第24話 「悪魔は宮殿や豪邸には住まない」
ここから第2章の始まりになります(/・ω・)/
章ごとに、2万字~の事件が起きて、やがて収束してゆく感じに。
今回は導入で、趣味に走っています(笑)
「お、あったあった」
当麻が訪れたのは、一軒の喫茶店だった。が、都市の動脈たる産業道路から外れているとはいえ、あまりに異質な外観をしている。無味乾燥なコンクリート壁ではなく、苔むしたレンガの家。それだけでなく、蔦に店全体が覆われていた。
「なんつーか、蔦に食われてるようなイメージだな」
まるでおとぎ話にでも出てきそうな、そこだけ時間から隔絶されたような佇まいだった。店名を書いてあるはずの看板は蔦が邪魔で見えない。蔦をどけて目を凝らすと、「חיתוך」とか書かれているのだが、当麻には読めなかった。
「電話帳にどうやって載せるんだ? こんなけったいな文字」
営業中かどうかも定かでないが、とりあえず木製扉を押してみる。外見からは想像もつかない滑らかさで開いた。店内は適度に薄暗くシックな雰囲気だった。窓際にテーブル1卓椅子4脚。カウンター席含めても10人座れない。およそ利益を上げようという気概からかけ離れた店だった。
「いらっしゃいませ」
カウンター奥の老人が声をかけてくる。渋いバリトンの声だった。黒い背広と、それに対照的な山羊のように白く長い髭が特徴的な老人だった。胸のポケットには鎖付き懐中時計。
「陸儀様ですね。王喜様から伺っております。こちらへどうぞ」
予約でもしていたらしい。どうやら待ち合わせの店で間違いなさそうだったので、当麻は胸を撫で下ろす。このご時世、真昼間からいい歳の若者が住宅街をさ迷い歩くのは、悪目立ちして仕方がない。
白髭の老人に案内されたのは唯一のテーブル席でも窮屈なカウンター席でもなかった。カウンター脇のドアを開けると、意外なことに、ゆったりとしたスペースの個室が姿を現した。200万円は下らないであろう黒檀のテーブルに、意匠を凝らした椅子が1脚。その1脚しかない椅子に座らされる。
「少々お待ちくださいませ。もうじき王喜様もいらっしゃいます」
折り目正しく頭を下げて出て行った。
「……なんで“もうじき来る”って分かるんだよ?」
扉を閉められると、なぜだか現実と切り離された気分になった。この一室で、表の店舗分よりも広い空間である。小さな喫茶店に似つかわしくない完全個室という点も奇妙だった。無造作に置かれているクリスタルの灰皿やパーツの多そうな掛け時計は、コーヒー何千杯分の値がするのか定かでない。
「……そこいらのファミレスやスタバでいいだろうに。いちいち待ち合わせから異常なんだよ、アイツ」
アンティークチェアの背もたれに寄り掛かる。当麻が柄でもない喫茶店に足を運んだのは、王喜万斗果が待ち合わせに指定したからだった。今日は伊勢乃木貴美が休みを申請しているので、今日は2人で動くことになる。
(なんなんだろうな、あの女……)
私立の名門高校に通う17歳の少女。足が不自由で、電動車椅子を使用。幽霊のような高級車と運転手がつき従う。
(で、新たにこの店か)
扉が開いて、女性が水を運んできた。髪の長い女で、足元まで届きそうだ。前髪も長く、顔がほとんど隠れているので年齢が分からない。
「あと5分18秒お待ちくださいませ」
髪の不快さをまるで感じさせない美しい声と所作。優雅に頭を下げて退出した。老人の髭の長さを思い出す。
「何なんだこの店は。長い物を身に着けてないと首でも絞められるのか?」
不条理なことをボヤいた。煙草に火を点ける。テーブルの向かいの席に椅子はない。おそらく、万斗果が車椅子であるため、予め取り払われているのだろう。
(事前に車椅子の者が行く連絡を受けただけ、で片付けるには店主も店もマトモじゃない)
