Phase7 第八十二話 『大好きだよ』
意識が朦朧とする。ここはどこだ?
まだ、俺は生きている。なら、早く行かないと――。
リアムを殺さないといけない。じゃないと、また殺される。
俺の仲間を、これ以上誰も死なせない為に、俺は行かないといけない。
早く――。
「修二!!」
「はっ!?」
その時、笠井修二は意識が回復し、その目を開けた。
再生能力を使用していた体が、楽になるような感覚を感じた。
いつもより遥かに早い体の再生に、何が起きたのかが分からず、自分の名を呼んだ声の方向を見る。
そこにいたのは――。
「椎名……?」
「よかった……今、治してるから、ちょっと待ってて!」
「治すって……これは?」
「私の……力だよ」
椎名は笠井修二の胸元へと手を当てて、深い傷痕を残したその部位へと何かをしている。
よく見ると、彼女の手、皮膚が笠井修二の傷口と繋がっており、驚くべきスピードで再生がしていたのだ。
「な、んで……ここに……」
「私も……同じこと聞きたいよ……。でも、生きてて良かった……」
「――っ、椎名、お前が今やってることって」
「うん、私の超速再生能力は、他の人にも使えるの。もちろん、その人がモルフの力をもっていないと感染しちゃうから……」
「そう、か。――っ」
「ジッとしてて。まだ完全に回復してないから、痛みは残ってるでしょ?」
動こうとした笠井修二は、胸元の痛みを感じて立ち上がることができない。
椎名は安静にするよう促していたが、笠井修二はジッとしていられはしなかった。
「……ありがとう」
「うん。気にしないで。あの……修二、なんであんな感情的になっていたの?」
「……それは」
聞かれたくないことを、そのまま聞かれてしまった。
笠井修二が、一人でリアムへとあそこまで感情的になっていた理由、それは笠井修二にとっては明かしたくない理由だ。
もう誰も死なせたくない。たったそれだけの思いで、彼はここまできたのだ。
こんなことを言えるわけがない。その間に、笠井修二の体は完治し、立ち上がると、
「悪い……俺は、行かないと」
「待って! ねえ、どうしたの? なんで……そんな苦しそうなの?」
椎名へと背を向けて立ち上がった笠井修二は、椎名の呼び声に歩こうとした足を止めた。
説明をすれば長くなる。したいのは山々だが、状況はそうはいっていられない。
このまま時が過ぎれば、またリアムを逃がしてしまうのだ。
そうなってしまえば、また誰かが殺される。
「俺は……もう、誰も死なせたくないんだ」
「だったら……私も戦う。一緒なら――」
「ダメだ!!」
声を荒げて、笠井修二は椎名の言葉を遮って止めようとする。
その怒声に近い声を聞いて、椎名は喉を詰まらせた。
笠井修二には、何か絶対に揺るがない意志が感じられたのだ。
「どうして……?」
「……俺が一緒にいれば、お前も不幸になる。そんなのはもう……ごめんなんだ」
「分からないよ。どうしてそう思うの?」
「――っ」
再び問われ、笠井修二は歯を強く軋ませた。
根拠なんてものはない。でも、笠井修二はこれまでの人生で、結局何もできずに皆を死なせてしまっている。
今までも、これからも、きっとそうなってしまう。
だから、一人で戦いたかったのだ。
こうなってしまっては、もう仕方がない。
笠井修二は全てを打ち明けるつもりで、背を向けたまま語ろうとした。
「……俺は、たくさんの人を死なせた。死なせたくなくても、皆、俺を残して死んでしまったんだ。御影島の時と同じだ。俺は結局、誰も守れず、皆を不幸にさせてしまうんだ」
「――――」
「全部、俺の力不足だった。ちゃんと冷静に判断していれば、死ななかった奴らもいる。もう懲り懲りなんだ。誰かが死ぬところを見るのは――」
腹を割って、全てを打ち明けようとする笠井修二。
椎名は笠井修二の話を黙って聞きながら、全てを吐き出させようとしていた。
「俺の中にあるのは、もう復讐心という汚い心だけだ。皆に合わせる顔も、もう何もない。死んでも、奴を止めなくてはならない」
「修二……」
「分かるんだ。俺には……俺自身が、自分の心が汚れていってる感覚が……いつだってそうだった。堕ちて、堕ちて辿り着いたのが今の俺だ。もう……戻れない」
全てを失い、復讐の憎悪に心を委ねたのが今の笠井修二の姿だった。
