第20話 「魔女に一撃されてしまいましたか」
「いやー、いじめられちゃったよ」
当麻は貴美の元に戻った。
「いじめられた?」
貴美が柳眉を跳ね上げる。怒るのか、と思いきや。
「それはないだろう」
伊勢乃木貴美は、そんな短簡な人間ではなかった。
「ない?」
「手合い違いだ」
「差がありすぎて、真面な勝負が成立しないとき」に用いられる言葉である。
「どこがだ?」
「あの男が拳を振り上げても、恐怖1つ浮かべなかったろう?」
「万一振り下ろしかけたら、割り込んで止める心算はしていたが」と加える。
(……しまった。よく見てやがる)
当麻は臍を噛んだ。その場しのぎの口先で踊ってくれるほど、伊勢乃木貴美は軽くも薄くもない。対して当麻は「昔の知り合い」なる男を前にして、余裕を失っていた。
「結果、つけ入るスキが見出せなくて、拳を振り下ろせず退散した。格付けは既に済んだというわけだ」
(くそ、一発ぐらい殴られとくべきだったのか)
後悔先に立たずである。
「いや、内心怖かったんだぜ? 俺をイジメてた相手だしな」
両肩をすくめて見せる。
「……大学の友人が漫画やどらまの話をよくするのだが」
突然話柄を変えた。
「普段は弱気で強くもない主人公が、仲間や恋人のためには信じられないぐらい勇敢になったり、強靭になったり、という話があった」
「ああ、ありがちだな、インスタントなヒーロー」
「貴美に言わせれば虚構だ。人は突然強くなったリなどしない。ああいった人物は“元より強い人物で、普段は力を制限している”だけだ。怠け者と言い換えてもいい」
100m走を13秒で走る人間は15秒で走ることもできる。が、決意1つで10秒を切ることは出来ないし、出来たとしたら壊れてしまう。
「辛辣ぅ。ま、確かに“友人が殴られるのは許さないが、自分は幾ら殴られても構わない”なんて人物、本当にいたらガンジーに表彰してもらえるレベルか。それで、結論は?」
「謙譲も謙遜も、度を過ぎたら美徳ではなく軽侮ととられる、と言いたかった」
きっぱりと言い切った。
「気をつけなさい」
鼻先に指を突きつけるライダースーツの女。猜疑の色はなく、ただ案じている。
「ん、りょうかい」
なので、当麻は殊勝に頷いた。富井の件は、いろいろな意味で反省を促されることになった。
「よろしい」
花のような笑顔を浮かべる。
(……これも“格付けが済んだ”ってヤツじゃないか?)
(悪い意味で印象に残っちまった。あのボケを、金でも何でも渡してさっさと追い払えばよかったんだ)
そうすれば、「情けない男」としか残らなかっただろうに。だが今となっては虚しい反実仮想でしかなった。
陸儀当麻に対して、伊勢乃木貴美に疑惑の芽はない。まだ。だが確実に種は植えつけられた。地中の種は目に見えずとも、厳然と存在する。なにかの要素が切っ掛けとなり、芽吹くことになるかもしれない。
(そうなれば、あの女の疑惑を、追及を躱しきれるか?)
自信はなかった。
「ちくしょう、爆弾を1つ抱えちまったか」
何気なく背後を見た貴美が血相を変えた。
「どうしました?」
石段のあたりで甲斐老人が転がっている。即座に貴美が駆け寄った。
「こ、腰が……」
外傷はない。命に別状もなさそうだが、額には脂汗が浮かんでいる。
(そういや、最初の時に腰がどうとか言ってたな、この爺さん)
調査人を断りたいがための方便ではなかったようである。
「さっき、突き飛ばされて……」
どうやら富井の荒々しい退場のとばっちりを食って、腰を打ったらしい。
「よくよく人を突き飛ばすのが好きなヤツだ、当たり屋め」
当麻は老人の顔を注視した。昨日と変わらず赤黒い。
「腰痛か。近くに昔馴染みの鍼灸院がある。すぐに運ぼう……しまった、二輪車か」
貴美は遠くの菊尾グループに呼びかけた。
「すみません、どなたか車を出していただけませんか! 甲斐さんが腰を痛めたようなので」
数人が動きかけたのを、菊尾が牽制する。
「すみませぇん、今忙しくってぇ。救急車を呼んだ方が安心ですよぉ?」
当麻は、菊尾のマネージャーがハンディカメラを回していることに気がついていた。
(阿呆だな、“いいヒト”をアピールできる絶好のチャンスだったのに)
貴美に対する対抗心から、目が曇ってしまっていた。少なくとも、自身で救急車を呼べば見せ場も作れたし、好感度が稼げたはずだが。
「ま、万年嫁き遅れアナウンサーに賛成だ。救急車を呼ぼう。かかりつけの病院を教えてくれ」
甲斐老人に話しかけ、スマートフォンを操作する。甲斐老人ほどの老齢になれば、かかりつけの病院は持っている。
「病院? 鍼灸院ではなくて?」
貴美が振り向いた。当麻は小声で囁いた。
「この爺さん、きっと病気を山ほど抱えてる。念のためだ」
