Phase4 第四十七話 『清水勇気』
「はぁっ、はぁっ!」
真昼間の中、街路の歩行者用道路を全速力で走る少年がいた。
時折り後ろを確認しては追手がないことを確認して、彼はふと安心する。
そうして走る勢いを少しずつ弱めて、やがて歩く速度へと落とした少年は持っていたスマホを眺める。
「ふぅ、疲れたわ」
一息吐き、目を細めた彼が次に目指す先はいつも決まっていた。
スマホから連絡を取り、彼はそのままある場所を目指した。
そこはどこにでもある一軒家、いつも通り彼はピンポンも鳴らさずに勝手に門を開けて中へと入っていく。
そして、玄関の扉を開けて、靴を脱いだ少年は奥の部屋へと進んでいった。
「なんや、また来たんか? 清水」
「なんか俺が来たら嫌な顔すんのなんなん?」
「お前がここに来る時って大体金貸してくれ言う時やからやろ。先月貸した一万円はよ返せや」
「も、もうちょっと待っててくれへん? バイト代ももうすぐ入るし」
「はぁっ……まあ期待はせんとくわ」
ため息を吐き、清水の顔を見るその男は、先ほどまで見ていたパソコンを閉じた。
そして、なにやら思うことがあったのだろう、男は清水を見ながら、
「また喧嘩したんか? 次は勝ったんかいな」
「いや、これは喧嘩相手やなくて仲間に殴られた傷や……。明らかに数的不利やったから俺だけ逃げたんやかど、それでな」
「……あのなぁ、仲間置いて逃げるって普通の感性でせえへんぞ? それとも怖くて逃げたんか?」
「俺、喧嘩とか嫌いなんよ。皆、なんでそんな殴りたいねん。痛いのとか嫌やし、それこそ普通ちゃうんかなって」
どうやら清水がケガをしていた理由は、喧嘩から逃げたことによる仲間からの報復のようだった。
逃げた理由も分からなくはないが、男はまたため息を吐き、腰掛けていた椅子に肘をつくと、
「そんなんしてるから友達おらんくなるんやぞ?」
「……別にええよ。俺は来栖さんと話してるだけでも人生楽しいし」
「それはそれでなんか悲しないか……?」
話し相手がいればそれで十分だとそう言い張る清水に、腰掛けていた男、来栖は清水の将来が心配だとそう考えながら呆れた表情を見せていた。
「それよりもさ、来栖さんの話をまた聞かせてや。俺、それで今日ここにきてん」
「俺の武勇伝聞きたがるのもお前ぐらいやわ。せやなぁ、じゃあこの話にしよか。つい先日のことやねんけどな、脱税かましてたある店の検挙に行った時の話やねんけど――」
来栖は自分語りを始めて、清水へと話を始めていく。
清水にとっては、来栖の話を聞くことが人生での唯一の楽しみだった。
来栖は警察官で、どういうキャリアかまでは教えてはくれなかったが、凄腕の仕事人とのことらしい。
半グレやヤクザに至るまで、様々な恐い連中を相手にしてきたとも聞いていた清水にとって、来栖は憧れの存在だった。
いつか、自分も来栖と同じ仕事をしたいと考えて、彼は将来の夢を確立させていた。
「とまあそんな感じでな。俺の活躍でその場におった連中全員連行してやったわ」
「やっぱ半グレとかって銃とかで抵抗したりするん?」
「あほか。そんなんごく稀や、ヤクザと深く繋がってたりしてたらおるにはおるけど、大体は逃げる奴らの方が大半やで」
「ふーん、じゃあ案外大したことないんやな」
「――――」
清水の言葉を聞いて、口を閉じた来栖。彼は机の上にあったタバコを一本手に取り、ライターで火を点けて吸い始めた。
「清水、お前は大したことない思ってるかもせんけどな、実はそうでもないんやで? 俺らはいつだって死ぬ可能性を想定して動いてる。例えば逃げたそいつらを追って下手に反撃されたら俺もどうなるか分からん。お前が憧れてる俺の職業ってのは……生と死が隣り合わせのようなもんや。そんなんにお前はなりたいんか?」
