第三章 幕間その一 『日本へ』
笠井修二はシェリルの指示の下、病院の外にある黒いリムジンの車へと乗り込み、日本へ向かう準備を整えていた。
車内は高級そうな雰囲気は感じられず、外から見ても分からないであろうほど銃器などの装備が置かれていた。
「おっ、キミが飛び入り参加のジャパニーズか。俺はアレックスだ。よろしくな」
装備を整えている途中で、そう気安く話しかけてきたのは、同じ作戦の参加メンバーの一人だった。
アレックスと名乗るその男はアメリカ人であり、恐らくなんらかの特殊部隊の一人だろうが、車内の殺伐な雰囲気と違い、活気的な男であった。
「よろしくお願いします。俺は笠井修二です」
「英語も流暢だな。そう硬くならなくていいぜ。母国へ帰るから緊張してるんだろ? 俺達がしっかり守ってやるから安心しろって」
アレックスは気遣うつもりでそう言ったのか、修二の実力を過小評価しているかのような物言いだった。
修二からすれば、その反応は予想通りのものだった。
アメリカ人からすれば、今の日本人は偏見の対象そのものだ。
愛国者であるならば、日本人がのうのうと自国にいるという現状を嫌な目で見ていることは明らかなのである。
修二としては、そのような目で見られようとも関係のない話ではあったのだが、返答に困るというのも事実ではあった。
「あっ、すまねえな。別にお前のことを嫌っているからそんな言い方をしたわけじゃあねえぜ。ただ、俺達の部隊は隠密に特化した部隊だ。自衛隊上がりのお前だと、少し慣れないと思ってさ」
アレックスは修二の胸中を分かったかのように、そう訂正して話した。
だが、その見方には相違があった。
「問題ありません。俺は自衛隊上がりじゃないですし、むしろ隠密という名のついた部隊の上がりです。迷惑はかけないと思いますよ」
「マジか! アイザック隊長、聞きました!? このジャパニーズ、偵察か諜報部隊かなんかの上がりらしいですよ!」
アレックスは驚くように、リムジンの先頭助手席にいるアイザック隊長と呼ばれる男へとそう流布させた。
口が軽そうなのを理解した修二は顔にこそ出さなかったが、不用意に自身の経歴を話すべきではないだろうと改めて考えてはいた。
「アレックス、うるさいぞ。どの道、日本は最重要警戒区域だ。生半可な奴なら、すぐに死ぬ」
「いやぁ、その通りではあるっすね。なら、連れていっても問題なさそうだな。メインの武器は何使ってるんだ?」
アレックスは修二の基本装備を尋ねるように、そう問いかけてきた。
「基本はサブマシンガンです。セカンダリーウェポンは拳銃とナイフを常備していますよ」
「ほっほー。なら、ARはあまり使わないんだな。俺らは基本、それを使ってるからさ。撃ち方とか教えてやろうか?」
「そうですね。対象に当てること自体は得意なので、リロードのやり方と装填数さえ教えていただければ問題ないですよ」
修二がそう言った時、アレックスは微笑を浮かべて修二の肩を掴んだ。
「へぇ、聞いてるとかなりやり手くさいな。エイムが良いってことはレインと良い勝負できそうじゃん。なぁ?」
「私はそんな勝負に興味ないよ。あんた、戦場でもそんな能天気でいるつもりなのかい?」
「手厳しいねぇ。まっ、こんな愛想ない奴らだけどあまり気にするなよ」
黒髪を後ろに束ねたレインと呼ばれる怖そうな雰囲気を醸し出す女と話をしたアレックスは、修二へとそう振って、逆に苦笑いせざるを得なくなる。
レインも言った通り、アレックスのこの能天気さは修二も気になっていたが、チームのムードを調節している存在でもあるのだろう。
修二としても正直なところ、そこまでこのチームとは親睦を深めようなどとは考えていない。
「どちらにしても、途中まで一緒にいるだけのチームだ」
チーム、などというものに必要性を感じていない。
それが、今の修二の見解でもあり、いずれはこのチームが用済みになる考え方だった。
