第四章 第三話 『世界の広さ』
椎名とデインは、モルフ達の難を逃れた後、合流地点である場所へと近づきつつあった。
道中、モルフに感染した民衆の姿もあったが、なんとか見つからないように動きつつ、戦闘を回避することが出来ていた。
「クソッ、服が汚れちまったよ。なんでこんな汚い所を通らないといけないんだ」
「仕方ないよ。人の多い道はモルフが確実にいるだろうし……」
椎名達は今、度重なるモルフとの遭遇を恐れて、あえて人のいない地下水路を通っていた。
ただ、地下水路とはいっても、決して衛生面が良い場所とは言えず、異臭やカビなどが酷い地帯となっていた為、二人は嫌々ながらも我慢して先へと進み続けていた。
「こういう場所はお前らの国の方がまだマシなんじゃねえのか? 日本とかのよ」
「私の国も……別に行ったことはないけど、汚いのは汚いと思うんだけどね。でも、ちょっとこれは……」
比較するつもりはないが、それにしても少しだけ応えてしまうのも本音であった。
何の臭いかは分からないが、一分一秒でも早く抜け出したいという思いは二人とも考えていたことだ。
とはいえ、地上を通るよりかは危険を減らせることもあって、今、椎名達に降り掛かる身の危険はゼロに等しかった。
「……話を変えるんだけどね、デイン。聞きたいことがあったんだ」
「口で息したくねえから聞きたくないんだけど」
「ごめん、でも聞いて。さっき、どうして逃げることを選択したの? 戦っていた時は、殲滅しないと残ったモルフが被害を増やすかもしれないって言っていたのに……」
椎名も、あの場は勢いで逃げてしまったが、その部分は心残りでもあった。
覚悟を決めてモルフを殺したにも関わらず、結果的には逃げの一手を選んだのだ。
それが、椎名の中で蟠りとなってしまっていた。
もちろん、手に掛けないならそうしない方が良いことには違いなかったのだが。
「俺は別に被害が増えようが気にしないからな。自分にとって、あの場はデメリットが多かったからお前をけしかけたんだよ」
「――そうなの?」
「嘘だよ、怒るなって。一つは情報不足が多すぎたことが要因だな。お前、まだ隠していることがあるだろ?」
今度は冗談ではないと言わんばかりに、真剣な顔つきで椎名を見る。
その問いに、間違ってはいないと返すように、椎名は難しい顔をすると、
「ごめんなさい、確かにまだ伝えきれていないことはある。……でも、それを話すにも時間が足りなかったから……」
「時間?」
「私が『レベル5モルフ』だから、言えなかったこともあるの。本来、私は国外に出向いて良いわけじゃない。今、離れた位置に仲間が見張っていることも、私を死なせない為でもあるの」
椎名の話していることは、確かに辻褄は合っていた。
この世界に、椎名以外の『レベル5モルフ』がいるのかは分からないが、それだけ希少な存在をわざわざこのような危険地帯に送り込むというのは、それ相応の護衛を連れてくるのが筋だ。
しかし、だからといってなぜ椎名が来ることになったのか、理屈に合わないが、それよりもデインは気になることがあった。
「でもよ、こんな地下にいたらお前を見失うんじゃないのか? その護衛達は」
「大丈夫。さっき清水さん達から連絡が来て、私がここにいるってことは分かっているわ。今も、私が地上に出た時のカバーに入れるよう二百メートル圏内にいるらしいよ」
「ああ、発信機でもつけてるってことか」
ここまで聞くと、どうやら入念な準備の上でやってきたということだ。
そこまでするほどの価値がデインにあるということだが、未だにその実感は掴めていない。
聞くと、デインはモルフに感染しない体質ということだが、その原理も原因も何も分かっていない状態だ。
下手をすれば、デイン以外にも似たような人間はいるのではないかと疑うが、それは考えたくない。
なぜなら、ただ血液を提供するだけで人生を七周できるほどの大金が手に入るのだ。それを捨てて自らが不利になるような状況を作るほど、デインは馬鹿ではなかった。
ともすれば、デインとしてはこの取引を成功させる為にも、知る権利があった。
「じゃあ、そろそろ教えてくれるよな? お前が『レベル5モルフ』ってことは、その下のレベルもあるってことだろ? 四つもある時点でややこしそうだが、遭遇した時のリスクを考えれば知っておいて損はない筈だ。まさか、ここまできてダンマリなんてしないよな」
