Phase2 第十五話 『かくれんぼ』
結局、出水達は病院全体の電気を解放することはせず、下への移動手段の一つとなるエレベーターの起動だけを解除させた。
果たして、その選択が正解となるのかどうか、出水自身が選んだことに違いがないのだが、それは分からない。
とはいえ、理論上はそれが最善であることに琴音自身も納得はしていた様子だった。
「この病院……あとどれくらい化け物がいるのかしらね」
「さぁな。俺みたいな運べない連中もいたんだろ? だとしたら、ここにいる化け物共はまさしくそれかもしれないな」
この病院の中にいる化け物共は、出水の推測通りならば閉じ込められた者達。そして、電気系統を失ったこの病院の中に入る化け物は居ないはずであり、考えられるのは中にいた人間達がそうなった説だ。
「あんたが化け物にならなかったのは、私が窓を閉めていたから……かな?」
「ん? どういうことだ?」
琴音の言い分が理解出来ず、疑問を言葉にする出水。琴音はひとしきり考えると、
「外の人間達は皆化け物になっているって噂になってるわ。でも、中にいたあんたがそうなってなくて、外にいた連中が化け物になっていたこと。これって何か意味があるんじゃないかなって」
「……もしかして、空中に散布させたのか」
「え?」
「モルフウイルスは基本、噛まれたりして傷口から感染するのが通例なんだ。もしそれを改良されて、空気感染させることを可能としたなら、今の話には辻褄が合う」
琴音の言葉に対して、出水は考えられる可能性を口にした。
その推測に間違いがなければ、密室空間にいた出水と琴音はモルフウイルスに感染しなかったことになる。
なにせ、琴音はあの後、出水の病室の外にバリケードまで張って隔離させていたのだ。
あり得るとすれば、それが有力になる筈だ。
「ある意味、奇跡かもしれないな。俺とお前が生きているのも……」
そう思うのは、他に生きた人間がいないことが挙げられる。この病院内で生き残っているのは、恐らくは出水と琴音の二人だけ。偶々、病室の窓を閉めていたからという偶然性が彼らを生き残らせるという奇跡を呼び込んだのだ。
「そうね、でも結果生き残ったのが私達なんだから、今はそんなことどうでもいいでしょ?」
「悪い悪い、感謝してるってことだよ、琴音には」
合理的な考えをする琴音にとっては、今更どうでもいいことだとそうつっぱねたのだが、感謝してると出水がそう言ったことで、少し照れ臭そうな様子だ。
しかし、出水にとっては本意であり、感謝しているということはまごうことなき事実だ。
今はそれだけ伝えて、出水は暗闇の先を見つめると、
「さて、じゃあ進むとしようか。エレベーターはあくまで選択肢。もう一方の階段も調べてみるか?」
「そうだね。気配を感じたらすぐに言うわ。降りたらさっさと入り口まで行っちゃいましょう」
これ以上の会話は時間の無駄だと見定め、彼らはここから動くことを決意する。
現在、彼らがいるのは病院の二階。一階へ降りる為には、正規のルートである階段を使うか、使用可能となったエレベーターのどちらかだ。
一つの階段は下にモルフらしき化け物がいるとのことであり、他はまだハッキリとしていない状況である。
「血の跡がまだ続いてるってことは、あの血塗れ怪物はこの先に行ったってことか」
「……そうだね」
受付カウンターから奥へと向かう差し掛かりに、地面にはあの巨大な化け物が通ったとされる血の跡が残っていた。
今の状況、あの化け物とは何があっても遭遇したいとは考えたくもない。
そして、彼らはゆっくりとまだ見ぬ通路の先へと進もうとしていく。
「――琴音、気配は?」
「突き当たりに何かいるね。多分、あいつかも」
「……あいつか」
あいつとは、恐らくはあの巨大な化け物のことだろう。
距離的に見て、およそ二十メートルは先といったところか。それほどの距離を保てば、あの化け物もこちらには気づいていないと見られる。