そうすることでしか、心の安寧を保つ手段がなかった彼は、全てを打ち明けた今も信念は変わらぬ様子だった。
今もなお、椎名へと背を向けているのは、もう戻ることはないという意思表示でもあったのだ。
「違うよ……修二は、修二はそんな人じゃ……」
「違わねえよ!!」
「っ」
笠井修二を良く知る椎名が、笠井修二の本当の姿を伝えようとしても、それは否定の言葉として声を荒げて放たれた。
椎名自身も知らない、彼がこれまで歩んできた人生を振り返り、笠井修二は自身の手を見た。
「俺は……俺の手はもう……血で真っ赤だ。奴らを、クリサリダの構成員も何人か殺した。憎しみに心を委ねて、確実に殺す為に命を掛けて臨んだ。俺は……」
比喩にも近いが、実際に彼の手が血に濡れていたわけではない。だが、笠井修二の目には、自分の手が真っ赤に染まって見えてしまっていた。
どれだけ拭っても、どれだけ水で洗い流そうとしても取れない真っ赤な血が、彼の全身を覆うようにして纏わりついている。
殺して当然の相手だった。それだけの相手だったと、今も後悔をしているわけではない。
しかし、殺したという事実はどれだけ抗っても否定のできない真実だ。
「椎名、お前は知っているんだよな? あのミラって女と、一度会ったことがあるんだろ?」
「え……? う、うん」
「俺は奴と、あの女と、このアメリカの地で対峙し、戦った。死闘の末に、奴を殺すことに俺は辿り着いた。最後の最後まで、あの女はクソ野郎だった」
椎名も知らない、笠井修二がこのアメリカの地で何をしていたのか、その話を聞かされて、言葉が出なくなってしまった。
ミラ・ジノヴィエフ――、椎名真希も良く知る、ネパールで散々、椎名とデインを追い詰めた『レベル5モルフ』の力を持つ女性。
ミラの性格も知っていた椎名は、笠井修二のミラに対して持っていた所感は、その言葉通りの存在だった。
でも、そのミラを殺したという事実に、椎名はまず驚いてしまっていた。
そして、笠井修二は続けていく。
「あの女を殺して、あの女の首の無い死体を見た時、俺はどんな顔をしていたと思う? 俺を知っているなら、分かるだろ?」
「――――」
「俺は……俺はあの時、笑っていたんだ。今でも忘れはしない。愉悦に浸る自分――吐き気すら感じる残虐性を持った自分に……俺は気づいてしまったんだ」
ギリギリの死闘の末に、笠井修二はミラの首を斬り飛ばすことに成功した。
その後、彼はミラの死体を見て、自身の裏の顔を知ったのだった。
そんな側面を、椎名自身が知る筈もなかった。
だから、笠井修二はそれを理解した上で背を向けたまま語り続けようとする。
「碓氷のクソ女を殺した時だってそうだ。復讐を果たした余韻に浸って……俺は愉悦に酔いしれていた。仲間を殺したあの女を、俺は許すことができなかった。殺したことに対して、何の後悔も湧かなかった」
搾り出すような声は、笠井修二が自分の中にある本性を否定したがるような、そんな声音だった。
だが、どれだけ否定しようとも、本当の自分に嘘を吐くことなどできはしなかった。
本当に、その通りのことだったからだ。
碓氷を殺した時も、ミラを殺した時も、笠井修二は同じ感情を表に出していた。
死者を嘲笑うかのような嘲笑を向け、愉悦に酔いしれる様はまさしく、マッドハッターのように狂気に支配されていた。
「元より俺は、一人でいるべきだったんだ。誰一人守ることもできない、死なせてしまうくらいなら、俺は一人でいることを望む。もう、これ以上……誰かが死ぬところを見るのは……嫌なんだ」
だからこそ、笠井修二は一人を望んだ。
狂気に支配されながら、周囲の人間が死んでいく様を見せつけられて、無価値な自分だけが生き残ることになってしまうのならば、一人で戦いたい。
死なせない為にも、笠井修二は溺れて、溺れて、堕ちて、堕ちて、二度と這い上がることもできないくらいに修羅へと成っていく。
そうすることで、あの男、リアムを殺せるのならば、喜んで人間性なんて捨ててやる。
それが、笠井修二が決めた覚悟だった。
だから、もう、笠井修二には帰る場所なんて――。
「私は……修二が優しい心の持ち主だってことは、知ってるよ?」
まただ。全部打ち明けて、失望させるつもりで腹を割ったというのに、どうしてまたそんなことを言うのか?
