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幕間J

 スーツの袖をめくり、腕時計を見つめる。時刻は午後の十一時三十分。

 「そろそろかな」

 籐藤とうどうはネクタイを締め直しながら、法律ほうりつに声をかけた。窓際で腕を組んで夜の神保町を見つめる法律は『そうですね』と力なく応えた。

 「緊張しているな」

 「緊張?」

 振り返り、小さく笑う。『そうかもしれませんね』と法律は窓の前にある横長の机に着いた。

 「コーヒーでも飲むか。お前は?」

 「いりません。ご自分のだけどうぞ」

 勝手知ったる他人の事務所・・・。籐藤は給湯室に行き、インスタントコーヒーを作った。

 「またブラックですか」

 カップを持って給湯室から出てきた籐藤に法律が笑いかける。

 「そうだ。悪いか」

 「お好きならいいのでは。ただ、ブラックコーヒーは石ができやすくなるそうですよ」

 「石?」

 「石」

 法律は真顔で自分の丹田たんでんを叩いた。それを見て籐藤はコーヒーを口にする前から苦い顔をした。

 「お前さぁ、本当に、お前さぁ」

 「結石のもとになるシュウ酸がコーヒーにはたっぷりです。牛乳を入れてカフェオレにするのがおすすめですよ。カルシウムはシュウ酸の吸収を防ぎますので」

 「二十年くらい早く教えてほしかったな。あ、なんだ。牛乳がないじゃないか」

 冷蔵庫を漁りながら籐藤ががなる。

 「コンビニまで買いに行く」

 「もうすぐ時間ですよ」

 「約束は(十二)時だろ。まだ大丈夫だよ」

 ダウンジャケットを羽織った籐藤は、事務所のドアへ足早に向かった。

 ドアノブに手をかける直前、ドアが開き、籐藤はその場で後ろに飛びはねた。

 「驚きましたね。階段をあがる音が聞こえなかった」

 ドアの前に立つ女性に法律が感嘆の声をあげた。

 「足音を消しましたね」

 「当たり前でしょう」

 女性はローヒールのパンプスで、わざとらしく音を立てながら事務所に入ってきた。

 「こんな得体のしれない建物に堂々と入って来るわけないじゃない」

 籐藤は自身が初めてこの探偵事務所を訪れた時のことを想起した。むき出しのコンクリートの階段を、何の警戒もなしにのぼった記憶がある。

 「先に手帳を。本人か確認したい」

 籐藤は自身の警察手帳を見せた。女性も同じく警察手帳を提示する。

 「間違いないようだな。初めまして。今江恭子いまえきょうこ巡査部長殿」

 今江は不機嫌に鼻を鳴らし、フロアの奥に座る法律に近づいた。

 「あんたはこの探偵事務所の人間?」

 「はい。恒河沙ごうがしゃ法律と申します。以後お見知りおきを」

 机から立ち、丁重な態度で法律は名刺を渡した。

 「こんな若いのに所長」

 今江は名刺を受けとりながら眉をひそめた。

 「それで、かつらさんはどこなの」

 「警視監はいらっしゃらない。おれが使いだ」

 「馬鹿にしてるの。こんな真夜中に呼び出しておいて、当の本人はベッドでぐっすり?」

 「だろうね。あんただって知ってんだろ。あの警視監はそういう人間だよ」

 「あ、ちなみに。桂さんのお宅は純和風なので、ベッドではなくお布団でぐっすりかと」

 法律が手を上げて訂正した。二人の刑事の矢のような視線が突き刺さり、おずおずと右手は降りていった。

 「警視監がいなくとも問題はない」

 籐藤は法律をあごでさした。

 「おたくを呼び出したのはこいつだ。こいつが警視監にメールを送って、警視監はおたくに連絡をよこしたわけ」

 「桂さんの名前を使えば、必ず今江さんに来ていただけると信じていました」

 「初対面の相手を真夜中に呼び出すなんて非常識ね。警視監が事件について重要なことを教えるからって来たのに。それじゃ、あんたたちが代わりに教えてくれるの」

 「いや。おれは知らん」

 両手を上げて籐藤は首をふる。今江のほほがひくりと不機嫌に上下した。

 「おれは山吹何とか病院の事件ヤマについては関わっていない。何というか、おれはこの探偵の世話役でな。その縁もあって、こんな寂れた事務所であんたを待ってたわけだ」

 「それじゃあ何。そこの恒河沙ってお兄ちゃんが事件のことを教えてくれるの」

 「あ、ぼくも無理です。事件のことよく知りませんから」

 法律も両手を上げて首を振った。

 今江の脚が灰色のスチールロッカーを蹴り上げた。

 「悪いけど。帰らせてもらうわ。こんな茶番、付き合っていられない」

 「お待ちください。今江さん。ぼくは事件については知りませんが、あなたの()()()については把握してます」

 手を下ろしながら法律が言った。敵意のこもった今江の視線が探偵の眼球を鋭く突き刺す。

 「『定時で帰る刑事さん』。なんとも不思議に気になりましてね。探偵として調べさせてもらいましたよ。なるほど。そりゃそうだ。そりゃ定時で帰りますね。わかります。わかっていながら、こうして真夜中にあなたを呼び出したわけなのです」

 「とりあえず座れよ」

 応接セットのソファーを籐藤は指さした。

 「コーヒーでもいれてやるから」

 「砂糖はいらない。ミルクだけ入れてちょうだい」

 籐藤は小さく舌打ちをしてから、ダウンジャケットのえりを立てた。

 「いったい何を教えてくれるっていうの。二人が何も知らないってことは、他に誰かがここにくるの」

 今江の問いに法律は大きくうなずいた。

 籐藤が冷たい外気を覚悟して事務所のドアを引く。すると、再び彼は飛び上がった。

 ドアの前に、またしても一人の女性が立っていたのだ。

 その女性はハイヒールを鳴らしながら事務所に入って来る。籐藤を無視し、今江をも無視し、まっすぐと、法律のもとへ。

 「何を教える? 大切なこと? そんな言葉じゃ物足りない。これから彼女が語るのは、今回の事件の真実・・です」

 「どうしてあなたがここに……」

 今江の口からそんな言葉が漏れた。その女性は、この三日間、山吹医科大学附属病院の中で今江が何度も顔を合わせた相手だった。

 「ご紹介します」

 法律は誇る様に胸を張った。

 「彼女はぼくの妹です」

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