もうはぐらかせないよう、念を押すようにデインは問いただした。
椎名もそのつもりだったようで、歩きながらではあるがゆっくりと話し始めた。
「デインの言う通り、モルフには感染段階があるの。さっき、相対したのは一番下の感染段階である『レベル1モルフ』。その次が足を変異させて、走ってくるモルフが『レベル2モルフ』。そこまでは理解できる?」
「――ああ、続けろ」
既に混乱しかけていたデインであったが、今は呑み込む以外に何もないだろう。
実際に見たことがないからでもあるが、椎名のことは今だけは信用している。
だから、今は何も問いかけはしなかったのであった。
「その次なんだけど……見た目としては全身の皮膚が無くなって赤黒くなったモルフ、それが『レベル3モルフ』。これは個体差によって変わるんだけど、手足を武器のように変異させて人間に襲い掛かってくる。もっとも、それがどんな武器に変異するのか、その法則性は誰にも掴めていないの」
「武器ってことは刃物とかが主流ってことか」
言いながら、デインは改めてモルフの危険性を理解することが出来ていた。
椎名の言葉を借りるなら、デインが今までに出会ったことのあるモルフは、その多くが『レベル1モルフ』だったのだ。
既に、『レベル3モルフ』だけでも厄介そのものだというのに、まだもう一段階、上があると考えると悩ましくなってくる。
そんなデインに構うまでもなく、椎名は続けた。
「最後は……私も直接見たことはないから詳しくは話せないのだけど、『レベル4モルフ』について話すよ。見た目は全身が血色の無い白い肌になっていて、全身の毛が抜け落ちた状態らしいって」
「なんだ、その変態野郎は」
「侮れないのは事実。聞くには、屋内での戦闘は広い場所でない限りはほとんど勝ち目がないんだって。天井も壁も、『レベル4モルフ』は足場のようにして飛び回るって聞いたよ」
「はっ、日本で言うところのニンジャってやつか」
その表現はあながち、間違いではなかったのかもしれない。
屋内での勝ち目がないというからには、それほど縦横無尽に駆け回ることができるということなのだろう。
そして、そのすべての感染段階の説明を聞いてみて、デインは内心では面倒な相手だと判断できた。
大抵の人間は、実際に相対してみないと想像すら難しいだろう。
デインは、あえて頭の中で各感染段階のモルフと戦闘したときのシミュレーションを思い描くことで、その脅威度をよく理解することが出来ていた。
「だとすればこの都市にも長居はできねえな」
「うん。時が過ぎれば過ぎるほど、モルフは変異を広げていく。その道中で感染者も増えていくわけだから、益々、手が付けられなくなるの。だから急ごう」
「この臭い場所からもさっさと出たいしな」
それだけは共に考えることは同じだったようで、二人とも、歩くスピードは速かった。
話しながら歩いていたこともあって、タイミング良く出口が見えてきていた。
「見えてきたね。あそこから地上に戻ろう。清水さん達も地上は問題ないって今、連絡がきたから」
「便利な連中だな。とにかく、さっさと行くぞ」
地上に出る梯子を掴み、デインは我先にと登っていく。
その後ろをついていくように、椎名も梯子を掴み、登ってきていた。
ここまでは、特に順調良く進めたものだとは考えていた。
先ほど、椎名から聞いた情報通りのような感染段階の高いモルフと地上で遭遇していれば、おそらく無事で済んだかどうか保障ができなかったからだ。
仮に事なきを経ずに進めたとしても、ここまでの時間短縮は見込めなかったはずだ。
「無駄なことはしたくはないしな。楽ではなかったが」
戦闘をしないことの引き換えが、この臭いの酷い地下水路だというのなら、身体的なダメージより精神的なダメージの方が強かったともいえる。
それもこれも、地下水路から地上に上がればそれまでのことだが、今は何よりも地上の空気が恋しい。
デイン達はそのまま地上へと続く梯子を上りきり、暗い地下水路から陽の光が灯った地上へと出てきた。
「あっ、あれだよ! 迎えのヘリ!」
椎名が指を指して、デインもその方向を見ると、それは見えていた。
建物や人もいない障害物の無い、開けたその場所にヘリが待機しており、回転翼がゆっくりと回り続けている。
「ふぅ、ようやくか。こんな楽な仕事で大金が手に入るのは僥倖だな。じゃあ、行くか」
「うん!」
