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Levelモルフ  作者: 太陽
最終章 『終末の七日間』
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Last Phase 第八十六話 『それぞれの道』

「うん、少し血圧が高い気はするけど、とりあえずは安静にしていれば問題なさそうだね」


「そっすか……まあ、体は勝手に再生するもんだから、あまり気にしてないんですけどね」


「実に不可思議なものだよ。だが、その再生能力は人の体には毒みたいなものだから、そう多様するものでもないのだがね」


「毒……?」


「いわゆる、自然治癒力を前借りした意味での力だよ、それは。人は老化する過程で、自然治癒力はどんどんと低下していく。キミがしているのは、その前借りみたいなものだから……寿命を削っているようなものなのだよ」


「そうだったのか……知らなかった」


「無理もないだろうね。こうして詳しく調べるようなことをしてこなかったのだから」


「まあ……色々ありましたから」


 クーラーの効いた涼しい医務室の中で、落ち着いた様子で話していたのは笠井修二だった。

 彼と話している相手は、笠井修二の担当主治医である男、ラノックと呼ばれる男であった。


『レベル5モルフ』の力を持つ彼は、その力を持つが故にして、体のあちこちに不調をきたしていた。

 その理由の発端としては、あの七日間の激動が関係していた。そもそもとして、最後に無理に体を酷使して戦った反動は、一ヶ月が経っても治る気配がなかったくらいだ。


 だから、こうして週に二回の検診を行うということで、経過観察をしているところだった。


「キミはあれだね。ドクターストップが掛かっていてもサッカーの試合に行こうとするタイプの人間だろう?」


「い、いや急に何ですか? それは言いがかりでしょうよ」


「そうは言ってもなぁ。キミの体と椎名真希君の体の調子は天と地ほどの差があるよ? まあ彼女も最初は不調気味だったけど、すぐに良くなっていたしね」


「ぐぬ……」


 それを言われてしまっては、言い返すことも何もできない。

 確かに、誰になんと言われたとしても、笠井修二は気にせず突っ走るタイプの人間だ。

 その自覚はあったし、実際にそうしてきた過去はある。

 今となっては、そこまでするようなことは滅多になくなったのだが、今の状況がそこに起因しているとするならば、文句の言いようもない。


「と、まあキミへの当たりもここまでにしておこうか。手のかかる子が一番私は嫌いだからね」


「めちゃくちゃズバッと言ってきますね……」


「ははっ、まあ気にしないでくれ。それよりも……キミに大事な話があるんだ」


「話?」


 ラノックは意地の悪い言葉を連ねながら、話を変えようとした。

 そして、彼はデスクの上に置いてあった二本の注射器を見せてくる。


「上からのお達しでね。キミにどうするか、それを決めてほしいとのことで渡されているんだ」


「何ですか、これ?」


「キミの体にあるモルフウイルスを完全除去させる抗ワクチン剤――つまりは、『レベル5モルフ』から人間に戻す薬品だよ」


「は?」


「デイン・ウォーカー君の血液からモルフの抗生剤を作る過程で完成したんだ。まだ試験段階だから、確実というわけではないがな」


「ちょ、ちょっと待って下さい……っ! それ、本当なんですか?」


 かくも信じがたい話がいきなり飛んできたことで、笠井修二は頭の中で整理ができないままにラノックの肩を掴んだ。


 もし、そうだとするならば、笠井修二は――人間に戻れるということになるのだ。


「お、落ち着きたまえ。うっかり落として割れたらどうするんだ」


「あ、すみません」


「まあ、気持ちは分かるがね。キミにとっても、その体は悩みの種だったろうからな」


「……でも、それを使うことに反対する人はいるんじゃないのですか? ただでさえ、俺の体は特殊なわけですし」


「一部の保守派はキミの力を我がものにしようと考える連中もいるだろうな。だが、そんなことを気にするまでもなく、自分で選択しろと……キミの上官がそう話していたよ」


