第三章 第九話 『失う仲間達』
必ず、許さない。
修二の胸中では、怒りと憎しみの二つの感情のみが渦巻いていた。
この感覚は一度だけではない。
かつて、修二は同じような感覚を経験している。
御影島の事件の首謀者の一人、世良望と相対した時と同じような感覚だった。
本当は復讐をしたい。
でも、出水の言う通り、今は補給地点への帰還が先決であることは、当然の帰結であった。
仲間を犠牲にしたくない修二は当然、そのつもりではいる。
だが、胸中に渦巻くその感情が、修二の判断力を鈍らせてしまっていた。
「――――」
もう、廃墟となったこの街の出口は近い。
建物と建物が入り組むようにある為、すぐには辿り着けないが、このままいけば戦闘は回避しつつ進むことができる筈だ。
それでいい。
今は、退却することが一番大事なのだから。
「ストップ」
出水が指示を飛ばし、全員が立ち止まる。
「罠がある可能性がある。この地形、俺が敵なら間違いなく利用する」
そこは、細い通路のような道だ。
建物と建物の間を通るような、人一人が通れる程度の横合いとなっているのだが、あえて通ろうとはしない。
開けた道ではないが、建物の上の階からの射線が通りすぎていたのだ。
もしも、上から銃弾を放たれれば、修二達は間違いなく全滅してしまうだろう。
「一つ隣ならまだ建物は少ない。そこを通ろう」
「了解です。――?」
「どうした? 司馬」
出水が、何かに焦るような表情をした司馬に問いかける。
彼女が何故、固まっていたのか、それはその場にいた全員がすぐに気づいた。
「犬飼は……どこですか?」
司馬の一言に、全員が身を見開いた。
犬飼がいないのだ。
一番後ろで、彼は後方確認の担当をしていた筈であった。
「――っ! 犬飼!」
修二が名を呼んで、後方の路地へと単独で走る。
「おい! 修二!?」
それに釣られて、出水が追いかけ、他の隊員達も一緒に修二を追いかける。
無用心に元来た道を戻り、先ほど碓氷と会話をした地点へと戻ってきた。
だが、犬飼はそれまでのどこにもいなかった。
「――っ、クソッ!!」
――やられた。
これは、完全に碓氷の策略であることは間違いない。
既に、こちらの位置は向こう側にバレていたのだ。
「おい、修二。何考えてんだ!?」
「何がって、犬飼を探してたに決まってるだろ!」
「一人で突っ走ってんじゃねえよ! それこそ敵の思う壺なんだぞ!!」
「お前は何で落ち着いてられるんだよ!?」
互いに胸ぐらを掴み合い、意見が衝突する。
それを見ていた他の隊員達も、さすがにこれはマズイと判断したのか、止めに入っていた。
「二人とも、落ち着いて下さい! とにかく、犬飼の身に何かあったのは事実です。その上でどうするかを考えましょう!」
司馬が仲裁して、冷静になるように促す。
互いに睨み合った二人は、そこで一度手を離すが、その表情は落ち着いていない。
そこで、修二が口を開いた。
「犬飼を探す。それしかないだろ」
「正気か? リスクが高すぎるんだぞ?」
「なら、俺一人でも探しにいく。お前達は先に補給地点へ向かえ」
衝撃的な発言を聞いて、出水は信じられないような目で修二を見る。
今の修二は、明らかにおかしかった。
怒りに我を忘れているのか、いつもの冷静な判断が何一つできていないのだ。
「できる筈……ないだろ」
修二の後をついて、出水は犬飼を共に探すことを選んだ。
隊長、副隊長、共にその判断をしたことで、司馬、樹、佐伯も従わざるを得なくなってしまった。
犬飼は、部隊の誰一人が気づくことなくいなくなってしまった。
音もなく消えたということは、なんらかの口封じをして、抵抗されても身動きできないように連れ去られたとみて間違いない。
生死は……不明だ。
「――――」
修二は先行しながら、足早に進もうとする。
碓氷の気配はまるで感じられない。
犬飼を捕らえた方法は不明だが、敵が単独である可能性はかなり低いだろう。
だが、近くには絶対いるはずだ。
音も何もない建物の通路の真ん中を、修二は歩く。
