Phase4 第三十三話 『地獄絵図』
時は遡り、まだアメリカ国内でモルフテロが起きる前の出来事になる。
ホテルのラウンジへと来ていた清水は、晩飯に関する話を聞こうと受付のスタッフと会話をしていた。
そこで聞くには、どうやらバイキング形式で二階の一室を使えるとのことだった。
「なんや、日本のホテルと雰囲気似てるんやなぁ」
どことなく、日本のホテルと似ている感じがした清水は、そう感想を漏らした。
ホテルに泊まった経験といえば、ある予定があってビジネスホテルに泊まったことがあるぐらいだ。
大した料理こそなかったが、朝食にしては量を自分で決められるというバイキング形式は個人的には好きであった。
「っても、あのデインゆう奴が文句言うかもやけどな」
デインが金による約束で行動を共にする以上、食事に関しても注文が多そうにも感じる。
まあ、そもそもアジアと北米では食事の文化の違いもある。
質より量を考えれば、それなりに満足してくれるだろうと考えて、清水は元の部屋へと戻ろうとエレベーターに乗る。
そして、部屋が乱立する通路へと歩いていた時だった。
「――? なんや、えらい静かやな」
受付に向かう時とは違い、今は何故か静かな雰囲気を感じ取った清水。その違和感は、通路に人が誰もいないことだった。
受付に向かう時は、数人の外国人が窓の外の風景見ていたりなど、賑わいを見せていたものだ。
それが、全くの何もない、どこかへ行ってしまったかのような静けさだけが通路に残っていた。
「そろそろ飯の時間なんかな? まあ、ええやろ」
大した問題だとは、清水は考えなかった。
たかだか通路に人がいないことなど、異常事態でもなんでもない。
だが、その些細な事態も視野に入れておくべきだっただろう。
椎名とデインがいる部屋の扉を開けた時、清水は気づいた。
「なっ!?」
中はもぬけの殻であり、誰一人としていなかった。
デインが着ていた上着はそのままに、それ以外の痕跡がどこにもなかったのだ。
「う、嘘やろ……どこにおるんや!?」
焦って探そうとするが、もう時すでに遅かった。
二人の姿は部屋のどこにもなく、完全な行方不明となっていたのだ。
これは、言わずと知れた異常事態だった。
「クソッ!」
自身が置かれた状況を、あの二人が知らないわけがない。
どう考えても、何者かによって連れ去られたことは明白だ。
清水が受付に向かってからここに戻ってくるまで十五分程、まだ近くにいる筈だと踏んだ彼は、ホテルの中を隈なく捜索した。
外に出なかったという彼の選択は、幸か不幸かで言えば幸に当たるだろう。
彼が捜索していたその時間帯、外では霧状に散布されたモルフウイルスが民衆を蝕んでいたのだから――。
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「な、何がどうなっとるんや……?」
外に出て、一番初めに出た言葉がそれだった。
ここはアメリカ、安全度で言えば、ネパールの比にもならない大国だ。
なのに、どうして――、
「なんで……モルフがおるんや!?」
それは、このアメリカで一番起こり得ないことだった。
そこらかしこにいるモルフ――、人の死体を動かし、人を襲おうと追いかけ回している。
人を食らい、感染させて数を増やす忌まわしき存在。嫌というほど見てきたあのモルフが、街中を闊歩しながらそこにいた。
「クソッ! 椎名ちゃんとデインはどこに……っ!」
こんな状況で、行方不明になった椎名とデインを見つけようとするのは至難の業だ。それどころか、自身の身すら危うい状況――なぜならそれは、
「武器も何もない……戦われへん!」
ネパールからアメリカへと向かう帰路で、清水は全ての武器を放棄していた。
それは、空港でのセキュリティチェックを抜けるための処置でもあったのだが、これでは仇となってしまっている。
ナイフの一つもない今の状況は、モルフからすれば格好の的なのである。
「――っ、逃げるしかない!」
清水の存在に気づき、ゆっくりと歩みを寄せてくるモルフに、清水は逃げる選択肢をとった。
今、襲われている人間のことを構う余裕なんてない。そんなことをしても、溢れ出るモルフに清水も襲われて死ぬだけだ。
プライドを投げ捨ててでも、自身の命を優先した清水は全速力で知らない街の道路を走っていく。
「どこや……どこに向かえばいい……?」
道標も、向かうべき目標が何もない清水は空虚に駆られる。
椎名とデインを見つけることはほぼ不可能。武器も持たない清水は、モルフを倒すという選択肢も取れない。
加えて、帰るべき道のりも分からない迷路の中を走っている状況なのである。
「まさか……この街の人間は皆……っ」
どこを走っても、視界に見えるのはモルフしかいない。
