第四章 第十五話 『全開放』
風の靡く音だけがその場を支配していた。
椎名もミラも一言も発さず、互いに向き合った状態でいる。
ミラは骨折した肋骨を再生能力で修復させ、既に万全の状態で動き出せる状態だ。
本来ならば、再生し切る前に決着をつけたかったのは椎名の方だが、椎名の頭の中にはそんな考えは毛頭ない。
この女を、世界を混乱に陥れた張本人を倒す為に、椎名は内に秘める力を解放する。
「三分――」
「ん?」
ふと、そう呟いた椎名の言葉にミラは眉を顰めた。
ミラが知る由もないが、その言葉はアリスがよく使うおまじないのようなものだ。
敵を制圧する為、自身に制限時間を設けて、その間は全力で動く為のおまじない。椎名は三分という制限時間を口にし、その直後――、ミラは見た。
数十メートルあった椎名との距離が一瞬で近づき、自分の顔面へと蹴りを決めようとするのを。
「――は?」
予想外の動きにミラは反応出来ず、椎名の蹴りをもろに受けて吹き飛ばされる。
後ろにあった柵を越えて、そのまま住宅街のある屋根へと着地したミラは態勢を整え、前を見る。
「ははっ! なんだそれ! 一体何が――」
ミラがそう感嘆を漏らす暇も与えられない。
前を向いた瞬間、ミラの目の前にあったのは迫り来る誰かの足。それは、椎名が追撃せんと再び蹴りを決め込みにきていたのだ。
「がばっ!?」
反応が間に合うわけもなく、ミラは再び顔面に強い衝撃を受けて吹き飛ばされる。
そして、一軒家の壁を破壊しながら、木造の床を踏み締め、
「ひゃはっ!」
即座に追撃が来ると予感したミラは着地と同時に後ろへと飛ぶ。
そうして、窓を割って、外へと逃げた瞬間、椎名はミラが先ほどまでいた地面へと踵落としを入れて、地面を破壊する。
「桁違いに過ぎるだろ! 面白い!」
「――――」
ミラはその瞬間、両手の爪を一気に伸ばし、戦闘態勢に入る。
椎名はミラの間合いに入ることに躊躇いも持たず、ミラへと迫っていく。
そして、目で追えないスピードでミラを翻弄し、ミラの脇腹目掛けて蹴りを決め込もうとしたが、
「ふはっ!」
素早くガードの姿勢を取ったミラは椎名の蹴りを受けて、その体を浮かせる。
尋常ではない反応速度と蹴りの威力。その力が以前の椎名とはまるで違うことは明らかであった。
「『レベル5モルフ』の力を解放してるのか! 凄いよ、椎名ちゃん!」
未だに余裕の態度を見せるミラに椎名は構わず、ミラへと追い縋ろうとする。
建物の壁を蹴り、屋根へと飛び移り、果てしないスピードで互いに動き、両者一歩も引かずに攻撃を重ね合う。
どちらの攻撃も綺麗に当たることはなく、寸前で避けることによって傷ひとつ付かない戦いとなっていたのだが、それは当事者だけが知るものだ。
ここに誰か観戦している人間がいたとしても、二人の動きを目で追い切れる者などきっといないだろう。
それほどの異常な速度で移動しながら二人は元いたホテルからどんどんと遠ざかっていく。
「はぁっ!」
椎名が空中で回転して、ミラの足を狙いに掛かる。
動きを止めて、一気にケリをつけようという算段だ。
しかし、そんな安易な手段をミラが見逃すわけもなく、
「甘いね!」
「――っ!」
ミラはその場から跳躍し、椎名の蹴りを避ける。避ける、だけの動きではなかった。
空中に飛んだミラは、半回転しながら爪を振り回そうとして、椎名へと斬撃を加えようとする。
「終わりだね」
「――――」
ミラの判断に間違いはなかった。
攻撃後の隙は、どんな人間であっても致命的なのを知っていたからだ。
だが、一つだけ彼女には誤算があった。
攻撃後の隙に対して、人間が対処出来うるものではない。
しかし、今、ミラが相手しているのはただの人間でなかったことだ。
「――なっ!?」
爪による斬撃を、椎名は地面に手を突いて軽やかに動き、その場から離脱することによって避け切る。――否、完全に避け切ったわけではなく、腕に装着されたガントレットの隙間に爪が僅かに入り込み、血が流れ出た。
そして、そこで終わりではなかった。
「がっ!?」
その瞬間、攻撃後の隙を突かれ、ミラは側頭部へと蹴りを決め込まれる。
