
合図が出て、四人は同時に施設へと走り込んでいった。
近くにいると、それはそれでマズイ為、修二は一人になろうと二階への階段を登っていく。
「隠れるだけなら色んな所があるよな? でも、なんか変だな。これだけの広さなら十五分なんて余裕だぞ」
独り言を口にして考えながら足を動かして、修二は隠れる場所を探そうとした。
鬼塚がどうやってこの広さの施設から修二達を見つけようとするのかはまだ分からない。
だが、これがただのかくれんぼでないことは薄々と考えてはいた。
何か、修二達を簡単に見つけ出せる方法があるはずだと、そう踏んでいたのだ。
出来る限り、鬼塚から遠い位置へと向かい、辿り着いたのは倉庫部屋のような場所だ。
ここならば障害物も多く、隊長もすぐには見つけられないはずだ。
仮に見つかっても、他のメンバーが見つからなければどうにでもなる。
木材やノコギリ、ロープのようなものがあり、修二は部屋の奥の窓の側にちょうど人一人が隠れやすいような場所を見つけた。
「よしっ、ここなら――」
万が一、鬼塚がこの部屋を調べようとした際に、すぐに見つけられないようロッカーや木材を通路へと置いて、通れないようにしていく。
そうして、修二は部屋の一番奥、窓がある場所で待つことにした。
三分はもう経っただろう。
鬼塚に渡された携帯を取り出し、時間を確認した。
かくれんぼの鬼は、基本隠れる側が隠れるまではその場を動くことはできない。
修二がこの部屋の道具を動かした音は鬼塚には聞かれていないはずなので、特段問題はないはずだ。
と、そこで携帯に音が鳴った。
サイレントにしていないのも問題だなと考えつつ、とりあえず確認しようと思って携帯を見ると、そこにはこう書かれていた。
――『清水、死亡』と。
「なっ!?」
死亡という言葉に咄嗟に反応したが、恐らく違う。
見つかってしまったのだ。
まだ、鬼塚が動き出して二分も経っていない。
それなのに、まるで隠れた場所へと一直線へ進んでいったかのように、鬼塚は清水を発見していた。
「あいつ、何直ぐ見つかってんだよ……」
早朝に続き、ヘマをしすぎている清水へと恨み節を叩きながら修二は携帯を見ていたが、少し妙であった。
「――でも、いくら清水でも、そう簡単に見つかるか?」
開始二分。たったのそれだけで、清水はこの広大な施設の中から見つけられたのだ。
それは、まるで位置を把握しているかのような、だ。
ピロンっと、また音が鳴り、修二は携帯を見る。
嫌な予感がした。
その予感は当たっており、携帯を見ると、画面にはこう映し出されていた。
――『出水、死亡』
「嘘……だろ?」
あの出水も見つかってしまった。
いくらなんでも変であった。出水もチームメイトが必ず近くにいないように移動したはずだ。
それなのに、清水が見つかってすぐに発見されるのはどう考えてもおかしい。
「――まさか、位置がバレてる?」
発信機の類を警戒して、修二は着ている物を確認しようとしたその時、
この部屋の入り口のドアが開く音が聞こえた。
「――――っ!?」
声は出さなかった。
だが、咄嗟に携帯を直して様子を伺おうとして障害物の隙間から入り口を見ると、そこには鬼塚がいた。
――やっぱり、位置がバレている。
心の中でそう呟きながら、鬼塚隊長を恨んだ。
なぜなら、このかくれんぼという訓練はもはやかくれんぼというゲーム性を完全に無視しているのだ。
隠れた側の位置が割れていれば、どうあがいてもいずれ見つかってしまう。
最初から見つかる前提のこの訓練に一体何の実力を示せというのか、修二は心の中で怒りながら、携帯を見た。
多分、この携帯がそれだ。
これが、発信機の役割を兼ねているのだ。
十五分経つまで、必ず身につけておくというのはそういうことのはずだ。
状況を把握して、修二は現状を打破する為の方法を考える。
鬼塚は障害物として置いておいた物をどかしながら、確実にこちらへと迫ってきていた。
仮に遠回りしつつ、この部屋の出口へと向かおうとしても無駄だ。
動きを見られているので、逃げようがない。
この施設は基本、一方通行のように設計されている為、来た道を戻る以外に逃げる術はないのだ。
「随分と手の込んだことをしているじゃないか、笠井。だが、その時間稼ぎの仕方じゃあ、二十点だな」
突如、修二がここにいると分かっているように、鬼塚はそう言った。
時間稼ぎではなく、身を隠す為に障害物を置いたわけだったのだが、結果的にそれは功を成していたようだ。
「ここまであからさまだと、もう分かっているだろう? お前達の位置は既に割れている。この訓練は初めからそれを想定して行なっているのだと」
声を殺して聞くことしかできないが、修二はもう全て把握した上で、周りにある物を見ていた。
そこには、用途の分からないロープのようなものがあり、修二はそれを音が立つことも気にせずに引っ張り出す。
「残念だよ。お前はあの嵐の倅と聞いていた。もう少し何か見せてくれると思っていたが、やはりあの人とは違うな」
父の名前を出されて、修二は手を止めそうになった。
だが、それを聞く余裕はない。
聞いていても、いずれ見つかってしまうのだ。