その後ろを、間隔を開けないようにして出水達がついていき、その突き当たりで一度止まる。
「クソッ!!」
修二は堪え切れなくなり、目の前の壁へと拳で殴りつけた。
犬飼が見つからない。
前方へ進むという判断は間違いだった。
よくよく思い出せば、前方が危険なことは分かっていた筈だ。
碓氷は、『巣へようこそ』と言っていた。
つまり、ここは奴のテリトリーのようなものだ。
それが分かっていれば、迂闊に東出口へと進もうとはしなかった筈なのだ。
「俺が……ちゃんと見ていれば……」
出水にも言われたことだ。
修二は、この部隊の隊長であり、隊員達の命を預かる立場であることを。
それを感情に振り回されて、結果的に犬飼がいなくなってしまった。
「修二、犬飼は自分の命を無下にしてでも俺達に何かあったか知らせるような奴だ。それがないなら、まだ生きている筈だよ」
「……だとしても、こうして立ち止まることになったのは俺の責任だ」
「なら、助け出すぞ。お前がそれを理解しているなら、大丈夫だ」
出水は、修二の肩に手を置いて、犬飼を助け出すと告げた。――その直後だった。
通路の先、その突き当たりから、人影が見えて、音を立てて過ぎ去ったのだ。
「っ!」
「犬飼か!? ……追うぞ!」
返事が無かったことから、別の人物だと判断した修二達は、人影を追った。
しかし――、
「うわぁぁぁぁぁ!!」
後方にいた樹が、急に宙に浮いて、そのまま後方へともの凄いスピードで引っ張られたのだ。
「樹!!」
「人影は後回しだ! 樹を追うぞ!」
何が起きたのか、誰一人理解できていない。
それでも、ここで更に隊員を見失うわけにはいかない為、修二達は樹を追うことに決めた。
だが、樹が消えた方向にある部屋に入っても、樹の姿は無かった。
「クソッ、クソッ! どうなってやがるんだ!!」
「どこかに抜け穴はないか!? そもそも……なんで樹はあんな動きを……」
見えない何かに引っ張られたかのような動きだった。
樹自身が抗えないほどであることは、それだけの強い力で引っ張られたということだ。
「樹! どこだ!?」
修二が叫ぶも、返事はない。
ここには始めから四人だけしかいなかったと、それほどの気配の無さであった。
修二は焦っていた。
どんどん、仲間がいなくなっていく。
その感覚が、かつての御影島でのクラスメイト達の運命とダブり、修二の胸中を不安で埋め尽くす。
「どうすれば――」
考える間も、何も与えるつもりがなかったのだろう。
その直後、天井が崩落して――、
「隊長!」
佐伯が修二の押しのけて、その瞬間、修二のいた場所に大量の瓦礫が降り注いだ。
「佐伯!!」
「だ、大丈夫です! 隊長! 俺は生きています!」
「――そうかっ! 怪我はないんだな!?」
「少し擦り傷ができた程度です! 問題ありません!」
「分かった! すぐに助けにいく!」
佐伯の無事を確認できた修二は、瓦礫の山をどかそうとする。
だが、一つ一つが大きすぎて、重く持ち上がらない。
「修二、別の道から佐伯のいる場所へと向かおう。下手に触れると、崩れる危険もある」
「ああ、そうだな。佐伯! その場で待機してくれ! すぐに向かう!」
「分かりました!」
出水の言う通り、安易に瓦礫をどかすのは危険だろう。
佐伯は別のルートから助けに向かうことに決めた。
「隊長、樹と犬飼はどうしますか?」
「……今は佐伯を優先する。その後、二人を探すぞ」
「……了解です」
司馬は、所在の知れない二人が心配なのだろう。
その声はか細く、不安な表情を浮かべている。
「司馬、俺達から絶対に離れるな。敵の居所が分からない」
「――はい」
敵の位置は、未だにわからない。
ただ、攻撃を受けていることは確かだ。
このままでは、一方的にやられ続けることは確かであった。
「敵の攻撃手段が読めない。人の気配をまるで感じないから、多くはないとは思うが……」
出水が、現状を推察をして、そう言った。
修二としては、ここまでの流れから見て、大方の推測は頭の中にあった。
「敵は一人だ。恐らく、碓氷一人の筈」