「他の気配が全く感じられないから、この階層にはあいつしかいないのかも……」
「じゃあ、距離を保ちつつ階段とエレベーターを探すか」
「エレベーターはこの先よ。でも、そこまで行ったら多分、あいつも気づくかも……」
「……クソ、本当にやりずらい状況だな」
エレベーターはこの先にあり、その近くにはあの血塗れの化け物もいるということだ。
このままエレベーターまで向かえば、確実にあの化け物には勘づかれることは間違いない。
「でも、エレベーターを動かせるなら乗れば間に合うんじゃないの?」
「俺もそう思ったが、あまりオススメはしないな。自動ドアと同じように、最初のドアの開きの試運転があったら、確実に詰むぞ」
エレベーターは起動させたが、上手く乗り切れるかどうかは確証がない。
自動ドアの特性上、電源を入れた時はまず始めにドアをゆっくり開閉させるということがある為、その試運転が目の前で起きてしまえば、あの化け物に追いつかれることは必死だ。
逃げ場を失ってしまえば、出水達には対応する術がないので、無理に動くのは賢明とは言い難いだろう。
「じゃあ……どうするの?」
「……あいつを呼ぼう」
「は?」
何を言っているのか、琴音は訳が分からない様子だった。
出水が言うあいつとは、この病院内にいる二人を除き、この階層にいるのはあの化け物だけ。つまり、出水がやろうとしていることは、
「あいつを誘き寄せる。そんで、一旦潜んでからエレベーターを使おう」
「しょ、正気なの? さっきだって、ほとんど奇跡に近い隠れ方だったのに」
「今なら他の病室に潜む手もある。一度中を改めてからそこを拠点にすれば、奴を撒ける筈だ」
「…………」
よくもぽんぽんとそんな手を思いつくものだと、琴音は少し引き気味の様子だった。
とはいえ、リスクを冒さずにこの状況を打破しようなどと考えるのも無茶な話に違いはない。
何も代案が出せないでいた琴音に、出水は待ったを掛けずに、
「まずはここの病室から見よう」
逃げ道とするすぐ近くの病室の取手を掴み、出水はドアをスライドさせて開いた。
中には誰もいない。あったのは、患者が眠る為のベッドが一つと、カーテンがあるぐらいだった。
「……あんた、私の聴力が扉越しじゃ分からないの知ってた?」
「え、マジで?」
躊躇うことなく病室の中を改めていた出水に、琴音は自身のスペックを説明した。
それを聞いた出水は知らなかったのだろう。本気で焦っていた様子だ。
「……はぁ、本当、あんたといると生きた心地がしないわね」
「わ、悪い。何も言わなかったからてっきりいないと思ってた」
「なんでもいいわ。とりあえず誰もいないなら、ここを使いましょう。でも、もしあいつが入ってきたら?」
「そん時はこのベッドの下にでも潜ってやり過ごそう。……っても、中にまでは入ってこないだろ? 俺達が病室の中に入ったなんて、気づきようがないわけだし」
万が一、あの化け物がこの病室に入ってきたとしても、隠れている出水達を見つけだすことはまず出来ない筈。知性がないので、それ以上のことは出来ないというのが出水の判断であった。
「……分かったわ。やりましょう」
渋々ながら、琴音は出水の案に了承することとなった。
琴音がこの作戦に賛同しかねるのは、あの化け物を誘き出すという危険な行動が、自分達に何をもたらす可能性があるかだ。
出水自身、そのやり方が危ない方法であることは十分に理解はしている。
しかし、このまま時間だけが過ぎていけば、他の階にいる化け物がこの階に集まる可能性も捨てきれない。
動くなら早い方がいい。それが、出水が提案した理由でもあった。
そして、彼らは準備を進めた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
