Phase2 第十七話 『青き龍を背負う青年』
今回は会話を多く入れているので少し長めです。
もうすぐ、大きく話が動きます。
「俺とお前が……初対面じゃない?」
突如、現れた名も知らぬ男。そいつは、出水とは初対面ではないと答えた。
しかし、出水にとっては初対面であると気になる含みを持たせた言い方を聞いて、訳が分からぬ様子だ。
「おやおやおやおや、どうやら混乱しているようですね。よかったら飲み物ありますけど、いります?」
「……いや、いい。そんなことよりも――」
聞きたいことは山ほどある。
敵か味方か、どちらにしても出水達はこの男から逃げることなんて出来はしない。
ならば、話をしてどう懐柔させるかの方がまだ生き延びる可能性は高かった。
「僕の名前ですか? 僕はシャオ・ライウェン。シャオでいいですよ?」
「いや、名前じゃなくて……」
「私は八雲琴音よ。よろしくね、シャオ」
「いや、琴音も」
「ははっ、琴音さんですか。いい名前ですね、よろしくですです」
出水の思うように会話が進まず、琴音と握手までしだすシャオを見て、出水も頭を抱えそうになる。
随分と能天気ささえあるシャオという男は、見た限りではアジア人――名前からして、中国人といったところだろうか。
とてもだが、見た目で言えばまだ若過ぎる容姿をしており、戦闘に対してモルフにこれほど無慈悲に攻撃を仕掛けられるものなのか?
シャオという男に対して、警戒感が抜けきらない出水に、琴音は、
「ウジウジ考えない。助けてくれたんなら今は乗っかる他にないよ。それに、あんたら知り合いなんでしょ?」
「いや、俺は知らないんだが……」
「ははっ、だからそう言っているじゃないですか。出水さんは僕とは初対面だって。僕からしたら違いますがね」
「何が言いたいんだよ」
要領の得ない回答ばかりを聞かせられ、出水は少し苛立ち気味に声を低くする。
あまり強気に出る場面でもないが、出水もこの病院での一連の出来事を乗り越えたばかりで、とても心に余裕があるわけではなかった。
そんな出水の心境は知らずして、シャオは周囲を見渡すと、
「さて、ここであんまりお喋りしている余裕はなさそうです。どんどん集まってきますよ」
「……あ」
シャオがそう言って、琴音も気づいた。
既に、出水達を囲むようにしてモルフが集まってきていることにだ。
見た限り、病院の中にいたモルフと違い、外にいるモルフは出水達もよく知る通常の感染段階を経ている化け物ばかりだった。
感染段階は『レベル3モルフ』。今の出水達にとっては、最悪と言ってもいいぐらいに厳しい状況なのだが、シャオは青龍刀を振りかざすと、
「じゃ、とりあえずここから移動しますか。話はそれからでも遅くないですしね」
「お、おい……」
「それにしても、今回のモルフは変なのも混じっているんですねー。聞いてた話と違う奴らもいたから、ちょっとビックリしてました」
そう言いながら、平然とした様子で青龍刀を振り回し、歩きながらシャオは一体一体、モルフの首を正確に刈り取り、殺していく。
この異常なまでに場慣れした彼の動きを見て、出水は話しかけることもままならなかった。
「実は僕もあなた方がいた病院の中にいたんですよ。探し物をしていたんですが、特に何もなかったのですぐに出ていきましたけどね」
「あ……もしかしてそれって……カルテとか見てたり?」
「さすが琴音さん。足取りを残すつもりはなかったのですが、どうせ誰も見ないだろうなと思って放ったらかしにしていたのですけれど、あれを僕がやったと見抜くのは凄いですよ」
ニコニコとしながら、琴音と会話をして道筋にいるモルフを片っ端から屠るシャオを見て、出水はドン引きしていた。
出水でさえ、この数の『レベル3モルフ』を相手にするには銃がなければ対処なんて出来はしない。
それをシャオは、近接武器でのみ対処しながら、さらには喋りながらという片手間で戦っているのだ。
とてもじゃないが、常人とは思えないほどの精神性さえある。