漫勉の笑みを浮かべ、頷く椎名は歩き出し、デインもその後をついていく。
ずっと、デインは違和感を感じていた。
この椎名という女性は、善悪のモラルが染みついた、かなりの平和主義者だ。
デインからすれば、甘ったれな部分であると思うところなのだが、それを悪い部分とまでは捉えていたわけではない。
むしろ、人間という人生を歩む上では理想の形とも言えるのだ。
デインのように、人間の汚い側面を何度も見てきた側の人間のその多くは違う。
そういった人間の多くは、例外なく他者を慮ることはないことをデインは知っていたので、逆に新鮮ではあったのだ。
だが、だからこそ危ういともいえる。
他者を優先するあまりのその行動基準はいずれ、後戻りのできない選択を迫られることになるのかもしれないのだから。
「――? どうしたの?」
「あー、いや、なんでもねえよ。それよか、お前なんでこんなクソ暑いこの地域でそんなぶかぶかの服を着てるんだ? ドМって感じでもないだろうに」
「えっと、そうだね。確かにちょっと暑いけど、仕方ないの。私の身を守るために身に着けてるだけだからさ。でも、使う機会はなさそうではあるけど」
「なんだよ、何か武器でも身に着けてんのか? だったらさっきのモルフとの戦闘で――」
なぜ使わなかった。そう聞こうとした時だった。
ガキッと、何か重たい鈍い音が聞こえた。
何の音か、聞いただけでは分かるわけもなかった。
音のした方向にデインと椎名は振り向いてみると、彼らの足はそこで止まる。
そのありえない光景に、二人とも目を見開きながら立ち止まらざるを得なかったのだ。
「なっ!? なんだ……あれは!?」
「嘘……」
驚くのに無理はなかった。
彼らの視線の先、迎えに待機していたヘリの下に何かが立っていたのだ。
ただ突っ立っていたわけではない。それは、ヘリの下部を素手で掴み、持ち上げた状態でいたのだった。
ヘリに乗っていた操縦士は焦ったのか、無理にエンジンを起動させていたが、全く無意味だった。
飛ぶことも叶わず、斜めに傾いていたことで回転翼が地面のコンクリートへと当たり、ギャリギャリと大きな音を立てながら削られていっていたのだ。
そして、その耐久に限界がきた回転翼は、その根元から勢いよく外れて、椎名達の方へと飛んでくる。
「っ! あぶねえ!!」
デインはすかさず、茫然とする椎名に飛び掛かり、その場所から少しでも離れたことによって、あわや回転翼が直撃するのを防ぐことが出来た。
まともに直撃していれば、たとえ再生能力を持つ椎名であっても即死は免れない。そう断定できるほど、ギリギリの判断であった。
「あ、ありがとう……。あれは……一体?」
「俺が聞きたいぐらいだ。クソッ、楽に大金は手に入らねえってか?」
苛つきながらそう唾を吐き捨てるデインだが、心中は穏やかではなかった。
ヘリを持ち上げた巨体な怪物に今一度視線を向け、奴もこちらを見ていることに気づく。
「なんだってんだ……一体」
およそ、それが人間とは思えなかった。
一般的な成人男性の三倍近くの大きさがあり、腕や足の筋肉は電柱のような太さを誇っている。
顔回りは黒いマスクで覆われており、片目だけが見えているような状態だ。付け加えるならば、全身の肌の色が灰色のように薄白く、まるで血の気を失っているかのような様相だった。
その怪物はデイン達を見ながら、大きく深呼吸をした。
そして、怪物は前傾姿勢を取り、全速力でデイン達へと走ってくる。
「おいおいおい、冗談だろっ!?」
「走って! 逃げるよ!」
椎名がそう言う直前、既に動き出していた二人だが、後ろを見ることで更に絶望することになる。
怪物はデイン達の直線上にある障害物を気にすることもなく、スピードを殺さずに吹き飛ばしていっていたのだ。
それも、とてつもないスピードでデイン達へと近づいて来ていた。
「冗談じゃねえぞ! なんだよあの筋肉ダルマは!?」
「月島さん!」
椎名がその名を呼んだ直後、この周囲一帯に一発の銃声音が響く。
後ろの怪物を見ると、頭を抑えるようにして足を止めていた。
「狙撃か!? ナイス!」
「足を止めないで、デイン! 多分、効いてない!」
椎名はデインの手を取り、止まらないよう声をかける。
その瞬間、怪物は抑えていた頭から手を離し、首を振るとすぐにデイン達を追いかけようとする。
「清水さん、板東さん!」
『あいよ!』
『承知』
