Phase3 第二十六話 『逃げられぬ闇の中』
その場にいた誰もが、思わぬ乱入者に対して息を詰めていた。
不知火の決死の時間稼ぎのおかげで、どうにか一度は手放した装甲車の近くまで迫ることができた神田達であったが、そのギリギリ手前で現れたのは謎の大男。
顔面の半分を黒いマスクで目ごと覆ったその大男の表情は蒼白としており、人間とは思えない圧倒的な雰囲気は、神田達にとって味方とは思えさせない寒気を与えさせていた。
「た、隊長……」
「サク、下がっていろ」
「ど、どうするつもりですか?」
下がれと言う神田に、サクは戸惑っていた。
ただでさえ、モルフは集まってきていて長時間の滞在はリスクを伴う現状だ。不知火が時間稼ぎをしているとはいえ、あの六本足の化け物も部隊にとっては脅威そのものである。
そんな状況下で、次に現れたのがこの謎の大男だ。
敵か味方かで言えば、まず間違いなく敵で間違いないだろう。
しかし、サクだけではない、神田自身もこの状況に不自然な違和感を感じていた。
「モルフなのか?」
「え?」
「サク、不知火を連れてここから離れろ」
「は? い、いや、何を?」
「このままだと全滅する。俺が全員相手をして時間を稼ぐ」
あまりにも無謀な発言をする神田に、サクは頭で理解が追いつかない。
銃弾のストックもかなり使い果たしたこの状況で、神田は殿を務めるとそう言ったのだ。
どこからどう見ても、そんな真似をすれば死ぬことは必死だ。
「で、できないっす……」
「――――」
隊長の命令とはいえども、そんな無謀なことに協力はできないと意思表示をするサク。
そうこうしている間に、装甲車の上に立っていた大男は神田達の方向を見据えながら地面へと飛び降りる。
「っ!」
「サク、さっさと雪丸達と合流しろ。お前がいても足手纏いだ」
「な、何を言ってるんですか!? こんな奴相手に勝てるわけが――」
どうしても神田を見捨てないと言い張るサクに、神田は先に動きだす。
初動からトップスピードに乗った神田は、一気に謎の大男へと迫り寄り、その顔面目掛けて飛び蹴りを決め込んだ。
「た、隊長!?」
「ちっ……」
いきなりの奇襲に驚くサクだったが、神田は舌打ちをした。
普通の人間ならば下顎骨ごと粉砕できたであろうその飛び蹴りを喰らってなお、大男は平然と神田を見下ろしていたのだ。
しかし、それで止まる神田ではない。
「ふん」
飛び蹴りを喰らわせて地面に降り立ったと同時、神田ら右手のショットガンを構えて、ほぼゼロ距離射撃に近い形で大男の顔面へと銃弾をぶち込んだのだ。
全くもって無駄のない挙動の速さに、大男が反撃を考えていたとしても防ぎようのない攻め手になっていた。
だが、それでも――。
「き、効いてない……?」
頭部を破壊されてもおかしくないその一撃を、大男は怯むだけで致命打にはなっていない。
その異常な硬さは、先ほど交戦した六本足の化け物と同程度の外殻を秘めていた。
「――ッッ!!」
「っっ!!」
至近距離まで迫っていたことが仇となる。
突如、大男は叫び声を上げて、鉄のような武装をした右手を振り抜き、それが神田を真正面からぶつけて吹き飛ばしたのだ。
「隊長っっ!」
サクの声も届かず、神田は真後ろにあったビルの壁を破壊して吹き飛ばされる。
勢いだけでみれば、バットでボールを打った時の速度に近いだろう。それだけの威力で持って振り抜いた大男の一撃は、傍目から見れば即死に近いものだ。
「う、嘘だ……」
隊長を失い、茫然自失としたサクはガクガクと手を震わせながら壊れたビルの側面を見る。
神田の姿は見えないが、そこからの動きがないことから事態が切迫しているという事実だけがそこに残っている。
そして、動きのないサクへと向けて、大男はゆっくりと近づいてきていた。
「――――」
戦意喪失していたサクを殺すことは、大男にとっては簡単な話だった。
このままでは全滅する。客観的に見れば誰もがそう思う展開だったが――。
「サク!」
「うわっ!?」
サクの頭上へと振り下ろされようとする大男の右腕がサクの頭部を潰そうとした直前、全速力でダッシュしていたミナモがサクを突き飛ばし、あわや直撃を避けた。
「ミナモ……」
「何やってるんだ! 死にたいのかい!?」
「で、でも……隊長が……」
「見てたよ! だからって絶望するな! 隊長がいなくなっても私たちにはやるべきことがあるだろ!」
神田がどうなったのかも、全て知っている体でミナモはサクを鼓舞した。
なぜ、なぜそうも落ち着いていられるのか、それが分からないでいたサクには、ミナモの言っていることが理解できなかった。
「隊長に命を預けていたとしても、私達は私達だ! あの人の意志を、繋いだ命をこんな無様に散らせるんじゃない!」
