第4話 「復讐条例ってなんですか?」
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ピンポーン。
これまで一度として鳴ったことのないインターホンが訪いを告げた。当麻は身を固くする。訪問客に心当たりはない。これまで誰1人招いたことはないし、これからもその予定はなかった。老朽化した安いアパートの住人には懐が期待できないので、訪問セールスすら来ない。
(よりにもよって殺人鬼が居候しているときに……!)
反射的にバスルームを見やるが、すぐに視線を戻す。こんなとき、薄っぺらいドアはいかにも頼りなく見えた。慎重に覗き窓に目を近づけた。ドアの前に立っていたのは、緑地に黄色いラインの入った服と帽子の男。安物のドアにも増して頼り甲斐のなさそうな細い男だった。
「はい」
「C便ですが、当日便が届いています」
嘘ならば陳腐な手である。が、警官ではなさそうだし、薄っとろそうな男ならニセモノでも後れをとることはないだろう、とドアを開けた。
「当日便って、キンパイみたいなヤツ?」
配達業種にとんと縁がなかった。
「はい、大至急の時に使われます。訃報とか」
配達員は言うが、「大至急の時」に心当たりがなかった。当麻の家族は日本にいない。
「どうぞ」
白い封筒が差し出された。宛て先は確かに「陸儀当麻様」とある。送り人の欄には「NPAs」の4文字。
「げっ!」
当麻はうめいた。NPAは「National Police Agency」、警察庁の略称である。sは特別セクション。警視庁特別セクションからの手紙だった。その下に「呼び出し状」の大きく赤いスタンプが押されている。このスタンプの色から別名「赤紙」と呼ばれる、警察庁特別セクションからの呼び出し状。それが意味するものは1つしかない。律儀に「夕刻指定」と書かれているのは、日中働いている者への配慮なのだろうか。
「印鑑かサインお願いします」
一旦引っ込んで押印した。筆跡を残したくなかった。配達員が帰ると、その場で封筒を破いて中身を引っ張り出した。
「もう帰っちゃったんですかー? “妻です“ってあいさつしようと思ってたのにー」
「話をこれ以上こじれさせてたまるか!」
当日便の文面は以下のようなものだった。
【陸儀当麻様
実行委員会の開催について(ご案内)
時下、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。陸儀様がこの度「復仇・私讐に関する科条及び加減例」の公選調査人に選任されました旨を案内状にてご報告させていただきます。
つきましては、ご多用中誠に恐縮ですが、ご出席下さいますよう宜しくお願い申し上げます。
記
日時 令和8年11月22日(水) 10時 0分
場所 東京都港区〇―◇―△
Nテレビタワー内会議室
*ご欠席の場合は、代理出席も含めて、警察庁特別セクション事務局宛てにご一報下さいますよう宜しくお願いいたします。
以上
〇発 第△号
令和8年11月20日
担当 s課課長 意義路雲瓶
「やっぱりかあ~?」
ひょっとしたら全然関係のない手紙かも、という一縷の望みは空しく断たれた。
19時を回っていたが、ダメ元で封筒にあった番号に電話してみる。と、意外なことに応対が出た。
「え~、〇〇区の陸儀と言います。今日、NPAsから“呼びだし状”というのが届いたんですけど……」
電話に出た女性は用件を聞くと、すぐに内線を回した。
『はい、特別セクションの意義路です』
中年男の声に変わった。封筒にあった担当の名前である。落ち着きはらった硬質の声を聞くだに、手ごわそうな印象を受ける。それでも当麻は用件を伝えた。
「何せ急な呼び出しで仕事を休めそうになくて。それで、公選調査人をお断りできないか、と……」
仕事を言い訳に断ろうとする。
『今さら仰られても。7年の8月に候補者名簿の作成は済んでおります。名簿記載通知・調査書の送付も完了しております』
返答は丁寧かつにべもなかった。一度調査人候補者名簿に載った以上は、いつ何時赤紙が来ても文句は言えない決まり、ということらしい。去年の8月と言えば、当麻が引っ越す前のゴタゴタしていた時期の話である。