「それで……さっきの話に戻りたいんだけど」
「あっ、少し待って下さいね、出水さん。すぐ近くにバーがあるので、そこに着いてから話をしましょう」
「まあ……そりゃそうだな」
さすがにこの場で悠長に会話は控えたいと判断したのか、シャオは場所を変えてゆっくり話そうと提案する。
出水自身も、自身がどうかしてるとさえ思ってしまった。シャオの雰囲気に呑まれてしまっていたのだが、元より外は安全地帯でもなんでもない。
死と隣り合わせの現状だからこそ、まずは身を守ることが最優先であることが課題であることは間違いがなかった。
結局、周囲にいたモルフは出水達が何もせずとも、シャオが全てを掃討して、事なきを得ることをなる。
そして、彼らはシャオについていきながら、彼が隠れ家として使っているのか、地下にあるバーの中へと入ることとなる。
「ゆっくりしていってください。っていっても、僕の店でもなんでもないですけど」
「……まだこんな場所があったんだな。モルフから隠れる為にはうってつけだけども」
シャオに連れられたバーは、モルフに襲われたかのような形跡はなく、ただ人がいないだけの簡素なバーだった。
電気がない分、使えるのは電池が入ったライトのみが頼りとなるのみなのだが、特に警戒をしなくていいのがまた良い点だ。
普段ならば、その警戒もすべきところなのだが、戦闘においては強力なシャオと、気配を察知できる琴音がいれば安心ができるだろう。
そうして、背もたれのない長い椅子に腰掛けたシャオは出水達を見てニコニコとすると、
「どうぞお掛け下さい。ずっと逃げ回ってて疲れたでしょう? ここなら安全ですから」
「んじゃ、お言葉に甘えてっと」
「うん、ありがと」
シャオの言われた通りに、近くにあったソファーに腰掛ける出水達。これまではずっと逃げ回っていたこともあって、足が竦んでいたこともあるので、休ませることができるのは僥倖であった。
「さて、何からお話しましょうか?」
「俺から質問をまずさせてくれ。俺があんたと会ったことがあるみたいな含みのある言い方をしていたが、実際のところはどういう意味なんだ?」
「早速ですね。いいですよ、簡単な質問ですから、すぐに答えられます」
両手の指を組みながら、出水の質問に答えることを了承するシャオ。一番始めに疑問としていたその謎に、シャオは続けて、
「あなたを初めてお見かけしたのはメキシコ国境戦線でのこと。そこで致命傷を負い、意識を失っていたあなたを安全な場所まで移動させたのが僕なんですよ」
「――――」
「いやぁしかし、生きているとは思っていなかったんですけどね。どう見ても死んでもおかしくもない身体的ダメージでしたから。さすがの精神力ですね」
メキシコ国境戦線の時。それは、出水があの碓氷氷華と戦闘を繰り広げ、負けたあの後の話のことをシャオは語っているのだろう。
確かに、それならば出水がシャオのことを知らないのは道理だった。
彼が会ったのは意識のない時の出水であり、あの言い方にも納得がいく。
だが、それだともう一つの疑問も生まれる。
「……じゃあ、もう一ついいか?」
「いいですよ、なんなりと」
「なんで……俺の名を知っていたんだ?」
その疑問は、状況から見れば当たり前のものだった。
先ほど、初めて彼と邂逅したその時、シャオは出水の名を知っていた。
名乗ってもいないのに知っている。それは、シャオの言葉に何か裏があると感じ取ってしまってもおかしくはないのだ。
「あぁ……それですか。それも簡単なお話ですね。――あなた達は仲間と共にあの戦線へと来たのでしょう? ですから、その方から直接聞いたんですよ」
「まさか……」
「笠井修二さん、彼はあなたのことを心配していましたからね。これで繋がったでしょう?」
あの戦闘において、タケミカヅチの部隊はそのほとんどが殺される事態となった。
最後に生きていたのは出水と笠井修二のみであり、シャオは修二と会っていたということだった。
「そうか……そういうことか」