足の運び、完璧な服装、完璧な礼、チリ一つない室内。どれも場末の店主にはそぐわない。その程度の眼力は当麻にも備わっていた。だが、彼は肝心の王喜万斗果を未だに測り切れていない。能力的なものでなく、その本質を。
譬えば伊勢乃木貴美は誠実な気性である。それゆえ読み易い反面、一度疑われたら追及を躱しきるのは困難である。対照的に王喜万斗果は恐ろしく読みにくい。常に超然としていながら、ときに悪戯っぽい言動も覗かせる。が、それが演技でないという保証はどこにもない。散在する彼女の外的情報は、彼女に肉薄する何らの材料にもなっていなかった。煙草を消そうとして、クリスタルの灰皿に気後れする。携帯灰皿に放り込んだ。
( “蔓が手繰れない)
すべての人間は何らかの関係性に紐づいている。他人との関わりを極力避けて生きている当麻にしたところで、Kパーツの元同僚や同じアパートの住人、買い物先のコンビニの店員、復讐条例の調査人たちなどと関わり合いができている。それら蔓を手繰り寄せれば、陸儀当麻がどのような人間性か客観的に証明される。職場の元同僚からは勤務態度や生活レベルが、店員からは趣味嗜好が、という具合に。真実そのものではないにしても陸儀当麻を形成する“型”が想像できる。
だが王喜万斗果にはそれがない。蔓のない女。黒洞にぽっかり浮かんだ女。家族がいる。寝泊まりする家がある。学校では友人がいる。おそらくそうなのであろうが、想像ができない。現実味がない。
「お待たせいたしました」
だからきっかり5分18秒後に扉が開き、万斗果がやってきても、暗闇から突然湧き出たようにしか見えなかった。まるで悪魔の召喚のように。現実には家からやって来ているはずなのに。
――愉快犯。
当麻がこの黒い少女を思うとき、なぜかいつも頭に絡みつく言葉である。
「テストがようやく終わりましたから、また参加できますわね」
万斗果は当麻の対面に車椅子を止めて向かい合った。美少女と2人きりで個室。内情を知らない者が聞けば羨むだろうシチュエーションだが、当麻の心は踊らなかった。
「次からはもうちょっと肩の凝らない場所にしてくれ。俺が帰る段になって“時計がなくなってる!”とか言われたら寿命が縮む」
注文をつけた。この辺りの感覚は実に小市民である。
「あら、お気に召しませんでしたか?」
「悪のアジトみたいな雰囲気がな」
難癖だった。扉が開いて、髪の長い店員がコーヒーを置いた。注文をまだしておらず、メニューすらない。
「ここの|コールドブリューコーヒー《水出しコーヒー》は絶品ですわよ」
「ダッチコーヒーのことか? でも俺はコーヒーの味なんてよく分からないぞ」
一口飲む。
「うっま……!」
軟水の喉越しと、僅かに散らされたレモンの果肉とピール(皮)が、味わいをより爽やかにさせている。
「わたくしのお気に入りですの」
万斗果も悠然と味わう。「舌が奢りすぎだろ」と言えば貧乏人の僻みにしか聞こえそうになかった。一口目は無造作に飲んでしまったので、以降は大切にちびちび飲む。
「これが本物のコーヒーなら、俺が今まで飲んでた黒い液体はなんだったんだ」
「“本物”に触れておくのも良いでしょう?」
“本物”という強調に複雑な意図を感じ取ったが、素知らぬ風を装う。
「今後安物のコーヒーが飲めなくなったらどうしてくれるんだ、まったく」
「未来の心配よりも、今を楽しんでくださいな」
高校生に正論で諭される。
「点滴抽出なので1杯分で8時間ほどかかりますけれど」
「とことん利益度外視なのな。商売として成立してるのか?」
「父はその辺り気にしない主義ですので」
「父親?」
「はい。出店の出資をしたのが父なのです。あのお爺様はかつての使用人で、老齢を機に辞める際、終の棲家として援助したのだとか」
