第15話 「“刑事コロンボ”が好きですわね」
死体が出てきますがグロいシーンはありません(/・ω・)/<たぶん
T大学法医学教室を訪問する。自然死や病院で亡くなった場合でなければ、まず検視が行われる。その後、犯罪の可能性が低いと判断されれば(検死)、行政解剖が行われるが、それには遺族の承諾が必要となる(承諾解剖)。一方、事件性が疑われる場合になされるのが司法解剖であり、刑事訴訟法第229条によりこちらには遺族の承諾が必要ない。比嘉石弥栄は無論司法解剖に回されていた。
大学入り口では白髪混じりの老年男性が出迎えた。奇妙な取り合わせの4人組を、不審に思うことなく案内する。
「どうも。s課課長から話は伺っています」
一足先に意義路から連絡が飛んでいたようだ。
(やっぱり有能だな。どうして復讐条例の窓口なんかやってるんだ?)
ふと疑問に思うが、当座関係のないことだと拭い去った。遺体安置所に案内される。
「まだ遺族に返却されてなくてラッキーだったな」
「遺体の状態が悪くて時間かかったんです。もうじき遺体引渡所に運びます」
数日ぶりに対面する比嘉石弥栄の死骸は、寒さを感じる時期になったせいかそれほど腐敗が進んでいなかった。ただし、それは腐敗状況に限った話で、当麻の記憶よりも段違いに損壊した箇所が多い。甲斐老人の顔色がどんどん悪くなる。
「キツかったら、席を外した方がいいですよ」
「こんなところで吐かれたり倒れでもされたら面倒だ」という本音は隠しておく。
「す、すまんがそうさせてもらうわい」
這う這うの体で逃げ出す老人の背中を、黒い瞳がつまらなさそうに見送った。
検分を始めようかと思った矢先、貴美が両手を合わせて黙とうする。当麻もいちおうそれに倣ってから、死体に注目した。
(ひどいスプラッタだ。壊れてないところがないぐらいだな。マンホールに叩き落としたんだから当然か。ところどころえぐれてるのは、ネズミにでも食われたか?)
「これは……集団リンチでも受けたのでしょうか?」
隣を見ると、さすがに貴美も幾分蒼ざめていた。
「いえ、ほとんどの傷から生活反応は出ませんでした。遺棄される過程でついたものと思われます。骨折はほぼそうですな。死亡時から数日が経ってますから、生存中の傷かどうか定かでないのもあります」
生活反応は、生存中に加えられた暴力かどうかを示す変化のことである。説明しながらも相手の顔に僅かな嘲りの色が浮かんだ。
(素人の寄せ集めが)
はっきりとそう言っていた。そこに車椅子の少女が一言。
「まずは死体検案書を見せてくださいな」
男は面食らった表情をしたが、すぐに我に返って書類棚に手を伸ばした。
「死体検案書とは?」
「医師が死亡事由について記したもので、死亡診断書と同様に人の死を証明する効能があります。突然の病気、異常死、自殺などは全て死亡検案書が作成されるのですわ」
貴美の疑問に万斗果が詳しく説明してくれた。
「ど、どうぞ。死亡を確認した医師が作成したものです。原則非公開ですので、その点はよろしくお願いしますよ」
差し出された用紙には、左上に「死亡届」、右上に「死亡検案書」と書かれており、細かく書き込む欄があった。
「氏名、性別、生年月日、死亡したとき、死亡したところおよびその種別、死亡したところの種別、施設の名称、手術痕……随分細かいもんだ」
その下も、死亡の原因に関して「受傷から死亡までの期間」「直接死因には関係しないが上記の疾病経過に影響を及ぼした傷病名等」「外因死の追加事項」など細に穿つ項目が見られた。もっとも、かなりの項目が「不詳」「推定〇〇」という曖昧な記述に留まっている。サツキが殺害して、数日放置されていたのだから無理もない。
「みんな、気になったところは?」
「殺害されたのはだいたい5日前。推定16時~19時。致命傷は喉の大きな水平の傷。それ以外の目や体の各所に傷あり。手に防禦創あり。それ以外の骨折や打撲痕は死後、恐らく死体の保管や移動の際につけられたもの。ということのようですわね」
万斗果が検案書を要約する。
(当たりだ。だが真新しい情報はナシか……ん? 防禦創だと?)
防禦創とは、刃物を振り回す相手から身を守ろうとして、被害者の手や腕に付けられる傷のことである。
「正確には、手の傷が生前のものか死後のものかは断定できないそうです」
「手に?」
注目してみると、確かに右手に深い切り傷が幾つもあった。親指や人差し指は取れかかっている。痛みすぎて特定ができなかったのだろう。
(チラッと見ただけだったが、比嘉石弥栄に防禦創なんて作ってる暇あったか?)
身も守ろうとする余裕などなく、なす術なく滅多切りにされていたように記憶していた。無論、この情報は口にできない。
「他には、腐敗の進行が遅かったのではと書かれています。つまりこの方は、気温が低い場所に保管されていたのでは?」
「業務用の大型冷蔵庫とかだろうか?」
貴美が形のいい顎に指を当てて考える。
「冷蔵庫のような密閉された場所ではありませんわね。“死体は小動物に噛まれた跡がある”とありますから」
(お、おい?)