事態を呑み込めた出水は、考えていた疑問が解消されたことで一安心する。
さっき、名を知っていたということから、シャオがこのテロを引き起こした一味の一人なのではないかと疑っていたところだ。
しかし、修二は今も生きていると聞いている。
それは、敵であるならば見逃す道理はないことになるので、シャオが敵ではないということを証明させる十分な材料ともなるのだった。
「しかしまぁ……あの戦いで彼が勝ったのは僕も予想外でしたね。いくらモルフの力を扱えたとしても、あの鋼線使いには手も足も出ないものだと思っていたもんでしたから」
「「え?」」
「ん? どうかされました?」
今、シャオは何と言ったか? モルフの力を修二が使えるとは何のことか。訳が分からずに不思議そうな表情を浮かべていると、シャオは何かに気づいたのか、頭に手をやると、
「……そうですか。知らなかったんですね。困ったな、修二さんに怒られちゃいます」
「ま、待て待て。どういうことだよ? 修二がモルフの力を使えるって……一体」
「――もう隠すのは無理そうなので話しちゃいますと、彼はどうやら生きたままモルフの力を扱える存在だそうですよ。その力を僕も目の当たりにしたので、まず間違いないかと思っていますが……仲間であるあなた達は知らされていなかったんですね」
「まさか……修二が『レベル5モルフ』だってのか?」
「――――」
信じられない様子で言葉を紡ぐ出水。琴音も同様に、驚く表情を見せていたのだが、当たり前だろう。
そんな情報。出水達は何も知らされてなんていない。
「手足を千切られても彼は手足を再生させていました。本人の口からもしっかり聞きましたし、今も彼が生きていることが何よりの証でしょう。もっとも、僕にとっては有益な情報を得られたものと考えてはいますがね」
「そんなことはどうでもいい! ……あいつ、何でそんなことを……」
怒りが沸々と込み上げてきて、出水はここにいない修二に対して怒鳴ってやりたくなる。
なぜ、どうして彼はそのことを隠してきたのか。
仲間である自分達を差し置いて、一体なぜそんなことが出来たのか、訳が分からずにいると、隣にいた琴音が口を開き、
「話したくても、話せなかったんじゃないかな?」
「話せないって……なんで……」
「機密事項だから、じゃないですかね」
「なに?」
琴音の推測に付け足すかのようにシャオが答えたことで、出水は眉を顰める。
機密事項。それが何を意味するのか、考えるまでもない答えである筈なのに、分からずにいると、
「『レベル5モルフ』というのは、どうやら世間一般でも知られていないもの。それを大っぴらにしなかったのは、何故なのか。そして、なぜそんな力を持つ彼が戦線に立っていたのか。これらから考えてみれば、僕も自ずと答えが出てきましたよ」
「それは……」
「薄々気づいているでしょう? 出水さん、彼の力の詳細が周囲にバレれば、彼を見る目がどう変わっていくかも」
「――――」
「僕の見解では、このテロを引き起こした連中と『レベル5モルフ』には密接的な関わりがあると見ています。仮に連中が修二さんのことを知っていた場合、どう動くでしょうか?」
「そりゃ……捕らえようとするだろうな」
「そうでしょうね。なら、もしあなた達の中に謀反者がいた場合、迂闊にその情報をばら撒けばどういったリスクを招くかは分かるでしょう?」
答え合わせをするかのように、自身の見解を語るシャオ。出水も、その言葉に対しては否定の意見は出ない。
つまりは、修二自身は話したくとも話せない事情があった。
修二の身内には、もう一人の『レベル5モルフ』である椎名真希がいる。彼女も、他の人間にはその事実を教えてはならないという絶対的な機密事項となっていたのだが、出水達が知っていたのは、敵側が彼女のことを把握していたことだ。
彼が戦線に立っていたのも、まだ敵側にそのことを把握されていないからであり、情報が漏れる危険を避ける為に出水達に話していなかったということになる。