暗闇の中、病院の通路の突き当たりには、琴音の予想通りに血塗れの巨大な化け物が確かにいた。
獲物を逃し、追いかけていた筈の二人の人間を見失った化け物は、何をしているのか、その場で身悶えをしている様子さえあった。
琴音の異常聴力は、あくまで音だけを頼りに存在を認識している。
音の大きさや反響の大小などを頼りに、それがどこにいるかのある程度の位置を測定しているのだ。
目で見ているわけではないので、姿形などは想定出来ないのだが、大きさだけは測ることができていた。
だから、彼女はこの通路の先にいるのが先ほど、出水達を追いかけて来ていた巨大な化け物だと認識することが出来ている。
「――――」
タイミングが重要だった。出水は琴音とは違い、この先に巨大な化け物がいるという気配は感じ取れていない。
だから、琴音のサインが飛ぶまでは不意に動くということは出来なかった。
動くべきは、琴音がサインを出した瞬間だ。
「――今」
「よし、……おらっ! 探し物はこっちだぞ!」
琴音からのサインを受け取ったと同時、出水は真っ暗闇の通路の先へと大声を張り上げる。
琴音がいなければ、そんな馬鹿げた真似は普通の人間はしないであろう。しかし、琴音が言うには、この階層の通路には今は他の化け物はいないということ。だから、遠慮なく出水は声を出せたのだった。
大声を張り上げ、出水は通路の奥を警戒して見やる。
その傍で、琴音は耳に手を当てて澄ます仕草をしていると、
「……来てるっ!」
「よしっ!」
琴音がそう言った瞬間、彼らの動きは速かった。
即座にすぐ隣にある病室の扉を開けて、彼らは中へと入っていった。
そして、そこからどうすべきか、二人の結論はシンプルで、
「ベッドの下に入るぞ。琴音、いけるか?」
「……ゆっくり近づいて来てる。扉越しだから、微かな気配だけど」
「……一応、念の為だもんな」
出水の声に釣られて、あの巨大な化け物が踵を返してこちらへと迫って来ている。そして、上手く通り過ぎてくれれば、出水達はエレベーターまで走ることが出来るのだ。
ベッドの下に隠れるのは、あくまで万が一の事態が起きた時の保険だ。
琴音がまず先にベッドの下へと入り、その後に続いて出水がベッドの下へと潜り込んだ。
顔は扉の方を見れる体勢にして、二人は奴が通り過ぎるのを祈りながら待機する。
「……どうだ?」
「止まってる。……そこにいるよ」
「ドンピシャで止まるのかよ……」
「……しっ」
病室の前にあの化け物が立ち止まっている。それを知って、出水は苦い表情をする。
そして、琴音が静かにしろと合図を出した時だった。
「――ッッ!」
病室の扉が勢いよく壊れて、破壊される。
その奥にいたのは、扉を破壊した主、あの巨大な血塗れの怪物であった。
嘘だろ……バレてるのか?
出水が心の中でそう言葉を出し、琴音は表情に曇りを浮かべている。
なぜ、なぜこの病室の中に入ろうとあの怪物が考えたのか? ここに入るということは、出水達がここにいると奴が気づいているということ。
知能はさしてない、まして『レベル5モルフ』ですらないこいつが、何かに勘づいたとでも言うのか?
目の前の危険な状況に混乱を覚えながら、出水達は身じろぎ一つせずベッドの下で物と同化する。
つくづく、事前に準備をしていたことを喜ぶべき状況だ。
これで、ベッドの下に隠れるという考えがなければ、出水達はあの化け物に見つかっていた。
そうなれば、逃げ道の無い出水達はなすすべもなくあの怪物に殺されていたのだから、心臓に悪い。
そして、病室の前にいた血塗れの怪物はゆっくりと身を動かして、病室の中へと入ろうとする。
「ァァァアア」
その奇妙な鳴き声は、聞いている者の背筋をゾワゾワさせるには十分な気持ち悪さを秘めていた。
ゆっくりと、ゆっくりと地面を這いずりながら、小さな血の跡を血塗れの怪物が埋めていく。
血の跡?