なぜ、その体勢から攻撃を打ち込めるのか、理解する暇もなく、ミラは吹き飛ばされていく。
屋根の上を擦るように体をぶつけ、痛々しい傷がミラの全身に生まれていった。
普通の人間ならば、痛みに悶絶するであろうそれに対して、ミラ自身は愉悦を浮かべながら笑っていた。
「ははっ! ははははっ!!」
建物内へと吹き飛び、その中で着地したミラは爪を構える。
一秒も経たずに、椎名はミラのいる建物内へと入り、再び攻防が繰り広げられる。
「はぁぁぁっ!」
「ああああっ!」
無数の爪による斬撃を掻い潜りながら、ミラと椎名は壁へと天井へと縦横無尽に駆け回りながら互いに攻撃を仕掛ける。
お互いに無傷とまではいかなかった。
椎名の蹴りを受けながらも、爪による反撃で椎名は腕に傷を負う。
ミラも当然、手加減をする余裕もなく、本気で椎名を殺しにかかっていた。
殺す気がなくとも、殺す気でいかねば死ぬのはミラの方だったからだ。
「ふっ!」
「はぁっ!」
爪の攻撃をガントレットで防いだ椎名は、即座にミラの肩へと向けて上段蹴りを打ち込む。が、ミラはこれを腕で防いだ。
ミキミキと筋肉が潰れる音が鳴りながらも、ミラは痛みに苦しむ素振りもなく、その表情は愉悦に歪んでいた。
「やっぱり、キミは俺達の救世主だ。今日、キミに会えたことは本当に良かったよ」
「――っ、うるさい!」
防がれたまま、椎名は右足を振り抜き、ミラを蹴り飛ばす。
そのまま追いすがりながら、椎名とミラは砂の地面へと着地した。
いつの間にか、椎名とミラはホテルから離れて戦っていたのだが、何の因果か、ホテルの目の前へと戻ってきていた。
「肩が外れちゃったよ。ここまでやられるとは思わなかったなぁ」
「はぁっはぁっ!」
お互い、余裕とは言えない程のダメージと疲労が蓄積している状況であった。
ミラは肩を脱臼したのだろう、それに付随して、全身には至る所に打撲の痕が残っていた。
椎名も椎名で、ミラの爪による攻撃を避けきれず、腕部分のガントレットを装着した箇所以外は切り傷が残っていた。
だが、お互いに再生能力を持つ以上は、傷などあっという間に塞がる。
「さすがだねぇ。俺よりも速く再生させられる。このままじゃマズイかなぁ」
「――――」
椎名の超速再生能力とミラの再生能力では、その速度に大きな差がある。
ミラの場合、数分は必要とするのに対して、椎名は数秒も掛からずに完治させられるのだ。
永遠に戦い続けられると言えば簡単だが、そういうわけでもない。
椎名もミラも、お互いに人間の体を扱う以上、疲労は必ず蓄積される。
つまりは、どこかで必ず決着はつくということなのだ。
その場合、傷が残らない椎名の方が今は有利とも言える状況であった。
「――って今、そう思ったでしょ?」
「え?」
その瞬間、ミラは跳躍し、椎名へと一気に接近してその爪を振るった。
たまらず、ガントレットで防いだ椎名だが、それで防ぎきったわけではなかった。
左手の爪で攻撃を仕掛けたミラは、残る右手の爪を振りかぶる体勢に入っており、椎名はこれを避け切ることが出来ない。
「さっきはキミの攻撃を防ぐのに手一杯だったからね。実戦経験の差かな? こっちから攻撃を仕掛ければ、キミを倒すのはそんなに難しい話じゃないんだよ」
「――っ!」
ミラは右手の爪を振り下ろそうと、椎名へと攻撃を仕掛ける。
椎名は両腕で左手の爪を防いでおり、避けることが叶わない。
そのまま、ミラの攻撃が椎名へと届こうとする寸前であった。
銃声音が聞こえ、ミラは右手の爪を振り下ろす動作を途中で止める。
「ぐっ……」
ミラは脇腹部分を抑えながら、銃声音が鳴った方向を見る。
そこには、ホテルから出てきたデインの姿があった。
「デイン!」
「間一髪だったな」
拳銃を握り、未だミラへとその銃口を向けながらデインはそう言った。
「……随分と早かったじゃないか。あんなにモルフを寄越してやったにも関わらず、あの窮地を脱出するなんてね」
「あんな雑魚共、俺からすれば楽勝なんだよ」
「ははっ、俺はキミを見誤っていたようだよ」
ミラはそう言って、地面を蹴って椎名から離れる。