「……風間司令ですか」


 上官と言われて、誰かと思い浮かべるとすれば、それは一人しかいない。

 あの人がそう言うのならば、もちろんありがたく考えるところではあるのだが、


「キミはどうしたいんだ?」


「ん?」


「その力、失っても構わないのかい?」


 ふとした疑問だったのだろう。周囲から見れば、笠井修二の持つ『レベル5モルフ』の力は利便性は言うまでもなく高い。

 この先、仮に力を持った状態で生きていたとしても、不便を感じるようなことはない筈だ。

 しかし、それはあくまで客観的に見たが上での話。


「……確かに、色々苦労は耐えなかったですけど、俺個人の意見としては元の人間に戻りたいという判断ですね。椎名もそう言うと思います」


「……なるほど。未練はないということか」


「未練……いや、もちろん無くなったら無くなったで色々不便はあるかもしれないです。でも俺は、俺と椎名は普通の生活を送りたいんです。もう、この世界にモルフというウイルスは必要ないんですから」


「――面白い意見だな」


 ラノックは笠井修二の意見をひとしきり聞くと、二本ある内の一本の注射器を手に取った。


「今、打つかい?」


「はい、お願いします」


「分かった。これを打てば、恐らくはすぐにモルフの力は失わない。徐々に体の中からモルフウイルスを完全に消し去っていくだろうから、今までキミが使っていた異常な身体能力はそのうち使えなくなる」


「ってことは、俺の固有能力もっすかね?」


「ああ、あれはキミ達の力の根源みたいなものだから、恐らくはすぐに使えなくなると思った方がいい。もう一度確認するが、本当にいいんだね?」


 打った後の過程の予測を聞かされて、再びどうするかを問われた笠井修二は、今一度、自身の体へと目を向けた。

 今思えば、とんでもない力だったと思う。あのリアムとの戦いを経て、笠井修二はある意味、白兵戦においては右に出る者はこの世にいないほどの力を持ってしまっている。

 それほどの強大な力を捨てるというのだ。普通の感性をした人間ならば、躊躇する人間もいる筈だろう。


 でも、もう答えは決まっていた。


「もう、いいんです。俺は……人間でいたいのですから」


「……すまない、余計な詮索だったな」


「構いませんよ。――頼みます」


「分かった、ジッとしていたまえ」


 そして、ラノックは笠井修二の腕へと注射器の針を刺し込んだ。

 チクリとした痛みと共に、中にあった薬品が体内へと押し込まれていく。

 感覚的には、正直なところはほとんど異変は感じ取ることはできなかった。

 でも、これでもう、笠井修二は元の人間に戻れるということなのだろう。


「これで終わりだ。さて、あとは椎名真希の分だが、どうする? ここに呼べば、私が打ってやるが」


「……いえ、これは俺が椎名に打ってやってもいいですか?」


「構わないが、何かあったのか?」


「というか、この後に椎名とは待ち合わせの予定があるんです。せっかくなんで、やるなら早い方がいいでしょうし、これは俺が預かって、後で椎名に話して打たせます」


「そうか。ではどこかで転んで割れたりしないよう、ケースに入れて渡しておくよ」


「ありがとうございます」


 もう一本の抗ウイルス剤の注射器をケースの中に入れたラノックは、笠井修二へとそれを渡した。


 正直、笠井修二としては一刻も早く、この注射器を椎名に使ってあげたい気持ちも強くあった。

 彼女だって、はじめはただ一人の『レベル5モルフ』として、隔離されるほどに酷い環境下に置かれていたのだ。

 もう、これ以上は椎名にも苦しんでほしくはない。


「じゃあ、そろそろ俺はこの辺で」


「うむ、一応、経過観察は続けさせてくれ。完全に人間の状態に戻ったのかどうか、それも確認する必要があるからね」


「はい、ありがとうございます」


 笠井修二は最後に立ち上がり、ラノックへと深く頭を下げて礼を言った。

 感謝の言葉など、言い足りないほどのものだ。

 こうして自由に行動ができるのも、ラノックの力がなければもっとずっと時間が掛かっていたことは間違いないだろうし、今も笠井修二達の為に、抗ウイルス剤を作っていてくれたことだってそうだ。

