Phase2 第十八話 『巨大要塞ミスリル』
後悔という言葉は、あまり口にしたくないものだ。
後悔をしたところで、現状は変わるわけでもない。
だから、常に最善策だけを考えて、これまで動いてきた。動いてこれた。
しかし、モルフという存在が明らかになってからは、男は後悔を口にしてばかりだった。
仮にも陸上自衛隊二等陸佐の称号を持つその男は、自身の情けなさに吐き気さえ覚える始末。
かといえ、今となってはそんな称号は意味さえなさない。
日本は崩壊し、日本を防衛するために存在していた陸上自衛隊も今はもうない。
残ったのは数少ない兵士と同胞である国民達のみ。そんな状況で、一体何を守ろうと言うのか。
世界が大変な状況になりながらも、風間平次は後悔の言葉を口に出し続けていた。
「ここにおられましたか、風間さん」
「……多々良君か」
腰を曲げ、明らかに憔悴し切っていた風間へと話しかけてきたのは、同じ日本人でもあり、風間の後輩分でもあった多々良平蔵だった。
彼は風間の立ち位置でもあった二等陸佐だった者。御影島での一件以降、二人は降格させられることとなったのだが、それはどうでもいい話。
多々良平蔵の息子である多々良一郎は御影島で命を落とし、その敵討ちの為にも彼は全世界の航空管理の仲介として、モルフ被害のある国の避難民受け入れを行ったりなどてんやわんやだ。
それも、今の状況となってはそれどころではないのだが。
「桐生さんのことですか?」
「……彼がどうなったか、生死の確認はこの状況が答えを示しているだろう」
多々良平蔵が言葉に出した桐生の話。それは、風間が思い詰めていることと合致していた。
桐生は単独で船を動かし、一人で日本へと向かったとのことだった。
もちろん、そんな話は聞いてもいないし、独断専行だということも理解している。
その矢先が、このアメリカでのモルフテロだ。
生死は確認を取らずとも、分かる次第だった。
「彼の後に笠井修二も向かったとされている。誰が唆したのか、といったところだが……」
「二人とも、素性も知れない敵組織には十分な恨みを持っていましたからね」
「だからこそ、分かることもある。敵組織の首謀者が誰なのかといった点もな」
「リアム……ですか」
風間が言う敵組織の首謀者、それは多々良平蔵が口に出した男、リアム・アーノルドで間違いないはず。そうでなければ、桐生が一人で動くなどあり得ないからだ。
桐生の剣の師匠でもあり、アメリカ軍を半壊させたという異常な経歴を持つその男は、相当な実力者であることは本人からも聞いている。
だとすれば、桐生はきっとリアムにやられたとみていいだろう。
「監督不行き届けも甚だしいな。私はどうやら、リーダーとしては向いていないのかもしれない」
「そうでもないでしょう、椎名真希の件に関しては、あれで私も問題なかったと思っております。ちょうど、任務も完了して戻ってくるとのことですしね」
「その彼女も、この状況下で戻ってこられるかだがね」
唯一、風間がファインプレーとして出来たことがあるとすれば、椎名真希を他国に一度逃がすといった判断だ。
そのついでと言ってはなんだか、多々良平蔵が独自に入手したモルフに感染しないとされるある男の回収も一任していたのだが、多々良の話では成功したと聞いている。
しかし、このアメリカ全土で起こっているモルフテロは、仮に戻ってこれたとしても彼女の身が危ういことには違いない。
今も、彼女と彼女の護衛に任せていた月島や清水とも連絡が取れないといった状況なのだ。
「椎名真希を信じるしかないでしょう。それよりも、私達は私達のやるべきことをするのが一番だとそう思います」
「勇敢だね。神田君はどうしている?」
「彼は部隊をまとめて見回り中です。といっても、ほとんどアメリカの部隊がそれをしているので必要なさそうといったところですが」
「……ここならば、安全だからね」
安全であると、そう思っていたのは風間だけでなく、この場所にいる誰もが思う事実だ。
風間達がいるこの場所は、ただの避難所などではない。
避難所には違いないが、安全という言葉が真に出る以上、命の危険がない絶対的な場所とも言える。
「どれ、ここじゃなんですから外の空気でも吸っていきませんか?」
「そうだな」
多々良に勧められるままに、風間は重い腰を上げて立ち上がる。
そして、彼らはパスコード式のロックを解除すると、そのまま外へと出て、
「……騒がしいのがつきものだな」
「ええ、でも数はかなり減らしている方らしいですよ」
防音設備のある内側とは違い、外に出ればそこは爆音が鳴り響く戦場地帯。