「……なりたいよ」
「ん?」
来栖がただの警察官ではないということは、清水もある程度察していた。
だからこそ、簡単な仕事ではないと突き放そうとした来栖のその意見に、清水は小さな声でそう返した。
「俺かて誰かを守れるぐらい強くなりたいんや。頭も悪いし、自分のことばっか考えてるけど、それでも……」
自信を無くすようにして、清水はどんどんと声が小さくなっていき、来栖には後半の言葉が届いていなかった。
しかし、何を言いたいのか、それをなんとなく理解した表情を見せて、
「……まっ、なりたいなら止めはせんよ。それにしても、誰かを守れるように、か」
「なんや、なんか言いたげな顔して」
「俺はお前には向いてないと思うけどな」
「――っ、そんなん分からへんやろ! これから努力して――」
「そうやなくてな。……なんて言ったらええんやろか。俺や俺の仲間がやってることをお前が将来やっても、多分上手くいかん気がするんよ」
厳しい面持ちで、嘘偽りなく言い張る来栖に清水は口籠った。
何を言われようとも清水の夢は変わることはない。ないのだが、こうも当事者に否定されてしまうと、反発したくなる気持ちが強くなってしまう。
「――もうええわ」
「あん?」
「帰る……」
意気消沈とした雰囲気を見せて、清水はその場で立ち上がる。
そうして、颯爽と来栖の邸宅から出ようとした。
「おい、清水」
「――――」
来栖の声を無視して、清水は黙って玄関から外へと出ていった。
その背中を見つめていた来栖は、手に持った煙草を灰皿へと押し付けた。
「……お前が思うほど、俺の、俺達のやってることは正しい行いとは限らんのや」
そう独り言を残して、来栖は正確に告げられなかったことを後悔した。
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トボトボと誰もいない道路の真ん中を歩きながら、清水は俯いていた。
自分が悪いことは分かっている。
元より清水自身、来栖の職業である警察官になれるほど正義感に溢れた人間性ではないことは自分でも気づいていた。
友達を見捨ててでも自分のことを優先して逃げ出したり、夜遊びして警察官のお世話になったことだってある。
来栖の言いたいことは分かっていた。
清水は誰かを守る側の人間ではない。守られる側の人間なんだってことを。
「せやから、これから頑張ってなりたいって言いたいのに……な」
言葉には出してもいざ実行しようとまでは考えが頭には清水にはなかった。
明日からやろう。明日からならまだ間に合う。そんなことを繰り返し続けてきて、いつも失敗してきた人生を辿ってきたのだ。
そんな人間が、何を守れるというのか。
清水は怖かった。その事を来栖に指摘されると思ったことをだ。
だからあの場からすぐに離れたくなったのだ。
「はぁ……もうええわ。ゲーセンでもいこ」
現実逃避をするべくして、清水は趣味であるゲームセンターへと向かおうと足を進めた。
俯きながら歩き、前を見ていなかった清水は気づかず、誰かと肩をぶつかった。
「いてっ、すんません……」
「おい」
「?」
肩をぶつけた相手に声を掛けられ、それまで俯いていた清水は顔を上げた。
――見覚えのある顔だった。確か、六対六で喧嘩になった時にいた、相手側の男。
背筋が凍るような感覚を味わい、その緊張の隙に続々と他の仲間達が清水の周りへと集まっていく。
「な、なんや?」
「やっと見つけたわ。お前、あん時逃げた奴やろ?」
「人違いちゃうか?」
「んなわけないやろ。ちょっと面貸せや」
