最終章 プロローグ 『幕開け』
そこは上空、五十メートルに達する高層ビルの一角。風は強く、一度煽られるだけで紙程度の軽いものならば簡単に吹き飛んでいくその頂上で、一人の男が街並みを見下ろしていた。
「――長かった」
その言葉の重みは、聞いていた者には到底理解出来ない程のものがあった。
銀髪の髪を肩まで伸ばし、背中には二本の剣を帯刀した男、リアムは自由の国と呼ばれ、今も平和に満ちた街並みを見ながらそう呟いていた。
ある者は、その男に対して恐怖を抱いていた。
ある者は、その男に対して恨みを抱いていた。
そして、ある者はその男に対して絶対的な強さを見出していた。
リアムはモルフウイルスを研究対象にし、人間に投与することを決めた第一人物。
御影島から始まり、日本を崩壊させ、メキシコでさえ感染の渦に巻き込み、そして全世界にテロリストを使ってウイルスをばら撒かさせた。
彼に罪悪感なんてものは一ミリも存在しない。
むしろ、達成感さえ感じていた彼を理解出来る者など、よほどの狂人でもない限りはありえないだろう。
「ようやくだ。ようやく、私とお前の願いが叶う時がくる」
リアムが言うお前とは誰のことか、第三者目線からでは絶対に分かるものではない。
彼の言う願いを共にしていた者は、クリサリダという組織を共に作り上げた人間。
もう長年会っていないが、それでもお互いにこの日を待っていたには違いなかった。
「全ての終わりを――いや、終わりの始まりを告げよう。人間共よ」
彼は地上にいる人間達へと向けて、そう告げる。
聞こえてなどいない。彼にとっては、それが宣戦布告たるものになるのだが、それで十分だ。
リアムは『レベル5モルフ』であり、生きている人間は皆、敵と認識している。
モルフと人間。決して交わることのないその壁は、どんな壁よりも遥かに厚い。
リアムは街並みを見下ろしながら、両手を高く上げた。
「さぁ、始めようか。崩壊の序幕を――」
彼の頭上より上、そこには普段は見ることもない、数十にも及ぶヘリの姿があり、そして――。
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平和とは何なのか。それを言及するには様々な意味があるのかもしれない。
「おーし、新人! 無事に成約取れたらしいじゃねえの! さすがだなぁ!」
平和とは、人々が安心して暮らしていくことなのか。
「い、いえいえ、自分なんかまだまだですよ」
平和とは、誰も死なない世の中のことを言うのか。
「謙虚だなぁ。よし、今日は俺の奢りだ! 潰れるまで呑むぞぉ!」
平和とは、弱者も強者も分かり合って生きていく世界のことを指すのか。
「は、はは。潰れるのはちょっと嫌だなぁ……」
人間は、死ぬことを極端に怖がる生き物だ。
「何を遠慮するかぁ。それにしてもヘリの音がうるせえなぁ。何やってんだ?」
昆虫や魚などは、生命の危機に瀕した時、逃げることはあっても悲鳴は上げない。むしろ、死にに行くような生物だって存在する。
「確かに……なんですかねぇ?」
人間は感情を持つ生物であり、生と死による概念に対して、特に執着心が強い生き物なのだ。
「ねぇ、聞いた? ルーカス先輩に彼女が出来たって話?」
だから、人間は死なない為に手を取り合って生きることを選んだ。
「聞いた聞いた! ショックだったなぁ……私狙ってたのに……」
だから、人間には歴史があり、その数を何十億へと増やし続けてこられた。
「あんたなんかじゃルーカス先輩と釣り合わないでしょ。まあ……私も人のこと言えないけど」
しかし、それは本当に平和と言えるのだろうか?