『辞退することは基本的に認められません。辞退できる事由といたしましては条例10条の“公選調査人に関する規定”にあるように、
・年齢が70歳以上である者。
・地方公共団体の議員の者(会期中のみ適用)。
・3年以内に公選調査人に選ばれたことがある者。
・重い疾病などにより日常生活に支障をきたしている者。
・同居している親族の介護または子どもの養育をしている者。
・災害などの被害により生活の再建が必要な者。
の6点のみです。陸儀さんがどれにも当てはまらないにも関わらず、参加できないと仰るのであれば、責任を問われることとなります』
おそらく、似たような電話が山とかかってくるのだろう。意義路の返答は理路整然としていて、ぐうの音も出ない完璧なものだった。
「はい……」
当麻の完敗だった。
「参ったなあ」
宙を見上げて当麻はぼやいた。
「去年の8月か。すっかり見落としてたな。調査が甘かった」
落胆のあまり呟いたとき、尽サツキが意味ありげな視線を送ったが、当麻に気付く余裕はなかった。
テーブルの赤紙を見やる。いまさら断るのは難しい。却って目立つことになる。意義路が言った通り、警察に目をつけられることにもなり、素直に引き受けるより幾倍もの弊害が予想された。ついこの間も、復讐条例の公選調査人をドタキャンしようとした男が刑事罰の対象となった、とニュースで言っていた。成立当初から国はこの条例にご執心で、「国に協力する気のない穀潰しを養ってやる余裕はない」とハッタリだけの総理大臣土井白悟がはっきり宣言したほどである。
「行くしかないよな。まったく、目立ちたくないってのに」
「マイハニーに愚痴なんて似合いませんよう。もっとこう、部屋の隅っこで膝を抱えて、ときおりにたぁり、なんて笑ってる方が似合ってますよ!」
「そんな白い壁の病院が似合いそうな自分とは付き合いたくないぞ」
突き出した頭に封筒をぺちんと叩きつける。サツキはしげしげと内容を読んだあとで、
「これ、なんですかあ?」
と間の抜けた声を出した。
「え? まさか殺人鬼のクセに復讐条例知らないのか? 施行されて1年ぐらい経つぞ?」
「何せあちこち放浪してたものでー。新聞も読まないから世情に疎いんですよー」
生存力はあっても生活力はまるでなさそうな殺人鬼だった。
「でで、復讐条例ってなんですかー?」
「一言で言えば、西部のオキテに逆行した法律、だな」
催促されて、仕方なく説明を始める。
現在より遡ること1年前の2025年にこの異端児は生まれた。正式名称は「復仇・私讐に関する科条及び加減例」。略して「復讐条例」である。よって、便宜上「条例」と呼ばれていても、地方公共団体が定める自主法とは異なる。
この法律の眼目は、
【この条例を適用した者は、申請した事件に限定して捜査権並びに逮捕権を有する】
という点である。つまり、市井の人間による自主的な捜査が可能となる。ただし、名探偵気取りの騒動屋たちがのさばることを考慮して、復讐条例が適用可能な事件を、
•殺人罪
•強盗致死傷罪
•傷害致死罪
•現住建造物等放火罪
•身代金目的誘拐罪
•強制わいせつ致死傷
等に限定した。
さらに、警察以外の者が捜査することへの抵抗に関しては、
【警察は登録者に、その事件に限り捜査情報を開示すること。なお、登録者がその情報を悪用した場合、重い罪状が付与される】
と一応のフォローを加えている。
「適用者は犯人逮捕に尽力する。が、人手が足りないと判断したときは、公選調査人と呼ばれる助っ人が民間より無作為に指名されることになるんだ」
条例が適用された瞬間から、警察は裏方となり、捜査に表立って関与しなくなる。
「ほへー。マイハニーに来たラブレターは、ソレだったんですねー」
「どっちかっていうとブラックメールだ。こっちに断る権限ないんだから」
冷蔵庫を開け、缶ビールを出す。
「いるか?」
「あ、カルーアミルクでお願いします」
「ねえよ!」
「サツキさんは清純派なのでー。イメージを大切にしたいのです」
「一点の曇りもないヨゴレがいけ図々しい。紅茶で我慢しろ」
湯を沸かして、インスタントを淹れてやる。
「烏合の衆を寄せ集めて事件を解決なんかできるんですかー?」
とぼけた語り口の割には核心を突く質問だった。