腕を掴まれて、逃がさないようにと清水はがっちりとホールドされて連れていかれる。
最悪の状況だった。助けを呼ぼうにも呼べる隙はないし、呼べる相手もいない。
清水はあの場から逃げてしまったことで、仲間内からの信頼も無くなってしまっているのだ。
この状況を伝えることが出来たとしても、きっと仲間は自分を助けになどやってこないだろう。
路地裏へと連れていかれて、清水はさっそく相手の中でも一番ガタイの良い男にぶん殴られた。
壁際に吹き飛ばされ、鈍い痛みが頬に感じられながら清水は前を見た。
「ってぇ……」
「痛いか? 俺の後輩はもっと痛かったらしいぞ。ナメたことしてくれたなクソガキが」
「俺、なんもしてないやん……」
「そんなん知ったことあれへんわ」
清水の事情も関係なしに、ガタイの良い男は清水の腹部へと蹴りを入れた。
ちょうど鳩尾へと入ったその蹴りは、悶絶するほどの痛みとして清水へと襲いかかり、動けなくなってしまう。
「おら、はよ立てや。まだまだこんなもんで終わらへんぞ」
「――――」
因果応報とはこういった状況を差すのかもしれない。
これから清水はこの連中にボコボコにされてしまうのだろう。痛いのが嫌だからと逃げだしたことは、結果として自分に跳ね返ってきてしまう。
こんなことなら一緒に仲間と戦うべきだったのかもしれない。
そうすれば、仲間もきっと助けてきてくれた可能性はあった筈だ。
でも、それはもう無理だ。この状況を選んだのは清水自身の選択だったのだから。
「ぐふっ……」
四方から蹴りを入れられ続けて、身体中に鈍い痛みが襲いかかる。
まともに立つこともできない清水は、もはや喋ることも出来なくなってしまっていた。
いつかこの状況が終わることを祈って、ただやられるがままに耐え凌ごうと考えていたその時だった。
「おいおい、タイマンならまだしも、これはちょっとやりすぎやないか?」
「あん?」
路地裏の出口から、コツコツと足音を鳴らして近づき、そう揶揄する何者かが近づいてくる。
聞いたことのある声だった。清水は腫れ上がった顔を上げて、その方向を見ると、
「来栖……さん?」
「急に外に出て行ったから追いかけてみたら……散々な状況やないか、清水」
来栖は清水の目の前にいる連中など眼中にも無い様子で、その場で倒れていた清水へと近寄っていく。
どうやら清水のことが心配になって追いかけてきたのだろう。
嬉しい話ではあるが、この状況に入ってくるのは清水も望んでいない。
「あかん、来栖さん……俺に構ったら……」
「おーおー、とりあえず傷の手当てしないとな。立てるか? とりあえず俺の家にこい」
「おい、オッさん。急に入ってきてなんのつもりやねん?」
当然の如く、部外者である来栖を連中が無視する筈がなかった。
来栖の肩に手を置いたガタイの良い男は、その手で来栖を自分の方へと向けさせようとしたが、
「……で? お前らは誰やねん?」
「は? ――っ!?」
その突如であった。ガタイの良い男は来栖の肩に置いていた手が離れて、いつの間にか視界が空に向いて倒れてしまった。
一瞬の出来事に、倒された男も周りにいた連中も何が起きたか分からない様子だった。
「俺の甥に手を出した分はきっちり精算してもらわなあかんなぁ、これは」
「っ、上等や! 全員、やれや!!」
喧嘩を売られたと判断した連中は、一挙にして来栖へと襲いかかろうとした。
しかし、相手にするには完全に分が悪い相手だった。
「うーしっ、ちょうど身体も鈍ってたし、ボコボコにしたるわ」
そこから先、清水が見たのは信じられない状況だった。
数十人対一人の戦い、どんな喧嘩の強い人間でも、多勢に無勢という言葉は当て嵌まるものなのだ。