「え、ジョディ、まさかあんたも狙ってたの? うっそぉ、知らなかったよ!」
人間はそこに至るまで、何度も人同士で争いを繰り返してきた。
「うーん、まあお互い失恋ってやつだね。私はそんなに傷は深くないけど」
争う必要など何もないのに、差別や貧困、飢えなどは今になっても絶えることはなかった。
「うーわ、モテる奴の嫌味ねー。ジョディ、あんたみたいな綺麗系はほんと羨ましいわ」
なぜ、手を取り合おうとしないのか。なぜ、見て見ぬフリをするのか。なぜ、ペルソナを被ってまで人間は生きていられるのか。
「モテてなんかないってば! ――なんかさっきから霧みたいなの飛んでない? なんかベタベタする……」
人間同士の争いだけじゃない。人間は、自分達が豊かに暮らす為に様々な動植物を排他してきた。
「そういえばそうだね……。上にいるヘリ、かな? なんかイベントでもやってんのかな?」
多くの木々を切り倒し、汚染水を海に垂れ流し、終いには発電などの影響で多量のCO2を排出していた。
「爺さん、そんな急がんくても病院は逃げませんよ?」
その影響で、一体どれほどの生態系を崩してきたか。一体、どれほどの生物達を絶滅寸前にまで追いやったのか。この地球上で生きている人間のほとんどはその本質を理解していないだろう。
「うるさい! わしはもう歳だ……。死ぬ前に孫の姿を拝まんで死ねるか!」
どれほどの人間が、その事実から目を背けてきたか。知らなかったなどでは済まされる問題ではなかった。
「そんだけ元気がありゃあ十分ですよ……。ですからタクシーで行きましょう。そっちの方が早いですから」
少し考えれば、どれだけ重大な問題になっていたかなど、誰にだって理解出来た筈だ。
「自分の足で行く! わしを老人扱いするでない!」
それをしなかったのは、先ほどと同じ、見て見ぬフリをしてきたからに他ならなかった。
「元気じゃないですか……。それにしても、なんか気分が悪いなぁ。お酒呑んだわけじゃないのに、二日酔いみたいな気分だ」
それをしなかったのは、人間一人一人が自身のことしか考えてこなかったからだ。
「ワンワン!」
「あっ、マックス! 待て、落ち着け! どうした急に!?」
手を取り合って生きるなんてものは建前のものであり、妄言そのものだ。
「ふふ、マックスも昨日の誕生日が嬉しかったんじゃない? 今日はすごい楽しそう」
人間は、そうやって生きてきた。
「うーん、元気なのかなぁ。ずっと空を見上げて吠えてるからなんか気になるんだけど……」
だから、人間はいつか滅びる運命にあるだろう。
「久々の遠出の散歩だからはしゃいでるのよ」
だから、その滅びる先が少し短くなるだけだ。
「ワンワン! グルルル――」
そして、世界は新しく生まれ変わるだろう。
人間という劣等種は消え、生物達との共存。元の自然社会の姿に戻るモルフ達の存在によって――。
PM十二時過ぎ、アメリカ全土において、同時的に発生した謎の暴徒達の襲撃により、大混乱に陥ることになった。
今までの各国におけるウイルス襲撃とは比にもならない。それこそ、大規模なモルフウイルスの感染によって、対処が出来ない程に追い込まれる事態となる。
本来ならばあり得ないはずの突然のテロに、アメリカ側は混乱になり、地方の警察や軍人達を即座に動かすも、感染者の対処に回りきれない事態へと追い込まれていく。
そして、人類とモルフにおける最後の戦いが始まろうとしていた。
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「ほえー、すげえな。ここまでやっちまうのかよ、俺達、クリサリダってのは」
街の景観を見下ろしながら肩に銃剣を置く男、レオはそう言葉を漏らす。
自分自身もこの事態を招いたクリサリダの一員であることを分かっていながら、あえてそのような言葉を口に出したのだが、その心中は場の状況を面白おかしく見ていたも同然であった。
「で? リアムさんはこの後どうするつもりで?」
レオよりも高い位置から街を見下ろす銀髪の男、リアムを見ながらレオは今後について問いかける。