 不満はぶつけられたりはするものの、笠井修二にとってラノックは恩人そのものだった。


「じゃあ、失礼しますね」


「ああ、くれぐれも安静にね」


 コクリと頷いて、笠井修二は医務室の出口の扉を開けて出て行った。


 これで、あとは椎名と会って、抗ウイルス剤のことを伝える必要があるくらいのことだ。


「とはいえ、時間がまだあるよな」


 待ち合わせの時間まで、まだ少し時間があることを腕時計から確認した笠井修二は、どう暇を潰すかを考えた。

 ひとしきり考え込んでいた笠井修二は、何かを思いついたように指を鳴らすと、


「そうだ、あいつらにも顔合わせなきゃな」


 思い立つようにして、笠井修二は歩き出していく。

 もう、二度と会うことはないだろうと考えていた、かつての仲間達の元へと――。


 笠井修二が今いる病院、その建物の中を歩きながら、彼はある一室の扉の取手を掴んだ。


「……? 何やら騒がしいな」


 ドタバタと騒がしい音が中から聞こえて、笠井修二は何事かと訝しむ。

 誰がいるかは分かっているので、おおよその見当はついているのだが――。


「出水ーっ! 頼む、見逃してくれっ! 俺もうリハビリは嫌やねん!!」


「るせえっ! お前、前は変わったなって褒めてたけど、まんま変わってねえじゃねえか!」


「せやけど嫌なもんは嫌なんやっ! 誰かーっ!! あ」


 早々に、揉み合っている彼らを見て、その一人である清水勇気が笠井修二の存在に気づく。

 そして、松葉杖を使わなければ歩けない筈の清水は、ゴキブリの如き速さで笠井修二の元へと地面を這いずってくると、


「修二! 助けてくれ!」


「いや、どういう状況?」


 思わず引き気味でいた修二は、服を鷲掴みにしてくる清水を放っといて、出水へと目線を向ける。


「清水の奴、足の関節が折れてたからさ。そのリハビリがこのあとあるんだけど、逃げようとしてたんだよ」


「あー、なるほどね。らしいっちゃらしいな」


「何勝手に納得してんねん! めちゃくちゃ痛いねんぞあれ!」


「脱走しても治るもんも治らねえぞ。いいから早く寝ろ」


「うう、皆厳しすぎるわ……」


 渋々、清水は自身の寝床であるベッドへと戻っていく。

 彼の全身はギブスで巻き巻きにされた状態となっており、ここまで元気なのは逆に凄いぐらいだった。


「で、どうした? お見舞いか?」


「そんなところ、椎名との待ち合わせまで時間あるからさ」


「ほうほう、それは聞き捨てならねえなぁ」


 ニヤニヤとし出した出水に、笠井修二はため息を吐いた。

 今更、否定することもないのだが、椎名は笠井修二へと想いを寄せている。そのことには出水達も気づいていたようなのだが、笠井修二もついこの前に知ったところだ。


 というか、それで弄られたとしても、お互い様だろう。


「お前こそ琴音とはどうなんだよ?」


「あっ、そんな切り返ししてくる? あいつめちゃくちゃ俺に最近当たりキツいんだよなぁ。俺なんかしたっけ?」


「知らねえ。まあお前はどっちかというと尻に敷かれるタイプじゃん」


「先が心配になってくるよ……」


 トホホといった様子で項垂れる出水に、笠井修二は笑った。

 どうやら出水陽介と八雲琴音も、今はそういった仲だということらしい。

 変わった部分があるとすれば、出水に対する琴音の接し方が前よりキツいことなのだが、笠井修二からすればいつも通りの印象だった。


「惚気とんちゃうぞ、クソ野郎が」


「めちゃくちゃ暴言吐くじゃん。お前だって言えた義理じゃねえだろ?」


「ばっ、俺とオーロラはそんなんじゃ……っ!」


「いや、名前言ってないんだけど?」


「あ……」


 墓穴を掘った清水は、めちゃくちゃ分かりやすい反応をして、そのまま布団の中へと消えていった。

 そんな清水の様子を見て、二人で笑い合っていた彼らは、お互いに顔を見合わせた。


「ほんと、まさか俺らが生き残るなんて、思いもしなかったよな」


「……そうだな」


「修二が帰ってきた時のこと、覚えてるか? あん時は本当に感極まったわ」


「思いっきり殴られた記憶しかないんだけどな」


「当たり前だろ。お前の単騎行動にはこっちも呆れてるんだからな。てか、悩みあったんだったら相談しろっての」


「……悪いな」


 憎まれ口を叩かれ、申し訳ない気持ちで謝る笠井修二。モルフテロが起きてから七日目のあの日、笠井修二は椎名真希とデインを連れてミスリルへと帰還した。

 その時、真っ先に笠井修二を見た出水陽介が、出会い頭に殴りに掛かってきたことは今でも覚えていた。


『レベル5モルフ』である事実を隠していたこと。勝手に一人で先走って、単騎行動を繰り返していたこと。

 今思えば、何も言い返すこともできないくらい怒られた記憶ばかりだった。


「でも、帰ってきてくれて良かったよ。皆、お前の心配をしていたんだからな」


「ああ、耳がタコになるぐらい、聞かされたよ」


「あれから色々あったよな。今もまだ、アメリカ国内には巨大生物が残ってるけど、それも直に駆逐できそうらしいし、今も風間さんとアーネストさんが筆頭で出動してるらしいぞ」


