第十二章
1
「とんでもないことをしてくれましたね」
落合院長は椅子から立ち、手を後ろに組んで窓際に向かった。
表情こそ平静を保っているが、その声色と背中には徹底した憤怒の意志が込められていた。
「ほんの数時間。たったの二、三時間があれば、下川の死は自殺で片がついたのに。警察だって下川の自殺を反証する手段は掴んでいなかった。まさかきみがわたしを裏切るとは思いもしませんでした」
「こちらも同じです。それほどの信用をいただいているとは思いもしませんでした」
臆せず屈せず、腐らず淡々。感情の読み取れない声色で、剣淵氷織は言葉を返した。
「信用ではありませんね。院長はわたしを含む病院職員を徹底的に見下していた。自分に刃向かうものなどあり得ない。あってはならないと、そう思い込んでいたのでしょう」
「どうして警察に協力したのですか」
落合院長は机の引き出しからスコッチの瓶を取りだし、テーブルの上のグラスに注いだ。グラスの数は、当然一つ。
「現役の医師が院内で同僚を殺害するなど、おかげで山吹の信用はがた落ちです。あなたは荘厳なる山吹医科大学の名に傷をつけたのです。そのことの意味を理解しているのですか」
「さぁ」
「もうよろしい。あなたと話していると血圧が上がる」
ストレートでスコッチをのどに流す。熱い息を吐き出しながら落合院長は赤い目を転がした。
「まさかこのまま病院に居座り続けるつもりではありませんよね。即刻退職していただきますよ」
「もとからそのつもりです。院長室に来たのも、お別れの挨拶を兼ねていたわけです」
「気楽なものですね。うらやましい。わたしはこれから失った医療の信頼を取り戻すことに務めなければならないというのに」
「ご心配なく。その必要はありませんよ」
「なに?」
落合院長はグラスから顔を上げた。その怪訝な表情が何か不穏な気配を感じ取っていた。
「院長。下川先生は、どうして秋月先生を健診センターに呼び出したのでしょう」
「それなら聞きました。ホスピス反対派に巻き込むためでしょう」
「その通りです」
氷織は大きくうなずいた。厚い絨毯の上にたたずむ彼女はその細い腰に手を置いた。
「しかし、秋月先生が従うわけがありません。元より、秋月先生はホスピスに肯定的な態度をとっていた。そこで下川先生は、秋月先生がなびくなびくであろうネタを用意していました」
「ネタ? いったい何の話をしているのですか」
「スキャンダルですよ」
氷織はジーンズのポケットに手を差しこんだ。
「下川先生は、この病院のとある収賄疑惑の情報を掴んでいました。彼は星野先生と接触をとって、『会議』について聞き出したらしいですね。それです。その『会議』に関するスキャンダルを下川先生は嗅ぎつけたのです。星野先生と休日のファミレスを訪れたのもそのため。彼女が参加していた『会議』の詳細を確認するため。そうです。この『会議』は収賄疑惑と大きな関りをもっていた」
表情こそ平然としたものだが、グラスを握る落合院長の手は小刻みに震えていた。
「しかし一般人には限界があります。下川先生は確実な証拠を得ることはできず、とある探偵に調査を依頼しました」
「探偵……?」
「わたしです」
ジーンズの右ポケットから手を抜き出す。氷織の手には、ライトブルーのUSBメモリーが握られていた。
「ちょっとした事情で、過去にわたしは探偵として働いていたことがあります。下川さんはどこかからわたしがかつて探偵業に励んでいたことを知り、調査を依頼した。街にある探偵事務所に頼むよりも、病院内を闊歩できる立場にあるわたしの方が、調査が上手くいくと考えたそうです」
「まさかあなたは、そのUSBの中には……」
「下川先生が求めていた『会議』とは何だったのか。星野先生が参加されたその『会議』とは、院内で行われたものではありませんでした。『第二回地域フォーミュラリ検討委員会定例会』。下川先生は、この会議の詳細を星野先生から聞き出そうと目論んでいたわけです。『フォーミュラリ』。一言で申すなら、薬剤の一元化による医療費削減。製薬会社にとってはただことではありません。ある製薬会社の薬品は、その地域で排他的に用いられることになり、また別の製薬会社の薬品はその地域で全く使われなくなるわけです。オールorナッシング。製薬会社の営業マンたちは気が気じゃないでしょうね。何としても自社の薬品を選んでもらわなければ。それができるならなんでもするでしょうね」
氷織はUSBメモリを軽くふった。
「この中には、大手製薬会社『リンデン薬品』から、落合院長に五千万円の賄賂が贈られた証拠が入っています。あなたは収賄の見返りに、フォーミュラリの会議で積極的にリンデン薬品の薬剤を採用するよう提言した。院長はI市地域医療の中心人物です。会議には院長の意見に異を唱えるような無粋な者はいません。会議で制定された薬品の一覧も確認しました。そのほとんどがリンデン薬品のものでしたね」
「し、知らない。わたしはそんなこと知りませんよ」
「下川先生は、わたしを介して『病院の未来に関わる』ネタを手に入れた。彼は尊敬する秋月先生と一緒に、このネタを使って落合院長を脅迫し、ホスピスの計画を白紙に戻すつもりだった。神原先生の意志を継ぐ者たちで病院を支配しようとしたのです。しかし、下川先生の意に反して、秋月先生は既に壊れていました。神原教授の下で働いていた時のような医療に誠実に向き合う『秋月清玄』はそこにいなかった。雲仙教授を使って、刑事さん達を星野先生と接触させないよう図ったのは、この収賄が露見しないか心配だったからですね。下川先生の死を自殺として処理したかったのも、結局は健診センターを早期に再開させたいなんて思いよりは、収賄を嗅ぎつかれる前に警察を病院から追い出したかったからでしょう」
「わたしをゆするつもりですか」
落合院長は青いUSBメモリーをにらみつけた。
「そんなことはいたしません」
氷織は首をふった。
「そんな必要はありませんから」
廊下からバイソンの群れのような足音が迫って来る。落合院長が足音の方に視線をおくると、爆ぜるようにドアが開かれた。
ドア枠を超えて、ライトブラウンのコートの女性がいの一番に院長室に乗り込んでくる。
「失礼しますよ」
文字通りの慇懃な態度で――今江恭子巡査部長は言った。
今江に続いてブラックスーツを着こんだ男たちが次々と室内に入ってくる。能面のように無表情な男たち。まつげの一本さえ微動だにしない。
一瞬にして、院長室の空気は闖入者たちが醸し出す剣呑な雰囲気に包まれた。
「落合院長ですね」
その声と共にスーツ姿の男たちが道を開ける。廊下から一人の男が現れた。オールバックに銀縁眼鏡をかけた、カカシのようにひょろりと長い男。
「警視庁捜査第二課の仙谷と申します。ご多忙のところ恐縮ですが、いくつか質問に答えていただけるでしょうか」
「あ、あんた達、まさか……」
