Phase7 第七十九話 『世界の命運を決める戦い』
ミスリルE区画、セントラルシャフト・コントロールルーム――。
ここはアメリカ軍基地のミサイルサイロの設備を動かす為にある場所だ。
今現在、巨大生物に対抗する為に使用されている軍事兵器の各種は、対空、遠距離を目的としたものではない為、実用はされていないものが全てであった為、ここには限られた人間が持つルームカードキーでしか開けられないようになっている。
その場所へと入る入り口は開いていた。
誰が開けたものか、それは分かっていた。
一人の人間がその中へと入っていく。
慎重に、気配を気取られないよう、彼は進み出していく。
そして、中に一人の存在がいることを目視した。
白装束を身に纏い、片手にはレイピアを持つ黒髪の長髪をした女。
彼女は後から入ってきた者の存在に気づき、振り向いた。
そして、互いに視線を交わす。
お互いに初対面ではありながら、お互いにとって関係がないわけではない因縁を持つ二人――。
「あなたは……誰?」
白装束の女が、何者かと問いかける。
たった一人の人間、これまで相手にしてきた人間とは同じようで違う、ただ一人の人間へと対してだ。
そして、後から入ってきた男はその質問へ答えを出した。
「俺は神田慶次。……お前を殺す者だ」
日本人であり、このミスリルで唯一ここまで辿り着いた存在、神田慶次はリーフェンへとそう答えた。
笠井修二とリアムが対峙した同時並行、そのタイミングで、彼らもまたぶつかり合う。
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E区画第二内郭通路――まだ神田慶次が、E区画へと一人向かっていた最中の出来事だった。
ミスリルの区画の中で、E区画だけは特殊な造りとなっているのは、元々ミスリルが建造される前からこのE区画が存在していたからだ。
元はアメリカ軍基地の一つとされ、そこを広げていったのがこの巨大要塞ミスリル。軍事基地だったこともあり、それなりに年季が入った内装をした通路を走っていた神田慶次は、白装束の女の行く先ではあるセントラルシャフト・コントロールルームへと向かっていた。
その道中であった。彼は通路の曲がる先で、ある者達と偶然に出会うこととなる。
「た、隊長?」
「雪丸……お前らもここにいたのか」
彼らは神田慶次が束ねるタケミカヅチ部隊の部隊員達だった。
特徴的な坊主頭の雪丸の後ろには、他の部隊メンバーである不知火とミナモも一緒にいる。
「無事でよかったです、隊長。アリスさんを地下の救護室に送ったので、私達も風間さんの指示通り、このE区画まできたのですが……」
重傷人であったアリスの保護を任され、その後の動きを説明したミナモ。話通りであるならば、アリスはまだ死んでいないということなのだろう。
白装束の女の両刃刀を串刺しに受けたのだから、かなり危ない状況であるとは神田も考えていたのだが、後は救護班の働きを祈るしかない。
「た、隊長も、今からあの白装束の女を探すんですよね?」
「不知火……」
「俺達も一緒に戦いますよ、隊長。ここまで来たんだ。サクの仇討ち、しなきゃだし」
「――――」
「奴の位置はまだ特定できていません。どこかに隠れているようでしょうが、どうしますか?」
それぞれが行動を共にする言動をする仲間達に、神田慶次は黙りこくっていた。
仲間達がいることは心強い。相手が相手だけに、一人よりも戦力が増えるのは良いことだろう。
だが、神田慶次は知っていた。アリスやシャオ、そして、他の者達があの白装束の女と戦って、無事では済んでいないという事実に。
彼らの顔をそれぞれ見ながら、その後ろにもうここにはいないもう一人の姿が幻のように目に映る。
――サク。三日目のあの日、レオとの戦いで殉死した仲間の姿を。
「……隊長?」
雪丸が、神田慶次の様子の変化に反応を示した。