紳士然とした、髭の長い老爺のことを言っているのだろう。
「なるほど、道楽でやってるだけで、生活に困ってないのか」
万斗果が悪戯っぽく微笑む。
「……と、もっともらしい話をでっちあげたら、安心していただけます?」
「ホラかよ」
掴みどころの無い少女だった。コーヒーを飲み終わって名残惜しげな顔をする間もなく、再び髪の長すぎる女性が入ってきた。空の容器を下げ、お代わりのコーヒーを出して下がる。カメラで一挙手一投足を見張っていたような完璧すぎるタイミングだった。
「コンフィチュールソーダですわね。気が利きます」
炭酸コーヒーにジャムを加えた飲み物だった。ジャムのオレンジとコーヒーの黒が、綺麗に二層に分かれている。
「洒落たバーとかで出てきそうな飲み物だ」
当麻は本来、こういった「ごちゃごちゃしたもの」は好みではないのだが、これまた文句のつけようのない味だった。
「このお店を、貴美さんにも紹介したかったのですけれど」
万斗果が残念そうな表情を作った。
「入れ違いになったな。大学からの呼び出しじゃ仕方ない」
伊勢乃木貴美が寺蔵升達を撃退したことが、テレビで取り沙汰され、ちょっとした騒ぎになった。その際貴美の通うK館に取材班が押しかけて撮影、学生にインタビューなどを行ったのだが、どうやら大学に無許可だったらしい。そのことで、貴美は大学から呼び出しを受けていた。
「ま、さすがに退学とか停学にはならないんじゃないか? ……おっと」
煙草に火を点けようとして、思い止まる。
「構いませんよ。貴美さんもそう仰ったのでしょう?」
「なんだ、聞いてたのかよ」
「いえ。そのようなストロベリーな会話があったと推測しました」
にっこりと微笑む。美しい。が、底の見えない微笑。
「……その、持って回ったような言い回しはやめた方がいいぞ。主に俺が誤解する」
忠告しつつも、火を点けた。
「貴美さんの行いは賞賛されるべきことなのですけれど」
また、本来は貴美が責任を負うことでもない。
「大学にとっても、名前が売れたメリットしかないはずだがな。無許可ってのがカンに触ったんだろ」
当麻は皮肉気に顔を歪めた。
「知ってるか? 一般市民に“近所に住んでほしくない職業”でアンケート取ったら、ココ十数年、1位が教師(教育関係者)、2位が警察で不動なんだとよ」
「まあ」
少女が微笑む。「そこ笑うところか?」と突っ込みたいのを我慢した。
「エラそうなくせに常識がない、ってのが大方の共通点だ。自分の頭越しに話が行ったから、無駄に高いプライドを刺激したんだろうな」
「博識ですのね」
「あー、なんだ。ネットの記事のナナメ読みだ。そこは浅いぞ」
まさか、「始終警察関連の情報に気を配っていて、たまたま目にした」などとは言えない。
「今後の行動は?」
「意義路さんに訊いてみたけど、ちょっと例外になるが、今日は2人行動でOKだそうだ。今日は収録だけだしな」
「“ザ・チェイサー!”関連のスタッフが先走った結果のことなので、意義路さんも譲歩せざるを得なかったのでしょうね」
言葉の裏を捕まえるのが上手い少女だった。
「甲斐の爺さんに続いて2人目だ。“そしてだれもいなくなった”てなことにならなきゃいいけどな」
「クリスティのミステリは、邪道が多くてあまり好きにはなれません」
こだわりがあるらしい。「ミステリー」ではなく「ミステリ」と発音している点からして、推理好きというのは噓ではなさそうだった。
「コーヒーの代金ぐらい払うよ。高校生相手に割り勘とか言ってたらカッコつかねえから」
当麻も無職同然なので、懐に余裕はないのだが。何よりこの黒い少女に借りを作るのが怖かった。伝票がないので、カウンターで清算を求める。
「94800円でございます」
