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Levelモルフ  作者: 太陽
最終章 『終末の七日間』
205/237

Phase5 第五十七話 『仲間だ』

「いよう、ようやく二人きりになれたな」


「――――」


 テオとセルゲイの二人は消え、残ったのはボリスとデインの二人。彼らは互いに動かないまま、視線を交わしていただけだった。


「……わざと逃がしたな? てめえらしくもないじゃねえかよ」


「ふっ、キミが話をしたそうだから甘えさせただけだよ。その気になれば、すぐにキミを殺して彼らに追いつくことはできる。……まあ一人はもう手遅れだろうが」


 デインのことなど敵にすら見ていないとボリスに甘く見られていたデインはぺっと唾を地面に吐き、手に握る鉄の棒をボリスへと向けた。


「そろそろ聞かせろよ。何がてめえをそうさせた?」


「――――」


「しらは切らせねえ。あの時、あの後で一体何があったっていうんだ?」


 変わり果てたボリスの過去を語らせようと問い詰めるデイン。それを聞けるのはデインだからこそだった。

 デインだからこそ、ボリスと言葉を交わす権利はある。


「……それを聞いてどうする?」


「はっ、詰まらねえなら笑って吐き捨てる。……そうじゃねえなら、話次第だ」


「……なるほどな」


 デインが何を考えているか、ボリスはおおよそでしかないが推測を頭の中で浮かべた。

 彼はデインだけは生かす選択肢を残している。それがボリスの過去を伝えたことで変わるのならば、やむなしだ。


「いいだろう、教えてやる。あの後、レジスタンスで何があったのか……」


 そうして語られる。ボリスがいたあのレジスタンス、デインが抜けてからのその後の話を――。


△▼△▼△▼△▼△▼


 ボリスがいたレジスタンスは、およそ人間を人間と見ない国へのクーデター、その崩壊だった。

 生きる価値のないとされた人間を救い、生きる価値のない肥えた豚共を粛清する組織だ。


 組織は大きくなった。デインが加入するより前に、ずっと前からだ。

 デインが加入してから組織はより動きやすくなり、国の重鎮を暗殺することに成功していた。

 上手くいけばいきすぎるほど、レジスタンスは国から目をつけられることも分かっていた。


 レジスタンスの行動原理は単純だ。主に金で雇ったメンバー、中には復讐だけを目的とする者もいたが、立場が大きい者はその限りではなかった。

 だからこそ気づけなかったのかもしれない。金の誘惑は、時に人を狂わせてしまうことを。


「本気かよ、ボリス。あんな組織と手を組むなんてどうかしてるぞ!?」


「落ち着きなよ、キャリー。私は平然としている」


「そういうことじゃねえ……奴ら、確か世界でも暗躍しているとされる組織……。本当に存在していたのは驚いたけど、あれはマズイだろう」


「ほう? ではどうする? このままこのレジスタンスのアジトを国に見つけられるのは時間の問題だ。黙ってやられるのを待つのか?」


「……っ、それは――」


 このままレジスタンスだけで活動をしても解決はしない。そう告げるボリスにキャリーも何も言えない。

 キャリーはレジスタンス結成時からの仲間であり、国を潰して金を得たい。そのような考えを持った男だった。

 動機としては不純だが、国を潰したいという想いは一緒だった。


「腹を括ろう。私はクリサリダと手を組むよ」


「ボリス……」


 そう言って、ボリスは出口の方を見つめながら今後の指針を話した。


「……デイン」


 誰にも聞こえない距離で、ボリスは出口の先に隠れている彼の名を噤む。



 世を正す。なんて大層なことを考えていたわけではなかった。

 レジスタンスとしての意義を見ればそうなのだが、ボリス個人の観点からすれば少し違う。

 彼が動く目的はただ、世の理不尽を受けてしまっている人間の救済。それだけだった。

 どうして国と国の境目、右側では人が幸せに暮らし、その左側では苦しむようなことになるのか。


 そんな理不尽が許せなかった。生まれてくる子どもに罪などない。あるのはそんな世界を作り出したクソ共だ。


 だから正すのだ。途方もない時間を掛けても、世界を幸せにする為に――。

 その為にはデイン、キミはここにはいてはいけない。

 キミは金を得る為にここにいる。しかし、ここに居続ければキミはいつか死ぬ。死んでまでやる必要は何もない。


 キミを実の息子のように思うことも少なくはなかった。

 悪ガキなことには違いなかったが、聞き分けは良い。

 死んでほしくなかった。ただそれだけだった。



「……どう……して……」


 空は赤く、夕暮れの空が広がっていた。

 鉄臭い血の味が口内を満たしながら、ボリスは壁に手足を杭で打ち込まれ、張り付けられていた。


「ここに公開処刑を開始する。我が国に反逆の意を示し、同胞を殺した張本人の処刑を!!」


 ボリスの目の前で軍服を着た男がそう高らかに叫び、その手には銃が握られていた。


 記憶が曖昧だった。自分はアジトにいた。キャリーから注がれたコーヒーを飲んでから――その後の記憶がない。

 何が起きたのか、それを知ったのはすぐ後のことだ。


「目を覚ましたようだな。大罪人」


「な……ぜ?」


「何が起きたのか分からない様子だな。貴様の……いや、貴様のアジトの位置もすぐに分かった。気づかないか? 敵とは外よりも内側にいるとな」


「なに……?」


 にやけ面を浮かべ、軍服を着た男はある方向を指差した。

 そこには大衆がいる。いや、違う。そこにいたのはキャリーだった。

 彼はボリスに視線を向けられるとその目を逸らした。


「奴が全てを話してくれた。多額の金と亡命の約束を取り付けたらすんなりとオッケーとしてくれたよ。可哀想な奴だなぁ。信じた奴に裏切られる気分はどうだ?」


「――――」


 突きつけられる現実を、真実を知らされてボリスの瞳孔は限界まで開かれていた。


 なぜ、どうして? 共にこの国を潰して、世の理不尽を正すと誓い合った仲なのに。

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!!!


