第27話 「秘書ってアレだろ? 政治屋の残機」
キリのいいところまで収めたので、今回は少し長めです(/・ω・)/
良識ぶったことを言ったせいか、穂塚聖子は弁当争いに出遅れてしまった。「衛生上悪いから勝手に弁当を開けるな」と言った舌の根も乾かぬうちに、残った弁当の蓋を開けて中身を確認している。
(このオバサン、口先だけで行動が意地汚いんだよな。言行不一致っつーか、自分と他人を同じ物差しで測らないタイプだ)
調査人たちが初めて一堂に会した日に、穂塚が昼食を盗み食いしようとしていたことを思い出す。だが、彼女の根幹には「自分が正しい」という揺るがぬ大前提があるため、どんな愚かしい行為をしでかしても必然他人が悪役となる。
食にこだわりの薄い当麻にとっては、楽屋弁当だろうが料亭の高級懐石だろうがコンビニ弁当だろうが大差なかった。だが当麻とは違い食い意地が張っていそうな穂塚は、ひとくさり迷った後、残った弁当を1つ手にした。
「それでは、出演料などのお話をしたいのですが……こ、ここではちょっと」
塀内ゲンが控室を見まわす。金の絡む問題だけに、他人の目や耳のあるここで話すのは避けたがっていた。
「んー、じゃあ僕の車で話す? 誰にも聞かれないだろ」
比嘉石出矢も乗り気だった。役得に目が眩んでいる。
「それはいいですね! で、では、お腹も空いてるし、お弁当も持って行きましょう。カレーでいいですよね?」
楽屋弁当を2つ抱えこんだ。
「僕、車に食べ物の匂いが移るの嫌いなんだよ。話が終わったら、ここで食べればいいじゃんか」
「腹が減っている」という塀内の主張をごく自然にスルーするあたり、身勝手さは出矢の骨身にまで染みついている。当麻はそこに出矢の育ちを嗅ぎ取った。
(他人の顔色を窺うことに慣れていない。金に困ったことがないヤツ特有の対応だ。太い脛をした親がいるって話だったな)
改めて観察してみると、出矢の服はドギツい自己主張丸出しで悪趣味そのものだが、上等な生地を使ったオーダーメイドだった。靴も高価なブランドもので、工場勤務だった当麻の月給では右足分さえも買えないだろう。
「そ、そうですか。では置いてゆきます」
余程腹が減っていたのか、塀内はいかにも残念そうな顔してテーブルに弁当箱を戻した。
「いやあ、楽しみだなあ! ここは1つ“アカプルコ”あたりへ繰り出そうじゃないか!」
一方出矢は上機嫌で、塀内と肩を組んでいろいろ注文を付けている。2人して控室を出ていった。
「あ、そうか」
当麻は唐突に声を上げた。
「どうしました?」
楽屋弁当を興味深そうに観察していた――一口も口にしていない――万斗果が訊ねた。
「なんか少ないなーと思ってたら、今日は出矢のマネージャーがいないんだ」
黒子のように出矢に付き従っていたスーツ姿の男の姿が今日はなかった。
「マネ? どなた様が?」
脇にいた小雨はキョトンとしている。
「ほら、いっつも出矢の後ろで鞄を抱えてる小男」
手短な説明で伝わった。調査人でもなければ復讐条例適用者でもない。黒子のような存在だった。
「あー。あの人はマネージャーじゃないですがな」
またもや怪しげな方言を使う小雨。
「芸能人なんだろ? タレントとマネージャーじゃないのか?」
小雨の更に隣にいた鍬下が口を挟む。
「あのな。ろくすっぽ仕事のねえ大部屋大根俳優に、マネージャーなんかつけるかよ。金のムダじゃねーか」
口は悪いが筋が通っている。「大根」は明らかに悪意のある付け足しだったが。
「人気番組のアシスタントしてる菊尾レイと一緒に考えんなよ」
「確かにそうか。じゃああの男は?」
改めて問いかけると。
「何でそんなムダなコト知ってなきゃならねーんだよ」