老紳士の請求額を聞いて石化した。コーヒー4杯。安くはないだろうと覚悟していたが、当麻の予想の30倍以上である。財布の中身の全額より多い。
「……高くないか?」
ぎぎぎ、と軋んだ音を立てて隣を向く。
「あら、味に見合った額だと思いますけれど」
確かに味は素晴らしかった。が、さすがに缶コーヒー790本分の金額は許容外である。
「か、金、貸してください」
「では貸し1つ、ですわね」
「ぐっ」
言葉に詰まっていると、万斗果が微笑んだ。
「冗談ですわ。ご馳走様でした」
老爺に軽く頭を下げて、万斗果は店を出てゆく。
「お、おい?」
「またのお越しをお待ちしております」
さもそれが当然とでもいうように、老爺は深々と頭を下げて見送った。
「い、いいのかよ?」
食い逃げならぬ飲み逃げに慄く当麻。
「結構です。王喜様からお代などとんでもない」
老爺が答えた。年齢は甲斐老人と変わらぬぐらいだが、ずいぶんかくしゃくとしている。
「そ、それならいいけど」
「だったら目玉の飛び出るような値段を最初から言うな」と抗議したかったが、払えなかった身としてはバツが悪い。
「それにしても珍しいですな。お嬢様がここにお客様を連れてくることは滅多にございません」
老人が言った。父親が出資者という話は本当なのかもしれない。
「自分の足で帰れる客は更に珍しい、なんて言わないよな?」
冗談めかして言う。
「近しいやもしれませぬな。お嬢様がここにお連れする方は、大のお気に入りか、これから死ぬ方だけございますので」
「……冗談なら笑えるやつを頼む。ごちそうさま。あ、そうだ」
ふと、気になっていたことを訊ねた。
「ここの店名ってどう読むんです? ていうか何語?」
חיתוךという馴染みのない線の羅列を思い出す。
「ヘブライ語でございます。読みはフィトー。交差点、という意味でございます」
その単語に、なにやら因縁めいたものを感じた。
「はは、ロバート・ジョンソンのクロスロード伝説かい? “汝の魂と引き換えに才能を授けよう”ってか」
「ご名答でございます。交差点には因縁めいた話が多いですからな。“悪魔は宮殿や豪邸には住まない。交差点に店を構えるものだ”」
「……“人が多く出入りしても怪しまれぬ。入った人数と出て行った人数の勘定が合わなくとも、いちいち数えている者がいないのがなおのこと都合が良い”か、なるほどね」
後半の引用を引き取った当麻が、先の老紳士の諧謔を理解して苦笑いをした。「お嬢様がここに~」という下りは、これに掛けた冗談だったのだろう、と理解する。
「今度はもっと心臓にやさしいジョークお願いします。小心者なんで」
「おや、それは意外ですな。大変失礼をしたしました」
老紳士と髪の長い女性は、同時に完璧な動作でお辞儀をして見送った。
「扉を開けてくださいな」
万斗果がドアを前に振り返った。
「はいはい」
車椅子に追いつく。
「金、払わなくていいのかよ?」
後々トラブルにならないだろうか、と気を揉む。
「あの方にはカードを渡してありますの。わたくしがご馳走になったら、見合った金額を下ろすようにと」
「そりゃあ最上級の待遇するのも納得だ」
悪用されたらいくらでも引き落とされる可能性がある。よほど金に大らかな家庭なのだろうか。
「いままで1度も代金を引き下ろされたことありませんけれど」
「マテ。どういうことだそれは」
どこまで本当かまるで分らない。或いは、全てが真実なのかもしれない。
当麻は角を曲がるまで、1度も振り返らなかった。振り向いてもあの煉瓦と蔦に包まれた店は、どこにもない気がした。
この喫茶店には実在のモデルがあります。もちろん分からないようにいろいろ変えていますが。
コーヒーの味に感激し、値段に驚愕した思い出があります(笑)