「だとしても……なんか癪だな」
例えそうだとしても、真っ当な理由だとしても、隠されたという事実は消えない。
仕方ない事実であることは認めるが、一個人としては修二をまだ許しているではなかった。
「帰ったら一発ぶん殴ってやらないとな」
「あらら、そうなると僕も修二さんに殴られそうですね」
「ところで、話がずれたけど、シャオの目的は何なんだ? 見た感じ、アメリカ人じゃないだろ?」
話を巻き戻し、出水はシャオ自身のことについて問いかけてみた。
正直、なぜ味方をしてくれるかも含めてなのだが、一体何がしたいのかが分からない。
そのことを聞かれたシャオは、テーブルの上にあったグラスに入った水を一口飲むと、
「僕は中国人ですよ、目的は……そうですね。姉を探してる、というのが正しいですかね」
「姉、か。名は何て言うんだ? もしかしたら分かることがあるかもしれない。多分ないとは思うけど」
「いや、名は言っても無駄でしょう。なんせ、今はなんて名前で名乗っているかも分からないんですから」
「は?」
まるで、姉の名前も知らぬかのようにそう話すシャオの口振りに、意味が分からずにいると、シャオは続けてこう説明した。
「僕も姉さんも、元の名なんてそもそもないんです。そういった組織に属していたもんですから、分かるものがあるとすれば見た目ぐらいですよ」
「どういうことなの?」
「琴音さん、あなたの質問にはそれ以上は答えにくいですね。本当にその通りの説明をしただけですから」
「……あなたの生まれが特殊ってこと?」
「ん、そんな感じです」
再び、コップの水を飲み、琴音の質問に肯定するシャオ。言いにくそうに話していた琴音であったが、シャオは特に気にするまでもない様子だ。
それから、少しだけ沈黙が三人の中で流れて、気まずい雰囲気が場を支配していたのだが、
「やだなぁ、そんな静まらないでくださいよ。別に僕が何者でも構わないですから。ただ、優しいですね、あなた方は」
「いや……そういうわけじゃねえけども」
「ははっ、気にしないで大丈夫ですよ。僕はそもそも、この世界でいう人権が存在しない人間ですから、珍しいんですよ、そういう反応されることって」
「人権がない?」
「ええ、聞いたことないですか? 一人っ子政策に反して生まれた子ども達がたくさん、中国にはいるってことを」
「まあ、聞いたことは」
「僕はそれなんですよ。戸籍がない人間、親にも捨てられ、人身売買の道具にされることも多い社会問題ともされているんですが、僕は偶々、国のとある機関に預けられることになりましてね。その意味で言えば、諜報員とでも言うのですかね」
途中から重たい話に移行しているのもそうだが、シャオは何食わぬ顔で話を続ける。
「もう僕はとっくに抜け出して辞めてますけど、その経験があって、僕は戦闘には長けています。姉も同様ですが、僕達は活動の度に名を変えているんです。シャオ・ライウェンという名も、最後の任務以降から使っているだけのものでしかないですから」
「そうだったんだな」
「まあそんなこんなで姉の行方を探しているんですが、今はどういった名で通しているかは不明です。それで、どうしてあなた方と一緒にいるかについてですが――」
話をまとめつつ、どうして出水達と行動を共にしようとするのかを説明しようとするシャオ。出水達も、それは知りたいと考えて、シャオの話を聞いていた。
一体、何のために出水達と協力しようとするのか。その理由はきっと、重大な意味が含まれていると思って――。
「単に、あなた方といれば、姉に近づけそうな気がした。そんな感じですかね」
「いやいや、大雑把な理由だなおい」
「えー、本当なんですって。これが」
「いくらなんでも嘘くさいわよ」
琴音にまでそう言われて、戸惑う様子を見せるシャオを見て、出水も同じ考えだった。
どう考えたって、理由が浅ましすぎることもそうなのだが、こんな状況では姉の行方を急いででも探したいのが普通な筈だ。