「改めて、凄い人だったな。アメリカの軍隊を動かせるなんて、聞いたことねえ」


「だよな。まあ、もう……俺達は戦う必要はなくなったわけだし、俺としては気楽なんだけどな」


 椅子に腰掛けながら、物思いに耽る出水は、今の国内事情を口に出していた。

 あれから、本当に色々あった。

 もう、アメリカは終わりだというところまで追い込まれて、そこから巻き返したのは彼らの手腕あってのものだ。

 アメリカ各地に出現した巨大生物は、およそ九割近くが殲滅されたとの話も聞いている。

 まだ遠くの州では、未だ暴れ回る巨大生物も残されているらしく、風間達の仕事は、その残党の駆逐でもあったのだ。


「なあ、修二。俺達はもう、戦わなくていいんだよな?」


 突然、出水は表情を硬くして、笠井修二へとそう投げかけた。

 あれから、どれほどの死線を潜ってきたか、笠井修二もその話は聞かされている。

 もうあんな、死に物狂いの戦いは出水もごめんだったのだろう。


 だから、笠井修二は出水の目を真っ直ぐに見つめて、こう答えた。


「もう、終わったんだ。俺達の戦いはな。クリサリダの連中はもう、いないんだからさ」


「……だよな。悪い、なんか嫌なことばかり考えてしまうからさ」


「――――」


 笠井修二は一つだけ、嘘を言った。

 あくまで、出水を安心させるためのセリフだったわけだから、仕方がないものだったのだが、心の中で出水へと謝ることにした。


 全部が終わった。そう断言できる状況ではないことを、笠井修二は知っていたからだ。


「あっ、また起きてる! 何起きてんのよあんた!」


「ぐぼぁっ!?」


 その時、笠井修二の真後ろからすり抜けて、出水へとドロップキックを仕掛ける女性がいた。

 たまらず、出水は自分のベッドへと吸い込まれて、そのまま泡を吹き出してしまう。


「安静にしてろって言われてたでしょ!? 何椅子に座ってんのよ!」


「いや、椅子に座ってただけじゃん……」


「ほーう。じゃあ私が寝かせようか?」


「なぁ修二、助けてくれない?」


「いや……とりあえずここは言う通りにした方がいいわ。死ぬぞお前」


 出水の命を脅かしかねないことをしたのは、八雲琴音だった。

 聞けば、彼女は出水の専属の介護をする担当とのことであり、今見てもその加減の知らなさは笠井修二にもどうしようもできそうにない。

 指をパキパキと鳴らし始めたところを見て、出水陽介は直立姿勢でベッドに寝込み出し、それを見た彼女の手の力も弱まっていく。


「たくっ、ちょっと目を離すとこれなんだから」


「さすがに少しぐらい大目に見てもいいんじゃないのか? 今のドロップキックで全治、伸びたぞ」


「ああん?」


「すみませんなんでもないです」


 殺気がこちらへと飛んできたことで、笠井修二は説得を諦めた。

 出水も清水も、どちらもまだ傷が癒えていないから、あまり動き回られるのは病院側でも困るのだろう。

 まあ出水に関してはやり過ぎだったのだが――。


「じゃ、じゃあ俺はいくわ。ちゃんと安静にしろよお前ら!」


「「薄情者!!」」


 ベッドに寝る仲間二人からそう暴言を吐かれて、笠井修二はそそくさと病室の外へと出ていく。

 最後に病室の扉へと合掌して「南無南無」と一言、お祈りを捧げた笠井修二は、そのまま背を向けていった。


「さて、あいつにも顔合わせとくか」


 出水と清水と話をしたならば、もう一人のあの男とも顔を合わせる方がいいだろう。

 そう考えて、笠井修二はもう一つ先にある一室へと向かって行った。


 そして、歩く間に彼は、ある違和感を感じた。


「……なんか体が重いな」


 体を動かそうとしている力が、なぜか上手く動かせなくなってきていた。

 気怠いとはまた別の、単純に歩く時の歩幅がいつも通りのように合わせずらくなってきていたのだ。


「もしかして、もう効いてきたのか?」


 ラノックに打ってもらったモルフウイルスの抗ウイルス剤が、笠井修二の体に影響を与えているのではと考えて、彼は自分の体を見た。