実に自分本位な回答が返ってきた。どうやら鍬下は「これ1つで総ての言い訳がまかり通る」と考えているらしい。
「さては脳みそまでレーションが詰まってんな、コイツ」
流れのまま鍬下に訊ねたことを後悔した。小雨ひたぎを見る。
「自称事情通、お願いします」
「あの人はマネージャーじゃないねえ。近いっちゃ近いけど。秘書さね」
「秘書ぉ?」
予想もしてなかった言葉だった。
他の面々が食事を始めたとき、穂塚聖子は鏡台に陣取って化粧直しをしていた。終わると、弁当を手提げ袋に入れて、
「悪の喫煙者が多くてご飯が入らないわ。私は外で食べるから」
と言い放って出て行った。
「臭うも何も、ココ禁煙だろうが」
当麻が吐き捨てる。
「まあま、煙草の臭いって服や口に染みつくものだからねえ」
小雨がとりなす。嫌煙家の穂塚にとっては、そのような残り香さえも嫌悪の対象なのだろう。
「あんな三角眼鏡のことよりも、話を戻そう。秘書ってアレだろ? 政治屋の残機」
当麻の悪ふざけに、
「悪いことをバレたら代わりに自首させんのな」
鍬下が乗ってくる。かつて当麻は「マネージャーというよりも番頭だな」と感想を持ったが、その感性はあまり間違っていなかったようだった。
「芸能人と秘書。興味深いですわね。珍妙な組み合わせの正体を教えていただけます?」
万斗果は右端、小雨は同じテーブルの左端にいるので、当麻と鍬下を飛び越こしながらの会話になる。
「芸能人とその監視役」
小雨は高校生に真面目腐った表情で答えた。
「は?」
右と左から投げかけられる会話に首が忙しい当麻。
「О区の区長磯瀬乱造が、比嘉石出矢の後援者なのさ。数年前から出矢クンを後押ししてる」
毎日ニュースを見ていれば、名前を知っている程度には有名人だった。
「俺の住んでるとこの区長かよ。後援者……ひょっとして、3流とはいえ映画の主役張ってたのは」
無名の役者には実力不相応なキャスティングであり監督だった。
「区長がバックにいたから、ですわね? そういえば、“復讐条恋”のスタッフロールに“協賛:磯瀬グループ”とありました」
万斗果の何気ない指摘に、当麻は感心を通り越して呆れた。
(だからなんで覚えてるんだよ? サヴァン症候群か?)
サヴァン症候群は、一度見た文章や映像を決して忘れない瞬間記憶ができるという。通常、健康を害するほどに面白くなかった映画のクレジットなど見る者はいない。現に当麻は、スタッフロールに誰が書かれていたか一名たりとも思い出せなかった。
「そうでなきゃ、あんな大根が有名監督の目に留まって主役に抜擢、なんてシンデレラストーリーあるわけないでしょうが」
「やっぱり作り話だったのか。監督が一目惚れしたなんてとってつけたような話だ、と思いはしたけどな」
悪名だらけの監督とはいえ、金も伝手もない人間が動かすことは出来ない。
「要約すると、あの黒子の方は芸能事務所のマネージャーではなく、磯瀬区長の雇った私設秘書という役割でしょうか。後援をしている区長に迷惑が及ばないよう、素行不良を見張っているとも言いますわね」
「おー、頭良いねえ。ま、お目付け役だろうさね」
べた褒めの内容とは裏腹に、声には警戒の色があった。
「それが理由の1つ。ま、こっからは時期尚早でまだ言えないねえ。ジャーナリストにも仁義ってもんがあるからねえ」
「出たな、自称ジャーナリスト」
「オー! 自称じゃアリマッセーン。トラスト・ミー!」
小雨は怪しげな外国人の仕草で誤魔化した。
(ジャーナリストっつーのがどんな人種かは知らないが、妙に人を食った態度が気になると言えば気になるんだよ)