なのに、シャオのこの落ち着きようはどういうことなのか、疑心の目を向けていた二人であったが、シャオは真面目な顔つきでこう告げる。
「本当ですよ。あなた達についていけば、姉と出会える気がする。そこに偽りは全くございません」
「じゃあ質問を変えるけど、その姉ってのは何者なんだ?」
嘘はついていないとそう答えるシャオに、出水はあえて質問を変えた。
シャオは質問自体には答えようとするが、質問以外のことは何故か語ろうとしない。
だから、何か意味があるものと取って、別の質問に切り替えてみたのだが、
「何者……ですか。僕の予想では、恐らくこのテロを引き起こした連中の一味に姉がいると考えているのですがね」
「なに?」
「妙な噂を聞きましてね。修二さんから『レベル5モルフ』に関する情報をお聞きした時に、彼女の今の状況と似ている話を聞いたんですよ」
「今の状況……それってまさか」
「たちまちに傷が再生する体質。それが姉さんにも当てはまっている可能性があるという情報を僕はあるツテから得ています。もっとも、それが姉さんかどうかはまだ不明ですが、信憑性が高いと考えています」
生きたままモルフの能力を使役できる人間。いわば『レベル5モルフ』と呼ばれるそれは、生きてさえいればどんな傷さえも再生させることを可能としている。
その特性をシャオの姉は使えて、尚且つ、敵組織の一員であると彼はそう推測していたのだ。
しかし、それがもしも事実であった場合、シャオはどうするのか、出水は真剣な眼差しでシャオを見つめる。
「もしも姉を見つけたとして、シャオはどうするつもりなんだ?」
慎重に聞いたつもりだった。もしもシャオが敵側につくと言うのならば、これからシャオと行動を共にするのは非常にマズイ。
下手をすれば、出水達は人質という扱いを取られる可能性もあるし、殺されるリスクも十分にありうるのだ。
そんな出水の心中には気づいていない様子で、シャオは物憂げな表情を浮かべると、
「僕は姉を取り戻したいだけです。むしろ、姉さんが属している組織は確実に潰すつもりですよ。よくも姉さんをたぶらかしてくれたなってね」
「そ、そうか」
「なぜ、姉さんがテロリストになってしまったのか、それは分かりようはないですが、上手く説得するつもりです。そのために、出水さん達と一緒に行動したい。その言葉に嘘は全くございません」
これまでの能天気な様子とは違い、シャオは真っ直ぐな瞳でそう答えた。
もちろん、信用できるに値するかはまだ確信が持てないことは事実だ。
それでも、出水はシャオのその言葉に根負けして、一度目を閉じると、
「分かった。俺達も用心棒が欲しいと思ってたところだからな。よろしく頼むよ、シャオ」
「ありがとうございます。その言葉を待っていました」
受け入れてくれたことに対して、シャオは喜ぶ姿勢のままに出水達へとお辞儀をした。
心強い仲間が増えたことは、出水達にとっては喜ばしい事実だ。
正直、このままの状況ではどこへ向かうかも指標は立っていなかったし、向かう先がどこも危険である以上、戦闘のエキスパートであるシャオがいれば滞りなく前へと進める。
「ところで、出水さん達はこの状況についてはどこまで把握していらっしゃるんですか?」
シャオは同盟を組めたことの話を一旦置いて、今回のテロに関する質問を投げかけた。
その質問に対しては、出水もよく分からないままだ。
だから、知り得る情報というよりは推測までとなるのだが、
「俺達も分かっちゃいないよ。ただ推測までだけど、今回のモルフウイルスは多分、空気感染もありうるところじゃないのかって考えてはいる」
「……空気感染ですか。やはり経験者は違うようですね。僕も同じ意見です」
「? どういうことだ?」
「一日前、外では膨大な数のヘリが空を飛んでいる妙な時間帯があったんですよ。その数時間後、瞬く間に人々は人間を襲うようになったんですが、空中散布されたウイルスに感染したのではというのが僕の推論でした。が、出水さんもそう仰るなら、間違いなさそうですね」