彼らは、神田慶次の部下につき、いつも指示に迷いなくついてきてくれた大事な仲間達だ。
サクも同じく、神田慶次にとっては愛すべき仲間の一人だった。
「なんでもない。奴はこの先にいる、行くぞ」
「「「はい!!」」」
共に行くことを示して、神田慶次は再びタケミカヅチのメンバーを連れていくことにした。
――神田慶次の本心はまだ、彼らには伝わっていない。
「外が結構ヤバいらしいですけど、本当に大丈夫ですかね?」
「司令がいるんだ。きっと大丈夫だろう」
「わ、私も外の様子見ましたけど……絶対にあそこには行きたくないですぅ……」
「行ったところで何も出来ないよ。あの化け物は風間さんに任せて、私達はあの白装束の女を仕留めるんだ」
「――――」
雪丸達がそれぞれに外の状況についてを語り、今は白装束の女を殺すことだけを考えて行動をしている。
神田慶次も、元は外にいた人物の一人だ。
あの地獄を知っているからこそ、どうすれば現状を打破できるのか、それは分かりようもない。
ミナモの言う通り、風間司令に委ねる以外に道はないのだろう。
しかし、あの白装束の女に関しては違う。
「ここだ」
神田慶次は足を止めて、透明なガラス状の扉の前に立った。
扉の前に立つと透明な扉は左右に開き、彼らの進路を阻むことなく、その先への侵入を許してくれた。
「この先に……あの女がいるんですかね」
「ああ、いる。奴はこの先にな……」
「じゃあさっさといきましょう。俺達で奴らの企みを食い止めるんだ」
「いや……」
雪丸の心意気を聞いた神田慶次は、一人扉の先に歩き出して、その一歩先で足を止めて彼らへと振り向いた。
彼の表情には、どこか覚悟が決まったような、そのような雰囲気を他の仲間達が見て取られる。
「隊長?」
「雪丸、不知火、ミナモ。お前達は……俺にはもったいないぐらい、でき過ぎた仲間だったよ。サクも同じ、俺にとって、大事な仲間だ」
「と、突然どうしたのですか?」
何を言われるのかと、戸惑いを見せる仲間達に、神田慶次は自身の思いを吐露した。
彼らにとって、神田慶次は信頼する隊長。そして、神田慶次からしてもそれは同じだ。
だから、こんなところでなんでその話をしたのか、まだ彼らには理解できていなかった。
「俺はこの先、あの女と戦い、死ぬだろう。けど、奴の野望は必ず食い止めるつもりだ。でも、お前達は違う」
「……え?」
「全てが終わった時、お前達には生きて世界を繋ぐ役割がある。……だから、ここで俺達は――タケミカヅチ第一部隊は解散とする」
神田慶次のその発言の直後、彼はすぐ隣のレバーを引いた。
その瞬間、神田慶次と彼らの間にあった透明な扉が閉まり、完全に開かなくなる。
「隊長!? ちょ、何してるんですか!?」
「……俺は、お前達まで死んでほしくはない」
「なんでそんなことが分かるんですか!? 一緒に戦えば……っ!」
「あの白装束の女の強さは、俺がよく知っている。このまま共に向かっても、必ず誰かは死ぬんだ」
「そんなの……やってみないと分からないでしょう!?」
神田慶次の凶行に、それぞれが否定をして透明なガラス扉の叩く。
彼らの間にあるその扉は、お互いに知り得てはいないが、銃弾ですら通さない強化ガラスだ。
今、神田慶次の側にあるレバーをもう一度引かない限りは、まず開かないものとなっており、雪丸達ではどうしようもないこととなってしまっていた。
だから、彼らは必死に神田慶次へと説得を図ろうとする。
もう、覚悟が決まっている彼に対して、無駄な説得をだ。
「分かってくれ。俺は……お前達に死んでほしくないんだ」
「……い、嫌です」
「不知火……」
神田慶次の本音を聞いて、俯いていた不知火が搾り出すような声音で語ろうとする。
部隊のメンバーの中で、軍隊向きではないとされていた彼女も、戦うことが苦手だと言っていた彼女が、涙をその目に浮かべながら、神田の目を見た。