これだけでも十分にアメリカを蹂躙できるとは考えていたが、この男がそれだけで済ませるわけがない。
その為に、わざわざ全員でここにやってきていたのだ。
「レオ、あまり気安く話しかけて、殺されても知らないよ」
「なんだよエレナ。お前も結構楽しんでんじゃねえの?」
「……まあ、私としては愉快な光景ね。復讐を果たすことが出来たんだから」
レオと同じ高さの立ち位置で、街を見下ろす細身の女性、エレナは微笑みながらそう言った。
彼女の復讐心はどこから来たものかはレオ自身も知らない。
エレナ自身も誰かに話したことなどないだろう。それは、この場にいる誰もが興味など持っていなかったこともあるが――、
「何を言ってる? まだ果たすことは出来ていないだろう?」
突如、割り込むようにして会話に入ってきた男、エレナとレオよりも低い位置で柵の上に座っていたその男はこちらを見ないままそう言った。
側から見れば、その柵から誤って落ちでもすれば地上へと真っ逆さまに墜落死するにも関わらず、彼は平然とした様子で空中に足を振りながらいると、
「これから俺達が潰すんだろうが。この程度で済ますんじゃねえよ」
「イライザ――」
「とはいっても、俺もこれからどうするかは知らねえからレオとは同じ意見だがな。そこんとこ、どうなんだ、リアムさん」
イライザと呼ばれる黒コートに身を包み、髪を逆立てた男は煙草を吹かしながらリアムへと問いかける。
リアムは一番高い位置からクリサリダの幹部構成員達を見下ろしながら、
「これからお前達には逃げ惑う生存者達の排除をしてもらう。特に、武器を持つ兵隊達が主になるがな」
「願ったり叶ったりだな。殺しは得意だぜ」
「リアムさん、そういや新しい剣使ってんすねー。新調したんですか?」
意気込むイライザに合わせて、レオはリアムが持つ赤黒く染まった剣に目を向けてそう問いかける。
今まで見てきた長刀ではない違った剣に変わっていたので気になっていたのだが、リアムは薄く微笑むと、
「かつての弟子に随分と刃こぼれされたからね。私が持つ剣の中でも特注の物を用意したのだよ」
「へぇー、かっけえなぁ。奪いたい気持ちもあるけど、あんたには絶対勝てないからな。かつての弟子ってのは、俺達に戦うなと指示してた桐生とかいう奴ですかい?」
「――そうだな」
レオの問いかけに、リアムは物憂げな表情で肯定の返事を返す。
リアムは日本支部にいたあの時、ここにいるリーフェンを除いた幹部構成員達には桐生と戦わないよう指示を出していた。
その理由は殺されるからだということに一同が共に理解していたのだが、レオだけはあまり納得していなかった。
「あいつは俺がやりたかったけどなぁ。リベンジの意味も込めて」
「あんたには勝てないよ。あれは怪物だ」
「なんだよ、エレナ。ちょっと油断しただけだってのに」
冷静な物言いでそう言うエレナに、レオは不満げにそう言葉を漏らすが、実際、リアムの判断は正しかった。
『レベル5モルフ』であるリアムとリーフェン以外に桐生とやり合える者はそうはいない。
以前のように、『レベル4モルフ』をぶつけて乱戦に持ち込んだ状態でもレオは圧倒されていたのだ。
少なからず、タイマンで勝負して勝てる相手ではなかった。
「桐生って奴は知らねーけど、もうこの世にはいねえんだろ? だったらあとは楽勝だな」
「油断するな。まだお前達をいとも簡単に殺すことができる人間はいる」
「――へえ、リアムさんがそう言うってことは相当な奴だな、そいつ。もしかして、報告にあったアメリカ側の『レベル5モルフ』か?」
イライザの問いかけに、リアムは声を出さずに静かに頷く。
「そうだ。強さで言えば桐生と遜色はない。――いや、それ以上になった可能性すらある」
「なった……ね。俄然、興味が湧いたぜ」
イライザはリアムの言葉を聞いて、口角を限界まで引き攣り上げると、
「リアムさん、ちなみにだが、そいつは殺してもいいのか?」
「――出来るものならやってみるがいい。彼がキミに負けることなど、万に一つもありえないだろうがな」
「……ひゃはっ!」
普通ならば逆上してもおかしくないその物言いに対し、イライザは逆に興奮を冷めやらぬ様子だった。