俺はそんな人間じゃない。ただの醜い人間なんだ。
「……修二、辛かったんだよね。ずっと、今まで一人で戦って、その度に嫌な目にあって、失って――」
やめろ。慰めの言葉なんか聞きたくない。本音でちゃんと言ってくれ。
お前なんて、私の知る修二じゃないと――。いっそ、決別の言葉を吐かれた方がずっとマシなんだ。
「あの時のこと、覚えてる? 御影島の地下研究所で、私があなたに言ったこと」
聞きたくない。説教なんて……俺はもう、これでいいんだ。
一人でいることを選んだ。だからもう――。
「一人で抱え込まないでって……今の修二は、あの時から何も変わってない。何も……成長してない」
違う、俺は変わったんだ。たった一人でも、ここまでくることができた。
俺は昔とは違う。お前達が知る笠井修二とはもう、違うんだ。
俺は――。
「修二は本当に……本当にその生き方をしていきたいの?」
「――――」
椎名の問いに対して、不意に固まってしまう笠井修二。
否定も肯定もしたいわけではない。
でも、その答えに関して言えば、笠井修二の中に確かな本心はあった。
笠井修二が望む未来、誰も死ぬことなく、皆が笑顔で生きていく世界。それに手が届くならば、自らを犠牲にしてでも立ち向かうつもりだった。
でも、自分自身は――。どうなのだろうか?
「私や他の人達のことは今は忘れて、修二自身は……本当にそう生きていたいって思うの?」
「……だ」
本心が溢れ出す。今までずっと溜め込んできた、自分自身だけの思いが今、椎名の問いかけに答える形となって、言葉として吐き出されようとする。
「嫌だ……。俺は……俺は皆と……一緒に……いたい……っ」
「……修二」
「もう、たくさんだ……。なんで俺ばっか……いつもいつも……なんでこんな思いをしなくちゃいけない……? もう、復讐心に心を任せて、衝動的に動きたくなんかない……。死にたく……ない……っ」
誰にも打ち明けなかった、笠井修二の本当の心を、彼は情け無い思いで打ち明けた。
やりたくてやったわけじゃないと、今にして思えばそれが真実だった。
そうしなくちゃ、自分自身を保てなくなってしまうから、笠井修二は一人でずっとここまで戦ってきたのだ。
笠井修二の本音を聞いた椎名は、その場から立ち上がり、今も背中を見せて立っている笠井修二の背中をそっと抱き寄せた。
優しく、引き離そうと思えば簡単に引き離せる弱い力で、椎名は抱擁する。
「修二は一人じゃないよ。私も……まだ皆がいる。全部背負い込む必要なんかないよ。辛いなら……その重みも分かち合えばいいの」
「うっ……」
「それに、修二は私を守ってくれた。あなたがいなかったら、私はここにはいない。だから、私も一緒に戦いたいの。一緒に……背負っていきたい」
「でも……俺は……椎名にも死んでほしく――っ?」
それでも、共にいれば死んでしまうと考えてしまう笠井修二の声を遮り、椎名は笠井修二の体を振り向かせて、その唇に自分の唇を合わせた。
時が止まった。音も聴こえなくなった。
目を閉じて、自分の想いを伝えようとする椎名は、行動で示したのだ。
数秒、その状態が続いて、椎名はそっと顔を元の体勢に戻して、笠井修二の顔を見つめた。
そして、椎名はそこで初めて、自身の想いを言葉にして出した。
「大好きだよ、修二」
「――――」
「修二が苦しむところも、死ぬところも私は見たくない。私だって、死にたくなんかないよ。……だから、共に切り抜けよう? 一緒なら……きっと大丈夫」
今まで重く感じていた様々な思いが、空っぽになっていく感覚になった。
自身に課せられた使命感を頼りに、一人で笠井修二は孤独に戦ってきた。
でも、一人じゃない。笠井修二が死ねば、ここに悲しむ者がいるのだ。
そんなのは、絶対に嫌だ。
「……椎名」
「うん」
「俺は……お前を、ずっと傍で守ってやるって、日本にいた時に言ったことを、覚えてるか?」
「……うん」
「俺は弱い。またいつか、挫けてしまうかもしれない。その時がきたら、また今みたいに弱音を吐くかもしれない。それでも、同じことを言ってくれるのか?」
「うん」
否定の言葉もなく、椎名はずっと頷いてくれた。
彼女は、笠井修二にとって、一番欲しい言葉を掛けてくれる。
彼女だけはずっと、笠井修二のことを信じていた。
こんな情け無い自分を、高校生の時から何も成長していなかった自分を、椎名真希はずっと、心配してくれていたのだ。
もう、迷わない。どんな苦難がこれから起きようとも、笠井修二はもう一人じゃないのだ。