 ああ、そうか……。


 私は知っていたじゃないか。世の理不尽を正そうとして世界を見てきた時からずっと、ずっと前からずっと。


 私はただそれを理解したくないから見て見ぬふりをしてきたに過ぎないんだ。


 そうだ。――人間はこの世に生まれてきた時点でもう……罪なんだ。

 一部の人間がどうとかじゃない。人間そのものが理不尽そのものなんだ。


 何もかもが憎い。世界も、自分も、この世にいる人間全てが……。


「見るに耐えないな。小国が調子に乗るとこうも哀れに見えるとは」


「だれ――」


 まるで最初からそこにいたかのような声を聞いて、軍服の男が振り向いた瞬間であった。

 彼の胴体が、本人自身が気づく間もなく、半分に切断されていた。


「公開処刑……か。くく、いいだろう。ならば文字通りのことを行おうではないか。ここにいる者全員、私が処刑してやろう」


 突如、乱入してきた銀髪の男はそう物騒なことを言って、その場から一瞬にして消えた。

 違う、消えたのではなく、その場から走ったのだ。

 目でも追いきれぬ速さ、そのスピードでもって、この公開処刑を眺めていた者達を惨殺していく。


 夕焼けの赤、それが地面に反射するかのようにして、地面も同じく赤に染まっていた。

 実際に反射していたわけではなく、そこにあったのは血の赤一色だった。


「さて……と、キミが我々と手を組みたいと提案した人間だな」


「……ぅ」


「――ふむ、もう息絶えそうな勢いだな。どうする? 楽に死なせてほしいなら聞いてやらんでもないが」


 銀髪の男の発言から、この男がボリス達レジスタンスが手を組もうとした組織、あのクリサリダの一員であることを知らされる。

 身動きも出来ず、このような恥を見られるような格好でいたことで、銀髪の男に死の選択を与えられることとなったのだが――。


「わ……たしは……」


「うん?」


「私は……まだ……死ねない……。まだ……やるべきことが……」


「ほう、一体何がしたいのかな?」


「この……世界の……人間を……救わなければ……」


「――――」


 およそ痛みで頭が回らない状態でボリスは心の本音を打ち明けていく。

 人は極限状態に追い詰められた時ほど本音を話しやすくなるようなものだ。

 この銀髪の男も、それを分かっていて質問をしてきているのかもしれない。


 しかし、それでもボリスは宣言してやりたかった。


「この世界に……いる人類を……生という縛りから……解放させなければ……」


 その答えは、暗に言えば人類を滅亡させたいという意思そのもの。危険思想といえばその通りなのだが、銀髪の男はそれを聞いて笑みを浮かべた。


「ふふ、良いじゃないか。キミは人間が嫌いになったようだな」


「――――」


「キミは間違っていない。私もその意見には賛同だよ。この世界に人間は必要ないと考えている思想の持ち主だからね」


 否定されることもなく、ボリスの思想に賛同する銀髪の男。その表情は何を考えているのか分からない奥深さがあった。


 そして、銀髪の男は壁に張り付けられていたボリスの目の前まで迫ると、


「私の組織はそれを成し遂げるために存在している。キミが選びたまえ。その覚悟を確認してやる」


 銀髪の男はそう言って、鉄を打ちつけるような甲高い音が鳴り響き、ボリスは壁に張り付けられていた手と足が離れる。