ここまで大規模なモルフテロは、かつての日本を彷彿とさせるほどだった。
あの時も、ねずみ算式に数が増えていくモルフを目の当たりにして、清水達をトラウマにさせた記憶は未だに新しい。
モルフの恐ろしさは数の暴力にあり、たとえ『レベル1モルフ』であろうとも、大軍で襲われでもすれば清水がどんな武器を揃えていたとしても不利になってしまうのだ。
「……こいつは」
ふと、走っている途中で目に入った一人の死体。恐らくはモルフに抵抗し、民衆を守ろうとして戦ったのだろう。警察官の遺体があった。
肩に噛み跡があるということは、恐らく感染したのだろう。放っておけば、いずれこの警察官もモルフになってしまう。
しかし、清水が反応したのはそこではない。
「……すまんが、借りるで」
警察官の腰に掛けられた、ホルスター付きの拳銃を拝借し、清水は手に取った。
それを自らの腰に装備して、拳銃だけは手に握ったままその場を離れようとした。
「武器は手に入れた。後は……」
弾数は限られるが、危ない状況になればこれで対処はできる。
後は、清水がこれからどうすべきかという点に限られる。
「椎名ちゃん達を見つけなあかんのに……クソッ!」
今思い出せば、なんと迂闊だったことかと後悔したくなる。
月島や板東が命懸けで繋いでくれた希望を、自らの手で無駄にしてしまったのと同じようなものなのだ。
そして、道路上を歩いていたその時だった。
車があちこちに散乱し、通る道も限定されたその周囲から、モルフになった人間達が清水へと近づいてくる。
「こっちくんなや!」
近づき、清水へと手を伸ばしてくるモルフへと、清水は足蹴りを食らわして距離を縮めさせないようにする。
まだ拳銃は使わない。使う場所が限定されるのもそうだが、このような状況で使用するのは後々になってリスクが高すぎるのだ。
幸いにして、知能がないモルフは車のフロント部分に乗り掛かろうとする形で接近する奴もいたので、上手く躱すことができていた。
感染して間もない『レベル1モルフ』なので、走ってこないだけまだどうにかできる。
「でも……数が多い!」
いつのまにか、モルフが狙いを定めていたのは清水のみであり、付近にいたモルフはその全てが清水目掛けて襲い掛からんとしている。
血に飢え、目がないにも関わらず近づいてくる者――腕がなく、今も傷口から多量の血を流しながらも近づいてくる者――全身に痛々しい裂傷を残したまま、痛みすら感じずに近づいてくる者。
見ただけで、悍ましささえ感じられるモルフの群勢に、清水は心に恐怖を抱き始める。
「こんなところで……死んでたまるかっ!」
体術だけではどうにも出来ないと判断した清水は、持ち手の拳銃の引き金を引いてモルフの頭を撃ち抜く。撃ち抜かれたモルフは、弱点である頭を狙われたことで動かなくなる。が、たった一体や二体を倒したところで、状況は好転などしない。
「クソッ!」
ライブに押し寄せる客のように、どんどんと数が増していくモルフ。とうとう、清水は拳銃を使ったとしても無理がある状況へと追い込まれてしまう。
このままではマズイ。一か八か、手薄な箇所を狙って走り抜けることを考えた清水だったが、
「――銃声?」
銃声音が鳴り、清水が狙っていた手薄な箇所にいたモルフが倒れる。
頭を一発、まごう事なき即死であり、モルフは地に倒れ伏した。
「走れっ!」
「――っ!」
声が聞こえ、清水は言う通りに走った。
近づくモルフの顔面を殴り、噛まれないよう細心の注意を払いながら、清水は囲まれるという絶望的な状況を回避した。
そして、声がした方向を見ると、
「止まるなっ! こっちだ!」
「あいつは?」
清水を助けようと援護射撃をした人物、その者は一軒家の屋根にいて、そこからライフル銃による精密射撃で清水の近くにいたモルフを一体ずつ殺し回っていた。
すぐさま、清水はその者がいる一軒家の門を開けて、鍵を閉める。そうすることで、モルフの侵入を完全に防ぐことができた。
「ふぅ……一難は凌げたな。それより……あいつは?」
とりあえず、危険は去ったことを認識した清水は、一軒家の屋根の上を見た。助けてくれた人物は、ライフル銃を手に持ったまま屋根から飛び降りる。そして、清水と顔を見合わせると、
「危なかったな。奴らに噛まれてないか?」
「あ、ああ、大丈夫や」
「そうか……噛まれているのなら私はお前を殺さないといけなかったからな。……なぜか、奴らに噛まれた者は奴らと同じようになってしまう。まるでゾンビだ」
「――――」
そう言って、門にしがみつき、いまだに清水達へと手を伸ばそうとしているモルフを見るその女性は、軽蔑した目を向けていた。
セミロングの髪の長さに色は茶髪なその女性は、慣れた手つきでライフル銃に弾丸を装填させていた。