椎名の持つ無線機から二人の男の声が聞こえ、またも銃声音が鳴り響く。
今度は左右からの狙撃で、ライフル銃の銃弾が怪物の両足を貫いた。
「――ッッ!」
ダメージが入ったのか、そこで怪物は野太い叫び声を上げ、よろめく。
普通の人間ならば間違いなく立つことさえ出来ない程の筈であった。
これで終わりならばと、デイン達は二人して後ろを見るが、しかし、
「おい……ヤバいぞ……」
怪物はよろめき、体勢を崩したが、それは一瞬の出来事だった。
すぐさま体勢を取り直し、再び走り出してデイン達へと迫ってきていたのだ。
「なんなんだよあいつ!?」
「とにかく走ろう! 月島さん達は足止めをお願いします!」
とにかく、ここにいてはマズいと考えたデイン達はがむしゃらに走る。
狙撃音が何度も聞こえ、その度に怪物へと当たるも今度はよろめくこともなく、スピードもそのままでデイン達へと迫り来ようとしていた。
このままでは追いつかれると考えていたデインであったが、走る先を見ていた椎名は何かに気づく。
「デイン、この先崖になってる!」
「飛べぇぇぇぇ!!」
止まることも躊躇せず、デイン達は怪物から逃れる為にその崖を飛んだ。
浮遊感を味わいながら、デイン達は落ちていく。
そして、下は住宅街となっており、ボロボロな屋根に着地した瞬間、屋根は崩れ、デイン達は家の中へと落ちた。
「いってぇ……おい、大丈夫か?」
「うん……それより早く行こう。あいつも降りてきたらどうしようも出来ないよ」
「クソ……ほんと楽な仕事じゃねえな」
愚痴を漏らしながら、デインは屋根を構成していた不安定な木材の上に立ち、すぐさま移動を開始する。
部屋を出るまでの間、あの怪物が降りてくる気配はなく、それでも急ぐようにしてその場を後にした。
「で、どうするんだ? 頼みのヘリが無くなっちまったわけだが」
「うん……どうしよう。あれがないとこの国から出れない……」
「おいおい、マジで移動手段がないのか。どうするんだよ?」
「とにかく、月島さん達と連絡を取ってみる。皆の無事も確かめたいから」
椎名はそう言って、無線機から護衛の三人へと連絡を試みる。
「月島さん、清水さん、板東さん。全員、無事ですか?」
『こっちは大丈夫だ。そっちはどうだ?』
「月島さん。よかった……こっちは問題ないです。今、デインと一緒に住宅街の一軒家の中にいます。ここからどうしましょう?」
『とにかく、そこから急いで離れよう。あの得体の知れない怪物がいつそっちを襲いに掛かるか気がしれない。俺達は三人揃い次第、お前達と合流する。いいな?』
「はい、わかりました。では、また後で」
椎名は月島と呼ばれる男と無線を切り、デインへと向き直る。
「とりあえず、ここから急いで離れろだって。アメリカへの移動については月島さん達と合流してから決めよう」
「ようやくへっぴり腰軍団と顔合わせか。心躍るね」
「そんなこと言わないの。早く行くよ」
椎名は悪口を言うデインを叱りつけながら、今いる家から出ようと提案する。
異論は特にないデインであったが、その分、周囲の警戒は先ほどよりも一段と高かった。
なにせ、ライフル銃の弾丸を受けて平然とするような怪物だ。もう一度出会えば、命の保証があるとは思えなかった。
「あの筋肉ダルマ、一体何だと思う?」
「……分からない。明らかに知性があるようにも感じたし、少なくともモルフではないとは思うんだけど……」
「俺には少なくとも人間には見えなかったけどな」
デインのその意見に、椎名は何も答えなかった。
三トンは軽く超えるヘリを持ち上げ、ライフル銃の弾丸を受けても耐えることが出来る人間なぞこの世にいる筈がない。
仮にモルフだとしても、椎名はそれに該当する根拠を見出せなかったのだろう。
答えを出せないのは致し方ない事実だった。
「なんで、いきなりあんなのが現れたんだろうね?」
「俺に聞くなよ。……だが、奴は俺達を狙っているようにも見えた」
「私達を……?」
デインのその推測の意味がわからなかったのだろう。椎名は理由をデインへと問いただす。
「あいつ、ヘリを持ち上げた時、そのまま中の運転手を殺そうともせず真っ直ぐ俺達へと走ってきやがった。優先目標が明らかに俺達に向けられていたんだ」
「それは……そうだね。でも、何の為に?」
「分かんねえよ。ちなみに一つ確認しとくことがあるんだがいいか?」