リアムが集めた幹部構成員のこの者達は、とびきり頭のネジが吹っ飛んだ連中であった。
他の構成員は皆、忠実に動く兵隊のようなものだが、幹部に属する者達はまるで別物だ。
それは、イライザに留まるものではなかった――。
「あははは、綺麗だなぁ。皆、必死で逃げてる。いいなぁ、僕もあそこに加わりたいなぁ。楽しそうで羨ましい」
リアムやイライザ達から少し離れた位置で、子どものように無邪気な表情で地上にある悲惨な光景を眺めている童顔の青年は、指を齧りながらウズウズとしていた。
見た目は十五歳にも満たない少年にしか見えないが、周囲から見れば異様な見た目だ。
髪は白く、ボサボサになった髪の毛は手入れもされていなさそうで、死んだ魚のような目をしたその虚な表情は普通の人間とは思えないだろう。
「ライも出すのか。いいのか? 敵味方関係なくナイフで人をおもちゃみたいに切り刻む気狂いだぞ?」
「構わない。むしろ、彼は今回の作戦において、敵を混乱させる良い材料になるだろうからね」
「人を材料扱いかよ、笑えるぜ」
それがイライザ自身にも掛かっているものだということに本人も気づいてはいたが、彼は受け流していた。
そしてそれは、レオとエレナも同様だ。
「殺したいなぁ、はやくはやくはやくはやくはやくっっ!!」
「おいおい、そろそろ自由にさせねえとこっちにまで被害が及びそうだな……」
血が出るほどに指を齧りながら興奮するライに、イライザは引き気味にそう溢していた。
ライを押さえつけることが出来る構成員はこの中で言えばリアムのみだ。
日本支部においても、ライは見境なく仲間を惨殺死体に変えたりなど、問題こそ多い人間だったのだが、その戦闘力だけは認めざるを得ないほどの手練れだ。
「それで、この中で唯一ダンマリを決め込んでるお前は何か話すことはねえのか?」
「――――」
ライのことは放っておいたイライザは、唯一、この中で言葉一つ発していない仮面をつけた男へと声を掛ける。
イライザの問いかけに無視を決め込むようにして何も言葉を発しないその男は地上を見ながら、
「これで……救われる」
「あ?」
「私の宿願が果たされる。ようやくだ」
「何言ってんだか知らねーけど、お前が話すとこ初めて聞いたぜ。名も知らねーけど」
独り言を話し続ける仮面の男に、イライザは煽るようにして言葉を投げかけた。
それすらも気にすらかけない仮面の男であったが、これでも一応は幹部構成員の一人だ。
正体は分からないが、イライザもレオもエレナも、ライも仮面の男のことをよく知らない。
リアムは知っているのだろうが、どこまで知っているのかは他の幹部構成員達は知る由もなかった。
「――聞け」
その時、リアムから声を投げかけられた。
それがイライザだけでなく、この場にいた全員に向けてのものだということに皆が理解したのか、一同はリアムへと顔を向ける。
「お前達は俺が選んだ中でも殺しに長けた存在。これからお前達にやってもらうのはさっきも言った通り、生き残った人間共の始末だ。それは分かるな?」
今までの柔和な口調とは違い、人が変わったかのような低い口調でそう語りかけるリアムに、一同は何もリアクションを起こさない。
起こしたくとも起こせなかったのだ。
それほどの凶悪な殺意を身に受けていた一同は全身に緊張が走っていた。
「先ほど話したアメリカ側の『レベル5モルフ』、笠井修二は私を殺しに追ってくるだろう。彼の相手は私に任せたまえ。もっとも、よほど相手をしたいのなら戦っても構わないが」
桐生の意思を受け継ぎ、リアムに恨み憎しみを抱いた笠井修二は、必ずリアムを殺しにアメリカへと舞い戻ってくる。
それは、事前に聞かされていた報告でライを除いた全員が共有していた。
その上で、笠井修二と戦いたいと望む者がこの中にいるのならば、リアムは止めないということだ。
「リーフェン、お前は避難民が一挙に集まるであろう例の場所の襲撃をしろ」
「――うん、分かった、父さん」
「ミラについてだが、彼女はもうこのアメリカに着いているとのことだ。ここにはいないが、彼女にはやるべきことはもう伝えてある」