 目では銀髪の男は何もしていないように見えた。しかし、彼は何かをしたのだろう。ボリスを打ちつけていた手足の杭を斬り落とし、ボリスを自由にさせた。


「そこにキミを裏切った男がいる。後はどうするか……キミが決めたまえ」


「あ……ひっ!」


 見据える眼前、そこにいたのはボリスを裏切ったキャリーだった。

 キャリーは銀髪の男に剣によって両足を切断されており、身動きが取れなくなってしまっていた。

 恐怖に打ちひしがれていたキャリーは、まるで乞い縋るようにしてボリス達を涙目で見つめている。


「動けるか?」


「問題……ない」


「ふっ」


 銀髪の男に手を貸されそうになったが、ボリスはそれを拒否して自らの足で立ち上がった。

 よろめき、まともに歩くことも難しいその足で、ゆっくりとボリスはキャリーの元へと近づいていく。

 その途中、処刑に使う予定だったのか、首刈りに使用する為の鎌が地面に落ちていた。


「――――」


 それをボリスは拾い上げ、鎌をキャリーの方へと向けてゆっくりと近づいていく。

 その鎌で何をしようとするのか、キャリーも心中穏やかではいられなかった。


「ゆ、許してくれ!! 俺は脅されたんだ! ボリス、あんたを裏切らなければ殺されるのは俺だったんだよ!!」


「――――」


「そ、そうだ! 奴らからの約束の金はもう俺の口座に入っている。ぜ、全部やるから、頼む! 許してくれ!」


「――――」


 情けない命乞いがボリスへと向けて発せられ、ボリスは聞く耳も持たない様子でキャリーへと歩みを寄せていく。

 そんなことを言ったところで、ボリスには何も伝わりはしない。

 金を信条にして動いているとボリスが考えているのか、それを一番に理解していたのはキャリーだったにも関わらずだ。


 そして、うつ伏せになったキャリーの首元へと、ボリスは背後から鎌の刃を当てがった。


「――ぁ」


「生ある人間に……救済を……」


「やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!」


 制止の声届かず、キャリーの首元から血飛沫が舞い散り、その息の根は止まった。

 穏やかな目をいつもしていたボリスの今の目は、深く暗く澱んだ冷酷な目つきとなっている。

 そして、そんなボリスの行いを見た銀髪の男は両の手で拍手喝采をする。

 

「素晴らしい。これで一歩、キミは目的へと進むことができたわけだ」


「……私は誰だ」


「自身を見失ったか。確かにもう、今までのキミではいられないだろう」


 ボリスはもう、心が壊れかけていた。

 これほどの惨状、絶望を目の当たりにして、自身が何者かが分からなくなってしまったのだ。


「私がキミに新しい名をくれてやる。そして今までの自分を忘れろ。今日からキミは新しい人生が始まる」


「――――」


「キミの名はこれからアレクと名乗れ。人類を救済する死神、それが新しいキミだ」


「アレク……」


 レジスタンスとしてのボリスは死に、新たな名を与えられて生を得るアレク。

 そして、ボリスは銀髪の男の所属する組織、クリサリダの一員として世界を暗躍することになった。


△▼△▼△▼△▼△▼


「これが全てだ」


「――――」


 ボリスから一通りの話を聞かされて、押し黙るデイン。あの後、恐らくは日も浅かったのだろう。デインがレジスタンスを抜けなければボリスと同じように殺されていたのかもしれない。