「――っ!」
たとえ、司令塔がいなくなったとしても、それで終わりじゃない。
確かにそういったミナモの言葉は、サクの目に力を呼び戻させる。
そして。
「ミナモさん……後ろ、きてる!」
「くっ!」
そうこうしている間に、いつの間にか大男はミナモの後ろまで近づいてきており、その大きな腕を真上に振り上げていた。
妙な鉄の装甲を身に纏ったそれで、ミナモとサクごとアリを踏み潰すかの如く振り下ろそうとしたが。
「サク、ミナモ、立てっ!」
「ひえぇぇ……次は何ですかぁっ!?」
加勢にきた雪丸と不知火が持ち手の銃で大男を牽制し、僅かに動きが止まる。
その隙に、サクとミナモは大男の射程圏内から逃れる形で離れていく。
「状況は!?」
「雪丸さん……神田隊長が……」
「っ、分かった! ミナモ、お前は装甲車へ行け! 不知火とサクはサポート!」
「雪丸さんは?」
「こいつを足止めする! 急げ、どんどん集まってきてるぞ!」
会話をする余裕もない。周囲には、大男の存在だけでなくモルフや六本足の化け物と、手に負えないほどの脅威が迫りつつあったのだ。
もはや、神田のことを気にかけている余裕はない。
当初の作戦通り、装甲車を使ってここから一刻も早く抜け出すことを考えなければならない。
「いけっ!」
「了解!」
雪丸の声に呼応して、三人は一直線に装甲車へと向かう。
そして、大男とモルフ、六本足の化け物の三種は目標を雪丸へと狙い定める。
「ちっ、言ってはみたもののかなりキツイな……。けどっ!」
それが諦める理由にはならないと、雪丸はショットガンでもって手近にいたモルフへと発砲する。
この中で唯一、対処がしやすい相手へと狙いを絞ったやり方だ。
大男と六本足の化け物に注視しながら、なんとかして受け身にならないよう雪丸は猛攻を仕掛けていく。
「いやー、やっぱキツいかも……」
大男と六本足の化け物は走って近づきこそしないものの、それでもジリジリと互いの距離は縮まりつつあった。
倒したモルフの位置へと移動しながら、なんとかポジショニングを確保していた雪丸でも、このままではいつか限界がくることを悟っていた。
「雪丸さん! 乗りました!!」
「よしっ、ナイス!」
ミナモの声が聞こえて、彼らが装甲車を取り戻したことを雪丸は理解した。
即座にその場から走り、雪丸は助手席のドアを開けて中へと入り込む。
「だせっ!!」
「はいっ! あっ!?」
「どうした!?」
急ぎ、この場から離脱するべき状況で、運転手であるミナモは別の方向を見ていた。
その方向へと雪丸も見たと同時、彼も気づいてしまった。
「隊長……っ!」
このギリギリの状況下で、神田が崩壊した壁の奥から姿を現したのだ。
幸い、傷らしい傷はなく、どうやってあの攻撃から身を守れたのか、その理由こそ分からないまでも、生存していたことは喜ばしい事実だ。
しかし、どうあってもこのタイミングは非常に良くはなかった。
「クソッ! ミナモ、神田隊長をっ!」
「ダメです! その間に装甲車がやられてしまいます!」
神田を助けに行こうとしても、せっかく取り戻した装甲車にモルフが群がることで全ては無に帰すことになってしまう。
助けないわけにはいかない、しかし、かといって装甲車から降りるわけにもいかない。
どちらも選択しきれない雪丸は、決断にあぐねていたのだが。
「――隊長?」
雪丸が神田の方を見ると、彼はこちらを真っ直ぐと見ていた。
その眼光は鋭く、何かしらのアイコンタクトを取っていることだけは分かる。
そして、その意味も雪丸にだけは唯一届いていた。
――俺を置いて、先に進めと。
「……ミナモ、だせっ!」
「っ!」
雪丸の指示に従い、即座にアクセルを踏み抜くミナモ。そして、装甲車はけたたましいエンジン音を鳴らして前へと進んでいく。
生存者である神田を残して、だ。
「骨が折れていないのは奇跡だな」
部下を先に行かせたことを安堵しつつ、神田は自身の体の調子を確かめた。
あの時、大男の強烈な右腕による攻撃をダイレクトに受けてしまったのだが、神田は対策していなかったわけではなかった。
持ち手のショットガンを合わせることで、無理やり衝撃を抑え付けたのだ。
そうすることで武器を失うことになったが、背中への衝撃の痛みだけで済ませることができたのだった。
「ちっ、武器が少ねえ」
所持している弾薬には限りがある。
そもそも、この状況から助かる為には殲滅を優先させることなんて出来やしない。さも絶望的であるこの状況に対して、神田が出来ることは一つだけだった。
「……こいよ」
神田が取った選択肢。それは逃げの一手であった。