とは言っても、それは一方的な戦場と言っても差し支えないだろう。
全周囲一キロ四方に並ぶ巨大な壁。その内側には要塞のように避難所が形成され、壁の上にはアメリカ軍の兵士が立ち並んでいる。
そこから、機銃を放ち続けることで、この要塞に近づくモルフ共を一方的に撃ち殺しているのだ。
今も聞こえる大音量の騒音は、兵士達が外のモルフを排除しているから起こっているものだった。
「これを作り上げたのはさすがだな」
「ええ、シェリル副大統領が日本の騒動の後、すぐに作りかかったものですから、素晴らしいものです」
この難攻不落の要塞を作り上げたのは、この国の二番目に偉い男、シェリル・シャルロットであった。
彼は日本が崩壊したすぐ後に、議会での反対を押し切ってこの要塞――『ミスリル』と呼ばれる巨大シェルターを作り上げた。
万が一、アメリカでモルフテロが起ころうものなら、避難民を誘導する施設がこれなのだが、その規模はそう狭くはない。
「地上から地下まで……推定百万人は入れられるそうだからな」
「それに、外がモルフ感染者で賑わう以上は百万人という数字も上手く作っていますね。犠牲者が増えれば、収容オーバーにはなり難いですから」
たかだか一キロ四方のこの要塞が、地下五層に渡る巨大地下シェルターになりうるが故に、百万人もの人間を受け入れられるという規模となっている。
多々良平蔵が言うように、アメリカ全国民を受け入れるには到底無茶な限度なのだが、モルフがいる以上、犠牲者がいることによって上限を超えることは、一日が経過した今でもない。
「休憩のところ失礼します。風間司令、多々良長官」
「――キミは」
「ミスリル防衛部隊所属のロイ・バーンズ少佐です。お疲れのところすみませんが……」
後ろから話しかけてきたのは、このミスリルを防衛するアメリカ軍の兵士であるロイ少佐だった。
彼は迷彩服を着て、背中に小銃を掛けた万全の装備でいており、雰囲気から見ても戦場慣れした様相を醸し出している。
「お二人にお呼び出しが掛かっております」
「誰からかな?」
「アーネスト大尉と……もう一人はお分かりでしょう?」
「――そうだな」
二人目については言い淀み、口には出さなかったが、風間は誰のことかは既に分かっていた。
このミスリルへと招待してくれた者。何故かは分からないが、日本人達をこのミスリルへと匿うことを許した者。
ロイ少佐が口に出すことも憚るほどの存在であり、この国においては二番目に偉いともされる人物でもあった。
「多々良君、行こう」
「はい」
断る理由はなく、二人はロイ少佐についていくこととなる。
現在は夜中の午前二時。普通の人間はもう就寝の時間というところではあるが、彼らにとっては違う。
むしろ、皆が寝ている時間だからこそ、話がしやすいというのが適切だろう。
今、風間達を呼び出している人物も同じように考えているに違いない。
三重に重なるパスコード式の扉をロイ少佐は順番に指紋認証を使って解除していき、扉が開かれていく。
そして、最後の扉が開かれたそこは、大きな円卓が中央に存在し、椅子が並び立てられていた。
会議室とも呼べるその部屋の奥の椅子には一人の男が既に座っており、その後ろにはロイ少佐と同じ迷彩服を着た武装した兵士が立っていた。
「やぁ、待ち侘びていたよ」
「お待たせして申し訳ございません。――シェリル副大統領」
「副大統領なんてやめたまえ。もうじき、私は副大統領の任さえ外される予定だろうしね」
そう言って、片目を瞑ってため息を吐く男は、この巨大要塞ミスリルの建設を企てた者、シェリル・シャルロット副大統領だった。
「……私達に何か用事がおありで?」
「ああ、情報の共有というところだね。なに、キミ達も座りたまえ」
「シェリル副大統領と同じように腰掛けるのは非礼にあたりますからこのままで大丈夫ですよ」
「ははっ、だから副大統領はやめたまえよ。そんなことは私は気にしない」
同じ椅子に腰掛けることすら非礼に値するとそう答える風間に、シェリルは笑いながら椅子に座るようジェスチャーで促す。
こうまで言われては、逆に座らぬ方が非礼だとそう感じた風間と多々良の二人はシェリルと向かい合うようにして椅子に腰掛けた。
「まずはそうだね。キミ達には情報の提供をくれたことについて感謝している。日本での大惨事の後、モルフについてはアメリカでさえも認知出来ていなかった機密事項だ。それがあるからこそ、今の状況があるのだからね」
「いえ、同盟国である以上は当たり前の判断です」