態度については、当麻もあまり人のことは言えなかった。
控室にいる全員が食事を終えたあたりで、比嘉石出矢と塀内ゲンが戻ってくる。
「うんうん、夜が楽しみだ。さすがM銀行、豪勢だね」
出矢は夜の「打ち合わせ」を夢想して締まりのない笑顔をしていた。かなりの「歓迎」を要請したらしい。
「しょ、食事が済んだら、また車内で打ち合わせしましょう」
今日の指定席にしている、奥まったテーブルに座る。予め取っていた楽屋弁当は手つかずである。
「ええー? イイトコ連れてってくれるんなら、そこですればいいじゃん?」
出矢は話し合いに飽きていた。
「そ、それは困りますよっ。上役を説得する材料が……」
塀内が血相を変える。
(上司に引き合わせる前にしっかり言い含めとかないと、出矢がどんな暴走するか知れたもんじゃないからな。もし出矢起用が塀内ゲンの独断だったなら、意外としたたかなバクチ打ちだ)
M銀行といえば、CMもよく流している大手銀行である。
「ああ、胃が痛いなあ……」
塀内は鞄からケースを出して粉薬を飲んでいる。気弱そうに見えるが、案外とやり手なのかもしれない。
(どうして知名度低い出矢なんかに――って思ってたけど。出矢じゃなくて、パトロンの区長磯瀬と繋がりを持ちたい、って下心があるのかもな。駄馬でも、将を射るためには狙わなきゃならないのか)
小雨から引き出したばかりの最新情報から推測する。
(それ以外に、出矢に頼みこむ理由が思いつかない。たしか、今M銀のCMに出てるイメージキャラクターは朝ドラの主演女優だ。それを無名の出矢にチェンジなんて、格落ちなんてレベルじゃない)
もっとも、似たような「人脈のために最適でない人物を起用すること」は電信の世界では枚挙に暇がない。
(生臭いもんだ。ま、俺には関係ないか)
外には出さず自己完結してしまうあたり、当麻は鍬下を馬鹿にはできない。
「今日は琴浦いないから、細かい数字言われてもピンとこないしー」
耳に新しい名前が出矢から出された。いつも出矢に付き従うマネージャー改め秘書の男は、琴浦というらしい。つまり現在進行中の「商談」は、秘書に無断で進められていることになる。
「ま、カレー食べてから……あれえ?」
楽屋弁当の蓋を開けて出矢が素っ頓狂な声を上げる。
「ど、どうしました?」
「カレーじゃないよ、これ。カツ丼じゃん」
不満げに言う。
「えええっ?」
ガターン!と大きな音が響く。塀内が勢いよく立ち上がったせいで、椅子を蹴っ倒してしまった。
「わ、私は確かにカレーを確保しておきましたよ?」
「ん、残念だけどいいや、カツ丼でも」
出矢は上機嫌のまま、カツ丼を食べ始める。精神は既に夜へと跳躍していて、弁当へのこだわりなどどうでもよくなっているらしい。
「は、はあ」
塀内は釈然としない表情で、さりとてどうしようもなくて食事を始めた。
全員が昼食を終えた辺りで、
「調査人の人たちは呼ばれた順にスタジオに入ってください。最初は、陸儀さん」
楽屋弁当を運んできたADが、控室に顔を出すなり告げた。
「なんだ、出番あるのか」
呼ばれた当麻は立ち上がった。
「放送時間にして2分半ほど余ったので、寺蔵についてみなさんが抱いていた印象を収めます」
(埋め草なわけな。こんな事態を想定して俺たちを帰さなかったのか)
ただ、全員分撮るほどの内容でもないので半分は残した、というだけの話なのだろう。
スタジオに入りしばらく待たされた後でカメラを前に話す。
「えー。ヨレヨレの同じ服着てたり、まともに会話しなかったりで、自堕落な人だなあ、と――」
当麻は例によってお面を被って、当たり障りのないことを証言した。