「十月二四日土曜日の一九時二九分。あなたは市内にある割烹料亭『ふわ』の個室で、リンデン薬品第一営業部の小柴課長と会食をされていますね。酒の席でどのようなお話をされたのか。小柴氏の好意から何かお土産などを頂いたりはしませんでしたか」
「お、覚えていない……」
「困りましたね。ですがご心配なく。あなたなら思い出せるとわたしたちは信じています」
合図もなくブラックスーツの男四人が、落合院長の後ろにつく。
「警視庁までご同行願います。会食のことを思い出していただけるまで、たっぷりお付き合いさせていただきます」
警察に促され、力のない足取りで落合院長は院長室をあとにする。
しかし、廊下に一歩足を踏み入れた瞬間、落合院長はそれまでに見せなかった瞬発力で部屋の中へと飛びこんだ。
落合院長はライフルの薬莢のように細長い真鍮製のボールペンをふり上げた。院長の両目は、ただ一点、背中を向けてうなだれる氷織に向けられていた。
危ない。そう誰かが叫ぶ寸前――落合院長の身体が宙に浮かんだ。
落合院長のあご下を、今江の右手が捉えていた。固定された頭に引かれ、前に飛び出した胴体と下半身が地面から離れたのだ。
重力と協調し、今江は落合院長の身体を絨毯の上に叩きつけた。院長ののど元から苦悶の叫びが漏れでる。次の瞬間、ブラックスーツ姿の捜査員たちが、落合院長に飛びかかった。
「くそ、離せ。離せと言っているんだ!」
捜査員に拘束された落合院長は、唇から血を流しながら、氷織をにらみつけた。
「これで満足か。わたしが逮捕されればI市の医療は崩壊する。わたしがこの街の医療を作り上げたんだ」
必死の抵抗を続けながら落合院長が声を張り上げる。
「正義の立場は気持ちいいか。だがな、悪はこの世にいくらでもいる。どんなに清い存在も、いつか誘惑に負けて悪に堕ちるんだ。お前ら警察だって例外じゃない。政治にしろ、企業にしろ、宗教も、小学校の教室にだって、必ず悪が存在する。他人を騙し、自分をごまかし、自己利益追従のために生きる悪だ。悪は人間の本質だ。たかだかわたし一人を裁いたところで何になる。この世は悪意で真っ黒だ!」
「そんなことはわかっている。わかっているけど、目を背けるわけにはいかないんです!」
氷織の沈痛な叫び声が轟いた。
「わたしは汚れた真実を払いたかっただけです。汚れはいやだ。だからといって、目をつぶり、この世界を清きものと自分を騙すことはもっといやだ。わたしは生きていく。どうしようもなく汚いこの世界の中で、汚れながら生きていく」
廊下に引きずられていく落合院長の喚き声が少しずつ小さくなっていった。
広い院長室に氷織と今江だけが残っている。
今江が氷織の肩をそっと叩く。
そして、氷織の震える身体を優しく抱きしめた。
2
「どうもお世話になりました」
氷織は頭を下げる。しかし手術室のかつての同僚たちは何一つ反応を示さなかった。
当然と言えば当然だ。一週間前、秋月が下川の殺害を自白し、その翌日には落合院長が収賄疑惑で警察に連行された。山吹医科大学附属病院は開業以来の未曽有の危機に立たされている。人殺しがいた病院なんてとんでもないと、多くの患者が病院の診察券をゴミ箱に捨てた。
病院の前には昼夜を問わずカメラを手にしたマスコミ陣が張り込み、出退勤してきた職員を捕まえては、更なる情報を引き出そうと強引にインタビューを試みている。病院の電話もこれまた昼夜を問わず鳴り続け、果たして誹謗中傷と罵詈雑言はどちらが下品なのだろうかと、五反田事務課長は虚ろな頭で考えていた。
秋月医師の逮捕。落合院長の収賄。両方の露見に氷織が深く関与していたことは病院内では周知の事実と化していた。
表立って氷織を責めるものはいなかった。しかし、彼女が口を開かなければこのような事態には陥らなかったと考えてしまうのは――悲しいかな人間の妥当な性だ。氷織はこの一週間自主的に有給を取り、そして今日、退職の手続きのため病院を訪れた。
氷織は考えた。自分が間違ったことをしたとは思わない。だが確実に自分の行為は皆を不幸にした。
手術室を出てエレベーターホールへと向かう。その途中、後ろから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
三階東ナースステーションの方から小走りで向かってくる白衣姿の男を見て、氷織は小さく息を呑んだ。
「ご無沙汰しております」
ずり落ちる眼鏡を両手で鼻の上に戻しながら、その初老の男はへたくそな笑みを浮かべた。
「わたしのこと、覚えていらっしゃらない?」
「関教授。お久しぶりです」
氷織が頭を下げると、関も同じ様に頭を下げた。
「先生、どうしてこちらに? ひょっとして……」
「戻ることにしたんだ。臨床の現場に」
「それは、それは僥倖ですね」
氷織が手を差し出すと、関は恥じらいの表情を浮かべながらそっと握り返した。
「秋月くんと落合先生が消えて返り咲きを図ったなんて陰口を叩くひともいるけどね。いや、それはいい。病院の人間関係が嫌でずっと逃げてきたことは事実なんだから。それより――後悔しているんだ。わたしがこの病院に残り、後輩たちを守っていれば、今回の事件は起きなかったんじゃないかって本気で思っているんだ」
関は嗚咽を飲み込むように白衣の袖で口もとを抑えた。
「神原先生は偉大な医師だった。下川くん……いや、小宮仁くんの手術は昨日のことのように覚えているよ。神原先生は不可能を可能にされた。まさに神のようなお方だった。そんな神が早くに亡くなり、思わぬ形で医局長の座がわたしに回ってきた。わたしは怖くなった。自分は神ではない。神のようにはなれない。だから逃げ出したんだ」
――だけど――と関は続ける。
「考えてみたんだ。どうして、神原先生のようにならないといけないんだろう。理由は見つからなかった。神原先生は一度もぼくに、『自分のようになれ』なんて言わなかった。わたしはいつの間にか、先人のぶ厚いローブをこの貧相な身体に着こんでいた。ようやく気付いたよ。神原先生のようになる必要はない。神原先生は目の前の救える命を救った。ただそれだけなんだ。だからぼくもそうする。自分のできる範囲で、目の前の救える命を救う。神原先生の意志を継ぐっていうのは、そういうことなんじゃないかな。誰だって他人にはなれない。自分は自分にしかなれないんだから」
自分は自分にしかなれない。その言葉が氷織の心を締め付けた。名前を捨て。過去を否定し、失われた『自分』。
「わたしが救うのは患者だけじゃない。この病院の職員たちも救うつもりだ。超過勤務なんてくそくらえ。病に立ち向かう特別な人間。わたしたちはそんな自尊心を胸に秘め、家族を、趣味を、何よりも自分の身体を犠牲にして白衣を羽織っているのか。違う。わたしたちはまず自分たち自身が人間であることを自覚しなければならない。特別な存在なんかじゃない。医療従事者は人間だ。どこにでもいるありふれた人間だ」