「そうか、同盟……ね。加えて確認したいのだが、キミ達が知る情報は全て私達に提供したと、そう認識しても問題なかったかな?」
静かにそう語るシェリルに、風間はすぐにはイエスと答えなかった。
そう、風間はアメリカ側に全ての情報を明らかにしていない。
椎名真希や笠井修二が『レベル5モルフ』であることや、八雲琴音が異常聴力を持つことであることなど、日本にとって不利益が被る可能性がある情報は提供していなかったのだ。
あの口振りだと、シェリルはもう既にその情報を掴んでいる可能性はありうる。
しかし、風間はもう決めていた。
「ありません。だからこそ、私達を信頼して日本人達をこのミスリルへと受け入れてくれたのでしょう?」
「――――」
アメリカ側の思惑を、風間が把握しきれているわけではない。
しかし、情報提供に何か足りない部分があれば、風間達以外の日本の一般市民をこのミスリルへと受け入れることなどしなかった筈だ。
シェリルの問いかけがハッタリかどうかは分からない。
だが、ハッタリにはハッタリをと、風間は情報を伏せることに徹底していた。
これが虚偽であるとバレれば、風間達の今の立場がどうなるかは予測がつかない。
それを分かっていたのか、多々良平蔵も緊張した面持ちでいたのだが、風間はリラックスが出来ていた。
「そうか、情報提供感謝するよ。それで……情報の共有について話を戻すが、いいかな?」
「お願いします」
何も追求することはなく、シェリルは風間達に情報共有の件について話そうとする。
何のことなのかは風間達も知らない。
しかし、こんな時間に呼び出したということは、何かしらの進展があったと考えるのが普通だ。
シェリルは後ろに立っていたアーネスト大尉の方へと顔を向けると、
「アーネスト大尉、話してくれ」
「はっ! 今回のウイルステロ、それを引き起こしたとされるテロ組織の首謀者の現在位置を衛生にて捉えることに成功しました」
「な、なに!? それは本当か!?」
その報告を聞いて、声を上げたのは多々良平蔵だった。
風間も驚いてはいる。あれほど足取りが掴めなかったテロ組織の首謀者が見つかったというのだ。
「本当です。既に特殊部隊を派遣して、向かわせている次第です。もう間も無く、戦闘状態に発展する頃合いかと」
「殺すつもり、なのかい?」
生きたまま捕らえるのか、それとも殺すつもりなのか、どちらがアメリカ側の思惑なのかは分からない。
だが、恐らくは――。
「当然、殺すつもりだよ。彼らがしたことはれっきとした宣戦布告だ。今更聞くことなんて何もない。キミ達にとってもそれは同じことだろう?」
アーネストに代わって、シェリルがそう言い切り、殺すとハッキリそう言った。
もちろん、異論があるわけではない。ここまでのことをした連中を生かしたところで、どの道死刑は免れないのは事実だ。
しかし、論点はそこにあるわけではなく、
「ちなみに、敵組織の首謀者とは?」
「キミも分かっているだろう? かつて、アメリカ陸軍の駐屯地にいる兵隊を半壊させたとされる大罪人、リアムだよ」
「白兵戦で挑む、と?」
敵組織の首謀者がリアムであると、多々良とも共有していた情報をシェリルは隠すまでもなくそう言った。
そして、風間はどうやって仕留めるつもりなのかと、あえてそう問いかけた。
「ただの特殊部隊じゃない。中隊規模で構成されたあの部隊は、たとえどんな化け物であろうと打ち破ることは困難だ。ここに大尉がいることがそれを証明している」
「なるほど……。つまり、もうすぐ終わるということですね」
「ああ、それともう一つ、気になることがあってね。それも共有しておこうと思っている」
シェリルは今話したこととは別の何かを話そうとしている。
当然、それも聞くべき立場である風間達は何のことかと眉を顰めていたが、それはリアムの現在位置よりも遥かに凌駕する情報だった。
「彼だけじゃない。今、このアメリカで暴れている妙な連中が、総じてこのミスリルを目指しているようなルートを辿っている、ということだ」
「……どういう、ことですか?」
訳が分からず、風間はシェリルへとその意味を問いかける。
首謀者であるわけでもないから、そんなことを問いただしたところで分かる筈もないのだが、咄嗟に口に出てしまった次第だった。
「レンジャー部隊含めて、今現在、アメリカ陸軍はそれぞれの州に潜む謎の人間に苦戦している。その戦場地帯を地図にまとめて動きを見てみると、全てがここに向かうかのような動きを見せているんだよ」
「――――」
風間の問いかけにはまともには答えず、シェリルは詳細だけを語った。
