Phase3 第三十二話 『心臓の高鳴り』
レオは元々、クリサリダの組織の中では新参者の立ち位置であった。
彼が組織に身を置くきっかけになったのは、日本がモルフウイルスのテロによって壊滅した少し後のことだ。
彼の出身はブラジルで、生まれはリオデジャネイロだった。
名前だけ聞けば、そこまで悪い生まれではないように思えるだろう。しかし、実際は違っていた。
リオデジャネイロの市民は、実に四人に一人は貧困層であり、係争のある土地を不法占拠する形で建物が建てられていたりもする。
そういった貧民街のことを、ブラジルではファベーラと呼ぶのだが、レオもその中の一人だった。
しかし、彼の人生はさほど困っていたようにはなかった。
人種差別など当たり前のこの地域で、彼はある種の地位を確立させていたのだ。
簡単な話、それは人殺しだ。彼はコレクターで、銃やナイフなどの様々な種類を集める趣味を持ち合わせていた。
報酬は国の兵士が持つような多様な銃器。ギャングとの間で交わされた取引で、レオは指定された人間を殺すことによってそれを得てきた。
互いにとって、これほどメリットのある取引はなかっただろう。レオにとっては、金なんてものはさして興味がなく、相手を殺す為の武器さえあれば満足できる環境にあったのだ。
食い物に関してだって、殺して奪えば大した脅威にはならなかった。
この下級階層で人が死んだところで、人民軍や公安局は動きなどしない。人権なんてものは忘れられたこの地では、むしろ移民の数を消してくれることに感謝する者だっている。
普通の人間にとっては厳しい環境下の中でも、レオにとっては裕福な暮らしそのものだった。
しかし、その暮らし自体、長く続いたわけではなかった。
ある日、レオにとっては最悪とも呼べる事態が起こる。
レオの取引先相手でもあるギャング一味、その連中が何者かによって全滅させられる事件が起きたのだ。
偶々、その取引途中に居合わせていたレオは不運としか言いようがない状況だっただろう。
建物は火の手が回り、逃げ道もない状況だ。鼻が効くレオは、周囲に転がるギャング一味の焼死体の上を歩きながら、なんとか出口を探そうとしていた。
「おや、まだ生き残りがいたか」
周囲一面がオレンジ色の炎で吹き上げる中、その燃える炎の中を歩く男がいた。
その男はレオを見据えて、ゆっくりと近づいてくる。
「弱き者を貪る弱者共……いや、キミは少し違うな?」
それは、自身の周囲にいるギャング一味の焼死体のことを言っていたのだろう。
銀髪をたびなかせ、優しささえ見える表情を浮かべながらこちらへと近づくその男を見たレオは寒気を感じた。
周囲に燃え広がる炎は気持ち悪い汗を呼び起こし、体温が上がる一方にも関わらず、レオの体の内側は氷点下のように寒い。
それは、この男から発せられる妙な威圧感と殺気がそうさせていたのだ。
「――っ」
「おや、立ち向かうつもりかな? 随分と珍しいな、私を前にして臆せぬ人間は」
「かぁぁぁっっ!!」
レオは銀髪の男へと飛びかかり、持ち前の銃とナイフでもって殺しにかかった。
生物由来の本能というやつだろう。殺らなければ殺られる。その結果を防ぐためにも、レオは銀髪の男へと立ち向かった。
だが、結果は火を見るより明らかなものだった。
レオの持つ全ての武器は封殺され、使い物にならなくさせられたのだ。
加えて、レオには一切の傷を負わすことなく、武器破壊だけを銀髪の男は集中して行ったのだ。
――力の差は明確、打つ手を失ったレオはその場で倒れ込んだ。
「くくく」
「何が可笑しいんだい?」
どう足掻いても死ぬしか残っていない最悪の状況で、レオは笑った。
それは高らかに、それはヤケクソに、それは狂気染みていただろう。銀髪の男の問いかけに、レオは恐怖の感情もなく、ただこう答えた。
「嬉しいんだよ。俺はきっと、きっとこんな死に方を求めていたんだ! 強い奴と戦える、ただそれだけを生き甲斐としてきた。さぁ殺せ! 俺にもう悔いはねえ!」
レオの生き方、それはただ強い相手を求めていたことだった。
強さだけを求め続けて、我流のままに人を殺め続けて、そして生き続けてこられた。
