第三章 幕間その二 『クリサリダ』
舞台は変わり、そこは誰も生き残っていないとされていた島国の首都。今や死都と化した都市、東京であった。
既に日本はモルフの巣窟となっており、誰一人近づくことさえ出来ない魔の区域となっている。
国連による不可侵約定の発令の後、どの国も日本には近づくことは出来ないとされていたが、それはあくまで表面上での理だった。
領土の奪還とは名目の、日本領土内のモルフを殲滅し、我が領土にとしようとする国もありはした。
だが、その作戦はどの国も成功させることはなかった。
大々的な部隊を投入することが出来ない以上、航空部隊ではなく、海からの人海戦術となっていたのだが、どの部隊も進行途中で音沙汰が無くなり、全ての部隊が全滅したとの推測となっていたのだ。
その原因は、幾度となく送った部隊からの断片的な報告のみとはなるが、全身が白い生物からの奇襲。部隊メンバーが突如、モルフに噛まれたわけでもないのに感染しただの、見たこともない触手を持った化け物と対峙しただの、確証のある情報は何一つ得られなかった。
その為、今も日本領土奪還計画を目論むアメリカにいる日本人達の計画は、実行することさえできなくなってしまっていた。
だが、時間の問題という点もある。
モルフは基本、死んだ人間を脳から浸食し、動かしているに過ぎないものだ。
つまり、人間の体の活動は停止したような状態となっており、代謝機能も不十分なものとなっている。
このまま時が過ぎれば、その体は腐敗し、モルフ自身が人間の体を動かせなく時が来る筈だと、そういった研究結果を出していることもあって、今は手を出さないというのも一つの理由であった。
だが、それは敵組織も想定している事態。そのことを知る者は誰一人いなかったのだが、互いに準備を立てていることは奇しくも同じことであった。
「こちらにおられましたか、外の空気を吸いにおいでで?」
その国には、誰一人いない筈だった。だが、そこには人間はいた。
日本がまだ滅ぶ前は観光地として知られていたタワーの上階で、一人の男にご機嫌を窺う。
「ああ、外の空気は良い。誰もいない、腐った人間がどこにもいないというのがまた良い」
男はそう返答を返し、静かな雰囲気を漂わせるゴーストタウンを見て、両手を広げた。
夜空は綺麗というわけでもなく、雲が覆い、今にも雨が降りそうな様子ではあったが、そんなことは気にもしない。
彼は誰よりも、自然的な環境が大好きなのだったから。
「それで、何か用でもあったのかな?」
「メキシコ国境線での作戦について報告を預かっております。作戦は成功。アメリカの軍隊の動きのデータ、また、日本の生き残りが前線に出ていたとの情報も得ております」
その報告を受けて、銀髪の男は笑った。
「そうか、件の男はいたのか?」
「レオナルド、エレナの証言によれば、直接戦闘になったとはお聞きしております。ただ……そのこととは別に……」
「ん? どうした?」
「その……同じく作戦に参加していた碓氷様が戦死したとのことです。殺した人物については……現状、把握は出来ておりません」
「何……?」
想定外の報告に、銀髪の男は目を見開いて驚く。
碓氷氷華はこの組織のナンバー3でもあり、同時にその地位に見合うといっていいほどの実力者でもある。
その碓氷が死んだこと、普通に考えればそれは――。
「桐生がやったのか?」
「いえ、その可能性は低いと推測できます。レオナルドとエレナが交戦の後、奴は別の方向へと動いていたとのことです。碓井を殺したのは、別の人間でしょう」
「――なるほど、そうか。くくくく」
その報告を聞いて、銀髪の男は不敵に笑った。
組織にとって、碓氷氷華の死は痛手であったことには違いない。
だが、この男はそんなことよりも碓氷を殺したその何者かが気になってしょうがなかった。
「新たな新時代の幕開けは近い……か。そう思うだろう?」
「は?」
何を言っているのか分からなかったのだろう。そう、茫然としていた時だった。
銀髪の男の後方、空中であるそこに、巨大な生物が突如として現れたのだ。
「リアム様!」
その化け物は、モルフに感染した人間だった。
『レベル3モルフ』となったその元人間は、その両腕が大きく変異させ、蝙蝠の羽のようになったそれで空を飛んでいたのだ。
その目はリアムのみに向けられており、リアムに跪く部下には一瞥もくれていなかった。
「なるほど、『M5.16薬』投与者は仲間という認識か。俺は違うのか?」
「リアム様! 退避を!」
部下の男が声を上げたのと、蝙蝠型の『レベル3モルフ』がリアムへと襲い掛かったのはほぼ同時だった。
「だが、所詮は出来損ないだな」
「——え?」
部下の男は、瞬きをしただけであった。
だが、目を閉じ、開いた瞬間に全ては終わっていた。
蝙蝠型の『レベル3モルフ』は、その体を真っ二つに切り裂かれ、既に絶命していたのだ。
その中で、リアムは平然とした様子で立っていた。片手に、長剣を携えた状態で。
「些細なものだ。俺の安否を気にするほどでもないだろう?」
「も、申し訳ございません」
何をしたのか、まるで分からなかった。
いつの間にリアムが剣を抜いたのか、一瞬のことすぎて理解が追い付かなかったのだ。
いや、部下の男は抜けていたのかもしれない。
リアムは組織の中でもナンバー2の立ち位置でもあり、その実力は組織の中でも最強と称されているほどであるのだ。
「ところで、娘達はどうしている?」
リアムは、薄く細めた目で問いかけてきた。
「リーフェンはメキシコ国境作戦から帰還予定。ミラはネパールにて作戦活動中です。ミラについては音沙汰がまだないので、すぐには戻ってこないかと」