「ヘリ……か」
そこまでは出水も知らなかったのだが、これでハッキリすることができた。
シャオの言う通り、ヘリから空中散布させたモルフウイルスによって、人々はモルフへと変わってしまったのだ。
やり方は残虐で、畜生極まりないのだが、一気に感染させるにはうってつけのやり方だろう。
「それと、出水さん達も病院にいたんですよね? そうなると、妙なモルフの形態を見られたということですか?」
「あぁ、思い出したくもねえけど……」
あの病院には、通常の感染段階を経ていないモルフがたくさんいる。
それだけが謎となり、解決されないまま出水達は脱出することとなったが、未だにあれが何だったのかは分からず終いだった。
「今回、テロ組織が行ったことは以前とはまるで違うやり方、ということでしょう。しかし、妙だとは思いましたけどね」
「妙、というのは?」
「アメリカ側の動きとテロ組織側の動きです」
簡潔にそう答えて、シャオは続けてこう話す。
「そもそも、こんな大国であの量のヘリを動かすこともそうですが、テロ組織側も手法が稚拙に過ぎる気がします。彼らの目的は恐らく、アメリカの崩壊というところでしょうが、この程度でアメリカが崩れることなんてあり得ない。それを理解していながら、今回のテロを引き起こした。――それが妙なんですよ」
「……でも、あいつらの武器ってそれぐらいだろ?」
「そう……ですが、出水さんはおかしく感じられませんでした? 一体、テロ組織が何を企んでいるのかについて」
「――――」
碓氷氷華が所属するとされるテロ組織の企み。それは出水も知る由もないところだ。
しかし、シャオの言葉から聞くところ、確かに妙だと感じられずにはいられない。
まるで、この状況が前座であるかのような、これから恐ろしい状況が待ち受けているのではないかという感覚だった。
ただ、その予感はずっと前から出水も感じていたものだった。
病院の地下で琴音が立て篭もろうと提案したあの時、どうしても出水はそれを承諾することが出来なかった。
それがなぜなのか、直感でしかなかったが、何か嫌な予感を感じ取った上での判断でもあったのだ。
「これから、何かが起きるってことか」
「ええ、半端なテロ攻撃でアメリカは沈まない。あと二日もあればこの事態は沈静化させられるでしょうし、何か手を打ってくることは間違いないと僕は思いますね」
「……なら、その前に奴らをなんとかしねえと」
「ちょっと待って。ねえシャオ、聞いてみればだけど、アメリカ側がこの状況をすぐにでも沈静化させられるっていうのはどういうことなの?」
琴音だけは、トントン拍子で進むこの会話に納得がいかなかった様子だ。
その意味は、出水だけが理解出来る内容だろう。アメリカ軍がこの事態をすぐにでも解決させられる根拠。その理由は単純で、
「アメリカはこの世界でトップの軍事力を誇る国です。有体に言えば、核兵器無しで全世界を敵に回して戦争を起こしたとしても、容易に殲滅することが出来るくらいにね。――今回は自国内のテロなので勝手は変わりますが、そもそもアメリカはこういった事態が起きた時の咄嗟のマニュアルというものが必ず存在するんですよ」
「マニュアルって?」
「宇宙人が侵攻してきた時、ゾンビが発生した時、他国から領土侵攻で攻められた時。そういったあらゆるケースを想定して、いずれかが発生した時はどのように収束させるかの手順みたいなものです」
「――――」
「ここで話を戻して、なぜ妙だと僕が言ったのか。事態を収束させるには容易なアメリカ軍に対して、テロ組織がやったことは日本と同じやり方。そんな手法が、果たしてアメリカに通用すると琴音さんはそう思いますか?」
「思わないわね……」
「でしょう? まあ、これらは出水さんや僕みたいな国の事情を知る者だからこそ分かることなんで、琴音さんや他の一般市民であればそうは気づかないものでもあるんですがね」
ただの一般人であれば、琴音の疑問が出てくるのは自然だとシャオはそう言い切った。