「それは簡単なことではありませんよ」
氷織はその細い両目に憂いの色をにじませた。
「医療技術は日進月歩の勢いで進化を遂げており、医療従事者はその進化に歩調を合わせることを期待されます。普通に歩くんじゃ遅すぎる。駆け足で、休む間もなく。でも世の中の人はそれを当然と考える。医者は治すのが仕事。医者の代わりなんて存在しない。だから働け。だから休むな。そう口にする人はいなくても、皆が潜在的にはそう考えています。医療従事者を救うためには、まずこの国の医療に対する根本的な考え方から改めないといけないんです」
「簡単なことじゃないね」
「簡単なことではありません」
「でも、誰かがやらないとね」
関はにかりと不器用に微笑み、ずり落ちた眼鏡をもう一度押し上げた。
「辞めるんだってね」
氷織は関のものに劣らない不器用な笑顔を浮かべた。
「残念だ。前に医局の皆がきみのことを噂していたよ。きみが器械出しを担当した手術はとてつもなく“やりやすい”。リラックスして、スムーズにメスを滑らすことができる……と。事件当夜の腸閉塞の手術で器械出しを担当したのはきみだね。きみがいたから、秋月くんは下川くんがいなくとも問題なく手術ができると考えた」
「買いかぶりです。わたしはただの看護師ですよ」
「『S・メソッド』を身に着けた看護師を『ただの』と呼ぶのには賛同できないね」
氷織の口が微かに開いた。
「『S・メソッド』。伝説の外科医剣淵雫が提案した包括的手術技法。端的に申せば、『手術チーム全員が手術に対して同量の知識と能力を有することで、術中における意志疎通のためのコミュニケートを減らし、手術を短時間で終わらせることが可能となる』。例えば執刀医は、メスを滑らす箇所や手術の手順だけではなく、器械出しの看護師が把握している手術器具の位置、麻酔医が投薬する麻酔の種類やその量、臨床工学技士が扱う人工心肺装置の操作方法までを、彼ら専門家と同程度の知識を持つことを求められる。他のスタッフも同じだ。看護師も麻酔医も臨床工学技士も――手術に携わる全てのチームスタッフが、他のチームスタッフが専門とする技能を有して手術に向かう。理論的には、器械出しの看護師がメスを患者の身体に滑らすことも可能となる。手術に携わる全員が同程度の知識を有することで、文字通りチームが一つとなるわけだ。術台に横たわる患者に対して次に為すことが言葉を介すること無くチームスタッフ全員に共有される。執刀医は、器械出しの看護師に『メスをくれ』と口に出す必要がなくなる。看護師は次にメスが必要になることを知っているから、執刀医が手を開いた次の瞬間には、その手の上にメスが乗っている。手術中に大量出血が発生した。それでも手術室の中では言葉が交わされない。チーム全員が次に何をするべきかを把握しているからだ。臨床工学技士はポンプコントローラーのつまみを回し、外回りの看護師は輸血管理部門に追加の血液パックを要請する。誰の指示もなく、自主的に動く。全員が全員の行動を、この緊急事態に何をするべきかを把握しているから」
「机上の空論です」
氷織は鼻で笑った。
「そんなこと、できるはずがない」
「その通り。『S・メソッド』の問題点は、チームの全員に尋常ではない勉強量を要求することだ。看護師が執刀医と同程度の知識を擁する? いったいどれほどの学習時間が必要となるのか。仮に時間があったとしても、一人の人間の記憶力には限界がある。さらには全てを記憶したところで、手術室の血の海を前にして、その知識を活用できる程の胆力を備えられるのか。『S・メソッド』はあまりにも超人向けが過ぎる」
ぶ厚い眼鏡の奥で、関の両目が光を放った。
「多くの同僚が剣淵さんの器械出しを褒めていた。その秘密は『S・メソッド』にある。きみは、手術の技法を執刀医と同程度かそれ以上に学んでいた。だからきみは、次に執刀医が要求する器具を先読みして渡していた。これがきみの評判の真相だ」
「先生は“剣淵”をご存じなのですか」
関は柔和な笑みを浮かべて言った。
「一度学会で会った。雨で煙草を濡らした彼に、わたしのものを一本分けたんだ。ふしぎと馬が合ってね。彼は自分のことをいろいろと話してくれた。前に探偵稼業で飯を食っていたという話には驚いたよ。探偵というとフィクションのハードボイルドものしか知らなかったわたしは『探偵には見えない』と笑った。すると彼も笑って答えた」
――探偵とは謎を解く生き物。謎を解くための基礎となるものが“知識”です。わたしは知識の収集に特化した探偵なんですよ――
「Knowledgeable Detective。知識の探偵。彼はそう自称した。森羅万象の知識がこの小さな脳みそに刻まれていると頭を叩いた。おもしろい。わたしは彼の鼻をへし折るつもりでこんな問題をだした」
――キャロルの“スナーク狩り”第六章。バリスタが見た夢の中で、スナークは被告の豚にいくらの過料を――
――四十ポンド――
「彼は即答した。なるほど。こいつはわたしと同じ文学マニアか。わたしは次にパラグアイの首都はどこかと訊ねた。『アスンシオン』。また彼は即答した。この時にはわたしもムキになり始めて、何とかして彼に『知らない』と言わせようと躍起になっていた。芸術。哲学。自然科学に歴史学。漫画やアニメといったサブカルチャーまで。ありとあらゆる問題を提示した。その全てに彼は即答した。本物だ。彼は本物だった。そして彼は語り始めた。自分が理想とする『S・メソッド』について。それと同時に彼は諦観の意志も示した。こんなことができるのは、自分のような変わり者だけだと」
――しかし――
「こうして目の前に“剣淵”の名を継ぐ者が現れた。『S・メソッド』を実践するものが現れた。きみは、彼の子どもなのか」
「養子です」
氷織は左手を顔で覆い、深く息を吐き出した。
「わたしの実の父は剣淵先生の探偵としての師匠でした。父はわたしを探偵として成長させるために剣淵先生のところに幼いわたしを預けたのです。だけど十年前……とある事件が起きて、わたしは実の家族を見捨てました。父の姓と、父から与えられた名前を捨て、剣淵先生の養子になったのです」
「きみの過去の名前は……」
「恒河沙です。恒河沙公理。それがかつてのわたしです」
氷織の顔に影がさした。彼女の瞳は過去を見つめている。十年前の事件。恒河沙の“兄妹”を襲った悲劇。長兄が育んできた兄妹の絆を、十年前の怪事件はいともたやすく打ち砕いた。
「きみは剣淵からKnowledgeable Detectiveを受け継いだわけか。その探偵としての素養で今回の事件を解いた。越前さんの歌声を『ダッタン人の踊り』と見抜く。この程度はクラシックに詳しければ余裕でわかるだろう。だけど、ヴィーチャム版の場合はシンバルの音が顕著なことを知っているなんて、これはちょっと異常だ。だけどきみは知っていた。知識として学んでいた。院内はきみの噂でもちきりだよ。なんでも、子どもたちの不安を取り除くために、はやりのアニメや特撮にも精通しているそうじゃないか」