それなのに関わらず、来栖は一切の攻撃も当たることもなく、一人一人を確実に殴り倒しながら数を減らしていく。
背負い投げをされて、気絶する者もいた。弁慶の泣き所である箇所を蹴りを入れられて、悶絶する者もいた。しまいには顔面に蹴りを入れて、鼻の骨ごと折られる者もいた。
清水が知る来栖は、憧れの存在でありながら半信半疑でいた空想の存在だと頭の片隅にあった。
しかし、現実は全て、来栖が語っていた通りだった。
めちゃくちゃな強さでもって、来栖はその場にいた連中の全てを地面に倒れ伏させてしまう。
「ふぅ……大したことないなぁ。このレベルやったら霧崎にも倒されんで? お前ら」
呻き声を上げて、清水と同じような状態にされながら誰かの名前を口にする来栖に連中は何も返す言葉はない。
そうして、来栖はいまだに倒れていた清水の元へと歩み寄る。
「おい、大丈夫か。随分とやられてもうたな」
「――――」
「なんや、泣くんか? そんなんじゃあ俺みたいになるなんて無理やぞ?」
今にも泣きそうな様子の清水に、来栖は笑いながら手を差し伸べた。
どこまでいっても正直な来栖は、清水に対して嘘は言わない。
「やっぱ……俺って守られる側なんかな……」
この不甲斐ない様を見られては、清水も自信をたちまちに無くしてしまうことは道理だった。
清水の行いの結果の果てを憧れの人に見られてしまうなど、それは清水の夢をへし折るには十分なものとなってしまう。
そんな絶望した表情を浮かべていた清水に来栖は頬を掻くと、
「嫌なんか?」
「嫌や……俺だって……」
「……そうか」
何が言いたいのか、分かった上で来栖は清水の頭の上にポンと手を置いた。
慰めの言葉は、清水にとっては毒なだけだ。
その上で来栖は、
「誰だって最初は持たざる者や。必要なのは得る為に何をするか――お前は失うもんはない。なら、なんも怖くないやろ?」
「――――」
「昔の俺もお前と同じで臆病な性格やったんはよく覚えてるわ。俺を変えたんは、凄い人を目の当たりにしたからやったかな」
昔語りを始める来栖に、清水は半分聞いていて半分聞いていなかった。
こんな時でも自分のことばっかり考えていることに腹が立つ思いだが、性格とは恐ろしいものだ。抗いたくても抗うことができない。
「お前がこれからどうするか、俺はどんな道を選んでも止めはせんよ。せやからこれだけは伝えとくわ。俺はいつかお前が俺の後ろについてくる日を楽しみにしてるってことをな」
「え?」
「せやからいつまでも不貞腐れんな。高校生にもなって情けないで、ほんまに」
最後にそう言って、来栖は清水に背を向けて立ち上がった。
彼なりの励ましのつもりだったのだろう。来栖は清水がまだ這い上がれる状況にあることを暗に伝えていた。
「ほら、いくで?」
「――うん」
「そういえば織田に貰ったスイカあったん忘れてたわ。一緒に食うか?」
「うん」
清水勇気と来栖真司。来栖の姉の息子である清水勇気を、清水は息子と同じような扱いでいる。
二人の絆は清水が小学生の時から変わることはなかった。
清水はそれから頑張ろうとした。頑張って頑張って、いつか来栖と同じ警察官になれるよう勉強も頑張った。
はじめから完璧に上手くは当然できなかった。
三日坊主で終わりそうになった瞬間だってある。しかし、その度に清水はあの時、来栖に言われた言葉を思い出して奮起した。
継続性というものは、そんな簡単に出来ることではない。
しかし、清水にはある種、その才能があったのだろう。彼は努力が出来る才能を持った人間だったのだ。
そして、半年が過ぎた辺りだっただろうか。清水の人生を変えるある出来事が起きた。
「――――」