一際大きな建物の上に着地したミラは、脇腹の傷を手で抑えながら椎名達を見る。
「どうやら、ここまでかな。本当はキミを回収したかったけど、この状況じゃあそう簡単にもいかなさそうだ」
「逃げるのか?」
「そう取ってもらっても構わない。元より、俺には優先すべきことがあるからね」
「優先すべきこと?」
ミラの発言に奇妙に感じたデインはミラの言葉を反芻する。
目の前にいるデインと椎名の存在以上に優先するべきこととは一体何なのか、それを考える間もなく、ミラは両手の爪を短く変異させて、
「じゃあね。アメリカで待っているよ。椎名ちゃん」
「――え?」
最後にそう言い残したミラは、膝を軽く曲げて、その場から跳躍して消える。
彼女が最後に言い残した言葉に、椎名は訝しむが、デインは安全を確認出来たことに安心して椎名へ駆け寄る。
「おい、大丈夫か? よくあんな化け物とタイマン張れたな」
「うん……。私も、少し怒っちゃって」
「大人しい奴程、怒ると怖いからな。こっちは問題なかったぞ。シーラとカルラも無事だ」
デインはそう言って、親指をホテルの入り口へと向ける。
そこには、傷一つないシーラとカルラの姿があった。
「そっか……本当に、よかった……」
「今回ばかりはマジで死ぬかと思ったぜ。お前も一人で勝手に突っ走るんじゃねえ。俺の重荷も考えてくれってんだ」
「でも、なんだかんだデインはやってくれるでしょ?」
「ぶっ殺すぞてめえ」
冗談混じりにデインは椎名を小突き、茶化されたことに怒りの意を示す。
椎名も椎名で笑っていたのだが、本当にどうなるかは分からなかった。
もしかすれば、二人とも死んでいたのかもしれないし、どちらかが死んだ可能性も十分にありえたのだ。
奇跡と言っても良いほどの立ち回りを続けた二人は、再会できたことに安堵の息を漏らす。
「あ、あの……」
その時、二人のやりとりを見ていたシーラはデイン達の元へとゆっくりと歩み寄ると、何かを言いたげな表情でいた。
「シーラさん。無事で良かったです。怪我は無いですか?」
「はい……。本当に、ありがとうございます。あなた達に会えなかったら、私は間違いなくカルラと会うことは出来ませんでした」
「気にしないで下さい。こんな状況ですから、助け合うのは当たり前ですよ」
「ありがとうございます……何かお礼をしたいのですが、よろしければ私達の避難所まで来ますか?」
お礼がしたいというシーラの言葉に、デインと椎名は互いに顔を見合わせる。
そして、お互いに答えは決まっていた。
「大丈夫です、私達も先を急ぐので。シーラとカルラちゃんを避難所まで連れていったら、私達は先へ進みます」
「でも……何も返せてないですよ。少しばかりゆっくりしていっても……」
「悪いが、俺達は一分一秒が惜しい状況でな。好意はありがたく受けとるが、礼なんて気にするな。大人しく避難所にいとけ」
「もうっ! そんな言い方ダメでしょ、デイン」
言い方の悪いデインを注意し、椎名は少し怒り気味だったが、デインは椎名の肩を抱き寄せ、シーラに聞こえない小声で、
「……気にかかることがある。仮にシーラのいる避難所に行ったとしても、巻き込む恐れがある以上は突き放すしかないんだよ」
「え?」
意味深なことを呟くデインに、椎名は疑問に思う。
巻き込むとは何のことなのか、それを考える間もなく、デインはシーラへと向き直ると、
「とにかく、さっさと行くぞ。こんなところでのんびりしていたら、またモルフが集まりかねない」
「わ、分かりました」
「とりあえず、俺の傷を後ででいいから手当てしてくれ、椎名。……シーラ達と離れた後でいい」
「う、うん。わかった」
椎名も今気づいたが、デインの全身の傷はかなり重大な状態だった。
今すぐにでも椎名の超速再生能力でなんとかしてやりたかったが、デインが今はするなと暗に伝えていたのは、椎名の特異体質をシーラにバレさせない為だろう。
ただ、それだけのために、デインは手当てを先延ばしにしたのだ。
「ほら、さっさと行くぞ」
デインに言われるがまま、一同は移動を開始した。
道中、特にモルフとの戦闘を避ける為に、忍び足で進みながらも、誰一人言葉を発することはなかった。