「ひとは未知なるものに恐怖を覚えます」
ぽつりと垂れ落ちる水滴のように、氷織は言葉を発した。
「子どもは病院を恐れています。昔と違い、今は患者に対しても自身の身体を蝕む重度の疾患について説明するようになりましたが、子どもに対してこれは適用されません。わたしたち大人は、子どもを怖がらせないようにと、症状を隠し、ごまかし、頭を撫でて、笑い飛ばす。だけど子どもはわかっています。自分の身体に異変が起きていることはわかっている。だからわたしは、自ら子どもたちのテリトリーに足を運ぶのです。未知なるものではない。わたしたちは君たちと同じ人間。安心して治療を受けてもらうために必要なのは、患者さんへの歩み寄りです。子どもだからといって、大人の力で黙らせてはいけない。病状を伝えたらパニックになってしまう。だからと言って、口を閉ざし続けることが最適とはわたしには思えません」
「なるほどね」
関は口もとを抑え、感心した様子でうなずいた。
「だけど、患者のことを想う気持ちは時に暴走する」
白衣のポケットに両手を入れた関は、真摯な表情でそう言った。
「下川くんは患者のためを想ってホスピスを破壊しようとした。だけどね、鼓太郎くんは絶対に助からない。意味のない薬物療法であの子を苦しめるのは、現代医学の観点からも、倫理の観点からも間違っている。希望を求めるのは人として当然だ。だけど、絶望から目を背けることは絶対にやってはいけない。何故なら、目を背けたところで、絶望が姿を消すわけではないのだから」
関はその小さな口を天に向けて開いた。
「『医神アポロン、アスクレピオス、ヒュギエイア、パナケイア、およびすべての男神・女神たちの御照覧をあおぎ、つぎの誓いと師弟契約書の履行を、わたしは自分の能力と判断の及ぶかぎり全うすることを誓います』」
関の優しい瞳が、氷織を見据えた。
氷織は一度うなずいてから、口を開いた。
「『この術をわたしに授けていただいた先生に対するときは、両親に対すると同様にし、共同生活者となり、何かが必要であればわたしのものを分け、また先生の子息たちは兄弟同様に扱い、彼らが学習することを望むならば、報酬も師弟契約書もとることなく教えます』」
二人が口にしたのは『ヒポクラテスの誓い』だ。医学の祖と称される古代ギリシャの医師ヒポクラテスが述べた医療倫理の宣誓文。
この宣誓文は二千年以上前に書かれた文章でありながら、現代の医療倫理に通ずるところが多々ある。そのため、現代においても世界中の医療学校の授業でこの宣誓文は取り扱われ、医学部卒業の際に暗唱をする習慣も決して珍しくない。
「さすがだ。しっかり暗記しているとは。ぼくはついさっき、何十年ぶりにテキストで確認してきたところだよ」
関はうなずき、そしてその顔を憂いの色に染めた。
「ヒポクラテスの誓いの中にはこんな一節がある。『求められても、致死薬を与えることはせず、そういう助言も致しません』。どんなに患者が苦しんでいても、死がその苦しみを取り除く唯一の方法だと思われても、漆黒の誘惑を断ち、回復のために全力を尽くすということだ」
死を受け入れない。生きることを諦めない。
しかしそれは――
「現代医学の観点からすると、ヒポクラテスの誓いのこの箇所は明らかに間違っている。わたしたちは神じゃない。救えない命はたしかに存在する。わたしたち人間は、苦しみに耐えられるほど強くはないんだ。ホスピスの建設それ自体は間違いなんかじゃない。現実を受け入れ、患者さんと家族の人生に安らぎを与える。人間的な、あまりにも人間的な施設なんだ」
だけどこの病院にはかつて神がいた。そしてそんな神に命を救われた一人の少年がいた。
「下川くんの医療は間違っていた。彼はヒポクラテスの誓いに囚われていた。彼はヒポクラテスの末裔だ。神の実存を信じ、いずれ自身も神になれると信じていた。そんなはずはない。だってわたしたちは人間なのだから」
3
正面玄関から出る気にはなれず、北側にある小さな自動ドアから本館を出る。日陰の下から病院の壁を振り返ると、黒い表情の病院は言葉もなく氷織を見おろしていた。
呆けた頭でも足は動く。足踏みせずに前へ進め。そんな箴言を誰かが口にしていた。まさか。あてもなく歩き続けて崖下へ落ちたらどうしてくれるのか。
冷たい壁に手を置いてうつむく。乱れる呼吸。上下する胸をおさえて、氷織は自分が思う以上に自身が混乱していることに気づいた。
家族を捨て。探偵の道を捨て。医療の道さえも自分の手で断ち切ってしまった。
捨てることでしか生きられない。諦めることでしか前に進めない。
失って。失って。また失う。
自分はこれからどこへ行くのだろう。
自分はこれからどこへ堕ちていくのだろう。
「あ、どうも。お待ちしておりました」
病院の敷地を出たところで、氷織の前に一人の男があらわれた。警視庁の刑事がひとり。初芝広大巡査は縞模様のマフラーにうずめた頭をぺこぺことふっている。
「五反田さんから、今日のお昼に病院にいらっしゃると伺いましてね。こうしてお迎えにあがったわけです」
「事件のことでまだ何か」
努めて冷たく。言葉は氷刃。不機嫌に、無愛想に、冷淡に、素気ない。
初芝は路肩に停まっているレガシィに指を向けた。
「とりあえず、乗ってもらえます? というか。乗ってもらわないと怒られちゃいます。ぼく」
「刑事さんが怒られようとわたしには関係ないのですが」
「え、そりゃそうでしょ。だからお願いしているんです。さ、さ。どうぞお乗りください」
初芝はレガシィの後部座席のドアを開ける。氷織はため息をついてから乗り込んだ。レガシィの中には、誰もいなかった。
「警察署ですか」
運転席でシートベルトを締める初芝に問いかける。初芝はわざわざ首を回して『いいえ』と答えた。
「正直に言うと、ぼくもよくわからないんですよ。初めて行く場所だし。あ、でも近いですから」
レガシィはするすると動き出した。
バックドアのガラス越しに病院の姿を見つめる。氷織は初芝に気づかれないよう、口を隠して小さなため息をひとつついた。
「秋月先生は大人しく取り調べに応じていますよ」
訊ねてもいないのに初芝は語りだした。
「全面的に犯行を認められています。それよりも問題は落合院長ですよ。毎日癇癪を起して、取り調べがぜーんぜん進まないそうです」
「捜査情報をペラペラと」
バックミラーを睨みつけながら氷織は言った。
「剣淵さんになら、お伝えしてもいいかなって」
「捜査に協力したからですか」
「いえ。恒河沙さんの妹さんですから」
口もとに置いてある手を上方向へスライド。目元を隠して頭をふった。
車は丘を降り、住宅街へと入っていった。
「えっと。さっきの橋を越えて、直進したら……あぁ。七色のジャングルジム。あの公園を右折だな」