「さっきは助かったで。危うく死ぬところやった」
「いいさ、貸し一つってところでな。それよりも、よくこの地獄絵図な状況で生き残っていたな。さっきの身のこなし……お前は元軍人か何かか? いや、まだ若いところを見るに非番の軍人か」
「当たらず遠からず……やな。俺は日本の軍人や。色々あって、こんな場所まで逃げてきたんや」
「日本人……か。となると、奴らを見たことはありそうだな」
「……せやな。もう出会いたくはなかったけど」
日本人であることを知って、真っ先に出てくる言葉はそれだろう。実際、清水は見飽きるほどにモルフを見てきている。
「まだあの感染段階なら大したことはない。もっと厄介な奴になれば、俺でもどうにも出来へんからな」
「……詳しい話を聞こうか」
「ええで、俺は清水勇気。あんたは?」
名を聞き、女性は清水と目を合わせてこう答えた。
「私の名はレイラ。あなたと同じ、非番の軍人だ。――この先にセーフポイントがあるから、そこで話をしよう」
「ああ、分かった」
レイラと名乗るその女性は、自らが軍人であることを隠すことなく清水へと伝えた。
そして、レイラは一軒家の先にある狭い道へと歩いていく。それについていきながら、清水は警戒を緩めないまま後をついていく。
これだけの障害物があっても、まだ安心はできない。例えば、『レベル4モルフ』がいたとすれば、奴は壁なんかを平気で乗り越えて襲ってくる。
上からの奇襲も十分に考えられた清水は、銃を手に構えたまま歩いていた。
「良い警戒心だな。半端な訓練は受けていないらしい」
「……それでも、俺はあん中じゃあ落ちこぼれみたいな立ち位置や」
「軍人に才能なんてものは関係ない。要はどれだけ忍耐力があり、努力ができる人間かどうかだ。才能がある者は特殊部隊に派遣されているぐらいだからな」
「……一応、褒め言葉として受け取っとくわ」
素直に褒められていると受け取れなかった清水は、レイラのその言葉に困惑を示していた。
自分でも、なぜ軍人なんかになれたのかを分からなくなる時がある。修二のように、射撃のスキルが高いわけでもない。出水のように、卓越した状況判断力があるわけでもない。神田のように、高い身体能力があるわけでもない。
だから、清水は誰よりも努力するしか道を切り開く術がなかったのだ。
結果、臆病者のように警戒心を高める以外に場を切り抜ける術しか考えを持てなかった。
「ここだ」
レイラが指を差した先、そこは一見すれば、物置小屋のように見える。
しかし、中に入ってからレイラが床板を指でなぞると、それはすぐにでも分かった。
「地下……」
「そうだ。大した広さじゃなかったが、この中にシェルターがある。ここに住んでいた奴はよほどの保守派だったようだな。この為だけに金を使い込んだ節さえ感じられる」
確かに、それは清水も同感だった。
土地面積的にも普通のこの場所で、さほど大きくもない一軒家。貧乏人ではないにしても、大金持ちとも言えないような造りをした外目をしている。
恐らくは、ここの所有者は核戦争でも予期していたのかもしれない。
「中に人は?」
「いない。……というより、もう死んでいる。私がここに来た時には、家の中で化け物としていたよ」
「……そうか」
こんな事態であれば、真っ先にシェルターの中に避難していそうなものだが、どうやら無理があったようだ。
だが、清水が気になっていた部分もある。
「なんで……何があって感染したんやろな」
「感染……か。確かモルフウイルスといったか。聞くには空気感染はしないと言われていたが、今回のテロ、腑に落ちない点が多すぎる」
「多いって、何がや?」
清水の問いかけに、レイラは手に持つ一枚の紙を見ながら、シェルターの扉に取り付けられたパスコード式のロック画面に数式を入力して、
「ここまで大規模な感染者がいて、感染している者としていない者、その差は何なのか? そもそも、どうして私とお前は感染していない?」
「俺は……ホテルから出たら、気づいたら外の奴らがそうなってた」
「私もモールで買い物をしていた。……やはり、外にいる人間だけが感染した、ということか」
レイラは、清水と自身の当時の状況を確認して、すぐにその答えを割り出した。
どの時間帯にそうなったのかは分からない。だが、これだけの大規模な感染者がいたということは、外を出歩いていたからという理由ならば、納得がいく。
「じゃあ、やっぱり空気感染したということなんか? でもおかしいやろ、モルフウイルスは噛まれてしか感染せえへんねんぞ?」
「改良されたか、あるいは別の方法で何かしたか……前者の可能性が高そうではあるがな」
「……冗談きついで」
空気感染まで出来るようになったのであれば、もはややりたい放題できる状態だ。