 しかし、この話の問題点はそこではない。

 ボリスに巻き起こってしまった不運。仲間に裏切られ、人間を信用できなくなってしまった彼の心中は、デインでさえ同情してしまうほどだ。


「この世に生を受けた人間には総じて罪がある。どれだけ清い心を持っていたとしても同じだ。環境さえ変われば、聖人でさえ殺人鬼になる。そんな世界を私は許さない。クリサリダの目的も、私の目的に合致しているから行動を共にしているに過ぎない」


「なるほどな」


「だからこそもう一度キミに問いかけよう。私と共にこい、デイン。キミなら理解出来るはずだ。私の元を離れ、世界を見てきたキミならばな」


「――――」


 再び誘いをかけられ、考え込むデイン。ボリスの言う通り、この世界を渡り歩いてきたデインもそれはわかる。

 人間の汚い部分なら幾度となく見てきた。

 そのことが分かっていたからこそ、デインも非情になることは出来た。


 ――あの日本人の女性と会うまでは。


「……ボリス、いや……アレク……か。人間ってのは汚い存在、その点については否定の余地はねえよ」


「――――」


「あんたはもう……変わっちまったんだな」


「答えを聞こうか」


 二人の間に広がる静寂。その空気の重さが二人をその場に押し留めている。


 そして、デインはゆっくりと目を閉じ、ボリスへと向けて目を開けると、


「何度も言わせんな。俺の為に、人類は生きるべきだ」


「……なに?」


「俺を息子のように見ていた? バッカじゃねーの? 俺はあんたを父親として見たことなんて一度も考えたことはねえよ。大体、血も繋がってねえじゃねえかよ」


「――――」


「俺は諦めねえよ。どれだけ辛く苦しいことがあってもな。その先にある希望を俺は捨てねえ。捨てたあんたには分からねえだろうがな」


「……もう分かった」


「ヒステリック気分なところ悪いけどな。俺はあんたほど諦めの早い人間じゃねえんだよ」


「死ね」


「死なねえよ」


 会話は終わる。最後の二人の言葉を皮切りに、ボリスがその場から地面を蹴り、デインの元へと迫り来る。


「――っ!」


 デインの顔面目掛けて放たれる高速の蹴り。目視ギリギリで捉えていたデインのしゃがむ姿勢で躱し、ボリスの懐目掛けて殴り掛かろうとした。


「ふっ」


「ちぃっ!」


 しかし、ボリスには当たらない。並列思考能力はあらゆる状況を想定し、あらゆる攻撃パターンに転じてきたとしても全て回避パターンを頭の中で決めている。

 ボリスは腰を大きく曲げ、デインの拳を掠めるギリギリで避けた。

 そして、殴ろうとしていたデインの右腕を掴み、逃げられないようにしてから再び逆足でデインの後頭部へと蹴りを入れようとする。


「う、らぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 まともに受けてしまえばそこでKOだと知っていたデインは、左手に持っていた鉄の棒でボリスの蹴りを放つ足とは別の地面に置かれた足へと振り抜く。


「――っ!」


 軸足を狙われたことでボリスの姿勢が崩れ、後頭部へと向かう蹴りは軌道がずれ、空を切った。


「おらぁっっ!!」


 姿勢が崩れたボリスの腰へと鉄の棒を振り抜くデイン。これも並列思考能力があれば避けられる。そうなる筈だったのだが――、


「がっ!?」


 当たった。鼻から避けられるような体勢でなかったことから、デインの攻撃をまともに受けたボリスは呻き声を上げる。


「らぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 畳み掛けるならここしかない。そう考えたデインはなりふり構わずに拳の連打をボリスへと打ち込んでいく。

