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Levelモルフ  作者: 太陽
第五章 『亡国潜入』
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第五章 第四話 『笠井修二』

 目覚めは、窓から差し込む陽射しを受けた瞬間だった。


「んっ、朝か……」


 笠井修二は、日光の光を受けて、欠伸をしながら伸びをした。

 案外、これが彼のルーティンでもあり、効率の良い起き方でもあった。

 本来ならば、目覚まし時計のアラームを使うのがセオリーだろうが、修二は寝起きから大音量を聴くのが苦手だ。

 気分も良くはないし、自然に起きるならばこの形が理想的でもあったのだ。


「おーう、修二。起きてるかー。朝飯、もう作ってるぞー」


「あー、すぐいく!」


 階段下から父の声が聞こえて、修二は目を擦りながら返事を返した。

 父、笠井嵐は修二と一緒に暮らしている唯一の家族だ。

 母は修二がまだ物心もついていない小さい頃に他界し、今は父が男手一つでこの家を支えてくれている。

 修二としては、そんな父に反抗するような時期は特になく、むしろ尊敬すらしていた。

 毎日、家に一緒にいても、テストの点数が悪かろうと、うっかり父のバイクに跨り、転がしてしまった時も父は叱るわけでもなく、修二の話を第一に聞いてくれる。

 もちろん、修二も反省はしていたし、叱られたとしても嫌いになることはなかった。

 ただ、親身になって話を聞いてくれようとしたのが、何よりも嬉しかったのだ。


「おっ、降りてきたか。今日は俺の特製の朝飯だ。しっかり食って学校行ってこいよ」


「……父さんの特製って聞くと大体、嫌な予感しかしないんだけど……」


「なにおう。昨日見たゴチ番組の真似事で格安肉を高級ステーキにする調理法をマスターしたんだ。絶対美味いから食ってみろって」


「朝からステーキは重すぎるだろ……」


 リビングに来た時点で嫌な予感はしていたが、この匂いは確かに肉だ。

 テーブルの上に置かれたそれを見て、確かに昨日の番組でやってた料理そのものだが、朝飯にするにはいくらなんでも胃にキツイ。


「……なぁ、まさかこれ、俺一人の分?」


「ん? 当たり前だろ? ほら、俺の分もここにあるし」


 そう言って、父は自分用のステーキを調理場から持ち出してきた。

 どうやら、二人前を作ってしまっていたようである。


「……これ、本当に食わないとダメ?」


「おいおい、父の頑張りをお前は無碍にするのか? そんな薄情な男に育てた覚えはないぞ」


「そういうならせめて食パンとかにしてくれよ……」


 頭に手をやりながら、父はそれでも知らぬとでも言うかのようにステーキを頬張っている。

「はぁ……」と、ため息をついた修二は、仕方なく椅子に座り、皿の隣に置かれたナイフとフォークを手に取る。

 どう見ても晩御飯のような料理だが、せっかく作ってくれたからには修二も無駄にするわけにもいかない。

 とりあえず、ナイフで切った肉をフォークで差し、それを口に入れると、ジューシーな香りと味が口の中を支配した。


「……美味え」


「ほら、だから言っただろ? 毎朝、これにしてもいいかもなぁ」


「いいわけねえだろ!」


 さすがに、こんなのが毎朝出されるのは勘弁であった。

 ヘビーすぎる朝食を永遠と繰り返せば、生活リズムにも影響を来しかねないし、こういう朝は簡素なものが一番でもある。


「ははっ、冗談だよ。修二、学校は楽しんでるか?」


「なんだよ、急に……。まあ、ボチボチやってるよ」


「おいおい、なんか釈然としない答え方だな。椎名ちゃんやリク君とも同じクラスなんだろ? まさか、仲が悪いわけでもあるまいに」


「仲はいつも通り良いよ。父さんが考えるような悪いことは起きてないし、そこは心配しなくて大丈夫だからさ」


「そうか? なら良いんだけど」


 父は、修二の学校環境を知りたかったのだろうが、修二としても特に何かを伝えられるような話は持ち合わせていなかった。

 あまり、心配をかけたくがない上での適当な答え方だったのだが、修二に悪気はない。

 楽しいか楽しくないかと言われれば、それは楽しいとは考えてはいたが。


「まっ、何にしても、高校生活はたったの三年間しかないんだからな。今のうちに楽しんでおかないと損だぞ」