「ちょっと待って下さい。これを一人でやったってことですか? それはいくらなんでも――」
「方法は分からないが、敵が大勢いるならこんなまどろっこしい真似はしない。やり方が陰湿すぎる」
司馬の否定意見を覆すように、修二はそう言い切った。
確証があるわけではない。
だが、この追い詰め方、嫌らしい戦法は明らかに碓氷らしいやり方だった。
「俺もそう思う。あの性格の悪い女なら、俺達の分断を図って動揺を誘うやり方をしてもおかしくないだろうしな」
出水も同様の意見だった。
ならば、碓氷の目的は大体絞られてくる。
一人ずつ、確実に分断させ、最後に殺す。犬飼や樹の行方はもちろん、佐伯は別として、生きているかどうかについては誰にも確証が取れなかった。
「――クソッ!」
考えたくもない。いなくなった隊員が死んでいるなど、修二にとっては許せない事実なのだ。
「修二、犬飼達のことを考えるなら、今は信じて探す方が先決だ。そうだろ?」
「……分かってる」
出水に諭されながら、修二は通路の中を歩く。
ここから、佐伯のいる部屋へ行くには、建物内を大きく迂回する必要があった。
その道のりは、先ほどの人影が見えた道を通ることになる。
「隊長、何かいます」
司馬の合図で、修二と出水は前方を警戒する。
そこは、先ほど人影が通り過ぎた場所だ。
「さっきの人影か?」
「いえ……あれは、モルフです」
言葉を発する途中で、それは姿を現した。
全身を赤黒く染め上げ、両の手に鋭い爪を持った生物。あれは、『レベル3モルフ』だ。
「対モルフ専用武器を構えろ。あれなら、効果は期待できる」
修二が指示を出し、出水は既にそれを構えていた。
モルフはこちらに気づいたようで、ゆっくりとこちらへと近づいてきていた。
「撃て!」
修二の合図をきっかけに、出水が対モルフ専用武器でモルフの腹部に命中させる。
特殊炸裂弾が命中時に炸裂し、火薬はすぐに発火して、全身へと燃え移っていった。
「気を抜くなよ。この瞬間を狙っている可能性もある」
攻撃時の隙を狙われる可能性は十分に高い。
修二が言わずとも、出水も司馬も、周囲への警戒を怠らなかった。
だが、前方を特に注視していた修二は、そこである異変に気づく。
全身を燃やし尽くしながら、こちらへと近づく『レベル3モルフ』。
それが、暴れるように悶えながらある地点へと着いた時だった。
モルフの全身が、前触れもなく力を無くして倒れて――みじん切りにされたようにバラバラになったのだ。
「――は?」
何が起きたのか、理解が追いつかなかった。
今も燃え続けるモルフのその残骸は、原型が分からないぐらいにバラバラになっている。
まるで、何かに切断されたかのような、そう説明するしかないほどであった。
「なんだ……あれは?」
出水が何かに気づき、そのモルフの残骸――ではなく、その上を見た。
無用心に近づく出水に、修二は少し焦って、
「おい、気をつけろ」
「いや、これを見てくれ。これは……糸、か?」
少し離れた位置から、修二は目を凝らして見てみると、出水の見ていたものに気づいた。
モルフの残骸の上、その通り道となる腰から頭にかけた位置に、何かが張り巡らされていた。
それは、よく見ただけでは気づかなかっただろう。
モルフの血が、その糸らしきものを染色し、垂れ流れていたから気づけたようなものだ。
「これが、モルフをバラバラにしたのか? いや、いくらなんでもこれは――」
技術の限界を超えている――。
出水がそう考えたのはおかしい話ではない。
罠を仕掛ける際に利用する鋼線のようなものが存在するのは聞いたことがある。
だが、用途とは別に、これほどの切れ味を誇る切断鋼線は聞いたことがなかったのだ。
「出水、じゃあ樹がいきなり後ろに引っ張られたのは――」
糸により、そのまま引っ張られた。
そう答えようと、気を抜いた瞬間だった。
「あっ――!?」
司馬が、突如地面に倒れる。
否、倒れたのではない。倒れてから、その足を引き摺られるようにして、ものすごいスピードで地面を引き摺られようとしていた。