車はコインパーキングに停車し、二人は閑静な住宅街を歩き出した。
「あぁ、ここですね」
初芝は一軒の家の前で足を止めた。
緑色の切妻屋根に覆われた二階建て。家の右側にある玄関の前には芝生に覆われたアプローチが伸びており、芝生の横、左手には車一台分の駐車スペースが広がっている。
門袖にポストとインターフォン。そして表札。表札には浮彫の黒字で『今江』と書かれていた。
初芝がインターフォンに手を伸ばすと、玄関が開き、タートルネックのセーターを着た今江が現れた。
「いらっしゃい」
自宅の敷地内にいるからといって、今江の表情や態度は仕事中のそれと変わらない。
初芝はコンクリートの段差を上り、白いペンキで塗られた鉄扉を開いた。ペンキはところどころで塗装が剥げている。取っ手から垂直に下がる鉄扉のいちばん下の箇所は、下地の銅色が手のひらほどの面積で剥き出しになっていた。
「お招きいただき光栄です」
アプローチの芝を歩きながら初芝が感謝の言葉を述べた。
芝生の上に敷石などはない。水分を含む柔らかい芝に氷織のスニーカーが微かに沈んだ。
横開きの玄関扉は開口部が広く、中の三和土も家のサイズのわりに広い。
「予定があったんじゃない」
今江がスリッパを並べる。
氷織は自分に向けられた言葉だと気づき……ながらも『いえ別に』と静かな返事しかできなかった。
「今日はいったい何の集まりなんですか」
スリッパを履いた初芝が訊ねる。
「祝勝会」
けろりとした態度で今江は言った。
「今回の事件は二人の協力がなければ解決できなかった。だけど、初芝はすぐに警視庁に帰ったし、あんたは部外者だから称賛の言葉なんて与えられなかった。それどころか、病院内ではずいぶん悪者扱いされているそうじゃない」
氷織は無言を返した。
「仕方がないと言えばそうだけど、仕方がないで済ますこともないでしょう。それなら私的に二人を労ってあげようと思ったわけ」
「わぁ。そりゃ嬉しいですね。今江さんの手料理が食べられるわけですか」
「それから、あんたに説明しとかなきゃとも思ってね」
今江は浮かれている初芝に言った。
「説明? 何を」
「わたしはね、警察に再雇用される際に一つ条件を出したの。定時は五時。何があっても残業はしないって。あんた一人に仕事を負わせたことは悪かったと思ってる。本当にごめんなさい」
「いえ、そんな。謝られるようなことじゃ。実際にほら、事件は解決したわけですし。結果オーライですよ」
廊下を進み、今江はすりガラスの嵌ったドアを開いた。
日光が差しこむその部屋は畳敷きの和室だった。八畳ほどの空間に、座卓が一つ。そしてその座卓に、一人の少年が着いていた。
リスのような目をしたその少年は、鼻を鳴らして不器用に頭を下げた。中学生くらいだろうか。短い黒髪がはらはらと揺れる。
初芝の表情が朗らかなものになり――次の瞬間、その表情は冷たく固まった。
「ご挨拶なさい」
今江がそう言うと、少年は上半身を大きく揺らしながらあぐらを正座に直し、頭を下げた。
「はじめまして。諭吉です」
緊張した様子の少年は目線を合わさずそう言った。
自己紹介。ならば自分も名乗るべきだ。
頭ではそう理解しているのに、初芝の狼狽は自己紹介の言葉を遮った。
暖房の効いた室内。諭吉少年は水色のティーシャツを着ている。
シャツの両袖の先に腕はなかった。
「先天性上肢欠損」
初芝の横から、氷織が言った。
「両腕の一部または全体を欠損した状態で産まれてくることです。発生の確率は百万分の一。日本国内では年間で数えるほどの割合でしか現れません」
「どうして先天性ってわかるんですか。事故でなくしたかもしれないのに」
諭吉少年が訊ねる。挑戦するような、興味を抱いたかのような、こんなこと言っていいのかなと悩むような、艶めかしい笑みと共に。
「袖の内側、左の三角筋部分に、小さなふくらみが見えた。本来は腕であった部分のこと。後天性ならふくらみはないはず」
「へぇぇ」
諭吉少年は大きくうなずいた。
「すごい観察眼だ。大正解」
「診察より。先に挨拶をしなさいよ」
今江に窘められ、氷織はうなずいた。
「剣淵です」
無愛想な自己紹介。それでも諭吉少年はほほを桃色に染めてどうもどうもと頭を下げた。
今江は仕事の話をするからと言って、諭吉を自室へと追い払った。
「祝勝会の前に、わたしの過去を話しておくわね」
諭吉が座っていた座布団に今江も正座で着いた。
「地元の高校を卒業したわたしは警察に就職して、所轄の生活安全課に配属された。いくらでも代えがきき、いてもいなくても誰も気にしない、どこにでもいるノンキャリアの婦人警官。縦社会にして男社会。パターナリズム万歳の警察組織のなかで、日に日に自分の存在価値が卑小化していく様をこの頃のわたしは感じていたわ」
今江の瞳が憂いを帯びた。過去を見据える黒い瞳。
「二十三の時にわたしは刑事課に所属していた今江秋吉巡査部長と恋に落ち、結婚した。秋吉は刑事課に似つかわしくない軟派な男で、いつも同僚から面倒事を押しつけられていたわ。どこに惚れたのかって聞かれてもわからない。いい所なんて何にもなかった。なのに好きだった。だから結婚したんでしょうね。結婚を機にわたしは警察を辞め、旦那を支える専業主婦になった」
「旦那さんも警察の方だったとは」
初芝は目を丸くした。
「知らなかった。どこの署にいらっしゃるんですか」
「結婚して半年後に殉死したわ」
淡々と今江は言った。
「捜査中に逃亡を図った被疑者の車に轢かれたの。即死だったそうよ」
室内に沈黙の帳が降りる。耐えがたいその沈黙は、初芝に悔やみの言葉を口にすることさえ許さなかった。
「悲報を聞いてもわたしは涙を流さなかった。葬儀の最中も涙を流さなかった。気丈だとほめる人がいた。非情だと陰口を叩く人がいた。どちらも正しくない。わたしは何も感じなかった。夫の死はわたしに何ももたらさなかった。自分でもおかしいとは思っていた。喪失感に憂うべきだ、狂うべきだ。心のなかではそれが正しいと理解していた。だけど何もなかった。平日の曇り空のように、なんてことのない感情を抱いていたの」
――だけど――
「葬儀を終えてからわたしは自分が妊娠していることに気づいた。その時も感慨深い思いはなかった。子どもができた。だから産む。単純な論理ね。産まれてきた子どもは両腕がなかった。それでもわたしは嘆かなかった。むしろわたしはその境遇に甘えた」
「甘えた?」
氷織は眉間にしわを寄せた。
「たいていの人は弱者を見ると憐みの視線を向ける。困ってないかな。助けてあげられないかな。弱者が要求し、それが実現可能であれば、たいていの人が手を伸ばす。だからわたしは甘えた。両腕のない子を育てている片親。パート務めのスーパーのシフトはわたしを中心に決まるし、ご近所さんは毎日のようにおすそ分けをくれる。台風で窓が割れたら、頼んでもないのに翌日には近所のガラス屋さんが無料で直しにきてくれた。人に頼って当然だ。情けを受けて当然だ。何故ならわたしたちは社会的弱者だから」