『レベル5モルフ』のボリスを相手に長期戦は危険でしかない。たった一つのチャンスを逃してはならないと、デインはボリスの顔面や胸、腹へと全力で殴りかかっていった。


「おらぁっっ!」


「くっ!」


 顎を撃ち抜かれ、渾身の力で振り抜かれたデインの拳にボリスは宙を浮いた。

 空中では姿勢は取ることができない。勝機と捉えたデインは全体重を乗せた拳をボリスの腹部へと打ち込んだ。


「がっ!!」


 地面を転がり、その場で倒れるボリス。あばらの二、三本は折れたであろうデインの拳の連撃を受けて、すぐに立ちあがろうとしない。


「お前、何か勘違いしてねえか?」


 倒れるボリスに、デインは首の骨を鳴らしながらゆっくりと近づく。


 そして、彼は自身の本音を打ち明けた。


「俺はあんたを父親と思ったことはねえ。仲間だと思ってたよ」


「――――」


「金の為に動いていた。それは否定はしねえ。今だって同じだ、俺がここにいるのは金の為でしかない。……けどな」


 嘘偽りなく、自身の本音を語り、デイン自身も汚い人間であることをボリスへと伝えていく。

 例えどう思われようとも、これがデインの生き方だ。

 そして、次に語られるデインの言葉はこうだった。


「悪い人間だって……変わる奴がいることを俺は知ってる」


「――――」


「俺は見てきた。俺の言えることはそれくらいだ……確かに腐った人間は死ぬべきかもしれねえよ。でもよ、命懸けで変えようとしている人間がいることを……お前は知らねえだろ?」


 誰のことを言っているのか、それはボリスには分からないだろう。

 今、デインが話しているのは、ボリスと同じ『レベル5モルフ』の力を持つ者のこと。それを見て話してきたデインだからデインはそう言い切れる。

 だから、だから諦めようとしているボリスを、デインは見過ごせなかった。


「てめえのヒステリックを他人に押し付けんな。俺はお前が何度立ち上がっても殴り倒す。絶対にな」


 デインはボリスを殺す気はない。再生能力があることを知っていながら、あえてボリスへと会話の道を選ぶ彼は、ボリスの知る以前のデインではなかった。


「……キミも、変わったのか」


「ああ、不本意ながらな」


「……そうか」


 椎名真希という一人の女性に、デインの価値観は変えられてしまった。

 デイン自身もそのことには気づいており、今更そのことに言及するつもりはなかった。


 ボリスはゆっくりと立ち上がり、声の届く距離でデインと相対する。


「次の一撃で……キミを確実に殺す。もう避けることは出来ない。私も……本気だ」


「……そうかよ」


「だから頼む。私の意思を……これ以上変えられてしまう前に……私と共にこい」


「嫌だっつってんだろ」


「――――」


 ボリスの最後の誘いに、デインの答えは変わらない。

 そして、デインも分かっていた。次のボリスの仕掛けてくる攻撃。きっとそれは避けられないであろうことに。


 互いに譲れない意思を持つ以上、互いに引くことは許されない。

 デインもボリスも、お互いにそれを理解していた。


 だから、これが最後の決着となる。


「さよならだ」


「そうかよ、やれるもんなら……やってみろぉぉっっ!!」


 デインの叫びと同時、両者は互いに走り出した。

『レベル5モルフ』の身体能力強化、それを使えば圧倒的に有利なのはボリスの方だ。

 しかし、デインは何も対策なんてしていない。ただ真っ向から突っ込み、ボリスも同じくしてデインへと向けて突っ込んできている。


 作戦なんて必要はなかった。もうこれは戦いと呼ぶには相応しくもない、単なる意地のぶつかり合い。

 そしてそのぶつかり合いは、デインにとって勝ち目のないものだ。


「お……あぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


「うおおおおおおあああぁぁぁっっ!!」


 互いの拳が顔面へと向かっていく。

 それを互いにギリギリで避けて、影響があったのはデインだけ。彼の頬は掠っただけにも関わらず、頬の皮が爆ぜるかのようにして抉れた。


「う……あぁぁぁぁぁっっ!!」


 並列思考能力に対処するにはもう、対応が出来ない行動パターンを取るしかない。

 一か八かの賭けに出たデインの行動は、ボリスの両肩を掴み、距離を取らせないようにすることだった。


「らぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 近距離戦闘になった今、デインにやれることはもう一つしかない。格闘技におけるクリンチの姿勢から離れようとした直後、ボリスの腹部へと膝蹴りを連続して打ち込んでいく。


「――っ!」


「おおおおおおおおおっっ!!」


 何度も、何度も、何度も膝蹴りを決め、抵抗の一つもしないボリス。それがわざとなのかどうかも分からず、どちらにしてもやることは変わらないと攻めの姿勢を崩さないデイン。