 動かせないわけではない。ただ、いつも以上に体が動きにくいといった、そのような感覚だ。


「……ああ、そうか。身体能力強化を使うあまり、それに慣れすぎていたんだな」


 抗ウイルス剤の効果は確かに出ていた。

 身体能力強化を無意識に使用していた笠井修二の体は、その力に体を慣らしすぎてしまっている。

 だから、元の人間の力加減で動くとなれば、その分、動きが緩慢になってしまうのだ。


「こうなると、なんだか不便に感じるのも嫌な感覚だよなぁ」


「あっ、修二さん! 兄のお見舞いですか?」


「お、静蘭」


 懐かしい感覚に浸っていると、朝食を持って声を掛けてきたのは神田静蘭だった。

 笠井修二からしても、静蘭が目を覚ましていたという事実を知って、その時は喜ばしく、安心もした。

 植物状態から目を覚ましたという事例は奇跡的でもあり、こうして話ができるということも、本当ならば難しかった可能性があったからだ。


 なにせ、彼女は目を覚ました際、記憶喪失状態だったと聞かされている。

 それすら、静蘭は自分を取り戻し、普段通りの生活ができているのだ。

 静蘭の心の強さ、それは笠井修二からしても、凄いものだと改めて感じた思いだった。


「兄貴想いだよな、静蘭も」


「当たり前です。兄がいたから、今の私があるんですから」


「そうだな。よし、じゃあ一緒にあいつの顔拝んでやるか」


「はい!」


 元気よく返事を返した静蘭と共に、笠井修二は病室のドアを開けた。

 そこは出水達がいた病室とは違い、完全な個室となっており、見たこともない設備が整っていた。

 それだけ、彼の容体が以前までは酷い状態だったからという証明だったのだが、今は違う。


「……修二か」


「よう、神田。養生してるか?」


「まだ歩けるほどではないがな」


「そっか」


 全身を包帯に巻かれたような状態で、似合わない姿でベッドいた神田慶次が笠井修二と会話をする。

 怪我の具合で言えば、清水よりも神田慶次の方が重傷だった。

 色んな腱がぶち切れていたこともそうだが、彼の体の至る各所には深い傷痕が今もまだ包帯の下には残っているのだ。


「前の時は話せる状態じゃなかったからあまり聞けなかったけど、お前ってあの白装束の女とやりあったんだな」


「ああ」


「よく勝てたよ。しかもたった一人で……俺なんて殺されかけてたんだからな」


「お前のお陰だ、修二」


「俺? なんかしたっけ?」


 あの化け物を倒したというその要因が、笠井修二にあると聞かされて、彼は記憶を辿る。


「お前がどこかへ消える最後の日、あの時にお前は俺に言っただろう? なりふり構わずぶっ放せって、それが結果的に活きただけだ」


「あー、言ったな。まあ、それを実践できたのも十分凄すぎるけどな」


「ふ、俺には似合わない、泥臭い戦いだったことは否定しない」


 どんな戦いだったのか、それは笠井修二には分からない。

 だが、それでも神田慶次は生きてここにいるのだ。

 あの白装束の女は、一人の人間がどうにかできるほどの相手ではない。それこそ、あのリアムと変わらない戦闘力があったことは笠井修二でも理解していた。


 素直に凄いと思いつつ、笠井修二は神田慶次が生きていたことを喜んでいた。


「でも、お前がなんとかしなきゃ、人類は危なかったんだろ? 凄えよな、世界を救ったんだぞ、お前」


「実感はないがな。それに、俺がやられていても他の連中が間に合っていた可能性だってある」


「謙遜するなよ、ノーベル賞もんだ。お前の活躍は」


 笑みを浮かべ、神田慶次の行動の結果を讃える笠井修二。

 後から聞いた話だが、クリサリダの目的はあの巨大生物を作り出した要因、M5.16薬を含んだミサイルを全世界へと飛ばすという最悪のものだった。

 それがもしも成功させてしまっていれば、本当に世界は終わってしまっていた可能性だってありえたのだ。

 食い止めた神田慶次の成果は、計り知れないものだろう。


「……修二、お前はこれからどうするつもりなんだ?」


「んあ? 何が?」