リアムではない、恐らくはその仲間とされる人間達に、アメリカ陸軍が苦戦しているというのだ。
しかも、その者達はなぜかこの巨大要塞ミスリルを目指してきており、目的は分かっていない。
「一体……何が目的なんだ」
隣にいた多々良は、握り拳を作りながら円卓に強く押し当てていた。
確かに、これまでもそうだが、敵組織の動きやその目的はよく分からない。
目的をハッキリさせないというその動きそのものが奴らの狙いでもあるのだろうが、それにしてもだ。
奴らの目的はアメリカの崩壊を望んでいる筈。ならば、このミスリルに何を欲するものがあるのか、風間は頭の中で様々な推測を立ててはみたが、結局、答えは見つからなかった。
「気になるかな? 風間君。奴らの目的が一体何なのか」
「……ええ、それは」
「そうだな。私は大体見当はついてはいるがね」
「――シェリル副大統領」
敵組織の目的を概ね推測が出来ているとそう言うシェリルに対し、後ろにいたアーネスト大尉が割り込む。
「アーネスト君、彼らは大丈夫だ。それに、共に戦う以上は情報は共有しておく方がいい」
「いえ……ですが……」
「話せないことがあるのならば、無理に話さなくても問題ないですよ」
シェリルが何かを言おうとしているのだが、アーネストはそれを止めようとしているのだろう。
事情ありきのことならば、そこまでして風間も問い詰めるつもりはない。だから、そう言葉にして口に出したのだが、シェリルは、
「気にしないでくれ。大事な話だ、ぜひともキミ達には知っておいてもらいたい」
「――――」
シェリルがそう言って、アーネスト大尉は諦めたかのように目を瞑る。
敵組織の目的が明らかになることは風間達にとっても有益な情報になる。なのに、アーネスト大尉がそれを拒む理由は何なのか、風間はシェリルの次の言葉を待った。
そして、
「風間君、多々良君」
「――はい」
「……アメリカは、一体幾つの核弾頭を保有しているか、キミ達は知っているかい?」
そう言って、何が言いたいのかを風間はすぐに察した。
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そこは、多数のビルが立ち並ぶこの都市の中でも広く、道が開けた場所だった。
闇中に沈んだこの夜の帳の中を歩いていた銀髪の男、リアムはその中央付近で立ち止まった。
「――きたな」
周囲は暗く、人の気配すら感じない静かな空間の筈だった。
だが、リアムは気づいていた。
自身が既に包囲されているという事実に。
「さて、この世界で一番強い特殊部隊とは何か?」
絶対絶命と捉えてもおかしくないその状況で、リアムは独り言を口ずさむ。
「SAS? アルファ部隊? 実際に戦い合ったこともないわけだから、何が一番なのかは誰にも分からない」
一人問答を繰り返しながら、リアムは腰に掛けていた赤黒い剣を抜いた。
それは戦闘に入るという意思表示でもあり、彼はいつでも動き出せる状態となっていた。
「しかし、これだけは分かることがある」
強さを追い求め、人間を超越したリアムは、誰が相手であろうと動じない。
本人は、この戦いで殺されるつもりは毛頭ないつもりだ。
もちろん、それは相手も同じこと。
「恐らく、私の人生において初めての困難が今というわけだ」
そして、リアムの目の前には、黒い隊服を装着し、頭部まで防護ヘルメットで固められた集団が現れる。
その真ん中にいた男が片手を上げると、まるで一つの生物のように周囲の隊員達が散開し、拡がっていく。
リアムはそれを見て、不敵な笑みを浮かべた。
彼らはただの特殊部隊――なんてものじゃない。
彼らはモルフを殺す為だけに作られた新たな特殊部隊。
それは――、
「デルタフォース、ネイビーシールズ。――それだけじゃないな。どうやら本気で私を殺しにきたようだな」
アメリカが誇る最強の特殊部隊。公式にあるデルタフォース部隊とネイビーシールズ部隊の混合部隊。そして、非公式としてある無名の特殊部隊の隊員達で構成された新たな特殊部隊が今、リアムの目の前へと立ちはだかっていた。
「――面白い」
勝ち目のある敵なんてものじゃない。
それは、あの桐生大我であっても同じことを考える筈だ。
だが、リアムはこれまで誰にも見せたことがない、嬉しささえ隠しきれない表情を見せると、
「極論、ここでキミ達を殲滅することが出来れば、私を倒せる者はいなくなる、ということだな」
そして、アメリカでのモルフテロが起こってから二日目。
この時、この瞬間に、最も大きな戦いが始まろうとしていた。