 そして、ボリスがデインの耳元へとこう囁いた。


「終わりだよ」


 デインは失念していた。デインはボリスに攻撃が出来ていたのではない。ただ誘い込まれていただけなのだと。

 膝蹴りを手で止められ、握力で持って引くことも出来なくなるデイン。

 そして、ボリスは至近距離にいるデインの首元目掛けて――噛みついた。


「ぐ……がっ!!」


 皮膚の内側まで食い込んだ歯は、デインの首元を抉る勢いだった。

 そしてその行為が何を意味するか。モルフウイルスを知っている者がいれば誰にでも理解しうること。


「くっ、おらぁぁぁっっ!」


 いつまでも噛み付かせはしないと、デインは止められた膝とは別の足で地面を跳び、ボリスの左肩へと膝を入れた。


 その反動でボリスはデインから離れ、一メートルに満たない距離へと降り立つ。


「終わりだ、これでもうキミは死ぬ。モルフウイルスが体内に入った者の末路はキミもよく知っている筈。これが……私の覚悟だよ」


「――――」


「本当に……本当に残念だよ。キミが私と共に行くと言ってくれたなら、今の噛みつきでキミは『レベル5モルフ』になれたというのに……」


 モルフウイルスを体内に入れられた者は総じてモルフとなってしまう。その中で例外とされるのが『レベル5モルフ』なのだが、それには条件が伴う。

 デインがボリスの意思に賛同するのであればそれで生き残ることができた。しかし、断ったことでボリスの中でのデインの見方は変わってしまった。

 そのせいで、デインは『レベル5モルフ』になることはできない。


 もっとも、デインも『レベル5モルフ』になる為の条件を知る由はなかったのだが、結果的にはボリスはデインをモルフにさせようとした。

 その結果がまさにあと数分で起こり得ようとしていた。


 ふらふらと、酔っているかのような素ぶりでデインはボリスへとゆっくりと近づこうとしている。

 モルフウイルスに感染した者は酒に酔った感覚になり、平衡感覚を失う。その状態で戦うことなど出来はしない。


「もうキミは終わりだよ。これ以上……キミが苦しむ様を見てはいられない。楽にしてやろう」


 死に抗おうとするデインへとトドメを刺すべく、ボリスは手を手刀の形に整えて構えた。

 彼の死を惜しむ感情はまだあったのだろう。そして、ボリスの手刀がデインの左肩へと向かい、そのまま右腰へと斜め一線に両断されようとしたその時だった。


「俺は……もう今までの俺じゃねえ」


「――なっ!?」


 ボリスの手刀を、絶対に避けられないであろう必殺の一撃を、デインは目で見切って避けた。

 避け、そのままカウンターの如くボリスの間合いへと一気に迫る。


「な……んで――」


 反応が間に合わない。そもそも、予測しようがなかった。ボリスの『レベル5モルフ』の固有能力である並列思考能力があっても同じことだ。

 モルフに感染した者はどんなことがあろうと普段の動きを行うことができない。それを否定するかのような動きをしたデインに、ボリスの体は対応が間に合わない。


「うおらぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 前がかりになったボリスの顔面に合わせて、デインの全体重が乗った渾身の拳がクリーンヒットし、ボリスは地面を数度転がり、仰向けに倒れた。