ならば、足掻く他にない。
「この訓練の本質をお前は理解していない。この訓練はただのかくれんぼではなく、ある点を基準としてあるものだと、それに気づかなかったのがお前達の敗因だ。神田を最後に残したのは、あいつがその要素に欠けていたからだがな」
その言葉を聞いて、ようやく修二は確信した、
この訓練が、何を目的として行っているのか。
鬼塚は言っていたはずだ。
――どんな手を使ってでもいい、と。
「さあ、チェックメイトだ」
最後の障害物に手を伸ばしたことを理解して、修二は側にある窓を開いた。
ここは二階で、飛び降りれば間違いなく怪我をすることは免れない。
なので、修二は先ほど見つけたロープを、ロッカーの手すりに巻きつけて固定し、それを離さないように掴んだ。
「……さっきから音が聞こえるが、何を――」
鬼塚のその言葉を最後に、修二は窓から飛び降りた。
「っ~~~~!」
ロープから擦り降りるように一気に下へと降りた修二であったが、その摩擦熱を考慮していなかったので、手が火傷したかのような痛みが襲いかかった。
だが、上手く出し抜けたようで、修二はあの部屋から脱出することができた。
「まだ、だ!」
だが、修二はそこで安心はしなかった。
このかくれんぼは、見つかった時点で強制終了だ。
もしも、鬼塚が窓から顔をのぞかせて修二を見つければ、それで意味が無くなってしまう。
降りた先で、目の前にある窓を開いた瞬間に飛び込むように、修二は部屋へと入り込んだ。
地面に胸からぶつかり痛みに苦しんだが、すぐに立ち上がった。
鬼塚隊長の位置は修二からではまるで分からないが、今、残したロープで鬼塚隊長も降りてきてしまえば、そこでまた終わりとなってしまう。
窓を閉めて、少しでも時間を稼ぐようにしてから修二は部屋を開けて待機した。
もし、鬼塚が降りてくれば、その顔が見えるまでには扉を閉めて全速力で逃げようとしたのだ。
だが、そうはならなかった。
いつまで経っても降りてくる気配はなく、どうやらあの倉庫部屋を出たに違いなかった。
「なんとか、助かったか……」
安心して胸を撫で下ろしたが、気は抜けない。
修二にはもう、この訓練の本質を理解していたのだ。
ここで鬼塚隊長が姿を現さない以上、次の行動も何をするかは読めていた。
「神田を……助けねえと!」
修二ともう一人、未だ見つかっていないチームメイトの居場所を探しに修二は動き出した。
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施設の中、神田慶次は応接室の天井裏へと隠れていた。
まるで忍者のようなことをしていたのだが、案外理には叶っており、万が一、この部屋に鬼塚が来てしまえば、隣の部屋へと移動は可能だったので特段問題は無かった。
だが、神田は理解していた。
この訓練が見つかる前提の無意味に近いかくれんぼであることを。
初めに二人が見つかったタイミングからしても、明らかに鬼塚はこちらの位置を把握していることに気づいていた。
その後、五分程は何も音沙汰が無かったわけだが、それでも気は抜かなかった。
位置を把握されている以上、この訓練が逃げながら隠れ続けるという難易度の高いかくれんぼであると考えていたのだ。
天井裏にいるのも、ただバレずに隠れているわけではなく、鬼塚が来た時点で隣の部屋へと逃げる為であったのだ。
それを理解していれば、このかくれんぼは然程難しい訓練ではない。
「……きたか」
応接室の扉が開かれて、神田は鬼塚が見つけにきたことを理解した。
正確な位置がバレているかどうかはまだ分かっていないが、万が一を防ぐために、隣の部屋へと移動を開始しようとしたその時、
「甘いな、神田」
鬼塚の声がして、神田が先ほど見ていた応接室の天窓が壊れるように剥がれた。
「っ!?」
恐らく、手で無理矢理壊したのだ。
天井まで飛ぶその跳躍力も見事なものだが、浮かれている場合ではない。
直ぐにでも隣の部屋の天窓から降りようと移動しようとするが、距離が問題すぎた。
今すぐに向かっても、あの跳躍力があれば確実に見つかってしまう。
そうなれば、そこでお終いだ。
諦めたかのように神田は立ち止まり、鬼塚に見つかることを選んだ。
「俺の実力不足、か」
無駄な抵抗をしないように立ちすくみ、もう見つかろうとしたその時、聞き覚えのある声がした。
「神田!! 早く逃げろっ!」
それは、先ほど突っかかってきていた、笠井修二の声だ。
まだ見つかっていないことは意外ではあったが、そもそも彼は何をしているのか。わざわざ見つかるようなことをして、なぜ自分を逃がそうとするのか。
と、そう考えていたが、笠井修二の声は止まらない。
「早く逃げろ! そこにいるんだろ!? 俺が鬼塚隊長を引きつけてる今の内に早く!」
「――っ!」
その声を聞いて、神田は走り出した。
隣の部屋へと続く天井裏へと辿り着き、神田はその天窓を外して、下へと飛び降りた。
直ぐにでも移動を開始しようとしたが、携帯の音が鳴って立ち止まった。
それを確認すると、そこには二行でこう映し出されていた。
――『笠井死亡。訓練終了』
と。