そこで、出水は何かに気づく。
地面にある赤い模様。それは、あの怪物の血だ。そして、出水達が歩いていた通路には、あの怪物が通った血の跡が一面に残されていた。
それを踏み締めて歩いてきた出水と琴音。その靴裏には、当然乾き切っていない血の跡が残されていることであり――。
そうか……俺達が踏んだ血の跡を頼りに、この病室に当たりをつけたってことか。
なぜ、あの血塗れの怪物がこの病室に入ってきたのか。その原因を、出水はすぐに理解することが出来た。
出水達が踏み締めた血の跡。それが靴裏にこびり付いたことで、歩いた地面に新たな血の跡を残す形となったのだ。
それが、この病室へと続いていたことで、あの巨大な怪物がこの中に出水達が逃げ込んだとでも考えたのだろう。
状況は、かなり切迫していた。
「ァァァアアアア」
隠れている出水達を探しているのだろう。巨大な怪物は無き空洞となった両目で周囲を見渡している。
目が無いにも関わらず、どうやって血の跡を嗅ぎ分けたのか、その理屈は分かりようもない。
ただ、この状況は先ほどのロッカーに中にいた時とは違う。
隠れている出水達からでも、ほんの数メートル先にいる巨大な化け物を見ながらという恐ろしい状況を目の当たりにしているのだ。
声も、音も何一つ出すことはできない。ただ静かに、早くこの場を去ってくれと願いながら、出水達は身じろぎ一つせず険しい顔つきで巨大な怪物の動きを見計らっていた。
「ァァァアア……」
ひとしきり病室内の中を見渡したのだろう。結局、出水達を見つけられなかった巨大な血塗れの怪物は、身を翻して壊された病室の扉の出口へと動き出していく。
そして、出水達が当初目的としていたエレベーターがある通路とは逆の受付がある方向へと怪物はゆっくりと這いずっていく。
「……行ったか?」
「……うん。少しずつだけど、気配が離れていってる」
「よし、行こう」
誰もいなくなった病室のベッドの下で二人は確認を取り合い、そのままベッドの下から這いずり出た。
本当に、生きた心地がしなかった。
見つかればお終いの極限な状況だ。ある意味、究極的なかくれんぼといってもいいだろう。
かつて、出水は隠密機動特殊部隊の訓練生だった時にも、初めての訓練がこのような状況だった。
あの時と同じく、寮室のベッドの下で隠れていた出水は、鬼塚隊長にあっさりと見つかるという結果に終わってしまったのだが、今回はそうはならなかった。
生き延びたことにホッとする想いで、出水は血に濡れた地面を見ると、
「あの野郎……俺達の靴裏にこびりついた血の足跡からここにいるって勘づいてやがったよ」
「だとしたら、大した知能を持ち合わせているってことよね。さすがにこの病室に入ってきた時は死ぬかと思ったわ」
「……俺も同感」
迫り来る死の恐怖は、今までに幾度となく経験してきた。
だが、今回は戦わずしての死の恐怖だ。
多分、モルフに追われて隠れる人間達は、このような恐怖を感じていたのだろう。武器を今まで使うことが出来ていた出水には、今回の経験はあまりにも精神的な疲労を注ぎ込んでしまっていた。
「……琴音、今どの辺だ?」
「受付付近で止まってるよ。多分……今から出てエレベーターの方へ向かってもどうにかなりそうだけど」
「ライトは消したままにしよう。下手に点けて気付かれても困る」
「そうね」
安心こそすれど、心に余裕は無い様子で、出水と琴音は互いに納得し合った。
そして、彼らは破壊された病室と通路をつなぐ扉を通り抜けて、再び通路へと差し掛かる。
この時点で、出水はあの血塗れの怪物が近くにいるのではと警戒していたのだが、それはなかった。
ここから受付までは大体二十メートル前後。それほど離れていれば、あの怪物の呻き声もそうは聞こえてこない。
琴音の異常聴力の通り、すぐ近くにいないことを理解出来た出水はホッとして、目的としていたエレベーターがある方向の通路へと視線を向ける。
「……あいつが受付側にいる間に、さっさと行かねえと……」
リスクを冒してまであの怪物を別方向へと追いやれたのだ。だから、時間は無駄にはできないと出水は早速、真っ暗闇の通路を歩く。
琴音も何も言わずついていき、後ろを少し警戒する様子で出水の後ろを歩いてきていた。