デインは苛立つ様子を見せながら外の様子を確認し、椎名にあることを問いかける。
その問いかけは、椎名と初めて出会ったあの最初の時に聞くべき事のものであった。
「俺がモルフに感染しない人間って情報。他に知っている奴はいるのか?」
「――どうだろう。仮に知る人がいても、ほんの僅かだと思うけど」
「じゃあ質問を少し変える。お前達はどうやって俺がモルフに感染しない人間と当たりをつけたんだ?」
核心を突くその疑問に、椎名は黙り込む。
思えば、何か変だったのだ。こんな辺境の地で、デインがモルフに感染しない人間と分かり、アメリカへ連れていこうとしたこと。
椎名を疑っているわけではない。だが、その理由だけでもハッキリさせたかった。
椎名は黙り込んでいたその口をゆっくりと動かし、答えた。
「私も言伝でしか聞いていないから確かじゃないんだけど……あなたがモルフに噛まれた瞬間を見た人から得た情報だってことは聞いてるよ」
「なるほどな。と、すればだ。あの怪物が俺を狙っていたとすれば、奴は俺のことを知っているということになるよな」
「それは……」
確証はない。だが、もしも怪物の狙いがデインならば、奴は知っていたということになる。
デインがモルフウイルスに感染しない体質であること。その重要性についでだ。
「なら、お前達の中に裏切り者がいる可能性をまず最初に疑うことだ。モルフウイルスってのは元々、どっかの馬鹿どもがばら撒いたものなんだろ?」
「――――」
「……まあ、俺じゃなくお前の可能性もありうるんだけどな。そこんとこ、実際どうなんだ?」
「私が『レベル5モルフ』だから、ってことだよね」
そう。怪物の狙いがデインとは限らないのだ。
『レベル5モルフ』の力を持つ椎名ならば、怪物の狙いが椎名だったとしてもおかしくはない。
そして、その問題の本質はまた別にあった。
「お前、確か日本壊滅のあの出来事の裏ではお前を連れ去るのが連中の目的だったって言ってたよな? なら、あの怪物の裏にはお前を連れ去ろうとした奴らが関わっているんじゃないのか?」
「……そうかもしれない。じゃあ、あの怪物は私を狙ってたってこと?」
「可能性としては大いにな。もしかすれば、俺達両方をって可能性も十分にありうる」
互いに特別な力を持つ以上、敵の狙いがどっちにも傾きえるということがデインの推測だった。
だが、そのどちらかが分からないのでは、椎名にこれ以上何かを問うても無駄だろう。
どちらにしても、あの怪物に遭遇しないようにすれば問題ないのだから。
「まあ、頭にそのことだけは覚えておけよ。とにかく、奴に見つからずにここから抜け出す」
「……うん」
方針が決まった二人は家屋から身を乗り出し、すぐ隣の民家へと素早く移動した。
事前に窓から外の様子を確かめていた為、少なくともモルフに見つかる可能性はゼロに等しかったのだ。
大通りに出ればあの怪物に見つかる可能性が高いので、デインは細かく移動を繰り返し、一刻も早くここから離れることを選んでいた。
「月島とか言う奴には連絡しなくていいのか? 俺達だけで先に行くわけにもいかないだろ」
「大丈夫。向こうは私の位置をGPSで把握しているし、私達は私達でやれることをやろう」
「そうかい」
特に気にすることもなかったデインは椎名の判断に従うことにした。
というより、断る理由がなかった。ここで椎名の取り巻きを待つことを選べば、それだけあの怪物との遭遇率が高くなるからだ。
ならば先に進み、とにかく怪物との距離を離す方が優先度は高いのだ。
デイン達は家と家を行き来しながら、少しずつだが移動をしていた。
その間、怪物の気配は感じられず、デイン達も少しずつではあるが周囲への警戒心は下がっていっていた。
正直なところ、デインはあの怪物と出会ったとして、その勝算はまるで見込めていなかった。
手持ちの武器の中で一番殺傷能力が高いのは拳銃だが、ライフル銃が効かない相手にそんなモノが役に立つとは思えなかったからだ。
ともかく、遭遇すればその時点で詰みな状況下で、逃げることだけを考えてデイン達は移動していく。
そして、住宅街があるその端まで行った辺りだった。
そこで、デイン達は窓の外に人の気配を感じて身を潜めた。
「あれは、人間か?」
「うん……小さい女の子だね。どうしてこんなところにいるんだろう?」
デイン達が見る先には、年端もいかない少女が道端に突っ立っていたのだ。