「でも、なんだかんだ大学受験とかも控えてるし、勉強ばっかになったら楽しむことも難しんじゃないの?」


「そりゃあ修二、勉強も仲間と共にやってこその楽しみでもあるだろう。大人になるとな。意外と昔の友人と会うことって少なくなるもんだからな」


 父の意見も、分からないわけでもない。

 大人になれば、当たり前のように顔を合わせていた友人達とも離れ離れになることは必死だ。

 それでもたまには会うこともあるかもしれないが、今の学校生活ほどではない。

 だからこそ、今を楽しめと、父はそう言いたかったのだろう。


「そうだな。いつまでも一緒にいられるわけじゃないし、そうするよ」


「そうそう。あーでも、椎名ちゃんはあれか? 修二と結婚したら一緒にいられるからそこは別か?」


「ぶふっ!」


 とんでもないことを言い出した父に、修二はお口直しに飲んでいた水を吐き出す。

 父のステーキの上にそれがかかって、悲壮な表情をした父であったが、修二はそれどころではなかった。


「おまっ!? 俺のステーキに何してるんだよ!?」


「父さんが意味分からないこと言い出すからだろ!? てか、なんで俺が椎名と結婚する流れになってんだ!」


「なんだ……違うのか? お前、椎名ちゃんのこと好きだと思ってたのに」


「……ち、違うに決まってんだろ」


「――ふーん、そうかい。まあ、違うってんなら別に良いんだけど?」


 ニヤニヤとしながら首を傾げる父に、修二はコップに残っていた水をぶつけたくなったが、一応我慢した。

 どうして、椎名のことを父が出したのかよくわからないが、修二は椎名と一緒にいる未来に想像がつかない。

 椎名は椎名で、誰彼構わず優しく接する人柄をしており、彼女に好きな人がいるかどうかあの鉄平ですら判別がつかないと言っていたぐらいだ。

 そんな椎名に、彼氏でも出来るようなものなら――、


「まあ、幼馴染としては喜ぶべきところなのかな……」


『修二――』


「えっ?」


 一瞬、自分の名を呼ぶ声が聞こえて、修二は後ろを振り返った。

 そこには誰もいるわけでもなく、ただ冷蔵庫が置かれていただけだ。


「どうした? 修二?」


「いや……なんでも……ないよ」


 今のはなんだったのだろうか?

 なんだか懐かしい、いや、聞いたことのある声だった。


「朝からステーキ食っておかしくなってきたのかもな。美味しかったよ、ごちそうさん」


「前半と後半の文脈で傷つくところが父さんも困るんだが……」


「だったら明日は食パンをトーストしてくれたら助かるよ」


 最後に、念押しするように朝飯を改善するよう父に促すと、修二は歯を磨きにいき、荷物をまとめて学校に向かう準備をした。

 特に時間に追われることもなく、ゆっくり靴を履きながら外へ出る玄関の扉に手をつける直前、父が後ろに立っていた。


「修二、忘れ物はねえな?」


「大丈夫大丈夫。父さんこそ、仕事の準備しねえと遅刻するぞ」


「俺は今日は休みだから問題ない。修二、一ついいか?」


「ん? なんだよ?」


 あまり、時間をかけすぎると駆け足での登校になりかねないので、修二は急ぐように目線で訴えかける。

 父は、修二と目を合わせると一呼吸置いて口を開いた。


「もし、なんか悩みがあったら頼れよ。俺がいつだって相談に乗ってやるからな」


「――ああ、ありがとう」


 親指を立ててそう言う父に、修二も笑顔で返事をして、玄関の扉を開けて出て行った。

 あんなヘビーな朝食の後の割には、なんだか気分の良い朝であった。

 修二は、今だからこそ照れ臭さを捨て切れずにいて、父への態度もさっきのようなあけすけな対応をしていたのだが、本心では違っていた。


 この世界で、修二は父のことを一番に大事に想っている。

 それは、父も同じ筈であり、修二は父のことを考えている以上に信頼していたのだ。

 子どもの頃からずっと、父は修二へと言い続けてきた。


『お前が何か辛い壁にぶち当たった時がきても、どうしようもない悩みを持つことになっても、俺はお前を見捨てない。俺はお前の父ちゃんだからな』


 小っ恥ずかしいセリフを、よくよく言えたものだと思う。

 でも、修二はその父の言葉が嬉しかったのだ。

 これから先、何が起きようとも修二は乗り越えていける。

 そういう風に考えていけるからこそ、修二は生きてこれたのだった。


「あれ?」


 ふと、そう考えていた時だ。

 そういえば、どうして父は家にいるのだろう?