そして、十メートル近く歩いたところであろうか。出水達から見て左手の壁沿いに、エレベーターが見えてきた。
「――あった」
これで、これで下へと降りられると、出水は早速、エレベーターの下へと降りる為のボタンを押す。
そして、この階に止まっていたのだろう。エレベーターのドアが開いた。
「琴音、行こう」
「……来てる」
「え?」
「あいつが……こっちに向かってきてる!」
ホッとするのは束の間。焦る琴音の様子から、何が迫って来ているのか、出水はすぐに悟ることができた。
「クソッ! 入るぞ!」
もはや、止まってなどいられない。
琴音の手を掴み、出水はエレベーターの中へと入り、すぐにでも扉を閉めようとボタンを押した。
しかし、
「……マジかよ」
それは、出水達が事前に危惧していた現象だった。
エレベーターの扉はすぐに閉まろうとはせず、ゆっくりと、スローモーションのように扉が閉まろうとしていたのだ。
これでは、どうすることも出来ない。
「琴音! あとどれくらいの位置にいる!?」
「もう……すぐそこまで来てる!」
まだ半分も閉まりきっていないドア。その時、最悪が二人の耳へと入ろうとした。
「ァァァアア」
「――っ!」
呻き声が、何度も聞いたあの呻き声がすぐそこまで聞こえてきている。
焦り、ドアを閉めるボタンを連打しても、エレベーターは応えようとはしてくれない。安全を確認する為に、ドアは尚もゆっくりと閉まろうとしていた。
「ヤバい……早く、早くっ!」
「出水、前!」
ドアが閉まり切るのを祈り続けた結果、状況は最悪の道筋を辿ろうとした。
あの血塗れの怪物が遂に姿を現し、その巨体が閉まり切ろうとするエレベーターのドアの間へと突っ込んでくる。
「――っ!」
「ヤバいよ! ドアが開く!」
エレベーターのドアには、挟まる危険を防ぐ為に、挟まった時に開くという機能が備わっている。
それが機能してしまえば、ドアは無情にも開いてしまい、出水達には逃げ場が無くなってしまう。
そして、血塗れの怪物がエレベーターの中へと乗り込もうとした直後だった。
「っ、ああぁぁぁっっ!!」
接近することを恐れず、出水は琴音から預かっていたメスを持って、それを血塗れの怪物の巨大な顔面へと勢いよく突き刺した。
グチャリと、何とも気分の悪い刺した感覚が手に残りながらも、出水は抉るようにしてメスを振り抜く。
「ァァァアアアアアッッ!!」
そして、血塗れの怪物は今までの呻き声とは違う、叫び声に似た奇声を上げて、後ろへと後退した。
そして、エレベーターのドアが完全に閉まり切る。
「はぁっ……はぁっ……」
「…………」
密室空間となったそのエレベーターは、出水と琴音だけが残る形となって、助かることとなる。
一階のボタンを押していないことで、エレベーターはまだ下へと降りようとはしていないのだが、彼らは動くことが出来なかった。
目の前の危険を回避出来たという現実に、未だ実感が伴っていなかったのだ。
「た、助かった……のか?」
「……そう、ね」
震える声で、出水は琴音にそう問いただした。
琴音も同様に、足が竦み、地べたに膝を突いていたのだが、今がどんな状況なのかがハッキリとはしていない様子だった。
助かった。その事実を呑み込めたのは、十秒ほど経った頃である。
「――まさか、こんなところでメスが役に立つとはな」
「護身用に持ってて正解だったわね。あれが無かったらって考えると……」
もしも、琴音がメスを持っていなければ、間違いなく出水達には何も出来なかった。
巡り合わせが、彼らを生き残らせるという運命を導いたと言っても過言ではなかったのだ。
「とにかく……これであいつとはおさらばできるな」
「もう……二度と会いたくないわね」
正体こそ分からないが、分かりたいとも考えない。
それほどに、出水達はこの病院の二階であの血塗れの怪物に追い込まれてしまっていたのだ。
一種のトラウマといっていいぐらい、彼らの脳裏にはそれが焼き付けられていた。
「……あとは出口に向かうだけ。落ち着いたら降りましょう」
「あぁ」
先のことは忘れて、次のことを考え始める琴音。出水も同じように考えて、彼らは少しだけ休憩することにした。