「わ、私は……神田隊長に死んでほしく……ありません!!」
「不知火……」
「どうして……ですか? わ、私、私達じゃあ、ダメなんですか?」
神田慶次にとって、それはとても心にくるものだっただろう。
仲間として信用されていない。神田の行動は、そのように受け取られてもおかしくないものなのだ。
しかし、神田慶次は彼らを信用していないわけではなかった。
この先に待ち受ける相手と戦うことになれば、必ず無事では済まない。
もう、見たくなかったのだ。自分の部下の死を――悔やんでも悔やみきれないあの瞬間を目の当たりにするのは、もう御免なのだ。
「雪丸、不知火、ミナモ――」
神田慶次は部下達の顔をそれぞれに見ながら名前を呼んだ。
そして、彼にとっては最後となる言葉を告げようとする。
「逞しく、生きてくれ」
「隊長!!」
納得が出来ないでいた雪丸達は、揃って透明なガラス扉を叩いて、神田慶次を呼び止めようとする。
しかし、神田慶次は止まらなかった。最後にそれだけを伝えると、彼はそのまま先へと向かっていく。
馬鹿なことをしていると、自分でも分かってはいた。
風間であっても、アーネストであっても、この先へ向かうのならば数は多い方が良いのは確かなのだ。
自分の我儘を通そうとしている。そんな自覚はあっても、神田慶次は仲間を連れていくことははじめから反対の気持ちでいたのだ。
一人でも勝てる相手ではない。そんなことは百も承知だ。
だから、彼は命を賭けて戦うつもりだった。
無駄死にはしない。手足が千切れても、あの白装束の女の企みは必ず食い止めるつもりだった。
彼は歩き出していく。因縁の相手であるとか、そんなことはもうどうでもいい。
自分の役割を、務めを果たすべくして、死ぬ覚悟を決めて、ただひたすらに歩いていく。
いつのまにか、彼は目的の場所まで辿り着いていた。
世界の命運を、人類の生き死にを決める最後の戦場に、今、彼は立っている。
「あなたは……誰?」
彼の中では、もう恐怖の感情は消えていた。
死ぬ怖さはあった。それでも、もう今となってはどうでもいいことだ。
出水が、清水が、仲間達が生きていれば、それでもういい。
だから、彼は迷いを捨てた。
「俺は神田慶次。……お前を殺す者だ」
二人の命が相対する。人間とモルフ、互いの存在を賭けた、最後の戦いが――。
「……邪魔、しないでほしい」
「そう思うなら俺を殺せばいい。お前達にとっては、それが一番手っ取り早い方法なのだろ?」
「そう、その通り……。私の、父さんの野望は、もうすぐ辿り着く、ところまできてるのだから」
「ミサイルを使って、全世界の人間を外にいる奴と同じようにすることがか」
「……知ってる、の?」
「全部聞いた。そこまでして、お前に何の得がある?」
「得……もう、そんな話じゃない。私にとって、父さんがいれば、それだけで、十分」
「お前の意見はないのか? 親に縛られて、それが本当にお前の幸せなのか? 聞いておきたい、お前は何がしたかったんだ?」
「私は……」
「――――」
「私は、何がしたい?」
「……シャオは、お前の弟はどうでもいいのか?」
「弟……、っ!」
「お前のたった一人の弟、あいつは悲しんでいた。本当に大事な者を、お前は忘れているんじゃないのか?」
「うる……さい……っ」
「あいつは人間として、お前を救い出そうと――」
「黙れっ!!」
二人の間にあった数メートルの距離、それが、リーフェンが地面を蹴ったたった一歩で急激に狭まる。
レイピアによる刺突、眉間を狙ったその突きに対して、神田慶次は全神経を集中させた反射神経で、頭だけを横にずらして避ける。
「――っ!」
リーフェンと神田慶次、互いの顔と顔が目の前で交錯する。
互いに曲げられぬ信念を持ちながら、二人は戦うという道を選ぶしかなかった。