 確か、父は単身赴任で家に居ない筈で――。


「おーい、修二ー」


「よう、おっはよう!」


 頭の中での考えを遮り、学校までの道のりを歩いていると、待っていたかのように信号の先で二人組の男が手を振っていた。


「おう、おはよう。スガ、鉄平」


「なんだなんだ? いつにもまして元気あるなー修二。好きな子でも出来たの?」


「んなわけねーだろ」


 スガがふざけた調子で修二の肩へと手を回し、そんなことを聞いてきたのだが、どこ吹く風の如く、修二はあしらう。

 同じクラスメイトである二人とはクラスの中でも特に仲が良く、遊びにいくことも多い関係でもあった。


「ふーむ、スガ。俺のセンサーに反応しないということは多分、恋愛関係ではなさそうだぞ」


「お前は何の能力者なんだよ」


 当たっているとはいえ、鉄平のその謎の観察力は本当に理解し難かった。

 実際、クラスメイト達の好意を持つ相手を当てたりなどしていたり、それを吹聴しようとして女子にぶん殴られたりしていたのだが、修二からすれば持ち腐れのように見えてしまう。

 大体、自業自得すぎて呆れるばかりだが、そんな鉄平と関わることに退屈は覚えなかった。


「てかさ、修二。今日、テストあるって知ってた? 俺、実は昨日――」


「ノートは見せてやんねーぞ」


「そんな殺生な!!」


 この世の絶望を感じたかのように悲壮な表情を浮かべるスガだが、修二としては知ったこっちゃない。

 そもそも、毎度の如く授業を寝ていたスガが悪いのであり、助ける理由がない。


「ふっふっふ。甘いな、スガ。俺は昨日、この日の為に準備万端だぜ。これを見ろ!」


 鉄平はそう言って、制服の上着の裏を見せるようにした。

 そこには、セロハンテープで貼ったのか、大量のカンペが載ったメモがあった。

 それを見たスガは、安い土下座姿勢に入り、そして、


「て、鉄平! 頼む、昼飯奢るからそれ半分くれ!」


「うーん? もう一声欲しいとこだなぁ? 菅原くーん?」


「くっ……」


「いや、お前らどれだけ正々堂々テスト受ける気ないんだよ! その無駄な努力を勉強に費やせよな」


 鉄平のテスト対策は、一夜漬けの一種と似ているが、まるで違う。

 そもそも、なぜその時間を勉強に一秒も当てないのか、もはや修二からすれば理解不能なのだが、実際に後で痛い目に遭うのは彼等なので、そこまで気にはしていない。


「はぁっ、たく、どうなっても知らねーぞ」


「あっ、修二。待ってくれよ!」


 ツッコミ疲れた修二は、さっさと学校に向かおうと足を進めるが、スガ達はそんな修二の後を追いかける。

 なんやかんやあるが、これがいつもの朝の日常でもあった。

 スガや鉄平が馬鹿を言いながら、修二がツッコミを入れる。それが、修二の退屈しない日常の一つであった。


「おっはよー、修二ー!」


「ん、美香か。おはよう」


「なんか元気ないね? もしかして今日のテスト対策で徹夜してたの?」


「健全な意味での徹夜勉強ならやってたかなぁ」


 背中を叩いて、修二に挨拶をしたのは同じクラスメイトの山本美香だ。

 男子と女子との壁を感じさせないほどのコミュ力が彼女にはあり、こうして修二達に普通に話しかけてくるのはいつものことであった。


「け、健全な意味での徹夜って、何してたの?」


「いや、勉強だけど?」


 なぜか別の意味で捉えたようだが、美香が何を考えているのかが分からない。

 あたふたしている美香だが、修二は首を傾げながらしていると鉄平が顎に手を置いて、


「察してやれよ、美香ちゃん。修二も年頃なんだ……」


「いや、お前絶対誤解させようとしてるだろ? マジでやめろ、ってか美香も何で顔赤くなってんの!?」


「そ、そっか。そうだよね……修二も高校生だもんね……」


「待て待て待て。何か大いなる誤解を生んでるぞ!? 何と間違えてんだよ!?」


 聞く耳を持たない美香を前にして修二も焦りだすが、気づけばもう学校の前まで歩いてきていた。

 色んな学年の生徒達が校内へと入っていき、中には修二も知るクラスメイト達も見えてきていた。


「あっ、花音と沙耶香いたから私いくね! じゃ、また後で!」