来栖の背中を追いかけること。それは清水にとって楽しいものだったことに違いない。
一日一日を超えて、ほんの僅かずつだがその背中に近づいていくような、そのような達成感を感じていたこともあった。
「――――」
強くなったそんな自分を見て欲しい。清水にとってはそのような願望も強くあった。
憧れの人に、尊敬する人に褒められるだけで、清水はまた頑張ることが出来る。
「――でや」
歯がゆい。目の奥が熱い。そして、頭の中では喪失感だけが強く残っていた。
清水は来栖がいつもいる邸宅、その中にいた。
部屋の中に微かに残るタバコの匂い。その懐かしさも今は清水にとってはどうでもいいものだ。
「なんで……や……」
来栖真司は清水勇気にとってその背中を追いかける目標。
だって、だって彼は言ったのだ。いつか後ろについてくる日を楽しみにしている、と。
誰もいない邸宅の中。清水は毎日毎日通い続けた。
しかし、邸宅の主は帰ってこなかった。
来栖は自分で言っていた、生と死が隣り合わせだと。
だから清水は分かりたくなくても分かってしまった。
来栖真司は死んでしまったのだと――。
「俺は……あんたがいたから……頑張れたんや……なのに……」
清水の夢もこれまでの努力も、来栖がいたからこそのものだ。その来栖がいなくなってしまえば、清水の行動理由も何もかもが消えてしまう。
静かな部屋の中、清水はふと来栖がいつも座っていた椅子へと歩き出し、腰掛けた。
座高が高めになっていたことで、足が地面に届くか届かないか辺りの高さ設定になっていたが、あえて清水は高さを低くしようとはしなかった。
そして、清水は来栖がいつも触っているパソコンを開いた。
「……なんや、これ?」
デスクトップの画面には、来栖を含む五人の人間が映っていた。
見た感じ、来栖の仲間のように思えたのだが、何か違和感がある。
来栖は警察官であると発言していた。しかし、この服装はなんだ?
とてもじゃないが、警察官とは思えぬ服装をしており、更に言えば持っている武器だっておかしかった。
警察官が持つ最大の武器は、精々拳銃が一番な筈だ。なのに、警察官がサブマシンガンを持つなんてありうるのだろうか?
来栖はそもそも警察官だったのか?
疑問が次々と降って湧きながら、清水はマウスを動かそうとした。
その時だった。
「見てしまったか」
「――っ!?」
誰もいない筈の邸宅の中、後ろから声が聞こえたことで清水はバッと後ろを振り向いた。
知らない男が立っていた。後ろにはフルフェイスのマスクを被った何者か、見ただけでも怪しさだけが際立つ者達が清水の目の前にいる。
「な、なんや?」
「来栖の甥っ子とは聞いているよ。何も知らなければ良かったものだが、それを見てしまったからにはすぐには帰せないな」
「お、俺をどうするつもりや?」
見ただけで危ない連中だということは分かる。
清水はパソコンのデスクトップを見ただけで、具体的に何かを知ったわけではない。
ただ、これを見ただけでマズイ情報があったということなのだろう。
萎縮して、清水はたじろいでいたのだが、
「そう警戒しなくてもいい。来栖の上司にあたる者だよ。私の息子も……キミと同じぐらいの歳だっただろうからね。危害は加えない」
「……誰なんや?」
「自己紹介が遅れたね。私は多々良平蔵。陸上自衛隊の所属であり、来栖のいた部隊を直轄していた者だ」
「来栖さんは警察官って聞いてたんやけど……」
突如、陸上自衛隊の者だと名を明かす多々良に、清水は違和感を言葉に出す。
来栖は警察官であり、なぜ陸上自衛隊の人間と関わりがあるのか。来栖が所属していた部隊とは何のことか、それが分からずに頭を混乱させてしまう。
「彼からそう聞いたのか?」
「……はい」