それが通用せず、全てを出し切った上で死ねるなら本望。だから、レオは銀髪の男に殺される為に両手を地につける。
しかし、銀髪の男は目を細めた状態でレオを見つめ、こう言った。
「戦いに生き、戦いに死ぬか……。面白い、ならば……お前の死に場所はここじゃない」
「は?」
「強い相手を求めているのだろう? ならば、私が世界の広さを教えてやる。私が作る新世界を前にすれば、嫌でも死に場所なんてものは作れる。最も、その前に死ぬことがなければだがね」
銀髪の男、リアムと名乗ったその男はそう言って、レオへと手を差し出した。
敗者は勝者に逆らえない。どれだけ悪党であろうと、どれだけ価値観が合わない相手であろうと、勝ったものが正義だ。
その言葉を聞いて、レオは心が躍った。
この男が作る世界、それに期待を寄せて、レオは二度目の人生を生きようとした。
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サクが倒れる。雪丸がその体を抱きしめて倒れないようにしたが、その体は重かった。
力は完全に抜け、手に持っていた銃も地面に落ちてしまっていた。
「サク……サクッ! おい!? しっかりしろ!」
「そんな……」
雪丸の声に、サクは応答しない。
首元からは血が流れ落ち、目は焦点が合っていない様子だ。
神田はそれを見て、手を震わせていた。
「おいおい、一人死んだぐらいで隙を見せすぎじゃねえか? どこまで俺を落胆させるんだよ、神田慶次?」
「がっ!?」
レオの存在など蚊帳の外であった神田は、レオに腹部を蹴られて後ろへと吹き飛んだ。
銃剣で斬ればいいものをあえてそうしない。そのやり口に、レオの本性が垣間見える。
「おい、おいっ!? サク! 嘘だろ……なぁっ!?」
「とっくに虫の息だよそいつは」
「っ」
「まだ死んでねえが、もう手遅れだ。頸動脈ごと完全に断裂されている。そいつが死ぬまであと数分というところか?」
「――黙れ!」
「黙らねえよ、なぁ、今どんな気持ちだ? 本当ならお前が死んでいた筈なのに、そいつに庇われた気持ちは? 悔しいか? 憎いか? どっちなんだよほら?」
わざと煽り、雪丸の怒りを買う為だけにレオは雪丸の頭を軽く叩いた。
圧倒的怪物を目の当たりにして、勝ち目のない敵だとしても、雪丸は拳を握った。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
「遅えよ」
レオへと向けて、拳でもって殴り掛かろうとした雪丸。当然ながら、今更そんなものがレオに当たるわけもなく、手首を握られる形で止められてしまう。
「力不足だよなぁ? 悔しいよなぁ? 弱い奴は誰も守れない。だから弱い奴から死んでいく。こいつはそれを分かっていて、お前を生かしたんだろうなぁ?」
「お前に……お前がサクを語るんじゃねえよ!」
「だったら俺をさっさと殺してみろよ」
「ぐぁっ!」
顔面を殴られ、その勢いのまま後ろへと倒れる雪丸。
岩をも砕く破壊力を持った拳だ。雪丸はその場に倒れ込んだまま動かない。
「よくも……よくもやってくれたね!」
「次は女か? お前はさっきよくも俺を水の中に落としてくれたよなぁ? おかげであったまった体が台無しだぜ」
「ふざけたことを……っ」
「真面目に話しているつもりだぜ? それともまともに会話してほしいならもっと追い詰めてみろよ、だから会話にもならねえんだろがよ!」
「ぐぶっ!?」
サブマシンガンによる銃撃を、レオはジグザグに動き回り、超スピードで回避しながら一気にミナモの懐へと接近、その足でミナモの持つサブマシンガンを蹴り上げ、もう片方の足でミナモの左肩へと蹴りをぶつけた。
そして、抵抗する余裕もなく、縦に取り付けられていた鉄の棒へと背中からぶつかり、ミナモは崩れ落ちた。
「さて、残るはお前一人だが、お前は何もしてこないのか?」
「ひっ!?」
「存外、お前は気に入っていたんだけどな。蓋を開けばそんなもんか。なぁ足手纏い? お前は仲間が死んで怒るわけでもなく、ただ自分のことに必死なだけか? なぁ?」
尻餅をついて、レオへと畏怖の目で見つめ続けるだけの不知火。そんな状態を見たレオは、深くため息をついて不知火へと悪態をついた。