「軍人として生きるか、どうするのかだ」


「……俺はもう戦わないよ。そりゃ、父さんの意思を継いでここまできたけど、もう十分にやり切ったと思うしな。それに、やりたいこともあるんだ」


「やりたいこと?」


「日本を、復興させないといけない」


 軍には戻らないと断言した笠井修二は、これからやりたいこと、やるべきことを自分の言葉にして神田慶次へと話した。

 今もまだ、日本は変わらずモルフの巣窟と化した魔境だ。彼の願いは、その日本を取り返すことにある。


「まあ、その過程で戦うことになるってんなら、それまでは軍人でいるかもな。でも、何もかもが終わったら、俺はもう戦わない。決めたんだ」


「……そうか」


「お前は、軍人でいるのか?」


「そのつもりだ。お前が良ければ、一緒にやらないかと言いたかったんだがな」


「ははっ、そういう話かよ。でも悪い、それだけは断るよ」


 ハッキリと断言して、笠井修二は軍人に復帰しないことを告げる。

 それだけ、硬い意思が彼の中にあったことを神田慶次は理解したのか、神田慶次も包帯を巻いていたから表情は相手に伝わらないが、笑みを浮かべようとした。


「気にするな。なんとなくそんな気はしていた」


「分かってて聞いたのかよ。相変わらず嫌味な奴だな」


「俺の性格なんて、お前はよく分かってるだろう?」


「あーあー、知ってます知ってます。初対面でいきなり毒吐いてくる奴ってことぐらいな」


「嫌な過去を持ち出してくるな……」


 軽い言い合いをしながら、彼らは普段通りの会話をしていく。

 仲が悪そうに見えても、彼らにとってはこれがいつもの日常だ。

 そんな時を過ごすことも、互いにとっては悪い気はしていなかった。


「じゃ、そろそろいくわ。待ち合わせの時間も近くなってきたしな」


「あっ、もう行くんですか?」


「おう、静蘭もあまり無理するなよ」


「はい、気遣ってもらってありがとうございます」


「神田も、静蘭をあまり悲しませんなよ?」


「……お前が言うな」


「んあ?」


 神田の言葉に、いまいち的を得ることができなかった笠井修二は、首を傾げた。

 そして、静蘭が間に割り込んで、笠井修二を背中を押すと、


「修二さん、急いでるんなら早く行ったほうがいいですよ!」


「お、おう、悪いな。じゃあ、またな」


「はい、いってらっしゃい!」


 そう言って、笠井修二は静蘭に押されるがままにして病室から外に出された。

 最後に見た静蘭の表情、それがどことなく寂しげな顔をしていたのは、気のせいだったのか、それとも――。


「……やべ、待ち合わせの時間間に合うかな」


 腕時計を見て、約束の時間が近いことに気づいた笠井修二は、その場を駆け出した。

 椎名真希と会う約束があった待ち合わせの場所へと、笠井修二は急いで向かっていく。


 そして、病院の外へと出ようと差し掛かった時であった。


「よう、何急いでやがる?」


「ん? あー、デインか」


「呼び捨てにすんな。お前よか年上なんだぞ」


「そうなの? 結構歳近いと思ってた」


「……たくっ、んで、何してんだ?」


 態度の変わらない様子に、ため息を吐いたデインは、最初の質問に戻って笠井修二へと問いかけた。

 彼は大きな荷物を引っ提げており、これからどこか遠くにでも行くような様子さえある。


「椎名と待ち合わせしててな。これかは会う予定なんだよ」


「……そうか、あいつ、ここにはいないんだな」


「そうだけど、なんか話したいことでもあったのか?」


「ああ、俺はもう、この国から離れる予定だからな」


「え、なんで?」


 突然の切り出しに、呆然と理由を尋ねる笠井修二。元々、あまり話しにくい男だったから、会うことも少なかった奴だ。

 それでも、椎名と共に行動していたということから、デインは信用できる男だと、そう考えてもいた。


「約束の金はもう貰ったからな。この国にもう用がないし、最後に顔だけでも合わしてやろうと思ったんだよ」


「んだよ、じゃあ今から一緒にいくか?」