「椎名」
「うん」
「あいつを……リアムを一緒に倒そう」
「……うんっ!」
椎名は最後に声を大きくして返事を返した。
彼女が笠井修二に対して告げた自分の想い、他の誰かに言われなくても、笠井修二はもう分かっている。
だから、ちゃんと答えを伝えなくてはいけない。
この戦いが終わったら、その時に――。
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嫌な汗が全身から出てくるのが、感覚で分かった。
今、ここから逃げ出したとしても、到底逃げ切れるものでもないだろう。
あの男、リアムと戦っていた青年は、椎名真希と共にリアムによって遠くへと吹き飛ばされてしまった。
あの青年も、深い傷を負っていた。たとえ戻ってこれたとしても、あの深傷ならリアムとやり合うのは相当厳しいはずだ。
今、この場にいるのはデインとテオ、そしてリアムの三人だけだった。
テオは地面に片足を突き、リアムによって切断された左腕を押さえて痛みに耐えていた。
たとえ二人が万全の状態だったとしても、リアムにとっては、何一つ脅威に感じることにない状況だった。
「おい、立てるか?」
「あぁ……?」
「いつまでもサッカー選手みてえに痛がってばかりいるんじゃねえよ。軍人なんだろ?」
「――っ、うる……せえ」
今は一人でも多く戦える人間は必要だ。
残された二人にとって、あのリアムという男は勝ち目のない最悪の相手であるが、このまま終わるわけにはいかないと、デインも抗うつもりだった。
テオも、デインの煽りを受けて、気合いで腰を持ち上げ、その場から立ち上がる。
大量の血が今も左腕の切断面から溢れ落ち、テオはもはや、いつ意識が落ちてもおかしくはない状態だ。
「あの野郎は……必ず俺が……殺す……っ」
「……どの道、俺らが生き残るには、あの男を殺すしか道はないだろうよ」
戦うか逃げるか、その選択肢が今あっても、逃げるという選択肢は選ぶことはできはしない。
あの男が戦っていた青年との会話を、デインもハッキリ聞いていたのだ。
リアムの『レベル5モルフ』としてある固有能力、その特性についてを。
ここからどこに逃げようとも、どこに隠れようとも絶対に奴は見つけ出せることができる。
全方位集中感知能力――。戦闘においても、戦場においても、どちらにおいても応用が効く、最悪の能力だ。
デイン達が生き残るには、あのリアムを倒す以外には、どう足掻いても道は残されていない。
ならば、覚悟を決めるしかないだろう。
「さて、手始めにキミ達を始末するとしようか? キミ達程度を殺しても、笠井修二君には大して響きそうにはないが、前菜には十分だろう」
「……ちっ」
「ふっ、私を前にしてその好戦的な態度、実に面白い。大抵の人間は、私を前にして逃げ出すか、命乞いをするかのどちらかだったからね」
「黙れ……サーシャを殺したお前を……俺は絶対に許さねぇ」
「くく、憎悪を胸に、私を殺そうと考えるか。だが、キミの野望はここで潰えることを宣言しよう」
血のついた剣を振り、あの青年の血が地面に飛び散る。
元より、赤黒く染まっていたあの剣が、より輝いて見えてしまう。
血を吸い、より強靭な刀になったかのような、そんな錯覚さえ生み出しているようだった。
「おい、来るぞ」
「てめえに言われなくても、やってやる……っ! 足引っ張るんじゃねえぞ」
「片腕失ってる奴が言う言葉か? 俺のセリフだこんちくしょう」
間も無く始まる戦闘に対して、減らず口を無くさない二人の胆力たるや否や、計り知れないものだった。
リアムには疲弊している様子はない。それこそ、傷一つすらないといった万全の状態だ。
加えて、奴を倒す為の弱点も見つからない、最悪の状況だ。
勝ち目なんてものは二人にはありはしない。しかし、それでも二人は立ち向かう姿勢を崩さなかった。
「では、死にたまえ」
「――っ!」
リアムが剣を構え直した時、デインとテオはそれぞれが持つ銃を構えた。
その直後だった。
「……もうきたか」
「あ?」
リアムが別の方向を気にし始めたその時だった。
火の手が上がる瓦礫の地帯の奥から、二人の影が飛び出してきたのだ。
「いくぞっ! 椎名!!」
「うん!!」
業火が周囲を支配するその戦場で、最後の戦いの幕が上がる。
四対一、リアムを倒す為に、心を入れ替えた笠井修二が、仲間と共に戦うことを決意して、両の手に握る剣を振りかぶった。




