第33話 (解答編1)「いい性格してやがる」
予告より1話延びてしまいましたが、解答編です(/・ω・)/
「動機は後で説明いたしますが。まず、穂塚さんは突き落とされたのではなく、単に転落したものと思われます。その原因となったのが、ある毒物。アルカロイド系の毒物で、恐らくはエンジェルトランペットと思われます」
耳慣れない単語が飛び出した。
「なんだあ? それ」
首を傾げる鍬下。
「花だったかねえ。ラッパが下向いてるようなヤツ」
小雨が目線を上に漂わせつつ思い出す。
「はい。別名ダチュラ、ブルグマンシア、木立朝鮮朝顔。曼荼羅華。種に強い毒性があります。成分はアルカロイド系のアトロピン、スコポラミン。特徴は、嘔吐や幻覚症状、錯乱状態、呼吸困難。意識喪失」
スラスラと説明してゆく。そろそろ他の面々も、王喜万斗果がただの少女でないことを意識し始めていた。
「幻覚……穂塚のオバサンは会話してたわけじゃなくて、幻覚を見てたわけか」
当麻は納得した。記憶にないのも症状によるものだろう。
「被害者意識丸出しで叫んでたよねえ。ハッ、おおかた、生徒や保護者にやり返されるマボロシでもみたんじゃないかね?」
小雨が皮肉気に指摘する。
「あー、直前に電話でがなり立ててたわけ。あれで嫌な記憶が鮮明になってのかもね」
我の強い人間は、一方的な加害者であればあるほど、被害妄想(やり返されるのではないか)を深層に持つ、という事実は心理学によって証明されている。
「あー、冷静に考えて見れば、穂塚のおばさんは搬入口なんて知らないから、故意に天井に行ったとは思えない。犯人が落とした、ってセンも、
下に目撃者がいっぱいいて、しかも殺せるかどうか怪しい不確実な高さしかないあんな場所を選ぶのはナンセンスかあ」
調査人たちのこれまでの推測には、多数の穴があったことにようやく気付いた。
「人間は思い込みに左右されます。多少都合の悪いことがあっても、都合よく解釈してしまう生き物ですから」
と講釈する最年少。
「あっ、この花、見た、こと、ある……土手、とかで、咲いてる、ヤツだ」
兼磨宏がスマホで検索して驚いている。
「この季節ならエンジェルトランペットはまだ花期ですわね」
「む。手に入れることは容易、というわけだな?」
兵藤が唸った。
「だが、毒の種類がどうした? 要は犯人が依然存在するというわけで、枠を狭めていない。動機の解明にもなっておらん」
「“殺害”ではありません」
「なに?」
「先も申し上げた通り、エンジェルトランペットの症状は嘔吐や幻覚症状、錯乱状態、呼吸困難。意識喪失です。よほど重篤な病気でも患ってない限り、死亡した前例はありません」
「クソ教師も転落しただけで、立派に生きてるしな」
鍬下が頷いた。
「むう。エンジェルトランペットとやらを飲ませた犯人の狙いは何なのだ?」
「あーあー」
当麻が声を上げる。
「意識喪失か」
「ご名答」
万斗果がにっこりと微笑む。それは他の男たちに向けられるものとは明らかに性質を異にしていた。
「あんなオバサン昏睡レイプするヘンタイがいるのかよ?」
不満そうに唸りつつ、当麻が吸っていた煙草を奪う鍬下。そのまま口へ運び、ゆっくりと吸う。
「ふー、美味え。いやー、前に吸った時からこのキツさが忘れられなくってよ。絶版なんだろ? 手に入らずに困ってたんだ」
「新しいのやるから略奪するな、山賊」
「いいじゃねえか、火が点ける手間もいらねえし、コッチのが手っ取り早いだろ?」
「清々しいぐらいのジャイアニズムだな」
「昏睡ではなく、意識喪失です。考えることができなくなり、他人の言いなりになってしまうのです。過去の事件では、強盗が被害者にスコポラミンを用いていいなり状態にし、金庫を開けさせたケースもありますわね」
