第19話 「コイツ、こんな目をするヤツだったか?」
パソコントラブルがあって慌てましたが、どうにか投稿することができました(/・ω・)/
「川で死体を洗ったんじゃろうか?」
ようやく追いついた甲斐老人が、腰を押さえながら口に出す。
「そんな洗濯物を洗うような悠長にはいかないと思うけど。音もするだろうし、見られたら一発アウトだからな」
だが、どんな稚拙な意見でも、貝のように押し黙っていられるよりは何倍も有意義だった。
(となると、どこで服を脱がせたり持ち物隠滅したりしたのか、ってことになるが。やっぱり車の中が現実的なセンか? 下水道では見当たらなかったしな)
考えを補強してゆく。
(夜中に道端で死体の服脱がしてるヤツがいたら、新種の怪談だ)
笑い飛ばそうとして、それをやりかねない美女に思い当たる。
「どうした? 苦虫を噛み潰して飲み込んだような顔つきをしているが」
ライダースーツ姿の貴美が怪訝な顔つきをする。
「い、いや。そんなことより相棒はさっき何か言ってたな?」
矛先を変える。先の貴美の呟きを聞き逃していなかった。
「犯人を追う参考にはならないと思うが」
と前置きをして、続けた。
「花、だ」
「花? あの供えられた、赤い花か?」
真っ赤な花の群れを指さして言う。
「あの赤い花は緋衣草(スカーレットセージ、サルビア)。献花されていたのはあの赤い花ばかりだった」
「んん、それで?」
続きを促す。
「緋衣草の花言葉は“家族の愛”。つまり、ご家族が供えたものだと思われる。出矢氏の名刺が大量に添えられたからな」
細かいところまでよく見ていた。
「なるほど。献花ってよりは宣伝だな」
ここで、ようやく言わんとしていることを察した。
「裏を返せば、家族以外に、現場を訪れた形跡がないのか……?」
「ご名答だ」
にっこりと笑った。
「花に詳しいんだな」
「母様が華道を嗜んでいるから、その影響だ」
イントルーダーを乗り回し、華道にも精通している。
「人物像が想像できないなあ」
「娘が言うのも何だが、傑物だぞ」
それはともかく、と話柄を戻す。
「大学生にはぜみや倶楽部など、様々な共同体がある。兄の出矢氏も、“社交的で友達がたくさんいた”と証言していた」
資料をめくりながら貴美が説明する。物事を的確に捉える女性だった。
「それでも、誰も訪れていない、と」
もし行った人間がいたとしても、少なくとも、献花するほど死を悼んでいない、ということだった。
「図らずも、当麻の人物鑑定を裏付ける結果となったな」
貴美は微笑んだ。
3人のスマートフォンが一斉にメール着信を告げた。いずれもNPAsから支給された方である。
「となれば、用件は条例絡みの連絡か」
やはり送り主は予想通りの人物で、内容は簡潔なものであった。
【調査人の皆さんは、本日13時30分にH会館に集合してください
意義路雲瓶】
意義路からの簡潔で強引な要請だった。
「意義路さんからだ。随分と突然の招集だな」
「やはり同じ内容か」
貴美が頷き、同じ文面を見せる。午後からはいちおう、比嘉石弥栄の通っていた大学に行く予定だった。
「予定変更だな」
「悪い報せでなければいいのだが」
顔を曇らせる貴美の隣で、当麻は不穏な想像を巡らせていた。
(まさか、昨日のマンホールの件がバレた、なんてことはないだろうな?)
周囲の土手を歩く。現場の周囲を少し歩いてみよう、と提案したのは当麻だった。思いのほか靴底を伝う草の感触と、吹き抜ける風が心地良い。
(隠すにしては中途半端な場所だ。ここで裸にして捨てたとしたら、まるで露出狂だな)
考えていることは物騒だったが。それこそ、最初のマンホールの方が余程見つかりにくいだろう。考え事をしていると、いつの間にか貴美が並んで歩いていた。甲斐老人は遠くをのろのろと散策している。
(現に死体は移動してすぐ見つかった。ここでないといけない何かがあったのか? それとも、死体を一刻も早く見つけてほしかったのか?)