ただでさえ、感染力が半端じゃないモルフウイルスをそうさせた連中がいるということだ。ハッキリ言って、頭のネジがぶっ飛んでいるとしか考えられない。
「腑に落ちない点はそれだけじゃない。そもそも、このアメリカでどうやってそれをばら撒いたのか。後で外に出た私達が感染していないのはなぜか? もう死んでしまったが、生き残りの一般人に聞けば気になることを話していたぞ」
「なんやそれ?」
「私達が屋内にいた時間帯、外では空に無数のヘリが飛んでいたとのことだ。恐らく……」
「ヘリからモルフウイルスを散布させた? それって……」
清水が自身の推測を言葉にしようとした時、レイラは続けてこう答えた。
「アメリカ国内に、それも上層部にスパイがいると思われる。ヘリからばら撒いたのは、テロ組織の連中だろうな」
「――ふざけやがって」
それが本当であれば、なんてことをしてくれたのだと、ぶん殴ってやりたい気持ちになる。
何の罪もない一般人を感染させ、死に至らしめたという事実は、普通の感性を持つ人間には到底出来ない。
思ったよりも、敵組織の手が入り込んでいたという状況に、笑えない気持ちになっていた。
「私としても落ち着いているわけではない。旦那が生きているかどうかも……分からないのだからな」
「……そうなんか」
「今は生きることが先決だ。その上で情報を共有しておこう。あの化け物……モルフには感染段階があると聞いた。資料でしか見ていないから深くは知らないのだが、どうなんだ?」
状況的に見れば、レイラも家族のことを心配している様子だ。その上で、彼女は冷静に行動しようとしていた。
その落ち着きように、清水は頭をガシガシと掻くと、
「せやな……そりゃそうや。俺だけが困ってるわけじゃない」
「――?」
「モルフの情報なら何でも教えたる。あいつらを身近で見て、戦った経験もあるからな。いいか、よく聞けよ?」
椎名とデインを一刻も早く見つけだして、なんとか日本人のいるあの場所へ連れ帰らないといけないこと。そのことは口に出さず、清水はレイラへとモルフウイルスの感染段階の情報を伝えた。
今、外にいる『レベル1モルフ』が変異したらどうなるか、その先の情報は、全てを伝えるのに十五分程だった。
「――なるほどな。想定していたよりもかなり状況は切羽詰まっているらしい。となれば、私達にも時間がない」
「どうするんや?」
「一刻も早く、この国の軍隊に匿ってもらう。それしかないだろう」
「ここなら安全じゃないんか?」
このシェルターなら、モルフに襲われる心配はほとんどない。食糧も、中を見ればそれなりにあることは分かっていることだ。恐らくは、この事態が沈静化されるまでなら余裕で保つことは出来る上で、清水はレイラへとそのことを聞く。
しかし、彼女は、
「私は……旦那のことが心配なんだ。この場所で一人、安全を享受するなんて、受け入れられない」
「――――」
「だが清水、私はお前がここに残ることを止めはしない。これは私個人の問題だからな。だから、ここにお前を案内したんだ」
「……へっ!」
わざわざシェルターへと案内したのも、清水に選択を委ねる為だったのだ。
その思いやりの深さから見ても、レイラの優しさが垣間見える。
しかし、清水にとってはレイラと同じ気持ちだった。
「俺にも探さなあかん人がおる。こんなところで腐ってられへんわ。人手は多い方がレイラも嬉しいやろ?」
「ふっ、それもそうだな」
レイラの本音を聞いて、清水の本音を聞いて、互いに笑った二人は、シェルターから出て先に進むことを決意した。
「そうとなればさっさと行こう。ここで時間を潰せば、奴らの感染段階が上がっていくだろうからな。清水、これを使え」
「おっ?」
「SMGだ。心得は?」
ちょうど、両手で扱うことができるサブマシンガンを渡された清水は、ニヤッと笑みを浮かべて、
「俺の得意分野や」
そう告げて、扱いに慣れていることをレイラへと告げた。
そして、彼らはシェルターを抜けて、先へと進んでいく。
向かう先はレイラが地図で示した場所――ワシントン州の軍事施設だった。
Phase4に関してですが、前回でもあとがきで説明した通り、見る人が分かれる内容になってきます。
というのが、描写がこれまで以上にグロテスクになってしまうのと、胸糞悪いシーンが多いからです。
キャラの性質上、仕方ない部分だったのでそのまま作成途中なのですが、あえて先に報告しておきます。
余談ですが、このPhase4で最終章は折り返しになります。リアムの向かう先がどこなのかとか、クリサリダのボスが誰なのかとかは若干ですが分かるように既に散りばめていたりします。閑話を組み込む予定でもあるので、出水や神田の話もそこで入れていこうと検討しています。