病院の診断は急性腰痛症。要はぎっくり腰だった。突然腰に激痛が走り、まったく動けなくなる。甲斐老人はこれまでに5回急性腰痛症を起こしており、健康面に不安があったとのことだった。骨格の歪みと筋肉疲労が蓄積しており、3日や4日休んだぐらいでは復調しそうにない、との診断も言い添えられた。
「4日ほど入院するみたいです」
その旨をNPAsの意義路に連絡する。
『そうですか。ご連絡と病院への対応、誠にありがとうございます』
慇懃に礼を言った。
「復帰しても人並みには動けないでしょうね。ついでに言っとくと、たぶんあの人肝臓か腎臓も悪いと思いますよ。ガラクタの見本市だ」
肝臓や腎臓が病気になると、血液中の老廃物が解毒できずに血液中に残る。結果血液が汚れ、顔を黒ずんで見えるようになる。当麻は甲斐老人の赤黒い顔色から推測をつけていた。
「老眼で視力も悪かったし、不自由のバーゲンセールだ」
資料を読むのでさえ悪戦苦闘していた様を思い出す。日常生活にも不自由していたはずである。だが意義路に脅しすかされ、かなり無理をして参加していたのだろう。
『若い頃はいろいろ無茶な生活をなさっていたとお聞きましたが』
「貧乏をこじらせた、ってヤツだな。脱落させた方がいいんじゃ? 活動中に病死、なんてことになったら悪い風聞が立つでしょ」
足手まといの感は否めなかった。が、病を押して参加させたくないという温情もないわけではない。
『そうしたいのは山々ですが。未成年含む3名では陸儀さんと伊勢乃木さんの負担が大きくなるでしょう。それに、甲斐さんに非はないにしても、このような前例を作るのは好ましくありません』
ぎっくり腰は症状こそ深刻だが、検査をしても椎間板や骨格組織に異常が認められることはなく、神経痛も発症しない。詐病が難しくないのだった。
「なぁるほど、どっかでこの件を知った輩が、腰痛を抜け道にするのを避けたいわけですか」
筋肉の損傷は発見が難しい。おまけに、ぎっくり腰の85%は原因不明である。診断に自信のない医者も多く、治療も寝ているだけというものがほとんどだった。
『理解が早くて助かります』
褒めているつもりらしい。
「罰金で戦線離脱させたら?」
暫定リーダーとなったからには、面倒でも老人の去就について相談しておくしかない。
『それもまた、“金を払えば辞められる”という前例になりますので』
さりとてとんでもない額を提示したら、甲斐老人が払えずに離脱の口実が見つけられない、という悪循環だった。あの老人の住居や、病の多重債務ぶりを見るに、富裕でないことは明らかであった。
「えらく警戒してますね」
『と言いますのも、以前公選調査人に選ばれた男が、金の力にものを言わせて調査人を辞退した例がございまして』
どこかで聞いた話。
「ああ、政治家のバカ息子ってヤツでしたか?」
小雨が話していた噂だった。
『ご存じでしたか。その件があって、私の前任者は懲戒処分となりました』
意義路が担当する前の出来事らしい。
『この話、くれぐれも他言無用にお願いします。“上級国民なら調査人を免れる”などと思われては困りますので』
「はいはい、了解」
小雨に話を聞いた時、まさに当麻の抱いた感想だった。
「で、俺たちはどうすればいいですか?」
今日の午後は会議室に呼ばれているので問題ないが、明日以降に差しさわりがありそうだった。
『こちらは甲斐さんに血縁、最悪知り合いでもいいので、代理申請する相手がいないか問い質してしてみます。しばらくは3名で調査してください』
伊勢乃木貴美が大園誠太の代理で参加したように、甲斐老人をリタイヤさせつつも頭数を減らさない算段をしているらしい。
「了解」
短く言って通話を切った。
テストが終わった王喜万斗果も病院にやってきた。
「まあ、貴美さん素敵な衣裳ですわね!」
貴美の姿を見て賞賛を送る。
「和服もこれ以上なく似合っておられましたけれど」
「ありがとう。身体に密着し過ぎて少々恥ずかしいのだが、二輪車に乗れる装いがこれしかなくてな」
やはり和服中心の生活をしているようだった。
「まあ、学際の時に余興でやった、ちありーだーの衣装よりは見れたものだろう」
「「えっ?」」
廊下の男たちが一斉に貴美を見た。
万斗果に事の次第を説明する。
「あらあら、魔女に一撃されてしまいましたか」
病院のロビーで、意義路の返事を2人に伝えると、万斗果が薄く笑った。ドイツでは急に起こる激痛のため、ぎっくり腰のことを「魔女の一撃」と呼ぶ。
(一撃したのはお前じゃないか?)
問いたくなる。無論、ただの言いがかりであったが。魔女と万斗果の共通点は、黒という色しかない。
「チアガール」はアメリカではかなり危険な意味にとられる(コールガールとほぼ同義)ので、チアリーダーと表記しています(妙なこだわり)