何かを探すようにキョロキョロと顔を動かしており、モルフのような雰囲気は感じられなかった。
「どうしよう……迷ったのかな?」
「おい、まさか助けようなんて考えてねえだろうな?」
「でも、あのままにはしておけないよ。ここら辺は危ないし、それにあの怪物に見つかったら……」
デインは心の中で舌打ちをしていた。
椎名の弱点とも言うべき部分だろう。その優しさは、今の状況においてはかなり危険を見出すものだったからだ。
「気持ちは分からないでもないが、目的を見失うなよ。一人の命と世界中の人間の命、天秤に掛けるなら答えは決まってるだろ?」
「だからといって、私は救える命は見捨てられないよ」
「おい!」
椎名はそう言って、デインの制止を振り切って外に飛び出す。
最悪だと、デインは憎々しげに表情を歪めるが、こうなってはもう仕方ない。椎名の後を追いかけるようにして外にいる少女の元へと向かう。
「大丈夫? 誰か探しているの?」
「え……あ?」
三つ編みに髪を束ね、クマのぬいぐるみを持っていた少女は、急に現れた見知らぬ男女を見て戸惑う素振りを見せる。
そりゃあそうだろう。突然、知らない人から声を掛けられて怖がらない子どもなんている筈がない。
そもそも、椎名が話している言語は英語だ。どう考えてもこの国に住む子どもであることは明らかであり、言葉が通じているとは思えなかった。
「ここが多言語国家だからといって言葉が通じると思うなよ。俺が通訳してやるからお前は黙ってろ」
「え、あ、うん……」
「どうした? 誰か探している人がいるのか? この姉ちゃんが手助けしてやるってよ」
デインはネパール語で少女に語りかけ、言葉が通じたかのようにデインの顔を見る。
戸惑う様子は未だ変わらないが、それでも少女はデイン達へと目配せをしながらゆっくりと口を開いた。
「お母さんと……はぐれて……」
「なるほどな。親とはぐれたらしいぞ。もう既に放っておく方が無難だと思うが?」
「そんな無責任な事言わない。お姉さんと一緒に探そうって通訳して」
「おいおい、マジかよ……」
勝手なことを言い出す椎名に、デインは頭を掻く。そもそも、ただでさえモルフがウヨウヨするこの都市から一人の親を探そうなんて言っているのだ。ふざけた提案に他ならなかった。
「たく……この姉ちゃんが一緒にお母さんを探してやるってよ。どうする?」
「……大丈夫。一人でなんとかするよ」
「お?」
逞しげにそう言い切る少女に、デインは目を見張る。
こんな最悪な場所でそんな度胸を口に出来る大人など、そうはいないだろうと考えたからだ。
「一人で探すっつってるぞ。俺達の出番はなさそうだ」
「嘘言わないで。そんな危険なことさせられるわけないでしょ」
「悪いが、俺は反対だ」
椎名の意見に、デインは真っ向から対立する。
その理由は少女を見捨てようとしてのものではない。
「心が決めたことを簡単に俺達が割り込めると思うな。この子どもが決めたことに、俺達が何を言っても意味がない」
「でも……」
「仮にここに残っても無駄な時間しか食わない。大丈夫だ。この子はしっかりしてる」
デインはそう言って、少女の前に座り、その手に何かを渡そうとした。
「お前は強い子だ。だから、俺からお守りをプレゼントしよう。何か悪い奴らが襲って来た時、それを使え」
デインの手から渡されたのは、折り畳み式のバタフライナイフだった。
普段はデインが護身用に持ち歩いていたものだが、一応は複数個持ち合わせていたので、一つ無くなろうが問題のない物だった。
ナイフを渡された少女は、ニコやかにその顔を笑顔に変えると、
「ありがとう!」
そう言って、デイン達から離れるようにトテトテと走り去っていった。
その様子を見ていた椎名は寂しそうな表情を浮かべていたが、デインは厳しい顔つきで椎名を見つめて言った。
「お前が思うより世界は広い。自分の考えている世界が自分の思い通りに運ぶとは考えるなよ」
「……うん」
椎名は何かを思うように考え込んでいたが、デインは無視するようにその場を歩き出す。
「行くぞ。さっさと俺達は俺達の役目を果たそう」
デインがそう言って、椎名は動かなかったその場をようやく歩き出し、デインの後ろをついていく。
そのデインとの距離が、そのまま心の距離として表していることに、椎名だけでなくデイン自身も気づいていた。
第四章は心理的描写が多かったりします。