「……いや、いい。代わりに伝言を伝えておいてくれ」


「伝言?」


「もう会うことはないだろう。もし、また俺に用があるなら、高い報酬を持って、世界随一の独裁国家に来て探してみるといい――ってな」


 そう言って、デインは椎名への伝言を笠井修二へと伝えた。

 笠井修二からしても、伝言の意味は半分しか理解できなかったのだが、ハッキリと分かることはあった。


「お前もやるべきことができたってことか」


「うるせえ、……俺は、あいつのいた国で、あいつの……やりたかったことをしたいだけだ」


「……そっか」


 彼の言葉は、笠井修二にはまるで分からない。だが、デインにとってはそれがとても重要なことなのだろう。


 それに、デインはこの世界のモルフウイルスによる災害をひっくり返すきっかけになった男だった。

 彼の血が、モルフウイルスの抗生剤を生む切っ掛けとなり、現状いる非感染者がそのワクチンを接種することで、モルフウイルスの感染を100パーセント防ぐという、素晴らしい成果を生んだのだ。

 既に感染し、死んだ者に関してはどうにもならなかった。

 だが、世界中にそれが行き渡ったことで、もう、どのテロリストもモルフウイルスを使ったバイオテロを使うことは一切なくなってしまったのだ。


 これで、この世界からはモルフが新たに生まれることは、ないということでもあった。


「お前のお陰で、人類は救われたよ」


「興味ねえよ。俺は金が欲しかったから協力しただけだ。誰が好き好んでボランティアなんかするか」


「……よくわかんねえ奴だな、お前も」


 その割には、最後に挨拶をしようだなんて考えるような男だ。

 結局、デインも同じ、椎名真希と培った絆が今もあるということなのだろう。


 でも、それを言葉にすると、また何か言われそうなので、これ以上は言わないことに決めた。


「じゃあ、俺はそろそろ行く。お前とも、もうこれが最後だ」


「ああ、今度は俺も、椎名と一緒にお前を見つけ出してやるよ」


「めんどくせえことすんな」


 その会話を最後に、デインは大きな荷物を背負って笠井修二へと背を向けて歩き出していく。

 その大きな背中を、笠井修二は見えなくなる最後まで目を離さなかった。


△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 州によって差はあるが、場所によっては外に人が出歩いている、そんな状況となっていたのが今のアメリカだ。

 巨大生物のほとんどが日を追うごとに駆逐され、その数は大きく減っていた。

 もちろん、モルフもいたという事実は確かにあった。

 それも、巨大生物さえいなくなってしまえば、単純な兵器で掃討することはそう難しくはないものだったのだ。


 アメリカ国内の総人口は大幅に減ってしまったが、それでも全員が死んだわけではない。

 生き残った者達による復興は、長い時間を要して、今も動き出している。


「っと、いたいた」


「あっ、修二! 遅かったね」


「悪い悪い、ちょっと皆と話してたらさ」


 人間は、どれだけ数を減らしても、いずれは元の形へと再構築していく。

 あるべき姿、あるべき生活に戻す為に、どれだけの時間を掛けてでも、人はそうしていくのだ。


「そう……でも大丈夫? ちょっと疲れてそうだけど……」


「気にすんなよ。まあ色々理由はあるけど、それは後で説明するからさ」


「そっか」


 人がいる限り、争いは消えることはない。

 繰り返し、繰り返し、どれだけ歴史を後世に伝えても、現実は変わらない。

 笠井修二はずっと考えていた。あの男の目指していた理想の世界――それが、今の世界と比べて、それでも考えは変わらないものなのかと。


「それじゃあ、行くか」


 答えは、もうすぐに明らかになることだった。


 笠井修二にとって、計り知れないであろう絶望が、もうすぐそこまで迫っていることに――彼はまだ気づいていない。

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