話の腰を折られたが、万斗果のペースは微塵も乱れなかった。
「昏睡とは違うんだねえ。何でも言うことを聞かせる、催眠状態みたいにするんだ」
「エロゲーの定番なわけ」
下品な要約をする数寄寅江。だが解釈としては間違っていなかった。
海外の事件では、被害者は命じられるままに隠していた金庫の鍵を取り出し、暗証番号を打ち込んで自ら金庫を開けたという。
「だぁから、あんなオバサンを操って何がしたかったんだよ?」
「標的は穂塚のオバサンじゃなかったんだよ」
当麻にもやっと筋道が見えてきた。先に弁当を調べていたことで、他の調査人よりもヒントが多かったことが幸いした。
「なら、誰が狙いだったわけ? そもそもどうやって毒を盛ったわけ?」
「楽屋弁当ですわ」
「わたくしたちは事件の直前にお弁当をいただきました。お弁当にエンジェルトランペットが混入されていたとしたら、どうでしょうか?」
「おいおいマジかよっ?」
鍬下が顔色を変える。自分たちも毒を盛られていた可能性を疑うのは無理もない。
「正確には、カレー弁当だけな」
当麻がすぐに付け加える。そうでもしなければ、無用なパニックを演出することになる。万斗果はそれを愉しむつもりであったのかもしれない。
(いい性格してやがる)
当麻は慣れかけていたが、彼女の本質には「愉快犯」が根を張り巡らせていた。
「粉末加工したエンジェルトランペットの種は少々のえぐみがありますが、カレーならば香辛料に紛れることでしょう」
カレー弁当と聞いて、昼食時で騒いでいたことを憶えていた数人の視線が出矢に注がれる。
「なんだいみんなして。食べてないよ、カレー弁当はなかったんだから」
出矢は頬を膨らませた。
「そそ、そうですよ。確かにとっておいたのに。……あっ……」
塀内ゲンが顔色を変えた。
「なーるほど。それを穂塚聖子が盗み食いしたんだねえ」
「アイツ意地汚かったからなあ」
「たしかに、化粧台の辺りでゴソゴソしてたわけ」
さもありなん、と一同は納得した。
「えー、楽しみにしてたのにー」
出矢はやや見当はずれなところで怒っている。なお、その場面では出矢は塀内の接待にきもそぞろで、「まあいいか」で済ませている。
「つまり、スコポなんちゃらが混入されてたのはカレー弁当で、狙いは出矢氏だった、と。それを穂塚が盗み食いしてまあ、天罰ってワケじゃないけど幻覚を見て勝手に落ちた」
当麻が要約する。
「待ち給え。堂々巡りに入っていやしないか? 穂塚君ではなく比嘉石氏を狙ったとして、何の差異がでるのだ?」
「――立場に差がありますわ」
このとき、当麻だけは勘付いた。王喜万斗果の瞳が一瞬、絶対零度の冷気を帯びたことに。
(ゴミを見るような目だった。今間違いなく、万斗果は察しの悪い兵藤を切り捨てた)
無論、社会に出たこともない未成年の格付けなど何の意味も為さない。のであるが、当麻には重要な意味を持つような気がしてならなかった。
「穂塚さんやわたくしたちに出来なくて、出矢さんには可能なことがあります」
だが内面をおくびにも出さず、万斗果は笑顔で教える。
「あっ! アタシらは調査人、で、比嘉石は復讐条例登録者なわけ」
数寄寅江が指摘する。
「はい、犯人の狙いは、出矢さんを意識喪失状態に陥れて、復讐条例の登録を取り下げさせることだったのでしょう」
万斗果の解法は、予想を裏切るものだった。
「調査人登録を取り消させる? そんなことが目的かよ?」
条例登録者が辞退すれば、調査人は解散、テレビ局も捜査の権限を失う。“ザ・チェイサー!”は、あくまで条例登録者に「協力」しているに過ぎず、単独で捜査を行う権限はない。
「切り裂きジャックなら取り消させたいかもだけどねえ」
「ハッ、ジャックならそんなまどろっこしいことしないで、ナイフ片手に出矢のダンナを切り刻めばオワリじゃねえか」