普段ならば立ち向かう姿勢の彼であっても、この状況は望むものではなかった。
そして、ビルの中へと逃げ込む神田に続いて、モルフと六本足の化け物がついてくるようにして追いかけてくる。
そこは、一度は六本足の化け物から逃れる為に入ったことのあるビルの中でもあった。わざわざそうしたのは、ビルの中にモルフがいないことを確認済みであったからだ。
袋小路にならずに済むことを知っていた神田は、迷わずビルの中に駆け込むという選択肢を取れたのである。
「今回は全員くるか。……上等だ」
先ほどは追ってこなかった六本足の化け物も、残された一人の人間を逃がさまいと追いかけてきている。
神田にとって、これは想定していない展開だっただろう。ビルの中に駆け込んだ理由は、戦う数を少しでも減らそうという考えあってのものだ。
「――――」
多対一の戦闘方法については弁えているつもりだ。
神田慶次の戦闘スタイルは、多人数を想定した動きをすることが多い。かといって、それは馬鹿正直にぶつかりにいくわけではなく、地を固めた戦い方でもある。
その一つが正に今の状況でもあった。
「人間を相手にするより楽なものだ」
モルフに視認されていようとも関係ない。神田は近くにあるケーブルを掴み取り、それを離れた位置から足元に引っ掛け、手榴弾の信管の取手部分にケーブルを巻きつける。
即席で作ったトラップのようなものだ。このようなもの、人間相手であれば引っかかる相手は世界のどこにもいないだろう。
しかし、相手が知能のないモルフであるならば話は変わる。
「――次」
焦る様子もなく、神田は事務的に罠を仕掛け終えた後、ビルの中の暗闇を駆け抜けていく。
追い詰められているという事実は何も変わらない。なのに、神田自身はこの状況に対して何一つ心配をしていなかった。
そうして、神田が仕掛けた即席のトラップであるケーブルに足を引っ掛けたモルフは、何も分からぬままに手榴弾の信管を引っこ抜き、周囲にいたモルフごと爆散した。
「――――」
たった数体のモルフを倒せたとしても、だ。まだ後ろには六本足の化け物と謎の大男がいる。
特に、あの大男については情報が少ない。そもそもモルフであるかどうかも分かっていないのだ。
だが、人間であるとも神田は考えていなかった。
それは、目の前で一度対峙した彼だからこそ分かったことだ。
「あの大男は……モルフに襲われていない」
本来、モルフとは人間を襲う生物でありながら、自身と同じモルフ感染者に対しては見向きもしない。
今、見ていても分かる通り、あの大男はモルフはおろか、六本足の化け物にも襲い掛かられていない。
これは、あの大男が人間ではないことを示唆していることを証明していた。
「ならばモルフか? いや……モルフならば、なんで腕にあんなものを付けて攻撃してくる」
知性のないモルフだとして、どうして腕にあのような鉄の装甲を身に纏っているのか。それも、ギリギリで受け身を取ったとはいえ、その鉄の装甲を武器としてぶつけてくるような奴だ。
とてもじゃないが、モルフであるともそうでないとも捉えられないのが正直な感想でもあった。
「……どちらにせよ、邪魔をするなら殺す」
どれだけ考えようとも答えが出せなかった神田は、それ以上は考察することもせず、今はこの場を制圧することだけを考えた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
一つをやり通せば、また一つ壁が立ちはだかる。
二つやり通せば、また三つ壁が立ちはだかる。
慣れたものだ。こんなことを幾ら繰り返せば、終わりが見えるのか。
神田慶次は元々、仲間想いでも何でもない、ただ冷徹な性格をしていた人間であった。
ヤクザの頭目であった父の息子として生き、腐った人間なんてものは何百人とも見てきた。
次第に、彼が信ずるものは血の繋がる一人の妹、神田静蘭のみだった。
一つ、一つ終わらせても、まだ終わらない。
二つ、三つ終わらせても、何も変わらない。
笠井修二はお節介な人間だ。一人でやっていくと決めた隠密機動特殊部隊の訓練生としていたにも関わらず、彼は訓練中に自身を犠牲にしてでも神田を助けようとした。
出水陽介は陽気な人間だ。正直、彼とはあまりノリが合わない部分もあったが、気を利かせようとするのか、進んでサポートをしてくれる。
清水勇気は……馬鹿という印象しかない。
ただ、神田は知っていた。清水のことは性格上はあまり好きではないが、気に入っている部分はある。
彼は部隊の中でも、一番の努力家であると知っていたからだ。
一つ……一つ……また一つ。終わりが見えない。
いつになれば終わる? いつになればこの戦いは終わる? 敵は誰だ? 誰を倒せばいい?