日本に到着し、ある程度のアジトまで辿り着くことが出来たならば、修二はこの部隊から逃げ出す算段でいたのだ。
その極端な考えは、チームを信用していないわけではなく、修二が単独で動きたいが故の判断でもあった。
既に、修二は部隊を持って失ってしまっている。
ならば、もう誰かと共に戦うなどということは、彼にとって意味のないことなのだ。
戦うのは、もう一人だけでいい。
失うところを目の当たりにするぐらいなら、一人で戦う方がずっと楽なのだから。
それが、修二の選んだ覚悟だった。
「――おい、お前」
修二が一人、そう考えていたところに、向かいにいた大柄な男が視線をこちらに向けてそう呼びかけてきた。
首周りから全身にかけての筋肉があまりにも太く、着ている装備服でさえも隙間を感じさせないほどの凄い見た目を彼はしていた。
モヒカンのような髪型をした彼は、鋭い目つきで修二を見ていた。
「え……と、はい。なんですか?」
修二は、その威圧感に少しだけ気圧されながらも、返事を返した。
レインと呼ばれる女よりも殺伐な雰囲気を醸し出していたその男は、修二へと目線を逸らさぬままに言った。
「お前、俺達のこと、信用してるか?」
その質問の意味を、初めは理解することが出来なかった。
だが、次第にこの男が何を考えているのか、修二は心の中で分かってきてはいつつも、言葉ではこう返していた。
「は? い、いや、信じるも何も、まだ出会ったばかりのメンバーですよ? そうすぐに信頼を築けるものとは――」
「お前、孤独な目をしている。大丈夫、俺達はお前を見捨てない」
「――――」
それは、修二の胸中を見透かした意味での発言であった。
一人で戦うという意思と覚悟を決めた修二。それを悟られるようなことは一切なかったはずだったのだが、この男は分かっていた。
見捨てない。その言葉は、今の修二からすればかなり重たく感じるものだ。
かつての修二も、同じようにして仲間達に守ると言って、何もできずに終わってしまった。
そのことを考えれば、信頼、信用という言葉など、修二にとっては何の意味も為さないものだとそう考えてしまっていたのだが。
「笠井修二、だったな。俺はジェラルドだ。お前は母国を取り戻したいのだろう。だから、俺も手伝う」
そう言って、ジェラルドは修二へと手を伸ばした。
握手を求めるその手を、修二は握り返すことに一瞬、躊躇した。
これを了承してしまえば、修二はこのチームを裏切ることなど、簡単にできるものでもないのだ。
一度でも信用してしまえば、もう手を離すことなどできるわけがない。
でも、それでも、修二の選んだ選択は――、
「よろしくお願いします。俺も、出来る限りのことをやらせていただきますから」
修二は、ジェラルドの手を取って、握手をした。
それは、信用するという意味での握手なのか、修二の中での答えはもう決まりきっていた。
「よっしゃ! じゃあ、いくとすっか! 目標はテロリスト集団の殲滅……は無理だよな? 何するんだ?」
「なんで知らないんだよあんたは。まずは日本の陸地への潜入、その際の安全性の把握と敵アジトへの侵入、及び要人の暗殺だろ?」
「そうだそうだ、忘れてたわ! 要人って誰でしたっけ? アイザック隊長?」
アレックスはレインから作戦の概要を説明されながら、思い出したかのように振る舞い、アイザックへと尋ねる。
助手席にいるアイザックと呼ばれる隊長は、隊員達へと振り向く間もなく、こう伝えた。
「暗殺対象は現在、国際指名手配に掛けられている人物。恐らく、敵組織のリーダー格と予想されている者だ。名は、リアム・アーノルド――」
修二も知らないその名を聞かされて、その場にいた者達は静まり返っていたのだが、その反応の違いがあったのは彼だけだった。
その名を聞いた途端、一同の表情に緊張が走り、あのアレックスでさえも真剣な表情をしていたのだ。