至近距離まで迫ってきたリーフェンに対して、神田慶次はサブマシンガンの銃口だけはしっかりと狙いを定めたまま、その引き金を引いた。
「――――」
「当た……れっ!」
連射された銃弾を、リーフェンは地を蹴って跳躍し、付近の障害物を使って縦横無尽に飛び跳ねながら躱していく。
当たらないことはレオの時と同じで、神田慶次も想定済み。ただ、一発でも当たればリーフェンの動きに緩慢さが出てくることは分かっていた。
どうすればそれが達成されるか、リーフェンの異常速度をまずは慣れる必要がある。
無数の銃弾を躱しながら、リーフェンは障害物を盾にしてセントラルシャフト・コントロールルーム内の中を駆け抜けていく。
広さで言えば、四方百メートルはある巨大な部屋の中といったところだ。隠れることができる障害物もあれば、天井の高さもそう高くはない為に、『レベル5モルフ』であるリーフェンにとっては有利なフィールドともなってしまっていた。
屋内戦は不利、そう分かってはいても、その立場の側である神田慶次は、分の悪い状況に苛立ちを見せていた。
「殺す……」
「くっ!」
殺意の漲る言葉が聞こえた直後、神田慶次へと向けてリーフェンが再び刺突を図る。
今度は避けるのではなく、持ち手のサブマシンガンを使ってレイピアによる刺突を受け長そうとする神田慶次。一発でも受けてしまえば不利なのは彼も同じこと。場合によっては、立て続けに刺突を受けてそこでゲームオーバーになることだってありえる状況だ。
「ちぃっ!」
「――――」
いつのまにか、神田慶次は後ろの壁まで後退させられ、これ以上退がることができなくなってしまう。刺突から横薙ぎによるレイピアの連撃を上手くいなしながら、反撃のタイミングを見計らって彼はサブマシンガンの引き金を引いた。
真正面からの銃撃に対して、リーフェンは地を蹴り、バク転をして宙に浮き、銃弾を躱す。そして、地に足がついた瞬間に神田慶次の眉間目掛けてレイピアでの刺突を狙った。
「う、おおおおおおっっ!!」
壁にもたれていた神田慶次は、とにかく攻撃を受けないことを最優先にして、受け身も取らずに横合いへと転がった。
リーフェンのレイピアがそのまま壁を貫き、深く突き刺さる。
そして、神田慶次は見た。突き刺したレイピアはそのままに、彼女の目が朱く輝きながら、目だけをこちらへ向けてくる瞬間を――。
「――っ!?」
尋常ではない殺意を身に受けながら、神田慶次は臆した。
圧倒的なまでの実力の差、それを目の当たりに晒されているような感覚だ。
怖気ついてしまえば、受け身に回ってしまってはならないという意識はあっても、体は正直だ。
本当に、コイツに勝てるのか――?
そう考えた時、神田慶次は過去の出来事を思い出した。
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「神田、話しておきたいことがある。大事な……話だ」
これは、神田慶次と笠井修二が最後に会話をした時の出来事。
メキシコ国境戦線での後、意識不明の植物状態となっていた静蘭の眠る病室の中で、笠井修二が神田慶次だけに話そうとしたことだ。
「俺は二人の『レベル5モルフ』と対峙した経験がある。いつかお前も奴らと戦うことになるかもしれない。だから、その時の経験上のアドバイスみたいになるけど、一応聞いておいてほしい」
「……とんでもなく身体能力が高いことは聞いているが」
「でも、実際に体感したことはないだろ? 俺もあいつらの速さってところは説明は難しいけど、どう対抗するべきかは思うところがあるんだ」
笠井修二は、神田慶次がもしかしたら『レベル5モルフ』と戦うことになるかもしれないことを予期して、その時の対抗手段についてを共有しようとしていた。
実際に、笠井修二は『レベル5モルフ』の力を持つ者と相対したことがあるという話は神田慶次も聞かされている。