出水自身はそう思っていたわけではない。ただ、違和感を覚えていたことは確かだ。
事が起き、一日が経過した状況で出水は長い眠りから眼を覚ましている。
だからこそ、この状況の先を上手く予測を立てられなかったのだが、シャオに言われて気づく事ができた次第だ。
「でも、これからどこに向かえばいいんだ?」
「そうね……実際、私達には向かうべき目標がない。強いて言えば私達日本人が匿っているとされる場所だけど、ここからだと遠すぎるし……」
ただ生き残ることだけを考えていた出水達は、今後の向かうべき先についてまでは考えていなかった。
そもそも、ここがアメリカのどこに位置するかも出水自身は分かっていない。
そんな迷いを見せる出水達を見て、シャオは、
「僕はどこにでもついていきますよ。ただ、ここがどこかという質問にならばお答えはできますね。ここはバージニア州中心部に位置するリッチモンド。自然が豊かな都市とは言われていますね」
「てことは、仮に風間さん達を当てにするならサウスカロライナ州へ行くことになるから、州を二つ渡らないといけないのか……それは確かに現実的ではないな」
随分と遠い場所まで出水は運ばれてきたものだと、嘆くわけでもなく腰を曲げる出水。
合流を目指すというのならば、バージニア州の下であるノースカロライナ州を渡り、サウスカロライナ州へと向かう必要がある。
その距離は、徒歩で向かうには無茶であった。
「でも、それしかやれることはねえよな」
「うん、今は何よりも皆との合流を最優先にすべきだと思うわ」
琴音も、出水の意見には賛成の様子で、サウスカロライナ州へと向かうことを理解してくれた。
日本を取り纏める男、風間と合流が出来れば、何らかの指針は立ててくれるであろうし、何より安全でもある。
目的地までは途方もないが、道中にある車などを使って上手く距離を縮めていくしかないだろう。
「話はまとまりましたか?」
「ああ、行き先は決まった」
「じゃあそろそろ動くとしましょう。あまり長居してると、外のモルフの感染段階が上がりかねませんから」
「……それもそうだな」
休憩の余裕はないと、シャオはそう告げたが、それは出水も同感だった。
先ほど、シャオへと襲ってきていたモルフは『レベル3モルフ』。それがもう一段階上がれば、あの全身が白く、俊敏な『レベル4モルフ』へと変わってしまう。
そうなれば、いくら用心棒としているシャオでも、出水達を守りながら戦うのは望ましくないとのことなのだろう。
動くならば、今しかない。
「じゃあ、周囲の敵は任せるぜ、シャオ」
「お任せください。誓って、これから先は僕があなた方を守らせていただきますから」
そう言って、頼り甲斐のある様子を見せつけるシャオ。当然、出水としても願ったり叶ったりなのだが、不安はあった。
シャオは笠井修二と会った。その事実は、本人から聞いた限りではまず間違いがない事実。
しかし、そうなると違和感なのは、先ほどの彼の発言だった。
――彼が勝ったのは予想外。
その言葉は、裏を返せば修二と碓氷の戦いを黙って見物していたということ。
もちろん、そんな危険な戦いに手を貸せなんて言われて了承する人間なんてそうはいない。
特にメリットもなければ、その戦闘から出来る限り離れるのが普通だ。
しかし、この男はその戦闘の一部始終を見ていた。
それはつまり、修二が死のうとシャオにとっては関係のない話ということであり、出水を助けた理由にも矛盾が生じる。
だからこそ、出水は心の底からシャオを信用したわけではない。
あくまで体裁は取り繕い、シャオを上手く使う。
――琴音には話しておきたいところだが、シャオの目がある以上は話せないだろう。
今は何より、出水も琴音が安全な場所へと向かうことが先決となるのだから。
シャオや出水が語る懸念については、レスターやテオが同様に感じ取っているものです。
アメリカ側の動きが鈍い点。クリサリダ側のやり方がお粗末な点。
この両方は意味を持たせてあります。