「どいつもこいつも俺を失望させやがる。仲間一人死んだぐらいで崩れるだぁ? お前ら、どれだけ弱いんだよ!?」
周囲を見渡し、倒れて動かない者達を見ながらレオはそう吠えた。
誰も、誰一人反応しない。本当は反撃したい、殺してやりたい気持ちは十分にある筈なのに、誰も立ちあがろうとしない。
その絶望的な状況は、全員が同じ感覚でいた。
――誰も、誰にもこいつは殺せないと。
「……はぁ、そうかよ」
今までの楽しげさえあった表情は一転し、レオは不満そうに顔を歪めた。
そして――、
「最後だ! お前達が立ち上がらねえなら、この足手纏い女を殺す!」
わざと聞こえるように叫び、誰も立ち上がらないならば不知火を殺すと、そう殺害予告を打ち出したレオ。
当然、不知火に限らず、レオはこの場にいる全員を殺すつもりではいただろう。
あえてその順番の先が不知火であっただけだ。
「――所詮、こんなもんか」
「ひっ!」
「悲しいよなぁ? 俺もだよ、ようやく楽しめる相手と戦えると期待してみればこれだ。でも、お前達が弱いと分かったら、俺はもう手加減はしない」
不知火の元へとゆっくりと歩み寄り、銃剣を持つ手を硬く握り締めるレオ。それに相対し、不知火はサブマシンガンを握り締めるのみでその銃口をレオへと向けていない。
もはや、向けたところで何の意味もない。そう確信さえ持てるほどの脅威が目の前へと近づきつつあったのだ。
「ま……て……」
「んん?」
掠れた声を聞いて、後ろを振り向いたレオ。そこには、満身創痍の状態でいた神田慶次が立っていた。
「よお、立ってくれたのか? 嬉しいぜ――でもよ、今更お前に何ができる? 何を見せてくれる? 期待していいのか? なぁ?」
「……お前は」
「お前が何?」
「サクを……サクは……」
もはや何を言葉にしたいかも、神田は頭の中で整理がついていない。
何を言葉にしても、サクは帰ってこない。
心の中で、神田はある感情が芽生える。
それは、かつて静蘭が敵対暴力団に攫われた時の一幕と同じ――それ以上の感情だった。
「怒り方が分からねえか? 神田慶次」
「――――」
冷静になれと相反する感情が神田を抑え込もうとするが、それ以上に強い感情が押し寄せてくる。
握った拳を緩め、硬め、その感情のぶつけ先は分からない。
だが、その感情を表に出してはならないと、神田慶次は深く抑え込もうとした。
それこそ、逆転の目を潰すものと同じだ。
ここでその感情を剥き出しにすれば、必ずレオに返り討ちに合ってしまう。
だから鎮めなければならない。
鎮めて、鎮めて――。
「鎮め……られるか……っ!」
「くくく、それでいい! それでいいんだよ神田慶次!!」
普段は見せない、いつも仏頂面な神田の表情は鬼気迫るほどとなっており、その顔を見たレオは高らかに笑った。
「お前の怒りも! 憎しみも! その全てを俺にぶつけてこい! 全てを賭けて俺を殺してみせろ!」
「――っ!」
心臓は高鳴り、神田慶次は怒りの感情を剥き出しにしてその場から駆け出す。
それに対抗して、レオの神田へと向けて駆け出す。
超スピードではなく、人間が出せるギリギリのスピードを維持したまま、レオは神田へと接近する。
「はぁぁぁぁっっ!」
「ひゃはっ!」
『レベル5モルフ』相手に接近戦は馬鹿げているものだと、それを良く知る者からすれば誰でもそう答えるだろう。
だが、展開は少し違った。
神田慶次は銃による遠距離戦を避け、あえてケーバーナイフによる接近戦を選び、レオの懐へと迫る。
いきなりの首刈りを、レオは頭を下に避ける。そして、レオは膝蹴りを神田の腹部目掛けて狙うが、神田は空中に飛び、半回転してこれを避けた。
そのまま片手を地面につき、足払いを仕掛けて神田はレオの足を狙う。
「甘いなっ!」
その場で跳躍し、足払いを避けるレオ。地面に着地した瞬間、持ち手の銃剣を振り下ろし、神田の頭部を破壊しに掛かるが、
「っ!」
神田慶次は横に転がるようにして間一髪のところで避ける。
しかし、地面に倒れ込んでいるこの状態は神田にとって分が悪い。
当然、その隙を見逃さず、レオは避けられない速度で銃剣を横薙ぎに振るおうとした。