「そうか……まあ、秘匿情報を話していない点は良しとするが、誤算もあったな」
「誤算?」
要点が掴めず、清水は多々良へと首を傾げて見せた。
分からないままが嫌な清水は、多々良の返答を待っていたのだが、
「キミという存在だよ」
「え? ――っ!?」
多々良がそう発言した途端、周りにいたフルフェイスの者達が清水を囲むようにして集まる。
まるで、清水を拘束しようと考えているかのような行動だった。
「俺を……殺すんか?」
「そんなことはしないよ。ただ、キミに選択権を与えるだけだ」
「……一つ、教えてほしいんやけど」
「ん?」
「来栖さんは……死んだんですか?」
ただ聞きたいことを清水は尋ねてみた。
この訳の分からない状況のことなど、今はどうだっていい。清水が知りたいのは一つだけ、来栖の生死に関してだけだ。
多々良は目を細めると、少し考える素振りを見せてから清水の顔を見てこう答えた。
「彼は……死んだよ」
「――――」
「実際に死ぬところを見たわけではない。しかし、彼の最後を見た子から聞くには、彼は最後まで自身の責務を真っ当していた。決して無駄な死ではなかった」
呆気なく、死の情報を明かされて清水は呆然とした。
冗談だと、嘘だとそう言ってほしかった。たとえそう言われたとしても、清水は怒ることなどしなかっただろう。
憧れの人が、尊敬する人が死んだと聞かされて、清水はその場で膝をつく。
「キミにとっては不幸な話だろう。しかし――」
「死んだら……何も残らん……」
「――――」
「俺はあの人の背中を追いかけてきたんや。誰かを守れるように……その為に強くなりたいって……それで……」
死に様を聞かされたところで、清水にとってはどうでもいい話だ。
死んでしまえば、清水と来栖の繋がりは何も残らない。そうなってしまえば、清水の頑張る理由は無くなってしまう。
「酷な話をしようか」
「……え?」
膝をつき、目の前に近づいてきた多々良は清水に合わせて地面に座る。
そして、真剣な顔つきをして彼はこう答える。
「どうあっても、何があっても人はいずれ死ぬ。キミも私も、ここにいるキミにとっては名も知らぬ者達も同じだ。いつかは死ぬんだ」
「っ、そんなん……」
「理不尽だとそう思うかな? 私の息子は、来栖がいた現場で死んだんだ」
「え?」
「酷い話だよ。息子は人が死ぬ事故や他殺なんかよりも、圧倒的に酷い死に方をした。それを知った今でも思う。どれだけ悲しみに明け暮れたところで、息子は帰ってこないこともな」
多々良の言葉に対して、清水は押し黙ってしまった。
悲しみに暮れることの何が悪いのか、諦めて何が悪いのか、それを言おうとしたことを押し留められるかのような、そのような感覚だ。
「もう一度言うよ、キミには選択権がある。簡単な問いだ。キミは来栖の意思を継ぐ気があるのか、否か。どっちだ?」
「お、俺は……」
「すまないが、この場で決めてもらう。我々も暇ではない。キミがやらないのなら、別の人間をスカウトに行くまでだ。キミをスカウトしようとしている理由は……来栖に関わっていた者だからだな」
「――――」
清水に考える間を与えさせないつもりなのか、詳細を語ろうとしない多々良は清水にこれからのことを尋ねてきた。
来栖の意思を継ぐ、それは清水が目指していた夢の達成に近づくということだ。
これを逃せば次は無い。暗にそう言っているかのような誘惑に、清水は喉に唾が溜まる。
どうしたらいいか清水には答えが出せない。
こんな形で来栖の後を継ぐことが清水の望みでなかったからだ。
そもそも、来栖が何をしていたかなんて清水には知る由もないことだ。
本当にそれが、清水にとって最適な未来に繋がるのか?