リアムと同じ『レベル5モルフ』の力を持つ二人の女性、その一人であるリーフェンへと指示を出し、もう一人のミラの所在をリアムは伝えた。
どちらもリアムの娘という立ち位置だが、実際には血の繋がりがあるわけではない。
あくまで異質な力を持つ『レベル5モルフ』に対してのみ、そういった呼び方を呼称しているのだと構成員達は考えていた。
しかし、その実力は幹部構成員を遥かに凌ぐ人間を超えた特質な存在であった。
「――これが、私達クリサリダにとっての最後の任務となる」
「――――」
物憂げな表情でそう語るリアムに、一同は何も口を開かない。
「キミ達にとっては、クリサリダの目的など自身の目的と合致したからいるに過ぎないことも私は良く知っている。……だからこそ、私は最後にこう伝えよう」
赤黒く染まった灼熱のような輝きを見せる刀を幹部構成員達へと向けたリアムは、感情の消えた瞳で持ってこう伝えた。
「人間は一人残らず殺せ。やり方はお前達に任せる」
「――了解」
リアムの指示に、ライを除いた全員が声を合わせてそう返事を返した。
全ての人間を殺し、誰一人とて生かしてはならない。それが、リアムから幹部構成員に向けた最後の命令となった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
ズルズルと足を引きずる音がした。
その足音を立てる者は全身の衣服を赤黒く染め、尚も地面にはその元となる血が流れ落ちていた。
それは、その者の血などではない。
右手には血に塗れた剣を、左手には常に引き金に指を置いた状態のサブマシンガンを持ち、誰もいないトンネルの中をただ静かに歩く。
前など見ておらず、側からみれば恐れ戦くほどの圧迫感を醸し出す彼は、ゆっくりと着実に歩を進めていた。
「止まりな」
「――――」
突如、目の前に現れ、血塗れの男に拳銃を向ける男がいた。
血塗れの男は彼のことを知っていた。
かつては、メキシコ国境線での攻防戦に共に参加し、神田慶次の部隊にいたアメリカ人の男、マイルズだった。
彼は血塗れの男へと拳銃を向けながら、下ろす姿勢もないままにこう言った。
「聞いたぜ。お前、日本に行ったんだってな」
「――――」
「シカトかよ、それで? お前の欲しいものは得られたのか?」
マイルズのその問いに、血塗れの男は何も答えない。
ただ、拳銃を向けられていることからズルズルと引きずるように歩いていた足は止まっていた。
「街はすごいことになってるぜ。正に阿鼻叫喚ってやつだ。本当、すげえよな、モルフってやつは」
感傷に浸りながらそう言葉を漏らすマイルズに、その状況を客観視する者がこの場にいれば不自然に感じるだろう。
なぜなら、この男はアメリカ側の軍隊であるにもかかわらず、なぜか民間人を助けだそうともしていなかったからだ。
「俺はなぁ、正直飽き飽きしてたんだ。刺激の無い日々ってやつをよ。軍隊に入ったにもかかわらず、俺に待っていたのは退屈な訓練ばかりだった」
「――――」
「そんな時、俺に声を掛けたのは奴らだった。奴らは、俺にとって面白い提案ばっかしてくれたよ。金や女? そんなものに俺は興味はない。ただ、刺激的な毎日を過ごさせてくれる方が楽しいことに気づいたんだ」
マイルズにとって、生きる意味とは他の大多数の人間とは考えが違っていた。
金や地位などには全く興味がなかった彼が求めていたのは刺激だった。
今、地上で起きている大規模な民間人のモルフの感染は、マイルズにとって刺激心を煽るのには十分なものだった。
「俺は奴らについていくことにしたんだ。他のどの国も手が出せなかったとされる大国、アメリカをぶっ潰す瞬間なんて刺激的に過ぎる。なぁ、そう思わねえか? 笠井修二」
マイルズは今も黙りこくる血塗れの男、笠井修二へとそう問いただす。
拳銃を向けられているにもかかわらず、彼は身じろぎ一つもせず、マイルズへと目もくれていなかった。
「クリサリダはアメリカを潰すつもりだ。お前も日本で何があったのかは知らねえが、命が惜しければ俺とこいよ。お前にはあの『レベル5モルフ』の力を持つ女、椎名真希を誘き出すエサになってもらうんだからな」