その瞬間、レオの視界は真っ白になる。
「がっ!?」
「ふっ!」
何が起きたのか、その一瞬では理解が追いつかず、追いつかないその瞬間を狙って神田の足がレオの顎を打ち抜く。
凄まじい音響の音も混じり、耳も一時的に聞こえなくなったことで、レオは理解した。
「意外とクレバーじゃねえか! 足払いの瞬間に閃光手榴弾を出していたとはな!」
「――――」
目も耳も使えなくなったレオは、銃剣を構えた状態でその場から動かない。
その一瞬に賭けて、神田はケーバーナイフをレオの心臓目掛けて突き刺そうとした。
だが、
「ちいっ!」
「まだまだ甘いな。モルフの弱点は頭から脊髄――そして心臓部分だ。それを優先的に守らねえと思うか?」
腕を頭部から心臓部分にかけて防御姿勢を取ることで、レオの腕にナイフが刺さる形でこれを受け止められてしまう。
痛みなんてものはレオには意味がない。むしろ、戦闘が加速していくことで、レオの気分は高まる一方だ。
「ようやく楽しくなってきた。目と耳は回復してきたしなぁ! ギアを最大限に引き上げるぜ!」
ナイフを引き抜き、レオはその場でバックステップをした。
神田からすれば、ここで退くわけにはいかず、さらにレオへと接近を試みようとする。が、
「っ!」
レオの姿が一瞬にしてその場から消えて、視界から消える。
決して見落としたわけではない。本当にその場から消えたのだ。
「俺のスピードは目で追いきれまい」
天井を、壁を蹴るような音が聞こえ、神田は四方を見渡す。
しかし、どこにもレオの姿が見えず、捉えきれない。
「俺よりも速い奴はいる。だが、『レベル5モルフ』を相手にする以上、分かっていたはずだろう? これが本来のスピードなんだぜ?」
そんなことは言われなくても、神田は分かっていた。分かってはいたが、実際に目の当たりにすれば既視感の一つもない絶望的状況だった。
何もしなければやられるだけ。そう考えた神田は、近接戦闘のみに集中するべく、自身が持つショットガンを手放した。
必ずどこかでレオは神田へと攻撃を仕掛けてくる。視界に入る情報の全てを見逃さず、神経を研ぎ澄ました。
そして、後ろから地を蹴る音が鳴る。
「っ!」
後ろからの攻撃。そう読んだ神田は、後ろも見ずにナイフを振り回す。
しかし――。
「フェイクだよ」
振り回した直後、それとは逆の方向から声が聞こえて、レオの狙いが絞られる。
やられた――。レオは神田の癖を見抜いた上で、裏の裏をかいてきたのだ。
避けることなどできない。神田には見えていないが、レオの銃剣が神田目掛けて振り下ろされようとしたその時であった。
「ごばっ!?」
レオの顔面にぶち当たる蹴りを受けて、レオは地面を転がるようにして吹き飛ぶ。
神田からすれば、何が起こったのかわからない状況だ。
そして、その理由はすぐに明らかになる。
「ははは……内臓潰した感触はあったんだけどなぁ? なんで動けるんだ? 女ぁ!?」
「無事……神田君?」
颯爽と駆けつけたのは、レオに勢いよく吹き飛ばされた筈のアリスであった。
彼女は腹部を鉄球を振り回すがごとき威力で蹴られ、なおそれでも立つことが出来ていた。
「大丈夫です。アリスさんこそ……」
「私は対人戦闘を想定して耐衝撃材を組まれたものを着ているの。……まあそれでも大ダメージには違いないんだけどね」
「ははっ! 対モルフじゃなくて対人戦闘用だと!? まるでこの時の為にあるようなもんじゃねえか! 女ぁ、てめえは合格だぜ!」
「私の名はアリスよ。それと、もう余裕を見せない方がいいわよあなた。――本気でいくわ」
「やってみろよ! 本気ってなぁ、最初から出しておけや!」
煽るようにして叫び、レオは地を蹴って真っ直ぐにアリスへと迫ろうとする。
「神田君、サポートお願い」
一人ではなく、二人で戦おうと、アリスは神田へそう指示を出した。
神田も当然ながらサポートする気ではあり、言葉ではなく頷くことで返事を返す。
「――三分」
直立姿勢のまま、アリスはそう呟いてみせた。
神田もよく知るアリスのそのルーティンは、アリスが戦闘に完全に集中する時に使われるものだった。