どんどん真実に肉迫してゆく。
「ふむ。ネズミやノラ猫などが徘徊していそうな不衛生な場所ということだな。廃ビルなどはどうだろうか?」
「それも一案だと思いますわ。落下痕があったそうですもの。高層階に隠しておいた遺体を運び出すのに、窓から落とせば楽に運搬できますわね。死体は悲鳴を上げませんし」
推論の矢は皆中を逃した、と思いきや。
「もっとも、死体を暗くて汚い地面の下に隠す方法は他にもありますけれど」
黒い少女のつぶやきに、当麻は心臓を掴まれた心地がした。
「万斗果は聡明だな」
感じ入ったようで、貴美が手放しで称賛する。幸い先の発言は聞き逃したらしい。
「過大評価ですわ。この程度は警察なら容易く目星をつけることでしょう」
(復讐条例の適用で、その警察が動かないから安心してたんだよ)
思わぬ伏兵に心中で愚痴る。
「読んだミステリに影響を受けているだけです」
「……ちなみに、どんなミステリだ? 西村京太郎のトレインミステリーとか?」
「いえ、“刑事コロンボ”が好きですわね。同系列で古畑任三郎とか」
(よりによってそれ系かよ!)
「刑事コロンボ」は犯人側の視点に立ったミステリで、コロンボが犯人をじわじわと追い詰めてゆく描写がなされる。ただの偶然であっても当麻としてはあまり縁起の良い報告ではない。
待合室で横になっていた甲斐老人と合流した。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。すまんのう」
顔色が悪い、と言うよりも少々黒ずんで見えた。足元がおぼつかない。
(……フン。かなり身体がイカれてるな)
当麻はあることに気付いたが、どうでもいいことなのですぐに忘却した。甲斐老人に調査人は務まりそうにない、ということだけを記憶に残して。
「もう少し時間に余裕があるな」
貴美の表情が引き締まっている。被害者と面会することで、使命感を新たにしたようだ。ごく自然にマイナスをプラスに転化できる性質らしい。
「が、甲斐さんの調子が思わしくない。すまないが貴美も用事を思い出したので、今日はここで終了、というのはどうだろうか」
だがそのプラスを、他人に押し付けない倫理観も併せ持っていた。おそらく、用事とやらも甲斐老人を慮っての方便なのだろう。消極的な甲斐老人が、自分からは言い出せないだろうと読み切っての提案だった。
(気苦労なこった。自分のためだけに神経使った方が人生楽しいだろうに)
殺人鬼を匿っている人間がとやかく言う資格はない。
「そうするか。初日から気張りすぎても後が続かない」
別の思惑から当麻は同意した。
「暗くなっては効率が悪いですものね」
かくして実働初日は、講習と死体を拝んだけで終了と相成った。
送ってくれる、という万斗果の好意を受けることにする。アパートを知られることに警戒はあったが、断る口実が思いつかなかった。また、頑迷に断ればそれをきっかけに怪しまれ始めるかもしれない。
「週2日、各自話し合って休みを取る、ということでどうだろう? 万斗果は4日で」
貴美の提案に賛成した。
(聞き込みとか考えれば、みんな揃って土日は休み、ってーのはよろしくないからな)
平日働いている対象への聞き込みに、やはり土日は充てたかった。
「貴美も週2日は大学の講義に出たい。学業に支障が出ることは避けたいからな」
復讐条例絡みなので、法的には高校や大学を休むことは問題なくとも、性格的にできないらしい。
「それならば、明日はわたくしがお休みをいただいても構いませんか?」
万斗果が手を上げた。彼女だけは未成年なので週3日勤務である。能力的にはともかく、頭数として期待するのは酷だった。よって反対もなく、すんなりと休日が決定する。
「構わないぞ。用事か?」
貴美が問うたのは勘繰りではなく、世間話の延長でしかなかった。
「明日から期末テストが始まりますので」
「「は?」」
いきなりだったので、貴美と当麻の声が重なった。
「学校に伺って、まとめてテストを受けてこようかと思っておりますの」
復讐条例絡みなので、学校側もその程度の融通は利かせてくれるだろう。そもそも申請すればテストは免除されるはずなのだが、それでも時間を作って受けるつもりのようだった。
「では、今日は試験前日ではないか。事前に言ってくれれば便宜を図ったのに」
「お構いなく。今回の範囲は短いので、もう勉強は済ませております」
屈指の進学校の定期試験。難易度は高いはずだが、当人は涼しい顔である。1日で総ての科目を受けることといい、自信があるのだろうか。
「テストに勉強か。なんつーか、似合わない単語が出たなあ」
思わずこぼした当麻に、
「あら酷い。高校生らしく見えないということですの?」
「今のはでりかしぃにかける発言だな」
非難が集中した。高校生らしくないというよりも、俗世を超越した雰囲気を纏っている。有り体に言ってしまえば、存在に現実味がない。
「うん、ごめん」
そのまま口に出さない程度の配慮はあった。
「いえ、わたくしも冗談です」
万斗果が微笑んだ。が、当麻にはどうしても彼女が学校の机に座ってテストを受ける姿が想像できなかった。
「明日はどうする?」
貴美が訊ねた。
「うん、俺としては比嘉石弥栄の発見された現場に行ってみたいんだけど、どうだ?」
「A川の橋だったか。賛成だ、現地集合か?」
「それが手っ取り早い。ただ、交通機関が限られてくるけど」
「宜しければ、この車と運転手をお貸しいたしましょうか?」
「「それはない」」
当麻と貴美は声を揃えて断った。ありがたい申し出ではあるが、足の不自由な者の移動手段を奪う気には到底なれなかった。
「俺はアパートか3kmぐらい。バスを使えばすぐだ」
「貴美も移動手段はある。甲斐さんはいかがです?」
甲斐老人は地図を見返して、
「あそこなら、家から近いわい」
ほっと安堵の息を漏らした。
「じゃあ10時、現地集合で」
話は簡単にまとまった。
「わたくしにも進捗を聞かせてくださいね」
「もちろんだ」
万斗果に請け負ったのは当麻でなく貴美だった。