彼の凄惨な過去の一つだが、御影島でのモルフウイルスによる事件の際、自身のクラスメイトの一人がその力を持つ者だったという話。そして、二人目はつい最近の話で、メキシコ国境戦線で遭遇した、静蘭を植物状態にさせた首謀者でもある白装束の女だ。
神田慶次はその二人のどちらも知らない為、奴らの身体能力の恐ろしさはまだこの時、体感はしたことがなかったのだ。
「まず、あれを目で見て避けるのは難しい。とにかく、相手が攻撃の動作に入ったら避けに入るのがセオリーだ。でも、それだとただ受け身に回るだけで、いつかはやられてしまう」
「カウンターを狙うということか?」
「それが上手くハマれば一番だけどな。でも、あいつらはそれさえ躱そうとしてくるだろう。かといって、何もしないのは自殺行為だ」
「……修二、何が言いたいんだ?」
どちらにしても、それでは好転のしようがないと考えていた神田慶次は、結論を先に言ってくれと笠井修二に促そうとする。
頭をポリポリと掻いた笠井修二は、説明の仕方が難しかったのか、端的にこう答えた。
「あいつらの攻撃を上手く躱したら、なりふり構わずぶっ放せ。相手の動きを見切ってるから、反撃の回数が少ないと考えているあいつらにとって、それが一番有効になる」
「――――」
「たった一発でも受けたら、それだけで貰いものだ。再生能力はあるけど、完治するまでの間は無傷じゃない。詰将棋と同じように、少しずつ崩していく方があいつらにとっては嫌だと感じる戦法だろうよ」
言葉で聞いても、本当にそれが一番の手段になるかは信じきれてはいなかった。
ある意味、根性論に近いやり方なのだが、笠井修二にとっては間近で『レベル5モルフ』とやり合ったという経験は確かにある。
もしも、その時がくれば――一度試してみる価値はあるのかもしれない。
神田慶次は、笠井修二からのアドバイスを心の片隅に残しておくことにした。
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「――っ!」
反撃の瞬間はどこか――それは今しか考えられなかった。
神田慶次は背中が地面についたその瞬間にサブマシンガンの引き金を引き、照準もまともに合わせられていないその姿勢からリーフェン目掛けて銃撃を放つ。
「ぐっ……」
思いがけないカウンターに、リーフェンは壁に突き刺したレイピアを捨てるわけにもいかず、無理やりに引き抜こうとしたのだが、その選択が仇となった。
神田慶次の放った銃弾の内の二発が、リーフェンの右脇腹と右腕に当たり、彼女の着ていた白装束が血の色に濡れる。
「当たった……」
神田慶次の放った、なりふり構わない銃撃がリーフェンへと確かに当たった。
笠井修二の言う通りだ。どんな手数の多く、激しい攻撃を繰り出してきたとしても、それでも前に出ようとしてくるのは反撃を想定していないからだ。
相手が受け身の姿勢に入れば、そこをとことん狙い撃ちにしていく。それを上手く躱し、反撃に転じたことで、確かにリーフェンには銃弾を当てることができたのだった。
「小賢しい」
急所に受けたわけでもないリーフェンは、今までの動きと然程変わりもない速度で神田慶次の周囲を飛び跳ねていく。
動きが緩慢になる様子もなく、リーフェンは目に見えぬ速さを体現したままに神田慶次の命を狙う。
神田慶次には、リーフェンの双眸に映る朱き眼の輝きが線のように跡を残して見えていた。
ここで集中を切らせば、後はない。
ただ一点だけを見るんじゃなく、俯瞰して全体を見ろ。
俺の長所は、そこにある。
「こいっっ!!」
神田慶次の集中力が極限なまでに高まっていく。
そして、リーフェンも様子見をやめた。
姿がそこに急に現れて、リーフェンは真正面から神田慶次の胸元目掛けて刺突を仕掛けた。
単純なその動きが、普通の人間であれば見切ることも難しい最速の動きだ。
「――ッッ!!」