デインも椎名もかなりの疲労が溜まっており、戦闘をする余力を極力削りたかったこともある。
それに一度、戦闘になってしまえば、モルフはどんどんと集まってきてしまう。
非戦闘員であるシーラとカルラを守る為には、これが最善であったのだ。
そして、最初いたホテルからかなり離れてきたところで、シーラが口を開いた。
「着きました。この先です」
そこは、四方を高い壁に囲まれた広い建物であった。
監視員らしき人間もこちらを見て、シーラの存在に気づいたのか、手を振っている。
「ここまでだな。あとは大丈夫か?」
「はい。あの……本当に行かれるんですか?」
「ああ。ここまでだ」
ここまでと二度繰り返し、休む意思はないことをデインはシーラに伝える。
もどかしい表情をしながら、シーラはデインと椎名へと一礼をすると、
「この御恩は一生忘れません。いつか、きっと恩返しが出来ることを祈っています」
「――シーラさん」
恩返しはきっと出来ないだろう。
そのことは、椎名だけでなくデインも分かっていたことだ。
椎名は『レベル5モルフ』であり、この国に来たのもデインという特異体質の人間と交渉する為でもあった。
少なくとも、椎名が元の人間に戻ることでもない限りは、二度とこの国へ立ち寄ることはありえない。
「お姉ちゃん」
「ん、どうしたの、カルラちゃん?」
「これ、あげる!」
カルラはシーラの傍から離れ、椎名へと駆け寄ると、その両手である物を渡す。
「これって……髪留め?」
「私が作ったの! お姉ちゃんにあげる!」
「――ありがとう」
手作り感満載の髪留めを渡されて、椎名は笑みを浮かべてそれを受け取り、カルラの頭を撫でる。
無垢で純粋な子だ。
ここまで来るのに、この子は怖がりながらも泣くこと一つもせずにしっかりついてきてくれた。
それだけ、彼女は強い意志を持っていたのだ。
「カルラちゃん。お母さんと周りの人達のこと、しっかり守ってあげてね」
「うん!」
カルラは八重歯が見えるくらいに大らかな笑顔をしたまま、大きな返事で椎名に返した。
それから、二人は避難所へと入っていき、その姿も見えなくなっていく。
「デインの言った通りだね」
「あん?」
「世界は広いってこと」
「……あぁ」
かつて、デインも椎名と同じようにしていた。
その時、デインが相手にしていたのはカルラに擬態していたミラではあったが、それでも当時のことを思い出せば、デインの言っていたことは今になれば分かる。
人助けをすることは、椎名にとっては間違いではない。
きっと、これは最善の選択だったのだろうと、椎名は改めて心に誓いを立てていた。
「さっ、先へ急ご! デイン!」
「ようやくだな。夜になる前に辿り着けるといいが……」
二人はそこで、本来の目的地である空港へと向かうことになる。
少し寄り道をしてしまったが、大きな障害の一つであったミラを退けさせたことは大きな転換点だ。
このまま、空港で飛行機に乗って、アメリカへと帰り、デインを連れて行くことが出来れば、椎名の任務も完了となる。
それが、どれほど難しいことなのかは、今はまだ二人とも気づくことも無く――。
第四章は次のステップからクライマックスへと移行します。
多分、GW中に第四章は完結できるかと思いますが、あまり期待しないで待っていただけると幸いです。
椎名が身体能力の限界突破の力を引き出したことで、戦力は大幅に変わったとみて問題ないです。
ただ、それでも敵勢力の強さが尋常ではないので、彼女のこれからの活躍に期待です。
『レベル5モルフ』について、少しネタバレを挟んだ本章ですが、ここではあまり何も言わないことにします(笑)
なんやかんや投稿してからはや半年近くとなりますが、かなりハイペースで投稿をしていることに今気づきました。
最終章は近いのですが、それでも今年中に終わらすのは多分、無理だと予測していますね。
また、『Levelモルフ』とは別に、面白い設定を思いついた作品を考えているのですが、これはもうちょっと内容を練り直してから投稿しようかなぁとは思っています。一応、異世界モノにはなりますね。