無意識に煙草を咥えていた。貴美が隣にいることを思い出す。
「おっと」
煙草を引き抜いて握り潰そうとしたところを、貴美の手が優しく止めた。
「煙草、吸ったらどうだ? ここなら誰にも迷惑はかからないぞ」
「えっと、嫌じゃないか?」
「貴美は別に嫌煙家ではないぞ。曾祖父などは葉巻が大好きでな。始終ぷかぷかやっているが、白寿を迎えても元気いっぱいだ」
身近に喫煙家がいる影響か、穂塚のように副流煙などと騒ぎ立てるつもりはないらしい。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
ライターで火を点ける。
「おいしいのか?」
「うーん、味が美味いわけじゃない。考えるときのクセになってると言うか。空気みたいなもんだな」
紫煙をくゆらせる。もっとも、当麻が煙草を好む本当の理由は別にあったが。
「昨日も我慢していたのだろう?」
昨日、当麻が煙草を出し、我に返って慌てて仕舞う場面を貴美は何度も目撃していた。
「まあ、さすがに未成年や老人の前で煙を出してられないよ」
愛煙家には肩身の狭い世の中だった。
「美徳だな」
「ぶって痩せ我慢してるだけさ」
「そういった矜持は好きだぞ」
さらりと言ってのけた。伊勢乃木貴美という人物は、何の虚飾も衒いもなく「好き」を言える人物であるらしい。
(誤解した男たちが勝手に舞い上がったり地獄に叩き落とされたりしてそうだな。やれやれ、罪作りなことだ)
密かに同情した。
車が次々と砂利道を下ってきた。普段閑散とした土手の駐車場が、俄に満員御礼となる。
「おや、ご同輩だ」
「うげっ」
顔を出したのは、菊尾レイ率いるグループだった。あちらも現地集合だったらしく、昨日知った顔が様々な車から降りてくる。その中に、コブラ――より正確にはその後継車――からのたくり出した富井内人の姿もあった。菊尾レイは他のグループを取り込み、今や9人の大所帯となっていた。公選・私撰調査人総計の半数近い。
さらにカメラマンなどが続き、13人の集団に膨れ上がっている。
(ここで鉢合わせかあ~。まあ、見るモノ見たし、さっさと帰るか)
貴美にとっては「ご同輩」でも、当麻にとっては「出し抜くべき相手」でしかない。菊尾レイが当麻を見たが、無反応だった。顔を忘れているらしい。次にライダースーツ姿の貴美を視界に収めて、ギョッとする。周囲の視線も釘付けになった。菊尾は表情筋を総動員して、本音とは真逆に笑顔を作る。
「さ、さあ皆さんっ、ボーっとしてないで、今日もお仕事がんばりましょおっ!」
視線を強引に貴美から引き剝がす。
「感情がすぐ顔に出るあたりが二流だな」
「ん、何の話だ?」
「いんや、ただの四方山話」
司令官気取りで連合軍を見渡した菊尾は、演者が不足していることに気付いた。
「あ、あれえ? 出矢さんはぁ?」
「はぁ。ついさっき連絡があって、“用事ができたから15時から合流する”って」
ハンディカメラを調整していたマネージャーが報告した。
「えええー? 予定どーするのよぅ?」
ヒステリックな声を出してしまい、取り巻きたちがギョッとする。だが付き合いの長いマネージャーは、菊尾レイの操縦法を心得ていた。
「まあまあ、別撮りでいいじゃん。あの人が来たら来たで独演会になっちまうよ」
昨日もカメラを独占しようとしたり、打ち合わせしていた時間を過ぎてもだらだら喋り続けたりと、かなりの迷惑を被った。それでいて、会話に内容も熱もない。
「それもそっかぁ」
菊尾もすぐに色を直す。マネージャーには自分を売り込んでもらわなければならないので、対立は避けてしかるべきだった。菊尾の所属している事務所は大きく、1人のマネージャーが複数の芸能人を担当している。菊尾が扱い難しとなれば、「じゃあ別の芸能人売り込むわ」となってしまう。いまやユーチューバーなども幅を利かせ始め、供給は飽和状態になっている。
(何としても、成功させなきゃ!)