「司馬!?」
修二がそれを追いかけようとするが、司馬は修二を見て、首を振って、
「ダメです!! 私のことはいいから、出水副隊長を!!」
「っ! 今はお前の方が――!」
司馬の提言は間違っていなかった。
その瞬間、修二と出水のちょうど間になるところで、天井が崩落し、完全に分断された。
「――っ! 嘘だろ! 出水!!」
姿が見えなくなった出水。
そして、それに気を取られた後に司馬を見た修二だったが、彼女の姿はもうどこにもなかった。
「嘘だ、嘘だ……どうしたらいい……クソッ!!」
十分と経たない内に、隊員達全てと分断され、ついには一人となってしまった。
どうすればいいかが分からない。
司馬を追うべきか、別のルートを辿って佐伯と合流するか、出水と合流するか、それともいなくなった犬飼、司馬、樹を探すべきか――。
どの選択肢を選んでも、誰かが犠牲になることは免れないほど、時間に余裕が無くなってしまっている。
「ふざけるなっ! 俺を殺したいなら俺を狙えばいいだろうが!!」
こちらの位置がバレても構わないぐらいに叫んでも、碓氷からの応答はない。
いや、ここまで的確に分断させたのだ。
位置なんてものは、とっくにバレている筈だ。
「……とにかく、合流しないと――。ここからなら、佐伯が一番確実だ!」
焦燥感を胸に、修二は慎重さをかなぐり捨てて走った。
△▼△▼△▼△▼
天井が崩落し、修二と分断された出水は、完全に身動きが取れなくなってしまっていた。
後ろは瓦礫の山、前は人間の肉ぐらいなら簡単に切断できる謎のワイヤー。
ワイヤーを切断するしかない状況だが、崩落の余波で砂煙が収まるまでは何もできなくなってしまっていた。
「ゲホッ、ゲホッ! クソッ!」
呼吸が苦しくなるほどの白塵を吸い込み、咳が止まらない出水であったが、なんとか視界を取り戻そうと、現状を把握するためにその眼を開ける。
後方に進むことは出来なくなった為、前方のワイヤーを切ろうと、ナイフを取り出した。
このワイヤーは、恐らく罠で設置したものだろう。
人影を見つけ、そのままそれを追いかけようとすればどうなっていたか、それは明白だった。
幸いにして、死人こそいなかったものの、行方不明者が出ることになってしまっている。
「とにかく……これを切らねえと――」
「あらぁ、あなたは笠井修二じゃないわね」
唐突に聞こえたその声に、出水はナイフではなく、銃を持ってその声の方向を見る。
ワイヤーが張り巡らされたその奥、ちょうど道の突き当たりに、一人の女が立っていた。
金髪の綺麗な顔立ちをした、妙な装備をした女だ。
両手には手袋が嵌められて、その手首には円形の機械のようなものが取り付けられており、銃やナイフのような類の武器を持っていない。
正真正銘の丸腰。そして、その声が先ほどの無線機から聞こえた声の主と同じものであることは、すぐに気づいた。
「お前が、碓氷氷華か」
「そうよぉ、自己紹介が遅れたわねぇ。でも、笠井修二から話は聞いているんじゃないのかしら?」
「このワイヤーも、他の仲間達を分断したのも、お前の仕業か?」
「ええ、そのワイヤーはすごいわよぉ。ダイヤモンド粉を塗した極細のチタンワイヤー。他の人達には基本的にピアノ線程度でどうにか出来たのだけどねぇ」
碓氷は、そう言って嫌らしく顔を歪める。
つまり、今の状況に至るまでが全て、この碓氷という女一人で行ってきたということだ。
それが、どれほどの危険人物であるかを、出水はすぐに理解できた。
「さて、勝負しましょうか。一本道の通路のこの中で、どっちが先に相手を殺せるか。銃を持つあなたならば、あなたの方が早いでしょうけど」
「イカれてるのか? 銃口を向けられて、お前をいつでも殺せる状態だ。手を上げて降伏しろ。さもなくば、撃つ」
「すぐに殺しはしないのが甘いわねぇ。ふふふ……じゃあ、始めましょうか」
「――っ!」
会話は無駄だと、そう判断した出水は迷わなかった。
咄嗟に引いた引き金。そして、無数の銃弾が碓氷へと襲いかかるが――。