「ひゃはっ!」
閃光の如き速さでレオはアリスへと接近していく。
しかし、アリスは身じろぎ一つせず、待ちの姿勢を崩さない。
レオの銃剣による刺突が、アリスの腹目掛けて貫こうとするその三メートル手前だった。
アリスは膝を曲げ、垂直にジャンプした。そして、銃剣の刃先とアリスの足先が接触した瞬間であった。
そのタイミングが火蓋を切り、レオはアリスを殺そうと銃剣を振り回していく。
「――っ!」
対するアリスは空中から地面に降り立つことなく、足技だけでレオの銃剣による攻撃を捌いていた。
「曲芸かよっ!」
一度でも当たれば致命傷になりうるレオの銃剣の攻撃を、アリスは避けるわけでもなく足技で受け流すことで対処していた。
傍目から見れば、曲芸の域を遥かに超えている。無茶苦茶な動きだった。
レオも手加減などしているわけではなく、本気でアリスを殺すつもりだった。それでも攻め手に欠けていたのは、アリスの柔軟な動きに対応出来なかったからに過ぎない。
「だが、いつまでも防戦一方でいるつもりか!?」
「そんなわけないでしょ――」
「なっ!?」
アリスとの一対一に夢中になっていたレオは、意識をアリス一人に集中させ過ぎてしまっていた。
その瞬間、レオの脇腹目掛けてナイフが突き刺さり、レオの体勢が崩れる。
「神田……慶次っ!」
レオの脇腹に刺さったナイフ――それは神田がアリスとの戦闘に夢中になっているレオの隙を狙って投げたものだった。
他の『レベル5モルフ』であれば、神田の投げナイフには対処できていたかもしれない。レオが対処できなかったのは、戦いを一途に楽しんでいたが故の隙そのものだった。
「はぁっ!」
「死ね!」
「――っ!」
体勢が崩れた瞬間を狙って、アリスがレオの首をへし折ろうと足蹴りを――神田はもう一本のナイフを取り出してレオの背中を狙って突き刺そうとする。
神経が体を動かすまでの信号には限界がある。
レオが対処しきれないギリギリの瞬間を狙って仕掛けた攻撃は、不可避に近いものだった。
そして――。
「な……めるなよっ!」
レオは避けることもできず、アリスの足蹴りを首の筋肉だけで受け止め、神田のナイフを防御もせずに受ける。
わずかに体を反らせたことで、心臓に刺さる筈だったナイフは肺の部分へと刺さりこんだ。
「こいつ……っ!」
「が、ぁぁぁあああっっっ!!」
叫び、レオは銃剣をなりふり構わず振り回してアリスと神田を吹き飛ばした。
幸いにして、余裕がなかったレオが振り回した銃剣は峰打ちで済む。が、それでも鋼の材質でできたそれを受けてしまった二人は無傷では済まない。
特に、レオの視界の範疇にいたアリスは顔面に直撃したことでまともに立つことさえもできなかった。
「もっとだ……」
肺にナイフが刺さり、呼吸器に影響を及ぼしている状況でレオは身震いした。
それは、自身が劣勢になりつつあることに焦っているわけではない。
ただ戦いを、この戦いを純粋に楽しんでいるが故の興奮状態へと移行して――。
「もっと俺を楽しませろぉぉぉぉぉっっっっ!!!!」
これだけやって、それでもレオはまだ戦いを終わらせない。
どれだけ死闘が長引こうと、彼の戦いが終わるのはどちらかが死ぬまで。そしてそれは、レオだけが考えていることではなかった。
「はぁっ……はぁっ」
極限状態の中、レオの前に立ちはだかったのは神田慶次だった。
アリスは意識を失ったのか、立ち上がろうとしない。
文字通りの一対一になったことで、レオは再び笑った。
「いいぜいいぜいいぜ!! こいよ!!」
「らぁぁぁああああっっ!!」
再生能力がある以上、神田には時間稼ぎも休むという選択肢はない。
体力の限界が近づきつつある中でも、神田はレオへと向けて全力で走り向かう。
「ひゃははははははっっ!」
神田に対抗する形で、レオは銃剣を握りしめて深く体を沈める。
それは、銃剣の軌道を読ませない為の予備動作だ。このまま真っ直ぐ神田が突っ込んでくれば、読めない速度で銃剣を振り抜く。
それで神田を殺そうと、そう考えていた矢先だった。
神田の後ろにあった、いつのまにか信管が抜かれた閃光手榴弾が圧倒的な光量でレオの視界を奪おうとした。