さして重要なパートでもないせいか、特に問題もなく消化される。数寄寅江や比嘉石出矢も収録を終えてそのままスタジオを見物していた。
「ええ、貴美さんに助けていただきました」
「伊勢乃木貴美さんを下の名前で呼び合っているのですか?」
「はい。同じチームなので。よくしていただいてます」
「では今度、ぜひツーショットを撮らせてください。ああいや、いまはそれより寺蔵の件を……」
万斗果の時だけはただカメラに向かって喋るのではなく、印田アナがインタビュアーをしていた。絶対に必要なさそうなドリー(移動ショット)まで撮る。
インタビューという名目の撮影会が続いていると、派手な一団が入ってきた。“ザ・チェイサー!”のロゴが入ったジャケットに身を包み、動物のマスクで顔を覆った3人。
「“ザ・チェイサー!”お抱えの私撰調査人か」
それぞれ“イーグル”“シャーク”“パンサー”と呼ばれており、被っている動物のマスクもそれに準じていた。元警官や自衛官の3人で、捜査や逮捕術のエキスパートであるという触れ込みは、番組の解決率85%という数字によって裏付けられている。
(前回の収録にはいなかったな。素人のモドキ調査人達とは違う。言うまでもなく要注意だ。だが――)
首を捻る。調査人の面々は、この3人組と会議で同席もしていなければ、顔合わせすらしていない。
(会議の情報は番組側が3人に流せばいい。素人とは足並みが揃わないから別行動ってことか? でもメリットがない)
伝聞や映像では得られる情報に偏りが出る。実力差があったとしても、会議に同席するだけならば何らの不利益もない。責任者の意義路にしても、調査人と3人を行き来しての調整は二度手間でしかないはずだった。
(さて、どう考えるべきか)
当麻の視線に気付いたシャークが愛想良く手を振ってくる。が、隣のイーグルはシッシッと、犬でも追い払うような仕草をした。パンサーは我関せず、といった風に腕を組んで微動だにしない。
チーム、グループと呼ぶには統制の取れていない奇妙な3人組だった。
「職能集団が仲良しこよしでいる必要はないけど、変な連中だなあ……」
当麻が名目上率いているAチームも、他の者から似たり寄ったりの感想を持たれていることに当人は気付いていない。
「穂塚聖子さんがいません。どなたかご存じありませんかー?」
ADがスタジオの調査人たちに呼び掛ける。
「ああ、妙に世界が平和だなーって思ったら、人100倍煩いケムリ嫌いのオバサンがいないからか」
控室の外に食事に出てから、嫌煙女こと穂塚聖子の姿を見ていなかった。
「案外、テレビ局の何処かで無残な屍を晒しているのでは?」
「そいつは困るな。怨恨の線だと、きっと容疑者が指で数えきれないぐらいいそうだ」
2人が品のない冗談を言い合っていたそのとき。
「あ、アンタ、なんれこんなこんなところにいふのよっ?」
真上から穂塚の叫び声がした。
「なんで上から声が」
見上げると、照明に埋もれるように、金網でできた通路が縦横に走っていた。どうやら照明を操作したりメンテナスするための通路らしい。ガチャガチャと走る音は聞こえるのだが、照明に邪魔されて穂塚の姿は疎らにしか見えない。
「アンタのへいで、アタシのじんへいは無茶苦茶よっ!」
声と足音が通路の端まで移動する。肉眼では、金網部分から穂塚らしき人物の脚と靴がところどころ見える程度である。
「収録中だぞ! 静かにしろよ」
「いや……なんかこれヤバくないか?」
スタッフがざわつき始める。
「よくもわたひの輝かしいへいれひに―――!」
声が小切れた。そして、金網から黒い影が落ちる。
「ぎゃん!」
落下した穂塚聖子の身体は、したたかに床に叩きつけられた。