今江は目を伏せて頭をふった。
「あの子が四歳になった年のことよ。わたしの職場に保育園から電話がかかってきた。しどろもどろの保育士から事情を聞くと、どうやら諭吉が喧嘩にまきこまれたらしい。両腕がないことでいじめられたのだろうか。両腕のないあの子に、健常者たる子ども達がよってたかって暴力をはたらいたのか。保育園に着いて驚いたわ。現実は違った。喧嘩の発端は諭吉にあった。あの子が先に脚を出したの。相手の子どもは諭吉に何度も蹴られて怪我を負った。諭吉には傷一つなかった。わたしは怪我をした子の親御さんに必死で頭を下げた。すると相手は手を振ってこう言った」
――『そんなことをされては困ります』――
「憐みが横行する世界において、弱者は同時に勝者でもある。だから弱者には徹底した道徳が求められる。許されるから自制の心が必要なの。わたしは諭吉にそのことを教えなかった。ハンデを負っているから甘やかされて当然。そうじゃない。たしかに助けは必要。だからこそ、その助けに『ありがとう』の言葉を伝える道徳がないといけないの」
「つまり、今江さんが定時に必ず帰るのって……」
「あの子といっしょにいるためよ」
神妙な顔つきで今江が言った。
「当たり前の家庭で、当たり前の母親として、当たり前の子どもを育てる。あの子が親の元を離れるまで、わたしはあの子をちゃんと育てたい。あの子の未来に比べたら、残業なんて糞くらえよ」
「それなら、刑事になんてなるべきではなかった」
反論。初芝ではない。その言葉は氷織の口から発せられた。
「どうしてあなたは警察社会に戻ってきたのですか。それも、以前勤めていた生活安全課ではなく刑事部に。刑事の基本は滅私奉公。今江さんの信条は、はっきり言って刑事に向いていません」
「頼まれたからよ」
「頼まれた」
誰に。氷織は訊ねた。
「桂十鳩警視監。あの人が、警察に戻ってほしいと直々に頭を下げてきたの」
「訂正。八年前は警視正だよ」
揚々とした声が室内に飛び込んできた。
三人は声の方に顔を向けた。庭に面したガラス戸が微かに空いており、その外側に戸袋に手を置いてにんまりと微笑む桂が立っていた。
「ふ、副総監。どうしてこちらに……」
震える敬礼を捧げながら初芝が訊ねた。
「祝勝会って聞いたから。ほら。実家からアップルパイ持ってきたよ。うちのお母さんの手作り。前に諭吉くんがおいしいって絶賛してたからさ」
「庭から入り込むつもりですか。まるでコソ泥ですね」
今江が眉を顰ひそめる。
「や。久しぶりだね、今江ちゃん。巡査部長の分際で警視監をコソ泥扱いとは失礼な」
桂は視線を今江の後ろに送った。
「さらに久しぶりだね、恒河沙公理。いまは剣淵氷織って名乗ってるんだって。公理と氷織か。完全に名前を捨て去ることは剣淵くんも許してくれなかったわけだね」
渋面を浮かべた氷織は隠すそぶりもなく舌打ちを放った。
「わたしはね。今江ちゃんがどうしても欲しかった。今江ちゃんの代替品も類似品も模造品もこの世には存在しない。何とかして、今江ちゃんを自分の配下におきたかったんだよ」
ガラス戸を開けて和室に入ってきた桂は、慇懃な態度で脱いだトレンチコートをたたみ始めた。
「だから警視正の権限をフルに活用して今江ちゃんを再雇用した。渋い顔をする警務部を権力でぶん殴った。私的に財政援助を行い、生活のサポートも行った。善意でもなければ、厚意でもない。すべては自分自身のため。今日という日を迎えるための布石だったわけよ」
「今日という日?」
初芝が疑問符を浮かべる。今江と氷織は警戒の色を濃くした。
「警視庁の捜査一課に来て。今江ちゃんにしかできない特別な仕事があるから」
「特別。いやな言葉ですね」
「うん。特別も特別。いまわたしは特殊な犯罪に対する特別班を立ち上げているんだ。日本の警察における凶悪犯罪の検挙率は約八割。八十パーセントの確率で逮捕していると考えると『なるほどいい感じじゃん』と褒めたくなるけど、世に放たれた殺人鬼十人のうち二人は取り逃がしていますと考えると褒める気にはなれないよね。ではどうしてその二人を取り逃がしてしまうのか。どうしてだと思う?」
「警察の力が及ばないからですか」
「ある意味正解。しかし具体性に欠けるね。力が及ばないというより、力が至らないと述べるのが正しいかな。警察は犯人の思考をトレースする。犯人がどんな論理で行動をとったかを推測する。しかし稀に突拍子もない論理で行動する犯人が存在する。まともな警察では想像もつかない『狂人』の論理。そんな『狂人』を捕まえるためにはどうすればいい。答え。こちらも『狂人』を使えばいい。それが『恒河沙の兄妹』だよ。稀代の名探偵『恒河沙理人』の血をひく五人の兄妹。彼らと協力してわたしたち警察は『狂人』に立ち向かう。『恒河沙の兄妹』を担当する刑事の一人として、今江ちゃん、わたしはあなたを警視庁に迎え入れたいわけ」
「なるほど。お断りします」
小考の間もなく今江は言った。
桂の笑顔が凍りつく。
「聞いてなかった? これはね、八年前から計画してきたプランなの。消えた恒河沙の長兄を見つけだし、彼が東京に戻ってきた時のためのプラン。恒河沙の兄妹はその若さゆえにメンタルが揺れ動くことが起こり得る。また彼らをサポートする刑事という人種は、その篤い正義感が時に衝動的に働くことがある。でも今江ちゃん。君は違う。君は旦那さんが亡くなった時も、諭吉くんが生まれた時も、すべてを受け入れた。すべてを受け入れ、それを冷静に処理する力がきみにはある。チームの母親になってほしいんだ。突っ走る子どもたちの首根っこを押さえるお母さん。その役目は、君にしかできない。唯一無二の人材だ」
「わたしの子どもは諭吉だけです。他の子の親になるつもりはありません」
「今江さん……ひょっとして、諭吉くんのことを心配しているんじゃないですか」
首をすくめた初芝はおずおずと発言した。
「警視庁捜査一課となれば、今以上の仕事を任されるのは確実です。警視監がお考えの特別チームの一員となれば尚更です。必然的な残業。お子さんとの時間を何より大切にする今江さんには是認できるはずがありません」
室内の視線が今江に集まる。今江は前髪を片手で分けると、小さく息を吐いた。
「子どもが生まれたとき、わたしのための人生は終わった」
今江の声が粛々と響く。
「わたしの残りの人生、わたしの全ては諭吉に捧げられる。正義、平和、見知った他人。世の中の何もかもが、我が子の前には何の価値も持ちません。わたしはあの子のために生きる。だから、その拝命をお引き受けするわけには――」
「あの。すみません……」
ふすまが開く。そこには顔を赤くして立つ諭吉少年の姿があった。
「あの。あのですね。ちょっとあの。言いたいことがありまして……」
「盗み聞きか。趣味がいいね」