自身の目的を明かし、マイルズは拳銃の銃口を修二の頭部へと照準を定める。
逆らうのならば、当然の如く殺すつもりだった。
たかだか日本人の一人や二人、殺すことにマイルズには何の躊躇もない。
だからこそ、この笠井修二という男を散々なまでに利用してやるつもりだったが、
「――――」
「……おい、聞いてんのかよ。止まれ」
修二は無言のままに、止めていた足を動かし、マイルズへと近づいていく。
その目はマイルズなど一瞥もくれておらず、ずっと地面の上へと視線が向かっていた。
「調子乗ってるな、お前? 痛い目に合わねえと分からねえようだな」
マイルズは修二の頭部へと向けた拳銃の銃口を少し下げ、肩部分へと銃口を向けた。
ほんの少しの威嚇の意味を込めてでもあった。
彼は修二の肩を撃ち抜こうとし、その痛みでもって立場を理解させようとして即座に引き金を引いたが、――銃弾は彼の肩には当たらなかった。
「――あ?」
外した、とは思えなかった。
この距離でマイルズが狙いを外すなど、まずありえなかったからだ。
なのに、どうして弾は修二の肩に命中しなかったのか。
「――こにいる?」
「……なに?」
小さい声で何かを呟く修二に、マイルズは聞き取ることが出来ずに再度問いかける。
もう一歩、近づいてくれば否応無しに何発も撃ち込むつもりでいたマイルズであったが、その時、
「リアムはどこにいる?」
その口調は、静かでありながら恐れるほどの強い意思を感じさせた。
そして、マイルズは自身の視界に違和感を感じさせた。
拳銃がない? いや、そもそも、俺の腕は――?
その疑問の答えは、一瞬で脳が理解することとなった。
マイルズの拳銃を握っていた手だけではない。腕が一瞬で切断され、いつのまにか足元へと転がっていたのだ。
「あ、がぁぁぉぁぁぁぁっっ!?」
「リアムはどこにいる?」
三度、問いかけてくる修二に対し、マイルズは失った右腕の傷口の痛みに悶絶するのみだった。
一体、いつのまに攻撃されたのか、まるで目で追うことすらできなかった。
そもそも、目の前にいた笠井修二は一歩も動いていない筈だ。なのに、どうして腕を斬り落とされたのか、マイルズは目を血走るようにしてこちらへと近づく修二を見る。
本当に、これがあの笠井修二か?
前に見た時は、もっと穏やかな青年だった筈だ。
今、目の前にいる笠井修二は、もはや別人だと思わせるほどの狂気を身に纏っている。
「リアムはどこにいる?」
「――っ」
マイルズの正面まで近づき、冷酷な黒瞳でこちらを射抜く笠井修二に、マイルズは初めて恐怖を抱く。
このまま何も答えなければ、あと数秒も間もなく殺される。
そうした確信さえあるほどの殺気が、マイルズの全身を覆っていたのだった。
「り、リアムは……イリノイ州の……シカゴにいる……筈だ。それ以外は……知らない」
震える声でそう伝えるマイルズに、笠井修二はその冷酷な瞳に動きがないまま、左手を上げた。
その手にはサブマシンガンが握られており、その銃口がマイルズの顔面へとゆっくりと向けられると、
「ま、待て! おれは……がっ!」
欲しい情報をそのままに伝えたにもかかわらず、笠井修二はサブマシンガンの引き金を引き、引いて、引き金を引く指を止めなかった。
何発も何発もマイルズの体に撃ち込まれ、既に絶命してることが確かであると分かっていても、彼は撃つことを止めなかった。
そうして、弾切れになるまで撃ち尽くした彼は、ゆっくりとサブマシンガンを持った左手を下ろす。
「リアム、お前だけじゃない。クリサリダは俺が、俺が全て根絶やしにして滅ぼしてやる。待っていろ」
顔面を穴だらけにされ、絶命したマイルズの隣を歩く笠井修二。地面に広がるマイルズの死体から流れ出る血を踏み、笠井修二は再び歩き出す。
彼の中にあるのは、全ての元凶たるクリサリダへの憎しみだけだ。
それを全て吐き出すまでは、彼は元の自分の姿に戻ることはないだろう。
もっとも、目的を達成しても、あの頃の笠井修二に戻れるかどうかは分からない。
もう彼には、戻るべき場所など無いと考えていたのだから――。