「ん、ああ。また後でな」


 美香がよく仲良くしている白鷺と黒木を見つけたのだろう。そう言った美香は、笑顔で手を振って修二達を後にした。

 修二達も、自分達のクラスがある部屋へと向かうべく、下駄箱で靴を取り替えて颯爽と移動していく。

 と、ここで前から幼馴染であるリクが歩いてきて、修二の存在に気づく。


「おっ、修二。今日は遅いな。テストあるってのに余裕じゃんか」


「リクか。まあ……完璧とは言い難いけど、そんなに今日のテストって成績に影響するやつなの?」


「んー、どうだろうな。なんか皆、部屋で一生懸命対策してるからやってる感じはあるけどな」


「マジかよ……」


 そんなにガチでやっているのなら、何かしらに影響があるテストなのではないかと、修二は少しだけ焦る。

 中間や期末テストではないとのことなので、そこまで深く考える必要も無さそうではあるのだが、なにかと不安になってしまう。


「まっ、大丈夫だろ。俺はトイレ行ってくるからまた後でな、修二」


「おう、またな」


 リクとはそこで別れ、修二は自分のクラスがある部屋へと入っていく。

 確かにリクの言う通り、皆が打ち合わせをするように教科書を取り出してテスト対策をしていた。

 先ほど話していた美香も、白鷺や黒木と机を囲むようにして顔を合わせていたり、クラスでよくイチャついている大門と茅野も、一つの席に二人が詰めあって座りながら勉強を教え合うという荒技をこなしていた。


「いや……皆、本気すぎるだろ……」


 想像以上に今日のテストは気を引き締めないといけないような状況に陥り、修二はたじろいでいた。

 そんな修二の隣では、一緒に登校してきた鉄平がカンペの準備をしている。


「修二君、俺の力が欲しくなかったらいつでも言いたまえ」


「いらねーし、なんでお前は良い笑顔で言ってんだよ」


 ここぞとばかりにカンペを見せつけてくる鉄平だが、そんなものに手を出すほど修二も落ちぶれてはいない。

 こうなれば、授業が始まるギリギリまで勉強に専念する方が堅実だろうと、修二は自分の席についた。


「あっ、修二。おはよう」


「おっ、椎名か。おはよ、椎名は勉強してたの?」


「うーん、自信はないけどね」


 隣の席にいたリクともう一人の幼馴染、椎名真希がそう言いながら頬をかいていた。

 意外と、椎名は成績が良いことを知っている為、今回もテストもそこまで悪い点にはならないだろう。


「なぁ、椎名――」


 そう考えて、テストのことについて聞こうとした修二だったが、


『修二……ごめんね。私のせいで……迷惑をかけて……』


「うっ」


 突如、修二の脳内にフラッシュバックが起こり、目の前の椎名と重なる。

 肩から血を流して、修二にそう言う椎名の姿が思い起こされ、修二は戸惑った。


「? どうしたの、修二?」


「い、いや……なんだ……これ……?」


 こんな記憶は知らない。知りたくもない。

 どうして、椎名が傷ついた光景が浮かぶのだ。

 そんな記憶はない筈なのに、なぜか知っているような、そんな感じさえする。


「俺は……知らない……。こんな記憶……知らない!」


「し、修二? 大丈夫!?」


 頭を抱えるように蹲り、椎名が修二の背中に触れながら心配をする。

 当然だろう。急に様子がおかしくなった修二に戸惑うのも、当たり前の反応だ。


「おい、修二。どうしたんだよ?」


 隣にいた鉄平が、今度はふざけた様子をしない雰囲気のまま、修二にそう問いかける。

 そして、鉄平の顔を見た修二は、また別の光景が頭の中を駆け巡った。


『俺の最後の頼みだ。このふざけた事態を引き起こしたクソ野郎をぶっ倒してくれ……! 俺と、美香とスガと福井の仇を……頼む……』


 見たこともない、見たくもない惨劇の光景がフラッシュバックしていく。

 そこには、腕から大量の血を流し、死にかけていた鉄平の姿があって――、


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 思わず仰反った修二は、心の内に妙な感情が浮かび上がっていく。