「な……ぜだ?」


「分からねえか? 自分でも原因は分かってねえけど、俺はモルフに感染しない体質なんだよ」


「なん……だと?」


 驚愕の事実を聞かされたボリスは、起きた現実に納得せざるを得なくなってしまう。

 モルフに感染しない人間なんて、ただの一人も聞いたことはない。ウイルスが体内に入れば致死率百パーセントのそれを、デインだけが無効化できてしまうのだ。


 それは、まさに人類にとっての希望そのものだった。


「言ったろ? お前が何度来ようが、俺が何度だってぶっ倒してやるってよ」


「――――」


「それでも立ち上がるってんならまたぶん殴ってやる」


「殺しはしないのか?」


「殺す理由もねえからな」


「――はっ!」


 殺し合いだと、そう考えていたのは自分だけだとデインに諭され、ボリスは馬鹿らしく感じたのか、仰向けのまま笑った。

 デインはボリスのことを今でも仲間だと見ている。

『レベル5モルフ』となった今のボリスを見ても、それは変わらないのだろう。

 そして示したのだ。希望を捨てないで生きようとしている。それが今の俺だと、デインは主張して――。


「キミは……人類を救うつもりか」


「ああ、金が絡んでいることは事実ではあるけどな」


「ふっ、キミらしい」


 人間は浅ましい生き物だ。それはボリスとて、過去を経験したからこそ分かっていること。

 しかし、デインも人間だ。全ての人間を罪と決めつけたボリスは、デイン自身を罪として見ることができるのか。


「私は……間違っていたのか?」


「てめえがそう考えるならそうなんじゃねえの?」


「なに?」


「俺はな、人ってのはそれぞれ自分の意思があるようなもんだと思ってる。でも、決めるのは全部てめえ自身のことだ。だからこうやって互いの意思をぶつけ合ったんだ」


「――――」


「意思を貫くも、変わるもお前の自由だ。それが人間だろ?」


 まだ、ボリスが自分の意思を貫くつもりなら戦ってやると、デインは暗にそう告げる。

 しかし、その真意は少し違う。ボリスが『レベル5モルフ』になろうと、人間であることに違いはないと、その現実を突きつけてきたのだ。


「キミは……随分と痛いところを突いてくるんだな」


「そんな奴が身近にいたもんでな」


「……そうか」


 デインの顔を見て、微笑を浮かべるボリスは何かを思いついたのか、天を仰ぎ、デインへとこう言った。


「しかし、だとしてももう手遅れだ」


「ああ?」


「……デイン、キミはこのアメリカから離れるんだ。どこか遠い……人のいない場所を目指して……」


「何を言ってやがる?」


 話を切り替えて、真剣な顔つきで何かを語ろうとするボリス。その言葉は、何か真に迫るようなものをデインは感じた。


「もう……この世界は……人類は助からない。あと一日もないんだ。だから……」


「何を……言ってやがる? まだ抵抗すんのか? だったら――」


「そうではない」


 まだ諦めないつもりなら戦ってやると言わんばかりのデインに、意味を履き違えるなと告げるボリス。


 そして――、


「もう駄目なんだ。一刻も早く、キミはこのアメリカから――」


 この先に起きること、それを告げようとした瞬間であった。

 二人に割り込むようにして、死角から飛び出してきた『レベル4モルフ』、それがボリスの頭部を一瞬にして噛み砕き、地面へと滑り込む。


「なっ!? ボリス!?」


 忘れていた。ここは都市の中心部であり、モルフの巣窟。デインが血を流したことで、モルフ達が血の匂いに釣られて気配もなく接近していたのだ。


 頭部の一部を噛みちぎられ、その箇所から多量の血を流すボリス。

 すかさず、助けに入ろうとしたデインであったが、


「――――」


「ボリス?」


 助けに入ろうとするデインを、手を前に出して制止させようとしたボリス。

 全身が血まみれになりながら、自前の再生能力も使わないボリスは、デインへとこう告げる。


「行け、キミにはやるべきことがあるんだろう?」


「でも!!」


「私はもう助からない。モルフが再生できない箇所をやられてしまった。……いずれ私は絶命するだろう。キミのやるべきことを果たせ!」


「なんで……っ!」


「仲間なのだろう?」


 そう告げたボリスは、どこか安心したようなそんな表情をしていた。

 最初は一体だけだった『レベル4モルフ』は、続々と集まってきており、ビルの側面を張り付くようにしてデイン達を囲み始めていた。


 そして、デインは歯を噛みしめると、


「……ああ、あんたは俺の仲間だよ」


「最後に、キミと話せて良かった」


「……ありがとうな」


 互いに表情を見合わせて、デインはボリスへと感謝の言葉を述べた。

 そして、デインはボリスへと背を向けて走った。


 その背中を見つめながら、ボリスは笑みを浮かべると、


「成長したな」


 かつては野垂れ死ぬ運命だったであろう悪ガキの大きくなった背中を見て、ボリスは感慨に耽る。

 そして、ボリスは自身を獲物として見定める『レベル4モルフ』の群勢を見渡すと、


「お前達の餌はここだ。最後の足掻きを見せてやろう」


 勝ち目のない、敗北の決定したボリスの最後の悪あがきが始まる。

 今も走る、デインを逃がすための時間稼ぎとして――。


次話からミスリル視点です。Phase5は残り二話というところになるかと思われます。

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