避けられない筈のその刺突を、神田慶次はまるで見てから判断したようにサブマシンガンの銃身を盾にしようとする。
敏捷性――アジリティとも呼ばれるその能力は、単純な動きの速さのことを指しているわけではない。
全身の五感が情報を受け取った瞬間からの判断の早さ。そして、判断してから動作を開始するまでの時間の短さ。更には、その動きの正確さ――。
神田慶次の敏捷性は、スポーツ選手のそれを遥かに凌ぐ。
だからこそ、リーフェンの姿が見えた瞬間に、レイピアによる刺突に反応が出来ていたのだ。
だが、リーフェンは読んでいた。
「――――」
刺突により、サブマシンガンの銃身に当たる筈の刃先が寸前で止まり、そのままリーフェンは地面を滑るようにして神田慶次の後ろへと回り込む。
――刺突自体がフェイクだった。リーフェンは神田慶次が反応することを予測して、あえて隙を作る為に後手の動きを図ったのだ。
背中がガラ空きとなったその部位目掛けて、リーフェンは再び刺突を仕掛ける。
これは避けられない。リーフェンはそう確信していた。
真っ直ぐに向かうレイピアの刃が神田慶次の背中へと辿り着こうとしたその時だった。
「く……ぉおおおおおおっっ!!」
「――っ!?」
背中へと届こうとした直前、神田慶次は振り向き、レイピアの刃を右手で掴むようにして受け止める。
指の関節の皮膚がレイピアの刃に深く切られて、血が溢れ出た。
リーフェンにとって、明らかに予測できない動きだった。
神田慶次の敏捷性の高さは、先の反撃を受ける前から気づいてはいた。
しかし、それはあくまで人間という身体能力の中においての高さ――『レベル5モルフ』と比べれば、歴然の差があることは分かっていた。
「おおおおおおおおおおおっっっ!!」
レイピアを掴まれ、動きが止まったリーフェンは神田慶次の次の動作に対応できない。分かっていても同じことだ。
リーフェンの朱き眼は、相手の動きを瞬時に把握し、スローモーションのように動きを見切ることができる能力。
未来が見えると言っても過言ではない最強の能力だが、分かっていながら避けられない時があった。
彼女はレイピアという武器を一つ持つのみ。これを失えば、彼女の戦力は半減してしまうのだ。
だから離せない。掴まれた指ごと、無理矢理に引き抜いてレイピアを取り戻そうとしたリーフェンだが、神田慶次の方が早かった。
左足の蹴り上げ――リーフェンの左肩を、神田慶次の蹴りが無防備となったその箇所へとぶち当たり、そのままリーフェンは近くにあったスパコンのような大きな機械に体をぶつけた。
「っ!」
「くっ!!」
体ごと吹き飛ばされ、背中から体をぶつけたリーフェンへと、神田慶次はすぐさまサブマシンガンによる銃撃で止めを刺しに掛かった。
だが、リーフェンもそこで終わりはしない。
泥臭く、近くの障害物へと飛び込んで、神田慶次の銃撃を凌いだ。
「はぁっ……はぁっ……」
「はぁっ……っ!」
互いに息が切れ始めてきていた。
神田慶次の右手は、五指の指の関節部分から血が流れ落ち、使い物にならなくなってしまっている。
対するリーフェンも、固有能力である朱き眼を酷使した影響によって、体力が減ってきていたのだ。
たった一人の人間相手に、なぜこれほどの苦戦を強いられてしまっているのか、リーフェンは未だに分からなかった。
たかが人間。これまで相手にしたアメリカ軍の軍人達の方が、まだ能力は高い方だというのに、拮抗する戦いになるのはおかしい話だ。
神田慶次も、同様に思うことはあったのかもしれない。
しかし、彼自身も気づいていなかった。
極限なまでに集中力を高め、たった一人の敵を倒す為だけに全神経を集中させたその状態。
「こいっ!!」
神田慶次は既に、その境地へと辿り着いていた。
全ての無駄な情報を省き、シャットアウトして目の前の敵だけに没頭する。
あの桐生大我が独学で編み出した、極限集中状態へと――。