「奴はあの殺人ウイルスを使い、何かをやろうとしている。俺達の手で、それは止めないといけない」
「まさか、あの男が関わっているとはね。こりゃ、厳しい作戦になりそうだ」
アイザックとアレックスがそう口々に話しながら、修二だけは分かっていなかった。
リアムと呼ばれる人間とは何なのか、その者の経歴を知らなかったからだ。
「あの……そいつはどういう人物なのですか?」
修二が問いただし、その疑問について、目の前にいたレインが説明しようとした。
「知らないのか? そいつは私達、アメリカ陸軍を半壊させた男。確かに日本人なら知らないだろうが、奴は私達の祖国を愚弄したクソ野郎なんだよ」
「半……壊?」
聞くだに信じられない情報が飛び出し、修二は目を見開きながらもレインの話を聞いていた。
それに続くように、アレックスもリアムという男について、語ろうとする。
「あれは十年前になるのかな。まだ俺が新米だった頃に、奴はそこにいた。陸軍の兵站訓練の集会時に全員が集まっていた時、奴はいきなり前に立って言ったんだ。『自由という平等を語る愚か者共よ。俺が今からお前達に教えてやる。人間という種族に平等なんてものはないということをな』――って」
「それで……どうなったんですか?」
リアムという男の異常性について、修二は気になりながらも続きを求めた。
アレックスは拳を握り、その握った拳を見つめながら答える。
「奴は一人で反乱を引き起こしたんだ。当時、俺たちはその場で銃器を持っていたわけじゃなかったから地獄だったよ。仲間が次々と殺されながら、後から銃火器を持ってきた連中でさえも、ものともせずに屠っていった。結果、陸軍部隊の半数を殺され、奴はどこかへと身を隠した。まんまと逃げられてな」
「――――」
「さすがに表沙汰にできる情報でもなかったからな。戒厳令を敷かれて、情報は隠蔽された。ただ、俺たちにとって奴は、仲間を殺した憎むべき相手でもあるんだ」
聞くだに信じられない所業だった。
アメリカ陸軍といえば、世界の中でも最も実力がある軍隊でもあった。
それをたった一人で半壊させるなど、普通の人間とは思えなかったのだ。
「普通の人間じゃない……」
そう言葉を漏らしたが、ふと気になることもあった。
人間の身体能力の限界を超えた者。修二は一瞬、桐生のことが頭に浮かんだが、それとは違う。
『レベル5モルフ』にも、その可能性を秘めていることは事実だった。
だが、『レベル5モルフ』ではないはずである。
モルフというウイルス自体、御影島で発見された隕石の副産物だ。時系列から考えても、それはありえないはずである。
しかし、ふと最悪の可能性を考えてしまう。
リアムという男は、世界が今、難題に抱えているモルフウイルスの首謀者だ。
もしも、リアムという男が『レベル5モルフ』であれば、その強さは全くの未知数となってしまう。
万が一、リアムが『レベル5モルフ』であるならば、果たしてこの部隊のメンバーだけで太刀打ちできるのか、修二の中で不安を過らせていた。
「やれるのでしょうか? このメンバーだけで……」
それは、聞いてはならないことだということは分かっていた。
ここにいるメンバーは修二を除いて、全員がリアムという男に因縁を持っている。
選択肢自体、鼻から決まっていることをここで挫いてしまえば、反論されることは当たり前だと言った側で修二は思いついてしまっていた。
しかし、そんな修二の戸惑いに、目の前にいたレインは愛用している拳銃を弄りながらこう話した。
「正面から堂々とやりあえばどうなるかは分からないだろうね。でも、暗殺というやり方なら少しは違う。そういう点では、私達の部隊は特化しているから、あんたは気にする必要もないよ」
「そうそう、修二もそっち系の特殊部隊上がりなんだろ? だからこそ、こんな少数精鋭なんだよ」
アレックスも続いて、そう口々に説明した。