女優への転身は、年齢的にも最後にして最大のチャンスだった。
富井内人は不機嫌そのものだった。必要以上に周囲を威圧している。それもこれも伊勢乃木貴美を目撃したせいである。着物は胸を締め付けるのではっきりと分からなかったが、ライダースーツ姿の貴美からは、相当にプロポーションが良いのが見て取れる。釣り損なった大魚の魚拓を見せられている気分だった。だが、指を咥えて眺めているほど富井は辛抱強くはない。昨日は菊尾を追いかけたために猶予はなかったが、今日は話が違う。
(あのグズをとことん利用してやるゼ)
肩を怒らせて当麻に近寄る。体が触れる至近距離まで寄り、186cmの長身が20cm下にある顔を見下ろした。
「よう、久しぶりだな、ブタギぃ」
犬歯を剥き出しにして、威嚇するように笑った。相手の顔には、はっきりと困惑が見て取れた。
「……誰だっけ?」
相手は富井の顔を憶えていなかった。
「おいおい、忘れたのかよツレねぇナ」
ヘッドロックで首を抑え込む。富井にしたところで、顔を見ただけでは記憶に引っかからず、陸儀の名字を見てやっと思い出したのだから他人のことは言えない。
「小学校んトキ同じクラスだっただろうが。カッターでタトゥー彫ってやったり、鼻の骨折ってやったの覚えてねえってなら、もう1回やってやろうカ?」
「……ああ」
相手に理解の色が広がる。
「あのあと学校来なくなっちまいやがってヨ。こんなトコで会えるたあカミサマのイキなはからいってヤツかあ?」
脇にいる敬虔な信徒が聞いたら、激高するだろうことを言ってのける。
「当麻の知り合いか?」
貴美が話しかけてきた。
「おう! 俺様、コイツの飼い主ナ!」
当麻の頭を抱え込み、ぐりぐりと拳でこする。
「飼い主?」
貴美が不審な顔をした。
「小学校時代の同級生だってさ」
当麻が補足した。
「だってさ、じゃねえ。ナニ他人事みてえに話してやがる。ちょっと男同士の話があるからあっち行こうゼ!」
逃げられないように頭を拘束したまま、貴美から距離を置く。もっとも、相手には逃げようという意志は感じられなかった。昔のトラウマが呼び起こされて抵抗する気力もないのだろう、と悦に浸る。
「おい、近いうちにあの女を人気のないトコロに誘い出セ」
貴美を親指で指す。
「あの車イスの女も別の日に呼び出せ。上手くいったらお前を殴るのはカンベンしてやる」
嘘である。どうあろうが殴るつもりであったし、金も脅し取るつもりであった。ことを仕損じれば、罪を被せる気も満々だった。その前には家に押しかけて、金目の物を一切合切奪ってこよう。久しぶりにまとまった収入にありつけるかもしれない。富井は未来への空想に酔っていた。
「……ふーん」
その酔いを冷ますような、冷や水の如き反応が注がれた。
「テメェ、ちゃんと聞いてんのか? その目ん玉1コ潰してやっても……」
素面に戻った富井は、相手の冷めた目にたじろぐ。振り上げた右手が虚空をさ迷った。言葉を介せずとも。陸儀当麻が脅迫を、それを発した富井内人をどのように噛み砕いたかを理解できた。
そこには退屈な納得があるばかりだった。
見た目通り粗暴な男が、粗暴なことを言っている。そこには何の意外性もない。頭が悪いから、隠れて巧妙に立ち回ることも、大金を稼ぎ出す器量もない。結果、短絡的に身の回りにいる「弱そうに見える人間」を食い物にして、糊口を凌いでいるだけ。底の浅さを読み切られた気がした。
そういえばこの男から読み取れた感情は、困惑、理解、納得。恐怖などとは無縁だった。
(コイツ、こんな目をするヤツだったか?)
13年の月日に霞んでいるが、彼の知る陸儀当麻とは、暴力に怯え、泣いて従うしかできない子どもだった。面白半分に彼のすべての指を折ったとき、さすがに事件として表面化した。が、そのときも陸儀当麻は一言もいじめを漏らさなかった。事なかれ主義の担任や隠蔽体質の学校は気付いていたはずだが素知らぬフリを装った。中学で他の生徒にも同じことをやって、自殺に追いやったときはさすがにかなりマズかったが。
振り上げた拳で殴ることもできず、乱暴に突き飛ばした。
「い、いいか、逃げようなんて思うなヨ! それと、今度オマエん家に行くからな! ……コラ、ジジイどけ!」
他の人間を蹴散らすようにして、逃げ出すように去ってゆく。
「…………家に?」
刹那、射貫くような眼光をしたが、背を向けた富井が気づくはずもなかった。