「狙いは解決じゃない。単なるパフォーマンスだよ」
復讐条例は、成果を期待して作られたものではない。口先だけの2世政治屋が知名度欲しさに発案したものだった。略して復讐条例、というセンセーショナルな呼び方も、「話題になるから」という心算で意図的に名付けられた。
「よく成立しましたねー」
渡された紅茶を美味そうにすする。
「おエラい人間はおカネが大好き、ってことじゃないか? カネで転ばないのは、将来それより多くのカネが取れる打算があるときだけ」
「乾いた考えですねー。そんなに人間の良心が信じられないんですか?」
「殺人鬼にだけは言われたくないセリフだな」
ともかく、と缶ビールで喉を湿らせる。
「ゴリ押しで成立させた印象だったな。電波芸者どもにカネをばら撒いて世論を作らせたり」
「有名アーティストが“キミも復讐しようぜ!”とか、ニュースの占いコーナーで“今週のラッキーアイテムは復讐!”とか?」
「あながち間違ってないんだよな、これが。傍から見てたら出来の悪いコントだったけど」
テレビは主体性のない人間たちを容易に集団催眠に落とし込む。
「国民はそれでいいとしてー。警察の立場がないんじゃないんですかー? “俺の米びつに手ぇつっこみやがってー!”とかー」
脱線しつつも主眼はそらさない。地頭が良いのか勘が良いのか。
「いつの時代の人間だ、お前は。その青服が頼りにならなくなってきたからだろ」
折しも警察の不祥事が相次ぎ、国内を揺るがした。誤認逮捕。暴力による自白の強要。不利な証拠の握り潰し。身内の犯罪の隠蔽。被害者よりも加害者のプライバシーを尊重。多発する逮捕者の逃亡。
「てゆーか、警察にトドメ刺したのはお前だ」
「ほへ?」
当麻が仕事中に考えていた、尽サツキ=切り裂きジャックが逮捕されなかった理由の3つめ。それは、「警察が切り裂きジャックを逮捕したと勘違いして、捜査資料をすべて処分した」からである。行動範囲の広さから、切り裂きジャックの犯人として当初長距離トラックの運転手が疑われた。そして悪名高いT県警が、自県で起きたジャック事件の犯人として、トラック運転手である和泉李斗を逮捕することになる。容疑者は裁判の間一貫して否認を続けた。殺害時刻に確固たるアリバイがあった。あまつさえ、裁判で警察が提出した証拠64点のうち、58点が警察の捏造であった。にもかかわらず、和泉は死刑判決を受けることとなる。
T県警はこの「手柄」を触れ回った。この「切り裂きジャック逮捕さる」の報によって世間はすっかり安心し、切り裂きジャックはしばらくの間「終わった事件」扱いだったのだ。
数か月後新たな死体が発見され、ジャック健在が発覚して警察は上を下への大騒ぎになる。だがその前に誤認逮捕された和泉は、刑務所で病を得て裏門釈放(刑務所内で死亡したことにより、死体で刑務所から出ること)されてしまっていた。ちなみに、T県警並びに事件を担当した暴力刑事は和泉が死んだのをもっけの幸いと何らの謝罪も補償も行っていない。
杜撰を通り越したT県警の悪事が明るみに出ることにより、世間の警察への希望が失望に変わり、絶望にまで落ちてようやく下げ止まった。それ以上墜ちようがないからだ。それが「復讐条例」という異端の法律が誕生する一助となった。
「なーんだ。だったらサツキさん何も悪くないじゃないですかー。ワイズミさんかわいそうですねー」
「ま、まあ、警察の壮絶なオウンゴールに違いないんだが、どこをどう拡大解釈したら張本人がそんな自信満々になれるんだ」
警察と政治屋が作り出した世情不安と富裕層貧困層二極化により、20年代初頭と比較して犯罪が激増した。そこで国民の不安や不満をそらすために、警察と結託してこのような異物を作り上げた。あくまでも支持率を稼ぐための、底の浅い考えから作られた使い捨ての法律。 かくして、「世紀の悪法」、「西部劇の時代に逆戻りした」などと揶揄されつつ「復讐条例」は産声を上げた。
アナグラム解答。ザ・チェイサーのアシスタント。
菊尾れい
↓
きくおれい
↓
いきおくれ
↓
嫁き遅れ
良い言葉ではないかもしれませんが、語感や役どころでアナグラム元を決めているので上品でないことも多いです(汗)