「――やはり、キミには難しい……か」
「え?」
「無粋な問いかけをして悪かったね。ここで話したことは忘れてくれ。私達はそこにあるパソコンを回収しにきただけだからね。それじゃあ――」
「ま、待ってくれ!!」
答えを出さない清水に痺れを切らした多々良は本来の目的を遂行しようとして清水から目を離した。
咄嗟に清水は多々良の腕を掴み、そして、
「ん?」
「もう一つだけ……教えてくれ。来栖さんは……その、誰か……俺が知らん奴を守って、死んだん、かな?」
「――そうだ」
迷いなく、それが嘘ではないと言い張るように多々良はそう返した。
それを聞いて、清水もようやく心の荷が少し降りてくる。
「やったら……俺は、俺は来栖さんの後を継ぐ。そんで、あの人のように誰かを守れる人間になりたい!」
痛いのも、死ぬことも清水にはごめん被りたい話だ。
でも、それでも――清水には夢があった。
いつか来栖のような、誰かを守れるカッコいい人間になりたいという夢が――。
「……そうか」
「え、ええやろ?」
「私が上に掛け合うよ。しかし、覚悟はしていてくれたまえよ? キミ以外にもスカウトされた似た年齢の子達もいる。ある程度、人を殺す覚悟を持ち合わせているであろう人材だ。キミはその中でもスタートダッシュを切れていない側の普通の子どもだ。普通の才能だけでは、あの部隊ではやっていけない」
「関係……ない」
清水にとっては、来栖がいた部隊が普通ではないことは重々承知の上だった。
だって、清水は言われたのだ。憧れの、尊敬していた来栖から言われたのだ。
「俺に失うもんはない。必要になるもんは努力して手に入れる」
「……ふっ」
目の光を取り戻した清水を見て、多々良を口元を緩めた。
清水としては言ってやったつもりだった。多々良にどう捉えられているのかは分からない。そんなことはどうだっていい。
見据える先さえ見えていれば、清水はまだ立ち上がれる。
いつか追いついてみせると心に誓った、あの人の背中に――。
△▼△▼△▼ △▼△▼△▼ △▼△▼△▼
敵は一体。目も閉じたくなる惨状が目の前にある。
三日間、共にいた者達の血が、亡骸が横たわっていた。
人の死を目の当たりにしたのはこれで何度目か。日本にいた時からすれば、もはや数えることも難しいものだ。
だが、今は全て忘れろ。自分の非を今は戒めるな。
心と肉体はここにある。思い出したくもないほどの努力を積み重ねて、ここに立っているのだ。
笠井修二よりも、出水陽介よりも、神田慶次よりも、清水勇気は誰よりも努力をしてきた自負はある。
才能なんてものは無い。無くたって、人は限界を越えられる。
「レイラ、俺の動きに足、合わせられるか?」
「どうした?」
「イエスかノーかで答えてくれ。いけるか?」
「――問題ない」
急に雰囲気が変わった清水の様子に違和感を示したレイラだったが、その質問自体が無用なものだとそう告げる清水に、レイラは簡潔に嘘偽りなくしてそう答えた。
それを聞いた清水は頷き、そして前を見据えた。
そして、
「行くで!!」
清水達に目を向けていないヴェノム・ダムナティオへと向けて、清水とレイラは全速力で走った。
少しでも歩く歩幅やタイミングにズレがあれば、その時点で転ぶことは必死だ。
それでも彼らはよろけることなく自然と走れていた。
その理由はレイラ自身にある。彼女が全力で歩く歩幅を合わせることだけに集中して清水のサポートをしていたのだ。
だからこそだった。レイラは清水のこれからやろうとすることは分かっていない。何をする気かが分からなくても、レイラは清水を信じて託した。
「おおおおおおおおおおおおおっっ!!」
真っ直ぐ、真っ直ぐだった。一切のフェイントもないただの猪突猛進。そんなめちゃくちゃな特攻を仕掛ける清水に、ヴェノムはすぐに気づいた。
「――ッッ!」
清水とレイラの猛進に、ヴェノムはハエを払うかのようにして左腕を振った。
たったそれだけの動作でありながら、ぶち当たりでもすれば清水達の身体は四肢が生き別れになるほどの威力であるそれを、清水達は、
「沈めろ!」
「っ!」
清水の声に合わせて、清水とレイラは同時に屈んだ。
そのおかげで、大きな身長差があったこともあって、寸前でヴェノムの振り払いを避ける。
そして、清水は真っ直ぐヴェノムの腰へと走り向かい、
「とどけぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」