桂は高々と親指を突き立てた。
「諭吉。部屋にいなさい」
「ままま。いいじゃないか。諭吉くんのご意見拝聴」
桂が素早く立ち上がり諭吉を室内にひきずりこんだ。
「あの。お母さん。お母さんがぼくのために生きるというなら、なおさら桂さんのスカウトを受けるべき……だと思います」
「なんでよ」
不満顔で今江が言う。
「最近、よく考えるんだ」
意を決した様子で少年は語りだした。
「ぼくはこれまで、たくさんの人の助けを借りて生きてきた。だけどその全てが、お母さんを介して与えられたものだった。ぼくは今年で十四歳だ。いつかはお母さんなしで生きていかなきゃならない。自分の力で、声を発して誰かの助けを借りなきゃならない。お母さんはぼくが産まれてからずっとぼくのために尽くしてくれた。だからこそぼくは少しずつ、お母さんから離れて生きていかなくちゃならない。一緒にいるのが嫌ってわけじゃない。嫌じゃないからこそ、少しずつ離れなきゃならないんだ。桂さんの勧誘はその契機にはちょうどいいんじゃないかって……どうかな」
諭吉少年は口をすぼめて頭を伏せた。
母親は表情筋を動かすことなく、まばたきを忘れた両目で我が子を見つめていた。
「警視監」
永遠と紛うほどの沈黙を経て、今江が口を開いた。
「警視監は先ほど、わたしのことを唯一無二の人材と称されましたね」
「うん」
「代替品が存在しない。絶対的な人材。ということは――給与の面でも、絶対的なものを期待してよろしいのですよね」
「え」
桂のほほに汗が垂れた。軽佻浮薄が服を着て歩いていると評されるこの副総監が、珍しく狼狽の様子をみせたのだ。
「い、いやだなぁ。絶対正義の体現者たるお巡りさんがお金の話? ははは。安心してよ。警視庁に来た暁には、お金なんかを超越した最高の経験を約束するからさ」
今江は再びまばたきを忘れた両目で桂を見つめた。呪いの如く劇的なその視線に、桂の身体は座布団の上でゆっくりとのけぞっていった。
この沈黙の戦いは数分後に終わりを告げた。
母親のそばで満面の笑みを浮かべる少年とは対照的に、渋面の桂十鳩副総監は頭の中で必死にそろばんをはじいていた。
「お話がまとまってよろしかったですね」
借りてきた猫のように大人しくしていた氷織が口を開く。
「ですが、警察人事など一般市民たるわたしには関係ありません。あとはどうぞごゆっくり。警察官同士でご歓談でもすればよろしいかと」
氷織が立ち上がり、ふすまに手をかける。その時――
「招いていただきながら、食事をせずに帰るのはルール違反じゃないかなぁ」
室内の誰のものでもない声が聞こえた。
皆の視線が声の方に集まる。皆? 否。氷織だけは一人、背中を向けてその場に立ちつくしていた。
窓の外に二人の男が立っていた。むすりと室内を見つめるスポーツ刈りの男。そしてもう一人、ガラス戸に手を当てて柔和な笑みを浮かべる若い男――恒河沙法律がそこに立っていた。
4
「恒河沙さん!」
はじけるように初芝が叫んだ。
法律はその長身をぺこりと曲げてガラス戸を開いた。
「何やらお話しの声が聞こえましたので、玄関からお庭の方へ廻らせていただきました。失礼しますよ」
「コソ泥が増えた」
室内に入る法律を見ながら今江がつぶやいた。
法律に続いて、スポーツ刈りの男――籐藤剛も室内に入る。籐藤は桂と今江、それから微かにほほをつり上げて初芝にも敬礼を向けた。
「おつかれさま。公理」
「その名前で呼ばないで」
「わかった。リテイク。おつかれさま。氷織」
「気やすく呼ばないで」
氷織は背中で答える。硬く握られた拳が震えている。
「『気やすく』なんてとんでもない。ぼくの言葉はいつだって真摯だ。だから何度でもこの言葉を贈る。氷織。戻ってきてくれないか」
「しつこい」
熱のない妹の声に法律は苦笑する。自身の太ももを三回叩き、法律はため息をついた。
「まだ怒っている。そうだな。そりゃ当然だよな」
「あんた、妹さんを怒らせるようなことをしたの」
今江が渋面を浮かべて訊ねる。
「先週は時間がなくて聞けなかったけど、今日はたっぷり時間がある。話してもうらわよ」
「もちろんです。つまりぼくは十年前に……」
「わたしの前であの日の話をするな!」
爆ぜるように氷織が振り返る。その瞳には涙があふれていた。
「わたしはあなたを尊敬していた。あなた達探偵を、恒河沙の血を誇りにしていた。それなのにあなた達は裏切った。わたしの期待を、未来を、尊厳を、存在証明の全てを、“恒河沙”は裏切った。わたしは探偵になるために産まれてきた。探偵になるために剣淵先生に育てられたんだ。探偵はわたしの人生を裏切った。その張本人が何を今さら。探偵なんて、探偵なんて――」
「だけどあなたは、下川仁の殺人事件を解決してくれた」
今江は勢いよく立ち上がり、抗するように声をあげた。
「沈黙を貫いて事件を下川仁の“自殺”で終わらせることもあなたにはできた。それなのにどうしてあなたはお兄さんの探偵事務所を訪れたの。お兄さんから連絡がきたから? 嘘。どうしてわたしに“真実”を教えてくれたの。答えなさい」
今江は氷織の背中に手を置きながら、彼女の涙をティッシュで拭った。
「あなたは“真実”がもたらす事態を予測していた。“真実”によって山吹医科大学附属病院は大混乱に陥った。“真実”によってあなたは自分を失った。それなのにどうしてあなたはわたしに“真実”を教えてくれたの。それはあなたが“探偵”だからでしょ。何よりも“真実”を求める探偵だからでしょ」
「わたしは……」
氷織が今江の手を握った。嗚咽をこらえきれず、冷たい涙が畳に落ちていく。
「真実は人を傷つける」
両腕を組んだ桂が氷織を見つめた。
「真実は傷を癒したりはしない。だけど、偽りだらけの世界とは目隠しをしながら生きるようなものだ。まともに歩けず、何かにつまづき、何かに殺される。その何かはわからない。そんなのは嫌だ。傷つきながら歩き続ける。それが真実との正しい付き合い方だ。氷織。君は“真実”の意味をこの世の誰よりも理解している。君ほどの人間が探偵稼業を諦めるなんて、お天道様が許してもこの桂十鳩が許さないよ。恒河沙に産まれたことを恨むなとは言わない。だけど否定はするな。真実を否定するな。自分自身を否定するな」
法律は動かない。ガラス戸の前でズボンのポケットに四本の指を突き刺し、ただ、静かに、妹を見つめている。
彼は信じていた。妹の強さを。自分よりもはるかに濃い探偵の血を。“真実”を追い求めるその崇高さを。
「もう、わたしを裏切らない?」
氷織は法律に訊ねた。
法律は首をふった。縦にではない。横に。
「約束はできない。何故なら、ぼくは弱いからだ。そうだ。ぼくは弱い。ぼくは二か月前にも“真実”に敗北した」
籐藤と初芝が苦い視線を交わした。二か月前の敗北。探偵事務所のガレージで沈み込む恒河沙法律。二人の刑事は敗北のその場に居合わせた。