無限に続く地獄の中にいるかのような感覚。
そして彼はこのビルの中で、三十分にも及ぶ戦闘をただひたすらに繰り返していた。
「はあっはぁっ……」
電気もない暗闇の中、それがあれば周囲は血みどろの赤で染めらげられていただろう。
彼の周囲には、神田慶次によって殺されたモルフ達が多数転がっていた。
中にはあの六本足の化け物もいた。神田はあの強固な外殻を持つ六本足の化け物に対して、銃弾で対処するわけではなく、より硬いものをぶつけることによって倒すことに成功していた。
めちゃくちゃだが、工事区画にある鉄骨を滑り落とすことによって、重力に捻り潰されるようにして六本足の化け物は即死したのだ。
「まだ……だ……」
とはいえ、神田が無傷でここまでやってこられたのは、ほぼ無呼吸運動に近い形で動いてきたからにすぎない。
いくら体力があるとはいえ、武器自体が少ないこの状況では、弾薬を節約しつつ走り回りながらの戦闘になることは必至。
神田の目の前には、一番厄介ともされていたあの大男が立ちはだかっていた。
「俺が疲れ切ったところを殺す気だったか? だったら……ますますモルフらしくないな」
これまでの経過を見ても、この大男は積極的に神田を殺しに掛かろうとはしなかった。
どちらかといえば、様子を見ていたようにも感じられる。
獲物が弱る隙を待つカラスのように、漁夫の利を掻っ攫う動物のような本能。これが知性のないモルフだとは到底考えられなく、神田が考察していた部分の半分は当たっていたことを確信させていた。
「――――」
距離にして、約三メートルにも満たない距離。
神田は右手に握ったショットガンを離さなかった。
これまで、一発も撃たずに節約してきた大事な弾丸だ。あの量のモルフ相手にそこまでしてやった神田の異常な能力にも驚くべきところだが、今回は勝手が違い過ぎる。
「……やってやる」
もう、逃げる体力も残っていない。かといって、長期戦にもつれ込むのも神田にとっては敗北に等しいものだ。
できることは一つのアクションのみ。それで倒せなければ神田はここで死ぬ。
「ふぅー……」
息を吐き、肺の中の空気を全て吐き出した神田は、数秒息を止めた後に深く深呼吸をした。
心を落ち着かせる所作でもあり、呼吸法としても広く知られるものだ。
互いに動きはなく、相手の動きを見計らっているような状態が数十秒続く。
そして――。
「――ッッ!!」
先に動き出したのは大男の方だった。超重量である鉄の装甲を身に纏ったその腕を振りかぶり、神田の頭を潰そうとする大男。その攻撃に対して、神田は、
「ふっ!!」
右でも左でもなく、神田は前へと進んだ。当然ながら、その方向は鉄の塊の射程圏内。神田は滑り込むようにして大男の股下へと掻い潜ると、
『対人間であっても、対モルフであっても、絶対に崩せる場所はある』
それは、桐生大我から教えてもらったアドバイスであった。
はじめから神田の狙いは一つ。どんな敵であれ、二足歩行の相手に対して有効とされる部位、股下へと潜り抜ける途中で神田はショットガンを握りしめ、大男の片足へと銃弾を撃ち込んだ。
「――ッッ!」
思わぬカウンターに対して、大男は片膝が地面につく。
あの巨体を支えているのは主に足によるものだ。そこを撃ち抜くことで、動きを止めようとした神田の判断は上手いと言わざるを得ないだろう。
しかし、動きを止めただけで倒せたわけではない。
「ブオオオオオッッ!!」
「――っ!?」
ただではやられないつもりだったのだろう。大男は片膝がついた状態で鉄の装甲を身に纏った腕を振り、神田へと向けて振り下ろそうとする。
その攻撃に、神田は横に転がるようにして直撃を避けた。が、コンクリートの地面が破壊され、その欠片が飛んできたことによって、神田の体全体に鈍い痛みが生まれる。
「くっ……」
前述したが、神田慶次は既に体力の限界が近い。できることは一つのアクションのみ――その意味の通り、神田はもうその場から動くことさえ出来ない。
お互いに動くことが出来ない状況でありながら、ピンチなのは神田慶次の方であった。
「はぁっ……はぁっ! おい……」
まともに動くことも困難な中、神田は大男へと対して声を掛けた。
言葉など通じる相手ではない。そんなことは百も承知の上で、神田はこれだけは言いたかった。
「お前……俺が六本足の化け物を倒したのを見ていたよな?」
その問いかけは、言葉さえ通じていればイエスと返ってきていただろう。なぜ、そんなことを問いかけたのか?