手を伸ばし、清水の手がヴェノムの腰にある全員の足を拘束している留め具の鍵に触れた。
これさえあれば清水達は動きやすくなる。そう考えたが故の行動だったのだが、次の瞬間だった。
ヴェノムは腰を振り、その勢いで右手を使って清水達を吹き飛ばした。
「がっ!?」
「っっ!!」
互いに離れることも出来ない二人は受け身も取れずに砂地を転がった。
強烈な痛みが全身に走る。レイラは吹き飛ばされただけで済んだのだが、清水は直撃だった。
だからこそ、無事で済むわけがなく、
「し、清水……お前、左目が……」
なんとか立ち上がろうとしたレイラは、清水の状態を確かめたその瞬間に青ざめていた。
清水の顔面の左半分、皮膚が残らないぐらいに擦り切れ、左目が潰されてしまっていたのだ。
しかし、彼の残った右目はまだ光は消えていなかった。
清水は右手に掴んだ、吹き飛ばされた勢いと同時に離さなかった金属のリングに挟まっていた鍵束をレイラへと向けると、
「鍵を!! 解錠してくれ!!」
「っ、わかったっ!!」
自分の状況など後回しで、清水は唯一の生き残る可能性である鍵束を使って、レイラに互いの足を拘束してある拘束具の解錠を急ぐ。
そして、清水は両手でアサルトライフルを握り締めて、こちらへと接近するヴェノムへと銃口を向けた。
「らぁぁぁぁぁぁあああああああああっっ!!!」
痛い、痛くない。痛みなんて知るものか。
全身の痛みなんて全て忘れろ。生き残る為に、ここにいる者達を守る為に、全てを投げ打て。
きっと、来栖さんも似たような状況やった筈や。
命を投げ打ってでも、死ぬことを厭わん思いであの人は戦った筈や。
やから俺も逃げへん。絶対に!!
「解錠したぞ!!」
「っ! 避けろ!」
レイラが清水と繋がるそれぞれの片足の錠の解除に成功したその瞬間に、ヴェノムは清水達へと向けてぺしゃんこにする勢いで手を振り下ろした。
その攻撃を避けるために、二人はその場から左右それぞれに飛ぶようにして離れた。
「レイラ!! 俺がヴェノムを引きつける! その隙に!」
「任せろ!」
清水は銃撃でヴェノムの注意を引こうとして、レイラに隙を狙うように仕向けた。
具体的な策なんてものは二人の間で交わされていない。いなくても、レイラならなんとかしてくれると信じての清水の判断だった。
その意図を汲み取っていたレイラも判断が早かった。
清水が足止めをしている間に、武器が立て掛けられている後方の壁へと走る。
そして、レイラはある一つの擲弾を手に取り、そのピンを引き抜いて、
「全員、耳を塞いで口を開けろ!!」
擲弾を投げたと同時、この場にいる全員へと向けてレイラは指示を出した。
その意図を理解しないまでも、言われた通りにオーロラ、ルーク達は耳を両手で塞いで口を開けた。
そして、閃光と音響が同時に辺り一帯を轟かせた。
「――ッッ」
視覚と聴覚、その両方がいきなり奪われたヴェノムは何が起きたのか理解出来ていない。
レイラが投げた擲弾は世界各国の特殊部隊が扱う音響閃光弾だ。籠城をする立てこもりやテロリストに対して効果的なそれは、ヴェノムに対しても有効打となっていた。
そして、隙が生まれる。
「おおおおおあああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
よろめき、尻もちをついたヴェノムへと向けて、清水はジャンプし、ヴェノムの胸元へと飛びかかった。
鎧兜を被ったヴェノムには頭部への銃弾が通らない。
だから清水は一点のみを狙って銃口を定めた。
――筋肉の厚みが最も少ない首元へと目掛けてだ。
「くたばれやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
全ての銃弾を惜しまず、清水は引き金から指を離さなかった。
ヴェノムの首の肉を抉り、止まない銃声音が鳴り響き続ける。
痛みを感じないヴェノムには、今の状況がまるで理解できていない。
地面に転がっていることも、清水が自身の上に乗っていることも、今撃たれていることにもだ。
視覚、聴覚、痛覚の全てが無いヴェノムには、もう足掻く手段は残されていなかった。
次第に動かなくなり、ヴェノムは力を無くすようにしてその腕が地面に落ちる。
そして、勝った。清水とレイラ、二人のヴェノムとの決死の戦いに。