物騒なことを言い出す愚連隊。
「おいおい、冗談でもやめてくれよ」
出矢は身の危険を感じたのか、盛大に身体を震わせた。
「出矢さんが登録を取り消せば、調査人は解散です」
「つまり、犯人は調査人の中にいて、調査人を辞めたかった、と」
「無理矢理、選ばれた、ような、ものだから……」
気持ちは分かる、といいたげな兼磨。当麻もひっそりと同意した。
「だが、毒を盛ってまで、などという人物がいるというのか?」
「思い返せば、すぐに仕事に復帰したい、と常々仰っていた人物がおりましたわね」
兵藤の言葉に明言を避け、万斗果がある人物をちらりと見る。カレーの話になったときから、誰が疑わしいのか予測はついていた。
「カレーを食わせたとして、意識喪失状態の出矢に貼り付いて操縦しなけりゃいけないもんな。協賛とか映画とか持ち出して、途中まで出矢の傍を離れなかったヤツがいるよな?」
当麻が後を継ぐ。そこで全員の視線が1人の男の注がれた。
銀行員の塀内ゲン。
「え、ぼ、僕ですか? い、いやだなあ、そんなことする度胸はないですよ」
塀内は傍目からも分かるほどに動揺していた。
「弁当を運んだりして、エンジェルトランペットを盛る機会はあったわけね」
「ドラマやマンガじゃあるまいし、疑いの目を向けられて平然としてる犯人なんてそうそういないもんだねえ」
小雨は僅かに当麻を視界に収める。
「だ、だから犯人扱いはやめてください! 証拠もないでしょう!」
怒った、というよりは勢いに任せて怒鳴る。
「ショーコ、かあ? オメエ今日、協賛協賛言ってたよなあ。アレホントかよ? 銀行に連絡すりゃあスグにウラは取れるんじゃねえの?」
鍬下に凄まれて、視線を泳がせる。
「あ、あれは僕の独断です! ぎ、銀行には後で許可を得るつもりでした」
苦しい言い訳をした。まっとうな銀行員ならば俎上に上がってもいないアイデアに銀行の名前を担ぎ出すことなど、まずしない。
「毒を盛った証拠にはならないでしょう!」
「ま、因果関係は立証できないかもねえ」
小雨が主張を一部認める。
「証拠は別に出ると思います。エンジェルトランペットの粉末、まだ携帯しているのではありませんか?」
万斗果の指摘に顔が歪んだ。
「そんなもの、とっくに捨てているのではないかね?」
兵藤が怪訝な顔をする。
「毒も人体も想像以上にデリケートですわ。毒物の致死量は物質の摂取時期によって決まるので、明確な効果量を決定することは不可能です。更にいい加減な目安として半致死量というものもありますけれど」
半致死量は、「摂取した場合およそ半数が死亡する量」という、実に曖昧なものである。
「つまり、素人が毒を用意するとしても、ピッタリの量を予測しておくことはほぼ不可能ってことだな」
「はい。勤勉そうな塀内さんが今回のような大博打を打つに際して、その辺りを調べていないはずがありません。出矢さんは役者をしていただけあって、年齢よりも若々しい。定量では効きが悪い怖れがある」
また、今回のように1度失敗する事もあり得た。
「だから、余分な量の毒を持っている、か。納得だ」
「どこか局内、に、隠して、る、かも」
兼磨が言うと、小雨が首を横に振った。
「スタジオ内に隠したら、回収できるのはずいぶん先になっちまうかもさね」
「警察がテレビ局中を調べたら見つかるだろうしな。粉末なら、パッケージかなんかに入れて持ち歩くしかない。発見されて指紋が検出されたらアウトだよ」
当然、塀内は手袋などしていない。過去の事件においても、犯人が証拠品(凶器など)を遺棄する際、念入りに指紋を拭き取ったつもりでも、どこかに残っていて特定された事例が度々ある。そして不幸にも過去例を調べて予習する程度には、塀内ゲンは勉強家だった。