その理由は、謎解きをする為でもあった。
「お前は一つ思い違いをしている……」
何の為に神田が縦横無尽に走り回ってきていたのか。何の為に罠を張り巡らし、弾を節約しようとしたのか――その理由は。
「俺が起爆させたのは……ただの一つだけなんだよ」
そう言って、彼は足元にあるケーブルコードの束を手で引っ張る。
そして、ピタゴラスイッチのようにして全てのトリガーが引かれることとなった。
真上にある罠として仕掛けていた全ての手榴弾の信管が抜かれ、大爆発が巻き起こったのだ。
「――――」
一見して、それが何の意味を為すのか大男には分からなかっただろう。
しかし、分かったところで意味のないことだ。
神田が大男の片足を撃ち抜いたことによって、大男は機動力を失っている。
つまり、これから起きることも避けようのないことだったのだ。
爆発が巻き起こり、その余波によって組み立て段階であった支柱が崩れ、真上にあった鉄柱が雨のようにして落ちてくる。
その範囲は大男のいる場所だけでなく、神田のいる位置も同じくしてだ。
当たれば即死の鉄の雨が降り注ぎ、轟音と砂煙が辺り一帯を埋め尽くした。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
「――がはっ!」
砂煙が収まり、周囲一帯が鉄の柱が刺さった異様な地帯で神田慶次は咳き込んだ。
正直、死ぬ可能性については十分に高いものだっただろう。あの方法は最終手段で、あわや道連れという選択肢を取ったに過ぎなかったのだ。
しかし、神田は生きていた。
ギリギリ寸前で鉄骨は神田の側へと刺さり、直撃を免れたのだ。
「……あの大男は死んだか」
対して、大男の方は悲惨なものだった。
頭は鉄骨によって踏み潰されるようにして原型を失い、右胸と左足にも鉄骨が刺さっている。
あれがモルフであったとしても、即死であることは見て取れるのであった。
「くっ……」
危機は脱した。とは言っても、神田もすぐに動くことは出来ない。
かつては隠密機動特殊部隊の中でも一番の体力の持ち主であった彼だが、その限界を飛び越えてまで動き続けたことの反動は重くのしかかってきていた。
「早く……あいつらの元へ……」
「ふー、へー? ヴェノム倒すなんて凄えじゃん、お前」
まるで、はじめからそこにいたかのように話しかけられたことで、神田の身は硬直した。
見れば、すぐ近くの地面に刺さった鉄骨の上に座り込む妙な男がいた。
背中には珍妙な銃火器を背負い上げており、明らかに軍人とは思えない身なりをしている。
「誰……だ?」
敵か味方かも分からない神田は、何者かと男に問いかける。
その問いかけに対して、男は口元に笑みを浮かべた。
正常な思考判断なんて今の神田には出来るわけがなかった。
そもそも、あの大男の名前を知っている時点で気づくべきだったのだ。
この男が敵か味方かなど――。
「俺の名はレオナルド・ヴィクター……あー、長えからレオでいいよ。『レベル5モルフ』なりたてのウブの新人だ。よろしくなっ!」
本当に、本当に正気なのかと疑うぐらいに、レオと名乗る男は自らを『レベル5モルフ』と告げた。
そして、神田にとっては最悪の――絶望の展開となる。
次話、2月15日投稿予定。今月はなんとか5話分投稿めざします