「同じ手を……食らうと思うな!!」
閃光手榴弾が光を生む直前、レオは目を閉じた。
無論、そうしたところで視界を奪ったという結果は同じ。しかし、レオは既に神田の動きを見ている。
どの程度のタイミングで攻撃を仕掛けてくるか、レオは見切った上で攻撃を仕掛けるつもりだった。
読めない速度で振るう銃剣。それはレオの予想通り、神田の懐へと迫ろうとして――。
「がっっ!?」
突如、脇腹に熱い感覚が込み上げ、レオは銃剣を振るう手の動きが鈍る。
閃光手榴弾が光を発して消えたその瞬間に目を開けた時だった。
神田慶次は銃を持っていない。ならばレオに銃弾を浴びせたのは誰か――。レオはこの場で一人、戦闘に参加していなかった一人の存在に気づく。
「てめぇか……足手纏い女!!」
レオの脇腹に銃弾を命中させた者、それは隅っこで座り込んでいた不知火だった。
彼女は手を震わせながらも、勇気を振り絞ってサブマシンガンの引き金を引いて、レオの胴体へと命中させたのだ。
「い、今です! 隊長!!」
「――っ!?」
千載一遇の好機を神田は見逃さない。レオの体勢が崩れ、反撃ができない一瞬を狙って神田は走るスピードを止めないままレオへと迫る。
――神経が脳から体へと電気信号を送るまでの時間には限界がある。
すぐさま対処しようと、レオが銃剣を振り下ろそうとしたその瞬間――神田のナイフがレオの心臓部分を貫いた。
「がっ!?」
目の前の現実に驚きを隠せなかったのか、レオは目を見開いていた。
自身の胸を貫き、人間とモルフにとっての弱点である心臓を貫かれたレオは銃剣を振り下ろせない。
そして、だらんと力が抜けるようにしてレオは銃剣を手放した。
「――見事だ」
レオを打ち負かした神田慶次へと向けて、レオはそう称賛を浴びせた。
神田はナイフを握る手の力を弱めて、柄から手を離す。
そして、後ろ向きにレオは倒れた。
「はっ……はっ……はは……なんてざまだ。俺は『レベル5モルフ』なんだぞ? ……はっ……そうか……」
「――――」
ゆっくりと死へと向かうレオは、何かを悟ったようにして天井を見上げた。
もう、レオには敵意の欠片も残っていない。それは、とても満足したかのような、豊かな表情を浮かべて、
「俺は……こんな死に方を……はっ……求めていたんだな……」
「――――」
レオは自身の結末に納得したような様子で、そう呟く。
戦いに溺れ、戦いに生き、戦いに死ぬ。それが、レオの望む生き方ということだった。
「もう……悔いはねえ……いや……一つだけ……あるか」
レオは薄れゆく意識の中、自身の最後の後悔を打ち明けようとする。
「クリサリダが撒いた種……それが羽化する瞬間を見れないこと……だな」
「――レオ、答えろ。お前の言うこの先に起きることとは何だ?」
「――――」
「答えろ! お前達のボスは誰だ!? お前達の目的は――」
レオが度々言葉にしていたこの先に起きうる最悪の事態、その詳細を尋ねようと神田はレオへと尋問をしていく。
しかし、神田の言葉は途中で途切れた。
なぜなら、レオは既に事切れてしまっていたからだった。
「……クソ」
結局、大した情報も得られないままにして全てが終わってしまった。
レオの言う羽化とは何のことか、不穏な雰囲気だけを残す形となって、神田は焦燥感だけを残していく。
「隊……長」
「雪丸……無事か?」
「ええ……ミナモも、無事です。それよりも――」
腹部を蹴られ、まだダメージが残っていた雪丸は地面を這うようにして神田へと呼びかけていた。
ミナモも同様、背中を痛めてこそいたが、歩ける状態ではあった。
そして、雪丸が何を言おうとしているのか、それを神田は理解して、
「サク……」
ナイフが首に刺さり、地面に仰向けの状態で倒れていたサクの元へと、それぞれの仲間達がゆっくりと歩み寄っていく。
そして、神田慶次がいち早くにサクの元へと辿り着き、彼の頭と背中を手で持ち上げると、
「サク……もう大丈夫だ。もう……終わった」
「ひゅー……ひゅー…………」
敵はもういないと、そうサクに伝える神田。サクは目の焦点が神田へと向いておらず、呼吸すらまともに出来ていない。
それを目の当たりにして、どういう状態かも頭では分かっている筈なのに、神田は――。