「では検めさせてもらおうか」
兵藤の視線に気圧されて、鞄を守るように抱え込む。だが腕の隙間から、鍬下が強引に奪った。
「後ろ暗いことがなけりゃ、別にどうもしねえだろ? 不満なら後で他の全員も持ち物検査させてやっからさ」
こうまで言われては、塀内もこれ以上拒絶できない。警察が介入しないということは、数の賛同さえあれば動くことができる、という意味でもあった。
鍬下が鞄の中身を乱暴にテーブルにぶちまける。
「薬のケースの中に紛れ込ませていると思いますわ」
塀内は胃が弱いのか、ことあるごとにケースから粉薬を出して飲んでいた。飲食中に取り出しても疑われにくい。
「アンタ、よく見てんなぁ」
鍬下が口笛を吹いた。果たして胃腸薬で隠すように、黒っぽい粉のパッケージが埋もれていた。カードスリーブを切って作った手製のものだった。
「失敗したら、また盛らないといけない。いつチャンスが舞い込んでくるか分かんないから、肌身離さず持ち歩くしかないわな」
当麻がポンと手を叩く。
「しかも、直前まで自分に疑いが向けられてるって思ってなかったろうから、油断もあったさね。琴浦氏が同席してない今日が千載一遇の機会だったわけだねえ」
小雨が補足する。通常出矢にぴったりと張り付いている琴浦の不在は滅多にあることではない。だからこそ、テレビ局内という犯罪には不向きな場所を承知で犯行に及んだ。
(或いは、あの女はとっくに塀内ゲンを疑っていて。油断させるために素知らぬ風を装っていただけなのかもな)
万斗果の真意が読み取れないので、悪意に解釈する。
「法科学鑑定研究所で薬毒物分析をしていただけば、直ちに結果が出ると思います」
さらりと専門機関の名を出す。
「す、すみませんでした! か、会社に少しでも早く復帰したくって」
塀内はその場に両手をついて土下座した。
「まぁったくえれぇメーワクしたぜ」
鍬下が当麻の懐に伸ばしたの手を、すかさす払ってブロッキングする。
「次からは有料だ」
「ケチ臭ぇこと言うなよ、ダチだろうが」
「右手にナイフ握って左手で握手するマフィアみたいな友人はいらん」
しっしっと追い払う。
「毒飲ませてまで仕事に戻りたかったのかね?」
兵藤が訊ねた。実質的な被害者は穂塚聖子のみなので、緊迫感はない。緊迫していた雰囲気が緩んだ。
(職場に復帰するために、出矢を朦朧状態にして条例登録を取り下げさせようとした。理屈は間違ってない気がするが、どこか……あ)
ある齟齬に気づいて首を捻る。
(一度取り下げさせたところで、出矢が素面に戻ったら“撤回を撤回する”に決まってる。元の木阿弥だ。塀内はどうす……)
そこで、1つの可能性に行き当たった。
「なあ、出矢って、親類縁者はいるのか?」
隣の小雨に耳打ちする。
「おやおや、突然だねえ。殺された比嘉石弥栄を除けば、戸籍上は天涯孤独だねえ」
奥歯に物の挟まったような言い方であるが、親族がいないことを確認できればそれで良かった。
(……そういうことか)
塀内のどす黒い計画に行きあたり、眉を顰めた。
「だ、だって、せっかく主任になれたのに。こんな長期で休んでたら戻っても居場所がないかもしれないじゃないですか」
言葉端から察するに、塀内ゲンは年齢的に家族や住宅ローンを背負っているのだろう。
「ひ、比嘉石さんには悪いけど、別に殺すわけでも怪我させるわけでもないから……。まさか、穂塚さんが盗るとはお、思ってもいなくて……」
言い訳がましくぼそぼそ言い募る。気軽に転職に逃げられるほど、身軽ではない。大なり小なり似た境遇の者たちは同情しかけていた。
「そうまでして早く復帰したいのは。顧客のお金を横領しているからではありませんの?」
その雰囲気を車椅子の少女が打ち砕いた。