「――ほう。つまり、発見したということか」
「恐らくは……」
大幅、予定通りだということを確認できたリアムは、持っていた長剣を鞘へと納めていく。
「あいつからの連絡は来ているのか?」
「あいつ……とはあのお方のことでしょうか? いえ、我々はボスとの面識も連絡手段もない為、そちらに関してはリアム様の方が詳しいかと――」
リアムが口にしたあいつとは、組織を纏めるリーダーのことであった。
組織のリーダーとは言うが、ほとんどの構成員はその顔も名前も知らず、分かるのはその連絡手段がリアムにしか無いということだ。
「相変わらずだな。組織の連中には教えといてやってもいいだろうに、面倒な奴だ」
構成員が知りもしないことでもあるが、それでも組織のボスをこうも軽々しくも言えるのはリアムぐらいであろう。その繋がりを知るわけではないが、上下関係といった繋がりだとは思えなかった。
「それにしても、この街並みの景色、君はどう思う?」
話題を切り替えるように、リアムは部下の男に問いかける。
「は? そうですね。以前とは違い、殺風景ではありますが静かなものかと……」
「ふふ、それが良いのだよ。モルフウイルスとは凄いものだ。当時はこの時代の軍事力からの計算では国を墜とすなど不可能とされていたにも関わらず、我々は成し遂げることが出来た。それは、どの国も例外ではない」
夜空の下、光一つない崩壊した建物のある街並みを眺めて、リアムはそう言った。
それは、結果論に近いが、的を得ていた部分でもあった。
当初の予定では、モルフウイルスを国全体にばら撒いたとしても、いつかは沈静化させられるものだとは予測していたのだ。
だが、事前に初期感染者を見抜く術もなく、責任を押し付け合い、碌に解決策も出さずに自己保身に走る馬鹿どもにはモルフウイルスに打ち勝つことはできなかった、
「モルフという極細のウイルスがあれば、どんな防衛機器があろうともすり抜けることは容易だ。たとえ、それがファランクスガトリング砲であろうと、最新鋭ステルス戦闘機であろうと、国内への侵入を止めることは叶わない。それは、既に実証済みでもあるのだからな」
「仰る通りでございます」
そう、細菌兵器の一角に入り込むレベルのモルフウイルスは、それさえ国内に入り、誰か一人にでも感染させれば、雪だるま式のようにして感染者が増大していく。
様々な国に対し、テロリストを使った実験でそれは証明されていた。
対人間、よく言えば対機械兵器に対する対抗手段を重視して人類が築いたモノは、それに気づくことさえ出来はしない。
国でもない、テロ組織であるこちら側は国でもない為、『NBC兵器』に関する条約なんてものに気を遣う必要もないので、思う存分やってこられた。
「もうすぐだ。もう、あと少しで全てが終わる。世良、お前の意思は俺が継ごう」
天を仰ぎ、リアムはもうこの世界にいない彼女の名を語る。
世良望とは偽名、イリーナという名前だったその者は、組織の中で初めて『レベル5モルフ』に到達した存在でもある。
先の御影島での初期フェイズの作戦時に死んでしまったのは、組織にとって手痛いものだった。
「桐生、俺は待っているぞ。お前はいずれ、俺に辿り着くことを知っているからな」
「————」
部下の男は、リアムの独り言を黙って聞いていた。
というより、迂闊に言葉を挟み込めないこともあるからだ。
詳しくは知らないが、リアムの側近になった者は、三人の娘以外の大概が不慮の事故等で死んでしまっている。
何が発端でリアムの機嫌を損ねるか分からない以上、部下の男は聞かれたことに反応するしかない。
この男は、強すぎるのだ。
組織にいる人間ならば、誰でも知っている。娘達も大概だが、リアムという男の戦闘能力は圧倒的すぎた。
それ故に、これまで謀反を企てる者も、歯向かおうとする者もいなかったのだが。
「世界は一度壊す。そして、全てを自然に戻すのだ」
組織は大きくなりすぎた。
もう、誰にも止めることは不可能だろう。
これから起きることも、たとえどれだけの大国であろうと阻止するのはもう無理だ。
「始めよう。蛹は羽化し蝶となる。世界は、我々『クリサリダ』が変えるのだ」
部下の男は震えた。
それは緊張か不安か、本人でさえも分からないが、分かることはある。
世界はこのリアムという男によって、塗り替えられる。
そして、始まるのだ。今日、この時を持って、世界への宣戦布告を。
『クリサリダ』――それが全ての元凶たる組織の名称でもあった。
色々と専門用語ばっか出してすみません。
『NBC兵器』:核兵器、生物兵器、化学兵器の総称。この三つはそれぞれ、国家間において使用禁止の条約としてあります。
なので、残忍すぎる兵器であるそれを、戦争においてもこれらの兵器を使うことは、全世界から非難の嵐が巻き起こり、ある意味では全世界を敵に回すぐらいのリスクしかないものです。
この中でも、モルフウイルスはバイオロジカルウェポンである生物兵器に属します。
ファランクスガトリング砲:アメリカ合衆国が開発した自動迎撃システム搭載の大型の機銃です。他国からのミサイルや戦闘機などをレーダーで自動捕捉し、撃墜できるというえげつない兵器です。
例えで出したのは、モルフウイルスはこのような防衛機器では対応出来ないという意味で出しました。
次話より第四章が始まります。
あまり間隔を空けずに投稿しようと思いますが、仕事の都合上、かなり時間が足りない状況になってきています。
毎日投稿は恐らく厳しくなってくるでしょうが、最大でも一週間は空けないよう投稿頻度は下げないよう努力します!