確かに、日本に向かい、敵組織のアジトに潜入するにしては、あまりにも少数すぎていた。
この情報自体、シェリルから聞くにはかなりの秘匿情報であることは間違いないのだが、一体、どこまでの人間がこの情報を知っているのだろうか。
そのことを考えていくと、一つ、気になることを修二は思い浮かべて、そのことを問いただそうとアレックス達を見る。
「今回の作戦、聞くところによれば桐生部隊長も参加するとのことですが、それについて誰か知っていますか?」
「――桐生? 桐生大我も日本に向かっているのか?」
その声に反応したのは、意外にも助手席にいたアイザック隊長だった。
他のメンバーは、桐生とは誰のことを言っているのか分からないような、そんな疑惑の表情を浮かべている。
「はい。聞いた限りでは先に向かっているということらしいです。後ほど合流するのかと自分は思っていたのですが……」
「初耳だな。どういうつもりだ、上層部の考えは……」
アイザックは何かを思い詰めるように、腕置きに頬杖をついていた。
それを聞いていたアレックスは、首を傾げながらアイザックへと顔を向けると、こう聞いた。
「アイザック隊長、桐生ってのは何者なんですかい?」
「桐生は日本全軍において白兵戦最強と名高い男だ。一人で一個師団を殲滅できるほどのな」
「ほえー、そりゃ心強いや。そんな奴がいるならこの作戦も余裕っぽそうじゃないですか」
「気を抜くんじゃないよ、アレックス。相手はあのリアムなんだよ?」
アレックスの軽口に、レインが強く牽制した。
「ごめんごめん」と、両手を合わせながら謝るアレックスであったが、修二も似たように考えてはいた。
桐生の強さは、修二が考える以上の莫大な戦力の一人だ。
今回の作戦においても、近代兵器を使わない戦いになるのであれば、かなりの戦力になることは間違いない。
少し思うところがあるとすれば、なぜ別々での行動というところなのだが、その考えはリムジンが止まり、アイザックが声を掛けたことで打ち止めとなってしまう。
「着いたぞ。これから、船での長距離移動になる。全員、準備はいいな?」
その指示を聞き、全員の表情が真剣な顔つきになる。
準備自体はとっくに済ませてあるのだが、この場合は気持ち的な部分による問いかけだったのだろう。
気を引き締めて、修二もアレックス達も立ち上がり、リムジンから降りていこうとした。
「目指すは日本。その東京直下にある地下に奴らは根城を構えている。暗殺対象はリアム、それ以外は遭遇次第、速やかに射殺しろ。分かったな?」
「「「「了解!」」」」
全員が作戦内容を理解し、返事を返した。
修二は乗り込む船ではなく、海の地平線を見つめながら立っていた。
そして、修二は背中に掛けたサブマシンガンの感触を確かめる。
これは、ただのサブマシンガンではない。
かつて、隠密機動特殊部隊として、副隊長であった修二の父、笠井嵐が使用していたサブマシンガンだ。
その父の形見であるそれを手で少し触りながら、もう一度、海の地平線を見る。
――いつか、必ず取り戻し帰る場所。
父も、クラスメイトだった友人達の墓も、皆がまだ日本に残ったままだ。
帰る時が早くなってしまったが、それでもやることは変わらない。
必ず取り戻す為に、修二は深く深呼吸をして、もう一度海の向こう側を見た。
「――待っていろ。絶対に、お前達を逃さない」
これは、これから最後の戦いが始まるもう一つ前の物語。
最終章への序幕となる、大きな転換点の一幕となる物語だ。
まだ先ですが、日本編が最終章の前章となる、ある意味では序幕となる部分となります。
第四章と第五章は、ほぼ全ての伏線を回収する予定です。
モルフの謎。『レベル5モルフ』の謎。これまでの謎についても、まとめて触れていきたいと考えています。
幕間はもう一話あります。
次話、3月13日1時投稿予定です。