「もう大丈夫だ。帰ろう、ミスリルへ戻れば……きっと……助かる」
「隊長……」
「なぁミナモ、応急処置を……頼む。このままじゃ、サクはミスリルに辿り着くまでに保たない。手当てを……」
「――――」
「なぁ、頼むよ。もう終わったんだ。血が足りないなら俺の血を使ってくれても構わない。――ミナモ」
「隊……長っ」
神田の無為な頼み事に、ミナモは堪えきれずにポロポロと目から涙が溢れされる。
雪丸も、自身の無力さを嘆くようにして、皮膚が千切れんばかりに拳を握り締める。
「なぁ……どうしてだよ? 終わったんだ。もうレオはいない。なんでなんだ……なんでサクは……」
神田慶次がこのような感情を抱くことは、生きてきてほとんどなかった。
初めて部下を持ち、共に戦場を駆け抜けて、初めて知ったもの、それは自身の無力さとやるせなさだった。
「サク……」
もう一度、サクの顔を見た神田はそこで気づいた。
サクはもうほとんど意識が途切れかけているギリギリの状態、恐らくは耳もほとんど聞こえてなどいなく、神田が何を言っているのかも分かっていない筈。なのに、彼は神田へと目線を向けて――安心したような表情を浮かべた。
「――サクっ!?」
その表情を浮かべた瞬間、サクの体から力が抜けていった。
手に重たい感覚がのし掛かり、サクはもう瞼一つ……呼吸の一つもしなくなる。
その現実に、サクが死んだという事実に、神田は息を詰まらせる。
「……なんでだ」
胃の中のものが逆流するような感覚。口の中の水分はなくカラカラの状態で、歯はカチカチと震える。
手の平が熱く感じる。手足に力は入らず、瞼が熱い。
きっと、これは今までに神田が経験したことのない感情がせめぎ合っているのだろう。
「俺は……サクを……お前達を死なせる為に……隊長になったわけじゃない……」
自身の心情を吐露して、神田は頭をサクの胸元へと寄せる。
やるせない思い、自身の無力さ、仲間の死を目の当たりにして、神田が抱いた初めての感覚がそれだった。
「なのに……最後の最後で……安心……しやがって……っ!」
最後を見届けた神田慶次は、サクの胸元に顔を埋めて――涙を流した。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
三日目の夜が明け、アメリカ全土で巻き起こるモルフ騒動から四日目に入る。
生存者はみるみるうちに減っていき、比例するようにして増えていくのは行方不明者の割合であった。その行方不明者とは、死を確認できない者達――つまりはモルフになってしまった人間達だった。
アメリカ側も、事態を収める為に全部隊を派遣して、一部の地域はモルフを壊滅させることに成功させている。
だが、増え続けるモルフの総数は減ったわけではなく、各地では苦戦も続いている状態だ。
最新鋭の兵器さえ使えれば、この状況は意図も容易く覆せたのかもしれない。
しかし、生存者がいるかもしれない現状でそれをすれば、国際的な立ち位置でアメリカは不利に立ってしまう。グローバル化されたこの世界では、常に世界中から監視されたような状況のようなものだ。
そして、ある意味では均衡状態となった四日目――そこから時間は巻き戻り、モルフテロが起きた初日目のことだった。
「な、何がどうなっとるんや……?」
事態が呑み込めず、街中から聞こえる民衆の叫び声を聞きながら、一人の男は関西弁で口ずさむ。
そう、椎名真希とデイン・ウォーカーの行方が分からなくなり、一人捜索に出ていた者、清水勇気だった。
Phase3→Phase4へと移ります。
神田慶次編……まさかここまで時間が掛かるとは思わなかったです。
まだ自分の中ではマイルドな内容を書いた気はしています。Phase4は倫理観を捨てたような内容になってくるので、手抜きなしで進めていきたいと考えています。
そろそろ主人公の出番増やさないとなと思いつつも、中々タイミングが掴みずらい……。
時系列で言えば一日目に戻る雰囲気がありますが、清水編は一日目から四日目までの内容になります。
長さで言えば、各Phaseと同じぐらいを想定しています。