 怒りと哀しみ。その二つの感情が入り混じり、今の状況に区別すらつかなくなってしまっていた。


「なんだよ……なんだよ、これ!!」


 ただの幻覚ならば、それもどうかと思うところだが、ここまで錯乱することもなかった。

 だが、フラッシュバックした光景から溢れ出る謎の感情が修二を混乱させてしまっていたのだ。


「修二、大丈夫か? 具合が悪いんなら保健室にでも……」


 皆、修二のおかしな様子を心配するように近づいてきていた。

 そして、それがトリガーとなって、無数の映像が修二の脳内へと侵入するように流れ入っていく。


『明らかにあいつはお前を襲おうとしていた! あれがスガなわけないだろが!』


『笠井に誘われて、こんな、こんな所にこなきゃ、美香も死ぬことはなかった……こなきゃ……良かったんだ……』


『どうして、あの時、美香と会っていないって嘘をついたの?』


『こ……ロ、シて』


『椎名を……頼むぞ』


 クラスメイト達の悲痛な声が、死に様が頭の中を駆け巡る。

 その全てが、修二の心を折りにかかるかのような想像もしたくないものだった。

 修二はそんな記憶を知らない。知らない筈なのに、それが幻覚ではないものだと思えて仕方がなかった。


「修二、泣いてるの?」


 椎名が修二の頬を触り、いつしか、修二は両目から止めどない涙が溢れ出ていた。

 全てを思い出した。

 ここは、修二が本当に居たかった居場所。

 もう、帰ることなんてありえない日常の場所だったのだ。


「……ごめん」


「え?」


「俺の……せいで、皆……皆を死なせてしまったんだ……。俺のせいで……」


 修二は地面に座り込んだまま、皆に頭を下げていた。

 謝罪なんて、何の意味もないことは分かっている。

 こんなことをしたところで、皆の命は帰ってこない。何も、変わりはしないのだ。


「修二、落ち着いたか?」


 修二が頭を下げていると、リクが肩に手を置いてそう言った。

 その手の感触も、本当に生きていた時のものと同じだった。

 何が現実で、何が幻覚なのか、もう修二には分かっていた。


「――ああ、大丈夫」


 もう、いつまでも腐っているわけにはいかない。

 それは、皆も同じ気持ちのはずだ。

 ここは、修二が理想とした日常。もう、戻るはずもない居場所だとハッキリ理解出来ていた。

 だから、修二は最後に、皆の顔を見上げて伝えた。


「リク……いや、皆、ありがとうな」


 たとえ幻覚の、自身が理想としていた世界の住民だったとしても、いい。

 後悔だけは残したくなかった修二は、かつての友人達へと、それだけを伝え残した。

 そして、世界が、修二の見ていた景色が色褪せていき――。


△▼△▼△▼△▼△▼△▼


「――い、おい、修二!」


「ん……?」


 自分の名を呼ぶ声が聞こえて、修二はゆっくりと目を開いた。

 全身に気怠い感覚があり、動けないほどではないが力がまともに入らない。

 更に言えば、何かが修二の頭に被せられているかのような感覚に、意識がハッキリとし始めた頃に気づいた。


「アレックス……?」


「よかった……起きたんだな。死んだのかと思って肝を冷やしたよ……」


 修二の目の前には、ガスマスクを被ったアレックスがいた。

 そこで、自身の頭に被せられているのが、アレックスと同じものだということを理解した。


「こ……こは?」


「無理するな。ここはお前達が入っていこうとしてたビルの中だよ。なんでまた、こんなところに入って行ってたんだ、お前ら」


 アレックスにそう聞かれ、修二も辺りを見渡すと、そこは知らない場所だった。

 ビル、の中なのだろうか。床も壁も天井も、緑が生い茂るように植物が埋め尽くしてある。

 アレックスが言うからには、修二はここに入り込んだのだろうが、カラス達から逃れた時に入ったビルの中とはまるで景観が違い過ぎる。

 アレックスの物言いから、修二は始めからここにいたかのようにも聞き取られた。


「……っ、そうだ。レインさんは?」


「レインは今、アイザック隊長が見てる。大丈夫、レインも生きてるよ」


「そ……そうか……」


 隣を見ると、アレックスと同じようにガスマスクを被ったレインをアイザックが介抱していた。

 どうやら、レインも修二と同じく眠りについてしまっていたようだ。

 お互いに疲労が溜まっていたとはいえ、こんな危険地帯で眠ってしまうのはあまりにも軽率な判断であった。


「とにかく、動けるようになったらすぐにここから離れるぞ。ここは……ヤバすぎる……」


「ヤバい? モルフが出てきたのか?」


「もっとヤバい奴だよ……」


 アレックスは狼狽えるようにそう言い、修二も緊張が走る。

 ようやく合流できた感動は、そこにいた全員にはなかった。


「ところで、このガスマスクは?」


「気づいてないのか? お前ら、それ被らなかったらまた眠りに落ちるんだぞ?」


「――は?」


 アレックスの言っている意味が一瞬、理解が出来なかった。

 眠りに落ちる。それは今先ほど、修二達がなってしまっていたことだ。

 あれが疲労などではない要因があるのだとすれば、一体何があるというのか。アレックスは、そんな修二の疑問に簡潔に答えた。


「ここは……ここら一帯は、モルフに感染した植物が獲物を捕らえる為のテリトリーなんだよ」



次話、6月17日 19時投稿予定

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