「根拠のない言葉を吐くつもりはない。聞こえのいい空言なんてごめんだ。ぼくは弱い。約束を守れるほど強くない。だから君が必要なんだ。氷織。ぼくが約束を守るために、君の力を貸してくれ」
「……馬鹿みたい」
氷織がつぶやく。
「本当に、馬鹿みたい」
熱い涙と共に、氷織がつぶやく。
法律は安堵の表情を浮かべ、妹に近づいた。
氷織は法律の身体に両腕を回した。法律もまた氷織の両肩を優しく抱きしめる。
「うっ」
法律の咽喉が重低音を響かせた。兄妹愛に溢れる抱擁の下で、ジーンズを履いた妹の右足が兄の左の甲を踏みつけていた。
氷織は子どもの様にちろりと舌をのぞかせた。
「十年前の償い。分割払いで払ってもらうからね」
「……ちなみに、今のストンピングで何割が返せたのかな」
痛みに顔を歪ませながら法律が訊ねる。
「八百那由多分の一」
「あぁ、なるほど。先は遠いなぁ……」
5
「さてと。悪いけどわたしは先に失礼するよ」
和室に今江の手料理が存分に並べられてから数分後。宴もたけなわにはほど遠いというのに、桂はおもむろに立ち上がった。
「ひょれ。まぁだぁひょろしーじゃにゃいでしゅか」
牛肉コロッケを頬張りながら初芝が言う。
無作法に目を光らせた今江が初芝の頭をこづく。むせる初芝を見て諭吉少年が笑いをかみ殺した。
「残念だけどね。机の上で書類がアポロン山のように積みあがってるんだよ。あぁ、見送りは結構。君ら今日は非番だろ。休日に仕事なんかしちゃあいけないよ」
桂は手のひらを蝶のように舞わせて廊下に出た。靴は既に庭先から玄関に移してある。三和土に腰をおろし、ぶどうの様に輝く革靴に右足を通す。
「見送りはいらないと言ったはずだけど」
振り返ることなく桂は言った。
桂の背後に、籐藤が立っていた。
「少しだけ、お時間よろしいですか」
「それを訊ねる時間自体がよろしくない。だけどね、いいよ。よろしいよ」
「どうして今回の事件に初芝を送り込んだのですか」
「遠回しな質問をするねぇ。そういうの嫌い。出世が遠のくよ」
「警視監」
桂は深くためいきをついた。
「はいはい。そうだよ。わたしは氷織をマークしていた。恒河沙の兄妹の近くで異常事態が起きたらすぐにわたしの所に情報が来るよう“糸”を張っていた。んで、その糸がピンとはねたから、『恒河沙』と接触した機会のある初芝くんを送りこんだの。彼ならほら、『恒河沙』に耐性があるから」
「なるほど。つまり警視監は山吹医科大学附属病院の存在を把握していたわけですね」
籐藤が靴箱の側面にかかった、べっ甲柄の靴ベラを手にする。桂は右手を回して、背後を見ることなく籐藤から靴ベラを受け取った。
「それを踏まえた上でお訊ねします。下川仁は、どこから収賄疑惑の情報を得たのでしょう」
桂の右手にある靴ベラの動きがぴたりと止まった。
「院内で収賄疑惑に気づいた職員は、下川仁と剣淵氷織の二人しかいなかった。いえ、雲仙教授は除きます。雲仙は警察と星野先生との接触を絶とうと必死だった。それが落合院長の指示によることは火を見るより明らかですが、その理由も把握していたと考えるのが当然でしょう。だが情報源は雲仙ではない。雲仙が大して親しくもない、むしろ憎たらしい第二外科医局の研修医にこのことを伝えるはずがない。また、剣淵氷織は下川仁から聞いたから、収賄疑惑の調査に乗り出したのです。全てが下川仁から始まっている。しかし彼はただの研修医だ。どうして彼が知っている。彼は誰から収賄疑惑の情報を聞き及んだのでしょう」
桂は思い出したようにかかとを靴の中に潜らせた。靴べらを左足に移し、陽気に鼻歌を奏でる。
「もう一つ、わたしが不思議に思っていることがあります。剣淵氷織は、頑なに自身の過去を否定した。恒河沙公理を封印し、剣淵氷織として生きてきた。彼女が自身の過去を自発的に他人に話したとは思えません。では、なぜ下川仁は剣淵氷織に収賄疑惑の調査を依頼したのでしょう。どうして彼は、剣淵氷織が探偵だと知っていたのでしょう」
桂は靴べらを背後に回した。しかし籐藤は受け取らない。
「加えてもう一点。秋月清玄が自首した翌日、二課の仙谷警部補が落合院長を収賄疑惑でしょっ引きました。ですがわたしは仙谷と同期であいつのことをよく知っています。仙谷は、相手をしているこちらの頭がおかしくなるほど慎重な男です。秋月が自首する前日、剣淵氷織はわたしと今江巡査部長に収賄疑惑を含めて事件の顛末を説明しました。そしてわたしは警視監にその旨を報告しましたね。そう。落合院長逮捕の前々日になって初めて、わたしたちは収賄疑惑の情報を手に入れた。その二日後に仙谷が動いた? あの仙谷がたったの二日で動いたというのですか。そんなはずはない。仙谷は前から落合の収賄疑惑に目をつけていた。だが決め手となる証拠がないので、検挙には踏み込めなかった。最後の一手をわたしと今江巡査部長が手にした。だから仙谷は足を踏み込んだ。」
「うん、そうだよ」
今江は自分で靴べらを戻した。
「仙谷君もラッキーだったねー。棚からぼたもちってやつだ」
「無理があります。あまりにも都合がよすぎる。遅々として進まない収賄の捜査。一人の研修医が収賄疑惑に目を付け、院内に潜む探偵に捜査を依頼する。警視監。あなたですね。あなたが、下川仁に収賄疑惑の情報を伝えたんだ」
「へぇ。そうなの?」
「そうとしか考えられない。山吹医科大学附属病院に『糸』を張っていたあなたは、病院の方針に反目する下川仁に目をつけ、病院を揺するためのネタを教えた。下川は初めこそ一人で調査を進めるが、素人には無理がある。そしてあなたはさらに“探偵”の存在を下川仁に吹き込んだ。あなたは剣淵氷織の中に眠る“探偵”の血を目覚めさせるつもりだった。だけどその結果、事態はとんでもない方向に転がっていた。殺人事件です。素人が始めた収賄疑惑の調査は、結果としてその素人を死に至らしめた。もしわたしの推測が正しければ、警視監。今回の事件の発端はあなたにあるわけです」
「うん。そうだよ」
桂は平然と答えた。
「籐藤くんの言うとーり。仙谷くんには若いころから目をかけててねー。収賄疑惑も解決する。恒河沙の血もめざめる。まさに一石二鳥とほくそ笑んでいたんだけどね。やれやれ。投げた石が砕け散るとは思わなかったよ」
「あなたってひとは……なんてことを!」
「たしかに“発端”はわたしだよ。だけどわたしに“責任”はない。下川仁を殺したのは秋月清玄の邪な意志。断じてわたしではない」
「法律は気づいていますよ。おそらく、氷織も。彼らの信用を揺るがすことは控えてください」
「信用ねぇ……」
桂は背中を向けたまま大きくあくびをして、玄関の扉を開けた。
「そもそもわたしは“恒河沙の兄妹”なんて、はなから信用していないけどね」
副総監は籐藤の絶句を背に、今江家を去っていった。
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